経済学では、余は、先ず、Paul A. Samuelson の書いた“入門書”で、
網羅的な大冊:“Economics”を読んだ。
# 「まだ、この本は売られているのだろうか?」と思って、Amazon で
検索してみたら、何と(!)、「第17版」↓ が出ていた。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0072509147/ref=pd_sr_ec_ir_fb/250-4446418-0798664
ハードカバーの故か、えらく高価だ。 その日暮らしのソチにとっては、
“高嶺の花”かも知れぬ。 ヽ(^。^)ノ
今の経済学は、しかし、Macro-Ecomonics のほうはともかくも、
Micro-Economics のほうは、未だに、学問の呈を成しておらず、
ニセ科学(pseudo-science)だ。
余は、いわゆる "Marxian Economics"方面の主要文献にも、一応、
目は通したが、あんなものは、土台、ハナシにならぬ!
あのような“トンデモ経済学”に則っているような国は潰れるだろう
と思ったものだったが、案の定、ソ連や東欧の社会主義諸国は崩壊
した。
M_SHIRAISHI @ The_New_York_Academy_of_Sciences
http://www.age.ne.jp/x/eurms/
http://www.age.ne.jp/x/eurms/Ronri_Kaikaku.html
「経済学の先輩として」(ぷっw
> 経済学では、余は、先ず、Paul A. Samuelson の書いた“入門書”で、
> 網羅的な大冊:“Economics”を読んだ。
しかし、期待効用も知らずしてサミュエルソンもへったくれもないと
思うのだが・・・w
> 今の経済学は、しかし、Macro-Ecomonics のほうはともかくも、
> Micro-Economics のほうは、未だに、学問の呈を成しておらず、
> ニセ科学(pseudo-science)だ。
ほとんど勉強してないくせによく言えるもんだなw
> 余は、いわゆる "Marxian Economics"方面の主要文献にも、一応、
> 目は通したが、あんなものは、土台、ハナシにならぬ!
あれ?てっきり、そっち系かと思ってたんだがwww
> あのような“トンデモ経済学”に則っているような国は潰れるだろう
> と思ったものだったが、案の定、ソ連や東欧の社会主義諸国は崩壊
> した。
多くの民衆に支持されない制度はどんなものであってもいずれ破綻します。
Samuelson の“Economics”には、効用についての解説ならあるが、
「期待効用」などという“怪しげな概念”は無い。
# Samuelson の“Economics”はソチには「高嶺の花」であろうから
読んでいないのは無理からぬことであろうが。 ヽ(^。^)ノ
> > 今の経済学は、しかし、Macro-Ecomonics のほうはともかくも、
> > Micro-Economics のほうは、未だに、学問の呈を成しておらず、
> > ニセ科学(pseudo-science)だ。
>
> ほとんど勉強してないくせによく言えるもんだなw
βακαμων!
こういうことは「勉強したからこそ初めて言えるのだ」ってことがワカラン
のか、このタワケ!
> > 余は、いわゆる "Marxian Economics"方面の主要文献にも、一応、
> > 目は通したが、あんなものは、土台、ハナシにならぬ!
>
> あれ?てっきり、そっち系かと思ってたんだが
ソチが如何に浅はかな判断をするマヌケであるかを、如実に示した発言だな。
ヽ(^。^)ノ
> > あのような“トンデモ経済学”に則っているような国は潰れるだろう
> > と思ったものだったが、案の定、ソ連や東欧の社会主義諸国は崩壊
> > した。
>
> 多くの民衆に支持されない制度はどんなものであってもいずれ破綻します。
始めの頃は、世界的にも、多くの支持者がいたのだ。だからこそ、社会主義
は世界各地に広まったのだ。
経済学理論のほとんどが期待効用仮説を前提にして議論されてますが
それを否定するわけですね?どんな理論なんだろうか?(笑)
もちろんその適用には限界があることは承知してますが、ゆらぎが無視できる
スケール以上で見る限り有効な考え方だと思いますね。
ある程度有効性が認められている部分すら否定するところがさすがトンデモの大家
エムシラ御大!!(笑)
むしろ、ご自分の「四色問題の簡明な証明」のほうが多くの人が指摘しているように
十分トンデモだと認定されていますが、何か?w
# トンデモ言うんならトンデモ理論を展開した場合に言ってください
# わたしはあなたのように何か理論体系を示したことは1度もありませんし
# わたしがトンデモなら多くの経済学者はみんなトンデモになってしまいます
# 物事を区別して考えられない人間が科学もへったくれもありません
> > > 今の経済学は、しかし、Macro-Ecomonics のほうはともかくも、
> > > Micro-Economics のほうは、未だに、学問の呈を成しておらず、
> > > ニセ科学(pseudo-science)だ。
> >
> > ほとんど勉強してないくせによく言えるもんだなw
>
> βακαμων!
>
> こういうことは「勉強したからこそ初めて言えるのだ」ってことがワカラン
> のか、このタワケ!
では、御大のいう真の経済学とはどんな経済学なんでしょうか?
現代経済学を否定してるぐらいだから余程すごい経済学理論体系なんでしょうね。
ぜし、このNGでご披露願います。
# また、”おまいには教えてやらぬ”はナシねw
> > > 余は、いわゆる "Marxian Economics"方面の主要文献にも、一応、
> > > 目は通したが、あんなものは、土台、ハナシにならぬ!
> >
> > あれ?てっきり、そっち系かと思ってたんだが
>
> ソチが如何に浅はかな判断をするマヌケであるかを、如実に示した発言だな。
否、御大は安保世代だから、左翼思想にかぶれて火炎瓶闘争でもやってたのかと
想像したまでです。ヽ(・∀・)ノ
> > > あのような“トンデモ経済学”に則っているような国は潰れるだろう
> > > と思ったものだったが、案の定、ソ連や東欧の社会主義諸国は崩壊
> > > した。
> >
> > 多くの民衆に支持されない制度はどんなものであってもいずれ破綻します。
>
> 始めの頃は、世界的にも、多くの支持者がいたのだ。だからこそ、社会主義
> は世界各地に広まったのだ。
それが㌧だ食わせ物だったわけですね。例外なく権力集中と腐敗が起こり
国民が奴隷化するという事態を招いてしまいました。人間の良い面ばかりを
見て理論構築するから失敗するんだと思います。人間の欲望をいかに飼い殺す
かを経済学体系の中に取り込まない限りどんな理論も必ず失敗すると思ってます。
学者さんはそういったものにふたをしてきれいなところばかりを見て理論構築する
からうまく行かないんでしょうね。人間の悪い面をいかに社会的に飼い慣らすかを
考えない限り良い社会制度なんてできないでしょうね。
Samuelson の“概説書”さえ読んでおらぬ分際で「経済学理論のほとんどが」など
いえるワケが無いだろ。 ヽ(^。^)ノ
> # トンデモ言うんならトンデモ理論を展開した場合に言ってください
> # わたしはあなたのように何か理論体系を示したことは1度もありませんし
fj.sci.physics にアホ記事を投稿していた Takehiro (Yanagi) のように
トンデモ理論を自分で作り上げていなくとも、トンデモなことを言うやつは
トンデモだ。
# ワカランか、その程度のことが! いちいち人様に教えて貰わなくとも、
こんバカタレが!!!
> # わたしがトンデモなら多くの経済学者はみんなトンデモになってしまいます
経済学は未だに学問の呈をなしていないのだから、今の経済学者は皆んな
トンデモだと言っても、さほど、言いすぎではない。
>
> > > > 今の経済学は、しかし、Macro-Ecomonics のほうはともかくも、
> > > > Micro-Economics のほうは、未だに、学問の呈を成しておらず、
> > > > ニセ科学(pseudo-science)だ。
> > >
> > > ほとんど勉強してないくせによく言えるもんだなw
> >
> > βακαμων!
> >
> > こういうことは「勉強したからこそ初めて言えるのだ」ってことがワカラン
> > のか、このタワケ!
>
> では、御大のいう真の経済学とはどんな経済学なんでしょうか?
歴史的にいまだそのような学問は出現しとらん!
> 御大は安保世代だから、左翼思想にかぶれて火炎瓶闘争でもやってたのかと
> 想像したまでです。ヽ(・∀・)ノ
βακαμων! そこがソチの分別の足らぬところだ。 ヽ(^。^)ノ
# 余が「安保世代」だなどと考えるのはソチの勝手な妄想に過ぎぬ。
ちなみに経済学の効用の基礎理論は基数的効用では・・・。
期待効用は、確立を問題にするときにでてきます。
これについても一言言わせていただくと、
ミクロは数学的に非常に精緻化された理論モデルとなっています。精緻すぎるがゆえ
の現実との乖離は別にして。
一方のマクロ経済学は、ケイジアンやマネタリスト、合理的期待形成学派など、それ
ぞれ価値のある理論が展開されており、これが唯一の理論だというものはありませ
ん。しかし、いずれも時間の概念をいかにとらえるか、需要と供給はどちらが優勢な
のかという判断を除けば、それほどの違いはありません。