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一般意味論は時代遅れ

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Shinji KONO

未読、
2003/11/17 0:36:562003/11/17
To:
河野真治 @ 琉球大学情報工学です。

In article <3fb82228$1...@127.0.0.1>, Miya_S <kmiya...@firemail.de> writes
> あなたの、立場が記号学か記号論に立っているだけの話でしょう。
> 論理学はそのような立場のものでしかないと断定するのは違うと思いま
> すね。

言語を使って学問をする以上、記号論があらゆる学問の基本にある
のは仕方がないです。もちろん、記号論に収まらない範囲も研究す
るわけだけど、それでも記号論に反するものが出て来るわけではな
いですね。

この言葉で表された「もの」と「言葉」そのものを区別するのは、
フレーゲ以来の基本的な立場です。それをおかしくすると、いろん
な矛盾が出て来てしまう。一般意味論は、それをもう一度曖昧にす
るという宗教的な活動でしか無い。そこが時代遅れなわけさ。

> まさに、記号学、記号論、記号・・・とうレベルでの矮小化した視点で
> す。それでは、価値は論じても、池の中ですよ。
> そもそも、記号論理学は、前提に価値を持たなければ、いかなる価値も
> 結理論に出せない。そんなものいくら論じてもアリストテレスの価値の
> 問題は、洗い出せないね。

人間の論理的な認識が言語で行なわれている以上、価値あるいはも
の自体は、言語に先行して論理的に認識することはできないです。
一方で、言語を伴わない認識は、行動とか反応に結び付いていて、
機械的なものに過ぎません。

そこから、愛だの神だのを引き出すためには記号的なものをもって
こざるを得ないわけだけど、それらが記号に先行して存在するって
思い込んでるのが一般意味論だろ?

そんなんじゃだめなの。有限な記号の中から、無限の構造を想像し
ているだけであることを認識し、その限界を知りつつ、その構造を
より詳しく模倣する有限な記号の構造を作り上げていくのが今の論
理学の立場です。

> 最後にあなたにお伺いする。
> コンピュータは自分の正しさを証明できるとでも?

コンピュータの動作は有限なので、自分の正しさをより大きなコン
ピュータを通して証明することが出来ます。そんなことを知らない
の?

Turing Machine とか一階述語論理そのものは有限ではなく、アレ
フ0の無限を含んでしまっているので、アレフ0の無限しか扱えない
状況では自分自身の正しさを証明することはできません。一方で、
より高階の無限が扱える状況(例えば、超越帰納法が使えるような)
では、それらの正しさを証明できます。実際、一階述語論理の完全
性の証明とかもあるわけだからさ。

> アリストテレスのここでの問題は、自分の認識の正しさを論じているも
> の。コンピュータの構造論ではないが。

論じるのと、限界がどこにあるかを明解にするのとは大きな差が
あります。一般意味論は、そのあたりではっきり後退していると
思う。

---
Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus,
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科,

J_Saita3 premium

未読、
2003/11/17 14:07:162003/11/17
To:

"Shinji KONO" <ko...@ie.u-ryukyu.ac.jp> wrote in message
news:3989196...@insigna.ie.u-ryukyu.ac.jp...

> 河野真治 @ 琉球大学情報工学です。
>
> In article <3fb82228$1...@127.0.0.1>, Miya_S <kmiya...@firemail.de>
writes
> > あなたの、立場が記号学か記号論に立っているだけの話でしょう。
> > 論理学はそのような立場のものでしかないと断定するのは違うと思いま
> > すね。
>
> 言語を使って学問をする以上、記号論があらゆる学問の基本にある
> のは仕方がないです。もちろん、記号論に収まらない範囲も研究す
> るわけだけど、それでも記号論に反するものが出て来るわけではな
> いですね。
>
> この言葉で表された「もの」と「言葉」そのものを区別するのは、
> フレーゲ以来の基本的な立場です。それをおかしくすると、いろん
> な矛盾が出て来てしまう。一般意味論は、それをもう一度曖昧にす
> るという宗教的な活動でしか無い。そこが時代遅れなわけさ。

話を変えましょう。

記号という様相(モデル)に置き換えることで自然言語での限界を論理的に、数学的
に解明しようとする立場はあるにはあるが、いくら駆使したところで、事実から価値
を演繹できるわけではないでしょう。自然主義の誤謬は、価値が経験的事実に還元で
きるとする価値一元論の立場だとおもいます。
河野さんは、「価値判断は事実判断に還元できるか否か」という設問に対して、どう
いう立場なのでしょう。「主観説」と「客観説」に分けたとき、客観説の立場のよう
ですが。客観説をとるなら、自然主義と直感主義のいずれかだが、自然主義?。自然
主義なら還元論の立場。
あるいは、河野さんは、記号論理学の世界を念頭に話を進めているのでしょうが、価
値という問題に対しては、学問的でないという立場なの?だから関知しないという。

いつも思うが、価値の問題についての立場をまず、お聞かせいただきたい。

> まさに、記号学、記号論、記号・・・とうレベルでの矮小化した視点で
> > す。それでは、価値は論じても、池の中ですよ。
> > そもそも、記号論理学は、前提に価値を持たなければ、いかなる価値も
> > 結理論に出せない。そんなものいくら論じてもアリストテレスの価値の
> > 問題は、洗い出せないね。
>
> 人間の論理的な認識が言語で行なわれている以上、価値あるいはも
> の自体は、言語に先行して論理的に認識することはできないです。
> 一方で、言語を伴わない認識は、行動とか反応に結び付いていて、
> 機械的なものに過ぎません。

フレーゲの古典的説例でいえば「明けの明星」と「宵の明星」はその外延は一にする
が内包は異なる。
外延は記号外在的な事実への考慮を要求するが、内包はそうは行かない。内包ともな
れば、記号論理学での分類はできても内包そのものの価値は、価値の前提を必要とす
ると、二元論の立場からはいえますよね。

>
> そこから、愛だの神だのを引き出すためには記号的なものをもって
> こざるを得ないわけだけど、それらが記号に先行して存在するって
> 思い込んでるのが一般意味論だろ?

この河野さんの「記号」には内包は含んでいるの?外延のみ?
外延は一でも、内包は無限。記号論理学で、記号化は出来ても、価値への考察は、前
提となる価値がなければできない。記号論理学はそうちですから。「価値判断は事実
判断に還元できるか否か」ということになるのだけど。記号論理学の優秀さををいく
ら支持してもいいが、いくら優秀でも、事実から価値を演繹できるとする立場、つま
り、事実に還元できるとする立場かどうかはまた別の問題だと思いますね。一般意味
論は、価値の問題にもろに立ち入っている。内包の無限性に立ち入っている。外延の
同一性から内包の同一性を結論することは許されない。
現代の記号学(semiotics)においては三つの基本要素とその関係が扱われ
る。記号そのもの、それがあらわすもの、記号使用者。
記号論理学は万能ではなく、記号使用者(たとえば人間)がかかわるところに表出す
る価値判断を捨象しなければ、矛盾が出てきて記号論理学上すっキリしない。よっ
て、価値判断など無用の長物であり、学問的でないから関心がない、あるいは、どう
でもよい、というのが河野さんのたちばなら、なんとも魅力のない系?だね。


>
> > 最後にあなたにお伺いする。
> > コンピュータは自分の正しさを証明できるとでも?
>
> コンピュータの動作は有限なので、自分の正しさをより大きなコン
> ピュータを通して証明することが出来ます。そんなことを知らない
> の?

大きなコンピューターは、何を通して自分の正しさを証明するの?
もっと大きなコンピューター?じゃ、もっと大きなコンピュータは、もっともっと大
きな・・・

河野さん、それは、コンピューターが自分の正しさを証明してることにはならない。
内包としての要素であるコンピュータをいくら無限にあげつらっても。外延としての
コンピューターについて話をしなければ。外延としてのコンピューターは、人間と
違って、価値を前提に組み込んでやらなければ判断できない。現象学でいえば、内在
がない。一般意味論には、現象学で言うところの内在がある。一般意味論を、記号論
理学の言語的なモデル化などの面でのみみて、時代遅れというのは、私には随分と違
うと思えるのですがねぇ。

>
> Turing Machine とか一階述語論理そのものは有限ではなく、アレ
> フ0の無限を含んでしまっているので、アレフ0の無限しか扱えない
> 状況では自分自身の正しさを証明することはできません。一方で、
> より高階の無限が扱える状況(例えば、超越帰納法が使えるような)
> では、それらの正しさを証明できます。実際、一階述語論理の完全
> 性の証明とかもあるわけだからさ。

結局、メタ・フレームということになるのじゃありませんか。超越・・・。
ここには価値の前提群が想定されている。入力に価値がなくても、構造に価値の前提
があれば同じこと。これもまた、事実への還元とはいえない。

>
> > アリストテレスのここでの問題は、自分の認識の正しさを論じているも
> > の。コンピュータの構造論ではないが。
>
> 論じるのと、限界がどこにあるかを明解にするのとは大きな差が
> あります。一般意味論は、そのあたりではっきり後退していると
> 思う。

限界は、記号論理学の構造の問題。構造的限界。一般意味論の後退?後退という言葉
そのものが大変な価値だと思うけど。一般意味論は項のさんの価値判断をも、包み込
んでくれていると思いますね。

最後にもう一度、はじめにお聞きした価値に対する河野さんのお立場を、よろしく。

J_Saita3 premium

未読、
2003/11/17 14:14:172003/11/17
To:

"J_Saita3 premium" <J_Sa...@hotmail.com> wrote in message
news:3fb91...@news.premium-news.net...

>
> "Shinji KONO" <ko...@ie.u-ryukyu.ac.jp> wrote in message
> news:3989196...@insigna.ie.u-ryukyu.ac.jp...
> > 河野真治 @ 琉球大学情報工学です。
> >
> > In article <3fb82228$1...@127.0.0.1>, Miya_S <kmiya...@firemail.de>
> ですが。客観説をとるなら、自然主義と直感主義のいずれかだが、

訂正   直感主義――>直観主義

Shinji KONO

未読、
2003/11/18 1:42:432003/11/18
To:
河野真治 @ 琉球大学情報工学です。

In article <3fb91...@news.premium-news.net>, "J_Saita3 premium" <J_Sa...@hotmail.com> writes
> 話を変えましょう。

変えちゃうんですか? ちなみに議論したいのはなんなの?

> 記号という様相(モデル)に置き換えることで自然言語での限界を論理的に、数学的
> に解明しようとする立場はあるにはあるが、いくら駆使したところで、事実から価値
> を演繹できるわけではないでしょう。自然主義の誤謬は、価値が経験的事実に還元で
> きるとする価値一元論の立場だとおもいます。

それは、どういう価値を導出したいのかによるんじゃない? 還元主
義がうまくいく部分もあるし、いかない部分もあります。

事実に還元しない部分での 議論は恣意的な部分が残るのは仕方な
いし、ある意味で、なにやっても良いんだよね。一般意味論は、そ
のどうでもいい部分での議論でしかないと思う。

> 河野さんは、「価値判断は事実判断に還元できるか否か」という設問に対して、どう
> いう立場なのでしょう。「主観説」と「客観説」に分けたとき、客観説の立場のよう
> ですが。客観説をとるなら、自然主義と直感主義のいずれかだが、自然主義?。自然
> 主義なら還元論の立場。

単にラベル付けてているだけだなぁ。残念ながら、なんにでもうま
くいく自明な方法があるわけじゃないです。記号論の限界があるし、
人間の限界もあるし、量の限界もあるし。

> 外延は記号外在的な事実への考慮を要求するが、内包はそうは行かない。内包ともな
> れば、記号論理学での分類はできても内包そのものの価値は、価値の前提を必要とす
> ると、二元論の立場からはいえますよね。

外延だって量が多いと厳しい。内包は人間が想像したもの。外延の
方が現実に近いわけだけど、膨大かつ複雑。

> 結局、メタ・フレームということになるのじゃありませんか。超越・・・。
> ここには価値の前提群が想定されている。入力に価値がなくても、構造に価値の前提
> があれば同じこと。これもまた、事実への還元とはいえない。

超越帰納法ってのは記号論的な集合のモデルを使った方法なので、
メタ・フレームとは少し違います。

J_Saita3 premium

未読、
2003/11/19 11:50:572003/11/19
To:

"Shinji KONO" <ko...@ie.u-ryukyu.ac.jp> wrote in message
news:3989197...@insigna.ie.u-ryukyu.ac.jp...

> 河野真治 @ 琉球大学情報工学です。
>
> In article <3fb91...@news.premium-news.net>, "J_Saita3 premium"
<J_Sa...@hotmail.com> writes

> > 記号という様相(モデル)に置き換えることで自然言語での限界を論理的に、数
学的
> > に解明しようとする立場はあるにはあるが、いくら駆使したところで、事実から
価値
> > を演繹できるわけではないでしょう。自然主義の誤謬は、価値が経験的事実に還


元で
> > きるとする価値一元論の立場だとおもいます。
>
> それは、どういう価値を導出したいのかによるんじゃない? 還元主
> 義がうまくいく部分もあるし、いかない部分もあります。

事実から価値を演繹できる例があるなら、例を言ってみてください。

>
> 事実に還元しない部分での 議論は恣意的な部分が残るのは仕方な
> いし、ある意味で、なにやっても良いんだよね。一般意味論は、そ
> のどうでもいい部分での議論でしかないと思う。

価値から事実に還元できるというのは、事実から価値が演繹できるということをここ
ではさしているのですが、
かくも簡単に事実に価値を還元できる、つまり、事実から価値を演繹できるなどとい
うことを前提にされたのでは、
前提に誤謬があるわけですから、後段部分の河野さんの結論はおかしいですよ。

事実に価値を還元できるというなら、どんなケースを言っているのですか?ないと思
いますが。どんなケースを河野さんは言っているのですか。

>
> 超越帰納法ってのは記号論的な集合のモデルを使った方法なので、

河野さんが、超越帰納法を使えば、コンピュータが自分の正しさを証明できるとおっ
しゃるのですが、回路にも、ロードされたプログラムにも、前提としての価値を一切
用意せずに、価値を事実に還元できるなら、価値は事実に論理的に無謬なくつながっ
たということになり、それは、事実と価値の二元論に反するし、存在と当為の二元論
にも反する。帰納法でも、論理的な誤謬なく事実に到達すれば、一元論だ。

「事実から価値」を、「存在から当為」を導出する場合に無意識に犯している論理上
の誤謬を、記号論理学が犯してないとするなら、「その前提が二つとも直説法になっ
ている場合は、その結論も直接法になるはず」であって、「結論が命令法になるため
には前提の少なくとも一つがそれ自体命令法になっていることが必要である」とす
る、アンリ・ポアンカレの言葉は否定されたことになる。前提群中にひとつの価値言
明もなくて「事実から価値」への推論が無謬的に行われるなどと、これは驚異的な自
然主義一元論。

J_Saita3 premium

未読、
2003/11/19 11:54:082003/11/19
To:

"Shinji KONO" <ko...@ie.u-ryukyu.ac.jp> wrote in message
news:3989197...@insigna.ie.u-ryukyu.ac.jp...

> 河野真治 @ 琉球大学情報工学です。
>
> In article <3fb91...@news.premium-news.net>, "J_Saita3 premium"
<J_Sa...@hotmail.com> writes

> > 記号という様相(モデル)に置き換えることで自然言語での限界を論理的に、数


学的
> > に解明しようとする立場はあるにはあるが、いくら駆使したところで、事実から
価値
> > を演繹できるわけではないでしょう。自然主義の誤謬は、価値が経験的事実に還
元で

> > きるとする価値一元論の立場だとおもいます。
>
> それは、どういう価値を導出したいのかによるんじゃない? 還元主
> 義がうまくいく部分もあるし、いかない部分もあります。

事実から価値を演繹できる例があるなら、例を言ってみてください。

>
> 事実に還元しない部分での 議論は恣意的な部分が残るのは仕方な
> いし、ある意味で、なにやっても良いんだよね。一般意味論は、そ
> のどうでもいい部分での議論でしかないと思う。

価値から事実に還元できるというのは、事実から価値を演繹できるということをここ


ではさしているのですが、
かくも簡単に事実に価値を還元できる、つまり、事実から価値を演繹できるなどとい
うことを前提にされたのでは、
前提に誤謬があるわけですから、後段部分の河野さんの結論はおかしいですよ。

事実に価値を還元できるというなら、どんなケースを言っているのですか?ないと思
いますが。どんなケースを河野さんは言っているのですか。

>
> 超越帰納法ってのは記号論的な集合のモデルを使った方法なので、

河野さんが、超越帰納法を使えば、コンピュータが自分の正しさを証明できるとおっ
しゃるのですが、回路にも、ロードされたプログラムにも、前提としての価値を一切
用意せずに、価値を事実に還元できるなら、価値は事実に論理的に無謬なくつながっ
たということになり、それは、事実と価値の二元論に反するし、存在と当為の二元論
にも反する。帰納法でも、論理的な誤謬なく事実に到達すれば、一元論だ。

「事実から価値」を、「存在から当為」を導出する場合に無意識に犯している論理上
の誤謬を、記号論理学が犯してないとするなら、「その前提が二つとも直説法になっ
ている場合は、その結論も直接法になるはず」であって、「結論が命令法になるため
には前提の少なくとも一つがそれ自体命令法になっていることが必要である」とす
る、アンリ・ポアンカレの言葉は否定されたことになる。前提群中にひとつの価値言
明もなくて「事実から価値」への推論が無謬的に行われるなどと、これは驚異的な自
然主義一元論。


>

Shinji KONO

未読、
2003/11/19 20:22:012003/11/19
To:
河野真治 @ 琉球大学情報工学です。(なんか、二つ投稿されてるけど...)

In article <3fbba...@news.premium-news.net>, "J_Saita3 premium" <J_Sa...@hotmail.com> writes
> 事実から価値を演繹できる例があるなら、例を言ってみてください。

例えば、日当たりの良い家は、日当たりの悪い家より良いとか。価
格とかでもいいですよね。それがすべてとは言わないけど、ある程
度、普遍的な価値を決めてます。

> かくも簡単に事実に価値を還元できる、つまり、事実から価値を演繹できるなどとい
> うことを前提にされたのでは、
> 前提に誤謬があるわけですから、後段部分の河野さんの結論はおかしいですよ。

それは君の読み方が間違ってます。なんか、思い込み入ってない?

「事実に還元しない部分での 議論は恣意的な部分が残るのは仕方
ないし、ある意味で、なにやっても良いんだよね。」ってのは、事
実に還元できない価値もあるっていう前提です。

還元できない部分は、割りとどうでもいい部分だってわけです。例
えば、「神が存在するかどうか」みたいな感じ。それを恣意的に解
決するのは良いけど、そこから出て来るのは勝手な結果だけだろっ
てわけです。

> 河野さんが、超越帰納法を使えば、コンピュータが自分の正しさを証明できるとおっ
> しゃるのですが、回路にも、ロードされたプログラムにも、前提としての価値を一切
> 用意せずに、

(文章が継ってないぞ...)

そのあたりの価値も、プログラムとかが持っている事実に依存する
価値(1+1=2 みたいな整合性から来る価値とかだな。あるいは、ゲ
ームオーバーみたいなもの。あるいは、画像の圧縮時のロスの程度)
と、人間が持ち込む価値(例えば画像データに感じるコンピュータ
が直接関与しない価値) の二つがありますね。後者は事実に還元
できる必要は無いです。

> 価値を事実に還元できるなら、価値は事実に論理的に無謬なくつながっ
> たということになり、それは、事実と価値の二元論に反するし、存在と当為の二元論
> にも反する。帰納法でも、論理的な誤謬なく事実に到達すれば、一元論だ。

別に「事実と価値の二元論」に反しても僕は困んないけど。僕は、
言語表現と言語がさすものは別だっていう二元論なので。そして、
一般意味論は、その区別がついてない。

> 「事実から価値」を、「存在から当為」を導出する場合に無意識に犯している論理上
> の誤謬を、記号論理学が犯してないとするなら、「その前提が二つとも直説法になっ
> ている場合は、その結論も直接法になるはず」であって、「結論が命令法になるため
> には前提の少なくとも一つがそれ自体命令法になっていることが必要である」とす
> る、アンリ・ポアンカレの言葉は否定されたことになる。前提群中にひとつの価値言
> 明もなくて「事実から価値」への推論が無謬的に行われるなどと、これは驚異的な自
> 然主義一元論。

だから.... その「価値」って思い込みが入りすぎ。価値っていう
言葉が持つ形式的なゲームと、それが指す内容は別物なの。それを
区別しないから「命令形」みたいな間違いが入って来ちゃう。

異なる物A,Bがあれば、それに勝手に「Aの方がBよりも価値がある」
とするのは、それこそ勝手ですよね。「10より100の方が大きい」
の「大きい」を言葉として価値とみなせば、事実に還元できる価値
を簡単に導入できます。

で、一般意味論は、その「勝手な価値」に関する議論でしかなくて、
当然と言えば当然なんだけど、あまり成功した理論になってないの
だと思う。

M_SHIRAISHI

未読、
2003/11/26 23:22:472003/11/26
To:
ko...@ie.u-ryukyu.ac.jp (Shinji KONO) wrote in message news:<3989196...@insigna.ie.u-ryukyu.ac.jp>...

> 河野真治 @ 琉球大学情報工学です。
>
> In article <3fb82228$1...@127.0.0.1>, Miya_S <kmiya...@firemail.de> writes
> > あなたの、立場が記号学か記号論に立っているだけの話でしょう。
> > 論理学はそのような立場のものでしかないと断定するのは違うと思いま
> > すね。
>
> 言語を使って学問をする以上、記号論があらゆる学問の基本にある
> のは仕方がないです。

やや奇異に聞こえるかも知れないけど、人は言語を使って学問してるわけ
じゃ~ないよ。


学問をした結果/成果を言語でもって*表現*し、また、先達の行った学問
の成果を書物等を通して*言語で*知るだけの話であって、自分自身が独自
に思索する場合には、言語は「単なる補助手段」でしかない。


碁とか将棋とかが、いい例だね。 棋士は、言語を使って布石を思索して
いるわけではない。

「相手があそこに飛車を打ってきたら、こちらは・・・」なんて、言語を
使って思索しているようでは、ヘボ将棋しか打てない。 ヽ(^。^)ノ

同様に、数学等の問題を考える際に、言語を使って考えているようでは、
ハナシにナラナイ。


言語よりも閃き/直観のほうが遥かに先行する。

M_SHIRAISHI @The_New_York_Academy_of_Sciences

http://www.apionet.or.jp/~eurms/Ronri_Kaikaku.html

Hideki Kato

未読、
2003/12/03 7:03:422003/12/03
To:
加藤@ODNです.

In article <800c7853.0311...@posting.google.com>, M_SHIRAISHI wrote:
>> 河野真治 @ 琉球大学情報工学です。
>>
>> In article <3fb82228$1...@127.0.0.1>, Miya_S <kmiya...@firemail.de> writes
>> > あなたの、立場が記号学か記号論に立っているだけの話でしょう。
>> > 論理学はそのような立場のものでしかないと断定するのは違うと思いま
>> > すね。
>>
>> 言語を使って学問をする以上、記号論があらゆる学問の基本にある
>> のは仕方がないです。
>
>
>やや奇異に聞こえるかも知れないけど、人は言語を使って学問してるわけ
>じゃ~ないよ。
>
>
>学問をした結果/成果を言語でもって*表現*し、また、先達の行った学問
>の成果を書物等を通して*言語で*知るだけの話であって、自分自身が独自
>に思索する場合には、言語は「単なる補助手段」でしかない。
>
>
>碁とか将棋とかが、いい例だね。 棋士は、言語を使って布石を思索して
>いるわけではない。
>

>言語よりも閃き/直観のほうが遥かに先行する。

個人の頭の中では全くその通りです.が,「学問」と言う以上,個人の頭の
中で済むものではなく,大勢の他者との関わり(議論など)が必須であり,
個人の思考結果を伝える道具が言語しかない以上,河野さんが書かれた限界
が存在するのはやむをえないかと.


--
Hideki Kato <mailto:ka...@pop12.odn.ne.jp>


----== Posted via Newsfeed.Com - Unlimited-Uncensored-Secure Usenet News==----
http://www.newsfeed.com The #1 Newsgroup Service in the World! >100,000 Newsgroups
---= 19 East/West-Coast Specialized Servers - Total Privacy via Encryption =---

Shinji KONO

未読、
2003/12/03 10:59:412003/12/03
To:
河野真治 @ 琉球大学情報工学です。SHIRAISHI氏の記事は最近は読めないな。

>言語を使って学問をする以上、記号論があらゆる学問の基本にある
>のは仕方がないです。

In article <3fcdd11e.6896%ka...@pop12.odn.ne.jp>, Hideki Kato <ka...@pop12.odn.ne.jp> writes


> 個人の頭の中では全くその通りです.が,「学問」と言う以上,個人の頭の
> 中で済むものではなく,大勢の他者との関わり(議論など)が必須であり,
> 個人の思考結果を伝える道具が言語しかない以上,河野さんが書かれた限界
> が存在するのはやむをえないかと.

限界っていうか... 対象は言語的である必要は無いんですよね。ただ、
それを取り扱う手段が言語的なものしかない。直接的には、誰か他人の
考えている「言語的でないもの」を確認する手段が言語しかないって
ことなんですよね。

もちろん、単純に「信じて」しまってもいいんですけど>..

> >碁とか将棋とかが、いい例だね。 棋士は、言語を使って布石を思索して
> >いるわけではない。

なぜ、記号的なゲームをここに持って来る?

M_SHIRAISHI

未読、
2003/12/04 11:48:012003/12/04
To:
Hideki Kato <ka...@pop12.odn.ne.jp> wrote in message news:<3fcdd11e.6896%ka...@pop12.odn.ne.jp>...

> 加藤@ODNです.
>
> In article <800c7853.0311...@posting.google.com>, M_SHIRAISHI wrote:
> >
> >やや奇異に聞こえるかも知れないけど、人は言語を使って学問してるわけ
> >じゃ~ないよ。
> >
> >
> >学問をした結果/成果を言語でもって*表現*し、また、先達の行った学問
> >の成果を書物等を通して*言語で*知るだけの話であって、自分自身が独自
> >に思索する場合には、言語は「単なる補助手段」でしかない。
> >
> >
> >碁とか将棋とかが、いい例だね。 棋士は、言語を使って布石を思索して
> >いるわけではない。
> >
> >言語よりも閃き/直観のほうが遥かに先行する。
>
> 個人の頭の中では全くその通りです.が,「学問」と言う以上,個人の頭の
> 中で済むものではなく,大勢の他者との関わり(議論など)が必須


そんなことはない。 真理を発見したら、それを必ず他人に教えなければならぬ
なんてことはないのだから。 ヽ(^。^)ノ

Hideki Kato

未読、
2003/12/05 4:14:492003/12/05
To:
加藤@ODNです.

誰にも伝えないのでは学問とは呼べないでしょう.それに,真理かどうかの
判定を個人内で完結したのではトンデモと同じ.

Hideki Kato

未読、
2003/12/05 4:23:212003/12/05
To:
加藤@ODNです.

主題が異なるので別記事にします.

In article <800c7853.0311...@posting.google.com>, M_SHIRAISHI wrote:

>学問をした結果/成果を言語でもって*表現*し、また、先達の行った学問
>の成果を書物等を通して*言語で*知るだけの話であって、自分自身が独自
>に思索する場合には、言語は「単なる補助手段」でしかない。
>
>
>碁とか将棋とかが、いい例だね。 棋士は、言語を使って布石を思索して
>いるわけではない。
>
>「相手があそこに飛車を打ってきたら、こちらは・・・」なんて、言語を
>使って思索しているようでは、ヘボ将棋しか打てない。 ヽ(^。^)ノ
>
>同様に、数学等の問題を考える際に、言語を使って考えているようでは、
>ハナシにナラナイ。
>
>
>言語よりも閃き/直観のほうが遥かに先行する。

シライシさんは自転車の運転(操縦?)あるいはスキーの滑降のようなもの
は「思索」と呼ばれますか?
#つまり小脳辺りが担当してると思われるもの.

棋士の思索はどうもこれに当たるようなのです.

#個人的には,言語を用いない(インタプリティブではないと言ってもい
#いかも知れない)思考は小脳が実行しているのではないかと疑っておりま
#す.

と,言うことでどこら辺りから「思索」と呼ぶか,「思索」と自転車の運転
のようなものの境目はどうなるかが疑問なのです.

M_SHIRAISHI

未読、
2003/12/05 17:59:352003/12/05
To:
Hideki Kato <ka...@pop12.odn.ne.jp> wrote in message news:<3fd04c89.6901%ka...@pop12.odn.ne.jp>...

> 加藤@ODNです.
>
> In article <800c7853.03120...@posting.google.com>, M_SHIRAISHI wrote:
> >Hideki Kato <ka...@pop12.odn.ne.jp> wrote in message
> >news:<3fcdd11e.6896%ka...@pop12.odn.ne.jp>...
> >> 加藤@ODNです.
> >>
> >> In article <800c7853.0311...@posting.google.com>, M_SHIRAISHI wrote:
> >> >
> >> >やや奇異に聞こえるかも知れないけど、人は言語を使って学問してるわけ
> >> >じゃ~ないよ。
> >> >
> >> >
> >> >学問をした結果/成果を言語でもって*表現*し、また、先達の行った学問
> >> >の成果を書物等を通して*言語で*知るだけの話であって、自分自身が独自
> >> >に思索する場合には、言語は「単なる補助手段」でしかない。
> >> >
> >> >
> >> >碁とか将棋とかが、いい例だね。 棋士は、言語を使って布石を思索して
> >> >いるわけではない。
> >> >
> >> >言語よりも閃き/直観のほうが遥かに先行する。
> >>
> >> 個人の頭の中では全くその通りです.が,「学問」と言う以上,個人の頭の
> >> 中で済むものではなく,大勢の他者との関わり(議論など)が必須
> >
> >
> >そんなことはない。 真理を発見したら、それを必ず他人に教えなければならぬ
> >なんてことはないのだから。 ヽ(^。^)ノ
>
> 誰にも伝えないのでは学問とは呼べないでしょう.それに,真理かどうかの
> 判定を個人内で完結したのではトンデモと同じ.

Анпонтан!


Isaac Newton(1642-1727)は、流率法を発見したが、それを永く秘密にしていた。
# 流率法を使って得られた≪結果≫だけは公表していたが・・・。

Leibniz に嗅ぎつかれるような事態にさえならなかったならば、恐らく、彼は、生涯、
流率法を秘密にしていたことだろう。

ソチは「流率法は学問ではない」と主張して、人々の嘲笑を浴びたいのか? ヽ(^。^)ノ


一方、“フェルマの大定理”で有名な Pierre de Fermat(1601-1665)が、自分の
発見した多くのことを秘密にしていたのは、数学史では有名な話だ。


古代において、ピタゴラス教団は熱心に数学の研究をしたが、その発見の多くは
教団内の秘密とされた。 とりわけ、無理量の発見は教団の最高機密とされ、
それを外部に漏らした人物は教団の手によって暗殺されたと言われている。


洋の東西を問わず、昔は、「大発見」とか「大発明」とかは秘密/秘伝とされるのが
普通だった。


近代に入ると(ノーベル賞とか特許法とかという≪アホなもの≫がつくられたせいで)
功名心にはやるタワケどもが、競って自分の発見とか発明とかを公表するようになった。


質量がエネルギーに転化することを発見した≪非常識でかつ間抜けな Einstein≫は、
愚かにも(!)、それを公表した。

# そのようなことを公表したならば、後に“核兵器”と呼ばれることになった「恐るべき
大量破壊兵器」の開発を誘導することになることは、少し常識があったならな、誰にも
わかることだ。

## Einstein が、可能な限り永く、その発見を秘匿していたならば、広島や長崎の
悲劇は無かったのだ。


   才能がその宿るべき人格を誤ると、このような悲劇を招来する。

M_SHIRAISHI @ The_New_York_Academy_of_Sciences

M_SHIRAISHI

未読、
2003/12/06 3:50:022003/12/06
To:
Hideki Kato <ka...@pop12.odn.ne.jp> wrote in message news:<3fd04e89.6902%ka...@pop12.odn.ne.jp>...

>
> シライシさんは自転車の運転(操縦?)あるいはスキーの滑降のようなもの
> は「思索」と呼ばれますか?
> #つまり小脳辺りが担当してると思われるもの.
>
> 棋士の思索はどうもこれに当たるようなのです.
>
> #個人的には,言語を用いない(インタプリティブではないと言ってもい
> #いかも知れない)思考は小脳が実行しているのではないかと疑っておりま
> #す.
>
> と,言うことでどこら辺りから「思索」と呼ぶか,「思索」と自転車の運転
> のようなものの境目はどうなるかが疑問なのです.


自転車の運転/操縦は、思索ではなくて、バランス感覚/運動神経の問題だろう。

碁や将棋での思索/推論は、学問(例えば、幾何学)での推論とは違うかも知れ
ないけど、それがどちらに近いかと言えば、自転車の運転/操縦よりも、幾何学
での推論だろう。

Hideki Kato

未読、
2003/12/06 11:38:442003/12/06
To:
加藤@ODNです.

In article <800c7853.03120...@posting.google.com>, M_SHIRAISHI wrote:
>Hideki Kato <ka...@pop12.odn.ne.jp> wrote in message

>news:<3fd04c89.6901%ka...@pop12.odn.ne.jp>...
>> 加藤@ODNです.

>> 誰にも伝えないのでは学問とは呼べないでしょう.それに,真理かどうかの
>> 判定を個人内で完結したのではトンデモと同じ.
>
>
>
>Анпонтан!
>
>
>Isaac Newton(1642-1727)は、流率法を発見したが、それを永く秘密にしていた。
># 流率法を使って得られた≪結果≫だけは公表していたが・・・。
>
>Leibniz に嗅ぎつかれるような事態にさえならなかったならば、恐らく、彼は、生涯、
>流率法を秘密にしていたことだろう。
>
>ソチは「流率法は学問ではない」と主張して、人々の嘲笑を浴びたいのか? ヽ(^。^)ノ

それとても,結局(本人は不本意だったとしても)公表したからこそ今残っ
ており,学問として残っているんでしょ? 全く公表してなければやはり後
世に伝わらなかったわけで.また,それも文字で表わされたものではありま
せんか?

>一方、“フェルマの大定理”で有名な Pierre de Fermat(1601-1665)が、自分の
>発見した多くのことを秘密にしていたのは、数学史では有名な話だ。

本当に(完全に)秘密になっていたら「多くのことを秘密にしていた」とい
う事さえ分からないはずでしょう.

>古代において、ピタゴラス教団は熱心に数学の研究をしたが、その発見の多くは
>教団内の秘密とされた。 とりわけ、無理量の発見は教団の最高機密とされ、
>それを外部に漏らした人物は教団の手によって暗殺されたと言われている。
>
>
>洋の東西を問わず、昔は、「大発見」とか「大発明」とかは秘密/秘伝とされるのが
>普通だった。

結局これらは「本当の」秘密ではないわけで...

以下,話変わりますが重要な問題だと思うので,,,

>近代に入ると(ノーベル賞とか特許法とかという≪アホなもの≫がつくられたせいで)
>功名心にはやるタワケどもが、競って自分の発見とか発明とかを公表するようになった。
>
>
>質量がエネルギーに転化することを発見した≪非常識でかつ間抜けな Einstein≫は、
>愚かにも(!)、それを公表した。

フェルミが悔やんでいたのも有名な話ですね.平和活動に熱心になっても,
きつい言い方になりますが,後の祭りではあります.

># そのようなことを公表したならば、後に“核兵器”と呼ばれることになった「恐るべき
>大量破壊兵器」の開発を誘導することになることは、少し常識があったならな、誰にも
>わかることだ。

科学者に常識があるかどうかという疑念に関してはここでは保留しておきま
すが(笑,,,

>## Einstein が、可能な限り永く、その発見を秘匿していたならば、広島や長崎の
>悲劇は無かったのだ。
>
>
>   才能がその宿るべき人格を誤ると、このような悲劇を招来する。

私自身が研究している人工知能という分野にも同様の危険性が含まれてお
り,以前から気に掛けている問題です.しかし,例えば特殊相対論はアイン
シュタインが発見しなくても数年のうちに別の誰かが発見していたであろう
ことはほぼ疑いなく,また世の中にはこのような事を意識しない科学者が相
当数存在することも事実です.

#助手をやってた時に,「自分の研究が人類を危険にさらす可能性があった
#ら研究を止めるか?」と複数の学生に訊いた事があるんですが,少数なが
#ら「止めない」と答えた人間がいました.

これらを考慮するならば,研究を止めるあるいは秘諾するよりも,その危険
性を無くす研究を同時に行うのが適切なのではないかと,今は考えていま
す.ま,常に可能とは限りませんが...
#発見したセキュリティホールを公開するべきか否かという議論と似た点も
#ありましょうか.

また,一般論としても,悪用できない技術というのはほとんど無いのも事実
ですから,どの程度の危険性のところに線を引くかは(科学者個人の判断に
委ねられることもあり)難しい問題です.

とは言え,技術が悪いのではない,悪用する人間が悪いのだ,と嘯いてもい
られないのが現実ですから,科学者/技術者が何か手を打たないといけない
と,切実に思います.

大袈裟な言い方になりますが,人類を幸福にするために工学系を志したの
に,半世紀生きた今歴史をふり返ってみると,メリットよりデメリットの方
がはるかに多い事に気付き暗澹たる気持ちになります.これをどうやって解
決するかが,人類の未来(滅びるか否か)を決めると言っても過言ではない
ように思います.

M_SHIRAISHI

未読、
2003/12/07 9:14:582003/12/07
To:
Hideki Kato <ka...@pop12.odn.ne.jp> wrote in message news:<3fd20614.6903%ka...@pop12.odn.ne.jp>...

> 加藤@ODNです.
>
> In article <800c7853.03120...@posting.google.com>, M_SHIRAISHI wrote:
> >Hideki Kato <ka...@pop12.odn.ne.jp> wrote in message
> >news:<3fd04c89.6901%ka...@pop12.odn.ne.jp>...
> >> 加藤@ODNです.
>
> >> 誰にも伝えないのでは学問とは呼べないでしょう.それに,真理かどうかの
> >> 判定を個人内で完結したのではトンデモと同じ.
> >
> >
> >
> >Анпонтан!
> >
> >
> >Isaac Newton(1642-1727)は、流率法を発見したが、それを永く秘密にしていた。
> ># 流率法を使って得られた≪結果≫だけは公表していたが・・・。
> >
> >Leibniz に嗅ぎつかれるような事態にさえならなかったならば、恐らく、彼は、生涯、
> >流率法を秘密にしていたことだろう。
> >
> >ソチは「流率法は学問ではない」と主張して、人々の嘲笑を浴びたいのか? ヽ(^。^)ノ
>
> それとても,結局(本人は不本意だったとしても)公表したからこそ今残っ
> ており,学問として残っているんでしょ? 全く公表してなければやはり後
> 世に伝わらなかったわけで.また,それも文字で表わされたものではありま
> せんか?


公表していようが公表していまいが、流率法がれっきとした学問であったことに
かわりはない。

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