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般若心経の研究【照見五蘊皆空(し ょうけんごうんかいくう)とは?】

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J_Saita3 premium

未読、
2003/08/10 6:23:042003/08/10
To:
照見五蘊皆空にはいらせていただきます。
照見は異論はまずないと思うのです。
五蘊は皆、空であるということですが、

鶴田さんの投稿 Message-ID: <bg9209$294l$1...@nwall2.odn.ne.jp>
より照見五蘊皆空について。

>
> 人間を構成する五つの要素である、身体、感覚、意識、意志、認
> 識は、所詮、情報によって形作られたものにすぎないのである。
>

五蘊というのは上記のものなのだと鶴田さんは書きました。
皆さんはどのように解釈しますか。

空であるというところを、「過ぎない」と鶴田さんは解釈されてるようですがもう少
し具体的にお聞かせください。どのように「空」なのか。


SEO Shirou

未読、
2003/08/11 12:58:452003/08/11
To:

"J_Saita3 premium" <J_Sa...@hotmail.com> wrote in message
news:3f361...@news.premium-news.net...
中道という概念で説明する御意見も出ていますが、私は
次の桑田さんの瞑想による解読になるほどという気がします。
「人間の命の奥には命の真理を見通す能力が備わっている。
それは瞑想の行とともに目覚めだし
理知として精神の意識に現れてくる。
その理知を目覚め去れば
見えない命の次元に連なる、自らの命が見えてくる。
そこにおいて、人はこの世のすべての「苦」を超えることが出来るのだ。」

実際、私は、動功により気を練りますが、しかし、私は呼吸に、
般若心経のマントラ
ガティー ガティー パーラガティー パーラーサンガティー ボーディー スヴァー
ハー
を使います。呼吸はこれ以上もう続かないというほどのところでなお続けます。
上のマントラは吐くときのに使用します。はききったときはすこし息を止め、すい
きったときも息を少し止めます。動功でこれをすると、やがて無条件に動功が終わっ
たあとにはすばらしい快感が残ります。理屈ではいやされない魂の傷が無条件で修復
されるような感動です。

人間のたましいの傷というのは、理屈ではなかなか修復できないのに、こうして、瞑
想により内奥の命の見えない次元に導通させると、一瞬にして無条件にすばらしい状
態になるというこの現実にであったとき、見えない命の次元というものがあながちウ
ソではないなという、そんな瞑想の恩恵を受けました。有酸素運動というのとも違
う。体内モルヒネというのとも違うと思いますね。あるいは出ているのかもしれない
が。

わたしは、般若波羅蜜多の行は瞑想(動功を含む広範なもの)にあることを思うもの
です。だからといって般若心経核あるべし論で、人の解釈を切り捨てる気はさらさら
ありません。
長くなりましたが 五蘊とは「命の働きのいっさいがっさい」という解釈です。そし
て、ここで登場する「空」は瞑想を通して得られる命の【内側】の眼でとらえられた
命の次元という考えです。

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SEO Shirou

未読、
2003/08/17 7:32:592003/08/17
To:
SEO Shirouさんの<3f37c...@127.0.0.1>から

>
>"J_Saita3 premium" <J_Sa...@hotmail.com> wrote in message
>news:3f361...@news.premium-news.net...
>> 照見五蘊皆空にはいらせていただきます。
>> 照見は異論はまずないと思うのです。
>> 五蘊は皆、空であるということですが、
>>
>> 鶴田さんの投稿 Message-ID: <bg9209$294l$1...@nwall2.odn.ne.jp>
>> より照見五蘊皆空について。
>>
>> >
>> > 人間を構成する五つの要素である、身体、感覚、意識、意志、認
>> > 識は、所詮、情報によって形作られたものにすぎないのである。
桑田さんの瞑想による悟りを私なりの言葉で翻訳すると
五蘊は肉体(色)は苦痛、快感という(想)を産み、苦痛は怒り(想)を快感
は喜び(想)を産む。さらにそれらの想念が行動(行)を産む。この(行)
は、さまざまなリアクションにぶつかり、考え込み、考え(識)が生まれる。
これらが、意識の全体像。つまり、意識というのは五蘊に比例しておおきくな
る。大きな快楽も大きな執着を生み、それは大きな苦痛を産む。これが人間の
心の本質だという。この原理を理解したときに自分の心の扱う知恵が出てく
る。生命の奥に潜むものを実感するとき、それは「法」であり、それはまた仏
陀が「空」と表現したもの。それは生命のあるうちに実感しなければならない
ものであり、理解しなければならないもの。

事実、私は動功のなかで、理屈抜きの実感が湧いてくる。理屈ぬきで現れる実
感で心が見えるひかりのようなもの。これにふれると無条件で魂の傷が瞬間で
消えてしまうそんな実感がある。


--
SEO Shirou mailto:ses...@myself.com

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