阿呆教信者 チンピラ鶴田真一 wrote:
>「選択」の定義はどこに書いてあるのですか?
>どのページのどこに書いてあるの?
上記の【個数選択公理】で「選択」と言うだけなら・・と書いておるのが目に入らぬ
か。但し、目に入れば脳天を突き刺すような痛みに襲われるから十分に気をつけろ
ヨ。鶴田真一、ウヌは*真*の低能で*一*番の因縁屋じゃノゥ。これからは「鶴田
真アホウ一(しんアホウいち)」と名乗ってもよいぞ。
--
-----------------------------------------------
「真理の会」
代表 峯 征士
数学統括 長屋 修
物理学統括 板橋 宏
事務局長 柳 健宏
『相対性原理が破綻!!』URL http://www.ggm.to/
E-mail info...@ggm.to
-----------------------------------------------
「応募してきたのはたったの一人だったとする」と言ったとき既に、多数の人間の存
在における応募者一人を「特定(選択)」しておる。ここで「特定」と「仮定」は同
義だ。
阿呆教気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>貴様の言っていることは、
>「一個の物が存在していたのなら、それを選択するかしないかとい
>うことで、(一個の存在に対しても)選択が意味を持つ」ってこと
>の反論には、全然、ナットランのが、貴様にはワカランのか、こん
>バカタレが!
先ず、
「一個の物が存在していたのなら」と言って、始めにウヌが自ら「一個と特定した物
の存在の仮定」をしておる。このとき「一個の物という考え」は「複数の物の存在の
前提に拠り成り立つ」ものジャ。すなわち、
【絶対(一個)概念は相対(複数個)概念のもとに定まる】
として、既にウヌが敗退した討議の結果であった。今回の討議でもその説明をしてお
いたのだが・・・ 拙者を相手に、そのことを隠せると思うたか、汚い根性の持ち主
よのう。だからウヌも因縁屋に成り下がった、と言われるのじゃ。
次に、
ここでは「選択する」と決めた討議である。それを「選択するかしないか」という話
にすり替えるとは何だ! それは「選択(一個)の選択(採用)」の話ではないか。
そのような*ロンリマガイ*の小汚い手口を使うな。他の阿呆教信者共は誤魔化せて
も拙者には通用せヌ。だから、ウヌに、二度と論理家や数学家を気取るな、と釘を刺
しておいたろうが、タワケ者。
それから、
ウヌの反論に対し、拙者は下記のように回答しおいたが、この回答に対するウヌの更
なる反論をはよう出せ。よいか、話をはぐらかそうとしても、拙者には通用せぬこと
を肝に銘じおけ。原理的、論理的に筋の通った討議を展開しろ。
阿呆教気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>その場合、いったい*誰*が「特定(選択)した」のだ?
>神がか? ヽ(^。^)ノ ←←←【M_SHIRAISHIの晒し首】
*ウヌ*が「特定(選択)した」のは明確だ。己が特定しておきながら、「誰が特定
したのか」とは開いた口がふさがらヌ。
阿呆教気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>応募者は、誰かによって特定されたわけでも選択されたわけでもなく、
>「自発的に」応募してきたのだ。言う迄も無いことだが。ヽ(^。^)ノ
「自発的に」応募してくる者は、一人や七人や十人、或いは数百人の場合もあるから
「不特定」だ。「自発的に」と言えば不特定であることさえ分からぬとは笑止千万。
つまり、一個であれ、百個であれ、具体値を明示することが「選択(特定)」であ
り、その明示を行なった者が「選択(特定)者」なのだ。
当然の事を認めぬと進歩がないぞヨ。
阿呆教気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>貴様自身が「学問の発展を阻害し、既に、悪名を背負ってしまって
>居る」ことに、一向に合点が行かぬか!こんバカタレが!!!
これがウヌの反論か???! 地に落ちたものだナ。とにかく【個数選択公理】に関して
の、原理的あるいは論理的反論は不可能である。
まさに、我々は【個数選択公理】において、「2枚抜き出す行為(2枚という特
定)」を「選択」と言っておるのだ。
阿呆教信者 池田尚隆 wrote:
>数式で最もらしく書けば、n個のうちからm個(n≧m)選ぶのが選択ですよ。
>日本語的には変でもn=1,m=1でもそれは充分成立すると思うがね。
>「選択」など「n個のうちからm個(n≧m)」を抽出する作業に過ぎないこ
>とは明白なのに。
「n個やm個」は「不特定」である。従って、ソチが前言で「『2枚(特定)』と
『選択』は同義である」と主張したことに矛盾する。
阿呆教信者 池田尚隆 wrote:
>私は一個から一個選ぶのは選択だと考えていますから。そこに意味が
>あるかないかを考える必要はないでしょう。
ここで、「一個」というのは「特定」であり、先のトランプの「2枚の特定」と原理
的に同じである。そして「2枚の特定」は「選択に同義である」と自ら主張しておっ
たではないか。しかしここにきて、始めに「一個の特定(選択)」しておきながら、
それから更に「一個選ぶのを選択と考えている」と言い出すのだから恐ろしい限り。
どうやら、阿呆教気違い教祖 M_SHIRAISHIもソチの尻馬に乗ってしまったようジャの
う。
阿呆教信者 池田尚隆 wrote:
>そもそも選択する意味が物理に影響するんですか?
速度基準の選択(特定)をしないと、運動学は展開不可能なことも分からないとあっ
ては話にならヌ。
任意のものを基準にすれば記述できるので、本質的には選択は物理に何も影響
を及ぼさないんじゃないのですか?
--
Yoshitaka Ikeda mailto:ik...@4bn.ne.jp
それはあなたが考える「個数選択公理」の説明であって「選択」の
定義にはなっていません。そもそも「選択」を説明するのに「選択」
という言葉を使ってしまったら、自己言及になってしまいます。
また、あなたが勝手に考えた「公理」については興味ありません。
勝手に作られた世界で論理矛盾するのは、勝手に作られた仮定や、
論理が間違っているからですし、その世界で論理矛盾していようと
知ったことではないです。
> 「応募してきたのはたったの一人だったとする」と言ったとき既に、多数の人間の存
> 在における応募者一人を「特定(選択)」しておる。ここで「特定」と「仮定」は同義
Бакамон! 貴様、日本語も碌にワカランのか?
“ここ”であろうが“どこ”であろうが、「特定」と「仮定」とが同義であること
など、到底、ありえぬワ! (゜д゜)
# “絶対”と“絶体”を混同していた「前科」が貴様にはあるのだから、
無理も無かろうが。 ヽ(^。^)ノ
> ここでは「選択する」と決めた討議である。それを「選択するかしないか」という話
> にすり替えるとは何だ
「選択する」という行為は、当然、その否定である「選択しない」という行為が対に
なって意味を成すことが、貴様にはワカランのか、こんバカタレが!
# 誰一人として支持者は現われず、ここ(fj.sci.physics)の読者から、よって
たかって、馬鹿にされている現実を省みて、貴様、情けないとは思わぬか!?
この唐変木!!!
Stupid_Takehiro stupidly wrote:
> ◆世界規模の間違い(相対性原理が破綻!!)◆
> 【個数選択公理】
> 一個の存在に対する「選択」は意味を持たない。選択は「複数個の存在」においての
> み意味を持つ。このとき「複数個の選択」を考えると、これは「複数個の存在」と
> 「選択」以上の意味を持つことになり論理矛盾に陥る。つまり「選択の可能性(例え
> ばn個)」と「複数個の特定(例えば7個)」のとり違いが生じているのである。
> 従って、複数個を選択するさいは個数の特定が必要となる。そして「選択」と言うだ
> けなら「単数(1個)」のことである。
『一個の存在に対する「選択」は意味を持たない』 と言っておきながら、
『「選択」と言うだけなら「単数(1個)」のことである』 だとさ。 (^o^)
# Takehiro は、まさに「阿呆の見本」やね。 ヽ(^。^)ノ
また、相対性原理の意味を取り違えています。
一般的に言われる相対性原理とは、どの加速運動を含まない
座標系を使っても結果は同じという意味です。
一般的に言われる絶対座標が存在するならば、基準がなくとも特別な性質を持った
一意に定まるものでなければなりません。
相対とは、他の物との関係を意味し、絶対とは、他に影響されないことを意味しま
す。
"takehiro yanagi" <yan...@ggm.to> wrote in message
news:bdt6t2$1hta$1...@news2.bekkoame.ne.jp...
> 先ず、
> 「一個の物が存在していたのなら」と言って、始めにウヌが自ら「一個と特定した
> あなたの言う絶対は一般的に言う絶対ではありません。
>
> また、相対性原理の意味を取り違えています。
> 一般的に言われる相対性原理とは、どの加速運動を含まない
> 座標系を使っても結果は同じという意味です。
>
> 一般的に言われる絶対座標が存在するならば、基準がなくとも特別な性質を持った
> 一意に定まるものでなければなりません。
>
> 相対とは、他の物との関係を意味し、絶対とは、他に影響されないことを意味します。
上掲の記事、本当に、御苦労さまです。
でも、「柳 健宏 」なる人物は、その様に「懇切丁寧に」説明して
やっても、それが通じるような相手でないことは、ここ(fj.sci.physics)
の読者には、だいぶ以前から、既に「周知の事実」なのです。 ヽ(^。^)ノ
それでは、「選択」には例えば、YESかNOかの選択もあれば、色の選択もあれば、形
の選択などもあるが、ウヌには、「これら選択の言葉の意味」が分かっておるのか、
否か、その返答をいたせ。返答は「分かっている」か「分からない」の簡単なもので
よい。
[思考および言語]
もし、自分一人だけが宇宙に存在していて、他に何も無かったとしよう。このとき
「思考」は生じないし、従って「言葉」も生じない。勿論、それ以前の問題として、
ただ一人の存在という事などありえない。すなわち、「人間以前の複数の物の存在」
の大前提があってこそ学問が始まるのである。これを【思考原理】と呼ぶ。
[絶対概念と相対概念]
絶対概念(一つ)も、相対概念(人間以前の複数の物の存在前提)があるからこそ生
じるのである。つまり【絶対概念は相対関係において定まる】のである。
[時刻と時間]
時の流れを一本の線に例えると、その線上に一定間隔に入れた刻みが「時刻(無時間
性)」である。従って、「時間(有時間性)」は二つの時刻と時刻を使って規定され
る。ちなみに「瞬間」や「瞬時は」非常に短い時間であり、時刻と同一視するのは原
理的間違いである(ゼノンの静止している矢の間違い)。
異地点間における情報伝達速度(光速度)は有限(有時間性)だから、異地点に位置
する複数の物を同時に捉えることは原理的に不可能である。従って一旦、光速度の有
限性を棚上げしておかなければ「相対関係(無時間性)」は成り立たない。これは
【時空数学原理】のうちの一つである。
[1の概念]
数学においては「1」が数の始めと「規約」されるが、「1」が始めにあったのでは
なく、「複数(1の元)」が先にあるのである。従って、原理的、論理的考察(例え
ば個数選択公理)では、「1」を原初の設定とすることは出来ないのである。これは
【時空数学原理】のうちの一つである。
[個数選択公理]
例えば、YESかNOかの選択や、色の選択、味の選択、形の選択など、日常的に
「選択」の言葉が使われる。そして「個数の選択」は数学の範疇である。このとき原
理的、論理的には、今議論を交わしている我々や観測者も含め、宇宙に存在する全て
の物を抽象化した個数の(議論の)対象にしなければならない。
「個数選択」とは「個数の特定」のことであり、「不特定個数」の概念の一切を除外
する。従って「単に選択と言えば一個」のことであり、逆に「一個」を主張したから
には「複数個存在の前提(思考原理、絶対概念と相対概念、時空数学原理)」が控え
ているのである。これを【個数選択公理】と呼ぶ。
[座標系の性質]
運動学の展開にあたっては、速度基準の選択(特定)が必要不可欠である。そしてこ
のとき、「個数選択公理」により速度基準は一つに限定される。
他方、速度を精密に記述するために数学(座標系=無時間性)を使わなければならな
いが、このとき座標系の性質により、三体関係の速度記述における堂堂回り(三竦
み)が生じて速度基準は定まらない。これは【時空数学原理】のうちの一つである。
[相対運動と絶対静止]
運動学においては、三体関係の任意の一物体を速度基準(静止条件付与)と成せる物
理的理由を述べる必要があるのである。この解決法が【絶対静止と絶対運動の相当原
理】である。
◆ここまでの議論の教訓は、何らかの議論を展開する最中、有時間性と無時間性が頭
の中で交錯していることを忘れるな、である(例えば相対論の矛盾)。
運動学では、相対関係の設定および数学という「無時間性」と、運動という「有時間
性」を一度に扱う。理論を数学(無時間性)で書き表す場合、余程の注意を払い、始
めに有時間性の条件付けをしっかり押さえておくことである。
[絶対運動と慣性配分]
「どの系でも同じ物理法則が通用する」ことを述べる為には、各系で同一実験を繰り
返し行ない、その結果が同じであるかどうかを確かめる必要がある。つまり「制御現
象」を扱うのである。このとき【慣性配分の原理】により、物体の鉛直落下という同
一現象が再現され、物理法則の不変性が説かれる。そして、慣性配分の原理は絶対運
動に拠るものである。従って、運動学においては、「現象制御系」と「傍観系」の関
係(因果律)を明確に示す記述法が必要となる。
[光の制御系]
光は慣性運動しないため、慣性配分の原理は適用できない。そして、フーコーの実験
(地球の自転検出)とM&Mの実験を合わせて考察すれば、光の同一現象の再現性に
ついては、光の媒質説とその随伴説をとらざるを得ない。なお、光の媒質を【単子】
と呼ぶ。
◆余談である。以上に述べた事柄の幾つかは、いわゆる【超原理】や【超公理】の類
のものであろう。我々(真理会派)は「現象(実験)事実」と「思考原理」を要と
し、論理・哲学基礎、物理学基礎、数学基礎を体系的に扱う。結果、既存の関係原理
(学者達の基本概念)の更なる原理的、論理的否定となる。当然その相手への論文の
提出(考査依頼)はできないし、不特定多数の学者達の反論を受けて立つという宣言
となる。
なお、我々が提出した新原理や新公理はどれも密接に関係している。従って、論理・
哲学基礎、物理学基礎、数学基礎の知識と相応の考察力をもって論争に挑んでくるこ
とである。
哲学基礎、物理学基礎、数学基礎の知識および、より以上の考察力をもって論争に挑
んでくることである。
"takehiro yanagi" <yan...@ggm.to> wrote in message
news:be5bjt$j4n$1...@news2.bekkoame.ne.jp...
> [思考および言語]
それは一般的には哲学というもので物理ではありません。
> [絶対概念と相対概念]
それも一般的には哲学というもので物理ではありません。
また、複数の存在がなく、一つのものしか存在しなかったらその存在の特殊性から絶
対的なものになりえます。
> [時刻と時間]
微積分を勉強しなおしてください。
また、物理の理論は近似であることに気をつけてください。
> [1の概念]
> 数学においては「1」が数の始めと「規約」されるが、
それは、「算数」の話であって、自然数では、0が数のはじめです。
まず、あなたが勝手に作り出した「選択」の妥当性を考える必要があります。
> [個数選択公理]
これもまた哲学であり、物理ではありません。
> [座標系の性質]
複数の座標系の存在は現在の相対性理論の上では問題ないはずです。
> [相対運動と絶対静止]
一般的な用語ではありません。
> の中で交錯していることを忘れるな、である(例えば相対論の矛盾)。
相対性理論の矛盾をあなたは一つも示せていませんが・・・?
> [絶対運動と慣性配分]
> 「どの系でも同じ物理法則が通用する」ことを述べる為には、各系で同一実験を繰
り
> 返し行ない、その結果が同じであるかどうかを確かめる必要がある。つまり「制御
現
ほぼ確かめられていますが・・・?
> [光の制御系]
一般的には粒子は波として振舞うこともあるということで解決されています。
あなたの考えでは、他の粒子が波として振舞うことを説明できません。
> ◆余談である。以上に述べた事柄の幾つかは、いわゆる【超原理】や【超公理】の
類
> のものであろう。我々(真理会派)は「現象(実験)事実」と「思考原理」を要と
> し、論理・哲学基礎、物理学基礎、数学基礎を体系的に扱う。結果、既存の関係原
理
> (学者達の基本概念)の更なる原理的、論理的否定となる。当然その相手への論文
の
> 提出(考査依頼)はできないし、不特定多数の学者達の反論を受けて立つという宣
言
> となる。
また、少なくとも一般的な数学・物理ではありませんね。
どこが論理的ですか?
論理的否定するには、矛盾となる条件を示す必要があります。
▲Yasuhiro Furuta wrote:
>それは一般的には哲学というもので物理ではありません。
[絶対概念と相対概念]
絶対概念(一つ)も、相対概念(人間以前の複数の物の存在前提)があるからこそ生
じるのである。つまり【絶対概念は相対関係において定まる】のである。
▲Yasuhiro Furuta wrote:
>それも一般的には哲学というもので物理ではありません。
>また、複数の存在がなく、一つのものしか存在しなかっ
>たらその存在の特殊性から絶対的なものになりえます。
[時刻と時間]
時の流れを一本の線に例えると、その線上に一定間隔に入れた刻みが「時刻(無時間
性)」である。従って、「時間(有時間性)」は二つの時刻と時刻を使って規定され
る。ちなみに「瞬間」や「瞬時は」非常に短い時間であり、時刻と同一視するのは原
理的間違いである(ゼノンの静止している矢の間違い)。
なお、瞬間(瞬時)という様な近似の概念は、時刻と時間の原理的区別を行なってか
ら述べられるものである(ゴロツキ中川功に説明済)。
▲Yasuhiro Furuta wrote:
>微積分を勉強しなおしてください。
>また、物理の理論は近似であることに気をつけてください。
異地点間における情報伝達速度(光速度)は有限(有時間性)だから、異地点に位置
する複数の物を同時に捉えることは原理的に不可能である。従って一旦、光速度の有
限性を棚上げしておかなければ「相対関係(無時間性)」は成り立たない。これは
【時空数学原理】のうちの一つである。
[1の概念]
数学においては「1」が数の始めと「規約」されるが、「1」が始めにあったのでは
なく、「複数(1の元)」が先にあるのである。従って、原理的、論理的考察(例え
ば個数選択公理)では、「1」を原初の設定とすることは出来ないのである。なお、
ゼロ(0)は選択しないことに相当する。
▲Yasuhiro Furuta wrote:
>それは、「算数」の話であって、自然数では、0が数の
>はじめです。まず、あなたが勝手に作り出した「選択」
>の妥当性を考える必要があります。
[個数選択公理]
例えば、YESかNOかの選択や、色の選択、味の選択、形の選択など、日常的に
「選択」の言葉が使われる。そして「個数の選択」は数学の範疇である。このとき原
理的、論理的には、今議論を交わしている我々や観測者も含め、宇宙に存在する全て
の物を抽象化した個数の(議論の)対象にしなければならない。
「個数選択」とは「個数の特定」のことであり、「不特定個数」の概念の一切を除外
する。従って「単に選択と言えば一個」のことであり、逆に「一個」を主張したから
には「複数個存在の前提(思考原理、絶対概念と相対概念、時空数学原理)」が控え
ているのである。これを【個数選択公理】と呼ぶ。
▲Yasuhiro Furuta wrote:
>これもまた哲学であり、物理ではありません。
[座標系の性質]
運動学の展開にあたっては、速度基準の選択(特定)が必要不可欠である。そしてこ
のとき、「個数選択公理」により速度基準は一つに限定される。
他方、速度を精密に記述するために数学(座標系=無時間性)を使わなければならな
いが、このとき座標系の性質により、三体関係の速度記述における堂堂回り(三竦
み)が生じて速度基準は定まらない(速度の導出不可能)。これは【時空数学原理】
のうちの一つである。
▲Yasuhiro Furuta wrote:
>複数の座標系の存在は現在の相対性理論の上では問題ないはずです。
[相対運動と絶対静止]
運動学においては、三体関係の任意の一物体を速度基準(静止条件付与)と成せる物
理的理由を述べる必要があるのである。この解決法が【絶対静止と絶対運動の相当原
理】である。
▲Yasuhiro Furuta wrote:
>一般的な用語ではありません。
[余談]
ここまでの議論の教訓は、何らかの議論を展開する最中、有時間性と無時間性が頭の
中で交錯していることを忘れるな、である(例えば相対論の矛盾)。
運動学では、相対関係の設定および数学という「無時間性」と、運動という「有時間
性」を一度に扱う。理論を数学(無時間性)で書き表す場合、余程の注意を払い、始
めに有時間性の条件付けをしっかり押さえておくことである。
▲Yasuhiro Furuta wrote:
>相対性理論の矛盾をあなたは一つも示せていませんが・・・?
[絶対運動と慣性配分]
「どの系でも同じ物理法則が通用する」ことを述べる為には、各系で同一実験を繰り
返し行ない、その結果が同じであるかどうかを確かめる必要がある。つまり「制御現
象」を扱うのである。このとき【慣性配分の原理】により、物体の鉛直落下という同
一現象が再現され、物理法則の不変性が説かれる。そして、慣性配分の原理は絶対運
動に拠るものである。従って、運動学においては、「現象制御系」と「傍観系」の関
係(因果律)を明確に示す記述法が必要となる。
▲Yasuhiro Furuta wrote:
>ほぼ確かめられていますが・・・?
[光の制御系]
光は慣性運動しないため、慣性配分の原理は適用できない。そして、フーコーの実験
(地球の自転検出)とM&Mの実験を合わせて考察すれば、光の同一現象の再現性
(M&Mの実験結果や原子時計の正確さ)については、光の媒質説とその随伴説をと
らざるを得ない。なお、光の媒質を【単子】と呼ぶ。
▲Yasuhiro Furuta wrote:
>一般的には粒子は波として振舞うこともあるということで解決
>されています。あなたの考えでは、他の粒子が波として振舞う
>ことを説明できません。
[余談]
我々(真理会派)は「現象(実験)事実」と「思考原理」を要とし、論理・哲学基
礎、物理学基礎、数学基礎を体系的に扱う。結果、既存の関係原理に対する更なる原
理的、論理的否定となる。
▲Yasuhiro Furuta wrote:
>物理理論とは何か調べなおしてください。
>少なくとも一般的な数学・物理ではありませんね。
>どこが論理的ですか?論理的否定するには、矛盾
>となる条件を示す必要があります。
流石に Yasuhiro Furuta は詭弁士の異名をとるだけのことはあって、凄まじい限り
の反論? 拙者も兜を脱ぐ。ここに第三の因縁男、詭弁士Yasuhiro Furuta 新参。
【思考原理】
もし、自分一人だけが宇宙に存在していて、他に何も無かったとしよう。このとき
「思考」は生じないし、従って「言葉」も生じない。勿論、それ以前の問題として、
ただ一人の存在という事などありえない。すなわち、「人間以前の複数の物の存在」
の大前提があってこそ学問が始まるのである。
【絶対概念は相対関係において定まる】
絶対概念(一つ)は、相対関係(人間以前の複数の存在の前提)があって生じるので
ある。
【個数選択公理】
一個の存在に対する「選択」は意味を持たない。選択は「複数個の存在」においての
み意味を持つ。このとき「複数個の選択」を考えると、これは「複数個の存在」と
「選択」以上の意味を持つことになり論理矛盾に陥る。つまり「選択の可能性(例え
ばn個)」と「複数個の特定(例えば7個)」のとり違いが生じているのである。
従って、複数個を選択するさいは個数の特定が必要となる。そして「選択」と言うだ
けなら「単数(1個)」のことである。
▲阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>或る会社が従業員を募集したとする。ところが、応募してきたのは
>たったの一人だったとする。
「募してきたのはたったの一人だったとする」と仮定したとき、多数の人間の存在の
前提における応募者一人を「特定」している。従って、このとき仮定と特定は同義。
「思考原理」「時空数学原理」「絶対・相対概念」の関連を良く見よ。
▲阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>Бакамон! 貴様、日本語も碌にワカランのか?
>“ここ”であろうが“どこ”であろうが、「特定」と「仮定」
>とが同義であることなど、到底、ありえぬワ!
ウヌが行なった仮定は、“ここ”では特定と同じ意味ということじゃ。ウヌ自身が使
こうた言葉の関係の責任さえ持てヌか! 端折って喋るなタワケ者め。
▲阿呆教気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>貴様の言っていることは、
>「一個の物が存在していたのなら、それを選択するかしないかとい
>うことで、(一個の存在に対しても)選択が意味を持つ」ってこと
>の反論には、全然、ナットランのが、貴様にはワカランのか、こん
>バカタレが!
採用するかしないかの選択や、色の選択、味の選択など、日常的に「選択」という言
葉が使われる。そして今は、個数の選択に関する議論を展開している。このとき原理
的、論理的には、今議論を交わしている我々や観測者も含め、宇宙に存在する全ての
物を抽象化して個数の(議論の)対象にしなければならない。
ここでは「選択する」と決めた討議である。それを「選択するかしないか」という別
の話にすり替えるとは何だ、バカタレが!
▲阿呆教気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>その場合、いったい*誰*が「特定(選択)した」のだ?
>神がか? ヽ(^。^)ノ
ウヌが特定しておきながら、「誰が特定したのか」とは何事だ! 話を摺り替えた上
に、因縁までつけてくるな。
▲阿呆教気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>応募者は、誰かによって特定されたわけでも選択されたわけでもなく、
>「自発的に」応募してきたのだ。言う迄も無いことだが。ヽ(^。^)ノ
「自発的に」応募してくる者は、一人や七人や十人、或いは数百人の場合もあるから
「不特定」だ。「自発的に」と言えば不特定である。そして、ウヌが「たった一人で
あった」と特定したのだ。
▲阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>「選択する」という行為は、当然、その否定である「選択しない」
>という行為が対になって意味を成すことが、貴様にはワカランのか、
>こんバカタレが!
何を言い出すか、ペテン師め。「選択する」と「選択しない」は対になってはおる
が、そのうち「選択する」方を選択した(決めた)議論において、「選択しない」こ
とを反論根拠に持ち出すのは論理矛盾(因縁)じゃ、こんバカタレが!
▲阿呆教気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>『一個の存在に対する「選択」は意味を持たない』 と言っておきながら、
>『「選択」と言うだけなら「単数(1個)」のことである』 だとさ。
> Takehiro は、まさに「阿呆の見本」やね。
『予め一個と特定した対象に、選択と言う言葉が当てはまるのか?』 そうだとする
なら、先ず辞書に文句をつけてこい。その後から「思考原理」「時空数学原理」「絶
対・相対概念」に文句をつけることだ、分かったか。
『予め複数の存在があって選択するのだから、個数の特定のない場合は一個(単数)
である』のだ。阿呆教気違い教祖 M_SHIRAISHIは、まさに阿呆の見本やね。
▲阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>悪いことは言わぬ ---> 今からでも遅くはないので、語学や
>論理学の素養を充分に養うことから始めて「全面的にやり直せ」!
>さもなくば、事実上、貴様はここ(fj.sci.physics)のすべての
>読者から馬鹿にされ、蔑(さげす)まれるばかりだ。
>誰しも好んで他人を蔑むようなことはしたくは無いのが人情っ
>てものだ。しかし、蔑まざるを得ない様な投稿をして憚らぬ貴
>様のような者が現実に居るのだから、仕方が無いのだ。
>蔑まれる者が居るということは、我が身をさいなむ。
>なぜならは、彼もまた我らが人類の一部なのだから。
ウヌの喋りの一言一句は「思考原理」によって完全に押さえ込まれておる。釈迦の手
の内で狂い回る孫悟空と同様、情けない限りヨのぅ。ウヌの言はまさに、天に向かっ
て唾を吐くボケたる所以の自己証明。
▲阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>誰一人として支持者は現われず、ここ(fj.sci.physics)の読者から、
>よってたかって、馬鹿にされている現実を省みて、貴様、情けないと
>は思わぬか!? この唐変木!!!
何はともあれ【思考原理】を潰さなければ、ウヌが喋る度に、その唾がウヌ自身に跳
ね返るのだ(自己の阿呆証明)。ウヌに分かるか? この理屈が。
▲阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>#“絶対”と“絶体”を混同していた「前科」
>が貴様にはあるのだから、無理も無かろうが。
変換ミスを見つけてくれた礼を丁重に述べたにも拘らず、ウヌは、論争に負けれる度
にそのことを持ち出してくるノゥ。ウヌの性根は腐り切っておる。だからオカマ狸と
呼ばれるのじゃ。それとも、変換ミスがあると、拙者が述べた原理や公理の全てが反
故になるとでも言うのか。【思考原理】の反論になっとらんではないか。アホンダ
ラ~。
▲阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>貴様自身が「学問の発展を阻害し、既に、悪名を背負ってしまって
>居る」ことに、一向に合点が行かぬか!こんバカタレが!!!
これがウヌの反論か???! その様なことよりも、ウヌが顔を出すと、腐り切った腹の
中の異臭と、オカマ狸の異臭がパソコンから漂うて来てカナワン。「学問の発展の阻
害」の件はもうよいから、兎に角その異臭を何とかしろ。「平穏な生活の阻害」であ
る。
▲阿呆教気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>「“絶対静止"を“人為的に決める"」だとな!===
>笑わしちゃあ、アカンぜよ。#人為的に決められぬから
>こそ、《相対性原理》が要請されるワケなのに。
三体関係のうちの一物体を速度基準にとった場合、他の物体の速度が異なる原因は物
体内部にあると判断する。この判断と類推により、各物体は絶対的に運動しているこ
とが分かる。但し、絶対運動の値は分からない。従って、絶対静止をしているかどう
かも分からない。この事実のもとに【絶対静止と絶対運動の相当原理】を提唱する。
ウヌは、この論争に敗退したにも拘らず、以下の様に、詭弁士Yasuhiro Furuta を走
狗して、ボケ答弁の矛先を拙者に向けさせるという妙で小汚い奸計を使うのだ。ウヌ
が*オカマ狸*と渾名(あだな)される所以と、その面体を、とくと見ておくがよ
い。もし鏡がなければ、授けてもよいゾ。
▲詭弁士Yasuhiro Furuta wrote:
>あなたの言う絶対は一般的に言う絶対ではありません。
>また、相対性原理の意味を取り違えています。
>一般的に言われる相対性原理とは、どの加速運動を含まない
>座標系を使っても結果は同じという意味です。
>一般的に言われる絶対座標が存在するならば、基準がなくとも
>特別な性質を持った一意に定まるものでなければなりません。
>相対とは、他の物との関係を意味し、絶対とは、他に影響され
>ないことを意味します。
▲阿呆教気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>上掲の記事、本当に、御苦労さまです。
>でも、「柳健宏」なる人物は、その様に「懇切丁寧に」説明
>してやっても、それが通じるような相手でないことは、
>ここ(fj.sci.physics)の読者には、だいぶ以前から、
>既に「周知の事実」なのです。 ヽ(^。^)ノ
# 医者に処方して貰ってた薬が切れたか? ヽ(^。^)ノ
太鼓持ちのGONさ~ん、「旦那衆は世界規模のバカ」なんて言うところはなかなか
どうして、その奥ゆかしさには感心させられます。兄さんが口にする言葉は旦那衆が
提唱した「思考原理」に支えられていることから、兄さんは謙って(へりくだって)
自分を「宇宙規模のバカ」と言うとりまんのやなァ。尤も、兄さんは太鼓持ちに徹
し、旦那衆の引き立て役を努めてることは痛いほど分かりまっけど・・・ そんな
兄さんのことが哀れに思えてしょうまへん。しかし、その努力はきっと実ります。頑
張って太鼓持ちを勤めなはれや。
コ奴(小坂圭二)は、理論もなく何ジャこの言い草は、岡山大学の恥をさらしている
だけではないか。マ、折角であるし、小坂圭二よ、ソチも阿呆教信者の末席に加えて
おいてやるから襟を正して控えオレ。
「選択」には、YESかNOかの選択もあれば、色の選択もあれば、形の選択などが
ある。チンピラ鶴田真一よ、これら選択の言葉の意味が「分かっておる」のか「分か
らない」か、その返答くらい早くしろ。
阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI ことオカマ狸 wrote:
> Takehiro、貴様、またまた、妄想が嵩じてきて居るようだな。
>#医者に処方して貰ってた薬が切れたか? ヽ(^。^)ノ
オカマ狸よ、またまた、妄想が嵩じてきて居るようだな。ウヌにつける薬は無いから
のう。もう一度、ウヌは如何に薄汚い性根の持ち主かを示しておこう。
低能詭弁士Yasuhiro Furuta wrote:
>あなたの言う絶対は一般的に言う絶対ではありません。
>また、相対性原理の意味を取り違えています。
>一般的に言われる相対性原理とは、どの加速運動を含まない
>座標系を使っても結果は同じという意味です。
>一般的に言われる絶対座標が存在するならば、基準がなくとも
>特別な性質を持った一意に定まるものでなければなりません。
>相対とは、他の物との関係を意味し、絶対とは、他に影響され
>ないことを意味します。
阿呆教気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>上掲の記事、本当に、御苦労さまです。
>でも、「柳健宏」なる人物は、その様に「懇切丁寧に」説明
>してやっても、それが通じるような相手でないことは、
>ここ(fj.sci.physics)の読者には、だいぶ以前から、
>既に「周知の事実」なのです。 ヽ(^。^)ノ
阿呆教気違い教祖 M_SHIRAISHI wrote:
>「“絶対静止"を“人為的に決める"」だとな!===
>笑わしちゃあ、アカンぜよ。#人為的に決められぬから
>こそ、《相対性原理》が要請されるワケなのに。
「『絶対静止と絶対運動の相当原理』に拠り『“絶対静止を人為的に決める"』こと
は妥当」とする論争にウヌが破れたことは、ここ(fj.sci.physics)の読者には、だ
いぶ以前から、既に「周知の事実」である。それにも拘らず、詭弁士Yasuhiro
Furuta のボケ答弁(低能振り)を煽る薄汚い奴め。
ついでに詭弁士Yasuhiro Furuta の低能振りも示しておこう。
詭弁士Yasuhiro Furuta wrote:
>微積分を勉強しなおしてください。
>また、物理の理論は近似であることに気をつけてください。
詭弁士Yasuhiro Furuta よ何処を見ておる。この様なボケ論?は先月、ゴロツキ中川
功も喋っておったワ。馬鹿馬鹿しいにも程があるが、そのときの模様を再録しておこ
う。
ゴロツキ中川功 wrote:
>例えばあなた方が最初に述べた、落体の実験は、フーコーによっ
>て「慣性系ではない」と示されたはずの地表で行っても、非常に
>高い精度で、物体は鉛直落下します。「ジグザグ運動」なんてし
>ません。
先に述べたことと矛盾するではないか。#だからウヌは馬鹿のゴロツキ(因縁屋)と
云われるのだ。
落体の実験を行なっても、瞬時に物体が地表に到達するため、そのズレは分からな
い。そこでフーコーは高いところから長い紐で振子を吊るし、長時間に渡り床に対す
る振れ方向のズレを観測した。これは、物体の鉛直落下の高精度実験に相当である。
つまり、理想的条件下において落下させたボールは上下運動を繰り返すが、そのさい
ジグザグ(放物)運動になる。この説明は教育的配慮だが、まるで中学生を相手に講
義しているようだな。
ゴロツキ中川功 wrote:
>しかし、例えば非常に高い場所から物体を落としたり、あるいは
>非常に精密な測定を行えば、物体が鉛直からはわずかにずれて落
>下することがわかるはずです。
精密な落下実験に相当する実験をフーコーは行なったのだ。そんな事さえも知らずに
人前で大口を叩くとは・・、 #だからウヌは馬鹿でゴロツキなのだ。
ゴロツキ中川功 wrote:
>「慣性系か否か」を問題にするのは、馬鹿のすることです。物理
>学で問題になるのは、「どれだけ慣性系に近いか(あるいは、ど
>れだけ慣性系からずれているか)」です。
>・・・
>MM実験のように、光の経路が囲む面積が0に等しい (近い) 装置
>では系の回転は影響しないことがわかっています。0でない場合
>は影響があるので、それを利用して回転を検知する装置が実際に
>使われている (レーザージャイロ) ことも述べておきます。「白
>か黒か」「善か悪か」「慣性系か否か」という二値でしか物を考
>えられない硬直した思考法は「二分法」といい、科学からもっと
>も遠い、典型的なトンデモの思考法です。
「慣性系」と「加速度系」は原理的区別。ウヌが「慣性系か否か」と云うこと自体、
両者の区別を行なっているのだ。そして、両者の区別が無ければ「近似」の概念も生
じてこない。運動学では「慣性系か否か(加速度系)」の問題、つまり理論の基礎を
明確にする必要があるのである。
近似の概念の使用が認められるのは、精密理論でない場合と、精密理論では便法と承
知して使う場合である。近似の概念を持ち出してミソもクソも一緒にしているが、ウ
ヌは一体何を考えて何を喋ろうとしているのだ!?・・・ボケ。
以上の内容は既に議論済。詭弁士Yasuhiro Furuta のボケ反論?における低能振りを
示す一例の再録である。オカマ狸よ、このくらいのことは百も承知の筈であるウヌ
が、低能詭弁士Yasuhiro Furuta の尻馬に乗るとは!!・・・ しかし「気違い」と
「低能」の阿呆同盟とは、どうしてなかなか“オツ”なものヨ。
その様なことよりも、「ウヌが顔を出すと、腐り切った腹の中の異臭と、オカマ狸の
異臭がパソコンから漂うて来てカナワン」と云っておいた筈。もうウヌに論争は無理
だが、せめて異臭だけは何とかしておけ。分かったか、ペテン師め。
おまえもな(w
GON wrote:
Ω ΟΙΑ ΚΕΦΑΛΗ ΤΟΥ ΤΟΝΔΕΜ-ΒΑΚΑ-ΓΟΝΟΥ,
ΚΑΙ ΕΓΚΕΦΑΛΟΝ ΟΥΚ ΕΧΕΙ.
上記は「古代ギリシア語」の文なのですが、さて、私はどういう意味のこと
を書いたのでしょう?
# 「まぐれ」でも当たるかも ヽ(^。^)ノ
阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI ことオカマ狸 wrote:
>誰からも、よってたかって、馬鹿にされてながら、
>恥ずかしくも情けないとは思わぬか?
この様なことしか喋れぬウヌを、オカマ狸(性根が腐っておる)というのだ。理論闘
争も叶わぬ状態で*恥ずかしくも情けないとは思わぬか?* 以下に、その情けない
状態を並べておく(論狸構成?)から、篤と見ておくがよい。
阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI ことオカマ狸 wrote:
>或る会社が従業員を募集したとする。ところが、応募してきたのは
>たったの一人だったとする。
「募してきたのはたったの一人だったとする」と仮定したとき、多数の人間の存在の
前提における応募者一人を「特定」しておる。従って、この仮定と特定は同義。「思
考原理」「時空数学原理」「絶対・相対概念」の関連を良く見よ。
阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI ことオカマ狸 wrote:
>Бакамон! 貴様、日本語も碌にワカランのか?
>“ここ”であろうが“どこ”であろうが、「特定」と「仮定」
>とが同義であることなど、到底、ありえぬワ!
ウヌが行なった仮定は、“ここ”では特定と同じ意味ということじゃ。ウヌ自身が使
こうた言葉の関係の責任さえ持てヌか! 端折って喋るなタワケ者め。
阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI ことオカマ狸 wrote:
>貴様の言っていることは、
>「一個の物が存在していたのなら、それを選択するかしないかとい
>うことで、(一個の存在に対しても)選択が意味を持つ」ってこと
>の反論には、全然、ナットランのが、貴様にはワカランのか、こん
>バカタレが!
採用するかしないかの選択や、色の選択、味の選択など、日常的に「選択」という言
葉が使われる。そして今は、個数の選択に関する議論を展開しておる。このとき原理
的、論理的には、今議論を交わしている我々や観測者も含め、宇宙に存在する全ての
物を抽象化して個数の(議論の)対象にしなければならない。
ここでは「選択する」と決めた討議である。それを「選択するかしないか」という別
の話にすり替えるとは何だ、バカタレが!
阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI ことオカマ狸 wrote:
>その場合、いったい*誰*が「特定(選択)した」のだ?
>神がか? ヽ(^。^)ノ
ウヌが特定しておきながら、「誰が特定したのか」とは何事だ! 話を摺り替えた上
に、因縁までつけてくるな。
阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI ことオカマ狸 wrote:
>応募者は、誰かによって特定されたわけでも選択されたわけでもなく、
>「自発的に」応募してきたのだ。言う迄も無いことだが。ヽ(^。^)ノ
「自発的に」応募してくる者は、一人や七人や十人、或いは数百人の場合もあるから
「不特定」だ。「自発的に」と言えば不特定である。そして、ウヌが「たった一人で
あった」と特定したのだ。
阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI ことオカマ狸 wrote:
>「選択する」という行為は、当然、その否定である「選択しない」
>という行為が対になって意味を成すことが、貴様にはワカランのか、
>こんバカタレが!
何を言い出すか、ペテン師め。「選択する」と「選択しない」は対になってはおる
が、そのうち「選択する」方を選択した(決めた)議論において、「選択しない」こ
とを反論根拠に持ち出すのは論理矛盾(因縁)じゃ、こんバカタレが!
阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI ことオカマ狸 wrote:
>『一個の存在に対する「選択」は意味を持たない』 と言っておきながら、
>『「選択」と言うだけなら「単数(1個)」のことである』 だとさ。
> Takehiro は、まさに「阿呆の見本」やね。
『予め一個と特定した対象に、選択と言う言葉が当てはまるのか?』 そうだとする
なら、先ず辞書に文句をつけてこい。その後から「思考原理」「時空数学原理」「絶
対・相対概念」に文句をつけることだ、分かったかボケ。
『予め複数の存在があって選択するのだから、個数の特定のない場合は一個(単数)
である』のだ。阿呆教気違い教祖 M_SHIRAISHIは、まさに阿呆の見本やね。
阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI ことオカマ狸 wrote:
>悪いことは言わぬ --- 今からでも遅くはないので、語学や
>論理学の素養を充分に養うことから始めて「全面的にやり直せ」!
>さもなくば、事実上、貴様はここ(fj.sci.physics)のすべての
>読者から馬鹿にされ、蔑(さげす)まれるばかりだ。
>誰しも好んで他人を蔑むようなことはしたくは無いのが人情っ
>てものだ。しかし、蔑まざるを得ない様な投稿をして憚らぬ貴
>様のような者が現実に居るのだから、仕方が無いのだ。
>蔑まれる者が居るということは、我が身をさいなむ。
>なぜならは、彼もまた我らが人類の一部なのだから。
ボケ、何はともあれ【思考原理】を潰さなければ、ウヌが喋る度に、その唾がウヌ自
身に跳ね返るのだ(阿呆の自己証明)。ウヌに分かるか? この自己証明の理屈が。
それから、「ウヌが顔を出すと、腐り切った腹の中の異臭と、オカマ狸の異臭がパソ
コンから漂うて来てカナワン」と云っておいた筈。この論争は到底ウヌに無理だか
ら、せめて異臭だけは何とかしておけィ、分かったか。
Stupid_Takehiro most stupidly wrote:
> 「自発的に」応募してくる者は、一人や七人や十人、或いは数百人の場合もあるから
> 「不特定」だ。「自発的に」と言えば不特定である。
自発的に応募してきた者が、たまたま一人だったらどうなのだ? (^o^)
> 『予め一個と特定した対象に、選択と言う言葉が当てはまるのか?』
一個だけ特定したとは、換言すれば、一個だけ選択したってことだろ。
こんバカタレが!!!
> 「思考原理」「時空数学原理」「絶対・相対概念」
そんな糞原理など、とんだ笑いぐさだ。 ヽ(^。^)ノ
一回うけたギャグを各クラスで繰り返す先生のような
M_SHIRAISHI氏をみていると、学生時代の記憶が鮮やかに蘇ります。
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::===========================================================
:: ■■さんぽ■■ <mue...@csc.jp>
:: PGP fingerprint: 42FC 4F53 2FB6 5810 1B1B 97A3 F166 2DE7
::===========================================================
◆「世界規模の間違い(相対性原理が破綻!!)」◆
#『予め一個と特定した対象に、選択と言う言葉が当てはまるのか?』 阿呆教 気違い教祖 M_SHIRAISHI ことオカマ狸 wrote:
>一個だけ特定したとは、換言すれば、一個だけ選択
>したってことだろ。こんバカタレが!!! だから、既に選択したものを、再び選択すると言うのは、
タワケ!
「予め一個と特定した」ってことが、「一個だけ選択した」ってこと
なのだ。
わからぬか、その程度のことが! こんバカタレが!!!
マヌケのおまえが言おうが、誰が言おうが、「予め一個と特定した」
ってことは、「一個だけ選択した」ってことだ。 ヽ(^。^)ノ
ワカランか、その程度のことさえ! こんバカタレが!!!