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教育における意味と質量

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FUJINO Ryoichi

未読、
2003/01/14 4:51:312003/01/14
To:
藤野と申します.

今一つ Kinjo さんの言う「質量」と「意味」の意味するところを
理解できかねますが...

01月14日 午前 05:00 頃、「教育における意味と質量」
<3e22536d.7279%mg...@hotmail.com>で
mg...@hotmail.com さん曰く
> そもそも、音楽で一番重要
> なテンポ感とリズム感を習得する具体的な修
> 練はまったくなかった。

カスタネットやりませんでしたか?
ハーモニカや縦笛を吹く事でもリズム感が養われると思いますが.
もちろん, 歌う事でもリズム感は養われます.

ま, 練習の量や質が充分だったかと言えば 確かにそれは疑問ですが,
でも私自身の体験から言えば, 高校を出てからギターを弾こうと思った時に,
ちゃんと楽譜の意味が解るので随分助けられましたよ.
ドイツ人は自分たちの音楽に誇りを持っている人々ですが,
彼らは学校で音楽を習う事はほとんど無いそうですよ.
音楽は, 習いたい人がそれなりの学校に行って学ぶものなんだそうです.
私が楽譜を見てギターを弾いてたら驚いてましたし.

小中学校高校の音楽の授業に関して言えば,
音楽と言うものを始める為に必要な,
ごく基礎的な知識とトレーニングで充分だと思います.
もしそれ以上に本格的に音楽に取り組みたければ,
独学でも可能でしょうし, それなりの音楽教室もあるでしょう.
小中高の音楽の授業で, 全員に高いレベルまで
教育するのは無駄だしやりすぎでしょう.

> 日本人は極端論に走りやすいのか、体育の時
> 間には、ほとんど意味を教えられることはな
> かった。これは現在もほとんど変わらない。
> 例えば長距離走ならば、着実に成果を上げる
> ためのしかるべきやりかたがあるわけだが、
> そのようなことはまったく教わらない。

こっちも音楽と同じ事で, 水泳や陸上競技と言うものがあるとか,
バスケットやバレーのルールが解る, という程度の授業を行えば充分で,
それ以上に本格的にやりたければ, 学校のクラブ活動もあるでしょうし,
地域のスポーツ少年団や, 地域のクラブチームもあるでしょう.
何も, 小中高の体育の授業で, 全員に高いレベルまで
教育するのは無駄だしやりすぎでしょう.

ちなみに, ドイツでは, 体育の授業もほとんど無いそうです.
やりたい人は, スポーツクラブに入ってやるもんなんだそうです.

# ところで, o って newsgroup, 何の為に crosspost してるんですか?
-----
藤野 亮一(ふじの りょういち)

FUJINO Ryoichi

未読、
2003/01/16 22:01:492003/01/16
To:
藤野と申します.

01月17日 午前 05:00 頃、「Re: 教育における意味と質量」
<3e25ec15.7303%mg...@hotmail.com>で
mg...@hotmail.com さん曰く
> ` ドイツ人は自分たちの音楽に誇りを持っている人々ですが,
> ` 彼らは学校で音楽を習う事はほとんど無いそうですよ.
> ` 音楽は, 習いたい人がそれなりの学校に行って学ぶも
> ` のなんだそうです.
> ` 私が楽譜を見てギターを弾いてたら驚いてましたし.
>
> 民族の伝統に深く根ざしているものは、かえって個人の
> 裁量に任せておいてもよいのです。たとえば、日本の一
> 般の学校では日本舞踊を教える必要性はありません。
>
> 学校で教えるべきものは、ただ放っておいたら身につか
> ないものなのです。

議論をすり替えようとしていますね.
楽譜の読み方は, 放っておいても身に付くものではありません.
日本舞踊だって, それなりの教育・稽古が無ければ
日本人にだって踊れません.
-----
藤野 亮一(ふじの りょういち)

FUJINO Ryoichi

未読、
2003/01/19 19:30:072003/01/19
To:
藤野と申します.

01月20日 午前 05:00 頃、「Re: 教育における意味と質量」
<3e29e54f.7321%mg...@hotmail.com>で
mg...@hotmail.com さん曰く
> <b07rmt$j66$2...@himawari.kix.or.jp>
> Posted by FUJINO Ryoichi <fuj...@po0.kix.or.jp>
> ` 議論をすり替えようとしていますね.
> いいえ、FUJINOさんが私の発言を誤解したのです。

すり替えでないとしたら, Kinjo さんの主張の一貫性に問題があります.

> ` 楽譜の読み方は, 放っておいても身に付くものではありません.
> ` 日本舞踊だって, それなりの教育・稽古が無ければ
> ` 日本人にだって踊れません.
>
> 主語を明確にしてみますね。
>
> 楽譜の読み方については、*公教育*が放っておいても、
> 西洋音楽に親しんできた民は親から子へ、あるいは、師
> から弟子へと、自然に技と心が継承されていくのです。

「Kinjo さんが当初問題にしていた「音楽で一番重要なテンポ感と
リズム感」も音符の読み方と同様に, 「*公教育*が放っておいても」
その「テンポ感とリズム感」に「親しんできた民は親から子へ, あるいは,
師から弟子へと、自然に技と心が継承されていく」でしょう.
とすれば, Kinjo さんの最初の問題提起は何だったのか,
という事になりますわな.
-----
藤野 亮一(ふじの りょういち)

FUJINO Ryoichi

未読、
2003/01/23 12:12:032003/01/23
To:
藤野と申します.

01月23日 午前 05:00 頃、「Re: 教育における意味と質量」
<3e2e5188.7346%mg...@hotmail.com>で
mg...@hotmail.com さん曰く
> いや、そうはなりません。なぜならば、音符の読みかた
> と同様に、音楽で一番重要なテンポ間とリズム感も、日
> 本の民族性に根ざしてはいないのです。

まず, 確認しておきますが, 上で言うテンポ感やリズム感と言うのは,
西洋音楽におけるそれらであって,
日本の音楽におけるそれらではありませんね.
つまり, Kinjo 理論によれば, 日本人の民族性に根ざしている,
日本の音楽におけるテンポ感やリズム感は,
日本人には身に付いているはず, あるいは,
公教育に頼らずとも身に付くはず, ですね.

それから, Kinjo さんが何才か知りませんが,
若い世代の西洋音楽に対するリズム感やテンポ感は,
あと, ハーモニーに対する感覚は,
それ以上の世代とは違うようですよ. 気づきませんか?
これは何も, 公教育の成果ではなく,
むしろカラオケのせいだと言われていますね.
民族に根ざしていないはずの西洋音楽に対するリズム感やテンポ感も
放っておいても身に付くかも知れない例ですね.

逆に, 民族に根ざしているはずのものが,
身に付いていない例も挙げる事が出来ますね.
例えば藤野も, 五線譜やギターのタブ譜は読めても,
三味線や尺八の楽譜は読めませんよ. 長唄も歌えませんし.

> 民族性に根ざし
> ているもの以外については、公教育が意味と質量をつり
> あわせて訓練の過程を準備するべきなのです。

民族に根ざしているかどうかとは関係なく, 程度問題でしょう.
今でも十分だと思います.
和楽器の教育も行われているようですし.
-----
藤野 亮一(ふじの りょういち)

FUJINO Ryoichi

未読、
2003/01/31 12:12:052003/01/31
To:
01月26日 午前 05:00 頃、「Re: 教育における意味と質量」
<3e3219cf.7369%mg...@hotmail.com>で
mg...@hotmail.com さん曰く
> <b0p7p3$og7$2...@himawari.kix.or.jp>

> Posted by FUJINO Ryoichi <fuj...@po0.kix.or.jp>
> ` 01月23日 午前 05:00 頃、「Re: 教育における意味と質量」

> ` <3e2e5188.7346%mg...@hotmail.com>で
> ` mg...@hotmail.com さん曰く
> ` > いや、そうはなりません。なぜならば、音符の読みかた
> ` > と同様に、音楽で一番重要なテンポ間とリズム感も、日
> ` > 本の民族性に根ざしてはいないのです。
> `
> ` まず, 確認しておきますが, 上で言うテンポ感やリズム感と言うのは,
> ` 西洋音楽におけるそれらであって,
> ` 日本の音楽におけるそれらではありませんね.
>
> その通りです。いい方を変えれば、日本の伝統的な音楽
> に峻別されたリズム感とテンポ感はあるかどうかについ
> ては議論の余地があるでしょう。

ちっとも「言い方を変え」た事になっていませんね.
まるっきり違う事を書いています.

> ` つまり, Kinjo 理論によれば, 日本人の民族性に根ざしている,


> ` 日本の音楽におけるテンポ感やリズム感は,
> ` 日本人には身に付いているはず, あるいは,
> ` 公教育に頼らずとも身に付くはず, ですね.
>

> 「日本人の民族性に根ざしている」を現在時制完了相と
> して書きました。それがあなたの理解に含まれているも
> のとしてのあなたの前述の質問に対する答えは、「その
> 通り」です。

こ難しく書くのは, 何かを誤魔化そうとしているからですか?
そうでないのなら, わかり易く書いて下さい.

> ` 民族に根ざしていないはずの西洋音楽に対するリズム感やテンポ感も
> ` 放っておいても身に付くかも知れない例ですね.
>
> 西洋音楽に日本人が触れてからかなりの時間が経過しま
> したので、西洋音楽もまた日本の伝統に根ざしたものに
> なる可能性があります。
>
> もっとも、現在の日本人のリズム感とテンポ感は相当に
> お粗末です。何しろ、そもそもリズム感とテンポ間の違
> いを感覚的にも理論的にも理解できていません。

Kinjo さんは理解しているのですか?
ためしにリズム感とテンポ間(感?)の違いを理論的に説明してみて下さい.

> ` 逆に, 民族に根ざしているはずのものが,


> ` 身に付いていない例も挙げる事が出来ますね.
> ` 例えば藤野も, 五線譜やギターのタブ譜は読めても,
> ` 三味線や尺八の楽譜は読めませんよ. 長唄も歌えませんし.
>

> それは、三味線や尺八が民族の伝統に根ざさない音楽と
> なり始めているということです。

であれば, 教育が必要ですね. 言ってる事が変わって来たようですが.

> ` > 民族性に根ざし


> ` > ているもの以外については、公教育が意味と質量をつり
> ` > あわせて訓練の過程を準備するべきなのです。
> `
> ` 民族に根ざしているかどうかとは関係なく, 程度問題でしょう.
> ` 今でも十分だと思います.
> ` 和楽器の教育も行われているようですし.
>

> 「程度問題」という意見には賛成します。ただし、「今
> でも十分」だとは思いません。
>
> 程度についての議論は決着を見ることがないでしょう。
>
> ところで、私が主張している、教育における意味と質量
> のバランスをとるべきだ、という意見そのものにあなた
> は異論を唱えていらっしゃるのでしょうか?

いいえ.
ただ, Kinjo さんのバランス感覚と現状認識に異を唱えているのです.
-----
藤野 亮一(ふじの りょういち)

FUJINO Ryoichi

未読、
2003/02/03 10:50:402003/02/03
To:
02月02日 午前 05:00 頃、「Re: 教育における意味と質量」
<3e3bec17.7452%mg...@hotmail.com>で
mg...@hotmail.com さん曰く
> Quoted from <b1eap5$t53$2...@himawari.kix.or.jp>

> Posted by FUJINO Ryoichi <fuj...@po0.kix.or.jp>
> ` 01月26日 午前 05:00 頃、「Re: 教育における意味と質量」

> ` <3e3219cf.7369%mg...@hotmail.com>で
> ` mg...@hotmail.com さん曰く
> ` > <b0p7p3$og7$2...@himawari.kix.or.jp>
> ` > Posted by FUJINO Ryoichi <fuj...@po0.kix.or.jp>
> ` > ` 01月23日 午前 05:00 頃、「Re: 教育における意味と質量」
> ` > ` <3e2e5188.7346%mg...@hotmail.com>で
> ` > ` mg...@hotmail.com さん曰く
> ` > ` > いや、そうはなりません。なぜならば、音符の読みかた
> ` > ` > と同様に、音楽で一番重要なテンポ間とリズム感も、日
> ` > ` > 本の民族性に根ざしてはいないのです。
> ` > `
> ` > ` まず, 確認しておきますが, 上で言うテンポ感やリズム感と言うのは,
> ` > ` 西洋音楽におけるそれらであって,
> ` > ` 日本の音楽におけるそれらではありませんね.
> ` >
> ` > その通りです。いい方を変えれば、日本の伝統的な音楽
> ` > に峻別されたリズム感とテンポ感はあるかどうかについ
> ` > ては議論の余地があるでしょう。
> `
> ` ちっとも「言い方を変え」た事になっていませんね.
> ` まるっきり違う事を書いています.
>
> あなたがそう解釈してもまあかまいませんよ。どっちに
> してもこれは本論を展開するうえで重要ではないと思い
> ますし、あなたもこれについて理解の刷り合わせなりを
> 長々と続ける意志をお持ちではないでしょう?

藤野の解釈云々という問題ではありませんね.
藤野が書いたのは, 西洋音楽におけるテンポ感やリズム感と,
日本の音楽におけるそれらとは違うという事.
Kinjo さんが言っているのは, リズム感とテンポ感に関して,
西洋音楽と日本の(伝統的な)音楽との間に明確な差があるかどうか
議論の余地があると言う事.
藤野の意見をどう「言い方を変え」たら,
Kinjo さんの意見と同じになるのでしょうか?

> ` > ` つまり, Kinjo 理論によれば, 日本人の民族性に根ざしている,


> ` > ` 日本の音楽におけるテンポ感やリズム感は,
> ` > ` 日本人には身に付いているはず, あるいは,
> ` > ` 公教育に頼らずとも身に付くはず, ですね.
> ` >
> ` > 「日本人の民族性に根ざしている」を現在時制完了相と
> ` > して書きました。それがあなたの理解に含まれているも
> ` > のとしてのあなたの前述の質問に対する答えは、「その
> ` > 通り」です。
> `
> ` こ難しく書くのは, 何かを誤魔化そうとしているからですか?
> ` そうでないのなら, わかり易く書いて下さい.
>

> 何がわからないのかを示してくだされば、お答えできる
> かもしれませんね。"こ難しく"とだけ書かれたのでは、
> あなたが私の投稿の何を理解なさらなかったのか、私に
> は推測しかねるのです。

もう少し易しい書き方をして下さい, と言っているのが解りませんんか?
現在時制完了相って何ですか? どういう意味で使っていますか?
# ま, その程度の読解力も無いようでは, 説明不能だと思いますが.
## つーか, わざとやってるんですよね(笑).

> ` > ` 民族に根ざしていないはずの西洋音楽に対するリズム感やテンポ感も


> ` > ` 放っておいても身に付くかも知れない例ですね.
> ` >
> ` > 西洋音楽に日本人が触れてからかなりの時間が経過しま
> ` > したので、西洋音楽もまた日本の伝統に根ざしたものに
> ` > なる可能性があります。
> ` >
> ` > もっとも、現在の日本人のリズム感とテンポ感は相当に
> ` > お粗末です。何しろ、そもそもリズム感とテンポ間の違
> ` > いを感覚的にも理論的にも理解できていません。
> `
> ` Kinjo さんは理解しているのですか?
> ` ためしにリズム感とテンポ間(感?)の違いを理論的に説明してみて下さい.
>

> それは"教育における意味と質量"という主題を論じる上
> で重要ではないでしょうね。私はあなたの音楽教師の代
> わりを勤めるつもりはありませんよ。

まさに主題ではないですか. リズム感とは何か,
テンポ感とは何か, それが解らずして, 何故それらを教育する事や,
それらを教育する為の方法論を論じられると言うのでしょうか?
# つーか, 説明できないんでしょ.

> ` > ` 逆に, 民族に根ざしているはずのものが,


> ` > ` 身に付いていない例も挙げる事が出来ますね.
> ` > ` 例えば藤野も, 五線譜やギターのタブ譜は読めても,
> ` > ` 三味線や尺八の楽譜は読めませんよ. 長唄も歌えませんし.
> ` >
> ` > それは、三味線や尺八が民族の伝統に根ざさない音楽と
> ` > なり始めているということです。
> `
> ` であれば, 教育が必要ですね. 言ってる事が変わって来たようですが.
>

> 変わっていませんよ。"民族性に根ざしている"状態に自
> 然な永続性がないと私は考えているわけですが、私のそ
> の考えがあなたの推察外の事項だったということにすぎ
> ません。

そうですか. そう思うならそう思ってもらって結構です.
でも, 藤野の言っている事は, Kinjo 理論に従っても
(少なくとも, 結果としては)正しかった事が言えるので, それで十分です.

> ` > ` > 民族性に根ざし


> ` > ` > ているもの以外については、公教育が意味と質量をつり
> ` > ` > あわせて訓練の過程を準備するべきなのです。
> ` > `
> ` > ` 民族に根ざしているかどうかとは関係なく, 程度問題でしょう.
> ` > ` 今でも十分だと思います.
> ` > ` 和楽器の教育も行われているようですし.
> ` >
> ` > 「程度問題」という意見には賛成します。ただし、「今
> ` > でも十分」だとは思いません。
> ` >
> ` > 程度についての議論は決着を見ることがないでしょう。
> ` >
> ` > ところで、私が主張している、教育における意味と質量
> ` > のバランスをとるべきだ、という意見そのものにあなた
> ` > は異論を唱えていらっしゃるのでしょうか?
> `
> ` いいえ.
> ` ただ, Kinjo さんのバランス感覚と現状認識に異を唱えているのです.
>

> バランス感覚と現状認識にあなたが異を唱えて
> いるのははっきりしましたが、"教育における意味と質
> 量のバランスをとるべきだ"という意見そのものについ
> ては賛同なさるわけですかな?

人の書いている事をきちんと読みましょうね.
その程度の事も解らないようでは話になりません.

だいたい, 必ずしも一致しない二つ以上の重要事項があったときに,
それらのバランスをとるべき, 何て主張をすることは,
何も主張していないのと大差ありません.
残るものは, Kinjo さんのバランス感覚と現状認識程度のものですが,
藤野は, これがヘンだ, と言っているのですね. お解りですね?

それ以上の議論を望むなら, リズム感とは何か, テンポ感とは何か,
という議論に踏みこまざるを得ないはずですが,
Kinjo さんは何故かそれを望んでいないらしい. 不思議な人です.
-----
藤野 亮一(ふじの りょういち)

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