> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bton81$o61$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 「将来的には解決するつもりはある」の「解決」の対象は何?
>> 「他人には即時的な矯正を要求している」の「矯正」の対象は何?
> 両方とも「ポイ捨て」ですが、
前者は、「ポイ捨ての習慣」、後者は「一回のポイ捨て」と解釈しなけりゃ筋
が通らないよね?
後者も習慣だとすれば、せいぜい、「他人には矯正の努力の即時的な開始要求
している」程度の話にしかならないから。
# それだと、批判者自身も努力してるときは「棚に上げてる」と言いにくいか
# ら都合が悪いんだろうけど。
>>>>>>> 「将来的には解決するつもりはある」と仮定したところで「他人には即時的
>>>>>>> な矯正を要求している」時点で、依然として身勝手という謗りを免れることは
>>>>>>> できないでしょうな。^_^;
>>
>> というのはその二つを対比させてない?
> 詭弁だな。
> 第一に「即時的な矯正」と「対比」は無関係であること。
これは意味が分かりません。要解説。
> 第二に「身勝手」という判定が対比しているのは上記ではなく、
> ・既に矯正しているあるいは最初から問題が無い者の要求であった場合
> ・自らは即時的な矯正をするつもりの無い者の要求であった場合
> のふたつであるということ。
「自分がやってないことを人にやらせる」ってのを「身勝手」と称してんじゃ
ないの?
それだと、「自分がやってないこと」と「人にやらせること」が対称じゃない
と話になんないよっていってるわけですが。
>> 自分が過去に行なった全ての行為のなかで、これからしようとしている批判に
>> あてはまるものは全て充分に反省し二度と繰り返さないと決意するまでは、一
>> 言も批判するなって主張ですか?
> 「するな」なんてことは誰も言っていないし、言ったとしても自己棚上げの批
> 判を止めさせることなど不可能でしょう。
不当だと判定するのは「するな」ってのと同じでしょう。
# 「するな」と言われたところで、する人はするでしょうが。
> 私が言っているのは
> 1.自己棚上げの批判は社会通念に鑑みてもオカシイ
(あ) それを「行為の評価」として言うのなら、そういうのが含まれるような
行為のモデルと評価のモデルを作って下さい。
(い) そうでなければ、評価の対象をはっきりさせてください。
> 2.自分もやっている行為なら批判は先ず自らに向けられるべきだろう
(う) 何故そこで順番を決めなけらばならないのか。
(え) 例えば、癖になっているときのように矯正に時間がかかる場合は並列処
理した方が効率的である。その可能性を排除するのは何故か。
> 3.真っ当な批判であっても自己棚上げがバレれば批判自体の信頼を失う
(お) 批判の信頼性は批判自体の内容によって決められるべきものであって、
それ以外の要素で信頼性を失なうというような評価をする方がおかしい。
> といったこと。
とまあ、質問や反論があるわけですな。
>> 無い前提を変更することはできません。
> そうです。だから勝手に付け加えることもできません。
だから、必要に応じて場合分けするわけ。
>> 「自分がポイ捨てしながら他人のポイ捨てを批判する」という設定だけでは、
>>
>> ・その批判のあと自分でポイ捨てするつもりがあるかどうか。
> 批判の前後で自分の考えが変わるとする常識的な根拠や事前の設定は存在しま
> せん。特に何の設定も無い以上「行動に変化は無い」と考えるのが普通でしょ
> う。
他者を批判することで自分を追い込んで、自分の矯正を促進させるって話は普
通にある話です。
また、既に矯正の努力中の可能性もあります。
>> ・「自分のポイ捨て」と「他人のポイ捨て」が同種の行為であるという認識が
>> あるかどうか。(特に捨てるモノか場所か頻度が違う場合)
>> ・「自分のポイ捨て」と「他人のポイ捨て」が同程度に悪いという認識がある
>> かどうか。(同上)
> これらは無関係でしょう。常識的に考えれば個人的誤謬を一々考慮する必要は
> ありません。少なくとも今はね。
これらを誤謬と決めつける根拠はなんでしょう?
また、たとえ誤謬であっても、「善意か悪意か」というのは、その条件によっ
て変わります。
# 「善意」や「悪意」を普通の意味で使う限りは。
wacky氏のように「善意か悪意か」で行為の評価をするのなら、重要な要素に
なるはずです。
>> ・批判する時点で「自分のポイ捨て」が意識にあるかどうか。(癖になって意
>> 識してない場合や「自分のポイ捨て」からの時間経過が大きい場合など)
> これは「わざと」に拘るが為の誤りでしょう。無関係。
「棚に上げる」というのは「わざと」であるときのみに言える話だし、「わざ
とじゃないけど身勝手」というのもおかしい話でしょう。
>> などは全く分かりません。
>> # ま、「時間経過」はそんなに大きくないと設定されてるんだろうな。
>> それらを恣意的に悪い方に決めつけて批判するのはフェアじゃないですね。
> 恣意的に変な条件を考え出しているのは私ではありませんがね…。
wacky氏流に評価しようとすれば当然関係するはずの条件を、無意識のうちに
悪意をもって解釈してるだけのことですね。
# ここの「悪意」は、普通の意味の「悪意」。
>> 「棚上げ」と「棚に上げる」では辞書通りの意味に差があるわけですが、私は、
>> 「棚上げ」という言葉を「棚上げ」の意味で解釈し、wacky氏は「棚上げ」と
>> いう言葉を「棚に上げる」の意味で解釈してるって話。
>> で、「自己棚上げ」の「棚上げ」も、私は辞書通りの意味の「棚上げ」と解釈
>> するわけです。
> それが誤りでしょう。
> 「自己棚上げ」が「自分を棚*に*上げている」状態を指すことに意義は無いよ
> ね。なら、どちらの解釈を適用すべきかは明白でしょ。
意義は多分あるだろうけど :P
異議もあります。
「自分の行為を棚上げにする」の省略として使っても不思議じゃないですから。
> ちゅ~か、
> http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=%92I%82%C9%8F%E3%82%B0%82%E9&d=all&t=c
> 棚に上げる
> ━に上げる
> 棚上げする。 (新辞林 三省堂)
> http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=%92I%82%C9%8F%E3%82%B0%82%E9&d=all&t=c
> だったりするので「「棚上げ」と「棚に上げる」では辞書通りの意味に差があ
> る」自体が怪しい話なんだよね…。
普通、意味に差があるって話だったら、「棚に上げる」と「棚上げ」の両方ひ
いてみないか?
そうすれば、wacky氏が参照した、
| http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C3%AA&kind=jn&mode=1
| 【棚】
| ――に上・げる
| 自分に不都合なことはわざと知らぬ顔をして打ちすてておく。たなへあげる。
| http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C3%AA&kind=jn&mode=1
とはニュアンスの違う説明が出てくるのに。
--
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ. K
KG k...@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
# 「棚上げ」の類義語が「保留」とかなわけだ。
KGK == Keiji KOSAKAさんの<bv87pu$gp$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> 「将来的には解決するつもりはある」の「解決」の対象は何?
>>> 「他人には即時的な矯正を要求している」の「矯正」の対象は何?
>前者は、「ポイ捨ての習慣」、後者は「一回のポイ捨て」と解釈しなけりゃ筋
>が通らないよね?
何で?「(ポイ捨ての習慣における)将来の複数回のポイ捨て」と「(ポイ捨て
の習慣における)現在を含んで将来にわたる複数回のポイ捨て」でしょ。
「ポイ捨てするな」という批判を「他所ではポイ捨てしてもいいからここでは
するな」と解釈するのは非常識かつ*変態的(c)KGK氏*なものですよ。:-P
>後者も習慣だとすれば、せいぜい、「他人には矯正の努力の即時的な開始要求
>している」程度の話にしかならないから。
努力さえすれば良いのか?
#煙草なら「努力の*跡*が見られないから駄目」とか言うじゃん。
=====
>>>>>>>> 「将来的には解決するつもりはある」と仮定したところで「他人には即時的
>>>>>>>> な矯正を要求している」時点で、依然として身勝手という謗りを免れることは
>>>>>>>> できないでしょうな。^_^;
>>>
>>> というのはその二つを対比させてない?
>> 第一に「即時的な矯正」と「対比」は無関係であること。
>
>これは意味が分かりません。要解説。
つまり、自己棚上げであろうとなかろうと批判が「即時的な矯正」の要求であ
ることに変わりはないということ。問題は「即時的な矯正」にあるのではな
く、自己棚上げの方にあるということです。
#念の為。従って*行為全体として不正*であるってこと。
>> 第二に「身勝手」という判定が対比しているのは上記ではなく、
>> ・既に矯正しているあるいは最初から問題が無い者の要求であった場合
>> ・自らは即時的な矯正をするつもりの無い者の要求であった場合
>> のふたつであるということ。
>
>「自分がやってないことを人にやらせる」ってのを「身勝手」と称してんじゃ
>ないの?
そのまんま「自らは即時的な矯正をするつもりの無い者の要求であった場合」
だよね。
>> 「するな」なんてことは誰も言っていないし、言ったとしても自己棚上げの批
>> 判を止めさせることなど不可能でしょう。
>
>不当だと判定するのは「するな」ってのと同じでしょう。
いいえ。同じなのは「するべきではない」とです。それは「自分だったらしな
い」ということ。「常識的な人間ならしないだろう」ということ。他人への強
制とは関係ない。
=====
>> 私が言っているのは
>> 1.自己棚上げの批判は社会通念に鑑みてもオカシイ
>
>(あ) それを「行為の評価」として言うのなら、そういうのが含まれるような
> 行為のモデルと評価のモデルを作って下さい。
>(い) そうでなければ、評価の対象をはっきりさせてください。
何度も繰り返すように、
i) 評価の対象たる行為は「自己棚上げの批判」である
ii) 「自己棚上げの批判」とは「自らはポイ捨てしながら他人のポイ捨て*の
み*を批判すること」である
ですね。
KGK氏の詭弁は、評価対象の「自己棚上げの批判」を「(通常は自己棚上げか否
かは問われない)単なる批判」に摩り替えた上で「批判自体は正しい」と主張
すること。つまり、論点の摩り替えです。
>> 2.自分もやっている行為なら批判は先ず自らに向けられるべきだろう
>
>(う) 何故そこで順番を決めなけらばならないのか。
アナタ自身が最も身近な*問題行動を行う人間*だから。
順番をつける必要はありませんが、普通に考えれば、手近なところから始める
のが自然でしょう。
>(え) 例えば、癖になっているときのように矯正に時間がかかる場合は並列処
> 理した方が効率的である。その可能性を排除するのは何故か。
それこそ「変なイイワケ」の代表選手でしょう。
i) 他人が癖になっていないなんてことが何でアナタに分かるんでしょう?
ii) 他人には「正しい内容の批判に従わない理由はない」と言いながら、自分
自身は「俺様は癖になってるから従わなくて良いんだ」ってのは明らかな
矛盾。
>> 3.真っ当な批判であっても自己棚上げがバレれば批判自体の信頼を失う
>
>(お) 批判の信頼性は批判自体の内容によって決められるべきものであって、
> それ以外の要素で信頼性を失なうというような評価をする方がおかしい。
おかしいと言われようがそれが社会的事実というものです。今更、オオカミ少
年のお話を聞かされたいですか?
=====
>> 「自己棚上げ」が「自分を棚*に*上げている」状態を指すことに異議は無いよね。
>「自分の行為を棚上げにする」の省略として使っても不思議じゃないですから。
だからさ、「*不思議じゃない*から自分に都合の良いように解釈する」のは止
めましょう。相手の意図を汲まずに勝手に決め付けたのでは議論など成立しよ
うもない。せめて、決め付ける前に尋ねましょうね。
#なんて、極基本的なルールだと思うんだが…。
--
wacky
> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bv87pu$gp$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> 「将来的には解決するつもりはある」の「解決」の対象は何?
>>>> 「他人には即時的な矯正を要求している」の「矯正」の対象は何?
>> 前者は、「ポイ捨ての習慣」、後者は「一回のポイ捨て」と解釈しなけりゃ筋
>> が通らないよね?
> 何で?「(ポイ捨ての習慣における)将来の複数回のポイ捨て」と「(ポイ捨て
> の習慣における)現在を含んで将来にわたる複数回のポイ捨て」でしょ。
という話だったら、「他人には矯正の努力の即時的な開始要求している」程度
の話にしかならないですね。
>> 後者も習慣だとすれば、せいぜい、「他人には矯正の努力の即時的な開始要求
>> している」程度の話にしかならないから。
> 努力さえすれば良いのか?
「即時的な要求」は「努力の開始」でしょ。
もちろん、将来的には矯正が完了することを要求してるわけだけど。
というわけで、自分に対しても他人に対しても同じですね。
> #煙草なら「努力の*跡*が見られないから駄目」とか言うじゃん。
もちろん、効果の表われていない努力など、評価に価しません。
> =====
>>>>>>>>> 「将来的には解決するつもりはある」と仮定したところで「他人には即時的
>>>>>>>>> な矯正を要求している」時点で、依然として身勝手という謗りを免れることは
>>>>>>>>> できないでしょうな。^_^;
>>>>
>>>> というのはその二つを対比させてない?
>>> 第一に「即時的な矯正」と「対比」は無関係であること。
>>
>> これは意味が分かりません。要解説。
> つまり、自己棚上げであろうとなかろうと批判が「即時的な矯正」の要求であ
> ることに変わりはないということ。
違いますね。
まっとうな批判は不可能事を要求しないものです。
即時的な矯正が可能であればそれを要求するでしょうが、そうでなければ矯正
努力の開始を要求するでしょう。
>>> 第二に「身勝手」という判定が対比しているのは上記ではなく、
>>> ・既に矯正しているあるいは最初から問題が無い者の要求であった場合
>>> ・自らは即時的な矯正をするつもりの無い者の要求であった場合
>>> のふたつであるということ。
>>
>> 「自分がやってないことを人にやらせる」ってのを「身勝手」と称してんじゃ
>> ないの?
> そのまんま「自らは即時的な矯正をするつもりの無い者の要求であった場合」
> だよね。
だから、上記の対比じゃないよね?
・他人に即時的な矯正を要求する
・自らは即時的な矯正をするつもりが無い
というのを対比させて「身勝手」と称してるんじゃないの?
それだと、「自分がやってないこと」と「人にやらせること」が対称じゃない
と話になんないよっていってるわけですが。
>> 不当だと判定するのは「するな」ってのと同じでしょう。
> いいえ。同じなのは「するべきではない」とです。それは「自分だったらしな
> い」ということ。「常識的な人間ならしないだろう」ということ。他人への強
> 制とは関係ない。
ということなら、
自分が過去に行なった全ての行為のなかで、これからしようとしている批判に
あてはまるものは全て充分に反省し二度と繰り返さないと決意するまでは、一
言も批判するべきではないって主張ですか?
> =====
>>> 私が言っているのは
>>> 1.自己棚上げの批判は社会通念に鑑みてもオカシイ
>>
>> (あ) それを「行為の評価」として言うのなら、そういうのが含まれるような
>> 行為のモデルと評価のモデルを作って下さい。
>> (い) そうでなければ、評価の対象をはっきりさせてください。
> 何度も繰り返すように、
> i) 評価の対象たる行為は「自己棚上げの批判」である
> ii) 「自己棚上げの批判」とは「自らはポイ捨てしながら他人のポイ捨て*の
> み*を批判すること」である
> ですね。
何の答にもなってないですね。
「自らはポイ捨てしながら他人のポイ捨て*のみ*を批判すること」というのは
その批判者の二つの行為を含んでるわけですが、その評価というのは、二つの
行為をセットにした何かを評価してるのか、その状況の中の批判という行為を
評価しているのか二つの行為の関連性を評価しているのか分かりません。
いままでのwacky氏の主張からすると、二つの行為の関連性への評価じゃない
かと思うんですが、そうなると、「自己棚上げの批判」ではなく、「自己棚上
げ」を対象にしてるというほうが自然ですね。
もちろん「行為の関係性の評価」と「行為の評価」というのは別ものですから、
別々に議論されるべきものでしょう。
> KGK氏の詭弁は、評価対象の「自己棚上げの批判」を「(通常は自己棚上げか否
> かは問われない)単なる批判」に摩り替えた上で「批判自体は正しい」と主張
> すること。つまり、論点の摩り替えです。
違います。
「行為の評価」を行なうときに、「行為の関係性」などという余分な構造を導
入していないだけのことです。
>>> 2.自分もやっている行為なら批判は先ず自らに向けられるべきだろう
>>
>> (う) 何故そこで順番を決めなけらばならないのか。
> アナタ自身が最も身近な*問題行動を行う人間*だから。
> 順番をつける必要はありませんが、普通に考えれば、手近なところから始める
> のが自然でしょう。
順番をつける必要がないのなら、「べき」というのは強過ぎますね。
せいぜい、「自分もやっている行為なら批判は先ず自らに向けられるのが自然
だろう」という程度の話です。
もちろん、「不自然」であることと「不当」であることの間には相当開きがあ
りますから、その間を埋めようとしたら、相当説明が必要でしょうね。
>> (え) 例えば、癖になっているときのように矯正に時間がかかる場合は並列処
>> 理した方が効率的である。その可能性を排除するのは何故か。
> それこそ「変なイイワケ」の代表選手でしょう。
> i) 他人が癖になっていないなんてことが何でアナタに分かるんでしょう?
他人が癖になってようがいまいが、自分が癖になってれば、並列処理の方が効
率的でしょ?
> ii) 他人には「正しい内容の批判に従わない理由はない」と言いながら、自分
> 自身は「俺様は癖になってるから従わなくて良いんだ」ってのは明らかな
> 矛盾。
誰も「従わなくて良いんだ」などと言ってません。
単に、従うのに時間がかかるだけの話です。
>>> 3.真っ当な批判であっても自己棚上げがバレれば批判自体の信頼を失う
>>
>> (お) 批判の信頼性は批判自体の内容によって決められるべきものであって、
>> それ以外の要素で信頼性を失なうというような評価をする方がおかしい。
> おかしいと言われようがそれが社会的事実というものです。
いいえ。
まっとうな人なら、そんな評価の仕方はしません。
> 今更、オオカミ少
> 年のお話を聞かされたいですか?
村人が偏見を持ったために、少年の言葉の評価を間違えた話ですね。
極めて教訓的です。
> =====
>>> 「自己棚上げ」が「自分を棚*に*上げている」状態を指すことに異議は無いよね。
>> 「自分の行為を棚上げにする」の省略として使っても不思議じゃないですから。
> だからさ、「*不思議じゃない*から自分に都合の良いように解釈する」のは止
> めましょう。相手の意図を汲まずに勝手に決め付けたのでは議論など成立しよ
> うもない。せめて、決め付ける前に尋ねましょうね。
もともとの設定に素直に従っただけの話ですが。
「自分でポイ捨てしながら他人のポイ捨てを批判する」というだけの設定に
「わざと自分を見逃した」という設定を付け加えなければ「棚に上げる」とは
言えないでしょ?
wacky氏は当然そういうものだと頭から決めてかかってるようですが、それほ
ど自明な話じゃないってのは何度も指摘している通り。