> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bs1cs2$61r$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> ! "<3fcfc961$0$19849$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>> ! Fri, 05 Dec 2003 08:56:03 +0900 頃に wacky さん は言ったとさ:
>>
>>> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bq9rlh$kq0$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> 火事が起こってる状態では、その家の財産価値が刻々と減っているわけですか
>>>> ら、それを消火することの目的は「財産価値の減少を食い止める」ということ
>>>> です。
>>
>>> それは「結果」に過ぎないですね。
>>
>> そのような結果を生むことを目標にした行動でしょ?
> いいえ。
> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bndosc$u4d$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
> $(1) 意味もなく放火し、意味もなく消火した
> $(2) 放火の手段があったから放火し、消火の手段があったから消火した
> $(3) 火を見るのが好きで放火し、火が消えるのが好きで消火した
> $(4) 家の持ち主に害意があって放火し、恐くなって消火した
> $(5) 消火する目的で放火し、自己満足のために消火した
> 上記1~5は全て「消火」ですが何れからも「財産価値の減少を食い止める」
> といった目的を汲み取ることは不可能です。「財産価値の減少を食い止める」
> は*結果的*に副次的効果の産物として生じただけですね。
もちろん、動機から目的を汲み取ることが可能とは限りません。
# まあ、4番目は「財産価値の減少を食い止める」のが動機の一部と言ってい
# けど。
普通、目的を汲み取るのは、行為それ自体からです。
火災現場で火に水をかけてれば、それは「消火」を目的にしてると判断される
のは、「火に水をかければ火が消えることが促進される」ということを大抵の
人は知っているだろうと予測されるからです。
火災の火を消火すれば「財産価値の減少を食い止める」ことを目的にしてると
判断されるのは、「火災の火を消火すれば財産価値の減少を食い止められる」
ということを大抵の人は知っているだろうと予測されるからです。
>>> それは単に「全体から切り出された一部の状況」のみからではそれ以外の目的
>>> (というよりここでは動機だな)を見出せないというだけの話でしょう。
>>
>> 動機なんてものは関係ありません。
> なんだそりゃ。^_^;
> じゃあ、KGK氏言うところの「目的」及び「動機」を定義した上で違いを明確
> にし、無関係であることを証明してみてくださいな。
行為の目的というのは、その行為を行なうことで得られるはずの「想定された
結果」のことです。
行為の動機というのは、その行為を行なうと決意するに到った理由です。
それは、そのような目的を持った理由と、そのような目的の行為を実際に行な
うと決断した契機からなります。
行為の評価は、その行為が行なわれる前と行なわれた後の状況の評価の差です。
事前に目標とした差が目的の価値であり、実際に起った差が結果の価値です。
行為の手段とは、行為の目的をいくつかの小目的に分割したときにそれぞれの
小目的を達成するための行為群のことですから、イテラティブに評価できます。
これらの評価に行為の動機は関わってきません。それは、行為が始まる時点で、
既に終わったものだからです。
さらに、どのような動機があったにしても実際に行なった行為が同じであれば、
行為の評価としては同じ評価を与えられるのが当たり前ですから、そういう意
味でも動機が行為の評価に関わってこないのは正解です。
# 金に困って盗もうが、趣味で盗もうが、盗みは盗み。
> 実際に「消防署員が放火魔だった」ってな事件もありましたがね。^_^;
> 私には「放火は許せないが消火したのは偉い。よくぞ財産価値の減少を喰い止
> めてくれた」なんて評価は聞こえてきませんでしたよ。
普通は、わざわざ評価する必要はないでしょうから、聞こえてこないのは当然
でしょうね。
「放火」の悪さと「消火」の良さを比べれば、前者の方がはるかに大きいです
から、前者にのみ注目して評価する人が多くても驚くにはあたらないでしょう。
でも、「放火も許せないが消火も許せない」という人は、きっと、殆どいない
でしょうね。
> KGK氏ならそのように
> 評価するんですか?
「偉い」ってのは人に対する評価になりかねないから、そういう表現はあまり
しないでしょうね。
「消火したのは、しないよりはまし」ぐらいのことは言うでしょうけど。
で、
>>> 「消火した本人が放火していた」という
>>> 情報を一つ加えただけで別の何かが見えてくるはず、少なくとも見える可能性
>>> はあるはずですよね、
>>
>> その見えてきたものは具体的に何で、「消火」という行為の評価にどのように
>> かかわってくるんでしょう?
には答えてくれないんでしょうか?
まあ、漠然と考えてるだけで、具体的に何を評価してるのか自分でも気がつい
てないんだったら、答えようがないでしょうけど。
>>>> 放火犯に善意があるかどうかなんて、私は問題にしてません。
>>
>>> 大抵の犯罪では*犯行を行う意図*の有無を軽んじることはありません。
>>
>> 犯行に故意があるかどうかというのは善意とか悪意とかいった話とは関係あり
>> ません。
> 「犯行」じゃなくて「故意→意図」の方に「善意とか悪意とか」があるのよ。
普通は、善意とか悪意とかで判断するのではなく、その意図に基づく行為が法
に抵触するかどうかで判断されます。
# 法的な評価以外の評価を行なうなら、「その意図に基づく行為」の社会的評
# 価。
>> 故意があるかどうかってのは「どのような結果が起こると想定した行動だった
>> か」というので判断されます。
> だからその「想定」が善い想定か悪い想定かってことじゃん。
それは、誰にとって「善い/悪い」でしょうか?
普通の言葉遣いでは、「善意/悪意」というのは対象物に対する好意もしくは
その反対のものがあるかどうかで決まります。
どうも、wacky氏のいうところの「善意/悪意」ってのは、それとは違った意味
で使ってるような気がするんですが、どんな意味で使ってるんでしょうか?
>>>> ・強姦 + not 殺人
>>>> という行為を評価するのなら、その行為の前後の状況の差を考えるべきです。
>>>> もちろん「悪いこと」という評価になります。
>>>> これを、
>>>> ・強姦 + 殺人
>>>> と比べるというのなら、その場合の行為の差は「殺人」の有無ですから、「殺
>>>> 人」(もしくは「not 殺人」)の評価になっています。
>> wacky氏が比べる対象を間違えたってだけの話ですね。
> 強弁にも無理がありますよ。^_^;
> もう一度ご自分の主張を振り返って御覧なさい。「強姦 + not 殺人」につい
> ては行為そのものに対する(絶対的な)評価をし、「強姦 + 殺人」については
> 「強姦 + not 殺人」との比較→相対的な評価を行っているわけです。
違います。
前者は私の主張に従った「強姦 + not 殺人」の評価。
後者はwacky氏が持ち出した比べ方に従った「強姦 + not 殺人」の評価。
そのwacky氏の比べ方が何を評価してるかといえば、「殺人」の評価にしかなっ
ていないってのが私の主張。
# 正確に言えば、「殺人の評価」の not。
> 誰が見
> てもオカシナ主張ですよ。
私の主張は、もともと、「ある行為の評価は、その行為をした場合としない場
合で比べることで行なう」というものですから、wacky氏のような比べ方をし
たところで何の反論にもなっていません。
> <余談>
>>> それは単に「消火」の前後の状況の変化を見ているに過ぎないわけで、常に
>>> 「既に生じた結果をもたらすことが目的である」と考えるのならば「目的」と
>>> 「結果」を別ける意味はありませんし、その仮定は明らかに誤りです。
>>
>> 今だに、「事前に想定された結果」と「実際の結果」の区別がついてないよう
>> ですね。
> 「悪意から行い成功した」場合は「事前に想定された結果」と「既に生じた結
> 果」は一致する。「善意から行い失敗した」場合は「事前に想定された結果」
> と「既に生じた結果」は一致しない。現在扱っているのは前者だから敢えてそ
> こにこだわる意味はありません。
必ず一致するのであれば、目的と結果を区別する意味はありません。
>>> つまり、「善意で
>>> 行ったが失敗した」のか「悪意で行い成功した」のかは全く同じ結果であって
>>> も異なる評価を受けるわけです。
>>
>> 純粋に相手のためを思って殺してあげても、殺人は殺人です。
> 尊厳死とかを指しているのであれば、それは単に「まだ法律が追いついていな
> い」だけの話だと思うよ。
尊厳死に限った話じゃありません。
「純粋に相手のためを思って」というのは行為者の主観にすぎないので、客観
的に見て相手のためになってるかどうかは別問題です。
でも、「純粋に相手のためを思って」と認められるなら、それは「善意から」
と見倣されるのが普通でしょう。
また、例えば、被誘拐者への善意から被誘拐者を助けても、誘拐犯への悪意か
ら同じことをしても、行為の評価としては同じなのが普通ですね。
そうでなければ、同じ状況で同じ行為をしてるのに、行為の評価が異ることに
なります。
# ま、wacky氏が「善意/悪意」をどう使ってるのか分かるまで、この辺の話は
# 結着つかないでしょうけど。
>> 善意の有無で行為の評価が反転することはありません。
>> せいぜい、情状酌量のネタになる程度の話です。
> 現状ではね。例外を持ち出すことに意味はありません。
意味が取れません。
「現状」が例外だと言ってるんでしょうか?
>>>> いいえ。
>>>> wacky氏による行為の評価は、人の評価を含むものになってるんじゃないかっ
>>>> て指摘です。
>>
>>> 「人」とか「者」を付けたから?ですか?
>>
>> 「人」とか「者」とかをよくつける上に、それをつけないと論旨が変わりそう
>> な主張をするからです。
> そういった主張を何ら具体的な指摘を伴わずに行うところがね…。^_^;
# ひとつの例は他の記事で行なったから、それはそれでいいとして、
>> 「人」とか「者」とかをつけずに表現したら、自分の論旨が変わって見えない
>> かどうかをよく吟味してみてください。
というのを実行する気がなければ、無駄な指摘になるでしょうね。
> </余談>
--
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ. K
KG k...@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
! "<400a12a7$0$19835$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
! Sun, 18 Jan 2004 13:59:25 +0900 頃に wacky さん は言ったとさ:
> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bu0im1$dbe$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 普通、目的を汲み取るのは、行為それ自体からです。
> 普通、その「行為から汲み取られた目的」を動機と称するのだと思いますよ。
いいえ。
動機ってのは、「目的を持つに到った理由」とか、「実際に行動を起すきっか
け」とかのことでしょう。
>> 火災現場で火に水をかけてれば、それは「消火」を目的にしてると判断される
>> のは、「火に水をかければ火が消えることが促進される」ということを大抵の
>> 人は知っているだろうと予測されるからです。
> それは単なる因果関係に過ぎずこの場で目的というには余りに卑小過ぎますな。
という情緒的なことを言ったところで、何の意味もありません。
> 第一、「消火の目的は火を消すこと」ではトートロジーでしかない。議論とし
> て無意味。
ええっと、日本語を多少間違ってたようです。
「消火」の目的は「鎮火」です。
「火災現場で火に水をかける」という行為は「火に水をかければ鎮火が促進さ
れる」ということを大抵の人は知っているだろうと予測されるから、その行為
の目的は「鎮火」であり、その行為が「消火」と呼ばれる行為のカテゴリに入
ることが分かるわけです。
# ま、いわんとするところは、あまり変わらんのですが。
>> 火災の火を消火すれば「財産価値の減少を食い止める」ことを目的にしてると
>> 判断されるのは、「火災の火を消火すれば財産価値の減少を食い止められる」
>> ということを大抵の人は知っているだろうと予測されるからです。
これは、別の記事で「目的から想定される効果」と書いたシロモノですね。
> で、「大抵の人は放火なんかしない」と予測されるわけで、そのような予測や
> 勝手な目的の推定は「大抵の人に含まれない人」に対しては通用しません。
「放火する人は火災の火を消火すれば財産価値の減少を食い止められる知らな
い」って主張ですか?
普通知ってると思いますが。
>> 行為の目的というのは、その行為を行なうことで得られるはずの「想定された
>> 結果」のことです。
ここは、今のスキームでは「期待される結果」とでも言った方がいいかな。
>> 行為の動機というのは、その行為を行なうと決意するに到った理由です。
>> それは、そのような目的を持った理由と、そのような目的の行為を実際に行な
>> うと決断した契機からなります。
> 「そのような目的の行為を実際に行なうと決断した契機」が存在するっての
> は、要するに「その行為は既に行われた」ことを示すわけで、
ここまではいいとして、
> つまり「既成の
> 事実に対するものである」ことを除けば動機と目的には違いがないわけです。
何故?
# 「あなたにお母さんがいるというのはあなたが既に生まれたことを示すわけ
# で、つまり、既に生まれたことを除けば、あなたとお母さんには違いがない
# わけです」とは言えないしなあ。
空き巣に入るのは他人の金目のものを自分のものにするのが目的です。
そういう目的を持った理由は、例えば、「病気の母の治療費を捻出したい」と
思ったからです。
それを実際に行なうことを決意したきっかけは、例えば、借金を申し込んで手
酷く断わられたことです。
その空き巣ねらいは、病気の母の治療費を捻出したいと思ったことで裁かれる
ことはありません。
借金を断わられたことで裁かれることもありません。
他人の金目のものを自分のものにする目的で行動したことで裁かれるわけです。
# まあ、「行為の評価」は、裁きの一部をなすだけなんで、比喩の限界はある
# わけですが。
> #かくして、共通点が示され、無関係の証明は為されませんでした。
誰か無関係を証明しようとしてるんですか?
> =====
>>> 実際に「消防署員が放火魔だった」ってな事件もありましたがね。^_^;
>>> 私には「放火は許せないが消火したのは偉い。よくぞ財産価値の減少を喰い止
>>> めてくれた」なんて評価は聞こえてきませんでしたよ。
>>
>> 普通は、わざわざ評価する必要はないでしょうから、聞こえてこないのは当然
>> でしょうね。
> 「放火は許せん」という評価は聞こえて来たんですが、じゃあ何故そのような
> 違いが生じるのでしょうね?
すぐ下に自分で引用してるじゃないですか。
>> 「放火」の悪さと「消火」の良さを比べれば、前者の方がはるかに大きいです
>> から、前者にのみ注目して評価する人が多くても驚くにはあたらないでしょう。
というふうに。
さらに言えば、ある人が良いことと悪いことをしたときに、悪い方のみ評価す
るってのは大衆心理としてはアリガチなわけです。
まあ、そういう情緒的な反応は三流ゴシップ紙にでも任せとけばいいんで、
「ちゃんと評価すればこうなる」ってのは議論する意味があるでしょ?
>> でも、「放火も許せないが消火も許せない」という人は、きっと、殆どいない
>> でしょうね。
> で、「放火して消火」という一連の行為に対して「許せない」と考える人が殆
> どではないでしょうかね。
それを一連の行為と見倣すかどうかによるでしょうね。
> #その前で「消火したから云々」が何の意味を持つ?
その「云々」というところに何が入ると想定してるんでしょう?
# そもそも私は「消火したから」なんて話してないし。
> =====
>>> 「犯行」じゃなくて「故意→意図」の方に「善意とか悪意とか」があるのよ。
>>
>> 普通は、善意とか悪意とかで判断するのではなく、その意図に基づく行為が法
>> に抵触するかどうかで判断されます。
> だ~か~ら~、^_^;
> その「法に抵触するか」に故意がかかわるんじゃないのよ。
故意は関わりますが、それが善意か悪意かは関係ありません。
> で、「故意に他者の体を傷つける」ような行為は普通は傷害に相当するわけだ
> が、外科手術のように「善意に基く」行為であればさにあらず。ってこと。
それは、善意だからではなく、治療を目的としてるからです。
>>> だからその「想定」が善い想定か悪い想定かってことじゃん。
>>
>> それは、誰にとって「善い/悪い」でしょうか?
> 誰じゃなくて社会的にでしょうが。
それは、普通の意味の「善意/悪意」とはかけ離れてますね。
普通、「善意/悪意からの行動」というと、対象に対する好悪の念を表わしま
す。
そうではなく、「よい/わるい心」というのでも解釈は不可能じゃないですが、
そんな証明不可能なものを行為の評価に取り込む意味はありません。
> =====
>> 私の主張は、もともと、「ある行為の評価は、その行為をした場合としない場
>> 合で比べることで行なう」というものですから、wacky氏のような比べ方をし
>> たところで何の反論にもなっていません。
> そうですかね?
> じゃ「その行為をした場合としない場合」の*行為*ってなんでしょう?
> そう「殺人」ですね。
いいえ。
「強姦 + not 殺人」です。
# もちろん、殺人の評価をするときは殺人ですが。
KGK == Keiji KOSAKAさんの<bvg5sa$iji$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> 普通、目的を汲み取るのは、行為それ自体からです。
>
>> 普通、その「行為から汲み取られた目的」を動機と称するのだと思いますよ。
>
>いいえ。
>動機ってのは、「目的を持つに到った理由」とか、「実際に行動を起すきっか
>け」とかのことでしょう。
#そりゃ、目的じゃなくて目標とかだろ。^^;
別に構わんけど、どっちにしろ「目標を持った」とか「行動を起こした」とか
いう事実があってこそ、つまり事後であればこその*動機*なわけだよ。だから
「行為から汲み取られた」その行為を行った理由(目的)は動機と称されるわけ
です。
>>> 火災の火を消火すれば「財産価値の減少を食い止める」ことを目的にしてると
>>> 判断されるのは、「火災の火を消火すれば財産価値の減少を食い止められる」
>>> ということを大抵の人は知っているだろうと予測されるからです。
>
>これは、別の記事で「目的から想定される効果」と書いたシロモノですね。
それは大抵の人が知っている因果関係から予測可能な効果→結果に過ぎず、
「それが目的であること」と直接関係するものではありません。
#通常、ドライブの目的はガソリンを消費することではありません。それは単
#なる因果関係に過ぎないから。
=====
>> 「放火は許せん」という評価は聞こえて来たんですが、じゃあ何故そのような
>> 違いが生じるのでしょうね?
>
>すぐ下に自分で引用してるじゃないですか。
>
>>> 「放火」の悪さと「消火」の良さを比べれば、前者の方がはるかに大きいです
#「放火の悪さは消火の良さより遥かに大きい」なんて何時決まったの?
>>> から、前者にのみ注目して評価する人が多くても驚くにはあたらないでしょう。
>
>というふうに。
>さらに言えば、ある人が良いことと悪いことをしたときに、悪い方のみ評価す
>るってのは大衆心理としてはアリガチなわけです。
一連の行為(大行為の一部)として良い部分と悪い部分がある時、特に理由がな
ければ全体として悪いという評価が下されるのは極普通の話でしょう。別に大
衆が愚かだからではないと思います。
>まあ、そういう情緒的な反応は三流ゴシップ紙にでも任せとけばいいんで、
>「ちゃんと評価すればこうなる」ってのは議論する意味があるでしょ?
変な特権意識に侵された人が目的の為に手段を正当化してしまうのは割と良く
ある間違いです。
#一部の嫌煙者にも感じることがあります。
=====
>> その「法に抵触するか」に故意がかかわるんじゃないのよ。
>
>故意は関わりますが、それが善意か悪意かは関係ありません。
ここで言う「善意」ってのは「悪意がない」って程度の意味です。
#法的な意味に近い
>> で、「故意に他者の体を傷つける」ような行為は普通は傷害に相当するわけだ
>> が、外科手術のように「善意に基く」行為であればさにあらず。ってこと。
>
>それは、善意だからではなく、治療を目的としてるからです。
上記より、だからそれは「善意」であるってこと。
#相手を害する意図はなく、また害する結果となったとしても行為の時点では
#まだそうなることを知らない。
=====
>>> 私の主張は、もともと、「ある行為の評価は、その行為をした場合としない場
>>> 合で比べることで行なう」というものですから、wacky氏のような比べ方をし
>>> たところで何の反論にもなっていません。
>
>> そうですかね?
>> じゃ「その行為をした場合としない場合」の*行為*ってなんでしょう?
>> そう「殺人」ですね。
>
>いいえ。
>「強姦 + not 殺人」です。
否定だけじゃ主張にはなりえませんよ。
実際、
・「強姦」はどちらもしている
・「殺人」は「した場合としない場合」に別けられる
わけです。
そして、KGK氏流に問うならば「強姦と殺人という別の行為を結びつけるのは
何故ですか?」なわけですね。
ていうか、
KGK == Keiji KOSAKAさんの<bq9rlh$kq0$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>・強姦 + not 殺人
>という行為を評価するのなら、その行為の前後の状況の差を考えるべきです。
>もちろん「悪いこと」という評価になります。
>
>これを、
>・強姦 + 殺人
>と比べるというのなら、その場合の行為の差は「殺人」の有無ですから、「殺
>人」(もしくは「not 殺人」)の評価になっています。
ついこの間言ってた事と矛盾してますけど?
--
wacky
> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bvg5sa$iji$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 動機ってのは、「目的を持つに到った理由」とか、「実際に行動を起すきっか
>> け」とかのことでしょう。
> #そりゃ、目的じゃなくて目標とかだろ。^_^;
目的って行動の目標のことでしょ?
wacky氏がどう使い分けてるのか知らないけど。
> 別に構わんけど、どっちにしろ「目標を持った」とか「行動を起こした」とか
> いう事実があってこそ、つまり事後であればこその*動機*なわけだよ。
ここまではいいとして、
> だから
> 「行為から汲み取られた」その行為を行った理由(目的)は動機と称されるわけ
> です。
これは違うでしょ?
動機ってのは目的を持った理由とかの話で、目的そのものじゃないよね、普通。
ちゃんと、わかりやすい例を書いたでしょ?
>>>> 火災の火を消火すれば「財産価値の減少を食い止める」ことを目的にしてると
>>>> 判断されるのは、「火災の火を消火すれば財産価値の減少を食い止められる」
>>>> ということを大抵の人は知っているだろうと予測されるからです。
>>
>> これは、別の記事で「目的から想定される効果」と書いたシロモノですね。
> それは大抵の人が知っている因果関係から予測可能な効果→結果に過ぎず、
> 「それが目的であること」と直接関係するものではありません。
もちろん、「効果」という用語を導入したからには、「目的の効果」と「目的」
を同一視することはしてません。
で、
>>> で、「大抵の人は放火なんかしない」と予測されるわけで、そのような予測や
>>> 勝手な目的の推定は「大抵の人に含まれない人」に対しては通用しません。
ってのは、「放火する人は火災の火を消火すれば財産価値の減少を食い止めら
れることを知らない」って主張ですか?
そういう主張じゃないとしたら、どういう意味ですか?
> =====
>>> 「放火は許せん」という評価は聞こえて来たんですが、じゃあ何故そのような
>>> 違いが生じるのでしょうね?
>>
>> すぐ下に自分で引用してるじゃないですか。
>>
>>>> 「放火」の悪さと「消火」の良さを比べれば、前者の方がはるかに大きいです
> #「放火の悪さは消火の良さより遥かに大きい」なんて何時決まったの?
あたりまえですが、「消火」ってのは、常に、火災が起こってから行なわれる
ものです。
ですから、一回の「放火」と一回の「消火」が行なわれたあとでは、常に、前
より状況が悪化してます。
という意味。
>>>> から、前者にのみ注目して評価する人が多くても驚くにはあたらないでしょう。
>>
>> というふうに。
>> さらに言えば、ある人が良いことと悪いことをしたときに、悪い方のみ評価す
>> るってのは大衆心理としてはアリガチなわけです。
> 一連の行為(大行為の一部)として良い部分と悪い部分がある時、特に理由がな
> ければ全体として悪いという評価が下されるのは極普通の話でしょう。
全然普通の話じゃないです。
ごく普通の評価では、良い部分のよさと悪い部分の悪さを比べて、大きい方で
決めます。
例えば、江戸時代の火消しなんかは、火の周りの家屋を壊してまわります。
家屋を壊すことは普通は悪いことですが、類焼を食いとめるというよさの方が
強いので、その火消しはよい行為とされます。
>> まあ、そういう情緒的な反応は三流ゴシップ紙にでも任せとけばいいんで、
>> 「ちゃんと評価すればこうなる」ってのは議論する意味があるでしょ?
> 変な特権意識に侵された人が目的の為に手段を正当化してしまうのは割と良く
> ある間違いです。
何の話でしょう?
> =====
>>> その「法に抵触するか」に故意がかかわるんじゃないのよ。
>>
>> 故意は関わりますが、それが善意か悪意かは関係ありません。
> ここで言う「善意」ってのは「悪意がない」って程度の意味です。
> #法的な意味に近い
法的な意味の「善意/悪意」ってのは、「法律上の効果を生じうる一定の事実
をしらない/しってる」という意味になりますね。
そういう意味?
# 全然、通じそうにないんだが。
まあ、法的な意味の「悪意」には「他人を害する意思」なんてのもあるから、
そっちかなあ?
でも、それに対応する「善意」はないし。
>>> で、「故意に他者の体を傷つける」ような行為は普通は傷害に相当するわけだ
>>> が、外科手術のように「善意に基く」行為であればさにあらず。ってこと。
>>
>> それは、善意だからではなく、治療を目的としてるからです。
> 上記より、だからそれは「善意」であるってこと。
> #相手を害する意図はなく、また害する結果となったとしても行為の時点では
> #まだそうなることを知らない。
こっちを見ると、「他人を害する意思」の方かなあ。
で、「善意」は、その反対語をして造った造語だと。
もしそうだとすると、何度も聞いてた「善意/悪意」の意味がやっと分かったっ
てことか。
セットで使ってるから、両方にある対になった意味かと思ったら、悪意の方に
だけある意味を転化したわけね。
で、そういう意味で、「善意/悪意」を使ってるとすると、wacky氏が当然のご
とく無視した、
<bu0im1$dbe$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
: また、例えば、被誘拐者への善意から被誘拐者を助けても、誘拐犯への悪意か
: ら同じことをしても、行為の評価としては同じなのが普通ですね。
: そうでなければ、同じ状況で同じ行為をしてるのに、行為の評価が異ることに
: なります。
というのは、まだ生きてますね。
> =====
>> いいえ。
>> 「強姦 + not 殺人」です。
> 否定だけじゃ主張にはなりえませんよ。
> 実際、
> ・「強姦」はどちらもしている
> ・「殺人」は「した場合としない場合」に別けられる
> わけです。
それは、「強姦 + not 殺人」と「強姦 + 殺人」を比べたときの話ですね。
私のスキームでは、そういう比較は一切でてきません。
> そして、KGK氏流に問うならば「強姦と殺人という別の行為を結びつけるのは
> 何故ですか?」なわけですね。
wacky氏のやりかたに合わせただけの話ですね。
もともと、無理矢理組合せて評価しようとしたのはwacky氏ですから。
> ていうか、
> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bq9rlh$kq0$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> ・強姦 + not 殺人
>> という行為を評価するのなら、その行為の前後の状況の差を考えるべきです。
>> もちろん「悪いこと」という評価になります。
>>
>> これを、
>> ・強姦 + 殺人
>> と比べるというのなら、その場合の行為の差は「殺人」の有無ですから、「殺
>> 人」(もしくは「not 殺人」)の評価になっています。
> ついこの間言ってた事と矛盾してますけど?
だから、その比較はwacky氏のやりかたにしか出てこないものです。
上記のは、それをパラフレーズしただけ。
私のスキームでは、「強姦」を評価するなら「強姦」をしたときとしないとき
の比較、「殺人」を評価するなら「殺人」をしたときとしないときの比較、
「強姦 + not 殺人」を(一つの行為と評価できるとして)評価するなら「強姦
+ not 殺人」をしたときとしないときの比較はでてきます。
しかし、「強姦 + not 殺人」と「強姦 + 殺人」の比較など一切でてきません。
それはwacky氏が持ち出した比較です。