読売は年金問題を給付と負担の問題と見ている。
給付と負担としてみても、
年金制度を維持するには、国民年金の掛け金を1万8100円にしなければならず、
こんな高額掛け金などとても無理だ。
空洞化に拍車がかかるだけだ。
これだけ見ても、厚労省の言う保険料固定方式など成立しない。
《国家哲学も間違っている。》
それより何より、国家哲学の是非を考えるべきだ。
『国が老後を保障する』ことの是非だ。
年金制度、生活保護制度などを駆使して国は老後の生活保障をする。
(そのほか、老人医療制度、介護制度)
所得保障をしている。
『すべての国民を対象に、老後を保障します』と言うんでしょ?
全く自助努力など必要ない。
最後は国が直接的に生活保護制度で面倒見てくれるのだ。
年金制度に加入していると、手続き上スムースに行くだけ。
たとえば、年金も掛けず、金もためず、子供も育てず、全く自助努力しなかった人を
考えてみよう。
国は年金を掛けていた人以上に生活保護費を支給してくれるはずだ。
医療も介護もただにしてくれる。
どこに自助努力が必要なのか?
老後の暮らしには、全く自助努力など必要ない。
国家哲学としても間違いです。
老後は家族やNPOを介しての保障に改めるべきです。
『国が老後を保障する』この超過保護政策の是非をまず最初に問うべきです。
ヨーロッパ諸国もみんなやってることだって?
そうですね、みんな国家経営は左前になりそうになっています。