彼女は1979年生まれで鹿児島出身、現在は熊本の大学に
在学中らしい。縦横15センチ少々のハードカバーの詩集
には、23編の詩が収録されている。
「一人は寂しい/二人は嬉しい/多くの中だと言い様なくて/
私は気を狂わせて/皆をひいた/皆はひいた」(「混沌」)
といった言葉の使い方は、いかにも若い女性らしい感覚で
あると思う。
以前に紹介した島田奈都子の詩と同じく、男性には書く
ことのできない女性独特の視点というものが確かに存在
するのだと、この詩集を読んであらためて思った。熟成
した言葉によるベテラン詩人の詩集を読み慣れていると、
荒削りな部分が気になるかも知れないが、年齢を考えると
将来が楽しみな詩人だと思う。
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すべては無の見ている夢 ならば良い夢を 酔生無詩
▲ Nachi Yumesawa --夢沢那智--
-▲猫- φ(^^;) yume...@mac.com
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Cosmos/9202/
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先日、平川綾真智氏から手紙をいただいたのだが、私は
詩の内容からてっきり女性だと思っていたら、本名を見ると
どうやらそうではないらしい。確認したわけではないので
断言はできないが、とりあえず女性だと断言して書いたことに
ついては、お詫びして訂正させていだたく。
> 以前に紹介した島田奈都子の詩と同じく、男性には書く
> ことのできない女性独特の視点というものが確かに存在
> するのだと、この詩集を読んであらためて思った。熟成
> した言葉によるベテラン詩人の詩集を読み慣れていると、
> 荒削りな部分が気になるかも知れないが、年齢を考えると
> 将来が楽しみな詩人だと思う。
とか書いてたいたのに、恥ずかしいったらありゃしない。
「初夜」を読んだ時は間違いなく女性だと思っていたし、
他の作品で“僕”という言葉を使ったのもテクニックの
ひとつだと思っていた。もしも男性だとしたら、こういう
詩を書けるという意味でもたいしたものだ(言い訳風味
>> 先日、平川綾真智氏から手紙をいただいたのだが、私は
>> 詩の内容からてっきり女性だと思っていたら、本名を見ると
>> どうやらそうではないらしい。
恋する女の哀しみや恨みを詠った演歌の歌詞がどんなによくできて
いたとしても,作詞家が女性であると短絡的に思い込む人は少ない
でしょう.
詩は,小説その他の文学形式と同じように,フィクションなのであ
り,たとえ一人称で書かれていたとしても,作品の主人公(本居宣
長のいう「歌主:うたぬし」と作者とは別なのだと思います.
小説や流行歌の歌詞を読む場合には,作品の主人公と作者との区別
がはっきりなされているのに,どうして詩の場合にはそうした誤解
が生じるのか?
「詩とは作者の感情の表現である」という誤った(?)学校教育の成果
が一般に広く普及しているからなのでしょうか?
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Kiss cedar, Call witch!