> 「決する」は文語それとも口語ですか。
どのように使われているかによって分かれます。
連用形で使われているならば文語
終止形で使われているならば口語
実際に「決する」の語が出現する文例を提示してもらえたら
どちらなのかは確定できるでしょう。
辞書の見出し語をぱっと拾って尋ねているなら
その辞書の凡例で見出し語はどのように扱っているかも
確かめるとよいです。
--
mailto:shi...@dd.iij4u.or.jp 渋谷伸浩
"Shibuya, Nobuhiro" wrote:
> AnandVishy wrote:
>
> > 「決する」は文語それとも口語ですか。
>
> どのように使われているかによって分かれます。
訂正1
> 連用形で使われているならば文語
連体形で使われているならば文語
> 終止形で使われているならば口語
>
> 実際に「決する」の語が出現する文例を提示してもらえたら
> どちらなのかは確定できるでしょう。
> 辞書の見出し語をぱっと拾って尋ねているなら
わかりにくい表現かもしれないので言い換えます。
訂正2
辞書の見出し語を任意にひとつ抜き出して尋ねているなら
その両方でしょう。文語として使うことも口語として使
うこともできます。
たとえば勝ち負けを決めることを「勝敗を決する」とか
「雌雄を決する」といいますが、これらは書き言葉とし
ても使われますし、会話でも使われます。
--
太田純(Junn Ohta) (株)リコー/新横浜事業所
oh...@sdg.mdd.ricoh.co.jp
むずかしい質問です。一般にサ変動詞は文語と口語で、
[文語]
決せ 決し 決す 決する 決すれ 決せよ
[口語]
決し(せ) 決し 決する 決する 決すれ 決せよ(しろ)
ように活用し、「決する」は*3通り*の形で出現します。
「意を決する」なら、口語ですし、
「意を決する秋」なら、文語・口語どちらともいえます。
また、同じ連体形接続の活用においても、中国語の影
響からか、
「意を決するの秋」という表現も日本語では認められて
おり、この場合は文語・口語が分かれます。
_______
kentaro@tokyo
on [news:japan.lang.japanese]
AnandVishy wrote:
> 「決する」は文語それとも口語ですか。
It depends on the definitions of "KOGO"and "BUNGO".
つまり、「決する」は終止形なら口語ですし、連体形なら文語も口語ですね。
> また、同じ連体形接続の活用においても、中国語の影
> 響からか、
> 「意を決するの秋」という表現も日本語では認められて
> おり、この場合は文語・口語が分かれます。
わかりました。
その場合以外、「従属節+の+名詞」という構文は文法的に間違いでしょうか。
"健太郎" <kent_...@d1.dion.ne.jp> wrote in
Message-ID: <68M2b.102$Ce5...@news1.dion.ne.jp> :
> > [文語]
> > 決せ 決し 決す 決する 決すれ 決せよ
> > [口語]
> > 決し(せ) 決し 決する 決する 決すれ 決せよ(しろ)
> >
> > ように活用し、「決する」は*3通り*の形で出現します。
> > 「意を決する」なら、口語ですし、
> > 「意を決する秋」なら、文語・口語どちらともいえます。
chok...@hotmail.com (AnandVishy) wrote in
Message-ID: <8e03e77.03082...@posting.google.com> :
> つまり、「決する」は終止形なら口語ですし、連体形なら文語も口語ですね。
いいえ。
「"決する" が文語か口語かは、単独では判別できない」です。
全体が文語体/口語体のどちらで書かれているかみる必要があります。
おそらくAnandVishyさんが理解できてないところと思われることですが、
基本原則として、一つのセンテンス内に文語と口語は混在しません。
たとえば「意を決する秋、乱れる我が心」というフレーズがあったら
「乱れる」が口語にしか出てこない形なので口語体、
従って「決する」は口語となります。
また「意を決する秋、乱るる我が心」というフレーズにおいては
「乱るる」が文語にしか出てこない形なので「決する」も文語です。
「決せられる」についても一緒で、
<A_d3b.7$bL...@news1.dion.ne.jp> にて
| 「られる」という語尾が出現するのは口語においてだけで
| す。しかもこれは、終止形と連体形に共通特有の形です。
と健太郎さんが説明していらっしゃいますね。
「られる」が口語なので、直前の「決せ」も口語で確定なんです。
>> また、同じ連体形接続の活用においても、中国語の影
>> 響からか、
>> 「意を決するの秋」という表現も日本語では認められて
>> おり、この場合は文語・口語が分かれます。
>
>わかりました。
>
>その場合以外、「従属節+の+名詞」という構文は文法的に間違いでしょうか。
>
もちろん正しいでしょう。
従属節ということでいえば、日本語の「の」にはざっと3つの主
な用法が考えられます。
[1] 従属節の主語となる
[2] 従属節の主語に従って他の節をみちびく(関係代名詞的)
[3] 主節の主語となる
「従属節+の+名詞」という構文は理論上は無限の入れ子を
形成することが可能です。
大きな栗の木の下(で)
という構造を拡大させるわけです。
また、あなたが他の言語にも造詣が深いのであればですが、
フランス語やあるいは古代ギリシア語のように、特定の動詞
群が主語的属格を支配することを連想するかもしれません。
日本語でもそれと似たことはあります。
貧しい人々の代弁
という構造は二重性を帯びていて、この場合の助詞「の」は、
目的と主語をエッシャーの絵のように交叉させて考えること
ができます。
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前のメッセ・踉札犬・源?修韻个・蠅任靴燭・蕁・・・もう瘢雹一度投稿してみます。
すみません!別の問題を聞くつもりでした:
「動詞で終わる拾苳斬粟瓠椶痢槎・・詞」という瘢雹構文は正しいですか?
たとえば・髟阡察屬蠅鵑瓦鮨・戮訖諭廚論気靴い任垢・・・・「りんごを食べるの人」は間違いでしょう瘢雹か。
「りんごを食べるの人」といういい方は日本語を母国語とす
る人はまず言いません。日本語に習熟していない中国人が
このようにいったりします(あるいはパロディで)。
このいい方は、「吃苹果的人」という中国語の直接的な日本
語化にちがいありませんが、これも「従属節+の+名詞」形
ではあります。しかし、日本語としてはひどく坐りの悪い言い
方で、きわめて異国的な感じがします。
_______
kentaro@tokyo
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それなら「意を決する」は文脈を考えずに口語か文語か確かめることはできないでしょう。
口語・文語と話し言葉・書き言葉を混同しているのでしょうか?