そういうのもあるんですか?
私が以前見たことがあるものは、駐車領域がどこそこと、ちゃんと明記
されてたのでそこを外れたら違法駐車となるだろうという代物でした。
>でもそうかといって「正しい」公共心を国民全体に押しつける「熱烈なる善意」って
>のも困りますね(戦争中の「愛国婦人会」を思い出します。また井上ひさしの『吉里
>吉里国』にでてくる婦人会のおばさん連中なんかも)。
正しい公共心は、本来は子供のうちから押し付けていくべきものなんで
すけれど。
それを道徳教育と呼ぶ人もいますが。
今あがっている例題の話は、パブリックマインドが希薄になってきてい
るから、パブリックな場におけるあるべき行動が取られないという、とて
もシンプルな構造の問題ですよ。
ついでに、後述するように、余丁町散人氏の発想は、社会の構成メンバー
をパブリックマインドの非常に高い人々にしようと志向するものなのです
が、そのための教育を困るとするのは、おかしな話でしょう。
>一番いいのは、そんな規制や制度がなくっても、必要とするみんなが「座れる」「駐
>車できる」環境を作ることなんでしょうね。
それは、二つの意味で違います。
もっとも、「環境」が、パブリックマインドを持った人々も含むのであ
れば正しくなるのですが、この文脈からすると、人の要素は排除したコン
セプトの話ですよね。
第一に、この主張は要素の軽重が逆で、これは要素のほとんどを人のパ
ブリックマインドの問題が占める話です。
第二に、この「必要とするみんな」というレベルのアバウトな表現では、
現在の問題認識に対する理想状態の記述としては粗すぎます。まず、「必
要」のレベルが分かりません。そして、「みんな」の量が分かりません。
ここで言う「規制や制度」は、シルバーシートや障碍者用駐車場を指す
のでしょうが、「なくっても」という環境(人の要素を含まない)が人々
へ要求するパブリックマインドのレベルは、そうとう高いものです。それ
を期待するのはリーズナブルではありません。
シルバーシートは、「高齢者・体の不自由な方・妊婦」など、かなり具
体的かつ見てすぐ分かる人を対象とした優先席で、「分かりやすい」アピー
ルです。
障碍者用駐車場はさらに分かりやすくて、たいがい車椅子を使っていて
くれます。
その手の、目で見て分かりやすいハンディキャップの持ち主を対象とし
た優遇策なのですから、期待されるパブリックマインドのレベルは、かな
り低いものなのです。
ですが、そこそこレベルが低くても、その規制や制度があることで、実
効性を持つ結果となれば、それはコストパフォーマンスのバランスの良い
環境です。
要するに、制度や規制という非人的環境もあり、パブリックマインドへ
そこそこの期待もできる人的環境もあり、という環境が、一番いいという
状態です。
>でもそれができないもんだから例外ルー
>ルが作られ、それを守る「公共心」が主張され、守らない輩を「みんなして」罰しな
>ければならなくなる。
この「から」の接続は、一見そう見えてしまうのかもしれないのですが、
上述のように理想状態の認識が違うわけですから、構造的に誤りです。
>ルールはできるだけ少なく、社会的サービスを必要とする人に
>は、制度を作るのじゃなくって、それに相応する経済的な補助を与える方がいい。合
>計の社会コストは少なくてすむんじゃないかしらね。
社会コストという観点からも、制度とパブリックマインドを持つ人とが
バランス良く組み合う状態が、ベストです。ここで経済的支援という別の
アプローチを持ってくるのは、さらに別の軸の話を組み込む話になって、
話が発散するだけでしょう。危険です。
# 組み込む気なら、制度構築と、経済援助の、費用対効果を比較する必要
# があります。
元の話に戻ると、制度だけでがんばろうとする場合のコスト、パブリッ
クマインドの異様に高い人ばかりに教育しようとして制度を使わない場合
のコスト、このような両極端よりも、両者が適度なバランスを取って力を
合わせるシステムの方が、コストが低くなるものです。(余丁町散人氏の
主張は、この区分で言えば、パブリックマインドの異様に高い人ばかりに
しようとすることを志向しています)
ちなみに、この「ルールはできるだけ少なく」という言葉に見られる発
想は、実は非常に日本的かつリスクの高いものです。
社会は複数の人間によって構成されますが、そこには必ず大量のルール
が生じます。にもかかわらず、明示的なルールがあまりあるように見えな
いのは、パブリックな場における暗黙のルールが膨大に共有されているか
らです。これが、日本的。
そして、ルールが少なく見えるから、ルールが少なくても社会が回ると
思ってしまうので、いざ自分が制度を考えようとしたときに暗黙の膨大な
ルールを無視してしまい、できあがるものはあちこちそこに抵触する代物
になってしまうというリスクが、自動的に高くなっていきます。
で、ここで問題になるのが、なんで暗黙のルールが膨大にあって、なお
かつそれが共有されてしまえるのか? という点ですが、これは簡単に述べ
ればそれが日本の文化だからです。
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頼光 mailto:rai...@mug.biglobe.ne.jp
明示的なルールが、あっても、なくても、どーせみんな守らんから、
同じ、でも、とりあえず、作っておこう。
新しい、ルールを作るとき、別のルールに抵触しても、おかまいなし。
こんな、状態でも、社会はそれなりに回るし、
ここでいうパブリックマインドは日本より、はるかに高い
イタリアのような状態を目指すってのは、いかが?
だれも「それなりに回る」ことを是非の評価基準になどしていま
せん。
>ここでいうパブリックマインドは日本より、はるかに高い
>イタリアのような状態を目指すってのは、いかが?
「イタリアのような状態」が、具体的に何を指しているつもりな
のか不明ですからこれは何も言っていないに等しいのですが、その
ような記述をしてしまうようでは、「ここでいうパブリックマイン
ド」をほぼ90%くらいの尤度で誤読していると考えられます。
まず、具体的に記述してください。
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頼光 mailto:rai...@mug.biglobe.ne.jp