> 安藤です。
> Based On news:anmkt0$h7k$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp
> [written by "KGK == Keiji KOSAKA" <k...@mp.okayama-u.ac.jp>]
>> 続くようなら、向こうにも振った方がいいのか?
> 了解しました。
というわけで、元ネタは fj.sci.philosophy です。
>> 宗教というのは普遍宗教と民族宗教があるんですが、「宗教とは何か」とい
>> うのを論ずるなら前者に絞った方がいいですね。
>>
>> というわけで、特に断わらない限り、「普遍宗教」の意味で「宗教」という
>> 言葉を使います。
>> # あと、かなり四捨五入した言い方をします。
というあたりは了解していただいた上で、
> 以上の論旨からは、
> 宗教の目的 : 原則として「人を救う」ため
> 宗教の目的を達成する手段 : 「教義」、「信仰」
> ということでよろしいでしょうか。そして、
> ・宗教にとっての説明原理は、宗教自体のほんの一部
> ・科学は一つの説明原理そのもの
> といったところでしょうか。
そゆこと。
> 私自身は、
> "KGK == Keiji KOSAKA" <k...@mp.okayama-u.ac.jp> wrote in message
> news:an46bt$gio$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp...
> : それはともかく、宗教と科学と存在論の分離がひとまず完成するのは、量子
> : 論以降じゃないかなあ。
> に注目しております。どのように分離されているかって辺りです。
> 以上のお話からすると、何となくですが、説明原理からではなく、目的に従っ
> て分離されている感じがするんですが、そういうことでもないのかな ?
存在論的な話でいうと、目的がどうこうってのはあまり関係なくって、信仰が
なりたつかどうこかってことだと思う。
19世紀頃までの科学では、何となく、科学で全て説明できるような気がしてた
ようです。それは素朴な信仰だったと思います。存在論としても素朴な実在論
で充分だった。
ところが、量子論の成立から、素朴な実在論に疑いが生じた。さらに、統一場
の理論の失敗から、全てを説明する統一的な理論ってのは、本当はないんじゃ
ないかという疑いが生じた。
で、「そういうところは考えたところで結論がでる話じゃないから、できると
こだけやろうよ」ってのが現代科学の結論だと思う。そういうのは信仰なしに
できることなので、宗教からの一応の分離になるわけですね。
> そして、
> news:ampul0$rin$2...@pin3.tky.plala.or.jp
> に拠りますが、Albert Einstein の Spinoziana の神の信仰を「宗教と科学と
> 存在論の分離」の観点から、それを宗教に基づいた信仰と見るのか、科学に基
> づいた信仰と見るのか、どっちになるのかな ?
それはアインシュタイン個人の信仰であって科学の結果ではない、って意味で
は宗教に基づいた信仰と言った方がいいのかも。
ただ、宗教とは独立した信仰というのはありえるわけで、信仰があるから即宗
教ってのは短絡的かもしれません。そういう意味で上の私の考察は甘い。
> -----
>> 例えば、民族宗教と妖怪等の民俗学的概念は、混ざりあってて、そう簡単に
>> 分類できるものじゃないですね。
> では、科学と宗教は明確に分類、若しくは分離できるものなのかな ?
科学と科学以外の分類はそれほど明確じゃないんで、分離できない部分があっ
ても不思議じゃないですけどね。
--
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KGK KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ. KGK
KGK k...@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ KGK
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
Based On news:apdm6e$6kg$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp
[written by "KGK == Keiji KOSAKA" <k...@mp.okayama-u.ac.jp>]
> ! "<ao3u6s$cg7$3...@pin3.tky.plala.or.jp>" という記事で
> ! Thu, 10 Oct 2002 21:53:11 +0900 頃に T Ando さん は言ったとさ:
>
>> Based On news:anmkt0$h7k$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp
>> [written by "KGK == Keiji KOSAKA" <k...@mp.okayama-u.ac.jp>]
----------------------------------------------------------------------
【宗教とは ? 】
>> 以上の論旨からは、
>>
>> 宗教の目的 : 原則として「人を救う」ため
>> 宗教の目的を達成する手段 : 「教義」、「信仰」
>>
>> ということでよろしいでしょうか。そして、
>>
>> ・宗教にとっての説明原理は、宗教自体のほんの一部
>> ・科学は一つの説明原理そのもの
>>
>> といったところでしょうか。
>
> そゆこと。
唐突ですが、宗教は必ず「人を救う」という目的を持っていると考えても差し
支えないのかな ? 逆に云えば、「人を救う」という目的を持たないものは、
宗教ではない、ということで。
# >>> 宗教というのは普遍宗教と民族宗教があるんですが、「宗教とは何か」
# >>> というのを論ずるなら前者に絞った方がいいですね。
# >>>
# >>> というわけで、特に断わらない限り、「普遍宗教」の意味で「宗教」と
# >>> いう言葉を使います。
# >>> # あと、かなり四捨五入した言い方をします。
# >
# > というあたりは了解していただいた上で、
#
# 私も上記の意味で、全て記載することにしおりますので。
----------------------------------------------------------------------
【宗教と科学と存在論の分離】
>> 私自身は、
>>
>> "KGK == Keiji KOSAKA" <k...@mp.okayama-u.ac.jp> wrote in message
>> news:an46bt$gio$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp...
>>
>> : それはともかく、宗教と科学と存在論の分離がひとまず完成するのは、
>> : 量子論以降じゃないかなあ。
>>
>> に注目しております。どのように分離されているかって辺りです。
>>
>> 以上のお話からすると、何となくですが、説明原理からではなく、目的に
>> 従って分離されている感じがするんですが、そういうことでもないのかな ?
>
> 存在論的な話でいうと、目的がどうこうってのはあまり関係なくって、信仰
> がなりたつかどうこかってことだと思う。
>
> 19世紀頃までの科学では、何となく、科学で全て説明できるような気がして
> たようです。それは素朴な信仰だったと思います。存在論としても素朴な実
> 在論で充分だった。
>
> ところが、量子論の成立から、素朴な実在論に疑いが生じた。さらに、統一
> 場の理論の失敗から、全てを説明する統一的な理論ってのは、本当はないん
> じゃないかという疑いが生じた。
>
> で、「そういうところは考えたところで結論がでる話じゃないから、できる
> とこだけやろうよ」ってのが現代科学の結論だと思う。そういうのは信仰な
> しにできることなので、宗教からの一応の分離になるわけですね。
「分離」という観点からであれば、
「信仰」がなりたつか否か
ってところで宜しいのでしょうか。そうなると、
・そういうところは考えたところで結論がでる話じゃないから、できると
こだけやろうよ
・そういうのは信仰なしにできる
ってことから、現代の自然科学者は Kuhn の云う共約不可能性を認めている
上で、paradigm の「信仰」すら放棄している前提でないと成り立たないんじ
ゃないかな、と思ったりしたんですが、おかしいかな ?
# 「自然科学者」を「科学」にするかどうか迷いました。「自然科学者」が宗
# 教から分離されなくとも、「科学」は宗教から分離できるって話も有り得る
# かな、と思ったので。
----------------------------------------------------------------------
【科学と信仰】
>> news:ampul0$rin$2...@pin3.tky.plala.or.jp
>>
>> に拠りますが、Albert Einstein の Spinoziana の神の信仰を「宗教と科
>> 学と存在論の分離」の観点から、それを宗教に基づいた信仰と見るのか、
>> 科学に基づいた信仰と見るのか、どっちになるのかな ?
>
> それはアインシュタイン個人の信仰であって科学の結果ではない、って意味
> では宗教に基づいた信仰と言った方がいいのかも。
>
> ただ、宗教とは独立した信仰というのはありえるわけで、信仰があるから即
> 宗教ってのは短絡的かもしれません。そういう意味で上の私の考察は甘い。
と云うより、KGK さんがおっしゃる「人を救う」という目的が入ってないから
じゃないからかな ?
よくよく、読み返してみると、この部分について私が無理な質問をしていたよ
うです。「宗教に基づいた信仰と見るのか、科学に基づいた信仰と見るのか」
と云う単一選択しか問いに含めていなかったのが問題だったようです。今回分
までの KGK さんの記事を全て読むと、質問を
1) 科学に基づいた信仰といえるか否か
2) 宗教に基づいた信仰といえるか否か
で分けないといけなかったようです。そうすれば、両方とも否になるのかな ?
と思ったんです。
で、科学と信仰に関するネタから、この辺りとも
"T.Ando" <an...@camel.tky.plala.or.jp> wrote in message
news:apd03s$t0s$3...@pin3.tky.plala.or.jp...
: ところで、Kuhn の共約不可能性については、自然に種類を持たせようとす
: るときに起きる、自然科学者同士のせめぎ合いのように私には見えます。自
: 然の種類の持たせ方の宗教論争というか...
:
[-略-]
:
: あるところでは、「proponents」を「信奉者」と訳すのか、「主張者」と訳
: すのかで揉めているみたいです。まぁ、私からみれば素直に訳せばいいのに
: って感じですが [文章を読めばどういういったことか分かる話で...]
:
: つまるところ、paradigm から paradigm への忠誠の変換って「改宗」でい
: いのかって話なのかもしれません [conversion っていうやつ] 。問題は信
: 仰だけで宗教と云えるのかどうか、と云うことなんじゃないかなと個人的に
: は思ったり。
関係がありそうな感じがするんです。paradigm への忠誠を「信仰」と云える
のか否かを、どう捉えていた上でのお話なのか、結構気になります。
現代の自然科学者が paradigm の「信仰」を放棄しない限り、【宗教と科学と
存在論の分離】での前提が成り立たない感じが私はしたんで。
# 科学と自然科学者を分離できる話であれば可能かもしれませんが。
----------------------------------------------------------------------
【科学とは ? 】
>> では、科学と宗教は明確に分類、若しくは分離できるものなのかな ?
>
> 科学と科学以外の分類はそれほど明確じゃないんで、分離できない部分があ
> っても不思議じゃないですけどね。
科学と科学以外っていうのは、Popper の呈示したようなもん以外に、何かあ
るのかなあと、ウツラウツラ考えたり。
http://www-miyakelab.mp.es.osaka-u.ac.jp/morita/philosophy/postmodern/
science.html
って辺りをみながら...
: 1) 観察や実験のデータから、帰納法に基づいて仮説を提起する。
: 2) 仮説から、感覚的経験によってテスト可能な仮説を提起する。
: 3) テスト命題を観察や実験によって検証または反証する。
: 4) 検証や反証の結果に基づき、最初の仮説を受容、修正、または廃棄する。
というのは、とりあえずどっかに置いといて... Popper の主張する、
: 科学の本質にとって重要なのは,「発見の文脈」ではなく,「正当化の文脈」
: である.そして,ポパーは,この正当化の手続きの核心は,「検証」ではな
: く「反証」にあるという.
で反証可能性を持つ、持たないで科学か否かを区分するのはオカシイのかな。
そして、宗教の正当化の手続きに反証可能性を前提としないとも云えるんじゃ
ないのかな。っていうか、正当化の手続きすらなさそう... 正当化する以前に
「ある」訳で。
# 反証可能性ってもんを持ち出すと、
#
# ・科学の中に登場する命題であるかぎり,何らかの形で反証可能性をもたな
# ければならない
# ・反証可能性があるからにはそれは絶対確実な命題ではありえない
#
# ってことになるんですが、取りあえず、ここでの議論ではこの手の話は目を
# つぶらざるを得ないのかな。反証可能性から導かれる科学を科学といってい
# いのかどうかって話に尽きることになっちゃうんで...
--
安藤 剛 (Tsuyoshi Ando)
# 実は、私が現状で持っている、宗教と科学の違いって、ここでの話とは全然
# 別物で非常に信仰に近いもんだったり。色もんです...
! "<aprdqa$csi$2...@pin3.tky.plala.or.jp>" という記事で
! Thu, 31 Oct 2002 23:14:07 +0900 頃に T Ando さん は言ったとさ:
> 唐突ですが、宗教は必ず「人を救う」という目的を持っていると考えても差し
> 支えないのかな ? 逆に云えば、「人を救う」という目的を持たないものは、
> 宗教ではない、ということで。
普遍宗教に限ると、「人を救う」というのが大義名分になります。
普遍宗教と民族宗教の違いは基本的に、
・民族宗教はある特定の人達(例えば一つの民族)しか救わない。
・普遍宗教は誰にでも救いの可能性を示す。
ってとこです。
# 後者は例えば「信者になれば誰でも」とか、そういったの。
だから、「救う対象がより広い」ってのが特徴なんで、「人を救う」って前提
は当たり前に入ってきてるわけ。
で、民族宗教の大部分は救済システムを持ってるんですが、非常に原始的な民
族宗教だと救済システムを持ってないかもしれません。
そういうのは、信仰を伴なう習俗とみなせば宗教じゃないと言えなくもないけ
ど、まあ、境界領域ですね。
> 【宗教と科学と存在論の分離】
>> で、「そういうところは考えたところで結論がでる話じゃないから、できる
>> とこだけやろうよ」ってのが現代科学の結論だと思う。そういうのは信仰な
>> しにできることなので、宗教からの一応の分離になるわけですね。
> 「分離」という観点からであれば、
> 「信仰」がなりたつか否か
> ってところで宜しいのでしょうか。
まあ、それ以前の段階で、説明原理だけで独立したところから目的の変更は始
まってるわけで、信仰の有無が最終段階になったんじゃないかと。
> そうなると、
> ・そういうところは考えたところで結論がでる話じゃないから、できると
> こだけやろうよ
> ・そういうのは信仰なしにできる
> ってことから、現代の自然科学者は Kuhn の云う共約不可能性を認めている
> 上で、paradigm の「信仰」すら放棄している前提でないと成り立たないんじ
> ゃないかな、と思ったりしたんですが、おかしいかな ?
パラダイムの信仰ってのはよく分からないんでパス。
> ----------------------------------------------------------------------
> 【科学と信仰】
> と云うより、KGK さんがおっしゃる「人を救う」という目的が入ってないから
> じゃないからかな ?
「人を救う」ってのはシステムの話ですから、個人の信仰だけからは何とも。
> よくよく、読み返してみると、この部分について私が無理な質問をしていたよ
> うです。「宗教に基づいた信仰と見るのか、科学に基づいた信仰と見るのか」
> と云う単一選択しか問いに含めていなかったのが問題だったようです。今回分
> までの KGK さんの記事を全て読むと、質問を
> 1) 科学に基づいた信仰といえるか否か
> 2) 宗教に基づいた信仰といえるか否か
> で分けないといけなかったようです。そうすれば、両方とも否になるのかな ?
> と思ったんです。
まあ、「宗教的な信仰」とか「哲学的な信仰」あたりが正解じゃないかな。
どっちにしても、個人的な信仰を取り上げて云々してもしかたなさげ。
> で、科学と信仰に関するネタから、この辺りとも
> 関係がありそうな感じがするんです。paradigm への忠誠を「信仰」と云える
> のか否かを、どう捉えていた上でのお話なのか、結構気になります。
パラダイムを「信じて」いるのか、パラダイムを「採用した」だけなのかで、
かなり温度差があるような。
> ----------------------------------------------------------------------
> 【科学とは ? 】
>>> では、科学と宗教は明確に分類、若しくは分離できるものなのかな ?
>>
>> 科学と科学以外の分類はそれほど明確じゃないんで、分離できない部分があ
>> っても不思議じゃないですけどね。
> 科学と科学以外っていうのは、Popper の呈示したようなもん以外に、何かあ
> るのかなあと、ウツラウツラ考えたり。
> http://www-miyakelab.mp.es.osaka-u.ac.jp/morita/philosophy/postmodern/
> science.html
> って辺りをみながら...
> : 科学の本質にとって重要なのは,「発見の文脈」ではなく,「正当化の文脈」
> : である.そして,ポパーは,この正当化の手続きの核心は,「検証」ではな
> : く「反証」にあるという.
> で反証可能性を持つ、持たないで科学か否かを区分するのはオカシイのかな。
反証可能性で切ってしまうと科学の範囲が狭くならないかなあ?
そういうのでキッチリ分けて、何かうれしいのかって気もするし。
# スレッド分けるのがいいのかなとも思いつつ。
In article <aqip6h$9o5$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>, KGK == Keiji KOSAKA wrote:
>別のスレッドでも宗教と科学が比べられてるようだ。
そちらの方は、成果が上がるとはあまり思えませんがね。
【宗教とは】
>普遍宗教に限ると、「人を救う」というのが大義名分になります。
ここは、同意。
もっとも、「救う」の意味する所をもう少し明確にする必要があると
思っていて、アバウトには「安息感」の提供であろうと考えています。
いや、むろん例外は挙げられますが、本題の宗教と科学の対比という
観点を考えると、この切り口が良さげ。
# 問題1 さて、この「よさげ」は、「信仰」でしょうか?
>で、民族宗教の大部分は救済システムを持ってるんですが、非常に原始的な民
>族宗教だと救済システムを持ってないかもしれません。
>そういうのは、信仰を伴なう習俗とみなせば宗教じゃないと言えなくもないけ
>ど、まあ、境界領域ですね。
そういう意味での境界領域を論じるのは、本題には関連しなさそうで
すから、私はここは外します。
>> 【宗教と科学と存在論の分離】
>
>>> で、「そういうところは考えたところで結論がでる話じゃないから、できる
>>> とこだけやろうよ」ってのが現代科学の結論だと思う。そういうのは信仰な
>>> しにできることなので、宗教からの一応の分離になるわけですね。
>
>> 「分離」という観点からであれば、
>
>> 「信仰」がなりたつか否か
>
>> ってところで宜しいのでしょうか。
>
>まあ、それ以前の段階で、説明原理だけで独立したところから目的の変更は始
>まってるわけで、信仰の有無が最終段階になったんじゃないかと。
宗教は日常生活まで縛るものです。なので、宗教と科学のスコープ
を考えると、宗教と科学の違いという観点で捉えるよりも、宗教と科
学+工学の違いとして捉えるのがスコープのマッチングが良いと思い
ます。
ちなみに世間でよく言われる「科学と工学の違い」は、それぞれの
目的が「説明原理の解明」と「物作りの方法の確立」と、違うもので
ある点というものです。
要するに、「世の中はこうなっている(科学)」だけでなく、「こ
うすればいい(工学)」も欲しい、ということです。
たいていの宗教では、食物規制等の戒律がありますが、それは宗教
的世界観(世の中はこうなっている)に基づいて生活指導(こうすれ
ばいい)をしているわけです。
>> 【科学と信仰】
>
>> と云うより、KGK さんがおっしゃる「人を救う」という目的が入ってないから
>> じゃないからかな ?
>
>「人を救う」ってのはシステムの話ですから、個人の信仰だけからは何とも。
システムという言葉は、どういう意味で使っているのでしょう?
事例として私の体験を述べると、知人の信仰告白を聞いたことがあ
り、彼の言を要約すると「ア・プリオリに信じることが信仰だ」との
ことです。ちなみにキリスト教。
彼は私が見ても目的合理的な思考と判断のできる人物であり、博士
号も持っている工学者ですが、信仰とはこの辺の志向とは関係ないも
ののようですね。
で、システム、という言葉から私が連想するのは、思考によらない
感覚的な信念を人に抱かせるプロセスを教団が持っているという主張
です。どうでしょう?
これも私の体験ですが、四谷の教会のミサに試しに行ったことがあ
ります。
内容は、こんな感じです。
・ミサの会場(聖堂)は厳かに荘厳されて神々しげな雰囲気満々
で、儀式中には聖餅授与などの信者参加のパートもあり
・聖書にはこう書いてある、神とはかくかくしかじかな偉大なも
のだ、という説教を聞かされ(むろん反論や質問の時間なんて
設けられません)
・賛美歌(むろん内容は神への賛美や奉仕の宣言です)を歌わさ
れ
空海が「身意口」と言っていた話を、キリスト教でも実践している
わけですね。
感想は、「これをくりかえしていたら、洗脳されるな」というもの
です。
ま、むろん個々に聖職者たちに話をしにいけば議論もできるのです
が、そういうことをする人は極少数派ですね。
>パラダイムを「信じて」いるのか、パラダイムを「採用した」だけなのかで、
>かなり温度差があるような。
以前私は、「ア・プリオリな仮定を抱くこと」が信仰なのか? と
いう問いを誰かに発したことがあります。(Yes とも No とも答えは
ありませんでしたが)
世の中の「科学も宗教だ」的発言をする人の言葉を流れで見ている
と、この私の疑問文で捉えていると考えると、よく説明できる印象が
あります。
が、温度差と言いますか、上掲した私の知人の信仰告白によれば、
信仰(真の信仰という言い方を、彼らはしますね)は、「採用」とい
う言葉のニュアンスよりも遥かに強烈な「正しさへの確信」です。
そんなわけで、この「採用」なり「正しさへの確信の保持」なり
を、定量的もしくは順序評価的に把握することが、ポイントだろう
と考えています。
>> 【科学とは ? 】
(中略)
>> で反証可能性を持つ、持たないで科学か否かを区分するのはオカシイのかな。
>
>反証可能性で切ってしまうと科学の範囲が狭くならないかなあ?
>そういうのでキッチリ分けて、何かうれしいのかって気もするし。
ここのポイントは、冒頭の【宗教とは?】との対比をすることで
しょう。
だから、ここでは「そもそも科学とは何ぞや」ということを考え
るのではなく、特徴記述を宗教のそれと一致させればOK。
科学は、人を救いません。そんなものを目的にしていません。
ということです。
実際、「科学」のアウトプットは理論や論文等ですが、その評価
は人を救ったかどうかではありません。理論であればそれが正しい
かとか扱いやすいかです。論文であれば論旨が一貫しているのは最
低条件として、既存の体系に対して新しい貢献をしているか、独創
性があるか、という点です。
# ちなみにうれしさは、似非科学を持ち出す似非宗教者にきちんと
# 反論できるようになる点。
--
頼光 mailto:rai...@mug.biglobe.ne.jp
Based On news:aqip6h$9o5$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp
[written by "KGK == Keiji KOSAKA" <k...@mp.okayama-u.ac.jp>]
> ! "<aprdqa$csi$2...@pin3.tky.plala.or.jp>" という記事で
> ! Thu, 31 Oct 2002 23:14:07 +0900 頃に T Ando さん は言ったとさ:
-----
> 別のスレッドでも宗教と科学が比べられてるようだ。
みたいですね。
# 一応、通読してみました。
----------------------------------------------------------------------
【宗教とは ?】
>> 唐突ですが、宗教は必ず「人を救う」という目的を持っていると考えても
>> 差し支えないのかな ? 逆に云えば、「人を救う」という目的を持たないも
>> のは、宗教ではない、ということで。
>
> 普遍宗教に限ると、「人を救う」というのが大義名分になります。
>
> 普遍宗教と民族宗教の違いは基本的に、
> ・民族宗教はある特定の人達(例えば一つの民族)しか救わない。
> ・普遍宗教は誰にでも救いの可能性を示す。
> ってとこです。
> # 後者は例えば「信者になれば誰でも」とか、そういったの。
>
> だから、「救う対象がより広い」ってのが特徴なんで、「人を救う」って前
> 提は当たり前に入ってきてるわけ。
>
> で、民族宗教の大部分は救済システムを持ってるんですが、非常に原始的な
> 民族宗教だと救済システムを持ってないかもしれません。
> そういうのは、信仰を伴なう習俗とみなせば宗教じゃないと言えなくもない
> けど、まあ、境界領域ですね。
普遍宗教と民族宗教の違いは救う目的の対象 [信仰者] を限定するか否かって
辺りで、民族宗教は例外として救う目的がないものがあるかもしれないと云う
ことなのかな。
そういう訳で、宗教 [ここでは普遍宗教] は必ず「人を救う」という目的を持
っている、若しくは、「人を救う」という目的を持たないものは、宗教ではな
い、ということでいいのかな。
----------------------------------------------------------------------
【宗教と科学の分離】
>>> で、「そういうところは考えたところで結論がでる話じゃないから、でき
>>> るとこだけやろうよ」ってのが現代科学の結論だと思う。そういうのは信
>>> 仰なしにできることなので、宗教からの一応の分離になるわけですね。
>>
>> 「分離」という観点からであれば、
>>
>> 「信仰」がなりたつか否か
>>
>> ってところで宜しいのでしょうか。
>>
> まあ、それ以前の段階で、説明原理だけで独立したところから目的の変更は
> 始まってるわけで、信仰の有無が最終段階になったんじゃないかと。
「信仰の有無が最終段階になった」というのがよく分からなかったのですが、
信仰なしにできる
から、今、何となく思いつきで思ったことなんですが、宗教の場合、目的を達
成するために信仰が前提となるけど、科学の場合、科学の目的を達成するため
に、信仰しようがしまいが関係ない、だとオカシイのかな ? 信仰しても科学
だし、信仰しなくても科学というか。勿論、
"KGK == Keiji KOSAKA" <k...@mp.okayama-u.ac.jp> wrote in message
news:amhlfs$368$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp
: 科学は適用範囲が広く、応用力が高いので、科学だけが正しいように思う人
: がいるかもしれないけど、そう思い込むようになったら、それは科学じゃな
: くて科学教です。
こう云った信仰のみを指す訳でもなく... 本当であれば、思う、思い込むと信
仰、信じるとの違いなんかを「明確」にできればいいなあ、とか思ったり [こ
れも、信仰 ?]。
----------------------------------------------------------------------
【科学と信仰】
>> paradigm への忠誠を「信仰」と云えるのか否かを、どう捉えていた上での
>> お話なのか、結構気になります。
>
> パラダイムを「信じて」いるのか、パラダイムを「採用した」だけなのかで、
> かなり温度差があるような。
おっしゃることは何となく伝わるのですが、信じるにしても、信じるもんを採
用しているって感じもするんでもう少し明確にできないかな ? って考えたん
です。
paradigm の選択をどう捉えるかって話になりそうな感じがするんです。それ
ならば、ここでは選択時と選択後を分離して考える必要があるんじゃないかな
と思ったりしたんですが、おかしいかな ? この辺りをどう解釈したほうが、
より上手く説明できるか、ということになりそうな感じがするんです。例えば、
選択時 [どうやって選択するとか]
・主体者は懐疑を含めてより上手く説明できそうな paradigm を選択する
・主体者は懐疑を含めずより上手く説明できそうな paradigm を選択する
選択後 [選択後どういった状態とか]
・主体者は paradigm に忠誠している
・主体者は paradigm を信仰している
・主体者は paradigm を想定している
とか、つらつら考えて、相対的であるにしても宗教と科学の場合どう説明する
のが上手く説明できるんだろう、とボンヤリ考えたんですが、今二つでした。
-----
>>> で、「そういうところは考えたところで結論がでる話じゃないから、でき
>>> るとこだけやろうよ」ってのが現代科学の結論だと思う。そういうのは信
>>> 仰なしにできることなので、宗教からの一応の分離になるわけですね。
>>
>> ・そういうところは考えたところで結論がでる話じゃないから、でき
>> るとこだけやろうよ
>> ・そういうのは信仰なしにできる
>>
>> ってことから、現代の自然科学者は Kuhn の云う共約不可能性を認めてい
>> る上で、paradigm の「信仰」すら放棄している前提でないと成り立たない
>> んじゃないかな、と思ったりしたんですが、おかしいかな ?
>
> パラダイムの信仰ってのはよく分からないんでパス。
paradigm の選択後には paradigm を信仰しているってことはありえないという
ことから、分からないということになるのかな。
"T.Ando" <an...@camel.tky.plala.or.jp> wrote in message
news:aqdsr8$pf$4...@pin3.tky.plala.or.jp
: http://www-miyakelab.mp.es.osaka-u.ac.jp/morita/philosophy/text/scie
: nce/scientificrevo.html
:
:: すなわち、
::
:: 彼らの業績は,それと競合する科学活動の様式から離れて、それを支
:: 持する集団を魅了するのに十分な新奇さをもっている
::
:: それ(彼らの業績)は,再構成された専門家の集団が解決すべきあら
:: ゆる種類の問題を残すだけの十分な許容量がある
::
:: のふたつである。そしてこれらふたつの業績をもつものをクーンは,「パ
:: ラダイム」と呼ぶ。
一応、上記のような業績を持つものへの信仰を指していたつもりなんです。
# しんこう(‥カウ)【信仰・信向】
# (古くは「しんごう」)
# 1 (信仰)神や仏などを信じとうとぶこと。誠心を捧げて信ずること。仰信。
# 2 一般的に、信頼して疑わないこと。
#
# Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition)
# (C) Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)(C)小学館 1988
#
# 若しくは、この辺りの 1、2 の意味の違いの問題なのかな...
----------------------------------------------------------------------
【科学とは ? 】
>>>> では、科学と宗教は明確に分類、若しくは分離できるものなのかな ?
>>>
>>> 科学と科学以外の分類はそれほど明確じゃないんで、分離できない部分が
>>> あっても不思議じゃないですけどね。
>>
>> 科学と科学以外っていうのは、Popper の呈示したようなもん以外に、何か
>> あるのかなあと、ウツラウツラ考えたり。
>>
>> http://www-miyakelab.mp.es.osaka-u.ac.jp/morita/philosophy/postmode
>> rn/science.html
>>
>> って辺りをみながら...
>>
>> : 科学の本質にとって重要なのは,「発見の文脈」ではなく,「正当化の
>> : 文脈」である.そして,ポパーは,この正当化の手続きの核心は,「検
>> : 証」ではなく「反証」にあるという.
>>
>> で反証可能性を持つ、持たないで科学か否かを区分するのはオカシイのか
>> な。
>
> 反証可能性で切ってしまうと科学の範囲が狭くならないかなあ?
それについては、おっしゃる通りなんですが、では、
>>> 科学と科学以外の分類はそれほど明確じゃない
にしても、「相対的」でも構わないんですが、何に基づいて分類していること
になるんだろう。以前、おっしゃた「近代科学の方法論に則っている」ってい
うのもあるんでしょうけど、この場合だと、例えばどういった方法論を指して
いるんだろうとか... 反証可能性を持たないにしても、どういった要件を満た
せば科学と云えるんだろうって辺りが非常に気になります。
"KGK == Keiji KOSAKA" <k...@mp.okayama-u.ac.jp> wrote in message
news:aq05dn$f5b$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp...
: もう少し今の話に近いことだと、「科学と疑似科学の境目」なんてのを厳密
: に決めようとすればする程どつぼにはまるけど、一目瞭然なのは一目瞭然で
: いいじゃん、とか。
どつぼに嵌るから、「常識的判断」で一目瞭然というお話もありうるのかなぁ、
とかウツラウツラ考えたのでした。
-----
> そういうのでキッチリ分けて、何かうれしいのかって気もするし。
まぁ、これもおっしゃる通りなんですが、
"T.Ando" <an...@camel.tky.plala.or.jp> wrote in message
news:apd03s$t0s$3...@pin3.tky.plala.or.jp
:> 「確からしい」の根拠はもう少しあって、「近代科学の方法論に則ってい
:> る」というのがあります。
:> 例えば、「反証可能性」という問題があって、「どういうことが反証にな
:> りうるか」がはっきり言えないとまずい。
:>
:> # 「反証可能性」をあんまりシビアに取ると、科学の範囲が狭くなり過ぎ
:> # るので、場合によっては反証可能性を問わないこともあるけどね。
:
: Kuhn に云わせると、反証例のない研究なんて存在しないらしいんですが、
: 私も限度の問題はある感じがします。反証可能性については色々考えさせら
: れるもんがあります。
「どういうことが反証になりうるか」がはっきり言えないとまずい
ということを KGK さん自身が認めている上で、
「反証可能性」をあんまりシビアに取ると、科学の範囲が狭くなり過ぎる
ので、場合によっては反証可能性を問わないこともある
と云うこと自体を私自身も認めた上でのお話のつもりだったんで。
# ある、通常科学を素人の私が観た印象...
#
# 1) 「観測されないことを義務付けられた仮想粒子」とか。間接的には周囲
# に影響を及ぼしていることから、とりあえず OK ってことで Q・E・D...
# 2) 質量が無限大になるのを打ち消し、実験値を理論式に代入しながら、い
# つの間にか実験値と理論値がナイスに一致していたってことから、ナイ
# スな「くりこみ」で OK ってことで Q・E・D...
# 3) 理論値と実験値が一致したことが分かったことにはならないと認識され
# ている上での話っぽいことから OK ってことで Q・E・D...
#
# 順序立てて見ると、1) を設定することすら、難しい世界だと窮屈な世界に
# なっちゃう感じもしますねえ。1) があって 2) があり、3) の認識もあり...
Based On news:aqisg3$qk9$1...@bgsv5905.tk.mesh.ad.jp
[written by "頼光" <rai...@mug.biglobe.ne.jp>]
> In article <aqip6h$9o5$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>,
> KGK == Keiji KOSAKA wrote:
-----
> フォーマットを真似て、論点を【】でくくってみました。
>
> # スレッド分けるのがいいのかなとも思いつつ。
すんません、単にズボラな私が発端です。適宜バラしたほうがいいと思います。
【】は、結構、その場のノリで私はくくっていたり。
# そして、本記事は、考え方の提案みたいなもんばっかりで、考えそのものが
# 微量にしか含まれていないことをお先にお詫び申し上げておきます。
----------------------------------------------------------------------
【宗教とは ? 】
>> 普遍宗教に限ると、「人を救う」というのが大義名分になります。
>
> ここは、同意。
>
> もっとも、「救う」の意味する所をもう少し明確にする必要があると
> 思っていて、アバウトには「安息感」の提供であろうと考えています。
>
> いや、むろん例外は挙げられますが、本題の宗教と科学の対比という
> 観点を考えると、この切り口が良さげ。
より明確にするんだったら、宗教も科学も「道具」っていう感じで捉えてみる
のはどうだろう、とか思ったり。宗教の場合、その「安息感」を得るための
「道具の使い方」として信仰するみたいな感じで。
# 機能として「救う」とか「安息感を提供する」、とか。
ただ、科学という「道具」の場合、信仰しようがしまいが関係なく、目的を達
成するための「道具の使い方」として意味をなさないって考えるのはオカシイ
かな ?
ついでに、こういった話では
・宗教が人を救う
・人が宗教に救われる
という 2 つの側面があると思うんです。どちらを主体にして考えるか ? とい
うこともキチンと考えたほうがヨサゲだと思うんです。
人が宗教を変な風に使っても、「道具」としての宗教は宗教ですし、ある人の
「道具の使い方」に依存した問題と分離して考えないと話が混乱しそうな感じ
が私はするんです。これは科学にも云えてるんじゃないかなぁ...
# カナズチで人を殴ってもカナズチはカナズチですし、人はカナズチで釘を打
# つという目的に使わなかっただけ、という感じのことなんです。科学をヘン
# テコに信仰する人がいて、それを基準に科学を問うたりすると科学にとって
# みれば迷惑な話ということにしてみたり。科学であるか否と、人にとって科
# 学であるか否かは別の話、という見方だと変かな ? ある人の「道具の使い
# 方」が合ってれば、ある人にとって科学であるだけで。
以上を要約すると、目的で本質を攻めるなら、
・どういった「道具」か ? [宗教や科学の目的]
・どういった「道具の使い方」か ? [人が目的を達成する手段]
みたいな感じになると思うんです。
# 科学は十徳ナイフみたいに見えるんで難しそうに見えたりしますが...
# KGK さんは宗教をこういった感じで攻めているように私には見えました。
# news:apdm6e$6kg$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp
ここで、頼光さんは「安息感」という新しい keyword を提示されましたが、
これだと人 [ここでは信仰者] が主体になる感じが私はして。
# 勿論、「安息感の提供」と記載されていることを認識した上で記載しており
# ます。でも「安息感」を感じるのはあくまでも人だと私は思うんです。
受動的に見るより、能動的に観る方がいいんじゃないかな、と私は思ったんで
す。同一の能動的な要因 [救う] から、異なる複数の受動的な効果 [安息感と
か] が与えられる、みたいなことを思ったり。
# 「安息感」から、
#
# ・生きている意味や自分の存在の意味を考えなくて済む
# ・善悪、その他道徳的観念を考えずに済む
# ・教え通りに生きれば、少しは贖罪から解放されている気になれる
#
# とか「生きていくための気休め」みたいなヘンテコなことを連想すんのは、
# 私だけかもしれません。そんな感じで「救うため」のほうががより宗教が主
# 体となった目的っぽくていい感じがするのですが、変かな ?
#
# 単なる feeling の問題かもしれませんが。救うって信仰者に「安息感」を
# 与えることだけなのかな、とボンヤリ考えたのでした。宗教は信仰者以外を
# 救う可能性がないほど狭いものなのかな、とか。仮に、信仰者以外の人が救
# われたとして、その人が「安息感」を得られるもんなのかな、とか...
----------------------------------------------------------------------
【宗教の信仰とは ? 】
> # 問題1 さて、この「よさげ」は、「信仰」でしょうか?
なんとなく、そういったところが、色んな人の「信仰」という語彙の齟齬の温
床になっている気が私はしたり。結構、オイシイところかも... と申し上げつ
つも、「信仰」というもんを明確に示す説明が私には上手くできなかったり。
辞書引は行いましたが、この手の問題では今一つだと私は思いました。ここで
は、漠然とした「信仰」という問いよりも、
宗教の信仰とはどういったことか ?
に絞った問いがヨサゲと思ったりしたんですが、オカシイかな...
これについての上手い説明があれば、科学の中で信仰するという語彙について、
これは信仰であっても、宗教的な信仰ではないという説明ができると私は思う
んです。
# この辺り、私は全く疎いので、識者のかたご説明頂けると嬉しいです。
#
# 宗教をどのように信仰をすれば、人にとって宗教が宗教たるものになるか、
# ということになると思うんです。ただ、宗教が救うという目的を達成してい
# るという因果律を含んだ信仰の説明でないと、アマリ意味ナサゲになりそう
# な気もする、というのもあったり...
----------------------------------------------------------------------
【宗教と科学の分離】
> 宗教は日常生活まで縛るものです。なので、宗教と科学のスコープ
> を考えると、宗教と科学の違いという観点で捉えるよりも、宗教と科
> 学+工学の違いとして捉えるのがスコープのマッチングが良いと思い
> ます。
>
> ちなみに世間でよく言われる「科学と工学の違い」は、それぞれの
> 目的が「説明原理の解明」と「物作りの方法の確立」と、違うもので
> ある点というものです。
> 要するに、「世の中はこうなっている(科学)」だけでなく、「こ
> うすればいい(工学)」も欲しい、ということです。
>
> たいていの宗教では、食物規制等の戒律がありますが、それは宗教
> 的世界観(世の中はこうなっている)に基づいて生活指導(こうすれ
> ばいい)をしているわけです。
・科学とは ?
・宗教とは ?
・宗教と科学の分離
のいずれでもいいんですが、これらの問題に「工学」を含めて何が解決できる
のか、私には理解できなかったです。
# 何か解決できそうな、文脈を感じたんで気になっただけなんですが。もしか
# すると、別のお話なのかな ?
----------------------------------------------------------------------
【科学と信仰】
>> パラダイムを「信じて」いるのか、パラダイムを「採用した」だけなのか
>> で、かなり温度差があるような。
>
[-略-]
>
> そんなわけで、この「採用」なり「正しさへの確信の保持」なり
> を、定量的もしくは順序評価的に把握することが、ポイントだろう
> と考えています。
この手のお話になると、いわゆる「相対的」っていう話になりそうな感じがし
て。これを、絶対尺度 [定量的] に還元することは難しそうって思うのは私だ
けなのかな... 順序尺度 [順序評価的] は、「相対的」を粗くした感じもする
し、出来れば上手く名義尺度まで持っていって、それぞれの category の概念
が上手く説明されたものにすれば、説明が簡単という感じもしたり。
# という私が、思いつきで思うようなもんの殆どが「相対的」だったり。
# しかも、別の記事で「相対的」に甘んじようとしてます...
----------------------------------------------------------------------
【科学とは ? 】
>>> で反証可能性を持つ、持たないで科学か否かを区分するのはオカシイのか
>>> な。
>>
>> 反証可能性で切ってしまうと科学の範囲が狭くならないかなあ?
>> そういうのでキッチリ分けて、何かうれしいのかって気もするし。
>
> ここのポイントは、冒頭の【宗教とは?】との対比をすることで
> しょう。
>
> だから、ここでは「そもそも科学とは何ぞや」ということを考え
> るのではなく、特徴記述を宗教のそれと一致させればOK。
>
> 科学は、人を救いません。そんなものを目的にしていません。
>
> ということです。
「科学とは ? 」という問いの本質を探ろうとするのは、色気を出しすぎなの
かな。
# で、無理に私は「反証可能性」を持ち出しただけだったり...
-----
> 実際、「科学」のアウトプットは理論や論文等ですが、その評価
> は人を救ったかどうかではありません。理論であればそれが正しい
> かとか扱いやすいかです。論文であれば論旨が一貫しているのは最
> 低条件として、既存の体系に対して新しい貢献をしているか、独創
> 性があるか、という点です。
そういった観点からは、おっしゃる通りかと私は思います。
# 私個人としては、「解決すべき問題も残している」というのも欲しいなと思
# ったり... それが、なくなった時、科学は...
で、問題になっている部分は、頼光さん記載の
「理論であればそれが正しいかとか扱いやすいか」
の部分を変に受け留めている方がいらっしゃるんじゃないかな、と私個人は思
うんです。ここの NewsGroups [fj.life.religion] のお話ではないんですが、
「科学的な正しさ」が「科学」だと思ってらっしゃる方がいらっしゃる印象を
受けたりするからなんですが。
# しかも、その「正しい」は所詮「科学的に正しい」だけで...
で、そういったことを感じるんで、科学の本質ってなんだろうと考えるんです
が、突き詰めて考えると、私にはよく分からないお話だったり。
-----
> # ちなみにうれしさは、似非科学を持ち出す似非宗教者にきちんと
> # 反論できるようになる点。
もし、似非科学である、と反論できるような成果を希望されるんだったら、
「科学と疑似科学の境目」を設定できる説明があったほうが、私はヨサゲと思
ったり。
# KGK さんおっしゃるところ、これやり始めると、ドツボに嵌るとか...
そして、似非宗教についても、反論できるような成果を希望されるんだったら、
「宗教と似非宗教の境目」を設定できる説明があったほうが、私はヨサゲと思
ったり。
と、無責任に云うだけ云ってみたり。
# 以上、興味があるだけで、何の材料もない私なのでした。
----------------------------------------------------------------------
【おまけ-宗教という system 】
>>「人を救う」ってのはシステムの話ですから、個人の信仰だけからは何とも。
>
> システムという言葉は、どういう意味で使っているのでしょう?
宗教の system を OS に例えるなら、「計算機の基本的な操作する」ってのは
system の話、みたいな感じで私は受け取ったんですが。
OS もそれぞれに設計思想、構造構成、互換性のある計算機 architecture が
異なりますが、底流には「計算機の基本的な操作する」っていう目的は必ず含
まれているってことじゃないのかな。そう云った目的を達成するのは、system
のお話って感じなんですが。
つまるところ、個人の信仰から、宗教の system の話を持ち出しても何とも云
えないってことだと思います。
# 私は、1 つ 1 つの計算機が人で、OS が宗教みたいな感じもしたり。
# 計算機 architecture への依存が少なく互換性の高い OS がより普遍宗教に
# 近くて、計算機 architecture への依存が強いのが民族宗教に近いとか...
> で、システム、という言葉から私が連想するのは、思考によらない
> 感覚的な信念を人に抱かせるプロセスを教団が持っているという主張
> です。どうでしょう?
教団が OS を持っていて、教団が信者に確認なしで OS を install するみた
いな感じで、或る種、洗脳みたいですね。で、
> 感想は、「これをくりかえしていたら、洗脳されるな」というもの
> です。
ということなのかな。
# 人は生きながら経験から個の記述 [OS] を、じょじょに追加や更新をしてい
# る感じで捉えると、ここの場合、別の個の記述 [OS] を新規に install す
# る位の impact があるのかな、とか思ったり。
> In article <aqip6h$9o5$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>, KGK == Keiji KOSAKA wrote:
>> 別のスレッドでも宗教と科学が比べられてるようだ。
> そちらの方は、成果が上がるとはあまり思えませんがね。
結局、宗教と科学を比べるに充分な程度の宗教の定義や科学の定義がないと、
端っこを議論して発散して終わりって感じですね。
> 【宗教とは】
>> 普遍宗教に限ると、「人を救う」というのが大義名分になります。
> ここは、同意。
> もっとも、「救う」の意味する所をもう少し明確にする必要があると
> 思っていて、アバウトには「安息感」の提供であろうと考えています。
建前としては「救済」じゃないですか?
「現世での救済」「来世での救済」「魂の救済」などいろいろありますが、と
にかく「救済」する。
# 多分、「肉体の救済」は宗教の目的じゃないな。
ただ、救済するってことがどういうことなのかは曖昧だし、救済されたかどう
かの確認もできない。
だから、目に見える効果としては「安息感の提供」といったあたりに落着く。
>>> 【宗教と科学と存在論の分離】
>>
>>>> で、「そういうところは考えたところで結論がでる話じゃないから、できる
>>>> とこだけやろうよ」ってのが現代科学の結論だと思う。そういうのは信仰な
>>>> しにできることなので、宗教からの一応の分離になるわけですね。
>>
>>> 「分離」という観点からであれば、
>>
>>> 「信仰」がなりたつか否か
>>
>>> ってところで宜しいのでしょうか。
>>
>> まあ、それ以前の段階で、説明原理だけで独立したところから目的の変更は始
>> まってるわけで、信仰の有無が最終段階になったんじゃないかと。
> 宗教は日常生活まで縛るものです。なので、宗教と科学のスコープ
> を考えると、宗教と科学の違いという観点で捉えるよりも、宗教と科
> 学+工学の違いとして捉えるのがスコープのマッチングが良いと思い
> ます。
いやいや。
「科学と宗教は、そもそもスコープが違うものだ」ってことだけでも一つの結
果でしょう。「本来は比べること自体おかしい」というシロモノなわけです。
そこを明確にしとけば各論が楽だし、そもそも各論なんて必要なくなるかもし
れない。
私は、こっちのグループに振る前に、
・宗教は人を救う目的で、その手段として独自の説明原理を含んでいる。
・科学は説明原理そのものであり、説明すること自体が目的である。
といった感じの切口で説明してまして、まさにスコープが違うよってとこから
始めてます。
>>> 【科学と信仰】
>>
>>> と云うより、KGK さんがおっしゃる「人を救う」という目的が入ってないから
>>> じゃないからかな ?
>>
>> 「人を救う」ってのはシステムの話ですから、個人の信仰だけからは何とも。
> システムという言葉は、どういう意味で使っているのでしょう?
教義とか、そういった辺りです。
教義ってのは「救済に至る道」を示すものですから、それ自体一つのシステム
と言ってよいかと。
一方、信仰ってのは大体において「救済に至る道」の途中で必要になる手段な
わけです。
システムに結びつかない個人的な信仰は、救済を目的としないものになってし
まって、それは宗教の一部とは言い難くなる。
>> パラダイムを「信じて」いるのか、パラダイムを「採用した」だけなのかで、
>> かなり温度差があるような。
> が、温度差と言いますか、上掲した私の知人の信仰告白によれば、
> 信仰(真の信仰という言い方を、彼らはしますね)は、「採用」とい
> う言葉のニュアンスよりも遥かに強烈な「正しさへの確信」です。
でしょうね。
で、パラダイムってのはそういう信仰なしに採用することが出きないものなの
かなあ、と思ってるわけで。
# ただ、信仰と同質のプロセスはありそうですが。
> だから、ここでは「そもそも科学とは何ぞや」ということを考え
> るのではなく、特徴記述を宗教のそれと一致させればOK。
> 科学は、人を救いません。そんなものを目的にしていません。
> ということです。
あと、「信仰」をもって宗教的と評する人に対しては、
・科学では方法論さえ同じであれば異る信仰を異端視しない。
って切口もありそう。
In article <ar5eq8$ppe$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>, KGK == Keiji KOSAKA <k...@mp.okayama-u.ac.jp> writes
>結局、宗教と科学を比べるに充分な程度の宗教の定義や科学の定義がないと、
>端っこを議論して発散して終わりって感じですね。
定義にこだわる議論の方法自体、特定のパラダイムだってのに気づ
かないと、この手の哲学的宗教的な議論では本質を見失うと思いま
す。
それに定義を決めて議論すれば、その定義によって色んな結論がで
るのは自明ですよね。問題は、ではどのような定義が適切かという
議論に移行し、そして、適切さの基準の議論になり、その基準の
根拠の議論になり、その根拠は宗教なり科学なりの根拠になるわけ
なので、結局は、元に戻るわけだな。
では、どのように議論するべきかと言えば、宗教とか科学とかの
持つ性質を列挙して比べるような手法が有効でしょう。それは、
まぁ、比較文化学の手法みたいなものだよね。
>「現世での救済」「来世での救済」「魂の救済」などいろいろありますが、と
>にかく「救済」する。
># 多分、「肉体の救済」は宗教の目的じゃないな。
神様に都合の良い救済なので実は人間とはあまり関係ないんだよね。
なので、救済が本質ってわけでもないです。
>・宗教は人を救う目的で、その手段として独自の説明原理を含んでいる。
>・科学は説明原理そのものであり、説明すること自体が目的である。
>といった感じの切口で説明してまして、まさにスコープが違うよってとこから
>始めてます。
目的ってのは宗教でも科学でも「人間側」にあるものであり、宗教
や科学自体には目的はありません。まぁ、世界観を目的でとらえる
ってのは人間は好きなのでそういうようになりがちなんでしょうけ
どね。
>> 科学は、人を救いません。そんなものを目的にしていません。
>> ということです。
これは宗教もおんなじです。大乗仏教が人を救うと言っても、それ
は、直接的に死を避けたり、お金をくれるものではありません。宗
教自体に目的も救いも必要ない。それらを宗教に見るのは人間です。
科学に救いや目的を見るのも人間です。キュリー夫妻の自己犠牲
なんかは、もっとも非科学的なものだけど、それが彼らの救いや
目的であったことは確かでしょう。そして、彼らにとって、それ
は「科学」であったことは間違いない。
宗教の言う救いは、未定義な宗教用語みたいなもんです。「どうし
て神様は私達を救ってくれないんですか?」みたいな質問を宗教職
の人に聞くと、このあたりはいろいろ教えてもらえます。
>あと、「信仰」をもって宗教的と評する人に対しては、
>・科学では方法論さえ同じであれば異る信仰を異端視しない。
>って切口もありそう。
逆に方法論が違うと思うや、その攻撃はすごいですよね。別に好き
なように言わせておけばいいじゃんと思うんだが... 予算がからん
でいるからなのか、プライドの問題なのか。で、その方法論っての
が何かって聞くと、大抵、「定義」って言う答えが返って来るんだ
よな... この人達は哲学の議論がわかってないと思う瞬間でもあり
ます。定義できるんだったら、大半の哲学議論は終ってるっつうの。
仏教を宗教だと認めるなら、その定義は必然的に科学の定義と似た
ものになると思います。そこで、スコープが違うとか、工学がどう
とかいうのは宗教の多様性を少し甘く見ているか、科学の多義性を
狭く見ているかのどちらかなんじゃないかな。
例えば科学技術の成果として霞が関ビル(古い!)を挙げるのと、宗
教の成果としてピラミッドを挙げるのと、僕は同等だと思う。それ
らが「スコープが違う」と言いつのるには、あまりに結果が似すぎ
ていませんか?
何故似てしまうのか、それは、どちらも人間の組織的行動だから
です。
---
Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus,
PRESTO, Japan Science and Technology Corporation
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科,
科学技術振興事業団さきがけ研究21(機能と構成)
そうですね。
>建前としては「救済」じゃないですか?
>「現世での救済」「来世での救済」「魂の救済」などいろいろありますが、と
>にかく「救済」する。
># 多分、「肉体の救済」は宗教の目的じゃないな。
>
>ただ、救済するってことがどういうことなのかは曖昧だし、救済されたかどう
>かの確認もできない。
>だから、目に見える効果としては「安息感の提供」といったあたりに落着く。
そうですね。ここも異論無し。
>いやいや。
>「科学と宗教は、そもそもスコープが違うものだ」ってことだけでも一つの結
>果でしょう。「本来は比べること自体おかしい」というシロモノなわけです。
>そこを明確にしとけば各論が楽だし、そもそも各論なんて必要なくなるかもし
>れない。
>
>私は、こっちのグループに振る前に、
>・宗教は人を救う目的で、その手段として独自の説明原理を含んでいる。
>・科学は説明原理そのものであり、説明すること自体が目的である。
>といった感じの切口で説明してまして、まさにスコープが違うよってとこから
>始めてます。
そこまで遡っていませんでしたが、このレベルでは、私の捉え方
と同じですね。ま、前回の記事を書いてたときには気付かなかった
のですが、スコープが違う時点で比較するのもおかしいわけで。
>> システムという言葉は、どういう意味で使っているのでしょう?
>
>教義とか、そういった辺りです。
>教義ってのは「救済に至る道」を示すものですから、それ自体一つのシステム
>と言ってよいかと。
>
>一方、信仰ってのは大体において「救済に至る道」の途中で必要になる手段な
>わけです。
>システムに結びつかない個人的な信仰は、救済を目的としないものになってし
>まって、それは宗教の一部とは言い難くなる。
この点は了解しました。
>>> パラダイムを「信じて」いるのか、パラダイムを「採用した」だけなのかで、
>>> かなり温度差があるような。
>
>> が、温度差と言いますか、上掲した私の知人の信仰告白によれば、
>> 信仰(真の信仰という言い方を、彼らはしますね)は、「採用」とい
>> う言葉のニュアンスよりも遥かに強烈な「正しさへの確信」です。
>
>でしょうね。
>で、パラダイムってのはそういう信仰なしに採用することが出きないものなの
>かなあ、と思ってるわけで。
># ただ、信仰と同質のプロセスはありそうですが。
ここは、私はあまり深く考えたことが無いのでよく分かりません。
今の思いつきを書くにとどめましょう。
エトスという言葉があって、日本語で何と人の行動は本質的にはエトス
に従い、パラダイムの変更はこのエートスの変更を伴わなければ実効性を
持たないという考え方があります。私もそう思うわけですが。
エトスを日本語で無理矢理言うと、「習慣を形成する原点精神」という
感じで、「油断していると出てくる考え方」とか「感性的判断基準」とか
表現できる概念です。
これってけっこう自分で制御できない代物だから、理性でパラダイムを
変えたいと思っても、そううまくいかない。常にがんばって頭使って論文
書いてる間だけ別パラダイムを維持するということは、有能な人には可能
でしょうが、やはり疲れるから長続きしないと思うし。
だから、表層意識のレベルでなくしてパラダイムを変えるということは、
確信を抱く(少なくともそれまでの確信を拝する)ようなプロセスが必要
だろうと思います。
同時に、そのプロセスは信仰獲得と同じ構造をしてるので、同様のもの
であっても驚かないでしょうね。
>> だから、ここでは「そもそも科学とは何ぞや」ということを考え
>> るのではなく、特徴記述を宗教のそれと一致させればOK。
>
>> 科学は、人を救いません。そんなものを目的にしていません。
>
>> ということです。
>
>あと、「信仰」をもって宗教的と評する人に対しては、
>・科学では方法論さえ同じであれば異る信仰を異端視しない。
>って切口もありそう。
そうですね。
各論ではありますが。
--
頼光 mailto:rai...@mug.biglobe.ne.jp
"頼光" <rai...@mug.biglobe.ne.jp> wrote in message
news:ar7i36$15b$8...@bgsv5905.tk.mesh.ad.jp...
> そうですね。
> そうですね。ここも異論無し。
> この点は了解しました。
>
> ここは、私はあまり深く考えたことが無いのでよく分かりません。
> 今の思いつきを書くにとどめましょう。
> そうですね。
> 各論ではありますが。
「修行が足りません」などと、中傷まがいの投稿をし続ける頼光氏にも
時として、相手によっては、このような書きまわしとなります。
記事によっては、相手を見て、
「まだ同じ誤りを繰り返しているようですね。 修行が足りません。」
「ということにしたいのですね。」
「そんな話など何の関係も無い話です。 唐突に関係の無い話を持ち出さないこと。」
「辞書くらい引くこと。」
などのまったくくだらない記事ばかり投稿しているのです。
つくずく疑問なのですが、頼光氏はなぜここまで投稿の内容を
切り分けることができるのでしょう?
そては相手を見て、こいつならこういう記事をフォローしてやるなどの
浅はかな考えに基づくものですか?
もしそうなら、これ以上の難くせ投稿はやめなさい。
投稿者の迷惑です!
--
やまもといちろう(二代目)
> エトスを日本語で無理矢理言うと、「習慣を形成する原点精神」という
> 感じで、「油断していると出てくる考え方」とか「感性的判断基準」とか
> 表現できる概念です。
固定観念のことでしょ
> これってけっこう自分で制御できない代物だから、理性でパラダイムを
> 変えたいと思っても、そううまくいかない。常にがんばって頭使って論文
> 書いてる間だけ別パラダイムを維持するということは、有能な人には可能
> でしょうが、やはり疲れるから長続きしないと思うし。
自分で制御できないんですか?疲れるから長続きしない・・ふむふむ
だから同じ念仏を繰り返し唱えるだけに終わるんですね。楽だから
まさに、修行が足りない証拠です
--
*************************************************************
* Your experiences are the realization of your philosophy *
* Mind your fixed ideas ! *
*************************************************************
> そては相手を見て、こいつならこういう記事をフォローしてやるなどの
> 浅はかな考えに基づくものですか?
>
> もしそうなら、これ以上の難くせ投稿はやめなさい。
> 投稿者の迷惑です!
この辺にやまもとさんの基本姿勢が感じられます。
そう呼ぶことも可能ですが、意味がかなり限定されますね。
「固定観念」の方が、「エトス」よりも狭い概念です。
>自分で制御できないんですか?疲れるから長続きしない・・ふむふむ
>だから同じ念仏を繰り返し唱えるだけに終わるんですね。楽だから
>まさに、修行が足りない証拠です
誰もそんな話などしていません。
唐突に関係の無い話を持ち出さないこと。
--
頼光 mailto:rai...@mug.biglobe.ne.jp
記事の内容を吟味し、相応しいフォローをしているからでしょう。
> そては相手を見て、こいつならこういう記事をフォローしてやるなどの
> 浅はかな考えに基づくものですか?
damnam曰く「人は鏡」
> 相手を見ての判断としか思えない投稿の内容ですが、彼は何を基準に
> その投稿の内容を変えているのでしょう?
彼の主観以外に基準があるでしょうか?
> 記事によっては、相手を見て、
> 「まだ同じ誤りを繰り返しているようですね。 修行が足りません。」
> 「ということにしたいのですね。」
> 「そんな話など何の関係も無い話です。 唐突に関係の無い話を持ち出さな
いこと。」
> 「辞書くらい引くこと。」
> などのまったくくだらない記事ばかり投稿しているのです。
それしか言えないからです
> つくずく疑問なのですが、頼光氏はなぜここまで投稿の内容を
> 切り分けることができるのでしょう?
相手を見て態度を変える、器の小さな人間なんでしょう
> もしそうなら、これ以上の難くせ投稿はやめなさい。
> 投稿者の迷惑です!
Ichirouさんが「やめなさい」と言う自由があるのと同様に頼光にも「やめな
さい」と言う自由があり、Ichirouさんが自分の記事を投稿する自由があるの
と同様に頼光にも自分の記事を投稿する自由があります
相手の自由を奪おうとするから、貴方の自由も奪われるように感じるんですよ
In article <ari17k$dk7$3...@fnews11.bbiq.jp>, damnam wrote:
>> 相手を見ての判断としか思えない投稿の内容ですが、彼は何を基準に
>> その投稿の内容を変えているのでしょう?
>
>彼の主観以外に基準があるでしょうか?
ま、その程度でしょうね。
NetNews というものについての知識が、まるでなっていません。
だからこそ、いつまでも正しい NewsGroup を選択すること程度
すらできないのでしょう。
修行が足りません。
>> 記事によっては、相手を見て、
(中略)
>> 「辞書くらい引くこと。」
>> などのまったくくだらない記事ばかり投稿しているのです。
>
>それしか言えないからです
ということにしたいのですね。
しかも、引用している記事がそれの反証になっていることにす
ら気付かないでは、レベルが低いにもほどがありますね。
修行が足りません。
>> つくずく疑問なのですが、頼光氏はなぜここまで投稿の内容を
>> 切り分けることができるのでしょう?
>
>相手を見て態度を変える、器の小さな人間なんでしょう
ということにしたいのですね。
>> もしそうなら、これ以上の難くせ投稿はやめなさい。
>> 投稿者の迷惑です!
>
>Ichirouさんが「やめなさい」と言う自由があるのと同様に頼光にも「やめな
>さい」と言う自由があり、Ichirouさんが自分の記事を投稿する自由があるの
>と同様に頼光にも自分の記事を投稿する自由があります
>相手の自由を奪おうとするから、貴方の自由も奪われるように感じるんですよ
そんなレベルの話ではないのですが、ま、damnam 氏が正解に
たどり着くには30由旬ほどの距離があるようですね。
修行が足りません。
--
頼光 mailto:rai...@mug.biglobe.ne.jp
この場合、実際に頼光氏が切り分けているかどうかではなく、「や
まもといちろう」がそのように思っているということがポイントで
す。ここに、damnam氏の言う「人は鏡」をこれに適用すると、「投
稿の内容を切り分けることができる」この対象者は、「やまもとい
ちろう」そのもので【も】あり、「相手を見て態度を変える、器の
小さな人間」は、「やまもといちろう」に他ならないと言うことに
なりますね。
> > もしそうなら、これ以上の難くせ投稿はやめなさい。
> > 投稿者の迷惑です!
> Ichirouさんが「やめなさい」と言う自由があるのと同様に頼光にも「やめな
> さい」と言う自由があり、Ichirouさんが自分の記事を投稿する自由があるの
> と同様に頼光にも自分の記事を投稿する自由があります
> 相手の自由を奪おうとするから、貴方の自由も奪われるように感じるんですよ
なるほど。結局「やまもといちろう」が騒ぐ問題は、彼自身の問題
であると言うことですね。
> 河野 真治@琉球大情報工学です。
> In article <ar5eq8$ppe$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>, KGK == Keiji KOSAKA <k...@mp.okayama-u.ac.jp> writes
>> 結局、宗教と科学を比べるに充分な程度の宗教の定義や科学の定義がないと、
>> 端っこを議論して発散して終わりって感じですね。
> 定義にこだわる議論の方法自体、特定のパラダイムだってのに気づ
> かないと、この手の哲学的宗教的な議論では本質を見失うと思いま
> す。
でもまあ、定義から始めるのが手っ取り早くっていいですよね。
どういうところが共通認識かが早目に分かるから。
逆に端っこの議論を集めて総体的なところに持っていくのも手だけど、それっ
て結構たいへん。
>> 「現世での救済」「来世での救済」「魂の救済」などいろいろありますが、と
>> にかく「救済」する。
>> # 多分、「肉体の救済」は宗教の目的じゃないな。
> 神様に都合の良い救済なので実は人間とはあまり関係ないんだよね。
> なので、救済が本質ってわけでもないです。
人間とはあまり関係なくても本質たり得ると思うけどなあ。
多分、宗教を他の社会的な道具と区別する一番のポイントは「救済」でしょう。
>> ・宗教は人を救う目的で、その手段として独自の説明原理を含んでいる。
>> ・科学は説明原理そのものであり、説明すること自体が目的である。
>> といった感じの切口で説明してまして、まさにスコープが違うよってとこから
>> 始めてます。
> 目的ってのは宗教でも科学でも「人間側」にあるものであり、宗教
> や科学自体には目的はありません。
社会的道具としての目的はあるんじゃないかなあ。
刺身包丁の目的が刺身を切ることだってのと同じ話。
>>> 科学は、人を救いません。そんなものを目的にしていません。
>>> ということです。
> これは宗教もおんなじです。大乗仏教が人を救うと言っても、それ
> は、直接的に死を避けたり、お金をくれるものではありません。
それは「救う」って言葉を狭くとってますね。
現世での救済を説かなくても死後の救済なら説くってのが普通では?
> 科学に救いや目的を見るのも人間です。キュリー夫妻の自己犠牲
> なんかは、もっとも非科学的なものだけど、それが彼らの救いや
> 目的であったことは確かでしょう。そして、彼らにとって、それ
> は「科学」であったことは間違いない。
救いを目的にして科学を使うことはできるけど、救いを目的にしなくても科学
を使えますよね。
宗教は少なくとも建前上は救済を目的としなけりゃ宗教として使ってることに
ならないんじゃないかなあ?
> 宗教の言う救いは、未定義な宗教用語みたいなもんです。「どうし
> て神様は私達を救ってくれないんですか?」みたいな質問を宗教職
> の人に聞くと、このあたりはいろいろ教えてもらえます。
「何を救済というか」ってのは宗教哲学なんかでは常に問題になるでしょうね。
>> あと、「信仰」をもって宗教的と評する人に対しては、
>> ・科学では方法論さえ同じであれば異る信仰を異端視しない。
>> って切口もありそう。
> 逆に方法論が違うと思うや、その攻撃はすごいですよね。別に好き
> なように言わせておけばいいじゃんと思うんだが...
それは、ある程度は当たり前なんじゃないかな。
科学は説明原理の一つなんだから、別の説明原理は科学じゃないんです。
それが科学を自称しなけりゃそれでかまわないんですが、科学を自称すれば
「それは科学じゃないよ」ってぐらいのことは言うでしょう。
# ま、個人的に行き過ぎの人はいろいろいるにしても。
> 例えば科学技術の成果として霞が関ビル(古い!)を挙げるのと、宗
> 教の成果としてピラミッドを挙げるのと、僕は同等だと思う。それ
> らが「スコープが違う」と言いつのるには、あまりに結果が似すぎ
> ていませんか?
科学と科学技術じゃスコープが違うでしょ。
で、スコープを広げた上でスコープの重なってる部分を見れば似てるのは当た
り前。
> 何故似てしまうのか、それは、どちらも人間の組織的行動だから
> です。
科学と宗教で似てる部分は意外にあるけど、「科学は宗教に一部だ」と言える
程相異点がないわけじゃない。
科学が一つの宗派を作るのに決定的に欠けてるのは、
・救済のための教義
・信仰の統一性
といったあたりじゃないかな。
これを「科学技術信仰」にまで広げると、一つの宗派だと言ってもあまり違和
感がないけど、科学単独じゃ役者不足。
--
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KGK KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ. KGK
KGK k...@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ KGK
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
# そういう意味で、スコープが違うというより、レイヤーが違う?
! "<ar7i36$15b$8...@bgsv5905.tk.mesh.ad.jp>" という記事で
! Sun, 17 Nov 2002 16:56:25 +0900 頃に 頼光 さん は言ったとさ:
> In article <ar5eq8$ppe$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>, KGK == Keiji KOSAKA wrote:
>> で、パラダイムってのはそういう信仰なしに採用することが出きないものなの
>> かなあ、と思ってるわけで。
>> # ただ、信仰と同質のプロセスはありそうですが。
> ここは、私はあまり深く考えたことが無いのでよく分かりません。
> 今の思いつきを書くにとどめましょう。
> エトスという言葉があって、日本語で何と人の行動は本質的にはエトス
> に従い、パラダイムの変更はこのエートスの変更を伴わなければ実効性を
> 持たないという考え方があります。私もそう思うわけですが。
# 「エートス」ってのをgoogleで調べてみたら「科学者のエートス」なんても
# の引っかかって、結構面白かった。
> だから、表層意識のレベルでなくしてパラダイムを変えるということは、
> 確信を抱く(少なくともそれまでの確信を拝する)ようなプロセスが必要
> だろうと思います。
> 同時に、そのプロセスは信仰獲得と同じ構造をしてるので、同様のもの
> であっても驚かないでしょうね。
私も似たりよったりですが、
# というか、パラダイムという言葉自体、あまりよく理解してない。
何かを理解するというは、既に自分の中にある基準に照し合わせて自分の体系
の中での位置付けを決定することですよね。
で、その基準自体も理解の対象になるけど、それには別の基準が必要になる。
その基準が自己無撞着にできてれば、それ以上動きようがない。
普段はそうやって比較的に安定な基準で物事を認識し、理解してるわけです。
これが、価値観が根底から変わるようなことがあると、基準を一から組み立て
直すはめになって、前とは違う理解のしかたをするようになる。
そうすると、前の理解の仕方が価値の低いものに見えるようになるから、不可
逆プロセスになる。
ってのが、パラダイムの転換や信仰獲得の素過程じゃないかなあ。
--
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KGK KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ. KGK
KGK k...@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ KGK
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
# なんてことをぼんやり考えてます。
てゆかエトスの原因が固定観念でしょ
> >自分で制御できないんですか?疲れるから長続きしない・・ふむふむ
> >だから同じ念仏を繰り返し唱えるだけに終わるんですね。楽だから
> >まさに、修行が足りない証拠です
>
> 誰もそんな話などしていません。
俺がしています
> 唐突に関係の無い話を持ち出さないこと。
唐突で関係のない話ということにしたいのですね
いつものよーに
はい、はい
「●●は○○である」
「●●のは原因は○○である」
両者、全然違う話です。
>> >自分で制御できないんですか?疲れるから長続きしない・・ふむふむ
>> >だから同じ念仏を繰り返し唱えるだけに終わるんですね。楽だから
>> >まさに、修行が足りない証拠です
>>
>> 誰もそんな話などしていません。
>
>俺がしています
提出した事例は、まさに批判された当人一人だけというこ
とですね。
つまり、唐突に関係の無い話を持ち出したのは自分が一人
だけであると認めているということです。
ならば、妙な言い訳をしていないで本題に戻ること。
修行が足りません。
>> 唐突に関係の無い話を持ち出さないこと。
>
>唐突で関係のない話ということにしたいのですね
>いつものよーに
>はい、はい
ここが、妙な言い訳。
私の願望など何の関係も無い話です。
そんな話ありましたか。
# 私は忘却の彼方。
>何かを理解するというは、既に自分の中にある基準に照し合わせて自分の体系
>の中での位置付けを決定することですよね。
>で、その基準自体も理解の対象になるけど、それには別の基準が必要になる。
>その基準が自己無撞着にできてれば、それ以上動きようがない。
>普段はそうやって比較的に安定な基準で物事を認識し、理解してるわけです。
その定義は特に私も違和感はありませんが、基準というものの形態が
どうあるべきか、いまいち具体的にイメージできません。
例えば、どういうイメージでしょう?
>これが、価値観が根底から変わるようなことがあると、基準を一から組み立て
>直すはめになって、前とは違う理解のしかたをするようになる。
>そうすると、前の理解の仕方が価値の低いものに見えるようになるから、不可
>逆プロセスになる。
>
>ってのが、パラダイムの転換や信仰獲得の素過程じゃないかなあ。
概ね同感ですが、「素」というのは?
--
頼光 mailto:rai...@mug.biglobe.ne.jp
違いますね。この場合、俺が頼光を見て「相手を見て~小さな人間」と思って
いるのですから、「」内は俺自身の姿です
但し、俺はそれを理解しかつ意図的にそうしています。器の小さな人間には器
の大きな人間の真似はできませんが、器の大きな人間は器の小さな人間の真似
は幾らでも出来る、ということです
> なるほど。結局「やまもといちろう」が騒ぐ問題は、彼自身の問題
> であると言うことですね。
その通り。貴方が騒ぐ問題が貴方自身の問題であるのと同様にね
はいはい
> >彼の主観以外に基準があるでしょうか?
>
> ま、その程度でしょうね。
貴方の主観がね
> >それしか言えないからです
>
> ということにしたいのですね。
いいえ事実です
それしか言えないと思われたくなかったら、別の言い方をすること
創意工夫が足りません
尤も、一行念仏で返すしか術がないのは「図星」だからなのでしょうけど
> しかも、引用している記事がそれの反証になっていることにす
> ら気付かないでは、レベルが低いにもほどがありますね。
>
> 修行が足りません。
また一行念仏ですね
たまには別バージョンを考えること
柔軟性が足りません
> >相手を見て態度を変える、器の小さな人間なんでしょう
>
> ということにしたいのですね。
いいえ事実です
貴方のこれまでの記事の全てがそれを証明しています
自覚が足りません
尤も、一行念仏で返すしか術がないのは「図星」だからなのでしょうけど
> >Ichirouさんが「やめなさい」と言う自由があるのと同様に頼光にも「やめ
な
> >さい」と言う自由があり、Ichirouさんが自分の記事を投稿する自由がある
の
> >と同様に頼光にも自分の記事を投稿する自由があります
> >相手の自由を奪おうとするから、貴方の自由も奪われるように感じるんで
すよ
>
> そんなレベルの話ではないのですが、
当然、貴方からすればレベルの違う話でしょうね
レベルが足りません
それはそうかもしれません。しかし、その内容には違いがあります。
「固定観念はエトスの狭義である」
「エトスの原因は固定観念である」
非常に密接な話ですね
尤も、貴方にとっては「悟りと禅は無関係」なのですから無理もありませんが
#ところで「●●のは原因は」ってどういう意味?
> >> >自分で制御できないんですか?疲れるから長続きしない・・ふむふむ
> >> >だから同じ念仏を繰り返し唱えるだけに終わるんですね。楽だから
> >> >まさに、修行が足りない証拠です
> >>
> >> 誰もそんな話などしていません。
> >
> >俺がしています
>
> 提出した事例は、まさに批判された当人一人だけというこ
> とですね。
よく分かりません。「批判された」の主語と「当人」が誰かを示してください
#もう少し相手に分かるような日本語を書くよう努めましょう
> つまり、唐突に関係の無い話を持ち出したのは自分が一人
> だけであると認めているということです。
唐突に関係のない話であるとは認めませんが?
貴方と一緒にしないでね
#妄想を広げるのは自由ですが
> ならば、妙な言い訳をしていないで本題に戻ること。
> 修行が足りません。
前提が妄想なので「ならば」以下は意味をなしません
そもそも何を言おうが人の自由です
修行が足りません
> >> 唐突に関係の無い話を持ち出さないこと。
> >
> >唐突で関係のない話ということにしたいのですね
> >いつものよーに
> >はい、はい
>
> ここが、妙な言い訳。
> 私の願望など何の関係も無い話です。
ああ、「言い訳」に感じるんですね(苦笑
そんな貴方の主観などここでは何の関係も無い話です
さっさと本題に戻ること
修行が足りません
In article <arkr8t$dbt$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>, KGK == Keiji KOSAKA <k...@mp.okayama-u.ac.jp> writes
>でもまあ、定義から始めるのが手っ取り早くっていいですよね。
>どういうところが共通認識かが早目に分かるから。
「定義」ってさ、良く読んでみると定義にも何もなってないものが
多いんです。ニュートン力学の力とかもそうだし。量子力学の確率
もそうだし。
それは、ある意味では必然です。言葉自体には意味なんてないから。
それに、なんらかの現実世界または自分の信じている世界をマッピ
ングして初めて意味がつきます。そのマッピングを伝える手段が「
定義」ですよね。
早い話が、定義ってのは「自分のパラダイムに属しているかどうか」
の踏み絵なんだよね。だから、「手っ取り早い」「共通認識」なの
は当り前。
じゃぁ、「定義」そのものを疑いながら行う議論はどうするか?
>逆に端っこの議論を集めて総体的なところに持っていくのも手だけど、それっ
>て結構たいへん。
そういう議論は大変なのが当り前。前にも書いたけど、定義でなけ
れば共有している部分はいろいろあります。そのあたりをいちいち
確認しながら議論すると言う、ちょっと気の遠くなる話になります
ね。
>科学は説明原理の一つなんだから、別の説明原理は科学じゃないんです。
こういう排他的な所も宗教と共有された特徴ですよね。宗教も説明原理
であることが多いし。
>科学と科学技術じゃスコープが違うでしょ。
そうなんですか。
>科学が一つの宗派を作るのに決定的に欠けてるのは、
>・救済のための教義
>・信仰の統一性
>といったあたりじゃないかな。
僕はコンピュータの領域で科学とは少し違うと言われそうですが、
「XX危機を救うXX技術」ってのは結構あって、しかも、UMLとか
統一の好きな人が多いんだよな... 物理でもコペンハーゲン解釈
とか標準理論とか、そのたぐいは結構あるよね。
>これを「科学技術信仰」にまで広げると、一つの宗派だと言ってもあまり違和
>感がないけど、科学単独じゃ役者不足。
そうですか? 僕は、十分、役者は揃っていると思います。
人を驚かすような巨大な構築物
普通の人には理解できないような教義
それを教える機関
個人の理解/悟りに頼るシステム
それに関わるたくさんの人々の階層的な構成
認定組織
政府/権力との継り
ここまで似通ったものを違うと言い張るのは、どうかな。
違うと言う根拠を何に求めてもいいですし、それを「宗教と科学の
定義」して「違う」ということにするのは割と簡単でしょう。(僕
は、再現性とか査読システムとかを良く使うけど) でも、似ている
ことを、ちゃんと認めて、科学の持つ宗教的な部分の働きを科学者
は自覚すべきだと僕は思います。
自分が「原発は安全だ」とか「コンピュータウィルスは危ない」と
かいうことの宗教的効果がないとか考えているんだったら、’それ
は甘すぎる。
#そりゃぁ違う。
「器の小さな人間」は「器の大きな人間」の真似をしたがり、「器の大きな人間」は
「器の小さな人間」の真似等しない。する必要もない。
--
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
Mr.Epi
e...@circus.ocn.ne.jp
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
「そうかも知れない」程度では「人は鏡」の神髄を理解していませんね
内容に違いはあっても「鏡」であることに違いはありませんよ
理解するも何も、君の脳内世界以外では「鏡」であるとは限りませ
ん。
尤も、君の脳内世界では常に「鏡」なのかもしれませんが、そうで
ある(人が鏡である)と思いながら、議論をしているといるとすれば、
よほど、「鏡」に向かって議論するのが好きなのでしょうね。私に
はそんな趣味はありません。
あらら、言い得てますね
一本取られたなこりゃ(^^ゞ
でも「真似ができる」と「真似する必要がある」、「真似ができない」と「真
似する必要がない」は別ですよね
その前に、「真似」を勉強する必要があるみたい。
--
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
Mr.Epi
e...@circus.ocn.ne.jp
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
頼光氏が言い回す「修行云々」を真似する馬鹿がいるが、頼光氏自身が
言いたいが為に使っているのか、それとも、言わせる対象が存在するのか?
やはり「人は鏡」の神髄を理解していないようですね
> 尤も、君の脳内世界では常に「鏡」なのかもしれませんが、そうで
> ある(人が鏡である)と思いながら、議論をしているといるとすれば、
> よほど、「鏡」に向かって議論するのが好きなのでしょうね。私に
> はそんな趣味はありません。
趣味の問題ではありません
全ての人が、鏡に向かって話をしています。鏡同士が鏡同士に、ね
>頼光氏が言い回す「修行云々」を真似する馬鹿がいるが、頼光氏自身が
>言いたいが為に使っているのか、それとも、言わせる対象が存在するのか?
ふむふむふむ・・両者の総意だと思いますね。
貴方様も「馬鹿」という言葉がお好きなようですね。頼光信奉者ですか?
それともエピクロス信奉者ですか?
誰も「エトスの狭義」などという話などしていません。
しかも、エトスの原因が固定観念であるとしても、ここで挙げ
られた両者の関係を damnam 氏は挙げられていませんから、これ
では何も言ったことになりません。
二重の意味で、日本語能力が低すぎます。
修行が足りません。
>尤も、貴方にとっては「悟りと禅は無関係」なのですから無理もありませんが
無文脈で「悟りと禅は無関係」と言えば、一般に偽です。
が、私が使った文脈であれば、真です。
こういう紛らわしい物言いをできてしまうから、日本語のセン
スが向上しないのか、センスがダメだから紛らわしい物言いをし
てしまうのか。
いずれにせよ、修行が足りません。
>#ところで「●●のは原因は」ってどういう意味?
単なる誤記です。正しくは、「のは」→「の」。
>> >> >自分で制御できないんですか?疲れるから長続きしない・・ふむふむ
>> >> >だから同じ念仏を繰り返し唱えるだけに終わるんですね。楽だから
>> >> >まさに、修行が足りない証拠です
>> >>
>> >> 誰もそんな話などしていません。
>> >
>> >俺がしています
>>
>> 提出した事例は、まさに批判された当人一人だけというこ
>> とですね。
>
>よく分かりません。「批判された」の主語と「当人」が誰かを示してください
>#もう少し相手に分かるような日本語を書くよう努めましょう
批判されているのは damnam 氏しか、「当人」とて damnam氏し
か当てはまる可能性がある人物はいません。
こんな選択肢は、フォローアップという記述法から自動的に一意
に決定する話ですが、日本語能力が
>> つまり、唐突に関係の無い話を持ち出したのは自分が一人
>> だけであると認めているということです。
>
>唐突に関係のない話であるとは認めませんが?
ここの論点は「自分が一人」であってその前半はまた別の話で
す。で、後半は、認めているわけですね。
もっとも、damnam 氏が認めるかどうかなど何の関係も無い話で
す。関係が無いのは単なる事実ですから、それを直視できない人は、
単にヘンな人だというだけの話ですね。
>貴方と一緒にしないでね
>#妄想を広げるのは自由ですが
ということにしたいのですね。
>> ならば、妙な言い訳をしていないで本題に戻ること。
>> 修行が足りません。
>
>前提が妄想なので「ならば」以下は意味をなしません
確かに、damnam 氏の妄想だったようですね。
そのリスクは高いのだから、私も勇み足をしたものです。
>そもそも何を言おうが人の自由です
>修行が足りません
言論には責任が伴うということです。
それが弁えられないうちは、単なるヘンな人というだけの話で
すね。
>> >> 唐突に関係の無い話を持ち出さないこと。
>> >
>> >唐突で関係のない話ということにしたいのですね
>> >いつものよーに
>> >はい、はい
>>
>> ここが、妙な言い訳。
>> 私の願望など何の関係も無い話です。
>
>ああ、「言い訳」に感じるんですね(苦笑
私が感じるかどうかなど、なんの関係も無い話です。
むろん、上記の damnam 氏の妄想が混ざらなければ、これが
言い訳であることは論証できますが、ま、意味が無いからやめ
にします。
>そんな貴方の主観などここでは何の関係も無い話です
>さっさと本題に戻ること
>修行が足りません
前提が妄想でしたから、ここは意味を失います。
--
頼光 mailto:rai...@mug.biglobe.ne.jp
この個所については、君の脳内世界を理解できる必要はありません。
君の脳内世界以外では「神髄」でも何でもありません。
> > 尤も、君の脳内世界では常に「鏡」なのかもしれませんが、そうで
> > ある(人が鏡である)と思いながら、議論をしているといるとすれば、
> > よほど、「鏡」に向かって議論するのが好きなのでしょうね。私に
> > はそんな趣味はありません。
> 趣味の問題ではありません
> 全ての人が、鏡に向かって話をしています。鏡同士が鏡同士に、ね
君の脳内世界でそうであることには異議はありません。君以外の人
間はそうではありませんが、君には理解できないだけでしょう。
ほ?
> > でも「真似ができる」と「真似する必要がある」、「真似ができない」と
「真
> > 似する必要がない」は別ですよね
>
> その前に、「真似」を勉強する必要があるみたい。
真似に必要なのは勉強ではなく寧ろ対象への愛です
> 頼光氏が言い回す「修行云々」を真似する馬鹿がいるが、頼光氏自身が
> 言いたいが為に使っているのか、それとも、言わせる対象が存在するのか?
両方でしょう。尤も後者とて彼の頭の中にしか存在しませんが
> > やはり「人は鏡」の神髄を理解していないようですね
>
> この個所については、君の脳内世界を理解できる必要はありません。
その通り。全く必要ありません
鶴さんが理解できない又は理解していない、という事実が残るだけです
> 君の脳内世界以外では「神髄」でも何でもありません。
貴方の脳内世界でそうであることには異議ありません
> > 全ての人が、鏡に向かって話をしています。鏡同士が鏡同士に、ね
>
> 君の脳内世界でそうであることには異議はありません。君以外の人
> 間はそうではありませんが、君には理解できないだけでしょう。
事実は事実。全ての人が、お互いに鏡となって相手を映しています
貴方が目にする存在の一つ一つが、貴方の内面の一側面を表しています
> 誰も「エトスの狭義」などという話などしていません。
貴方がその話をしました↓
>> 「固定観念」の方が、「エトス」よりも狭い概念です。
発言には責任を持ちましょうね
> しかも、エトスの原因が固定観念であるとしても、ここで挙げ
> られた両者の関係を damnam 氏は挙げられていませんから、これ
> では何も言ったことになりません。
ということにしたいのですね
> 二重の意味で、日本語能力が低すぎます。
貴方がね
> >尤も、貴方にとっては「悟りと禅は無関係」なのですから無理もありませ
んが
>
> 無文脈で「悟りと禅は無関係」と言えば、一般に偽です。
> が、私が使った文脈であれば、真です。
真である、ということにしたいのですね
実はそれが偽であることに気付きましょう
> こういう紛らわしい物言いをできてしまうから、日本語のセン
> スが向上しないのか、センスがダメだから紛らわしい物言いをし
> てしまうのか。
貴方のことですね
そうでないなら「あの文脈では真」である事をきちんと説明すること
> >#ところで「●●のは原因は」ってどういう意味?
>
> 単なる誤記です。正しくは、「のは」→「の」。
分かってます。そんな説明よりも「あの文脈で真」の説明をどうぞ。言ってお
きますがReferenceを付けて「既に説明した」では弁明にもなりません
> >> >> >だから同じ念仏を繰り返し唱えるだけに終わるんですね。楽だから
> >> >> >まさに、修行が足りない証拠です
> >> >>
> >> >> 誰もそんな話などしていません。
> >> >
> >> >俺がしています
> >>
> >> 提出した事例は、まさに批判された当人一人だけというこ
> >> とですね。
> >
> >よく分かりません。「批判された」の主語と「当人」が誰かを示してくだ
さい
> >#もう少し相手に分かるような日本語を書くよう努めましょう
>
> 批判されているのは damnam 氏しか、「当人」とて damnam氏し
> か当てはまる可能性がある人物はいません。
まだなんだか意味不明ですね
どの文が「批判し」てたんですか?
「提出した事例」とは何を指しているんですか?
#もう少し相手に分かるような日本語を書くよう努めましょう
> こんな選択肢は、フォローアップという記述法から自動的に一意
> に決定する話ですが、日本語能力が
日本語能力が なんでしょう
思考停止ですか?
それともまた送信前の推敲をさぼったんですか?
サボタージュもほどほどに
修行が足りません
> >> つまり、唐突に関係の無い話を持ち出したのは自分が一人
> >> だけであると認めているということです。
> >
> >唐突に関係のない話であるとは認めませんが?
>
> ここの論点は「自分が一人」であってその前半はまた別の話で
> す。
その前半を否定しています
>で、後半は、認めているわけですね。
いいえ
妄想も大概に
> 確かに、damnam 氏の妄想だったようですね。
いいえ。貴方の妄想だったのです
人は鏡
> >そもそも何を言おうが人の自由です
> >修行が足りません
>
> 言論には責任が伴うということです。
その通り。自覚しましょう
> 私が感じるかどうかなど、なんの関係も無い話です。
関係のある話です
> むろん、上記の damnam 氏の妄想が混ざらなければ、これが
> 言い訳であることは論証できますが、ま、意味が無いからやめ
> にします。
それが寧ろ自分の妄想を明らかにするから論証できないのでしょう。賢明な選
択です
> >そんな貴方の主観などここでは何の関係も無い話です
> >さっさと本題に戻ること
> >修行が足りません
>
> 前提が妄想でしたから、ここは意味を失います。
「本題」の意味が分かっていないようですね
#日本語が通じなかった?
「真似をする」ことを勉強しろとは云っていない。
「真似」の定義を勉強しろ。と指摘しているんですがね。
注:「※」の付いた引用部は、そこへのフォローアップが「とい
うことにしたいのですね」であることを意味します。
In article <as26bu$2v3$1...@fnews11.bbiq.jp>, damnam wrote:
>> 誰も「エトスの狭義」などという話などしていません。
>
>貴方がその話をしました↓
>>> 「固定観念」の方が、「エトス」よりも狭い概念です。
>発言には責任を持ちましょうね
それは、「エトスの狭義」ではありません。
日本語が読めないのですね。
修行が足りません。
>> しかも、エトスの原因が固定観念であるとしても、ここで挙げ
>> られた両者の関係を damnam 氏は挙げられていませんから、これ
>> では何も言ったことになりません。
>
>ということにしたいのですね
私の願望など何の関係も無い話です。
唐突に関係の無い話を持ち出さないこと。
※>> 二重の意味で、日本語能力が低すぎます。
※>
※>貴方がね
>> >尤も、貴方にとっては「悟りと禅は無関係」なのですから無理もありませ
>んが
>>
>> 無文脈で「悟りと禅は無関係」と言えば、一般に偽です。
>> が、私が使った文脈であれば、真です。
>
>真である、ということにしたいのですね
私の願望など何の関係も無い話です。
<ap6gjl$6en$9...@bgsv5906.tk.mesh.ad.jp> において、この件に
ついては既に論証も済んでおり、それに対して damnam 氏は一言
の反論もできていません。。
>実はそれが偽であることに気付きましょう
一言の反論もできていないでこれでは、単なる虚勢です。
修行が足りません。
※>> こういう紛らわしい物言いをできてしまうから、日本語のセン
※>> スが向上しないのか、センスがダメだから紛らわしい物言いをし
※>> てしまうのか。
※>
※>貴方のことですね
>そうでないなら「あの文脈では真」である事をきちんと説明すること
既に済んだ話です。
>> >#ところで「●●のは原因は」ってどういう意味?
>>
>> 単なる誤記です。正しくは、「のは」→「の」。
>
>分かってます。そんな説明よりも「あの文脈で真」の説明をどうぞ。
ここでは、そんな話など何の関係も無い話です。
しかも、「分かってます」とは、何事やら。自分が聞いているの
はまさにそれだというのに、自分が書いた日本語の意味すら理解で
きていないのですね。
>言ってお
>きますがReferenceを付けて「既に説明した」では弁明にもなりません
なるということが、理解できていないのですね。
修行が足りません。
>> >> >> >だから同じ念仏を繰り返し唱えるだけに終わるんですね。楽だから
>> >> >> >まさに、修行が足りない証拠です
>> >> >>
>> >> >> 誰もそんな話などしていません。
>> >> >
>> >> >俺がしています
>> >>
>> >> 提出した事例は、まさに批判された当人一人だけというこ
>> >> とですね。
>> >
>> >よく分かりません。「批判された」の主語と「当人」が誰かを示してくだ
>さい
>> >#もう少し相手に分かるような日本語を書くよう努めましょう
>>
>> 批判されているのは damnam 氏しか、「当人」とて damnam氏し
>> か当てはまる可能性がある人物はいません。
>
>まだなんだか意味不明ですね
下記のように、明白なことばかりですね。
それが意味不明とは、日本語能力が低いにも程があります。
修行が足りません。
>どの文が「批判し」てたんですか?
まさに最初の一文です。
この程度も理解できないとは、日本語能力が低すぎます。
>「提出した事例」とは何を指しているんですか?
「そんな話」をしている人物です。
この程度も理解できないとは、日本語能力が低すぎます。
>#もう少し相手に分かるような日本語を書くよう努めましょう
「相手」が damnam 氏のような低レベルでは、それは無理な注文
です。私は、多くの人同様、普通のレベルの人に十分わかるような
日本語を書いていますが、そこまで低レベルを相手には、できませ
ん。
>> こんな選択肢は、フォローアップという記述法から自動的に一意
>> に決定する話ですが、日本語能力が
>
>日本語能力が なんでしょう
「足りないと理解できないのでしょう」です。
>思考停止ですか?
>それともまた送信前の推敲をさぼったんですか?
いいえ。見落としただけです。
※>サボタージュもほどほどに
※>修行が足りません
>> >> つまり、唐突に関係の無い話を持ち出したのは自分が一人
>> >> だけであると認めているということです。
>> >
>> >唐突に関係のない話であるとは認めませんが?
>>
>> ここの論点は「自分が一人」であってその前半はまた別の話で
>> す。
>
>その前半を否定しています
後半と併せると、すべてが妄想だったということですね。
妄想も大概に。
>>で、後半は、認めているわけですね。
>
>いいえ
>妄想も大概に
つまりこれは、日本語が正しくかけていないということです。
修行が足りません。
※>> 確かに、damnam 氏の妄想だったようですね。
※>
※>いいえ。貴方の妄想だったのです
※>人は鏡
>> >そもそも何を言おうが人の自由です
>> >修行が足りません
>>
>> 言論には責任が伴うということです。
>
>その通り。自覚しましょう
そう宣言するのなら、妄言ばかりばらまくのを止めること。
現状、それを自覚した行動のできていない人物を探すと、damnam
氏が五指にもれることはまず無い状態にあります。
※>> 私が感じるかどうかなど、なんの関係も無い話です。
※>
※>関係のある話です
※>> むろん、上記の damnam 氏の妄想が混ざらなければ、これが
※>> 言い訳であることは論証できますが、ま、意味が無いからやめ
※>> にします。
※>
※>それが寧ろ自分の妄想を明らかにするから論証できないのでしょう。
※>賢明な選択です
関係ない話はしない、というのはこういうことです。
修行が足りません。
※>> >そんな貴方の主観などここでは何の関係も無い話です
※>> >さっさと本題に戻ること
※>> >修行が足りません
※>>
※>> 前提が妄想でしたから、ここは意味を失います。
※>
※>「本題」の意味が分かっていないようですね
※>修行が足りません
--
頼光 mailto:rai...@mug.biglobe.ne.jp
君の脳内世界でそうであることには異議はありません。
その「事実」はdamnam氏の主観とdamnam言語の世界での「事実」
ですから、その通りでしょう。
"Shin-ichi TSURUTA" <s...@emit.jp> wrote in message
news:as2s7h$1g17$1...@nwall2.odn.ne.jp...
> 君の脳内世界でそうであることには異議はありません。
貴方は年が明けるまでに後3回は同じセリフを言うでしょう(予言)
"Mr.Epi" <e...@circus.ocn.ne.jp> wrote in message
news:as288j$jdh$1...@nn-os105.ocn.ad.jp...
> > > その前に、「真似」を勉強する必要があるみたい。
> >
> > 真似に必要なのは勉強ではなく寧ろ対象への愛です
>
> #日本語が通じなかった?
> 「真似をする」ことを勉強しろとは云っていない。
> 「真似」の定義を勉強しろ。と指摘しているんですがね。
ああ、真似の「定義」ですか
#最初からそういえば通じるものを
勉強する必要は、ありません(きっぱり)
勉強する必要があるとすれば、寧ろ貴方が何を根拠に「damnamは真似の定義を
勉強する必要がある」と感じたのか、です
Epiさんは真似の「定義」を勉強済みのようですから、どこがどう勉強不足な
のか、示せる筈ですよね?
ごくろーちゃん
> それは、「エトスの狭義」ではありません。
日本語が読めないのですね
「エトスの狭義」であるかどうか、などという話ではありません
「固定観念はエトスの狭義である」と言ったのは、貴方である、と言っている
のです。そしてそれは事実です↓
>> >固定観念のことでしょ
>>
>> そう呼ぶことも可能ですが、意味がかなり限定されますね。
>> 「固定観念」の方が、「エトス」よりも狭い概念です。
つまり貴方のこれ↓(再掲)は、自己矛盾も甚だしい、ということです
> >>誰も「エトスの狭義」などという話などしていません。
何故ならエトスの狭義を持ち出したのは貴方自身なのですから
発言には責任を持ちましょうね
これだけ説明しても理解できないなら5963回読み直すこと
> 私の願望など何の関係も無い話です。
> 唐突に関係の無い話を持ち出さな
ということにしたいのですね
> 私の願望など何の関係も無い話です。
> <ap6gjl$6en$9...@bgsv5906.tk.mesh.ad.jp> において、この件に
> ついては既に論証も済んでお
ということにしたいのですね
> 一言の反論もできていないでこれでは、単なる虚
ということにしたいのですね
> >そうでないなら「あの文脈では真」である事をきちんと説明すること
>
> 既に済んだ話です。
そう言って逃げるのが関の山であることは分かっています
> しかも、「分かってます」とは、何事やら。自分が聞いているの
> はまさにそれだというのに、自分が書いた日本語の意味すら理解
あれま。とうとう揶揄と質問の区別も付かなくなったようですね
とんだ頓珍漢ロジッ子ですね
これでは先が思いやられます
> なるということが、理解できていないのですね。
いいえ
貴方が「ならないということが、理解できていない」から、相手が理解できて
いないように見えるのでしょう
人は鏡
> >どの文が「批判し」てたんですか?
>
> まさに最初の一文です。
ははあ、なるほど。これ↓が「批判」に感じたんですね
> >> >> >> >だから同じ念仏を繰り返し唱えるだけに終わるんですね
これは単なる事実の記述です
被害妄想も大概に
> この程度も理解できないとは、日本語能力が低すぎます。
他人のせいにする前に己の日本語能力を磨きなさい
「地位」と「立場」の使い分けはマスターしたんですか?
> >「提出した事例」とは何を指しているんですか?
>
> 「そんな話」をしている人物です。
はへ?「事例」が「人物」を指すんですか?
そうすると面白い文章ができますね
ここで「そんな話」をしている人物は「damnam」なので
> >> >> 提出した事例は、まさに批判された当人一人だけというこ
> >> >> とですね。
という文章から、こういうワケの分からない駄文が出来上がります↓
「damnamは、まさに「念仏を繰り返して終わる」と批判されたdamnam一人だけ
ということですね」
何を言いたいのか、それとも単に世界中に馬鹿を自慢したいのか、はっきりす
ること
> 「相手」が damnam 氏のような低レベルでは、それは無理な注文
> です。私は、多くの人同様、普通のレベルの人に十分わかるような
> 日本語を書いていますが、そこまで低レベルを相手には、できませ
人は鏡
> 「足りないと理解できないのでしょう」です。
貴方の脳味噌が?でしょうね
> いいえ。見落としただけです。
要するに推敲をさぼったんですね
サボタージュもほどほどに
> 後半と併せると、すべてが妄想だったということですね。
その通り。すべてが貴方の妄想だったのです
よく気が付きました。エライエライ
> つまりこれは、日本語が正しくかけていないということです。
貴方がね
> そう宣言するのなら、妄言ばかりばらまくのを止めること。
貴方がね
> 関係ない話はしない、というのはこういうことです。
関係ないと思うなら最初から引用しないことです
脳味噌が足りません
> 河野 真治@琉球大情報工学です。
> In article <arkr8t$dbt$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>, KGK == Keiji KOSAKA <k...@mp.okayama-u.ac.jp> writes
>> 逆に端っこの議論を集めて総体的なところに持っていくのも手だけど、それっ
>> て結構たいへん。
> そういう議論は大変なのが当り前。前にも書いたけど、定義でなけ
> れば共有している部分はいろいろあります。そのあたりをいちいち
> 確認しながら議論すると言う、ちょっと気の遠くなる話になります
> ね。
そういう大変さもあるけど、「今そういうタイプの議論をしてる」というコン
センサスがないと話が進みようがないってのもあります。
単純に端っこの議論をしてると思われると議論がまとまるはずもないし、下手
をすると部分的なことで全体を規定しようとしてるように見られて、不要な反
発を生んでしまう。
「まず、共有できる認識とか認識の幅とかを探ってみようよ」ってので宣言し
とけば少しはましかな?
>> 科学は説明原理の一つなんだから、別の説明原理は科学じゃないんです。
> こういう排他的な所も宗教と共有された特徴ですよね。宗教も説明原理
> であることが多いし。
宗教が説明原理なわけじゃなくって、宗教が説明原理を内包してるだけだと思
うけどなあ。
で、宗教は信仰のレベルで違うとアウトだけど、科学は信仰が違っても大丈夫。
この差はどういうことかというと、科学の場合「何信じてもいいけど、説明の
しかただけは共通にしとこうよ」ってことになる。
>> 科学と科学技術じゃスコープが違うでしょ。
> そうなんですか。
科学ってのは説明の仕方を考えるのが仕事で、技術ってのは作り方を考えるの
が仕事でしょ。
日本人は割と「科学技術」と一緒くたにして考えて、しかも技術寄りの捉えか
たをしたがるから、科学単体の役目が見えにくくなってんだよね。
>> 科学が一つの宗派を作るのに決定的に欠けてるのは、
>> ・救済のための教義
>> ・信仰の統一性
>> といったあたりじゃないかな。
> 僕はコンピュータの領域で科学とは少し違うと言われそうですが、
> 「XX危機を救うXX技術」ってのは結構あって、しかも、UMLとか
> 統一の好きな人が多いんだよな... 物理でもコペンハーゲン解釈
> とか標準理論とか、そのたぐいは結構あるよね。
科学の特徴として統一性を求めたがるってのは確かにありますが、信仰の統一
性なんてのは考えてないんじゃない?
クリスチャンだろうがイスラム教徒だろうが仏教徒だろうが、全然排斥しない
よね?
排他的ってのだけ見ると共通してるように見えるけど、科学の排他の基準が信
仰とは直交してると考えないと、そういうのは説明できないよね?
>> これを「科学技術信仰」にまで広げると、一つの宗派だと言ってもあまり違和
>> 感がないけど、科学単独じゃ役者不足。
> そうですか? 僕は、十分、役者は揃っていると思います。
> 人を驚かすような巨大な構築物
これはどっちかいうと技術の問題だよね?
> 普通の人には理解できないような教義
> それを教える機関
> 個人の理解/悟りに頼るシステム
> それに関わるたくさんの人々の階層的な構成
> 認定組織
> 政府/権力との継り
> ここまで似通ったものを違うと言い張るのは、どうかな。
似てるところはあるでしょうね。
でも、
・信仰の共存性
・救済という目的の欠如
があると、例えばキリスト教や仏教と並ぶ立場として科学を置くのは無理。
# 「救済という目的の欠如」ってのは「誰も救済なんて考えてない」ってこと
# じゃなくって、「救済目的じゃなくても科学と言える」って話。
> でも、似ている
> ことを、ちゃんと認めて、科学の持つ宗教的な部分の働きを科学者
> は自覚すべきだと僕は思います。
それはもちろんそう。
で、「似てる」と「同じ」は違うんだから、そういうことを言いたいんだった
ら、「科学は宗教だ」って切口じゃなく、「科学と宗教っていろいろ似てるよ
ね」って切口の方がいいんじゃない?
それだと、個々の似てる部分についての見解の相違はあるにしても、おおむね
の合意は得られるでしょう。
# で、似てるとまずい部分に踏み込んで議論するとベター。
--
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KGK KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ. KGK
KGK k...@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ KGK
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
> In article <arktc8$dv9$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>, KGK == Keiji KOSAKA wrote:
>> 何かを理解するというは、既に自分の中にある基準に照し合わせて自分の体系
>> の中での位置付けを決定することですよね。
>> で、その基準自体も理解の対象になるけど、それには別の基準が必要になる。
>> その基準が自己無撞着にできてれば、それ以上動きようがない。
>> 普段はそうやって比較的に安定な基準で物事を認識し、理解してるわけです。
> その定義は特に私も違和感はありませんが、基準というものの形態が
> どうあるべきか、いまいち具体的にイメージできません。
> 例えば、どういうイメージでしょう?
何となく価値観に関わることを思い浮かべてたんですが、
例えば、Diracみたいにsimple and elegantな理論に価値を置く人と、Feynman
みたいに「とにかく使えること」に価値を置く人と、ある種の芸術家のように
「複雑で巧緻なこと」に価値を置く人では、同じ対象を理解するのに、理解の
仕方が違いますよね?
>> これが、価値観が根底から変わるようなことがあると、基準を一から組み立て
>> 直すはめになって、前とは違う理解のしかたをするようになる。
>> そうすると、前の理解の仕方が価値の低いものに見えるようになるから、不可
>> 逆プロセスになる。
>>
>> ってのが、パラダイムの転換や信仰獲得の素過程じゃないかなあ。
> 概ね同感ですが、「素」というのは?
表面的な過程としては、例えば、
「身近な人が死んだ→お坊さんの話が琴線に触れた→仏教の特定の宗派を信仰
するようになった」
なんて話になるわけですが、内部的には上のような過程になるんじゃないかな
あってのと、上の過程は一度起こればそれっきりってわけじゃなくて、安定す
るまで短期間に何回か繰り返されるんじゃないかなってところで「素」。
In article <as9ue5$3c8$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp>, KGK == Keiji KOSAKA <k...@mp.okayama-u.ac.jp> writes
>で、「似てる」と「同じ」は違うんだから、そういうことを言いたいんだった
>ら、「科学は宗教だ」って切口じゃなく、「科学と宗教っていろいろ似てるよ
>ね」って切口の方がいいんじゃない?
あぁ、そういう感じで納得していただけるなら、それでいいです。
なんかさ、60年代の「科学技術、原子力がすべてを解決する~」み
たいなのって、科学者の持っている「科学と宗教は違うんだ」みた
いなのと、かなりずれがあったと思う。そういうものに乗ってしま
ったところもあると思うんだ。インターネットバブルの一端を担い
だ人も結構いると思うし。一方で、「科学と政治は関係ない」みた
いな感じで象牙の塔にこもる感じもあったんだよね。
このあたりと「科学と宗教は違うんだ」ってのは、外部から見た
外延的な議論と、内部から見た内包的な議論と両方あると思う。
>そういう大変さもあるけど、「今そういうタイプの議論をしてる」というコン
>センサスがないと話が進みようがないってのもあります。
>単純に端っこの議論をしてると思われると議論がまとまるはずもないし、下手
>をすると部分的なことで全体を規定しようとしてるように見られて、不要な反
>発を生んでしまう。
コンセンサスを宗教側と科学側で取れると仮定して議論するわけで
すよね? そういう議論は必然的に内包的になると思う。反対にコン
センサスそのものを議論すると外延的なものになるんでしょうね。
で、わりと結論は見えていて、内包的に議論すれば、それに従って、
全ての宗教(科学を含めて)は、別物だってことになるでしょう。で
も、そういうコンセンサス(つまりは、世界はなにものなのかって
いうこと)が得られるとは思えないんだよな...
外延的に議論すれば、結局、世界を認識する方法はたくさんあるっ
てくらいしかコンセンサスにはなり得なくて、そのレベルでは、宗
教と科学の区別は付かないと思う。
でも、別物だって言い張る程、宗教ってぱちもんじゃないとも思い
ます。そう思っているなら、それは偏見だと思う。「いろんな神様
がいますねぇ...」みたいな宗教もあります。
KOSAKA さんも、自分が測定し理論化している宇宙は、おそらく
人知を越えた整合性を持って存在していると信じていると思います。
それを実験することは出来ないよね。
まぁ、それが神みたいな人格を持っているとは思わないだろうけど。
でも、宗教に出て来る神の人格って言うのも、実は、普通の人格と
はずいぶん違うものだと思われているみたい。もちろん、普通の人
みたいなものいるけど、世界を創造しちゃうような神様は、割と、
非人格的ですね。それは、世界自体が非人格的なんだから、整合性
を重んじる宗教ならそうならざるを得ないと思う。そうでない宗教
もたくさんあるけど。
これに対してdamnamさんは
In article <arnhvi$1d4$1...@fnews11.bbiq.jp>, damnam wrote:
>「固定観念はエトスの狭義でう髟阡擦襦・・w)w)と記述されています
すなわち・髟阡・・籬邇瘢さんがはじめに頼光さんの記述を間違って解・・瓩靴等・w)「エトスの狭義」なる概念を提出しています。
これに対して頼光さんが「エトスの狭義」などと言う瘢雹話をしていないと
否定するのは当然の流れではないでしょう瘢雹か?
> つまり貴方のこれ・・・?丙瞳如砲蓮・・・・・・別圭發眇咾世靴ぁ・・・という瘢雹ことです
> > >>誰も「エトスの狭義」などという瘢雹話などしていません。
> 何故ならエトスの狭義を持ち出したのは貴方・・・箸覆里任垢・・・w)・・?凾タ発言には責任を持ちましょう瘢雹ね
>
したがって・髟阡殺苳晒なくとも頼光さんが・・・別圭發魄??・海靴討い・・w)という瘢雹よりdamnamさんが誤解している様に見て・・茲譴泙后・・w)w)・・?凾タこれだけ説明しても理解できないなら5963回読み彫苳擦垢海漠・w)・・?丘凾タまずはdamnamさんが一櫓髟阡擦療蟾討紡个靴豆踉斬践されることを
強く勧めます。
news:arp9aa$akh$1...@nn-os105.ocn.ad.jp...
> 「器の小さな人間」は「器の大きな人間」の真似をしたがり、「器の大きな人間」は
> 「器の小さな人間」の真似等しない。する必要もない。
この時点で指摘はしている。
> 勉強する必要は、ありません(きっぱり)
> 勉強する必要があるとすれば、寧ろ貴方が何を根拠に「damnamは真似の定義を
> 勉強する必要がある」と感じたのか、です
> Epiさんは真似の「定義」を勉強済みのようですから、どこがどう勉強不足な
> のか、示せる筈ですよね?
遡れば理解できるはずですが。
news:armjm9$mqn$8...@fnews11.bbiq.jp...
> 但し、俺はそれを理解しかつ意図的にそうしています。器の小さな人間には器
> の大きな人間の真似はできませんが、器の大きな人間は器の小さな人間の真似
> は幾らでも出来る、ということです
「真似」を器の小さな人間が大きな人間に対しては出来ないものとし、器の大きな
人間が器の小さな人間に対しては出来るものとしている。
辞書からすると、全く逆だと理解できるんだが。
--
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
Mr.Epi
e...@circus.ocn.ne.jp
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
どのように「理解」をし、どのような「意図」があるのか説明してもらいたいもんだが。
--
やまもといちろう(二代目)
"Fancy" <fan...@mail.goo.ne.jp> wrote in message news:580a10a1.02113...@posting.google.com...
---------------------ここから-------------------------------
damnamさんは頼光さんが「エトスの狭義」なる言葉を最初に用いたと
主張されているようですがそれはちょっと勘違いではないでしょうか?
"damnam" <dam...@qtnet.ne.jp> wrote in message news:<as7bt2$gpk$1...@fnews11.bbiq.jp>...
> "頼光" <rai...@mug.biglobe.ne.jp> wrote in message
> news:as2aoo$gcn$1...@bgsv5906.tk.mesh.ad.jp...
> > それは、「エトスの狭義」ではありません。
>
> 日本語が読めないのですね
> 「エトスの狭義」であるかどうか、などという話ではありません
> 「固定観念はエトスの狭義である」と言ったのは、貴方である、と言っている
> のです。そしてそれは事実です↓
>
> >> >固定観念のことでしょ
> >>
> >> そう呼ぶことも可能ですが、意味がかなり限定されますね。
> >> 「固定観念」の方が、「エトス」よりも狭い概念です。
>
どうやら、頼光さんのこの一文を持って、「エトスの狭義」という概念を
提出していると主張されているようですが、どう読んでもそのようには
読みとれません。私の日本語力の問題でないならばこの分は次のような
意味として読みとるのが一般的ではないでしょうか?
固定観念とエトスを比較したときエトスの方がより狭義である。
これに対してdamnamさんはどうやら誤読してしまい次のような主張を
展開されています。
In article <arnhvi$1d4$1...@fnews11.bbiq.jp>, damnam wrote:
>「固定観念はエトスの狭義である」
>「エトスの原因は固定観念である」
>非常に密接な話ですね
ここでdamnamさんは明らかに「固定観念はエトスの狭義である」と
主張されていますが、それ以前の頼光さんの投稿には前述の「固定観念」と
「エトス」を比較した主張しか記述されておらず、内容的には食い違いが
生じています。
したがって、damnamさんの投稿に対して頼光さんが次のようにフォローするのは
必然ではないでしょうか?
"頼光" <rai...@mug.biglobe.ne.jp> wrote in message
news:artg0l$2kn$1...@bgsv5906.tk.mesh.ad.jp...
> 誰も「エトスの狭義」などという話などしていません。
従って、次のような主張は的外れなものではないでしょうか?
> つまり貴方のこれ↓(再掲)は、自己矛盾も甚だしい、ということです
> > >>誰も「エトスの狭義」などという話などしていません。
> 何故ならエトスの狭義を持ち出したのは貴方自身なのですから
> 発言には責任を持ちましょうね
>
まずはご自身が実施された方が良いのではないでしょうか?
> これだけ説明しても理解できないなら5963回読み直すこと
In article <as7bt2$gpk$1...@fnews11.bbiq.jp>, damnam wrote:
>> 注:「※」の付いた引用部は、そこへのフォローアップが「とい
>> うことにしたいのですね」であることを意味します。
>
>ごくろーちゃん
翻訳すると、「全て願望だったので、反論できません」という
ことですね。
修行が足りません。
>> それは、「エトスの狭義」ではありません。
>
>日本語が読めないのですね
>「エトスの狭義」であるかどうか、などという話ではありません
>「固定観念はエトスの狭義である」と言ったのは、貴方である、と言っている
>のです。そしてそれは事実です↓
日本語が読めないのですね。
修行が足りません。
>>> >固定観念のことでしょ
>>>
>>> そう呼ぶことも可能ですが、意味がかなり限定されますね。
>>> 「固定観念」の方が、「エトス」よりも狭い概念です。
>
>つまり貴方のこれ↓(再掲)は、自己矛盾も甚だしい、ということです
>> >>誰も「エトスの狭義」などという話などしていません。
>何故ならエトスの狭義を持ち出したのは貴方自身なのですから
>発言には責任を持ちましょうね
>
>これだけ説明しても理解できないなら5963回読み直すこと
この記述は、日本語が読めていないことの宣言でしかないこ
とを自覚することです。
ポイントを指摘しておくと、「XはAより意味が狭い」とい
う言葉は、「XはAの狭義」と言い換えることはできません。
ま、現段階で damnam 氏にこれが理解できるとは思いませんが。
修行が足りません。
>> 私の願望など何の関係も無い話です。
>> 唐突に関係の無い話を持ち出さな
>
>ということにしたいのですね
私の願望など何の関係も無い話です。
唐突に関係の無い話を持ち出さな
>> 私の願望など何の関係も無い話です。
>> <ap6gjl$6en$9...@bgsv5906.tk.mesh.ad.jp> において、この件に
>> ついては既に論証も済んでお
>
>ということにしたいのですね
私の願望など何の関係も無い話です。
唐突に関係の無い話を持ち出さな
>> 一言の反論もできていないでこれでは、単なる虚
>
>ということにしたいのですね
私の願望など何の関係も無い話です。
唐突に関係の無い話を持ち出さな
>> >そうでないなら「あの文脈では真」である事をきちんと説明すること
>>
>> 既に済んだ話です。
>
>そう言って逃げるのが関の山であることは分かっています
ということにしたいのですね
>> しかも、「分かってます」とは、何事やら。自分が聞いているの
>> はまさにそれだというのに、自分が書いた日本語の意味すら理解
>
>あれま。とうとう揶揄と質問の区別も付かなくなったようですね
>とんだ頓珍漢ロジッ子ですね
>これでは先が思いやられます
私としては、こういう自白が得られようと、「damnam 氏は
自分が書いた日本語の意味すら理解できていない」という点
の確認ができようと、どちらでも構わない話です。
つまり、damnam 氏はここでも「議論をしていない」と自白
しているわけです。NewsGroup の選択が誤っていることが、
ここからも言えるわけですね。
修行が足りません。
>> なるということが、理解できていないのですね。
>
>いいえ
>貴方が「ならないということが、理解できていない」から、相手が理解できて
>いないように見えるのでしょう
>人は鏡
見える見えないの話に矮小化したいのでしょうが、無理で
す。References: によって記事は特定され、そこを見れば解
説の記述があるということは単なる事実です。
つまり、単なる事実を damnam 氏が理解していないという
だけの話です。
修行が足りません。
>> >どの文が「批判し」てたんですか?
>>
>> まさに最初の一文です。
>
>ははあ、なるほど。これ↓が「批判」に感じたんですね
>> >> >> >> >だから同じ念仏を繰り返し唱えるだけに終わるんですね
なんとも、頓珍漢ですね。[☆]
文脈というものが捉えれないことが、ここからも分かりま
す。批判の主体は私なのだから、私の発言の中から「最初の
一文」は探さなければなりません。
日本語能力が低すぎます。
修行が足りません。
>これは単なる事実の記述です
ということにしたいのですね。
>被害妄想も大概に
ということにしたいのですね。
>> この程度も理解できないとは、日本語能力が低すぎます。
>
>他人のせいにする前に己の日本語能力を磨きなさい
「他人(damnam 氏)のせい」であることは、単なる事実です。
修行が足りません。
>「地位」と「立場」の使い分けはマスターしたんですか?
妄想は分かりましたが、そもそも NetNews は妄想を垂れ流す場で
はありません。
修行が足りません。
>> >「提出した事例」とは何を指しているんですか?
>>
>> 「そんな話」をしている人物です。
>
>はへ?「事例」が「人物」を指すんですか?
その通り。
>そうすると面白い文章ができますね
そう感じるのは、日本語能力が低いからです。
修行が足りません。
>ここで「そんな話」をしている人物は「damnam」なので
>> >> >> 提出した事例は、まさに批判された当人一人だけというこ
>> >> >> とですね。
>という文章から、こういうワケの分からない駄文が出来上がります↓
>「damnamは、まさに「念仏を繰り返して終わる」と批判されたdamnam一人だけ
>ということですね」
>
>何を言いたいのか、それとも単に世界中に馬鹿を自慢したいのか、はっきりす
>ること
[☆]部で上述した頓珍漢な誤読を引きずると、こういう間抜けな
話になるわけですね。
修行が足りません。
>> 「相手」が damnam 氏のような低レベルでは、それは無理な注文
>> です。私は、多くの人同様、普通のレベルの人に十分わかるような
>> 日本語を書いていますが、そこまで低レベルを相手には、できませ
>
>人は鏡
ということにしたいのですね。
>> 「足りないと理解できないのでしょう」です。
>
>貴方の脳味噌が?でしょうね
ということにしたいのですね。
>> いいえ。見落としただけです。
>
>要するに推敲をさぼったんですね
>サボタージュもほどほどに
ということにしたいのですね。
>> 後半と併せると、すべてが妄想だったということですね。
>
>その通り。すべてが貴方の妄想だったのです
>よく気が付きました。エライエライ
ということにしたいのですね。
妄想は分かりましたが、そもそも NetNews は妄想を垂れ流す場で
はありません。
修行が足りません。
>> つまりこれは、日本語が正しくかけていないということです。
>
>貴方がね
ということにしたいのですね。
妄想は分かりましたが、そもそも NetNews は妄想を垂れ流す場で
はありません。
修行が足りません。
>> そう宣言するのなら、妄言ばかりばらまくのを止めること。
>
>貴方がね
ということにしたいのですね。
妄想は分かりましたが、そもそも NetNews は妄想を垂れ流す場で
はありません。
修行が足りません。
>> 関係ない話はしない、というのはこういうことです。
>
>関係ないと思うなら最初から引用しないことです
>脳味噌が足りません
ここも、damnam 氏が文脈の理解ができないことを示しています。
「最初」においては関係あると考えており、従って書くことは正
当です。その後、damnam 氏が妄想を抱いていたことが判明して関係
が無くなったという流れにあります。
この程度の時系列管理もできていないわけです。
なるほど。そういうイメージですね。
分かります。
>>> これが、価値観が根底から変わるようなことがあると、基準を一から組み立て
>>> 直すはめになって、前とは違う理解のしかたをするようになる。
>>> そうすると、前の理解の仕方が価値の低いものに見えるようになるから、不可
>>> 逆プロセスになる。
>>>
>>> ってのが、パラダイムの転換や信仰獲得の素過程じゃないかなあ。
>
>> 概ね同感ですが、「素」というのは?
>
>表面的な過程としては、例えば、
>「身近な人が死んだ→お坊さんの話が琴線に触れた→仏教の特定の宗派を信仰
> するようになった」
>なんて話になるわけですが、内部的には上のような過程になるんじゃないかな
>あってのと、上の過程は一度起こればそれっきりってわけじゃなくて、安定す
>るまで短期間に何回か繰り返されるんじゃないかなってところで「素」。
了解です。
例えば、洗脳のプロセスにおけるロックオンは、これを効率的に行お
うという技法だと捕らえることができますね。
--
頼光 mailto:rai...@mug.biglobe.ne.jp
すみません、Fancyさん、文字化けが酷いので再度ご投稿下さい
「言い得てますね」と答えませんでしたっけ
> 遡れば理解できるはずですが。
それはそれで理解したから「言い得てますね」と答えたんですが
> 辞書からすると、全く逆だと理解できるんだが。
「出来る」と「する」の違いについてはご理解いただけたんでしょうか
> どのように「理解」をし、どのような「意図」があるのか説明してもらい
たいもんだが。
「真似できること」と「真似すること」は別ですよね?それはご理解頂けてい
るのでしょうか
いいえ。
「出来る」「する」の違いより、「真似」そのものの定義がいいかげんだと言っているので
す。
#「出来る」能力・可能性が存在したとしても、そこに「する」と言う現実・事実が存在する
#とは限らない。
?????,???????????
news:<580a10a1.02120...@posting.google.com>...
そうですね。即「狭義」というにはやや勇み足とは自分でも思っています
が、議論の上では取るに足らぬ些細な事です
> どうやら、頼光さんのこの一文を持って、「エトスの狭義」という概念を
> 提出していると主張されているようですが、どう読んでもそのようには
> 読みとれません。私の日本語力の問題でないならばこの分は次のような
> 意味として読みとるのが一般的ではないでしょうか?
>
> 固定観念とエトスを比較したときエトスの方がより狭義である。
しかし全く別物ではないことは彼の「そう呼ぶことも可能」が示しています
> > >> >固定観念のことでしょ
> > >>
> > >> そう呼ぶことも可能ですが、意味がかなり限定されますね。
> > >> 「固定観念」の方が、「エトス」よりも狭い概念です。
てゆか話が違う云々などどうでもいいことを一々ネチネチ論うのは不毛なので
大概にして、もっと本質的な「エトスの原因が固定観念であるかどうか」等に
ついて議論すればいいと思うのですが
仮に「より狭義だ」としてもこの二つの命題を「全然関係ない」と言うのは頓
珍漢ロジッ子だけでしょう
>「固定観念はエトスより狭義である」
>「エトスの原因は固定観念である」
その主張はちょっとおかしいのではないでしょうか?
ましてや「議論の上ではとるに足らぬ些細な事」と切って捨ててしまう姿勢は
議論をする姿勢としては謝っているのではないでしょうか?
少なくとも相手の主張を有る程度正確に読みとった上で自身の主張を展開する
事は議論する上で一番重要な点ではないでしょうか?
相手の主張を誤った形で読みとり、それを元に主張を展開するという行為は
議論という枠組みを真っ向から否定し、ほとんど言いがかりの世界に突入して
しまっているといえるのではないでしょうか?
> > どうやら、頼光さんのこの一文を持って、「エトスの狭義」という概念を
> > 提出していると主張されているようですが、どう読んでもそのようには
> > 読みとれません。私の日本語力の問題でないならばこの分は次のような
> > 意味として読みとるのが一般的ではないでしょうか?
> >
> > 固定観念とエトスを比較したときエトスの方がより狭義である。
>
> しかし全く別物ではないことは彼の「そう呼ぶことも可能」が示しています
>
ここで固定観念とエトスが別物かどうか問題にされていないと思うのですが?
頼光さんは「固定観念がエトスの狭義である」という主張を自身はしていない
と主張されているのであって、別物かどうかについては言及されていないのでは
無いでしょうか?
> > > >> >固定観念のことでしょ
> > > >>
> > > >> そう呼ぶことも可能ですが、意味がかなり限定されますね。
> > > >> 「固定観念」の方が、「エトス」よりも狭い概念です。
>
> てゆか話が違う云々などどうでもいいことを一々ネチネチ論うのは不毛なので
> 大概にして、もっと本質的な「エトスの原因が固定観念であるかどうか」等に
> ついて議論すればいいと思うのですが
ここはその通りだと思いますが、
これに対しては頼光さんは「固定観念はエトスより狭い概念」
で有ると答えていますよね?そのこたえが正しいかどうかはそれこそ議論の
対象だとは思うのですが、如何でしょう?
問題はこの頼光さんの主張を誤読して「エトスの狭義」であるとdamnamさんが
フォローしたことであり、これに対して頼光さんが違いを明確に指摘せず
ただ単に「関係ないこと」としたことではないでしょうか?
> 仮に「より狭義だ」としてもこの二つの命題を「全然関係ない」と言うのは頓
> 珍漢ロジッ子だけでしょう
> >「固定観念はエトスより狭義である」
> >「エトスの原因は固定観念である」
ちなみにこの二つの命題が「全然関係ない」などとは主張されておらず
「固定観念はエトスより狭い概念である」という頼光さんの主張に対して
damnamさんの「固定観念はエトスの狭義である」という主張は「全然関係ない」
と主張されているのではないでしょうか?
どうも相手の話を勝手に誤読した上で頓珍漢な問答を展開されているのは
damnamさんのように感じられます。改めて一連のスレッドを読み返されては
如何でしょうか?
まずそれを理解しましょう
> 「出来る」「する」の違いより、「真似」そのものの定義がいいかげんだ
と言っているので
> す。
あ、すみません。「する」ではなく「する必要がある」でした
> #「出来る」能力・可能性が存在したとしても、そこに「する」と言う現実
・事実が存在する
> #とは限らない。
「する必要がある」とした上で、再度仰ってください
ぱそこんのちょうしがわるいのでしばらくおやすみします
"Fancy" <fan...@mail.goo.ne.jp> wrote in message
news:580a10a1.02120...@posting.google.com...
> > そうですね。即「狭義」というにはやや勇み足とは自分でも思っています
> > が、議論の上では取るに足らぬ些細な事です
> >
> すみません、これはどういう意味でしょうか?
> 頼光さんの主張を「狭義」と解釈したことが勇み足ということですか?
> それとも「エトスの狭義」を頼光さんが最初に発言したことが勇み足であっ
た
> ということでしょうか?
前者です
てゆか「エトスの狭義」を最初に発言したのは俺ですよ(23日)
> その主張はちょっとおかしいのではないでしょうか?
> ましてや「議論の上ではとるに足らぬ些細な事」と切って捨ててしまう姿勢
は
> 議論をする姿勢としては謝っているのではないでしょうか?
謝ってはいません。誤ったという見方はできるでしょうけど
> 少なくとも相手の主張を有る程度正確に読みとった上で自身の主張を展開す
る
> 事は議論する上で一番重要な点ではないでしょうか?
全くその通りですね。異議なしです
> 相手の主張を誤った形で読みとり、それを元に主張を展開するという行為は
> 議論という枠組みを真っ向から否定し、ほとんど言いがかりの世界に突入し
て
> しまっているといえるのではないでしょうか?
誤解されたと感じたならば「それは違う。真意はこれこれこうだ」と説明すれ
ばいいだけの話です。それが議論というものではないでしょうか?
> > > どうやら、頼光さんのこの一文を持って、「エトスの狭義」という概念
を
> > > 提出していると主張されているようですが、どう読んでもそのようには
> > > 読みとれません。私の日本語力の問題でないならばこの分は次のような
> > > 意味として読みとるのが一般的ではないでしょうか?
> > >
> > > 固定観念とエトスを比較したときエトスの方がより狭義である。
> >
> > しかし全く別物ではないことは彼の「そう呼ぶことも可能」が示していま
す
> >
> ここで固定観念とエトスが別物かどうか問題にされていないと思うのですが
?
「そう呼ぶことも可能」ということは、少なくとも「別物である」とは言って
いないと読みとれますよね。それを言っているだけです
> > てゆか話が違う云々などどうでもいいことを一々ネチネチ論うのは不毛な
ので
> > 大概にして、もっと本質的な「エトスの原因が固定観念であるかどうか」
等に
> > ついて議論すればいいと思うのですが
>
> ここはその通りだと思いますが、
> これに対しては頼光さんは「固定観念はエトスより狭い概念」
> で有ると答えていますよね?そのこたえが正しいかどうかはそれこそ議論の
> 対象だとは思うのですが、如何でしょう?
それも立派な議論の対象の一つですね
エトスでない(或いはエトスになっていない)固定観念は、何があるんでしょ
うか?>頼光
この問いに答える前に定義をはっきりさせる必要があるなら、どうぞ
> 問題はこの頼光さんの主張を誤読して「エトスの狭義」であるとdamnamさん
が
> フォローしたことであり、これに対して頼光さんが違いを明確に指摘せず
> ただ単に「関係ないこと」としたことではないでしょうか?
いやそれはあまり問題ではありません。いつもの事ですから
#彼は議論に詰まるとすぐその「無関係論法」を持ち出す癖があるので
> > 仮に「より狭義だ」としてもこの二つの命題を「全然関係ない」と言うの
は頓
> > 珍漢ロジッ子だけでしょう
> > >「固定観念はエトスより狭義である」
> > >「エトスの原因は固定観念である」
> ちなみにこの二つの命題が「全然関係ない」などとは主張されておらず
そうですか?22日に「両者、全然違う話です。」と主張していますが、これ
はどういう意味なんでしょうか?
> 「固定観念はエトスより狭い概念である」という頼光さんの主張に対して
> damnamさんの「固定観念はエトスの狭義である」という主張は「全然関係な
い」
> と主張されているのではないでしょうか?
そうでしょうか?22日の記事を読む限りそうは思えないんですが・・
> どうも相手の話を勝手に誤読した上で頓珍漢な問答を展開されているのは
> damnamさんのように感じられます。改めて一連のスレッドを読み返されては
> 如何でしょうか?
改めてここ数ヶ月のスレッドを読み返されることをお勧めします
頼光の頓珍漢ロジッ子の度合いが分かるかも知れません
> 「そう呼ぶことも可能」ということは、少なくとも「別物である」とは言って
> いないと読みとれますよね。それを言っているだけです
>
その点は元々議論になっていないと認識していますが?
頼光さんもその点について否定されていないのではないでしょうか?
> > ここはその通りだと思いますが、
> > これに対しては頼光さんは「固定観念はエトスより狭い概念」
> > で有ると答えていますよね?そのこたえが正しいかどうかはそれこそ議論の
> > 対象だとは思うのですが、如何でしょう?
>
> それも立派な議論の対象の一つですね
> エトスでない(或いはエトスになっていない)固定観念は、何があるんでしょ
> うか?>頼光
> この問いに答える前に定義をはっきりさせる必要があるなら、どうぞ
>
> > 問題はこの頼光さんの主張を誤読して「エトスの狭義」であるとdamnamさん
> が
> > フォローしたことであり、これに対して頼光さんが違いを明確に指摘せず
> > ただ単に「関係ないこと」としたことではないでしょうか?
>
> いやそれはあまり問題ではありません。いつもの事ですから
> #彼は議論に詰まるとすぐその「無関係論法」を持ち出す癖があるので
>
すみません、damnamさんが誤読したことに端を発している以上、damnamさんが
問題でないというのはおかしくありませんか?
> > > 仮に「より狭義だ」としてもこの二つの命題を「全然関係ない」と言うの
> は頓
> > > 珍漢ロジッ子だけでしょう
> > > >「固定観念はエトスより狭義である」
> > > >「エトスの原因は固定観念である」
> > ちなみにこの二つの命題が「全然関係ない」などとは主張されておらず
>
> そうですか?22日に「両者、全然違う話です。」と主張していますが、これ
> はどういう意味なんでしょうか?
>
すみません、「両者、全然違う話です。」と「全然関係ない」という主張は
同義なんでしょうか?
ちなみに以下の二つは同じ意味だと思われているのでしょうか?
「固定観念はエトスより狭義である」
「エトスの原因は固定観念である」
私には違う意味に読みとれますが、どうなんでしょう?
二つの主張が「違う意味である」と「関係有る」は共存できますよね?
まさか、「違う意味である」すなわち「関係ない」と読みとったのですか?
> > 「固定観念はエトスより狭い概念である」という頼光さんの主張に対して
> > damnamさんの「固定観念はエトスの狭義である」という主張は「全然関係な
> い」
> > と主張されているのではないでしょうか?
>
> そうでしょうか?22日の記事を読む限りそうは思えないんですが・・
>
そうですか?どの辺の記事からそう読みとられましたか?
> > どうも相手の話を勝手に誤読した上で頓珍漢な問答を展開されているのは
> > damnamさんのように感じられます。改めて一連のスレッドを読み返されては
> > 如何でしょうか?
>
> 改めてここ数ヶ月のスレッドを読み返されることをお勧めします
> 頼光の頓珍漢ロジッ子の度合いが分かるかも知れません
そうですか?私には、damnamさんが相手の意図を理解できないで自分の主張のみに
拘泥している様に読みとれますが、いかがでしょうか?
???22?????????????damnam?????????????????
"damnam" <dam...@qtnet.ne.jp> wrote in message news:<arnhvi$1d4$1...@fnews11.bbiq.jp>...
> "??" <rai...@mug.biglobe.ne.jp> wrote in message
> news:arl23p$f6t$4...@bgsv5906.tk.mesh.ad.jp...
> > In article <arksvv$89c$8...@fnews11.bbiq.jp>, damnam wrote:
> > >> >??????????
> > >>
> > >> ????????????????????????????
> > >> ??????????????????????????
> > >
> > >?????????????????
> >
> > ???????????
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> >
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>
> ????????????????
> ????????????????
> ??????????
> ???????????????????????????????????
> ???????????????????????
>
????damnam???????????????????
?????????????????????????????????
??????????????????22???????????
?????????????????damnam??????????
??????????????????????????????????????
??????????????????????????????????????
??????????????????????????????????????
???????????????????????????????????
???????????????
??????????????????
????damnam?????????????????
??????????????????
???????????????????????????
???????????????????????????????????????
????????????????????
??????????????????????????????????????
> > >> >??????????
?????????????????????????????????
> > >?????????????????
??????damnam??????????
????????????????????????
????????????????????????????????
???????????????????????????????????????
????????????????????????????????
????????????????????????
> > 「そう呼ぶことも可能」ということは、少なくとも「別物である」とは
言って
> > いないと読みとれますよね。それを言っているだけです
> >
> その点は元々議論になっていないと認識していますが?
> 頼光さんもその点について否定されていないのではないでしょうか?
それならば「エトスの狭義」という言葉を用いることで何が問題なんでしょう
か?
> > > 問題はこの頼光さんの主張を誤読して「エトスの狭義」であるとdamnam
さん
> > が
> > > フォローしたことであり、これに対して頼光さんが違いを明確に指摘せ
ず
> > > ただ単に「関係ないこと」としたことではないでしょうか?
> >
> > いやそれはあまり問題ではありません。いつもの事ですから
> > #彼は議論に詰まるとすぐその「無関係論法」を持ち出す癖があるので
> >
> すみません、damnamさんが誤読したことに端を発している以上、damnamさん
が
> 問題でないというのはおかしくありませんか?
ああ、最初の「問題は」は「フォローしたこと」だけに係って「関係ないこと
としたこと」には係らないということですね?
すると「関係ないこととしたこと」の主語は何ですか?
> すみません、「両者、全然違う話です。」と「全然関係ない」という主張は
> 同義なんでしょうか?
同義ではないんでしょうか?
> ちなみに以下の二つは同じ意味だと思われているのでしょうか?
> 「固定観念はエトスより狭義である」
> 「エトスの原因は固定観念である」
> 私には違う意味に読みとれますが、どうなんでしょう?
勿論、意味は違います。それぞれの命題毎に
> 二つの主張が「違う意味である」と「関係有る」は共存できますよね?
仰るとおりです
> まさか、「違う意味である」すなわち「関係ない」と読みとったのですか?
はい。「両者は全然違う話」を「両者は無関係」と解釈しました
そういう解釈はおかしいでしょうか?
> > > 「固定観念はエトスより狭い概念である」という頼光さんの主張に対し
て
> > > damnamさんの「固定観念はエトスの狭義である」という主張は「全然関
係な
> > い」
> > > と主張されているのではないでしょうか?
> >
> > そうでしょうか?22日の記事を読む限りそうは思えないんですが・・
> >
> そうですか?どの辺の記事からそう読みとられましたか?
記事の最初の方です
> > 改めてここ数ヶ月のスレッドを読み返されることをお勧めします
> > 頼光の頓珍漢ロジッ子の度合いが分かるかも知れません
> そうですか?私には、damnamさんが相手の意図を理解できないで自分の主張
のみに
> 拘泥している様に読みとれますが、いかがでしょうか?
さあ・・・俺はFancyさんの頭の中を覗いたことがないので、何とも言えませ
ん
ところでFancyさんご自身は、下の二つの命題について如何思いますか?
「固定観念はエトスの狭義である」
「エトスの原因は固定観念である」
それとも興味ないですか?
すみません、googleから投稿されるときはエンコードにご注意下さい
ハテナばっかりで読めません
#最上行を一行開けるといいらしいです
> なんかさ、60年代の「科学技術、原子力がすべてを解決する~」み
> たいなのって、科学者の持っている「科学と宗教は違うんだ」みた
> いなのと、かなりずれがあったと思う。
で、前者のようなのを「科学技術信仰」と私は呼んでるわけ。
>> そういう大変さもあるけど、「今そういうタイプの議論をしてる」というコン
>> センサスがないと話が進みようがないってのもあります。
>> 単純に端っこの議論をしてると思われると議論がまとまるはずもないし、下手
>> をすると部分的なことで全体を規定しようとしてるように見られて、不要な反
>> 発を生んでしまう。
> コンセンサスを宗教側と科学側で取れると仮定して議論するわけで
> すよね? そういう議論は必然的に内包的になると思う。反対にコン
> センサスそのものを議論すると外延的なものになるんでしょうね。
私が言ってる「コンセンサス」ってのは議論の仕方に関するコンセンサスのこ
とで、各論に関してはコンセンサスが取れるかどうかは特に仮定してないです。
外延的な議論にするのか内包的な議論にするのか、そういった選択のレベルで
の「コンセンサス」がないと、議論の進みようがないって話。
# fj.* だと外延的な議論が苦手な人は多そうだし。
> 外延的に議論すれば、結局、世界を認識する方法はたくさんあるっ
> てくらいしかコンセンサスにはなり得なくて、そのレベルでは、宗
> 教と科学の区別は付かないと思う。
そういう見方をすれば、宗教も科学も政治も哲学も区別がつかないような気が
する。
それで何がうれしいのかは知らないけど。
> でも、別物だって言い張る程、宗教ってぱちもんじゃないとも思い
> ます。そう思っているなら、それは偏見だと思う。「いろんな神様
> がいますねぇ...」みたいな宗教もあります。
別に宗教がぱちもんだと思ってるわけじゃないです。単に別なだけ。
科学が唯一絶対の価値観だとは思ってないから、「科学とは別」ってのは特に
悪いわけじゃないです。
> KOSAKA さんも、自分が測定し理論化している宇宙は、おそらく
> 人知を越えた整合性を持って存在していると信じていると思います。
> それを実験することは出来ないよね。
「整合性があるかのような説明が割とうまくいく」ぐらいの感想は持ってます。
それが本来の整合性かどうかなんて分かりっこないけど、「うまくいく」んだっ
たら取り敢えずそれでいいじゃん。
> > 外延的に議論すれば、結局、世界を認識する方法はたくさんあるっ
> > てくらいしかコンセンサスにはなり得なくて、そのレベルでは、宗
> > 教と科学の区別は付かないと思う。
> そういう見方をすれば、宗教も科学も政治も哲学も区別がつかないような気が する。
> それで何がうれしいのかは知らないけど。
「同じ土俵で共通のデータが使える」と設定できるから互いの論理矛盾を指摘できる
ので議論が成り立つのが「うれしい」項目では?
> > でも、別物だって言い張る程、宗教ってぱちもんじゃないとも思い
> > ます。そう思っているなら、それは偏見だと思う。「いろんな神様
> > がいますねぇ...」みたいな宗教もあります。
> 別に宗教がぱちもんだと思ってるわけじゃないです。単に別なだけ。
> 科学が唯一絶対の価値観だとは思ってないから、「科学とは別」ってのは特に
> 悪いわけじゃないです。
これは「当然」の前提でしょうね。
> > KOSAKA さんも、自分が測定し理論化している宇宙は、おそらく
> > 人知を越えた整合性を持って存在していると信じていると思います。
> > それを実験することは出来ないよね。
> 「整合性があるかのような説明が割とうまくいく」ぐらいの感想は持ってます。
> それが本来の整合性かどうかなんて分かりっこないけど、「うまくいく」んだっ
> たら取り敢えずそれでいいじゃん。
プラグマティズム(実利主義)のもともとの考え方ですね。
--
*******************************************
EN yasuhi...@jcom.home.ne.jp 【月下独酌】
*******************************************
In article <yD5N9.25027$ZS4.4...@news1.rdc1.ky.home.ne.jp>, "Yasuhiro Endo" <yasuhi...@jcom.home.ne.jp> writes
>プラグマティズム(実利主義)のもともとの考え方ですね。
問題は、何が実利かはその人間にしかわからないってことなんだよ
な。科学よりキリスト教の方が自分に取って実利があるっていう人
は多い気がする。
この議論にはいろんなレベルと視点があって、
あるレベルでは、いろんな宗教、科学がそれぞれ別
あるレベルでは、宗教も科学も一緒
みたいなところがあります。宗教と科学を区別できる、うまいレベ
ルか視点があるかって言う問題だとすれば、何かあるかもね。
その視点を選択するのは大抵の場合は「なんらかの集団」でしょう。
そして、それは普通は学会と呼ばれている...
「科学は宗教ではない」と言うときは、僕は、その集団のエゴみ
たいなものを感じるな。それに、ちょっと反発して、こんな議論
をしているんでしょう。
河野さん wrote...
Message-ID: <3595.10...@insigna.ie.u-ryukyu.ac.jp>
> 宗教と科学を区別できる、うまいレベルか視点があるかって言う
> 問題だとすれば、何かあるかもね。
死後の世界を定義しているかどうか、に尽きるんじゃないかな。
逆に言えば、科学がもし死後の世界を証明 (もしくは存在しないこ
とを証明) しちゃったら、宗教なんてなくなっちゃうと思う。
> 「科学は宗教ではない」と言うときは、僕は、その集団のエゴみ
> たいなものを感じるな。それに、ちょっと反発して、こんな議論
> をしているんでしょう。
その絶対性を以って宗教的だと揶揄されることはあるけど、宗教と
は違いますよね。儒教とか共産主義なんかの思想も宗教的ではある
けど、本質的には宗教ではない。
--
中本徹也 (NAKAMOTO Tetsuya)
Self-employed programmer @ HACHIOUJI City, TOKYO.
tets...@pop02.odn.ne.jp
In article <au3b4m$q8n$1...@nwjp1.odn.ne.jp>, NAKAMOTO Tetsuya <tets...@pop02.odn.ne.jp> writes
>死後の世界を定義しているかどうか、に尽きるんじゃないかな。
>逆に言えば、科学がもし死後の世界を証明 (もしくは存在しないこ
>とを証明) しちゃったら、宗教なんてなくなっちゃうと思う。
宗教が対処する問題の一つに「死」があるわけだけど、それは確か
に大きな部分だけど、それが中心だとは思わないです。
自分の死後に自分の意識があるかという問題だとすると、たいてい
の科学も宗教もどちらも「そのまま今の意識が続く」みたいな世界
観ではないと思います。最近は「意識を科学しよう」という運動が
出て来ているので、なにか面白い結果がでるかも知れないですね。
もちろん、科学的には、死後の世界ってあるよね? つまり、自分が
死んだ後も世界は続いていくっていう死後の世界なわけだ。物質的
な自分は「エネルギー保存則」「質量保存則」を通して不滅なわけ
だし。科学は死後の世界を定義することは、そういう意味ではやっ
てるよね。
とか考えると、両方共、死に関してはいろいろやっていて、どっち
がどっちってわけでもないと思うんだけど...
>その絶対性を以って宗教的だと揶揄されることはあるけど、宗教と
>は違いますよね。儒教とか共産主義なんかの思想も宗教的ではある
>けど、本質的には宗教ではない。
共産主義も宗教を否定するあたりが同族嫌悪みたいで笑えるんだよ
な... 思想と宗教の区別あたりになると、個人崇拝が入った思想は、
ほとんど宗教と区別がつかないと感じます。
一方で、偶像崇拝を禁じようとする宗教もあるんだよね。イスラム
教なんかは、科学の持つ要素をかなり持っていると僕は思います。
なんか似て来ちゃうのは、しょせん、人間の業だからなんだけどね。
> # 既出の意見だったらごめんなさい。
既出ですが繰り返されるテーマですね。
> > 宗教と科学を区別できる、うまいレベルか視点があるかって言う
> > 問題だとすれば、何かあるかもね。
> 死後の世界を定義しているかどうか、に尽きるんじゃないかな。
> 逆に言えば、科学がもし死後の世界を証明 (もしくは存在しないこ
> とを証明) しちゃったら、宗教なんてなくなっちゃうと思う。
現代において「死後の世界」を真摯に肯定している集団こそ似非宗教である
だろうと推測する根拠にしかならないと思われます。
> > 「科学は宗教ではない」と言うときは、僕は、その集団のエゴみ
> > たいなものを感じるな。それに、ちょっと反発して、こんな議論
> > をしているんでしょう。
> その絶対性を以って宗教的だと揶揄されることはあるけど、宗教と
> は違いますよね。儒教とか共産主義なんかの思想も宗教的ではある
> けど、本質的には宗教ではない。
儒教は政治技法、共産主義をイデオロギーと分類するならば対応するのは
宗教そのものではなく過去世においての王権神授説とかムスリム体制にな
るので本質的な宗教ではないというのは的を得ていると思います。
では宗教に対応するものは何かと同定するならばマルクス等にその根を因っ
いるの社会科学(経済学や社会学)でしょう。
> "KGK == Keiji KOSAKA" <k...@mp.okayama-u.ac.jp> wrote in message news:au19f4$oui$1...@film.rlss.okayama-u.ac.jp...
>> ! "<6276.10...@insigna.ie.u-ryukyu.ac.jp>" という記事で
>> ! 30 Nov 2002 18:23:54 +0900 頃に Shinji KONO さん は言ったとさ:
>> > 外延的に議論すれば、結局、世界を認識する方法はたくさんあるっ
>> > てくらいしかコンセンサスにはなり得なくて、そのレベルでは、宗
>> > 教と科学の区別は付かないと思う。
>> そういう見方をすれば、宗教も科学も政治も哲学も区別がつかないような気が する。
>> それで何がうれしいのかは知らないけど。
> 「同じ土俵で共通のデータが使える」と設定できるから互いの論理矛盾を指摘できる
> ので議論が成り立つのが「うれしい」項目では?
クリスチャンがイスラム教の教義を云々するのと同程度に不毛なことにしかな
らないんじゃないかなあ。
# まあ、建設的なことが全くないとは言わないけど。
>> 「整合性があるかのような説明が割とうまくいく」ぐらいの感想は持ってます。
>> それが本来の整合性かどうかなんて分かりっこないけど、「うまくいく」んだっ
>> たら取り敢えずそれでいいじゃん。
> プラグマティズム(実利主義)のもともとの考え方ですね。
そうじゃないと、科学なんてやっていけないんだよなあ。
> 河野 真治@琉球大情報工学です。
> In article <yD5N9.25027$ZS4.4...@news1.rdc1.ky.home.ne.jp>, "Yasuhiro Endo" <yasuhi...@jcom.home.ne.jp> writes
>> プラグマティズム(実利主義)のもともとの考え方ですね。
> 問題は、何が実利かはその人間にしかわからないってことなんだよ
> な。科学よりキリスト教の方が自分に取って実利があるっていう人
> は多い気がする。
それは当然そうでしょうね。
もちろん、科学もキリスト教も自分にとって実利があるって人も多いでしょう
し。
ただ、まあ、それで実利主義的な態度を取るかどうかってのは別の話ですが。
> 「科学は宗教ではない」と言うときは、僕は、その集団のエゴみ
> たいなものを感じるな。それに、ちょっと反発して、こんな議論
> をしているんでしょう。
実際のところ、科学と宗教はすっぱり別ものだって考えて、宗教的な観点から
科学の論法を批判したり、科学的な観点から宗教を批判したりしない方が、双
方にとって幸せなんじゃないかなあ。
> >ご自分自らが<レベルの
> >高い記事>や<誤りでない記事>や<修行が十分なされてる記事>と言うものを
寄せ
> >ればいいんじゃないかな。
>
> そんな意味不明の「いい」などが他者と共有されると思い
> 込んでいる辺り、自分と他人の区別が付いていないというこ
> とですね。
あ~た、本当に意味不明ですか?自らは詰まらん記事をうだうだ並べておきながら他
人に対しては<レベルが低い>だとか理由もなしにエテ公の低劣な主観で<誤り>だ
とか、また自分の未熟さを棚上げして他人様に<修行が足りません>を何度繰り返し
て来ていることか。netnewsはエテ公の憂さを晴らすところではない。もしそれでも
他人に対して同様のことをほざきたいのであれば手前の記事の価値を示してからほざ
け、こう言ってるのよ。これ当たり前。netnews は理由もなくお前ごときをのさばら
せるとこではないですけんね。だからのさばりたければその理由を作れ、こう言って
るわけ。至極当たり前のことですがな~。
> 修行が足りません。
結局、逃げたいんやろな。答えられないから。こんなことを何回も何回も言う間に十
分答えられるはずだもの。例え忙しくても。なんだかんだ言って時間を稼いでうやむ
やにして終わらせようとしてるんだろうね。スパッと答えればいいんだよ。でなかっ
たら、答えられませんお手上げですと言えばいいしね。だれもエテ公をそれほど賢い
人間であるなんて思ってないよ今はね。地が出て正体がばれてるの。気取る必要はな
いのよ。
From KENTAROU
KENTAROUさんは金もぢだからあ~ 良くわからないと思うげどさあ~
貧乏人は大変なんでつよ!根性がぶん曲がっているのよ!悲しいけどぉ~
わかってあげないとさあ~ ね!
アンドロメダ
修業が足りません。
In article <YkXS9.28244$ZS4.5...@news1.rdc1.ky.home.ne.jp>, KENTAROU wrote:
>> >ご自分自らが<レベルの
>> >高い記事>や<誤りでない記事>や<修行が十分なされてる記事>と言うも
>> >のを寄せ
>> >ればいいんじゃないかな。
>>
>> そんな意味不明の「いい」などが他者と共有されると思い
>> 込んでいる辺り、自分と他人の区別が付いていないというこ
>> とですね。
>
>あ~た、本当に意味不明ですか?
一般に、不明ですね。特に馬鹿の言は、素直に読解しても当人
の意思と異なるケースが多々あるものです。
しかも、具体的に「いい」の意味を解説することはできないわ
けです。要するに、自分でも分かっていないということでしょう。
馬鹿とは、そうしたものですから。
>自らは詰まらん記事をうだうだ並べておきながら
ということにしたいのですね。
>他人に対しては<レベルが低い>だとか
そんな表現を使ったかどうかすら記憶にありませんね。
それでは、(仮に私が述べたとしても)誰のどの発言に対する
評価かが不明では、KENTAROU は何も言えていません。
相変わらず、メタなだけで具体的情報量0の記述ですね。
修業が足りません。
>理由もなしにエテ公の低劣な主観で
「エテ公」などという人物は、本スレッドには存在しません。
妄想も大概に。
><誤り>だとか、
誤っていれば、誤りを指摘されるのは当然ですね。
もっとも、誰のどの発言に対する評価かが不明では、KENTAROU
は何も言えていません。
相変わらず、メタなだけで具体的情報量0の記述ですね。
修業が足りません。
>また自分の未熟さを棚上げして
ということにしたいのですね。
>他人様に<修行が足りません>を何度繰り返し
>て来ていることか。
修業が足りないならば、そう指摘されるのは当然ですね。
もっとも、誰のどの発言に対する評価かが不明では、KENTAROU
は何も言えていません。
相変わらず、メタなだけで具体的情報量0の記述ですね。
修業が足りません。
>netnewsはエテ公の憂さを晴らすところではない。
「エテ公」などという人物は、本スレッドには存在しません。
妄想も大概に。
もっとも、「人は鏡」理論に基づいて、「エテ公」が誰であろ
うとも「憂さを晴ら」そうとしているのは KENTAROU だというこ
とが分かります。みっともない表出はお止めなさい。そもそも
KENTAROU が間抜けなクロスポストをしている NewsGroup は、
全てそのようなことをする場ではありません。場を弁えること。
こういう間抜けを晒すあたり、また(or まだ)「イキリ立っ
て」いるのかも知れませんね。
修業が足りません。
>もしそれでも
>他人に対して同様のことをほざきたいのであれば手前の記事の価値を示してからほざ
>け、こう言ってるのよ。
そんな「ならば」など成立しません。
筋道不明の因果関係を唐突に持ち出す辺り、馬鹿ですね。
修業が足りません。
>これ当たり前。
ということにしたいのですね。
まあ、そもそもデタラメですし当人が馬鹿では説明できない
のは当然ですが、「当たり前」という文字列を書いたからとて、
それが当たり前ということになったりはしません。
修業が足りません。
>netnews は理由もなくお前ごときをのさばら
>せるとこではないですけんね。
私が「のさばって」いるように見えているようですね。
私の投稿量などたいしたものでもないというのに。
何か、心の中に病んだものが無いと、そのような現実を反映
しない印象など持たないものです。そういう病は、早めに治療
すること。
修業が足りません。
>だからのさばりたければその理由を作れ、こう言って
>るわけ。
そんな「ければ」など成立しません。
筋道不明の因果関係を唐突に持ち出す辺り、馬鹿ですね。
修業が足りません。
>至極当たり前のことですがな~。
まあ、そもそもデタラメですし当人が馬鹿では説明できない
のは当然ですが、「当たり前」という文字列を書いたからとて、
それが当たり前ということになったりはしません。
修業が足りません。
>> 修行が足りません。
>
>結局、逃げたいんやろな。答えられないから。
ということにしたいのですね。
>こんなことを何回も何回も言う間に十
>分答えられるはずだもの。
既に答えていますね。蓋然性が無いという指摘を。
もっとも、馬鹿には理解できないということでしょう。
>例え忙しくても。
忙しいかどうかなど、何の関係も無い話です。
唐突に関係の無い話を持ち出さないこと。
>なんだかんだ言って時間を稼いでうやむ
>やにして終わらせようとしてるんだろうね。
ということにしたいのですね。
>スパッと答えればいいんだよ。
そんな意味不明の「いい」などが他者と共有されると思い
込んでいる辺り、自分と他人の区別が付いていないというこ
とですね。
その状態の間は、馬鹿から脱することはできません。
修業が足りません。
>でなかっ
>たら、答えられませんお手上げですと言えばいいしね。
そんな意味不明の「いい」などが他者と共有されると思い
込んでいる辺り、自分と他人の区別が付いていないというこ
とですね。
その状態の間は、馬鹿から脱することはできません。
修業が足りません。
>だれもエテ公をそれほど賢い
>人間であるなんて思ってないよ今はね。
「エテ公」などという人物は、本スレッドには存在しません。
妄想も大概に。
もっとも、内容が何であれ、サイレントマジョリティにの
み依拠した発言がいかに無意味であるのか、理解できていな
いようですね。
修行が足りません。
>地が出て正体がばれてるの。
ということにしたのですね。
>気取る必要はないのよ。
気取っているということにしたいのですね。
--
頼光 mailto:rai...@mug.biglobe.ne.jp
?????????
--
???
?? <rai...@mug.biglobe.ne.jp> wrote in message news:<avk6fm$d71$6...@bgsv5906.tk.mesh.ad.jp>...
> ????????????????? NewsGroup ????????
> ????????
>
> ??????????
>
> In article <YkXS9.28244$ZS4.5...@news1.rdc1.ky.home.ne.jp>, KENTAROU wrote:
> >> >???????????
> >> >??????????????????????????????????
> >> >????
> >> >????????????
> >>
> >> ???????????????????????????
> >> ???????????????????????????
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> ??????????????????????
> ????????????????????
>
> >??????????????????
> >????????????????????
>
> ???????????????
>
> >??????????????
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> ???????????????????????????
犬太郎 wrote:
> ?????????????????????
>
> ?????????
>
> --
> ???
意味、不明です。
適当な投稿先 --- と言っても、そんなの無いか ヽ(^。^)ノ --- を
選ぶこと。
修行が足りません。
以上、雷光からの≪お知らせ≫でした。