! "<3fe61464$0$19835$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
! Mon, 22 Dec 2003 06:46:12 +0900 頃に wacky さん は言ったとさ:
> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bs17v5$2rk$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 充分です。
>> 私が評価してるのは個々の行為であって、それ以外の何かではありません。
> 個々の迷惑において、批判者が「自分自身も同程度の迷惑を掛けている」かど
> うかを*その場で判定する*ことは殆ど不可能と言えるでしょう。が、社会的に
> 見れば「誰にも迷惑を掛けずに社会生活を営むことは困難」であることもまた
> 明らかなわけです。
それが何か?
> 「被批判者は知らないのがデフォルト」であることは「ばれなきゃ構わん」と
> か「批判したモン勝ち」であることを意味しません。
もちろん、それが正しい内容の批判であれば「批判したモン勝ち」でいいんで
す。
> 繰り返しますが、私が
> 言ってるのは「他者を批判するものは、先ず自らを律するべきであろう」って
> ことです。
私が主張してるのは、「正しい内容の批判をするのは正しい」ということ。
> 更に、その「個々のケース」という*切り出し方*が恣意に基づいてるのが問題。
「個々」の意味がずれてきてますね。
上で述べたのは「複数回行なわれてることの一回分」の意味。
下で議論してるのは「ある種の行為群を一個と見倣すかどうか」の意味。
後者も議論の対象になりますが、一応は別物ですね。
> 現在のKGK氏はたとえば「「放火して消火した」は*個*ではなく「消火した」
> が*個*である」といった主張をしているわけですが、
いいえ。その場合は個と捉え得ると主張してます。
# 本当は限定条件があるし、それをあまり意識せずに書いちゃってるけど。
> 実の所「消火した」の内
> 容は「水を汲んできて火に掛けた」だったりするわけです。何を*個*とするか
> は議論のテーマに沿って決められねばならない。
それ以前に、「一個の行為」と見倣し得るための条件も考えとかなきゃいけま
せん。
私の主張は、
・「ある目的を達成するために行なわれた行為群」は一個の行為と見倣せる。
というもの。
だから、「水を汲んできた」と「水を火に掛けた」は、それぞれに一個の行為
と見倣せるし、「消火という目的のために行なわれた行為群」として「消火」
という一個の行為と捉えることもできる。
「放火して消火した」というのは、例えばそれが、「いい意味で世間の注目を
浴びる」という目的のために行なわれた行為群であれば、「マッチポンプ」と
いう一個の行為と捉えることができ、例えば、「放火してみたけど気が変わっ
て消火した」などというときには一個の行為とは捉えられない。
「自分でポイ捨てしながら他人のポイ捨てを批判する」というのは、その行為
群を統一する目的が見えないので、一個の行為とは捉えられない。
# もちろん、統一する目的があるような場合では、そのような場合に限り、一
# 個の行為と捉えることができる。
> *矛盾した行為そのもの*につ
> いて議論しているのであれば、たとえば「放火して消火した」という一見矛盾
> した行為全体を*個*と捉えるべきであって「消火して何が悪い」の類は反論の
> 体を為さない、「何の関係もない話」です。
いつものことながら、「矛盾」という言葉をどのような意味で使ってるのか不
明です。
「放火して消火した」のどこに矛盾があるんでしょう?
というわけで、「矛盾した行為そのもの」という問題設定が分かりません。
さらに「反論」って、何に対してのことだと思ってるんでしょう?
「マッチポンプ」が悪いことは誰も反対してません。
その上で、その行為の一部である「放火」は悪く、「消火」は良いと主張して
るだけです。
「消火は良い」という主張が「マッチポンプは悪い」に対する反論に見えると
したら、問題の切り分けが全然出来てないってことです。
>> 他に忌避度が高いものがあるかどうかは関係ないでしょう。
> 常識的に考えて、「円滑な社会生活を妨げる*全て*のものを排除する」ことは
> 不可能ですので、「より妨げるものがあるかどうか」は大いに関係あると思い
> ますが?
そういう捉え方をするのなら、単に「あるかどうか」を論じても意味ないでしょ
う。
少なくとも、頻度と対策の難易度ぐらいは合わせて論じないと。
>> ポイ捨てされたゴミは不衛生な状態を招き、美観を損ね、環境を破壊し、場合
>> によっては異臭を放ち、場合によっては通行の妨げになるものです。
> この観点から見るなら、
> タバコの吸殻: 美観を損ねる
> ジュースの空き缶: 不衛生、美観を損ねる、異臭を放つ、通行の妨げになる
> ので空き缶のポイ捨ての方が遥かに「社会生活を妨げる」存在であると思いま
> すけど?
タバコの吸殻: 美観を損ねる、高温、有毒、(くすぶってるときや水につかっ
てるときは特に)異臭を放つ
ですね。
既に指摘した部分まで挙げないってのは、その方が都合がいいからですか?
>>>> 愚行か否かに関係なくってことは、「善意からの愚行」と「悪意からの愚行」
>>>> の区別をつけるってことですよね。
>>>>
>>>> <bmr7fg$uua$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
>>>> : 1)空き缶のポイ捨てより吸殻のポイ捨ての方が相当に悪くて、その間に社会的
>>>> : なレベルの迷惑かどうかの境界があると信じてる場合
>>>>
>>>> というときは、善意がある(少なくとも悪意はない)と思うんですが、区別して
>>>> ないですよね?
>>
>>> 社会的通年とかけ離れた個人的な思い込みを「善意」とは呼ばない。
>>
>> 少なくとも前半部分は社会的通念とかけ離れてないってのは、以前根拠を示し
>> た通り。
> 前半?どれ?どこの前半だって?
もちろん、問題となっている 1 と番号付けわれた文の前半です。
ちなみに、ここで言う「前半」は、読点より前の部分を示してます。
>> wacky氏が空き缶のポイ捨てを明らかに間違ってると断言する自信がないと評
>> してることから見ると、後半部分に関しても社会的通念とかけ離れてるってわ
>> けじゃなさそうですね。
> 日本の社会的通念が欧州で通用するとは限らないし、東京の社会的通念が大阪
> で通用するとは限りません。
ってのは、私の
>> # もちろん、これは、文化形態などに依存する話。
と同じですね。
> 空き缶のポイ捨てが日常化し誰も異議を唱えないような*場所*では、そのロー
> カルな社会でのみ通用する社会通念が形成されている可能性がありますね。こ
> のような(ローカルな)社会的通念と単なる「個人的に信じている」だけの*思
> い込み*は明らかに異なります。分かりますよね。
で、上の 1 の文の場合が「社会的通念とかけ離れた個人的な思い込み」であ
るという思い込みはどこから来たんですか?
ひょっとして「信じてる」の部分?
もちろん、間違ってることを「信じてる」場合もあるし、正しいことを「信じ
てる」場合もあるでしょう。
後者を排除して前者のみを採る理由が何かあるんですか?
--
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ. K
KG k...@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
確かにスタイルではないですね。
>! "<3fe61464$0$19835$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>! Mon, 22 Dec 2003 06:46:12 +0900 頃に wacky さん は言ったとさ:
>
>> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bs17v5$2rk$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> 充分です。
>>> 私が評価してるのは個々の行為であって、それ以外の何かではありません。
>
>> 個々の迷惑において、批判者が「自分自身も同程度の迷惑を掛けている」かど
>> うかを*その場で判定する*ことは殆ど不可能と言えるでしょう。が、社会的に
>> 見れば「誰にも迷惑を掛けずに社会生活を営むことは困難」であることもまた
>> 明らかなわけです。
>
>それが何か?
理解はされたんですね。
ではそれを踏まえて…、
「個々の行為の評価」のみを切り出してそこで思考停止していたのでは、それ
以上のモノ→基準には永遠に結びつきません。それでは無意味です。
>> 「被批判者は知らないのがデフォルト」であることは「ばれなきゃ構わん」と
>> か「批判したモン勝ち」であることを意味しません。
>
>もちろん、それが正しい内容の批判であれば「批判したモン勝ち」でいいんで
>す。
そして、批判者が自己棚上げであった場合は「言い返したモン勝ち」も*同時*
に成り立ってしまうわけです。だってその言い返した内容だって正しい内容の
批判なんだから。
#にもかかわらずKGK氏は「俺様は癖になってるから批判に従わなくて良いん
#だ」と言う。身勝手だし矛盾だし自己棚上げだよね。
=====
>私の主張は、
>・「ある目的を達成するために行なわれた行為群」は一個の行為と見倣せる。
>というもの。
その通り。だから「放火して消火」は一個の行為と見倣せるわけ。
>「放火して消火した」というのは、例えばそれが、「いい意味で世間の注目を
>浴びる」という目的のために行なわれた行為群であれば、「マッチポンプ」と
>いう一個の行為と捉えることができ、例えば、「放火してみたけど気が変わっ
>て消火した」などというときには一個の行為とは捉えられない。
だから、消火のみを無理やり切り出したのでは両者を峻別できない。当初の設
定に沿った評価はできないわけです。
=====
>「自分でポイ捨てしながら他人のポイ捨てを批判する」というのは、その行為
>群を統一する目的が見えないので、一個の行為とは捉えられない。
そのまんま「自分の不当な行為は擁護したまま他人の不当な行為を非難した
い」という目的が見えますが?
>> *矛盾した行為そのもの*につ
>> いて議論しているのであれば、たとえば「放火して消火した」という一見矛盾
>> した行為全体を*個*と捉えるべきであって「消火して何が悪い」の類は反論の
>> 体を為さない、「何の関係もない話」です。
>
>いつものことながら、「矛盾」という言葉をどのような意味で使ってるのか不
>明です。
直下に詳しく説明しているように、そこは*一見*矛盾した行為と理解しましょ
う。
=====
>「マッチポンプ」が悪いことは誰も反対してません。
賛成もしていないよね。賛成できない理由が何かあるのでしょうか?
>その上で、その行為の一部である「放火」は悪く、「消火」は良いと主張して
>るだけです。
単なる消火ではなく、「マッチポンプ」の一部である消火を良いと考えるのは
「問題の切り分けが全然出来てないってことです」です。
>「消火は良い」という主張が「マッチポンプは悪い」に対する反論に見えると
>したら、問題の切り分けが全然出来てないってことです。
引き起こした結果が「最悪よりもマシ」であることに何を見出そうと言うの?
「殺そうと思ってたけど強姦だけで許してやった」という行為の何処に「良
い」部分が存在するのでしょうか?「全焼させようと思ったけど半焼で許して
やった」の何処に…(略)
=====
>>>>> <bmr7fg$uua$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
>>>>> : 1)空き缶のポイ捨てより吸殻のポイ捨ての方が相当に悪くて、その間に社会的
>>>>> : なレベルの迷惑かどうかの境界があると信じてる場合
>で、上の 1 の文の場合が「社会的通念とかけ離れた個人的な思い込み」であ
>るという思い込みはどこから来たんですか?
一部の嫌煙者を除く普通の人間には「空き缶のポイ捨てより吸殻のポイ捨ての
方が相当に悪い」なんて感覚は存在しないと思いますよ。
そのように考える根拠も俄かには思いつけません。
根拠を述べることができるならどうぞ。
#念の為。この「相当」は「程度が甚だしい」の意味だよね。「辞書に書い
#てあるように*等しい*という意味だ」なんて言い出さないよね?
<余談>
>>> ポイ捨てされたゴミは不衛生な状態を招き、美観を損ね、環境を破壊し、場合
>>> によっては異臭を放ち、場合によっては通行の妨げになるものです。
>
>> この観点から見るなら、
>> タバコの吸殻: 美観を損ねる
>> ジュースの空き缶: 不衛生、美観を損ねる、異臭を放つ、通行の妨げになる
>> ので空き缶のポイ捨ての方が遥かに「社会生活を妨げる」存在であると思いま
>> すけど?
>
>タバコの吸殻: 美観を損ねる、高温、有毒、(くすぶってるときや水につかっ
> てるときは特に)異臭を放つ
>ですね。
>既に指摘した部分まで挙げないってのは、その方が都合がいいからですか?
火のついている状態の煙草を指して吸殻と言うことは普通はありません。空き
缶と言った時に中身がなみなみと残っている状態を想定しないのと同じことで
す。KGK氏の設定は明らかに公平性を欠いたものですね。
</余談>
--
wacky
> KGK == Keiji KOSAKAさんの<btok8k$k7h$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> どう考えてもスタイルじゃないので、引越し。
> 確かにスタイルではないですね。
かといって、喫煙問題でもありません。
たしかに、そこから派生したものではありますが、現在は非常に一般的な議論
になっています。
喫煙に関係した部分が全くないわけではないですが、主題はそうじゃないし、
グループの振り先なんてものは、主題で決めるものです。
というわけで、このスレッドに関しては、今後断りなしに、fj.soc.misc のみ
で応答します。
もちろん、他のグループが適切であることが納得できるような根拠を提示され
れば、話は別ですが。
# この辺の話に続くようであれば、切り出して、適切なグループに振るのがよ
# いでしょう。
>> ! "<3fe61464$0$19835$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>> ! Mon, 22 Dec 2003 06:46:12 +0900 頃に wacky さん は言ったとさ:
>>
>>> 個々の迷惑において、批判者が「自分自身も同程度の迷惑を掛けている」かど
>>> うかを*その場で判定する*ことは殆ど不可能と言えるでしょう。が、社会的に
>>> 見れば「誰にも迷惑を掛けずに社会生活を営むことは困難」であることもまた
>>> 明らかなわけです。
>>
>> それが何か?
> 理解はされたんですね。
> ではそれを踏まえて…、
> 「個々の行為の評価」のみを切り出してそこで思考停止していたのでは、それ
> 以上のモノ→基準には永遠に結びつきません。それでは無意味です。
それは、「個々の行為の評価」に別のものを混ぜ込む理由にはなりません。
さらに、「個々の行為の評価」以外の観点から議論するのであれば、対象と論
点を明示してから行なうのがよいでしょう。
>>> 「被批判者は知らないのがデフォルト」であることは「ばれなきゃ構わん」と
>>> か「批判したモン勝ち」であることを意味しません。
>>
>> もちろん、それが正しい内容の批判であれば「批判したモン勝ち」でいいんで
>> す。
> そして、批判者が自己棚上げであった場合は「言い返したモン勝ち」も*同時*
> に成り立ってしまうわけです。だってその言い返した内容だって正しい内容の
> 批判なんだから。
その場合は、人単位で考えれば、どちらも勝ちだしどちらも負けでしょう。
行為単位で考えれば、個々の行為ごとに「勝ち負け」が決まりますが。
> #にもかかわらずKGK氏は「俺様は癖になってるから批判に従わなくて良いん
> #だ」と言う。
そんなことは、一言も言ってません。
> =====
>> 私の主張は、
>> ・「ある目的を達成するために行なわれた行為群」は一個の行為と見倣せる。
>> というもの。
> その通り。だから「放火して消火」は一個の行為と見倣せるわけ。
下に引用されてるように、いつでも見倣せるわけではありません。
>> 「放火して消火した」というのは、例えばそれが、「いい意味で世間の注目を
>> 浴びる」という目的のために行なわれた行為群であれば、「マッチポンプ」と
>> いう一個の行為と捉えることができ、例えば、「放火してみたけど気が変わっ
>> て消火した」などというときには一個の行為とは捉えられない。
> だから、消火のみを無理やり切り出したのでは両者を峻別できない。当初の設
> 定に沿った評価はできないわけです。
「当初の設定」自体がその両方を含み、その峻別ができないものになっていま
す。
「消火」を切り出した時点で峻別できなくなったのではありません。
ともあれ、ここでの論点は「どういう場合に一個の行為と見倣せるかどうか」
ということ。
> =====
>> 「自分でポイ捨てしながら他人のポイ捨てを批判する」というのは、その行為
>> 群を統一する目的が見えないので、一個の行為とは捉えられない。
> そのまんま「自分の不当な行為は擁護したまま他人の不当な行為を非難した
> い」という目的が見えますが?
本当に?
この場合の「自分でポイ捨てし」ってのは、今その場でやってるとは限らず、
むしろ、その場ではやってないのが通常という設定なんだよね?
そんな時間的空間的に離れた行為を目的意識に残してる保証はどっかあるんで
すか?
自分のポイ捨てのことなんか、忘れてる(というか、当面の意識にない)っての
は、ごく普通にあると思うけどなあ。
さらに、「自分の行為は不当だと思ってない」というケースに関しては以前指
摘した通り。
で、「自分の不当な行為は擁護したまま他人の不当な行為を批判する」のが目
的のことも考えられなくもないけど、その目的の悪い部分は「自分の不当な行
為は擁護したまま」ってところであって「他人の不当な行為を批判する」とい
うところじゃないよね。
>>> *矛盾した行為そのもの*につ
>>> いて議論しているのであれば、たとえば「放火して消火した」という一見矛盾
>>> した行為全体を*個*と捉えるべきであって「消火して何が悪い」の類は反論の
>>> 体を為さない、「何の関係もない話」です。
>>
>> いつものことながら、「矛盾」という言葉をどのような意味で使ってるのか不
>> 明です。
> 直下に詳しく説明しているように、そこは*一見*矛盾した行為と理解しましょ
> う。
どこに詳しく説明してるんでしょう?
「矛盾」という言葉さえでてこないんですが。
で、「放火して消火した」なんてやつの、どこに矛盾があるように見えるんで
しょうか?
悪いことする奴は一貫して悪いことをするのが道理が通ってるとでも思ってる
んですか?
> =====
>> 「マッチポンプ」が悪いことは誰も反対してません。
> 賛成もしていないよね。賛成できない理由が何かあるのでしょうか?
賛成してますよ。
何回か言ってますが、「マッチポンプは悪い」「放火は悪い」「消火はよい」
です。
>> その上で、その行為の一部である「放火」は悪く、「消火」は良いと主張して
>> るだけです。
> 単なる消火ではなく、「マッチポンプ」の一部である消火を良いと考えるのは
> 「問題の切り分けが全然出来てないってことです」です。
むしろ、「マッチポンプ」の一部である*から*その消火は悪いなんて言う方が、
問題の切り分けが全然出来てないってことですね。
「マッチポンプの一部」であることが、どのように評価に影響してそういう評
価になったのか説明できないと。
「全体が悪ければ、どの一部分も悪い」なんてばかげたことを考えてるのなら
話は別ですが。
>> 「消火は良い」という主張が「マッチポンプは悪い」に対する反論に見えると
>> したら、問題の切り分けが全然出来てないってことです。
> 引き起こした結果が「最悪よりもマシ」であることに何を見出そうと言うの?
それは全体として見たときの話ですね。
部分の評価としては「よい」でいいでしょ?
> 「殺そうと思ってたけど強姦だけで許してやった」という行為の何処に「良
> い」部分が存在するのでしょうか?
もちろん、殺さなかったのはよいことです。
ただし、「××しなかった」というのは、状況に対する恒等変換なので、行為
の評価としては表れませんが。
> 「全焼させようと思ったけど半焼で許して
> やった」の何処に…(略)
マッチポンプの場合は、最初から全焼させる気はないでしょうね。
全焼させちゃったら、当初の目的は達成できないか、効果が半減するでしょう
から ;P
いえ、喫煙問題ですよ。
というか、喫煙問題を含んだ迷惑全体についての議論でしょう。
>たしかに、そこから派生したものではありますが、現在は非常に一般的な議論
>になっています。
つまり、喫煙問題に戻すつもりは欠片も無いと?
私はそういう方向性にお付き合いする気はありませんのでお付き合い致しませ
ん。悪しからず。
さて、閑話休題。
=====
>> 「個々の行為の評価」のみを切り出してそこで思考停止していたのでは、それ
>> 以上のモノ→基準には永遠に結びつきません。それでは無意味です。
>
>それは、「個々の行為の評価」に別のものを混ぜ込む理由にはなりません。
何も混ぜ込んでなどおりません。
KGK氏自身が「行為」を更に分割してそれを「個々の行為」と述べているだけ
でしょう。恐らくは都合の悪い何かを排除するために。そして、都合が良い場
合は「それは放火による火事の火である」といった(KGK氏言う所の)別のもの
を混ぜ込んでいるわけです。ってのは以前に指摘した通り。
#勿論、私(wacky)自身が普通に考えれば、それは「考慮するのが当然の状況
#というもの」であるわけですが…。
=====
>>> もちろん、それが正しい内容の批判であれば「批判したモン勝ち」でいいんで
>>> す。
>
>> そして、批判者が自己棚上げであった場合は「言い返したモン勝ち」も*同時*
>> に成り立ってしまうわけです。だってその言い返した内容だって正しい内容の
>> 批判なんだから。
>
>その場合は、人単位で考えれば、どちらも勝ちだしどちらも負けでしょう。
あの~、^^;
「勝ち負け」を判定しようとしている者など*何処にもいない*と思いますが?
>行為単位で考えれば、個々の行為ごとに「勝ち負け」が決まりますが。
じゃあ、具体的に「自己棚上げのAが自己棚上げのBに自己棚上げの批判をし、
同Bが同Aに自己棚上げで批判し返した」という設定(そのまんまやね)の場合に
*何がどのように決着する*というのでしょうか?如何にして「お前こそルー
プ」を抜け出そうというのでしょう?
明確な回答を求めます。
=====
>> その通り。だから「放火して消火」は一個の行為と見倣せるわけ。
>
>下に引用されてるように、いつでも見倣せるわけではありません。
「いつでも」など不要ですよ。私は、この議論の為に設定された状況である
「放火して消火」について見倣せると述べています。
>ともあれ、ここでの論点は「どういう場合に一個の行為と見倣せるかどうか」
>ということ。
そりゃあ目的しだいでしょう。
一貫した目的の基に行われたのであればその小行為郡は一個の行為と見倣せる
でしょう。一方、無目的に放火し無目的に消火したのであれば、それらを一個
の行為と見倣す理由はありません。
=====
>> 「殺そうと思ってたけど強姦だけで許してやった」という行為の何処に「良
>> い」部分が存在するのでしょうか?
>> 「全焼させようと思ったけど半焼で許して
>> やった」の何処に…(略)
>
>マッチポンプの場合は、最初から全焼させる気はないでしょうね。
>全焼させちゃったら、当初の目的は達成できないか、効果が半減するでしょう
>から ;P
んだから、「最初から全焼させる気はなかった」の何処に「良い」部分が存在
するのかね?
<余談?>
>> そのまんま「自分の不当な行為は擁護したまま他人の不当な行為を非難した
>> い」という目的が見えますが?
>
>本当に?
>この場合の「自分でポイ捨てし」ってのは、今その場でやってるとは限らず、
>むしろ、その場ではやってないのが通常という設定なんだよね?
はい。
>そんな時間的空間的に離れた行為を目的意識に残してる保証はどっかあるんで
>すか?
そうですね。健忘症やアルツハイマー等々は除外して結構ですよ。
>自分のポイ捨てのことなんか、忘れてる(というか、当面の意識にない)っての
>は、ごく普通にあると思うけどなあ。
では、後で思い出して赤面してください。それで充分です。
>さらに、「自分の行為は不当だと思ってない」というケースに関しては以前指
>摘した通り。
当然ながら、社会的に未成熟であることが行為を正当化するわけはありません。
>で、「自分の不当な行為は擁護したまま他人の不当な行為を批判する」のが目
>的のことも考えられなくもないけど、その目的の悪い部分は「自分の不当な行
>為は擁護したまま」ってところであって「他人の不当な行為を批判する」とい
>うところじゃないよね。
#分離不能なモノを無理矢理別けることに意味は無い。
自らを律することなく批判すれば即ち「自分の不当な行為は擁護したまま」で
あるという状況に陥ります。つまりそれは「(ある条件下での)批判」が惹き起
こした結果の一つであるともいえるわけですね。そしてその結果が「悪い部
分」であることはKGK氏自身が述べた通りです。
</余談?>
--
wacky
「マッチポンプ」の意味するところを把握しているのであれば「放火してみた
けど気が変わって消火した」というケースが「マッチポンプ」に該当するのか
否かを理解できるはずですし、半年以上も以前から「消火(に終わる一連の行
為)によって何らかの利益を得る」ということを何度も繰り返し述べ続けてい
ますよ。何が問題なんでしょうか?疑問です。
=====
>何回か言ってますが、「マッチポンプは悪い」「放火は悪い」「消火はよい」
>です。
それって、「一般的には」とか冠してません?
じゃ、「悪いマッチポンプを構成し不可欠な小行為である消火は*良い*」んですか?
>> 単なる消火ではなく、「マッチポンプ」の一部である消火を良いと考えるのは
>> 「問題の切り分けが全然出来てないってことです」です。
>
>むしろ、「マッチポンプ」の一部である*から*その消火は悪いなんて言う方が、
>問題の切り分けが全然出来てないってことですね。
「むしろ云々」で言い返したからといって、それは反論にはなりませんよ。
KGK氏自身への指摘に対して何の回答もしてはいないんですから。
>「マッチポンプの一部」であることが、どのように評価に影響してそういう評
>価になったのか説明できないと。
はいはい。^^;
その消火が「マッチポンプ」の一部である*から*には、その消火は*悪い行為
の一部*であるわけです。その消火は「不当な手段を弄してでも賞賛を浴び
る」という目的を構成する一部分であり、なおかつ、それなしではその不当な
目的は達成不能です。
#放火自体が重大な問題であるために返って見過ごされがちですが、ここでの
#放火は手段であって目的ではありません。
「アクセルを踏む」ことが殺人という行為の一部である*から*その「アクセル
を踏む」ことは悪いと判断される。といったことと何の違いもありません。
>>> 「消火は良い」という主張が「マッチポンプは悪い」に対する反論に見えると
>>> したら、問題の切り分けが全然出来てないってことです。
>
>> 引き起こした結果が「最悪よりもマシ」であることに何を見出そうと言うの?
>
>それは全体として見たときの話ですね。
>部分の評価としては「よい」でいいでしょ?
だから、その「部分の評価」に何の意味がある?行為全体をキチンと評価しな
さいよ。
--
wacky
> KGK == Keiji KOSAKAさんの<c02e55$omu$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> 「個々の行為の評価」のみを切り出してそこで思考停止していたのでは、それ
>>> 以上のモノ→基準には永遠に結びつきません。それでは無意味です。
>>
>> それは、「個々の行為の評価」に別のものを混ぜ込む理由にはなりません。
> 何も混ぜ込んでなどおりません。
では、行為の評価をするときに別の尺度を持ち出すのはやめましょう。
> KGK氏自身が「行為」を更に分割してそれを「個々の行為」と述べているだけ
> でしょう。
いいえ。
「行為」と呼べるものは「個々の行為」です。
分割したものも「行為」であれば、それも「個々の行為」です。
> 恐らくは都合の悪い何かを排除するために。そして、都合が良い場
> 合は「それは放火による火事の火である」といった(KGK氏言う所の)別のもの
> を混ぜ込んでいるわけです。ってのは以前に指摘した通り。
状況が変われば、同じ動作でも行為の意味が変わることはよくあります。
ですから、それがどのような状況で行なわれたかってのは、行為の起点として
意味があります。それは、常に考慮しています。
> =====
>> その場合は、人単位で考えれば、どちらも勝ちだしどちらも負けでしょう。
> あの~、^_^;
> 「勝ち負け」を判定しようとしている者など*何処にもいない*と思いますが?
そうですか?
<3fe61464$0$19835$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>:
| 「被批判者は知らないのがデフォルト」であることは「ばれなきゃ構わん」と
| か「批判したモン勝ち」であることを意味しません。
と「勝ち負け」を導入したのはwacky氏ですが。
>> 行為単位で考えれば、個々の行為ごとに「勝ち負け」が決まりますが。
> じゃあ、具体的に「自己棚上げのAが自己棚上げのBに自己棚上げの批判をし、
> 同Bが同Aに自己棚上げで批判し返した」という設定(そのまんまやね)の場合に
> *何がどのように決着する*というのでしょうか?如何にして「お前こそルー
> プ」を抜け出そうというのでしょう?
> 明確な回答を求めます。
それは、「行為の批判」じゃないですね。「自己棚上げ」というのは一つの行
為じゃありませんから。
# それは一つの行為を問題にしてるんじゃなく、行為の関連性を問題にしてる
# んだってことでいいよね?
例えば、AB 両者がポイ捨てをしてるときに、
・A が B のポイ捨てを批判した。
・B が A のポイ捨てを批判した。
ってのは、それぞれ結着がつきますよね?
行為単位で考えるってのは、そういうこと。
> =====
>>> その通り。だから「放火して消火」は一個の行為と見倣せるわけ。
>>
>> 下に引用されてるように、いつでも見倣せるわけではありません。
> 「いつでも」など不要ですよ。私は、この議論の為に設定された状況である
> 「放火して消火」について見倣せると述べています。
この議論の為に設定された状況ってのは「自分で放火して自分で消火した」と
いう以外にはありません。
ですので、一個の行為と見倣せるとは限りません。
>> ともあれ、ここでの論点は「どういう場合に一個の行為と見倣せるかどうか」
>> ということ。
> そりゃあ目的しだいでしょう。
> 一貫した目的の基に行われたのであればその小行為郡は一個の行為と見倣せる
> でしょう。一方、無目的に放火し無目的に消火したのであれば、それらを一個
> の行為と見倣す理由はありません。
これは同意。
# っていうか、最初からそう言ってんだけど。
> =====
>> マッチポンプの場合は、最初から全焼させる気はないでしょうね。
>> 全焼させちゃったら、当初の目的は達成できないか、効果が半減するでしょう
>> から ;P
> んだから、「最初から全焼させる気はなかった」の何処に「良い」部分が存在
> するのかね?
もちろん、全焼させないように努力した部分に「良い」部分があるわけ。
> <余談?>
>> そんな時間的空間的に離れた行為を目的意識に残してる保証はどっかあるんで
>> すか?
> そうですね。健忘症やアルツハイマー等々は除外して結構ですよ。
そんなのじゃなくても意識に上ってる保証はないと思うけどなあ。
例えば、お父さんが子供に「食べ物の好き嫌いを言うんじゃない」と叱ってる
ときに、三日前の焼き鳥屋で「俺、レバーが苦手なんだよね」って言ってたこ
とを思い出しながら叱ってるのが当然で、思い出さない方が悪いってことにな
る?
>> 自分のポイ捨てのことなんか、忘れてる(というか、当面の意識にない)っての
>> は、ごく普通にあると思うけどなあ。
> では、後で思い出して赤面してください。それで充分です。
それは一体、何に対する評価なんですか?
>> さらに、「自分の行為は不当だと思ってない」というケースに関しては以前指
>> 摘した通り。
> 当然ながら、社会的に未成熟であることが行為を正当化するわけはありません。
もちろん、自分が不当だと思っていない行為が本当は不当だとしたら、その行
為が不当であることには違いありません。
が、その場合に、
>>> そのまんま「自分の不当な行為は擁護したまま他人の不当な行為を非難した
>>> い」という目的が見えますが?
ということが言えないでしょ?
自分で不当だと思ってなけりゃ、ことさらに擁護する目的で行動したりしない
よね?
>> で、「自分の不当な行為は擁護したまま他人の不当な行為を批判する」のが目
>> 的のことも考えられなくもないけど、その目的の悪い部分は「自分の不当な行
>> 為は擁護したまま」ってところであって「他人の不当な行為を批判する」とい
>> うところじゃないよね。
> #分離不能なモノを無理矢理別けることに意味は無い。
もともとばらばらなものを無理矢理セットにしてるだけに見えますが。
単に「自分の不当な行為を擁護する」ってのと「他人の不当な行為を批判する」
のを同時にやったってだけのことでしょ?
何で分離不能なんでしょ?
> 自らを律することなく批判すれば即ち「自分の不当な行為は擁護したまま」で
> あるという状況に陥ります。
批判しなくても「自分の不当な行為は擁護したまま」ですね。
特に、「なまじ批判すれば自分の不当な行為も批判される」という(正しい)判
断のもとに、あえて批判しないことを選んだりするのなら、「自分の不当な行
為は擁護」というのにふさわしいですね。
というわけで、
> つまりそれは「(ある条件下での)批判」が惹き起
> こした結果の一つであるともいえるわけですね。
ということは言えません。
それを引き起こしたのは、「批判」ではなく、自分の行為を修正しないという
態度です。
> </余談?>
> KGK == Keiji KOSAKAさんの<c02e55$omu$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 「当初の設定」自体がその両方を含み、その峻別ができないものになっていま
>> す。
> 「マッチポンプ」の意味するところを把握しているのであれば「放火してみた
> けど気が変わって消火した」というケースが「マッチポンプ」に該当するのか
> 否かを理解できるはずですし、半年以上も以前から「消火(に終わる一連の行
> 為)によって何らかの利益を得る」ということを何度も繰り返し述べ続けてい
> ますよ。何が問題なんでしょうか?疑問です。
当初の設定は「自分で放火して自分で消火する」だけでしょ?
「マッチポンプ」に限定するんであれば、なし崩し的にするんじゃなく、ちゃ
んと宣言してください。
> =====
>> 何回か言ってますが、「マッチポンプは悪い」「放火は悪い」「消火はよい」
>> です。
> それって、「一般的には」とか冠してません?
別に。
> じゃ、「悪いマッチポンプを構成し不可欠な小行為である消火は*良い*」んですか?
はい。
>>> 単なる消火ではなく、「マッチポンプ」の一部である消火を良いと考えるのは
>>> 「問題の切り分けが全然出来てないってことです」です。
>>
>> むしろ、「マッチポンプ」の一部である*から*その消火は悪いなんて言う方が、
>> 問題の切り分けが全然出来てないってことですね。
> 「むしろ云々」で言い返したからといって、それは反論にはなりませんよ。
> KGK氏自身への指摘に対して何の回答もしてはいないんですから。
してるでしょ?
「マッチポンプ」と「マッチポンプの一部」の評価が違うってのは当たり前の
ことなんです。評価の対象が違うんだから。
# もちろん、同じになるような「一部」もある。
それをちゃんと別々に評価できるってことが「問題の切り分けができてる」っ
てことで、二つの評価を同一視しちゃうのが、「問題の切り分けが全然出来て
ない」ってこと。
>> 「マッチポンプの一部」であることが、どのように評価に影響してそういう評
>> 価になったのか説明できないと。
> はいはい。^_^;
> その消火が「マッチポンプ」の一部である*から*には、その消火は*悪い行為
> の一部*であるわけです。その消火は「不当な手段を弄してでも賞賛を浴び
> る」という目的を構成する一部分であり、なおかつ、それなしではその不当な
> 目的は達成不能です。
つまり、目的の評価を手段の評価にしちゃってるわけですね。
「全体が悪いということは、どの部分も悪いということだ」ってことですか?
普通の人はそういう判断はしないでしょうねえ。
> 「アクセルを踏む」ことが殺人という行為の一部である*から*その「アクセル
> を踏む」ことは悪いと判断される。といったことと何の違いもありません。
たとえ「殺人」という行為の一部でなくても、人が目の前にいる状況で「アク
セルを踏む」というのは悪いことです。
>> それは全体として見たときの話ですね。
>> 部分の評価としては「よい」でいいでしょ?
> だから、その「部分の評価」に何の意味がある?行為全体をキチンと評価しな
> さいよ。
全体の評価ってのは部分の評価の積み上げでしょ?
行為の評価を、目的と手段と結果という「部分」に分け、そのそれぞれを一度
に評価できるぐらい単一な「部分」に分け、そのそれぞれを個別に評価し、そ
れを統合して全体の評価を形作る。
というのがまっとうな評価の仕方ってものでしょ?
それがちゃんとできれば、情緒に曇らされることなく、どの部分がどのように
悪いかがはっきりし、改善するにはどの部分をそのようにすればいいかが分か
るわけ。
全体*しか*見ないってのは、全体の印象だけで全ての評価をしちゃうってこと
じゃないの?