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石原慎太郎氏はなぜ総理大臣になれない か

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Muraki

未読、
2003/09/13 8:59:462003/09/13
To:
議会制民主主義のもとでは彼に総理大臣の目はない。
ただ、議会制民主主義が崩壊した場合、彼の登場はありうるし、最右翼だろう。

石原を嫌う者たちの目は、有る意味で的確な感性を持っているだろう。
かれらは本能的にか計算の上か知らないが、石原の軍人の長としての立場を触覚でか
いでいる。

谷村一派は、議会制民主主義を否定した方が筋が通るよ。その上で軍人の長としての
石原政権をもくろんだ方が君たちの筋が通る。

ただ石原は総理大臣にはならない方がよい。かれは、政治家ではない。思想家。


Muraki

未読、
2003/09/13 12:08:142003/09/13
To:

"Muraki" <mura...@doglover.com> wrote in message
news:3f631...@news.premium-news.net...
> ただ石原は総理大臣にはならない方がよい。かれは、政治家ではない。思想家。

石原の思想の根本は、民族ではない。
日の丸でもない。
詩の否定である。
歌の否定であるといってもよい。
そこには、翻訳語としての、日本語の再構築された美しさと苦しみがある。
わが国を、この西洋合理的精神で再構築するとき、わが国の詩は死に
西洋でも東洋でもない塊のような文体が連綿体として綴られよう。
石原の思想家としての遍歴は、鋭いものであるが、その実働部隊はわが国においては
存在しない。
自らその指揮を執る宿命を負わされている思想家石原の悲劇がそこにある。
政治において彼が埋没しないためには思想家石原が生き続けることが必須条件だが
不幸にして、彼にとっての思想家としての「華」への道はあまりに険しい。

石原を誹謗する対象ではなく、その合理精神から租借できるものを開示する能力が現
代の若者に求められている。イデオロギーではなく宗教でもなく、そこには科学の様
な物が有るのだが、くみ出せるか否か、わが国の政治的な思想はあまりに貧弱であ
る。官僚機構と宗教による衆愚化が彼の最大の敵なのだがの国民にそれが分かって
はいない。日本国民の衆愚化は加速している。

おいらはMac

未読、
2003/09/13 12:35:102003/09/13
To:

"Muraki" <mura...@doglover.com> wrote in message
news:3f634...@news.premium-news.net...


むしろMuraki氏のこの記事には「鋭さ」を覚えますね。価値ある一稿だと拝聴させて
いた
だきやした。<日本国民の衆愚化>をキーワードとして用いられている点も好感が持
てます。

当方のキーワードは批判の名宛人集団としての<抽象的国民>と<国民の衆愚性>で
あります。

それと、思考方法としては<概念思考からの脱却>であります。

さらに、理念としては<民主主義の非優位性>であります。視点は常にここあり!

--
おいらはMac@Individual.NET

Muraki

未読、
2003/09/13 16:06:232003/09/13
To:

"おいらはMac" <whiteb...@mac.com> wrote in message
news:bjvh02$ne9eq$1...@ID-205905.news.uni-berlin.de...
Mac氏の理解をたまわったが、内心、複雑な思いがある。
それは、Mac氏の投稿は、日本の予兆を現しており、いやおうなくわが国国民が今後
10年において避けて通れない思考の峠を提示しているからである。

国民の衆愚化を誰よりも望んだ官僚政治は、今やその目的を達成している。愚民は、
悪しき花と化した民主主義の影の中にのみ入り乱れ、スキだのキライだの、夢だの欲
得だの、イデオロギーだの正義だのと、この世にありもしない影のとりこの羊となっ
て、官僚政治は愚民の羊を思うがままに飼いならすにまで羊の知能を落とすことに
成功してきた。

政治家は、牧童【官僚】の分け前をもらう牧童犬になり果てた。

衆愚化した愚かな羊は、あらゆるものを宗教化してしか認識できなくなっている。資
本主義しかり、共産主義しかり、社会主義しかり、民主主義しかり、社会保障しか
り、軍備しかり、憲法しかり、枚挙にいとまがない。
この愚民化した牧羊を人間の思考に復帰させることこそ急務である。

石原氏の発想には、牧羊が人間に回帰する思想のエッセンスが垣間見られる。石原の
提言にふれたとき日本国民は牧羊から人間の記憶をふと思い出すようなところがあ
る。自らの人間の脳を守り抜いてきた思想家石原の面目がそこにある。
その角笛は、時には狼の鳴き声にも似て、牧羊は動揺しおびえ泣き叫ぶ。羊よ、愚民
よ、
石原の吹く人間回帰の角笛の音と、君たちを頭数としか数えない牧童の角笛の音響
の差を聞き分けねばならない。角笛の音の差異識別にこそ、牧羊が人間に回帰する
チャンスが流れている。

石原氏がテロを容認するなら、なにも政治家になどなりはしない。政治家ほどテロの
標的になるものはないからだ。テロを仕掛けるものは表に出ようとはしない。ビデオ
に出るのが関の山。

石原氏は、いまだに北に拘束されている拉致被害者を救出できない政治の無能ぶり
や、オーストラリア軍が覚せい剤を積載した北のカムフラージュ船を海上で摘発した
のに、わが国は、さかのぼってその船を入港、出向させていたというお粗末さに、国

の怒りのボルテージがあがっている現実を情緒的に表現したにすぎない。

だが、国民の怒りの激しさ、怒りの正当さを端的に表現した角笛を、愚かにも、
牧羊【民衆】は聞き取れずに、またしても、牧童【官僚】の偽りの角笛でオリの中に
牧羊
は帰っていくのか。

だが、衆愚政治も末期となれば、つまり、牧童【官僚】、牧羊犬【政治家】、牧羊
【民衆】という構図をもつ民主主義は、ついには爆発し、牧羊が人間回帰するまで民

主義を停止し、強権政治で人間回帰の軌道に戻すという思想がいやおうなく登場す
る。
事実の問題として起こってくる。ここに登場した「おいらはMac」氏のような論調
もその典型のひとつ。やがてわが国がこの論調に席捲されることも十分起こりうる。
むしろ時代はその方向に動いているからこそ、Mac氏のような投稿が高鳴ってくる
のだろう。

Mac氏の意向に添えなくてすまないが、私は民主主義停止の強権論調を支持するも
のではない。(むろんMac氏にかぎらず誰でも本来はそうだろうが)
強権発動の歴史は、国民に多大な犠牲を強いる。歴史の証明するところである。民主
主義の非生産性をとがめれば、人間疎外の社会に陥っていくことも歴史の証明すると
ころである。しかし、内憂外患、国内経済の退潮と、テロ国家、戦争への不安は、民
主主義に悠長な時間を与えることを拒否し始めている。このエネルギーは、わが国の
経済の低迷が続き、テロ国家の脅威が軽減しないかぎり、増大することはあっても減
退することはない。だが、愚かにも、牧童はわが国の救済よりも牧童社会の安泰化に
汲々として時代錯誤な自己権益の確保増大に明け暮れている。
牧羊はますます衆愚化し、人間への回帰を思いつきさえせしない。

本来は、牧羊犬など存在せず、いまの「牧童【官僚】」は本来は「召使」であり、い
まの「牧羊犬【政治家】」は、本来は「執事」であり、いま、牧羊と思い込んでいる
羊こそ、【牧場を経営する家族自身】であるという本来の姿を思い出させねばならな
い。ドラスチックな荒療法によることなく、牧羊は、角笛の偽りに気付いて、己がな
んであるか、己は人間であることをその記憶からよみがえらせねばならない。
執事たる【政治家】を配置し、執事は、経営者家族の役にたち、番犬たる【官僚】に
は、執事も牧場経営の家族自身も、正しくしつけをしなければならない。

石原の思想には、今の牧羊【人間】は、本来は主人であり、あるいは、その家族であ
る人間そのものであり、今の牧童【官僚】に仕えている牧羊犬【政治家】は、本来は
執事であり、そして、今の牧童【官僚】こそ、本来は番犬であるという事実に気付か
せる思想がある。
石原の角笛と、牧童の角笛の差異を聞け。石原の角笛の音色の激しさに逃げ惑う愚か
な牧羊よ、人間である記憶を石原の角笛に聞け。

mindows

未読、
2003/09/13 20:06:192003/09/13
To:

"Muraki" <mura...@doglover.com> wrote in message
news:3f634...@news.premium-news.net...
>
> 石原の思想の根本は、民族ではない。

傍から見ると、国家ですね。民族ということも、言ってますけど。例えば、サッカー
で盛り上がる時など。


> 自らその指揮を執る宿命を負わされている思想家石原の悲劇がそこにある。

この問題は、日本国の課題でもあります。例えば、「作る会」の歴史教科書という
と、このニュースグループでも賛同派は多いですが、内容や趣旨を理解している投稿
家は皆無に近いわけで、本当は選択し切れずにいる層も多いんです。ただ、流れはつ
いている、と。
#この辺り、上の人達が本気なら、子弟を育てる必要あり、でしょう。

それで、一般には、世相の右傾化ということが「危惧」されているわけです。しか
し、右傾化を懸念する議論などが、しばしば新聞・雑誌に出ますが、内容はないです
ね。世相全般としては、ちゃっかり国際化・超日本化しているわけですから、本気で
追求した論考というのはないです。

ただし、これまで否定されて存在しないと思われていた層が普通の市民として存在し
ており、つまり意外と右翼ふう、意外とタカ派ふう、意外と右寄り雑誌ふうな層が、
インターネットで発信しているわけで数多い。その勢いを恐れ否定したい層が、今回
の都知事発言などに飛びついては発散しているわけです。

右傾化というべきかどうか問題もありますけどね。「ナショナリズム」といった捉え
方もありますが、「プチ・ナショナリズム」というのもあります。

むしろ、大抵の人達には訳の分からないことが起きているんです。その分からない辺
りを想起する一過程として、一方に右傾化のような現象があり、分かっている先輩を
求めている、と。脱衆愚化という側面とも絡んでくるでしょう。そのような意味で
は、右も左もなく、国民に共通なんですけどね。しかし、流れを導いている司令塔は
日本型の超右翼ですな。


> 石原を誹謗する対象ではなく、その合理精神から租借できるものを開示する能力が
> 現代の若者に求められている。イデオロギーではなく宗教でもなく、そこには科学

> の様な物が有るのだが、くみ出せるか否か、わが国の政治的な思想はあまりに貧
> 弱である。官僚機構と宗教による衆愚化が彼の最大の敵なのだがの国民にそれ
> が分かってはいない。日本国民の衆愚化は加速している。

この右傾化を一方で支えているのがスポーツ界であり、そこには、都知事で言えばギ
リシャなるスパルタの思想というのかな、両者には意思の用い方に共通性があるので
しょう。

それと、都知事は、日蓮信仰でしょ。立正安国論のような。それで、国難に対処せん
とする意欲が高い、と。国の柱というのかな。その線で咆哮しているんじゃないか
な。

--


M_SHIRAISHI

未読、
2003/09/13 10:12:472003/09/13
To:

Muraki wrote:

> 議会制民主主義のもとでは彼に総理大臣の目はない。

この場合、“目”とは、“芽”の意味と思われ。 ヽ(^。^)ノ


goh

未読、
2003/09/14 9:21:142003/09/14
To:
gohです。

"M_SHIRAISHI" <eu...@apionet.or.jp> wrote in message
news:3F6325DF...@apionet.or.jp...


> Muraki wrote:
> > 議会制民主主義のもとでは彼に総理大臣の目はない。
>
> この場合、“目”とは、“芽”の意味と思われ。 ヽ(^。^)ノ

サイコロの出目の「目」ということなのでは?

# サイコロと言えば ギャンブルですが 先日の京王閣の
# 武田豊樹(元氷上スピードスケートの)では 儲けさせて
# いただきました(笑/感謝) で 次は 松戸で 金成と
# 勝負ですね。 http://www.sportsman.ne.jp/toyoki/

人体の「歯 鼻 目(眼)」は 植物の「葉 花 芽」だ なんぞ
とも言われてるし(だからどうなんだか?) 高島俊男は
(もともと和語なら)「漢字で 考えるな 有害だ 間違いだ」
とか 「日本語の本体は漢字ではないぞ」と 言ってますので 
M_SHIRAISHIさんも そこんとこヨロシク(どこが?)。

以上。

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