少数意見かも知れませんが…
私は恋愛系ゲームに於ける主人公の扱いに常々不満を
持っています。
ゲームの主人公はプレイヤーの分身です
が、ほとんどのゲームの場合、主人公の音声はおろか
顔も出ません。
(姿が出ても「長髪で顔を隠す」等で特徴を殺します)
この手法を始めた当初は、「主人公のキャラを曖昧にする
ことで、プレイヤーが自身をゲームに投影しやすいように」
と考えていたのでしょうが、「ストーリー重視」の昨今、
これは逆効果と考えます。
私なら、主人公のキャラクターが明確であるほど、また
自分とはかけ離れたキャラを持っているほど、逆に自分
を忘れてドラマにのめり込めます。
逆に、主人公のキャラが見えないということは、自分自身
が蔑ろにされているような気分を覚えます。
(Ever17は「主人公の顔・声なし」を逆手にとった傑作です
が、あの手は1度しか使えないので例外とします)
物語の登場人物に実存する自分の姿を当てはめて考える人
っているのでしょうか。
私だったら興醒めです。
物語の中ぐらい別人になりたい。
顔と音声がなければ、後はテキストから主人公の像を想定
しなければなりません。
上手なシナリオライターなら、文章だけで主人公の存在感
を際立たせることができます。
(無個性な主人公も多いので、その場合、如何に女の子が
魅力的でもゲーム継続が辛くなります)
しかし、そうして自分のなかに確立されたキャラは、今度
は作品がアニメ化される時に描かれる姿とのギャップに
悩まされます。
ならば最初から同じ顔をゲームに出してもいいのではない
か、と思う次第です。
(アニメ版D.C.、君望はゲーム未着手のため、主人公の絵に
違和感なしでしたが、逆に今後ゲームに着手した時、あの
顔と声が主人公のイメージとして浮かぶことでしょう)
ちなみに、私にとって主人公の存在感の基本は、
「GLO・RI・A 禁断の血族」
の「綺羅」です。
(今時だとやったことのない人の方が多いか…
登場人物はアクは強いがいい人ばかりで、どこが「禁断」
なんだろうと思うことしきり…あ、「重婚end」かな)
あと、ゲームシステムは最悪だったけど、「化粧桜」の
主人公もいいです。
幽霊の調査のため、霊能者の主人公が女子校に
女装させられて侵入します。
女装シーンがあるだけに主人公は結構顔を出します。
(ストーリーは良い出来なので、あの煩わしい移動システム
だけ何とかして再リリースすれば売れるのに、とよく思いました)
--
この記事へのメールは到達可能ですが、基本的に
読まずに捨てます。
私宛のメールは以下にお願いします。
ttn8j...@mx1.ttcn.ne.jp
In article <burd7f$c07$1...@news1.point.ne.jp>, "tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> writes
> が、ほとんどのゲームの場合、主人公の音声はおろか
> 顔も出ません。
> (姿が出ても「長髪で顔を隠す」等で特徴を殺します)
僕も最初見たときびっくりした記憶があります。最初って
なんだろう? 「ポートピア殺人事件」かな?
FF なんかは顔でまくりだけど、恋愛系シミュレーション系はそう
かもね~ ときメモとか。
> この手法を始めた当初は、「主人公のキャラを曖昧にする
> ことで、プレイヤーが自身をゲームに投影しやすいように」
> と考えていたのでしょうが、「ストーリー重視」の昨今、
> これは逆効果と考えます。
スイッチかなんかついていればいいのにね。「顔スイッチ」オン!
みたいな。
---
Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus,
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科,
"Shinji KONO" <ko...@ie.u-ryukyu.ac.jp> wrote in message
news:3989380...@insigna.ie.u-ryukyu.ac.jp...
> > が、ほとんどのゲームの場合、主人公の音声はおろか
> > 顔も出ません。
> > (姿が出ても「長髪で顔を隠す」等で特徴を殺します)
>
> 僕も最初見たときびっくりした記憶があります。最初って
> なんだろう? 「ポートピア殺人事件」かな?
最初に「長髪で顔を隠す」を見たのが、ですか?
「顔が出ない」のは、昔のアドベンチャーゲーム
(「ポートピア殺人事件」もそうですね)の流れが
あるように思います。
思えばあの頃は、主人公には台詞がなかった。
あっても、プレイヤーが複数の選択肢から選んだ
通りにしかしゃべらなかった。
つまり、主人公はプレイヤーの操り人形だった訳
です。
人形の人格は操者にゆだねられますから、顔は
重要ではありませんでした。
> FF なんかは顔でまくりだけど、恋愛系シミュレーション系はそう
> かもね~ ときメモとか。
RPGだと主人公に顔がないのはまずありませんね。
彼らにはロールが与えられている訳ですから
当然役者としての顔があるのでしょう。
ノベル系も、「弟切草」等のように全員の顔がないなら
それでも良いんですが、「主人公だけ蔑ろ」ってのが
全体のバランスからおかしい気がするんです。
> スイッチかなんかついていればいいのにね。「顔スイッチ」オン!
> みたいな。
おもしろい機能ですね。
Key系18禁ノベルによくある「Hなし」スイッチみたいな。
でも、「スイッチ」があったらOFFにする人っているの
でしょうか?
ときメモは、特にPS/SS版の1ですけど、女の子が主人公の名前の入ったセリフ
をしゃべるときに、画面では出てる文章(の一部)がしゃべられなくなったり
しましたね。 これは技術的な問題だったんだろうと思いますが。
#それを解消したのがEVSかな。
>スイッチかなんかついていればいいのにね。「顔スイッチ」オン!
>みたいな。
日本人的にはわりと自分の顔が見えても感情移入可能な気がします。
日本だと3Dでも1人称視点より3人称視点の方が多いし。
--
池田 尚隆(Yoshitaka Ikeda) mailto:ik...@4bn.ne.jp
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:burd7f$c07$1...@news1.point.ne.jp...
> 私なら、主人公のキャラクターが明確であるほど、また
> 自分とはかけ離れたキャラを持っているほど、逆に自分
> を忘れてドラマにのめり込めます。
「のめり込む」というか、「感情移入しやすい」ということですね。
キャラクターに感情移入するためには、そのキャラクターが
何を考え、何を夢に見、何をしようとしているかがわかった方が
いいですから。
つまり「主人公は他者」である。
いわゆる「ファイナルファンタジー」系ですね。
対してゲームの歴史に脈々と流れる「主人公同一性」があり
ます。「ドラゴンクエスト」がわかりやすいです。
あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
ちなみに後者の方が歴史が古い。ゲーム黎明期からです。
#だから河野さんが驚いた理由が私にはわからない。
まぁなんでもいいんですが、インベーダーがありますね。
あのゲームは主人公を「自機」という。
説明する必要はないと思いますが、「自機」は「自機」です。
「自機」が「何を考えてるか?」とか「どんな感情を持ってる
のか?」とかは考える必要もなければ、する人もいなかった。
当たり前ですけど。
もともとゲームにストーリーはありませんでした。
ストーリーを持ち込むゲームが出て、初めて加わった「新し
い要素」です。
たとえストーリーがあっても、ゲームを前へ推し進める要素で
あって、「アドベンチャーゲーム」のようにストーリーがメインの
ゲームが出て初めてゲームの中心要素になりました。
草分けは「軽井沢誘拐案内」ですかね、やっぱり。
ストーリーがゲームに導入されて、初めて「主人公」はプレイ
ヤーそのものか、それとも人格(架空とはいえ)を持った個人
かという問題が生まれたわけです。
> 物語の登場人物に実存する自分の姿を当てはめて考える人
> っているのでしょうか。
> 私だったら興醒めです。物語の中ぐらい別人になりたい。
混乱してると思います。
上で書いたとおり、「個性のない主人公の記号」だから、自分
を投影して「別人」になれるわけです。
個性があればあるほど、同一化はできませんから、主人公は
人格を持った「他者」になり、小説の「感情移入」に近くなります。
> しかし、そうして自分のなかに確立されたキャラは、今度
> は作品がアニメ化される時に描かれる姿とのギャップに
> 悩まされます。
ゲームはゲーム。アニメはアニメなんでしょう。
> ならば最初から同じ顔をゲームに出してもいいのではない
> か、と思う次第です。
投影型と他者型はどっちがどっちということは、ないでしょう。
ただ、他者型の方が「ゲーム」として矛盾を抱えていると思います。
他者型では、プレイヤーは主人公ではないが、その影のようにぴ
ったりくっついて、主人公の体験することを一緒に体験していくこと
なります。
しかし操作しているのはもちろんプレイヤーです。「他者」であり
ながら、実際にはプレイヤーが操作できてしまう「自分」でもあるわ
けです。
ここに他者型の大いなる矛盾があります。
最後までそのまま行けばいいのですが、「FF」や「ゼノギアス」、
「バイオハザード」のように突然ムービーが始まって、主人公が
勝手に動き始めたりすると、感情移入していたプレイヤーはい
きなり引き離され、プレイヤーでも主人公でもない「単なる傍観
者」になってしまうわけですね。
ゲームとしては大変興が削がれる瞬間で、これは「他者型」
の主人公とプレイヤーのミスマッチが生み出した矛盾と言えるで
しょう。
> 「GLO・RI・A 禁断の血族」
> 登場人物はアクは強いがいい人ばかりで、どこが「禁断」
> なんだろうと思うことしきり…あ、「重婚end」かな)
あれは「禁断の血族2」という意味なのでは。
開発コードが「禁断の血族2」でしたし。
--
東京都 飯塚顕充
tetsutaro wrote:
> 私なら、主人公のキャラクターが明確であるほど、また
> 自分とはかけ離れたキャラを持っているほど、逆に自分
> を忘れてドラマにのめり込めます。
ふと気づいたんですが、Nitro+のゲームってたいてい主人公の顔が
はっきりしてますよね。
いちばんはっきりしてないのは処女作「Phantom」かなぁ、それ以
外だと顔出まくりで。「斬魔大聖デモンベイン」の九郎はちゃんと女
装もしてるし(笑)。
これは、やっぱりプレイヤーとの一体感よりもストーリーを見せる
方向性が強いからかなーと思います。2丁拳銃と功夫な熱いバトルを
見せるためには顔もはっきりしてないと、という感じ?
また「Hello,World」の和樹だと、最初のAI起動シークエンスと
かでいかにもAIっぽい描写なのが、そのうちに人間的な成長を遂げ
ていくのを見せている部分が面白いですよね。
※)話は飛びますがAI的描写と言えば、宮本屋さんの「ワタシノコ
コロ」での描写なんかはAI好きにはたまらないんじゃないかなーと
>>http://www.st.rim.or.jp/~hodo-f/create/ToHeart/index.html
そういえば、後で主人公の顔が発表されてガビーンとなったのと言
えば、リーフのLVNS3部作の主人公達の顔がリーフファイト97
でお披露目になった時とか。
あれは「こんな顔だったんかーい」と叫んだ記憶が。
--
... message from sugich@BiTmap Publishing since 1993
"mailto:jac0...@nifty.ne.jp", "http://village.infoweb.ne.jp/~fxba0022/"
iizuka wrote:
> 他者型では、プレイヤーは主人公ではないが、その影のようにぴ
> ったりくっついて、主人公の体験することを一緒に体験していくこと
この矛盾をなんとか解決しようと頑張ったRPGの例としては、SEGAの
「AZEL -PanzerDragoonRPG-」なんかが思い浮かびます。
プレイヤー≠主人公ではあるけれども、その主人公エッジにオープニ
ングで憑依(?)することになる伝説の存在「絶対の客人」=プレイヤー
である、という立場でゲーム世界に参加するという具合に。
主人公≠プレイヤーではあるけれども、物語にはちゃんと参加してい
るという感覚を抱かせるなかなかうまい設定だったんじゃないかなーと。
……最後のセストレンでの某シーンではその演出のマズさに「なんじゃ
こりゃ」と言った人が多かったのはアレですけど(笑)。
※)参考:「絶対の客人」というシステムが表しているもの
>>http://village.infoweb.ne.jp/~riko/pandora/mystery1.htm#player
ご意見、多謝。
&
反論、ご容赦ください。
"iizuka" <iiz...@comp.metro-u.ac> wrote in message
news:bv2o1p$58k$1...@swallow.comp.metro-u.ac.jp...
> > 私なら、主人公のキャラクターが明確であるほど、また
> > 自分とはかけ離れたキャラを持っているほど、逆に自分
> > を忘れてドラマにのめり込めます。
>
> 「のめり込む」というか、「感情移入しやすい」ということですね。
「感情移入」も含めて「のめり込む」ということだと
考えています。
本を読んでいて周りの様子が見えなくなる状態
って、「のめり込む」という表現が適切な気がする
ものですから。
私が「主人公の顔がない」ことを問題視しているのは、
「主人公以外の顔がでる」、「女性キャラだけ声がある」
ノベル系の恋愛ゲームです。
つまりは、「コミックや小説を読むように物語に没頭
したい」と言うわけです。
(「女性キャラの声」は付加要素で、これが元々無くても
主人公の「顔」がないだけで該当します)
> キャラクターに感情移入するためには、そのキャラクターが
> 何を考え、何を夢に見、何をしようとしているかがわかった方が
> いいですから。
> つまり「主人公は他者」である。
> いわゆる「ファイナルファンタジー」系ですね。
RPGは話の焦点ではありません。
が、確かにノベル系ゲームの歴史を考える上で、ADVと
RPGからの流れは切り離せませんね。
> 対してゲームの歴史に脈々と流れる「主人公同一性」があり
> ます。「ドラゴンクエスト」がわかりやすいです。
> あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
> ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
ドラクエも特定のヒロインと結婚したり、単なる記号とは
言いづらくなっていますが。
> ちなみに後者の方が歴史が古い。ゲーム黎明期からです。
> #だから河野さんが驚いた理由が私にはわからない。
> まぁなんでもいいんですが、インベーダーがありますね。
> あのゲームは主人公を「自機」という。
> 説明する必要はないと思いますが、「自機」は「自機」です。
> 「自機」が「何を考えてるか?」とか「どんな感情を持ってる
> のか?」とかは考える必要もなければ、する人もいなかった。
> 当たり前ですけど。
ああ、確かにRPGでもハイドライドとかブラックオニキスの
主人公にキャラクターは不要でした。
これがイースになると、主人公への「感情移入」が生じて
来ました。
> もともとゲームにストーリーはありませんでした。
> ストーリーを持ち込むゲームが出て、初めて加わった「新し
> い要素」です。
> たとえストーリーがあっても、ゲームを前へ推し進める要素で
> あって、「アドベンチャーゲーム」のようにストーリーがメインの
> ゲームが出て初めてゲームの中心要素になりました。
> 草分けは「軽井沢誘拐案内」ですかね、やっぱり。
あ、「軽井沢誘拐案内」は手がけていないので
その例はよく判りません。 m(_ _)m
ただ、ノベルゲームはストーリーこそが主要素です。
> ストーリーがゲームに導入されて、初めて「主人公」はプレイ
> ヤーそのものか、それとも人格(架空とはいえ)を持った個人
> かという問題が生まれたわけです。
>
> > 物語の登場人物に実存する自分の姿を当てはめて考える人
> > っているのでしょうか。
> > 私だったら興醒めです。物語の中ぐらい別人になりたい。
自分の顔をキャプチャーして主人公の顔に
張り付けられる恋愛ゲームが出たら、そんな
ゲームはやりたくないな、ということです。
これが、アクションゲームなら、そんなに抵抗は
ありませんが。
(実際、アーケードのレースゲームで顔を取り込める
ものが過去にあり、やってみたら面白かったです)
> 混乱してると思います。
> 上で書いたとおり、「個性のない主人公の記号」だから、自分
> を投影して「別人」になれるわけです。
> 個性があればあるほど、同一化はできませんから、主人公は
> 人格を持った「他者」になり、小説の「感情移入」に近くなります。
私が言いたかったのは、「ごっこ」(まあ、ロールプレイ
のことですね)に近い感覚です。
テレビでウルトラマンや仮面ライダーを見て変身ごっこ
をしたとき、自分の姿はウルトラマンや仮面ライダーに
「変身」していたはずです。
グラディウスの自機やアクションゲームの主役は
私には単なる駒で、感情移入も同一化もありせん
でした。
だから、飯塚さんの「主人公同一性」説はピンと
来ないのが正直なところです。
(気を悪くなさらないでくださいね)
> > しかし、そうして自分のなかに確立されたキャラは、今度
> > は作品がアニメ化される時に描かれる姿とのギャップに
> > 悩まされます。
>
> ゲームはゲーム。アニメはアニメなんでしょう。
「コミックとアニメは別物」というならそうかも
しれません。
しかし、アニメ化された主人公の顔がコミック
とは別人で、ヒロインはコミック通りだったら
違和感があると思います。
> > ならば最初から同じ顔をゲームに出してもいいのではない
> > か、と思う次第です。
>
> 投影型と他者型はどっちがどっちということは、ないでしょう。
別に飯塚さんが「投影型」と類するゲームを
否定してはいません。
「他者型」ゲームなのに主人公だけ「投影型」
にしなくてもいいのに、と言いたいんです。
(そもそも、「投影型」のゲームのアニメ化の例
は何でしょうか。それが判れば飯塚さんの話
ももう少し理解できるのですが)
(というより、もしかしたら私の書き方が悪くて
私の考えが理解されていないのでしょうか…)
> ただ、他者型の方が「ゲーム」として矛盾を抱えていると思います。
> 他者型では、プレイヤーは主人公ではないが、その影のようにぴ
> ったりくっついて、主人公の体験することを一緒に体験していくこと
> なります。
> しかし操作しているのはもちろんプレイヤーです。「他者」であり
> ながら、実際にはプレイヤーが操作できてしまう「自分」でもあるわ
> けです。
ノベル型ゲームはそれほどの自由度はありませんね。
ゆえに、よく「ゲームじゃない」と言われます。
> ここに他者型の大いなる矛盾があります。
自我を持ったチェスの駒、と言ったところでしょうか。
> 最後までそのまま行けばいいのですが、「FF」や「ゼノギアス」、
> 「バイオハザード」のように突然ムービーが始まって、主人公が
> 勝手に動き始めたりすると、感情移入していたプレイヤーはい
> きなり引き離され、プレイヤーでも主人公でもない「単なる傍観
> 者」になってしまうわけですね。
> ゲームとしては大変興が削がれる瞬間で、これは「他者型」
> の主人公とプレイヤーのミスマッチが生み出した矛盾と言えるで
> しょう。
見方を変えれば、ムービーを見て主人公の行動
理念を理解し、「彼(彼女)なら、こう動くはず」、
「このときはこんな事を考えているのではないか」
という入り方もありかと思います。
いずれにせよ、件名が対象とするのは、ノベル系
の恋愛ゲームで、RPGやACT系のゲームの話は
その補足にすぎません。
> > 「GLO・RI・A 禁断の血族」
> > 登場人物はアクは強いがいい人ばかりで、どこが「禁断」
> > なんだろうと思うことしきり…あ、「重婚end」かな)
>
> あれは「禁断の血族2」という意味なのでは。
> 開発コードが「禁断の血族2」でしたし。
「禁断の血族2」を作ろうとして別物になった
のかな、と思っています。
でもそれなら製品版にまで「禁断の」と入れんでも…
(「血族」というのは間違いありませんが、肉親と
言えるのは母親と娘のうちの一人だけだし)
という話。
いずれにせよ、本筋から外れた雑談です。
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:bv3ggb$d5n$1...@news1.point.ne.jp...
> 反論、ご容赦ください。
いいえ。最初から議論するつもりで投げてます。(^^)
> > > 私なら、主人公のキャラクターが明確であるほど、また
> > > 自分とはかけ離れたキャラを持っているほど、逆に自分
> > > を忘れてドラマにのめり込めます。
> >
> > 「のめり込む」というか、「感情移入しやすい」ということですね。
>
> ノベル系の恋愛ゲームです。
> つまりは、「コミックや小説を読むように物語に没頭したい」と言うわけです。
了解しています。
> > キャラクターに感情移入するためには、そのキャラクターが
> > 何を考え、何を夢に見、何をしようとしているかがわかった方が
> > いいですから。
> > つまり「主人公は他者」である。
> > いわゆる「ファイナルファンタジー」系ですね。
>
> RPGは話の焦点ではありません。
> が、確かにノベル系ゲームの歴史を考える上で、ADVと
> RPGからの流れは切り離せませんね。
というよりも、いずれも「ゲーム」というジャンルで大くくりしています。
アニメはアニメというジャンル。
小説は小説というジャンル。
「アニメでできていることがゲームでできない」
「小説でできることが、ゲームでできない」
逆に「ゲームにできることが、アニメや小説でできない」
以上は、ジャンルの違うものを無理やり一緒にしていて、ナンセン
スであると考えます。もちろん重なる所もあるでしょうが、根本的に別
のものです。
> > 対してゲームの歴史に脈々と流れる「主人公同一性」があり
> > ます。「ドラゴンクエスト」がわかりやすいです。
> > あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
> > ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
>
> ドラクエも特定のヒロインと結婚したり、単なる記号とは
> 言いづらくなっていますが。
それでも個性を極力減らすスタンスは貫いているでしょう。
> > > 物語の登場人物に実存する自分の姿を当てはめて考える人
> > > っているのでしょうか。
> > > 私だったら興醒めです。物語の中ぐらい別人になりたい。
>
> 自分の顔をキャプチャーして主人公の顔に
> 張り付けられる恋愛ゲームが出たら、そんな
> ゲームはやりたくないな、ということです。
それは個人の趣向の差だと思います。
実際、顔とは行かないまでも、名前を設定できるゲームはあり
ますよね。あれは自分の名前をゲームの中に登場させたい、
さらにはキャラクターに呼んで貰いたいという要求があるからだと
思います。
また画面に主人公が登場するのがダメな人もいます。
画面が自分の視点なので、視点に全身が映ることは、鏡でも
見ない限りありえないからですね。
> これが、アクションゲームなら、そんなに抵抗はありませんが。
> (実際、アーケードのレースゲームで顔を取り込める
> ものが過去にあり、やってみたら面白かったです)
なぜアクションゲームでオッケーなのか理由を話してもらえると。
実際面白かったわけですよね?
同じくいろいろなジャンルを跨いで、自分を投影した方が遊べる
人がいると思います。
> > 上で書いたとおり、「個性のない主人公の記号」だから、自分
> > を投影して「別人」になれるわけです。
> > 個性があればあるほど、同一化はできませんから、主人公は
> > 人格を持った「他者」になり、小説の「感情移入」に近くなります。
>
> グラディウスの自機やアクションゲームの主役は私には単な
> る駒で、感情移入も同一化もありせんでした。
> だから、飯塚さんの「主人公同一性」説はピンと来ないのが正
> 直なところです。
「駒」。そのとおりです。
今だから主人公という言い方をしますが、要するに
「自機」=「プレイヤー」なわけです。
そこに疑うべく要素はなにもない。「それがプレイヤーである」と
わかる駒、記号であれば良かったわけで、ゲームとはまずそこか
ら歴史が始まっています。
> > ゲームはゲーム。アニメはアニメなんでしょう。
>
> 「コミックとアニメは別物」というならそうかもしれません。
> しかし、アニメ化された主人公の顔がコミックとは別人で、
> ヒロインはコミック通りだったら違和感があると思います。
ゲームにもアニメにも、そして漫画にもそれぞれ得意な
表現方法と不得意な表現方法があります。
ジャンルが違うんだから当たり前ですね。
小説とも映画ともまた違います。メディアを乗り越えれば
多少の違和感は当たり前です。
> > > ならば最初から同じ顔をゲームに出してもいいのではない
> > > か、と思う次第です。
> >
> > 投影型と他者型はどっちがどっちということは、ないでしょう。
>
> 別に飯塚さんが「投影型」と類するゲームを否定してはいません。
> 「他者型」ゲームなのに主人公だけ「投影型」にしなくてもいい
> のに、と言いたいんです。
ノベルゲーム=他者型ゲームではありませんよ。
どう設定されているかは、そのゲームによって違います。
基本的に主人公を描かないゲームは、投影型を狙って作ってい
ますよね。
> (そもそも、「投影型」のゲームのアニメ化の例
> は何でしょうか。
アニメから考えるのは話が混乱するだけだと思います。
ゲームのことはゲームで考えましょう。
> (というより、もしかしたら私の書き方が悪くて
> 私の考えが理解されていないのでしょうか…)
理解していますよ。
私はなぜ顔を描かないのか、という説明を行っています。
> ノベル型ゲームはそれほどの自由度はありませんね。
> ゆえに、よく「ゲームじゃない」と言われます。
懐かしいですな。
昔fj.rec.games.video.pcでそんな議論を延々やりましたよ。
> いずれにせよ、件名が対象とするのは、ノベル系の恋愛ゲー
> ムで、RPGやACT系のゲームの話はその補足にすぎません。
ゲームというジャンルの1タイプですよね。
特別扱いは、しないでいきましょう。(^^)
> でもそれなら製品版にまで「禁断の」と入れんでも…
> (「血族」というのは間違いありませんが、肉親と
> 言えるのは母親と娘のうちの一人だけだし)という話。
その後「散華」という「禁断の血族」の冠を戴いたゲームもあり
ますから、一種のブランドにしたかったんでしょう。
--
東京都 飯塚顕充
主人公の扱いについてはその作品の趣旨に合ったやり方を製作者が選べばいい
と思いますが、
このグループで持て囃されそうな、高いストーリー性を売りにしたゲームだと
ほとんどの場合、主人公のキャラクターはハッキリしていた方が好ましい
と思いますね。
私の好みも多分にありますが。
天使のいない12月では、
フルボイス(主人公以外)であるのに主人公の名前変更可能で
その名前の部分が発声されないので、結果的に半分近くの台詞が無音です。
あまりに勿体無い。出来ればToHeartPSEみたいにしてほしかった。
ニトロプラス・虚淵玄さんのシナリオなんかは特にですが、
そもそも主人公が誰なのか余りハッキリ定義できないかも。
1人称となる視点が場面によって変わりますから。
沙耶の歌の主人公は郁紀か耕司かと問われれば、私は耕司と答えるが。
思うに、ストーリー上の主人公とプレイヤーの操作するキャラクターが
違う場合があるのではないでしょうか。
ストーリー性の高いゲームでも、
プレイヤーの操作するキャラクター(以下PC)のキャラが曖昧な場合は
ストーリー上の主人公はヒロインの女の子のほうになるのではないでしょうか。
#以下は私の好みの話ですが
そうなると健気なヒロインに対して主人公は
記憶喪失だったり、やる気の無い男だったり、間男だったり、解説役だったり。
カッコいい性格を与えられたPCは
時にプレイヤーの意図を超えて活躍したり出来ます。
そして、その活躍度合いによって、
初めてストーリー上の主人公と呼べるのではないでしょうか。
By 様
まあ本筋の話は、システム設計であるADVとRPGの違いと同じように、
シナリオ設計が違うだけで特にどっちが良いかというのは趣味の問題
だとは思いますが。
In article <3989380...@insigna.ie.u-ryukyu.ac.jp>, ko...@ie.u-ryukyu.ac.jp
says...
>河野真治 @ 琉球大学情報工学です。
>
>In article <burd7f$c07$1...@news1.point.ne.jp>, "tetsutaro"
<tetsut...@yahoo.co.jp> writes
>> が、ほとんどのゲームの場合、主人公の音声はおろか
>> 顔も出ません。
>> (姿が出ても「長髪で顔を隠す」等で特徴を殺します)
>
>僕も最初見たときびっくりした記憶があります。最初って
>なんだろう? 「ポートピア殺人事件」かな?
ポートピアで主人公の顔って出ましたっけ?長髪で顔を隠して。
いや主人公のイメージがおっさんぽかった(ヤスの上司だし)
イメージがあるだけで記憶がないだけなんですが。
もしそうだとしたら意外だなぁ。やったのはPC6001の時代……
# ちなみに私に聞かれても同級生程度しか思いつきませんが。
--
/倉林 /
/ kura...@nifty.com /
/MSXはいいですよ。 /
"iizuka" <iiz...@comp.metro-u.ac> wrote in message
news:bv4ole$fb6$1...@swallow.comp.metro-u.ac.jp...
> > 反論、ご容赦ください。
>
> いいえ。最初から議論するつもりで投げてます。(^^)
了解です。
楽しく議論しましょう。:-)
> > > > 私なら、主人公のキャラクターが明確であるほど、また
> > > > 自分とはかけ離れたキャラを持っているほど、逆に自分
> > > > を忘れてドラマにのめり込めます。
> > >
> > > 「のめり込む」というか、「感情移入しやすい」ということですね。
> >
> > ノベル系の恋愛ゲームです。
> > つまりは、「コミックや小説を読むように物語に没頭したい」と言うわけです。
>
> 了解しています。
> > RPGは話の焦点ではありません。
> > が、確かにノベル系ゲームの歴史を考える上で、ADVと
> > RPGからの流れは切り離せませんね。
>
> というよりも、いずれも「ゲーム」というジャンルで大くくりしています。
なるほど。
私も、「ゲーム」というくくりで言えば主人公の
キャラクター性を希薄にしている作品を否定
しません。
> アニメはアニメというジャンル。
> 小説は小説というジャンル。
> 「アニメでできていることがゲームでできない」
> 「小説でできることが、ゲームでできない」
> 逆に「ゲームにできることが、アニメや小説でできない」
> 以上は、ジャンルの違うものを無理やり一緒にしていて、ナンセン
> スであると考えます。もちろん重なる所もあるでしょうが、根本的に別
> のものです。
「ドラクエ」、「FF」、「D.C.」、「君望」という縦線と
「ゲーム」、「コミック」、「アニメ」、「小説」いう横線
の関係と考えています。
同じ縦線でもシューティングとノベルゲームで隔たりが
あるのとは逆に、「コミック」、「アニメ」、「小説」の
壁はとても薄いと思います。
で、ノベルゲームは「ゲーム」という横線の中でも
「コミック」、「アニメ」、「小説」に非常に近い位置に
あると思います。
線引きをはっきりさせてしまう必要はないと、私は
考えます。
> > > 対してゲームの歴史に脈々と流れる「主人公同一性」があり
> > > ます。「ドラゴンクエスト」がわかりやすいです。
> > > あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
> > > ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
> >
> > ドラクエも特定のヒロインと結婚したり、単なる記号とは
> > 言いづらくなっていますが。
>
> それでも個性を極力減らすスタンスは貫いているでしょう。
FFに比べれば。
要するにRPGの主人公も「記号であること」を貫き通すのが
難しい時代なんだなぁ、と言いたかったのです。
> > > > 物語の登場人物に実存する自分の姿を当てはめて考える人
> > > > っているのでしょうか。
> > > > 私だったら興醒めです。物語の中ぐらい別人になりたい。
> >
> > 自分の顔をキャプチャーして主人公の顔に
> > 張り付けられる恋愛ゲームが出たら、そんな
> > ゲームはやりたくないな、ということです。
>
> それは個人の趣向の差だと思います。
> 実際、顔とは行かないまでも、名前を設定できるゲームはあり
> ますよね。あれは自分の名前をゲームの中に登場させたい、
> さらにはキャラクターに呼んで貰いたいという要求があるからだと
> 思います。
でもそんなゲームに限って、ヒロインの音声は
「あなた」。
テキストでは自分の名前が出てるのに、興ざめ
しました。
以降、主人公にデフォルトの名前がある以上、
その名前を尊重します。
> また画面に主人公が登場するのがダメな人もいます。
まさにその通りで、「私みたいな趣向の人間は少数派
なんだろうか」という疑問からこの投稿記事は始まって
います。
(「顔なしの方がいいよ」という意見も、無論、可)
> 画面が自分の視点なので、視点に全身が映ることは、鏡でも
> 見ない限りありえないからですね。
> > これが、アクションゲームなら、そんなに抵抗はありませんが。
> > (実際、アーケードのレースゲームで顔を取り込める
> > ものが過去にあり、やってみたら面白かったです)
>
> なぜアクションゲームでオッケーなのか理由を話してもらえると。
> 実際面白かったわけですよね?
飯塚さんの御説の通り、ACTゲームの駒にはキャラクター性
がないからです。
そして、自分勝手にしゃべったり行動したりしない。
ゲームで、自分の選択とは無縁の処で主人公が台詞を
言う以上、「彼」はどうしても「私」ではあり得ない。
自分の名前を仮に付けても、それは同名の別人でしか
ありえません。
(で、別人格ならちゃんと個性的な顔を出して欲しい、と)
> 同じくいろいろなジャンルを跨いで、自分を投影した方が遊べる
> 人がいると思います。
否定はしませんが、少なくとも「顔なし」ノベルの作者は
そちらが大半と考えているのかなぁ、でそ本当にそう
なのかなぁ。
というのが、私の疑問です。
> > > 上で書いたとおり、「個性のない主人公の記号」だから、自分
> > > を投影して「別人」になれるわけです。
> > > 個性があればあるほど、同一化はできませんから、主人公は
> > > 人格を持った「他者」になり、小説の「感情移入」に近くなります。
> >
> > グラディウスの自機やアクションゲームの主役は私には単な
> > る駒で、感情移入も同一化もありせんでした。
> > だから、飯塚さんの「主人公同一性」説はピンと来ないのが正
> > 直なところです。
>
> 「駒」。そのとおりです。
> 今だから主人公という言い方をしますが、要するに
> 「自機」=「プレイヤー」なわけです。
> そこに疑うべく要素はなにもない。「それがプレイヤーである」と
> わかる駒、記号であれば良かったわけで、ゲームとはまずそこか
> ら歴史が始まっています。
メンコや、ビー玉、独楽、凧、等もゲームの「駒」ですね。
メンコやビー玉を、勝負に負けてとられて悔しい、
凧がうまく風に乗って揚がるとうれしい、
というのを駒との「同一化」というなら、判ります。
駒は「私」が動かさないと動きませんから。
> > > ゲームはゲーム。アニメはアニメなんでしょう。
> >
> > 「コミックとアニメは別物」というならそうかもしれません。
> > しかし、アニメ化された主人公の顔がコミックとは別人で、
> > ヒロインはコミック通りだったら違和感があると思います。
>
> ゲームにもアニメにも、そして漫画にもそれぞれ得意な
> 表現方法と不得意な表現方法があります。
昔、ノベルゲームのように、選択肢でページへ
飛んでいく本が出版された事がありました。
ページを探して開き直すのが面倒でしたが。
つまり「不得手」な表現方法だった訳です。
ただし、不得手なりに同じ事が出来た、という
事実も存在します。
> ジャンルが違うんだから当たり前ですね。
「当たり前」で終わらせることには納得できません。
> 小説とも映画ともまた違います。メディアを乗り越えれば
> 多少の違和感は当たり前です。
メディアが違っても、同じ縦線です。
表現方法の違いや、作成に関わる人間の考え方で
意図的に異なったカラーを出すことがありますが、
「キャラクタ性」は基本的に共通に作ろうとしています。
でも、ゲームに主人公の顔がないことで、意図して
いないであろう違和感が生じる、ということです。
同じゲームの世界でも「sugich」さんの記事にあるように
"SUGIMOTO Hideaki" <fxba...@mb.infoweb.ne.jp> wrote in message
news:4015108A...@mb.infoweb.ne.jp...
$ そういえば、後で主人公の顔が発表されてガビーンとなったのと言
$ えば、リーフのLVNS3部作の主人公達の顔がリーフファイト97
$ でお披露目になった時とか。
$ あれは「こんな顔だったんかーい」と叫んだ記憶が。
というケースもあります。
(実は私も同じ感想を感じたことを思い出しました。
思えばこれが違和感の原点だったのかも知れません)
> > > > ならば最初から同じ顔をゲームに出してもいいのではない
> > > > か、と思う次第です。
> > >
> > > 投影型と他者型はどっちがどっちということは、ないでしょう。
> >
> > 別に飯塚さんが「投影型」と類するゲームを否定してはいません。
> > 「他者型」ゲームなのに主人公だけ「投影型」にしなくてもいい
> > のに、と言いたいんです。
>
> ノベルゲーム=他者型ゲームではありませんよ。
> どう設定されているかは、そのゲームによって違います。
> 基本的に主人公を描かないゲームは、投影型を狙って作ってい
> ますよね。
主人公をプレイヤーがコントロールできなくても
「投影型」でしょうか。
(ノベルゲームで主人公の行動をいちいち入力
していたらゲームが先に進みませんし)
> > (そもそも、「投影型」のゲームのアニメ化の例
> > は何でしょうか。
>
> アニメから考えるのは話が混乱するだけだと思います。
> ゲームのことはゲームで考えましょう。
「ノベルゲーム」という枠を外すなら、「ゲーム」という
枠からはみ出してもいいんじゃないでしょうか。
> > (というより、もしかしたら私の書き方が悪くて
> > 私の考えが理解されていないのでしょうか…)
>
> 理解していますよ。
> 私はなぜ顔を描かないのか、という説明を行っています。
「ノベルゲーム」以外で、の話だとばかり思っていました。
なぜなら、「ノベルゲーム」で無個性の主人公は居ないし、
キャラクター性の薄い主人公のノベルゲームは、つまらない
と私は思うからです。
実際、ヒットしているノベルゲームの主人公はキャラクター
性が全面にでています。
> > いずれにせよ、件名が対象とするのは、ノベル系の恋愛ゲー
> > ムで、RPGやACT系のゲームの話はその補足にすぎません。
>
> ゲームというジャンルの1タイプですよね。
> 特別扱いは、しないでいきましょう。(^^)
話を拡大するのはOKですが、
逆に他メディアも排斥なしでいきましょう。
> > でもそれなら製品版にまで「禁断の」と入れんでも…
> > (「血族」というのは間違いありませんが、肉親と
> > 言えるのは母親と娘のうちの一人だけだし)という話。
>
> その後「散華」という「禁断の血族」の冠を戴いたゲームもあり
> ますから、一種のブランドにしたかったんでしょう。
そういえば、「GLO・RI・A 禁断の血族」から
随分と間があいて出た作品ですね。
このゲームは未着手ですが、小説版は読み
ました。
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:bv64r7$m36$1...@news1.point.ne.jp...
> > 「アニメでできていることがゲームでできない」
> > 「小説でできることが、ゲームでできない」
> > 以上は、ジャンルの違うものを無理やり一緒にしていて、ナンセン
> > スであると考えます。もちろん重なる所もあるでしょうが、根本的に別
> > のものです。
>
> 「ドラクエ」、「FF」、「D.C.」、「君望」という縦線と「ゲーム」、
> 「コミック」、「アニメ」、「小説」いう横線の関係と考えています。
> 同じ縦線でもシューティングとノベルゲームで隔たりが
> あるのとは逆に、「コミック」、「アニメ」、「小説」の
> 壁はとても薄いと思います。
わかりません。
シューティングとノベルゲームの何が隔たっているんでしょうか?
「コミック」、「アニメ」、「小説」、ひょっとすると「映画」も含まれる
かもしれませんが、何の壁が薄いんでしょうか?
> で、ノベルゲームは「ゲーム」という横線の中でも「コミック」、
>「アニメ」、「小説」に非常に近い位置にあると思います。
> 線引きをはっきりさせてしまう必要はないと、私は考えます。
メディアの違いをわかってて、あえて一緒に捉えるならわか
りますけど、それを踏まえず一緒にするのはおかしいでしょうね。
どんなノベルゲームも、やはり電子小説とは違う。なぜ違うの
か、てつたろうさんはもちろんわかりますよね?
> > それは個人の趣向の差だと思います。
> > 実際、顔とは行かないまでも、名前を設定できるゲームはあり
> > ますよね。あれは自分の名前をゲームの中に登場させたい、
> > さらにはキャラクターに呼んで貰いたいという要求があるからだと
> > 思います。
> > また画面に主人公が登場するのがダメな人もいます。
>
> まさにその通りで、「私みたいな趣向の人間は少数派
> なんだろうか」という疑問からこの投稿記事は始まって
> います。
ゲームの歴史とその性質上、投影型の方が多いでしょうね。
特にいろいろなジャンルのゲームをやる人間ほど、この傾
向は強いと思います。
ただ一番多いのは、必要に応じて切り替える人で、どっち
かでなきゃ全くダメという人はかなり少ないでしょう。
> > なぜアクションゲームでオッケーなのか理由を話してもらえると。
> > 実際面白かったわけですよね?
>
> 飯塚さんの御説の通り、ACTゲームの駒にはキャラクター性
> がないからです。
でもキャラクター性のないSTGもACTも今ほとんどないですよ。
格闘ゲームのキャラクター性が特徴的ですけど。
> ゲームで、自分の選択とは無縁の処で主人公が台詞を
> 言う以上、「彼」はどうしても「私」ではあり得ない。
「自分の選択とは無縁」というところが、いまいち理解できませ
ん。
操作の制約ならどんなジャンルにもありますよ。
「ああ、ここで斜めに動けたら弾を避けられるのに」と思うこと
はSTGにありますけど、だからって「自機が私ではない」とは
思わないでしょう。
> 自分の名前を仮に付けても、それは同名の別人でしか
> ありえません。
主人公の取るべき行動を選択を「してあげている」のか、自分
が主人公であったらと想像して、選択するかで違うことはあるで
しょうね。
この辺はその人の「想像力の差」であると思います。
> > 「駒」。そのとおりです。
> > 今だから主人公という言い方をしますが、要するに
> > 「自機」=「プレイヤー」なわけです。
> > そこに疑うべく要素はなにもない。「それがプレイヤーである」と
> > わかる駒、記号であれば良かったわけで、ゲームとはまずそこか
> > ら歴史が始まっています。
>
> メンコや、ビー玉、独楽、凧、等もゲームの「駒」ですね。
> メンコやビー玉を、勝負に負けてとられて悔しい、
> 凧がうまく風に乗って揚がるとうれしい、
> というのを駒との「同一化」というなら、判ります。
> 駒は「私」が動かさないと動きませんから。
テレビゲーム、ビデオゲームと言われるものは、メンコやビー玉
を元祖に持つわけではありませんから、同じ意味合いになるとは
限りません。
グラディウスをやったことあるんですから、それで理解できるん
じゃないですか?
> > > > ゲームはゲーム。アニメはアニメなんでしょう。
> > >
> > > 「コミックとアニメは別物」というならそうかもしれません。
> > > しかし、アニメ化された主人公の顔がコミックとは別人で、
> > > ヒロインはコミック通りだったら違和感があると思います。
> >
> > ゲームにもアニメにも、そして漫画にもそれぞれ得意な
> > 表現方法と不得意な表現方法があります。
>
> 昔、ノベルゲームのように、選択肢でページへ飛んでいく本
> が出版された事がありました。
ん? ゲームブックのことですか?
> ページを探して開き直すのが面倒でしたが。
> つまり「不得手」な表現方法だった訳です。
> ただし、不得手なりに同じ事が出来た、という事実も存在します。
だから何? という感じがするんですが。(^^;)
同じことをやろうとしたけど、うまくいかなかったから「昔」に
なってしまったんだと思いますけど。
> > ジャンルが違うんだから当たり前ですね。
>
> 「当たり前」で終わらせることには納得できません。
別に納得しなくてもいいですから、理解をしてください。
メディアにはそれぞれ得意な表現法、不得意な表現法が
あります。これは当たり前のことです。ジャンルが違うんですか
ら。
逆にそういう独自の分野がなければ、簡単に廃れていくでし
ょう。
> > 小説とも映画ともまた違います。メディアを乗り越えれば
> > 多少の違和感は当たり前です。
>
> メディアが違っても、同じ縦線です。
> 表現方法の違いや、作成に関わる人間の考え方で意図的に
> 異なったカラーを出すことがありますが、「キャラクタ性」は基
> 本的に共通に作ろうとしています。
> でも、ゲームに主人公の顔がないことで、意図していないであ
> ろう違和感が生じる、ということです。
まず「同じ縦線」というところが、私には理解できません。
次にメディアが違って(たとえばアニメで)主人公の顔に違和
感があっても、ゲームの作り手の知ったことではないと思います。
ゲームの作り手は「ゲームとして最高の出来になるには、どう
すればいいか」だけ考えればいいことであって、これがその後ア
ニメ化されたらどうなるかなんて、余計なことです。
そんなこと考える暇があったら、ゲームの完成度に力を注いで
欲しいですね。
> $ あれは「こんな顔だったんかーい」と叫んだ記憶が。
>
> というケースもあります。
やはり「だから何?」と思います。(^^;)
メディアが変われば違和感は当然のことです。
> > > 別に飯塚さんが「投影型」と類するゲームを否定してはいません。
> > > 「他者型」ゲームなのに主人公だけ「投影型」にしなくてもいい
> > > のに、と言いたいんです。
> >
> > ノベルゲーム=他者型ゲームではありませんよ。
> > どう設定されているかは、そのゲームによって違います。
> > 基本的に主人公を描かないゲームは、投影型を狙って作ってい
> > ますよね。
>
> 主人公をプレイヤーがコントロールできなくても「投影型」でしょうか。
主人公を描かないゲームは、「投影型」を狙って作っている
でしょう。
> > > (というより、もしかしたら私の書き方が悪くて
> > > 私の考えが理解されていないのでしょうか…)
> >
> > 理解していますよ。
> > 私はなぜ顔を描かないのか、という説明を行っています。
>
> 「ノベルゲーム」以外で、の話だとばかり思っていました。
> なぜなら、「ノベルゲーム」で無個性の主人公は居ないし、
> キャラクター性の薄い主人公のノベルゲームは、つまらない
> と私は思うからです。
「面白い」「つまらない」は個人の趣向の問題です。
ここまで来て「ノベルゲーム」の定義がわからないのですが、
個性のある主人公とは、たとえばどのソフトのことを言っている
のですか?
> > その後「散華」という「禁断の血族」の冠を戴いたゲームもあり
> > ますから、一種のブランドにしたかったんでしょう。
>
> そういえば、「GLO・RI・A 禁断の血族」から
> 随分と間があいて出た作品ですね。
> このゲームは未着手ですが、小説版は読み
> ました。
大したゲームじゃないので、買う必要はありません。
私はこのソフトで、シーズウェアを見限りました。
--
東京都 飯塚顕充
なんだかかみあいませんね。
一体どこがずれているんだろう?
"iizuka" <iiz...@comp.metro-u.ac> wrote in message
news:bv8cp0$i44$1...@swallow.comp.metro-u.ac.jp...
> > > 「アニメでできていることがゲームでできない」
> > > 「小説でできることが、ゲームでできない」
> > > 以上は、ジャンルの違うものを無理やり一緒にしていて、ナンセン
> > > スであると考えます。もちろん重なる所もあるでしょうが、根本的に別
> > > のものです。
> >
> > 「ドラクエ」、「FF」、「D.C.」、「君望」という縦線と「ゲーム」、
> > 「コミック」、「アニメ」、「小説」いう横線の関係と考えています。
> > 同じ縦線でもシューティングとノベルゲームで隔たりが
> > あるのとは逆に、「コミック」、「アニメ」、「小説」の
> > 壁はとても薄いと思います。
>
> わかりません。
> シューティングとノベルゲームの何が隔たっているんでしょうか?
> 「コミック」、「アニメ」、「小説」、ひょっとすると「映画」も含まれる
> かもしれませんが、何の壁が薄いんでしょうか?
例えば、「君望」はもともとノベルゲームですが、
「小説」化も「アニメ」化もされていますし、「コミック」化だって
可能でしょう。(アンソロジーならあるようですし)
でも、「君望」のストーリーをシューティングで表現するのは
無理でしょう。
(何を今更書いているのだろう、私。「映画」を持ち出してきた
段階で飯塚さんはこんなことはわかっているだろうし。
それでもあえて、「わからない」と書く飯塚さんの目的が
判らない私)
> > で、ノベルゲームは「ゲーム」という横線の中でも「コミック」、
> >「アニメ」、「小説」に非常に近い位置にあると思います。
> > 線引きをはっきりさせてしまう必要はないと、私は考えます。
>
> メディアの違いをわかってて、あえて一緒に捉えるならわか
> りますけど、それを踏まえず一緒にするのはおかしいでしょうね。
わかっているつもりです。
「近い位置にある」を「一緒」と解釈するのはどうかと思います。
「近い」のは「違い」でもあるのですから。
> どんなノベルゲームも、やはり電子小説とは違う。なぜ違うの
> か、てつたろうさんはもちろんわかりますよね?
「ゲーム」ですからね。
> > > それは個人の趣向の差だと思います。
御意。
最初から「私は」と主語で申し上げているはずですが。
だから「~だから顔がない方を私は好む」という意見
は「なるほど、そんな考え方もあるんだ」と納得する
積もりです。
(「顔がないのが当然だ、どこがおかしい」と言われると
反論もしますが)
> > > 実際、顔とは行かないまでも、名前を設定できるゲームはあり
> > > ますよね。あれは自分の名前をゲームの中に登場させたい、
> > > さらにはキャラクターに呼んで貰いたいという要求があるからだと
> > > 思います。
> > > また画面に主人公が登場するのがダメな人もいます。
> >
> > まさにその通りで、「私みたいな趣向の人間は少数派
> > なんだろうか」という疑問からこの投稿記事は始まって
> > います。
>
> ゲームの歴史とその性質上、投影型の方が多いでしょうね。
> 特にいろいろなジャンルのゲームをやる人間ほど、この傾
> 向は強いと思います。
> ただ一番多いのは、必要に応じて切り替える人で、どっち
> かでなきゃ全くダメという人はかなり少ないでしょう。
その通りだと思います。
私だって「全くダメ」なんて言っていません。
(じゃなきゃ、ノベルゲームなんてやっていない)
でも「投影型の方が多い」という状況は、時代の変遷とともに
変わってきていないのかなぁ。
というのが感想です。
> > > なぜアクションゲームでオッケーなのか理由を話してもらえると。
> > > 実際面白かったわけですよね?
> >
> > 飯塚さんの御説の通り、ACTゲームの駒にはキャラクター性
> > がないからです。
>
> でもキャラクター性のないSTGもACTも今ほとんどないですよ。
> 格闘ゲームのキャラクター性が特徴的ですけど。
そのようなゲームに自分の顔を貼り付けたいとは
思いません。
顔を貼り付けて面白いと思えるのは、あくまでも
キャラクター性のないゲームの場合です。
> > ゲームで、自分の選択とは無縁の処で主人公が台詞を
> > 言う以上、「彼」はどうしても「私」ではあり得ない。
>
> 「自分の選択とは無縁」というところが、いまいち理解できませ
> ん。
> 操作の制約ならどんなジャンルにもありますよ。
> 「ああ、ここで斜めに動けたら弾を避けられるのに」と思うこと
> はSTGにありますけど、だからって「自機が私ではない」とは
> 思わないでしょう。
自機が自身の意思で勝手にボスキャラに特攻を
かけたりはしませんよね。
(ゲームプレイ中そんなことをされたら「バグだ!」と
怒ります)
ノベルゲームだと、「よせ、やめろ、そんなことは
するんじゃない」ということを勝手にやってくれたり
します。それにプレイヤーは干渉できない、という
よりそのもどかしさを含めて楽しんでいるはずです。
> > 自分の名前を仮に付けても、それは同名の別人でしか
> > ありえません。
>
> 主人公の取るべき行動を選択を「してあげている」のか、自分
> が主人公であったらと想像して、選択するかで違うことはあるで
> しょうね。
> この辺はその人の「想像力の差」であると思います。
選択肢を選ぶ際にはいろいろな判断基準がありますね。
「今までこんな選択をしてきたからここもこうすべきだろう」
「いや、敢えてこうしたらどんな話になるんだろう」
「あえておふざけでいってみるか」
でも、その選択肢を選んだからと言って想像した通り
の展開になるとは限らない。
想像の範疇を越えてくれるから面白いと言えるのですが。
(そういうところは小説やコミック、アニメにも共通でしょう)
> > > 「駒」。そのとおりです。
> > > 今だから主人公という言い方をしますが、要するに
> > > 「自機」=「プレイヤー」なわけです。
> > > そこに疑うべく要素はなにもない。「それがプレイヤーである」と
> > > わかる駒、記号であれば良かったわけで、ゲームとはまずそこか
> > > ら歴史が始まっています。
> >
> > メンコや、ビー玉、独楽、凧、等もゲームの「駒」ですね。
> > メンコやビー玉を、勝負に負けてとられて悔しい、
> > 凧がうまく風に乗って揚がるとうれしい、
> > というのを駒との「同一化」というなら、判ります。
> > 駒は「私」が動かさないと動きませんから。
>
> テレビゲーム、ビデオゲームと言われるものは、メンコやビー玉
> を元祖に持つわけではありませんから、同じ意味合いになるとは
> 限りません。
メンコとビー玉が同じ元祖なんて話はしていない
積もりですが。
> グラディウスをやったことあるんですから、それで理解できるん
> じゃないですか?
おや、それでは飯塚さんがおっしゃる「駒」とはなんだろう?
「メンコ」というゲームに参加するには「メンコ」という駒が必要
「凧揚げ」には凧が、「グラディウス」には「ビックバイパー」が
駒として必要、と考えたのですが。
> > > > > ゲームはゲーム。アニメはアニメなんでしょう。
> > > >
> > > > 「コミックとアニメは別物」というならそうかもしれません。
> > > > しかし、アニメ化された主人公の顔がコミックとは別人で、
> > > > ヒロインはコミック通りだったら違和感があると思います。
> > >
> > > ゲームにもアニメにも、そして漫画にもそれぞれ得意な
> > > 表現方法と不得意な表現方法があります。
> >
> > 昔、ノベルゲームのように、選択肢でページへ飛んでいく本
> > が出版された事がありました。
>
> ん? ゲームブックのことですか?
ああ、そんな呼称をされていましたっけ。
> > ページを探して開き直すのが面倒でしたが。
> > つまり「不得手」な表現方法だった訳です。
> > ただし、不得手なりに同じ事が出来た、という事実も存在します。
>
> だから何? という感じがするんですが。(^^;)
> 同じことをやろうとしたけど、うまくいかなかったから「昔」に
> なってしまったんだと思いますけど。
当時はそれなりにはやりもしたんですがね。
言いたかったのは
イコールじゃないけど、そんなに隔たっているわけ
でもない、ということ。
> > > ジャンルが違うんだから当たり前ですね。
> >
> > 「当たり前」で終わらせることには納得できません。
>
> 別に納得しなくてもいいですから、理解をしてください。
> メディアにはそれぞれ得意な表現法、不得意な表現法が
> あります。これは当たり前のことです。ジャンルが違うんですか
> ら。
> 逆にそういう独自の分野がなければ、簡単に廃れていくでし
> ょう。
「メディアには得手不得手がある」 のは納得しています。
だから「ゲームブックは不得手な表現方法だった」とも
書いていますし。
上で「納得できない」と書いたのは「ゲームはゲーム。
アニメはアニメ」という割り切りです。
(「当たり前」はその文を含めてかかっていると解釈しました)
> > > 小説とも映画ともまた違います。メディアを乗り越えれば
> > > 多少の違和感は当たり前です。
> > メディアが違っても、同じ縦線です。
> > 表現方法の違いや、作成に関わる人間の考え方で意図的に
> > 異なったカラーを出すことがありますが、「キャラクタ性」は基
> > 本的に共通に作ろうとしています。
> > でも、ゲームに主人公の顔がないことで、意図していないであ
> > ろう違和感が生じる、ということです。
>
> まず「同じ縦線」というところが、私には理解できません。
なぜでしょう。
小説でもアニメでも、ゲームでも、「君望」は「君望」ですよ。
少なくとも同じ主人公、同じヒロインがでてます。
「遙」と「水月」のキャラクターがゲームとアニメで180度
違っていたら同名の別作品と言えるかも知れませんが
同じキャラクター性を出すように作られていますよね。
(ゲームをやったことがないので想像ですが、おそらく
間違ってはいないと思います)
> 次にメディアが違って(たとえばアニメで)主人公の顔に違和
> 感があっても、ゲームの作り手の知ったことではないと思います。
正論ですが、「知ったことではない」と言ってしまっては
話が終わってしまいます。
「ユーザが何を感じようが知ったことではない」という
理屈につながってしまいます。
> ゲームの作り手は「ゲームとして最高の出来になるには、どう
> すればいいか」だけ考えればいいことであって、これがその後ア
> ニメ化されたらどうなるかなんて、余計なことです。
それでいいと思います。
> そんなこと考える暇があったら、ゲームの完成度に力を注いで
> 欲しいですね。
「主人公にも顔や声がついている方がもっとおもしろくなるのに」
と考えているユーザがいる、ということです。
> > $ あれは「こんな顔だったんかーい」と叫んだ記憶が。
> >
> > というケースもあります。
>
> やはり「だから何?」と思います。(^^;)
> メディアが変われば違和感は当然のことです。
おなじ「ゲーム」の話ですが。
(この場合、ノベルゲームとRPGの違いです)
> > > > 別に飯塚さんが「投影型」と類するゲームを否定してはいません。
> > > > 「他者型」ゲームなのに主人公だけ「投影型」にしなくてもいい
> > > > のに、と言いたいんです。
> > >
> > > ノベルゲーム=他者型ゲームではありませんよ。
> > > どう設定されているかは、そのゲームによって違います。
> > > 基本的に主人公を描かないゲームは、投影型を狙って作ってい
> > > ますよね。
> >
> > 主人公をプレイヤーがコントロールできなくても「投影型」でしょうか。
>
> 主人公を描かないゲームは、「投影型」を狙って作っている
> でしょう。
主人公のキャラクターを希薄にしてプレイヤーとの一体化
を図るのが「投影型」と思っていましたが、違いましたか?
「投影型だから顔がない」と書かれていますが、実際の処
どうでしょう。
主人公に女性を据えたノベルゲームでヒロインの顔が
ないものってありましたっけ。
つまり、実際の処「男の顔なんていらん」と考えている
ソフトハウスが多いだけではないかと思うのですが。
だからこそ、「男の顔だってあった方が面白いと考える
ユーザはいるんだよ」という主張をしたかったんです。
> > > > (というより、もしかしたら私の書き方が悪くて
> > > > 私の考えが理解されていないのでしょうか…)
> > >
> > > 理解していますよ。
上の点を理解頂けていたでしょうか。
> > > 私はなぜ顔を描かないのか、という説明を行っています。
> >
> > 「ノベルゲーム」以外で、の話だとばかり思っていました。
> > なぜなら、「ノベルゲーム」で無個性の主人公は居ないし、
> > キャラクター性の薄い主人公のノベルゲームは、つまらない
> > と私は思うからです。
>
> 「面白い」「つまらない」は個人の趣向の問題です。
「私個人という1ユーザの趣向として、ノベルゲームの主人公
の扱いに不満あり」
という主張で書いてきました。
(出来る限り主観を交えて書いてきた積もりですが)
元々ゲームは嗜好品ですから「面白い」「つまらない」抜きに
語ってもそれこそ「面白くない」と考えてます。
> ここまで来て「ノベルゲーム」の定義がわからないのですが、
> 個性のある主人公とは、たとえばどのソフトのことを言っている
> のですか?
最初に「GLO・RI・A 禁断の血族」と「化粧桜」を例に挙げましたが?
更に上にも、「ノベルゲームで無個性の主人公は居ない」とも
書きました。ノベルゲームの主人公は僅かな選択肢の他は
Enterキー一つで勝手に動きます。それこそ、個性なしには動き
ようがありません。
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:bv8q16$2s6$1...@news1.point.ne.jp...
> > > > 「アニメでできていることがゲームでできない」
> > > > 「小説でできることが、ゲームでできない」
> > > > 以上は、ジャンルの違うものを無理やり一緒にしていて、ナンセン
> > > > スであると考えます。もちろん重なる所もあるでしょうが、根本的に別
> > > > のものです。
> > >
> > > 「ドラクエ」、「FF」、「D.C.」、「君望」という縦線と「ゲーム」、
> > > 「コミック」、「アニメ」、「小説」いう横線の関係と考えています。
> > > 同じ縦線でもシューティングとノベルゲームで隔たりが
> > > あるのとは逆に、「コミック」、「アニメ」、「小説」の
> > > 壁はとても薄いと思います。
> >
> > わかりません。
> > シューティングとノベルゲームの何が隔たっているんでしょうか?
> > 「コミック」、「アニメ」、「小説」、ひょっとすると「映画」も含まれる
> > かもしれませんが、何の壁が薄いんでしょうか?
>
> 例えば、「君望」はもともとノベルゲームですが、
> 「小説」化も「アニメ」化もされていますし、「コミック」化だって
> 可能でしょう。(アンソロジーならあるようですし)
そりゃたまたま他のメディアに、「君望」が進出しただけで、「ノベ
ルゲーム」として一般化はできないでしょう。
それに、「君望」はAVGだと思うんですが。ノベルゲームって言う
と、通常「痕」とか「雫」とか「月姫」とかを指すんじゃないですか?
> でも、「君望」のストーリーをシューティングで表現するのは
> 無理でしょう。
AVGの「君望」のストーリーを表現をできるのは、AVGの「君
望」だけでしょうね。
つまり隔たっているのは、ストーリーの再現性ですか?
なるほど。
しかしストーリーというのは、ゲームの要素の一部です。 根
本的な問題として、ゲームにもっとも必要な要素は、ストーリー
ではありません。
ゲームのもっとも特徴的なことは、インタラクティブ、プレイヤ
ーの操作に対する応答でしょう。簡単に言うとプレイヤーが操
作できること。
主人公の投影型が支配的なのも、ここから来ているんですから。
で、壁が薄いのも同じくストーリーの再現性ということですかね。
なるほど。
しかし上記のように、ゲームの特徴は他のメディアと大きく違
います。また他のメディアもストーリーの再現性で一くくりにする
のが正しいとは思いません。
特に小説と他のメディアは、ゲームと同じくらい離れてると思
いますけどね。
> > どんなノベルゲームも、やはり電子小説とは違う。なぜ違うの
> > か、てつたろうさんはもちろんわかりますよね?
>
> 「ゲーム」ですからね。
プレイヤーが操作できるというのが、最も大きな違いです。
> > ゲームの歴史とその性質上、投影型の方が多いでしょうね。
> > 特にいろいろなジャンルのゲームをやる人間ほど、この傾
> > 向は強いと思います。
> > ただ一番多いのは、必要に応じて切り替える人で、どっち
> > かでなきゃ全くダメという人はかなり少ないでしょう。
>
> その通りだと思います。
> 私だって「全くダメ」なんて言っていません。
> でも「投影型の方が多い」という状況は、時代の変遷とともに
> 変わってきていないのかなぁ。というのが感想です。
ゲームの本質を考えると、投影型が多数を占める状況は
変わらないでしょう。
で、てつたろうさんが切り替えることが出来るなら、ノベル
ゲームであろうとAVGであろうと、投影型のゲームなら投影
型に。他者型なら他者型に切り替えて遊べば、いいのでは
ないでしょうか?
> > > > なぜアクションゲームでオッケーなのか理由を話してもらえると。
> > > > 実際面白かったわけですよね?
> > >
> > > 飯塚さんの御説の通り、ACTゲームの駒にはキャラクター性
> > > がないからです。
> >
> > でもキャラクター性のないSTGもACTも今ほとんどないですよ。
> > 格闘ゲームのキャラクター性が特徴的ですけど。
>
> そのようなゲームに自分の顔を貼り付けたいとは思いません。
> 顔を貼り付けて面白いと思えるのは、あくまでも
> キャラクター性のないゲームの場合です。
自分の顔を貼り付けることにこだわっておられるようですが、
自分の駒であると認識するのに、いちいち顔を貼り付ける必
要はないはずなんですけど。
てつたろうさんがアクションゲームで面白かったのは、「顔が
貼り付けられた」からなのですか?
逆に「顔を貼り付けられない」アクションゲームは面白くない?
> > > ゲームで、自分の選択とは無縁の処で主人公が台詞を
> > > 言う以上、「彼」はどうしても「私」ではあり得ない。
> >
> > 「自分の選択とは無縁」というところが、いまいち理解できませ
> > ん。
> > 操作の制約ならどんなジャンルにもありますよ。
> > 「ああ、ここで斜めに動けたら弾を避けられるのに」と思うこと
> > はSTGにありますけど、だからって「自機が私ではない」とは
> > 思わないでしょう。
>
> 自機が自身の意思で勝手にボスキャラに特攻をかけたり
>はしませんよね。
> (ゲームプレイ中そんなことをされたら「バグだ!」と叫びます)
> ノベルゲームだと、「よせ、やめろ、そんなことはするんじゃ
>ない」ということを勝手にやってくれたりします。それにプレイ
> ヤーは干渉できない、というよりそのもどかしさを含めて楽
> しんでいるはずです。
「よせ、やめろ、そんなことはするんじゃない」
と思うようなゲーム自体、物凄く少ないと思うのですが。(^^;)
さらにそういう操作できないストレスを楽しむというのも、ゲ
ームのプレイヤー中、多数を占めると思えません。
とても一般化できる事例ではないと思います。
ノベルゲームでそういう事態が発生するとしたら、投影型を
狙って作られたゲームでは、できるだけ主人公と同じく悩んだ
り、苦労したりという感情を理解して欲しいという目的でしょう。
辛い状況にある主人公に、なんだそりゃと引かれたり、あはは
バカだコイツと笑われるのは、目的から離れるわけで、それを
より回避できる投影型を選ぶのは、1つの選択だと思います。
> > > メンコや、ビー玉、独楽、凧、等もゲームの「駒」ですね。
> > > メンコやビー玉を、勝負に負けてとられて悔しい、
> > > 凧がうまく風に乗って揚がるとうれしい、
> > > というのを駒との「同一化」というなら、判ります。
> >
> > テレビゲーム、ビデオゲームと言われるものは、メンコやビー玉
> > を元祖に持つわけではありませんから、同じ意味合いになるとは
> > 限りません。
> > グラディウスをやったことあるんですから、それで理解できるん
> > じゃないですか?
>
> おや、それでは飯塚さんがおっしゃる「駒」とはなんだろう?
> 「メンコ」というゲームに参加するには「メンコ」という駒が必要
> 「凧揚げ」には凧が、「グラディウス」には「ビックバイパー」が
> 駒として必要、と考えたのですが。
ですから、「自機=プレイヤー」とわかる「記号」ですよ。
ゲームに参加するため「物」じゃないでしょう。
> > > > > 「コミックとアニメは別物」というならそうかもしれません。
> > > > > しかし、アニメ化された主人公の顔がコミックとは別人で、
> > > > > ヒロインはコミック通りだったら違和感があると思います。
> > > >
> > > > ゲームにもアニメにも、そして漫画にもそれぞれ得意な
> > > > 表現方法と不得意な表現方法があります。
> > >
> > > 昔、ノベルゲームのように、選択肢でページへ飛んでいく本
> > > が出版された事がありました。
> > > ページを探して開き直すのが面倒でしたが。
> > > つまり「不得手」な表現方法だった訳です。
> > > ただし、不得手なりに同じ事が出来た、という事実も存在します。
> >
> > だから何? という感じがするんですが。(^^;)
> > 同じことをやろうとしたけど、うまくいかなかったから「昔」に
> > なってしまったんだと思いますけど。
>
> 当時はそれなりにはやりもしたんですがね。
> 言いたかったのはイコールじゃないけど、そんなに隔たっているわけ
> でもない、ということ。
根付かなかった点からみても、無理があったんですよ。
それを隔たってないと言っても、じゃあなんで廃れたの? と
問われて答えられないじゃないですか。
> > > > ジャンルが違うんだから当たり前ですね。
> > >
> > > 「当たり前」で終わらせることには納得できません。
> >
> > 別に納得しなくてもいいですから、理解をしてください。
> > メディアにはそれぞれ得意な表現法、不得意な表現法が
> > あります。これは当たり前のことです。ジャンルが違うんですか
> > ら。
> > 逆にそういう独自の分野がなければ、簡単に廃れていくでし
> > ょう。
>
> 「メディアには得手不得手がある」 のは納得しています。
> だから「ゲームブックは不得手な表現方法だった」とも
> 書いていますし。
> 上で「納得できない」と書いたのは「ゲームはゲーム。
> アニメはアニメ」という割り切りです。
そうなんだから、仕方がないです。
> > > > 小説とも映画ともまた違います。メディアを乗り越えれば
> > > > 多少の違和感は当たり前です。
> > > メディアが違っても、同じ縦線です。
> > > 表現方法の違いや、作成に関わる人間の考え方で意図的に
> > > 異なったカラーを出すことがありますが、「キャラクタ性」は基
> > > 本的に共通に作ろうとしています。
> > > でも、ゲームに主人公の顔がないことで、意図していないであ
> > > ろう違和感が生じる、ということです。
> >
> > まず「同じ縦線」というところが、私には理解できません。
>
> なぜでしょう。
> 小説でもアニメでも、ゲームでも、「君望」は「君望」ですよ。
> 少なくとも同じ主人公、同じヒロインがでてます。
たまたま他のメディアに移植されたから語れるというだけ
のことだと思うのですが。そうでないゲームが圧倒的多数を
占めるのですけど。AVGやノベルゲームに限っても状況は
変わらないと思うのですが。
で、同じキャラクターが出てくるというのが、縦線の根本要素
なんですか?
ストーリーじゃなくて?
上で壁が薄いとか、隔たってるというのはストーリーのこと
だと思っていたのですが、違うのですが?
ますます理解に苦しんでます。
> > 次にメディアが違って(たとえばアニメで)主人公の顔に違和
> > 感があっても、ゲームの作り手の知ったことではないと思います。
>
> 正論ですが、「知ったことではない」と言ってしまっては話が終わ
> ってしまいます。
> 「ユーザが何を感じようが知ったことではない」という理屈につな
> がってしまいます。
> 「主人公にも顔や声がついている方がもっとおもしろくなるのに」
> と考えているユーザがいる、ということです。
その面白くなるのに、というのはまず「ゲームとして」であって、
他メディアのことは2の次なわけです。
他メディアで「ユーザが何を感じようが知ったことではない」の
は当然だと思いますけどね。ゲームが面白くて、他メディアに進
出したら、それは「おまけ」みたいなもんでしょう。
> > > > > 別に飯塚さんが「投影型」と類するゲームを否定してはいません。
> > > > > 「他者型」ゲームなのに主人公だけ「投影型」にしなくてもいい
> > > > > のに、と言いたいんです。
> > > >
> > > > ノベルゲーム=他者型ゲームではありませんよ。
> > > > どう設定されているかは、そのゲームによって違います。
> > > > 基本的に主人公を描かないゲームは、投影型を狙って作ってい
> > > > ますよね。
> > >
> > > 主人公をプレイヤーがコントロールできなくても「投影型」でしょうか。
> >
> > 主人公を描かないゲームは、「投影型」を狙って作っている
> > でしょう。
>
> 主人公のキャラクターを希薄にしてプレイヤーとの一体化
> を図るのが「投影型」と思っていましたが、違いましたか?
まずわかりやすい特徴が、顔ですからね。
好みじゃない顔なら、投影するのに邪魔になるわけですし。
> 主人公に女性を据えたノベルゲームでヒロインの顔が
> ないものってありましたっけ。
それはターゲットにする層の問題が大きいと思いますね。
女性向のゲームはしっかり男の顔を、これでもかと描くわけですから。
> つまり、実際の処「男の顔なんていらん」と考えている
> ソフトハウスが多いだけではないかと思うのですが。
> だからこそ、「男の顔だってあった方が面白いと考える
> ユーザはいるんだよ」という主張をしたかったんです。
もちろんそう考えているソフトメーカーもあるでしょうが、基本的に
はゲームの歴史とその特徴からの判断でしょう。
> > > > 私はなぜ顔を描かないのか、という説明を行っています。
> > >
> > > 「ノベルゲーム」以外で、の話だとばかり思っていました。
> > > なぜなら、「ノベルゲーム」で無個性の主人公は居ないし、
> > > キャラクター性の薄い主人公のノベルゲームは、つまらない
> > > と私は思うからです。
> >
> > 「面白い」「つまらない」は個人の趣向の問題です。
>
> 「私個人という1ユーザの趣向として、ノベルゲームの主人公
> の扱いに不満あり」
> という主張で書いてきました。
だから「主人公の扱い」という「構造上の問題がある」というの
が主張でしょ?
単に無個性の主人公が嫌いというなら、主人公に個性のある
ゲームだけやってなさいというだけの話です。
構造上の問題というなら、それはゲームの歴史と特徴理解す
れば、なぜそうなっているのか理解できる、と話しているわけです。
> > ここまで来て「ノベルゲーム」の定義がわからないのですが、
> > 個性のある主人公とは、たとえばどのソフトのことを言っている
> > のですか?
>
> 最初に「GLO・RI・A 禁断の血族」と「化粧桜」を例に挙げましたが?
> 更に上にも、「ノベルゲームで無個性の主人公は居ない」とも
> 書きました。ノベルゲームの主人公は僅かな選択肢の他は
> Enterキー一つで勝手に動きます。それこそ、個性なしには動き
> ようがありません。
GLO・RI・Aはわずかな選択肢だけで遊べないゲームなんですけ
どね。あれは、フラグの管理を好感度の重量制でやってて、エンデ
ィングにいくつか複数のルートがあるわけです。
Enter1つでは済まない思考を要求されるようにできているんです
よ。
--
東京都 飯塚顕充
飯塚さん以外の、今まで投稿頂いた方への
応答をまとめてしまいました。(順不同)
読みづらければご免なさい。
応答が遅いのもお詫びします。
#いいわけはいいますまい。
"Yoshitaka Ikeda" <ik...@4bn.ne.jp> wrote in message
news:bv1l46$6t8$1...@caraway.media.kyoto-u.ac.jp...
> >FF なんかは顔でまくりだけど、恋愛系シミュレーション系はそう
> >かもね~ ときメモとか。
>
> ときメモは、特にPS/SS版のですけど、女の子が主人公の名前の入ったセリフ
> をしゃべるときに、画面では出てる文章(の一部)がしゃべられなくなったり
> しましたね。 これは技術的な問題だったんだろうと思いますが。
実はときメモはやっていません。
ただ、シミュレーション系だとまた話が変わってきます。
ときメモは選択肢以外に主人公の科白や行動ってどの程度含まれて
いるのでしょうか。
主人公がプレイヤーの選択以外の行動を(ほとんど)とらないのであれば、
飯塚さんの仰る処の「投影型」ゲームだと思います。
であれば、私としても主人公の顔は不要だと思います。
> #それを解消したのがEVSかな。
"EVS”が何なのかを知らず、検索して見ました。
なるほど、登録した名前を読み上げてくれる機能があるのですか。
これなら、主人公=プレイヤーの一体感は上昇するでしょうね。
名前を呼ぶ時ってアクセントが重要だったりしますが、この点も
考慮されているのかな。
> 日本人的にはわりと自分の顔が見えても感情移入可能な気がします。
> 日本だと3Dでも1人称視点より3人称視点の方が多いし。
RPGやアクション、アドベンチャーに於ける顔表示には、
あまり拘りがないんです。
主人公の周囲を見渡すなら3人称視点がいいですし、その場合
に主人公の全身が見えるので顔も必要、というケースもあり
ますね。
1人称視点で視野を制限することがゲームを面白くする場合も
あります。
これは、主人公のキャラクター性云々とは別次元の理由による
選択ですね。
レースゲームだと大概視点は切替られるけど、アクションや
アドベンチャーでそれを実現したものを寡黙にして知りません。
#SIREN…(違!)
"SUGIMOTO Hideaki" <fxba...@mb.infoweb.ne.jp> wrote in message
news:4015108A...@mb.infoweb.ne.jp...
> ふと気づいたんですが、Nitro+のゲームってたいてい主人公の顔が
> はっきりしてますよね。
手を付けたいけどやり込む時間がとれないのが分かっている
ので、ニトロプラスの作品には手をだせない… ;_;
> いちばんはっきりしてないのは処女作「Phantom」かなぁ、それ以
> 外だと顔出まくりで。「斬魔大聖デモンベイン」の九郎はちゃんと女
> 装もしてるし(笑)。
「Phantom」だけに顔がないのか。
ああ、やりたい。だれか私に時間を…
(はっ、ニュース投稿にかけている時間を割り振れば、
毎日2,3時間はやれるんだ… ^_^; 2:00寝だけど -_-;)
> そういえば、後で主人公の顔が発表されてガビーンとなったのと言
> えば、リーフのLVNS3部作の主人公達の顔がリーフファイト97
> でお披露目になった時とか。
> あれは「こんな顔だったんかーい」と叫んだ記憶が。
御意。
私の「最初から主人公の顔ださんかい!」ストレスの
原点かもしれません。
"SUGIMOTO Hideaki" <fxba...@mb.infoweb.ne.jp> wrote in message
news:4015193E...@mb.infoweb.ne.jp...
> > 他者型では、プレイヤーは主人公ではないが、その影のようにぴ
> > ったりくっついて、主人公の体験することを一緒に体験していくこと
> この矛盾をなんとか解決しようと頑張ったRPGの例としては、SEGAの
> 「AZEL -PanzerDragoonRPG-」なんかが思い浮かびます。
> プレイヤー≠主人公ではあるけれども、その主人公エッジにオープニ
> ングで憑依(?)することになる伝説の存在「絶対の客人」=プレイヤー
> である、という立場でゲーム世界に参加するという具合に。
> 主人公≠プレイヤーではあるけれども、物語にはちゃんと参加してい
> るという感覚を抱かせるなかなかうまい設定だったんじゃないかなーと。
>
> ……最後のセストレンでの某シーンではその演出のマズさに「なんじゃ
> こりゃ」と言った人が多かったのはアレですけど(笑)。
>
> ※)参考:「絶対の客人」というシステムが表しているもの
> >>http://village.infoweb.ne.jp/~riko/pandora/mystery1.htm#player
「Ever17」も「絶対の客人」なんて表現が合いそうですね。
#あんまり書くと未経験者へのネタバレになるので自粛。
"tetsurou hayasaki" <s104...@u-aizu.ac.jp> wrote in message
news:0401271518...@std2ss27.u-aizu.ac.jp...
> 主人公の扱いについてはその作品の趣旨に合ったやり方を製作者が選べばいい
> と思いますが、
御意。
そして制作物をどう受け取るかはゲーマーの自由。
> このグループで持て囃されそうな、高いストーリー性を売りにしたゲームだと
> ほとんどの場合、主人公のキャラクターはハッキリしていた方が好ましい
> と思いますね。
> 私の好みも多分にありますが。
御意。
ゲーマーの自由です。
でも、多くのゲーマーが感じることなら、制作者も考えて
くれるんじゃないかな、と思います。
考えて欲しいなぁ。
> 天使のいない12月では、
> フルボイス(主人公以外)であるのに主人公の名前変更可能で
> その名前の部分が発声されないので、結果的に半分近くの台詞が無音です。
> あまりに勿体無い。出来ればToHeartPSEみたいにしてほしかった。
昔はそれが基本でしたね。(声が出ても「あなた」とか)
私は、入力した名前を読み上げてくれるゲームを
やったことがありません。
コンピュータの合成音的に読み上げられたら却って
辛くなりそうなので、どんな感じで呼んでくれるかは
興味があります。
> #以下は私の好みの話ですが
それこそ思うつぼ(…いやいや)
> そうなると健気なヒロインに対して主人公は
> 記憶喪失だったり、やる気の無い男だったり、間男だったり、解説役だったり。
> カッコいい性格を与えられたPCは
> 時にプレイヤーの意図を超えて活躍したり出来ます。
> そして、その活躍度合いによって、
> 初めてストーリー上の主人公と呼べるのではないでしょうか。
便宜上、「主人公」と呼びましたが、「プレイヤーが操作する
キャラ全て」が対象と思った方がいいかも。
でも、操作キャラが変わる作品なら、皆の顔がでているケースが
多いのではないですか?
"KURABAYASHI" <kura...@nifty.com> wrote in message
news:bv5lbm$r0k$1...@news511.nifty.com...
> まあ本筋の話は、システム設計であるADVとRPGの違いと同じように、
> シナリオ設計が違うだけで特にどっちが良いかというのは趣味の問題
> だとは思いますが。
しつこいようですが、その考えで結構ですよ。
倉林さんの趣味はどっち寄りですか。
グラヴィオンTweiの作画、予想してたよりも好み。
ときめきメモリアル限定で参加。
ただしGirls' Sideはいちどもエンディングまで行っていません。
tetsutaro wrote:
> てつたろです。
> > ときメモは、特にPS/SS版のですけど、女の子が主人公の名前の入ったセリフ
> > をしゃべるときに、画面では出てる文章(の一部)がしゃべられなくなったり
> > しましたね。 これは技術的な問題だったんだろうと思いますが。
苗字、名前、あだ名のどれで呼ばれるかが館林美晴ほか各人毎に
ときめいている程度によって変化するというしくみがプレイ中に
刻々変かしていく各種変数の計算についていけない部分が露呈した
ということなんでしょうけど、しばらくやっていないからあまり
そんなめに遭ったこと覚えていないや。
> 実はときメモはやっていません。
> ただ、シミュレーション系だとまた話が変わってきます。
> ときメモは選択肢以外に主人公の科白や行動ってどの程度含まれて
> いるのでしょうか。
傍白というか発言していない(腹の中で思ったこと)部分や
遅刻したとかデートの待ち合わせはどこだったかなどという
説明も含めればパターン化しているけど選択肢の字数に比べれば
圧倒的に多いですよ。
> 主人公がプレイヤーの選択以外の行動を(ほとんど)とらないのであれば、
なんらかの条件が整えば発生するイベントにおける行動は
選択以外の行動ですが、少なからずありますです。
> 飯塚さんの仰る処の「投影型」ゲームだと思います。
> であれば、私としても主人公の顔は不要だと思います。
投影型か否かは別にして
ときメモ1、2、3およびGirls' Sideのどれでも
主人公の顔(パラメータ育成時のチビキャラおよび
決闘をするときのアレを除いて格別必要はなかった
ですね。
> > #それを解消したのがEVSかな。
>
> "EVS”が何なのかを知らず、検索して見ました。
> なるほど、登録した名前を読み上げてくれる機能があるのですか。
> これなら、主人公=プレイヤーの一体感は上昇するでしょうね。
期待に反して名前をうまく合成して読み上げてくれないので
一体感はあまり上昇しなかったので。ちょっとがっかりでした。
ときめきメモリアル2の八重花桜梨さんとか、3の和泉穂多琉さんとか。
> 名前を呼ぶ時ってアクセントが重要だったりしますが、この点も
> 考慮されているのかな。
高低アクセントは典型的な数パターンについて選択可能です。
でもそれだけで補いきれないケイスも多いと思われます。
#で結局あらかじめ多数の名前を登録していたというのが実情。
--
mailto:shi...@dd.iij4u.or.jp 渋谷伸浩
In article <bvb7ms$c6f$1...@news1.point.ne.jp>, tetsut...@yahoo.co.jp says...
>てつたろです。
>"KURABAYASHI" <kura...@nifty.com> wrote in message
>news:bv5lbm$r0k$1...@news511.nifty.com...
>
>> まあ本筋の話は、システム設計であるADVとRPGの違いと同じように、
>> シナリオ設計が違うだけで特にどっちが良いかというのは趣味の問題
>> だとは思いますが。
>
>しつこいようですが、その考えで結構ですよ。
>倉林さんの趣味はどっち寄りですか。
あんまり重要な要素ではないですかねぇ。ストーリーメインでも主人公の
個性がなくて面白いものもありますし、個性があったほうが面白い事が
多いかというとそんな事も無いですしね。
ただちょっと感じ方が違うなと思ったのは、ADVの主人公に個性が確立
してると右か左かみたいな判断選択型のゲームになりますが、君が望む
永遠みたいないわゆる美少女ゲームのシナリオ構成だと、主人公の好み、
趣味の選択肢を選んで主人公の個性、性格を選択しているような感じなので、
結構(ベースとなる性格はもちろんあるが)投影している気がしますかね。
長くなってきたので原点回帰の意味を込め、
話を整理するために一部順序を変えて
2部構成にしています。
それぞれに(幾分主観的な)サマリ付き。
"iizuka" <iiz...@comp.metro-u.ac> wrote in message
news:bvb12e$jgk$1...@swallow.comp.metro-u.ac.jp...
・ノベルゲームの位置づけ
ノベルゲームは小説・コミック・アニメに近いものか
STGやアクションゲームに近いものか
(「ノベルゲームをコミックや小説のように楽しみたい」
に対して「ゲームとコミックは別ジャンル」という話
から派生)
自説のまとめ
メディアミックスしている作品"A"全体を縦軸方向に
並行な直線上におき、ゲーム、小説、コミック、アニメ
の区分を縦軸の目盛と見なしたとき、ノベルゲームの
"A"という作品とアニメの"A"という作品間のベクトル
は、ノベルゲームの"A"とSTGの"B"間のベクトルより近い。
> > 例えば、「君望」はもともとノベルゲームですが、
> > 「小説」化も「アニメ」化もされていますし、「コミック」化だって
> > 可能でしょう。(アンソロジーならあるようですし)
>
> そりゃたまたま他のメディアに、「君望」が進出しただけで、「ノベ
> ルゲーム」として一般化はできないでしょう。
> それに、「君望」はAVGだと思うんですが。ノベルゲームって言う
> と、通常「痕」とか「雫」とか「月姫」とかを指すんじゃないですか?
え、「君望」って「痕」とか「雫」とか「月姫」とかと、
同じ分類だと思っていました。
やったことのないゲームを引きあいに出したのが拙かった
かなぁ。
確かに制作者は「恋愛AVG」と銘打っていますが、実際に
「ノベルゲーム」とは呼べない内容なんでしょうか。
「ノベルゲーム」は「AVG」から派生した分類だし、「AVG」
の部分集合という見方もできますが、「ノベルゲームではない」
と飯塚さんが判断された根拠はなんでしょう?
あくまで参考意見としてお伺いしたいです。 m(_ _)m
> > でも、「君望」のストーリーをシューティングで表現するのは
> > 無理でしょう。
>
> AVGの「君望」のストーリーを表現をできるのは、AVGの「君
> 望」だけでしょうね。
アニメ版「君望」はゲーム版「君望」のストーリーに
準拠して作られていると認識していましたが。
アニメ版「君望」をみて「あんなものは『君望』じゃない」
と思われたとか。
やってもいないゲームで話を続けるのは拙いので、
例えば「痕」というノベルゲームに切り換えさせて下さい。
私が「痕」をプレイするきっかけは小説を読んで面白いと
思ったからです。
この時、「小説は小説、ゲームとは別だから」なんて考え
もしませんでした。
そしてその期待は裏切られませんでしたよ。
「痕」という縦線上には対戦格闘ゲームもあるけれど、
対戦格闘ゲームをプレイした時の印象と、ノベルゲームを
プレイしたときの印象はまるで異なります。(当然)
対戦格闘をやったからノベルゲームに手を出そうと思った
かどうかは分かりませんが、「小説」を読んだときと同じ
動機にはならないでしょう。
> つまり隔たっているのは、ストーリーの再現性ですか?
> なるほど。
> しかしストーリーというのは、ゲームの要素の一部です。 根
> 本的な問題として、ゲームにもっとも必要な要素は、ストーリー
> ではありません。
> ゲームのもっとも特徴的なことは、インタラクティブ、プレイヤ
> ーの操作に対する応答でしょう。簡単に言うとプレイヤーが操
> 作できること。
> 主人公の投影型が支配的なのも、ここから来ているんですから。
なるほど。
「ゲーム」であることに重点をおけばそういう考え方に
なることが理解できました。
私は「ノベルゲーム」では「ノベル」に重点を置きます。
インタラクティブ性や応答性より、ストーリーやキャラクター
の魅力的で購入するノベルゲームを選択します。
例えば、私は「ゲーム」という点では最低評価の「化粧桜」
を「ストーリー」の面から評価している訳です。
> で、壁が薄いのも同じくストーリーの再現性ということですかね。
> なるほど。
> しかし上記のように、ゲームの特徴は他のメディアと大きく違
> います。また他のメディアもストーリーの再現性で一くくりにする
> のが正しいとは思いません。
> 特に小説と他のメディアは、ゲームと同じくらい離れてると思
> いますけどね。
色々な座標軸があり、見る角度によって距離は変わります。
元々がノベルゲームというストーリー性の高いゲームに
於ける主人公(男)の扱いが発端なので、今はストーリー性の
座標を基準に考えています。
例えば、私は「ゲーム」という点では最低評価の「化粧桜」
を「ストーリー」の面から評価している訳です。
小説とコミックより、小説とノベルゲームの方がより離れて
いる、とは思います。
その距離を「近い」と感じるか「遠い」と感じるかは主観
と相対比較に依るのでしょう。
「ゲーム性」の座標軸で考えれば、確かに小説には読者が
作品世界に介入する要素は0ですから、「乖離している」
という見方が出来るのは理解できました。
> > > どんなノベルゲームも、やはり電子小説とは違う。なぜ違うの
> > > か、てつたろうさんはもちろんわかりますよね?
> >
> > 「ゲーム」ですからね。
>
> プレイヤーが操作できるというのが、最も大きな違いです。
そうですね。
飯塚さんがその点に拘りをお持ちなのも、ようやく理解
できました。
私なら「ノベルゲームと電子小説は非常に近い」と
見ますが、その見地を飯塚さんに押し付けるのは意味が
ありませんね。
押しつけはしませんが、こんな見方があるということは
ご理解頂ければ幸いです。
(ゲームブック:小説のノベルゲーム(orAVG)的試みの話)
> 根付かなかった点からみても、無理があったんですよ。
そうですね。
「桃電」を本物のボードゲームで実現しようとする
ようなものかも知れない。
それでも仮に「桃電」を目指して作られたものなら
「桃電」だし、「桃電」という縦線に位置する作品
と評価します。
> それを隔たってないと言っても、じゃあなんで廃れたの? と
> 問われて答えられないじゃないですか。
「隔たっていない」と「廃れない」の因果関係に
答を求めるのは意味がないです。
「隔たっている、ならば、廃れる」の対偶は
「廃れない、ならば、隔たっていない」ですよ。
> > 小説でもアニメでも、ゲームでも、「君望」は「君望」ですよ。
> > 少なくとも同じ主人公、同じヒロインがでてます。
>
> たまたま他のメディアに移植されたから語れるというだけ
> のことだと思うのですが。そうでないゲームが圧倒的多数を
> 占めるのですけど。AVGやノベルゲームに限っても状況は
> 変わらないと思うのですが。
「メディアミックスで展開された作品を同じ縦軸上の
作品として捉えることができるかどうか」が論点だった
と思いますので、ゲーム全体で捉えようとすることこそ、
そもそもの母集団が違います。
それに、「ノベルゲームと他のメディアの比較」なので、
少なくともここではノベルゲームに限って貰えないと
話が出来ません。
この辺も視点がずれているせいだとは思いますが、
議論の元である私の視点をご理解頂けないなら、話が
進みません。
私は飯塚さんの視点を理解し、「そういう見方もある」
と納得できたので、こちらの話を終わらせるのは一向に
構いませんが、もし飯塚さんが納得されたいなら、私の
視点もご理解下さい。
(とりあえず、私の視点での話を続けます)
> で、同じキャラクターが出てくるというのが、縦線の根本要素
> なんですか?
> ストーリーじゃなくて?
> 上で壁が薄いとか、隔たってるというのはストーリーのこと
> だと思っていたのですが、違うのですが?
違いませんよ、おそらくは。
(視点の違いが大き過ぎるので、同じように見える角度があっても、
同じものを見ていない可能性はありますが)
当然ですが、キャラクターが変わればストーリーはまったく
異なったものになります。
同じキャラクターがでて、同じ個性をもって活動するのが、
同じストーリー(注)であることの基本です。
注:「ノベルゲームのストーリーを忠実に再現」という意味
ではありませんよ
> > 「主人公にも顔や声がついている方がもっとおもしろくなるのに」
> > と考えているユーザがいる、ということです。
>
> その面白くなるのに、というのはまず「ゲームとして」であって、
> 他メディアのことは2の次なわけです。
> 他メディアで「ユーザが何を感じようが知ったことではない」の
> は当然だと思いますけどね。ゲームが面白くて、他メディアに進
> 出したら、それは「おまけ」みたいなもんでしょう。
「ゲーム」視点の飯塚さんらしい見方で興味深いです。
私は、派生元がどこでもそれぞれの作品は対等と考えます。
アニメや小説から派生したゲームは「おまけ」ですか?
「.Hack」はアニメとゲームでどちらが「おまけ」?
「アニメ化」しなくても「アニメ的表現」を意識している
作品は多いですね。
これはライトノベルの世界で顕著ですが、ライトノベル
なら挿絵に主人公の顔がまったく出ない作品に憶えが
ありません。
同様にアニメ的表現をとり「他者型」(と限定しましょう)
のノベルゲームであり、ヒロインの顔や声がある作品で、
主人公にだけ顔や声がないのはどうも違和感を感じます。
それがアニメ化された時に、「えー、こいつはこんな顔
だったんだ。ああ、やっぱり最初から顔が欲しかったな」
と感じた、という「結果論」です。
(アニメ化の為の顔、ではありません)
逆に「弟切草」のように全員の顔がでないのであれば、
違和感なく作品に入り込めます。
もし、あれがアニメ化されて主人公達に顔が付いても、
おそらくは「へぇ、こんな顔なんだ」と思うだけでしょう。
また、実写化であれば、ゲームに於けるヒロインの顔も
無意味になり、全員がリアルの役者になりますから、
主人公とヒロインの扱いは対等です。
(違和感の有無は実際に見てみないと分かりませんが)
この違いはご理解頂けますか?
・「投影型」と「他者型」
ゲームの歴史的には、主人公はプレイヤーの「駒」であり、
同一化出来る「投影型」が主流。
「投影型」では主人公のキャラクター性は不要。
つまり顔は要らない。
主人公に感情移入するタイプの「他者型」は後発で傍流。
「他者型」では主人公のキャラクター性が重要。
その中に主人公の「顔」も含まれる。
では「主人公の顔がない」ノベルゲームは「投影型」か。
自論のまとめ
「投影型」ゲームであれば、主人公の顔出しに拘りはない。
ノベルゲームの主人公の顔に拘る理由は、ノベルゲームが
まさに「他者型」であると思うが故。
なぜなら、ノベルゲームの主役はプレイヤーの思惑を越えて
行動するキャラクター性があるから。
> ゲームの本質を考えると、投影型が多数を占める状況は
> 変わらないでしょう。
> で、てつたろうさんが切り替えることが出来るなら、ノベル
> ゲームであろうとAVGであろうと、投影型のゲームなら投影
> 型に。他者型なら他者型に切り替えて遊べば、いいのでは
> ないでしょうか?
ここで、飯塚さんの仰る「切替」とは何でしょうか。
少なくとも、ノベルゲーム以外で「顔出し」に拘ることは
まずないのですが。
レーシングゲームのような操縦系のゲームを「他者型」で
プレイする人はいないでしょうし。
(という意味で使ってますか?)
ただし、ことノベルゲームに関しては、基本的に「他者型」
だろうと考えています。(詳細な理由は後述します)
(自分の顔を貼り付けるゲームを想定する)
> > > > > なぜアクションゲームでオッケーなのか理由を話してもらえると。
> > > > > 実際面白かったわけですよね?
(中略)
> 自分の顔を貼り付けることにこだわっておられるようですが、
> 自分の駒であると認識するのに、いちいち顔を貼り付ける必
> 要はないはずなんですけど。
> てつたろうさんがアクションゲームで面白かったのは、「顔が
> 貼り付けられた」からなのですか?
> 逆に「顔を貼り付けられない」アクションゲームは面白くない?
「投影」の象徴として「自顔の貼り付け」を持ち出した
だけですので、むしろ拘られないようお願いします。^_^;
「自顔を貼り付けたとしても違和感がない=オッケー」
ぐらいに捉えて貰うのがよろしいかと。
(実際、顔を貼り付けた事による面白さはありましたが、
これも本筋とは関係ないので割愛します)
話が本筋から逸れてきたので「自顔貼り付け」の話は
終わらせましょう。 m(_ _)m
> > ノベルゲームだと、「よせ、やめろ、そんなことはするんじゃ
> >ない」ということを勝手にやってくれたりします。それにプレイ
> > ヤーは干渉できない、というよりそのもどかしさを含めて楽
> > しんでいるはずです。
>
> 「よせ、やめろ、そんなことはするんじゃない」
> と思うようなゲーム自体、物凄く少ないと思うのですが。(^^;)
「よせ、やめろ、そんなことはするんじゃない」とか、
「ああーやってくれたよ」とか、
「こらー、この選択肢を選んだのはお前にそんな事を
言わせる為じゃない」等、
プレイヤーの意図しない展開に進むことは、ことノベル
ゲームに於いては極めて普遍的なことだと思いますが。
@o@
(私が「よせ~」をゲーム一般を対象に書いたと誤解
されてはいませんよね)
> さらにそういう操作できないストレスを楽しむというのも、ゲ
> ームのプレイヤー中、多数を占めると思えません。
> とても一般化できる事例ではないと思います。
ノベルゲームのストーリーに求めるのは意外性だと
思いますが。
思わぬ展開を楽しめないのでは、何のためにノベル
ゲームをプレイするのでしょう?
先の展開がミエミエなノベルゲームをやっていると、
眠気が襲ってきます。
> ノベルゲームでそういう事態が発生するとしたら、投影型を
> 狙って作られたゲームでは、できるだけ主人公と同じく悩んだ
> り、苦労したりという感情を理解して欲しいという目的でしょう。
それって飯塚さんが「他者型」の特徴として挙げられた
「感情移入」でしょう。
「投影型」なら、プレイヤーの感情に主人公が合わせて
くれなければ。
(「怒る」という選択肢を選ぶとか)
> 辛い状況にある主人公に、なんだそりゃと引かれたり、あはは
> バカだコイツと笑われるのは、目的から離れるわけで、それを
> より回避できる投影型を選ぶのは、1つの選択だと思います。
実際、それを回避出来るノベルゲームにはお目に掛かった
事がない。
制作者の目的から離れる、
というか、完成した後の作品をどう捉えるかは、
プレイヤー(小説等なら読者)の主観であり、自由です。
もちろん、「ああ、制作者の言いたかったことは
これなんだ!」と感じることはプレイヤーの、そして
おそらくは制作者の幸せでしょうが、それすら本当に
制作者の意図と一致しているかは分かりませんし、
ずれていても一向に構わないと思っています。
著作物が著作者のものであるのは著作中だけであり、
完成した段階から著作者の手を離れて一人歩きします。
(ちょっと話が脱線しすぎ?)
> > > > メンコや、ビー玉、独楽、凧、等もゲームの「駒」ですね。
> > > テレビゲーム、ビデオゲームと言われるものは、メンコやビー玉
> > > を元祖に持つわけではありませんから、同じ意味合いになるとは
> > > 限りません。
> > おや、それでは飯塚さんがおっしゃる「駒」とはなんだろう?
> ですから、「自機=プレイヤー」とわかる「記号」ですよ。
> ゲームに参加するため「物」じゃないでしょう。
ゲームに自己を投影するための「形あるもの」なんですよね。
それは、メンコでもビー玉でも同じと思いますが。
対戦ゲームのアニメ化で、カードとか独楽を生き物のように
描くのは「自分の分身」であるからだと思います。
> > 主人公のキャラクターを希薄にしてプレイヤーとの一体化
> > を図るのが「投影型」と思っていましたが、違いましたか?
>
> まずわかりやすい特徴が、顔ですからね。
> 好みじゃない顔なら、投影するのに邪魔になるわけですし。
では、上記の定義は「概ね」間違っていない、と。
次に、
「ノベルゲームにおける主人公のキャラクターは希薄か」
という問題ですが、今まで述べてきたように、ノベルゲーム
に関しては登場人物のキャラクターこそ命だと考えています。
「怒れ」「泣け」「笑え」と命令しなくても感情を表現する
主人公に対するプレイヤー(私)の接し方は、それこそ小説の
主人公に対する読者(私)の接し方に近いです。
(もちろん、選択肢はありますから、イコールではありません
が、ビックバイパーに対する接し方よりは近いです)
> > 主人公に女性を据えたノベルゲームでヒロインの顔が
> > ないものってありましたっけ。
>
> それはターゲットにする層の問題が大きいと思いますね。
> 女性向のゲームはしっかり男の顔を、これでもかと描くわけですから。
その場合の男は「主人公」じゃないですよ。
> > つまり、実際の処「男の顔なんていらん」と考えている
> > ソフトハウスが多いだけではないかと思うのですが。
> もちろんそう考えているソフトメーカーもあるでしょうが、基本的に
> はゲームの歴史とその特徴からの判断でしょう。
では、主人公(男)の顔が描かれない理由は
「ターゲットにする層の問題」と
「ゲームの歴史とその特徴からの判断」で
どちらがより大きいとお考えでしょうか。
ちなみに私はの意見は「前者」だと思います。
前者であれば、ゲームが「投影型」が「他者型」かの判断は
軽視されていると思われます。
> > > 「面白い」「つまらない」は個人の趣向の問題です。
> >
> > 「私個人という1ユーザの趣向として、ノベルゲームの主人公
> > の扱いに不満あり」
> > という主張で書いてきました。
>
> だから「主人公の扱い」という「構造上の問題がある」というの
> が主張でしょ?
> 単に無個性の主人公が嫌いというなら、主人公に個性のある
> ゲームだけやってなさいというだけの話です。
料理がまずければ喰うな。
一々「不味い不味い」と騒ぐんじゃない。
と仰りたい?
> 構造上の問題というなら、それはゲームの歴史と特徴理解す
> れば、なぜそうなっているのか理解できる、と話しているわけです。
飯塚さんの話は「歴史の講義」だったのですか。
であれば、もう1点、私との視点の違いが分かりました。
はい、過去の歴史と現状がそうであるということを否定
する材料も、また、その意図もまったくありません。
ただし、私の視点は「今後どうあって欲しいか」です。
それは、多分に主観と嗜好に基づきます。
「いやならやるな」と言われるとおり、まったく嗜好に
合わないことが端から分かっていれば手を付けないだけ
の話です。
飯塚さんだって嗜好に合わないゲームはやりませんよね。
問題は、「概ね美味しいけど、ひと味足りない」場合。
出来ればもっと美味しく食べたいじゃないですか。
問題は料理と違って後で香辛料を追加できない処です。
(なかにはスイッチを持つものもあり、河野先生の
「顔スイッチ」案もその解決策の一つだと思います)
> > > 個性のある主人公とは、たとえばどのソフトのことを言っている
> > > のですか?
> >
> > 最初に「GLO・RI・A 禁断の血族」と「化粧桜」を例に挙げましたが?
> > 更に上にも、「ノベルゲームで無個性の主人公は居ない」とも
> > 書きました。ノベルゲームの主人公は僅かな選択肢の他は
> > Enterキー一つで勝手に動きます。それこそ、個性なしには動き
> > ようがありません。
>
> GLO・RI・Aはわずかな選択肢だけで遊べないゲームなんですけ
> どね。あれは、フラグの管理を好感度の重量制でやってて、エンデ
> ィングにいくつか複数のルートがあるわけです。
> Enter1つでは済まない思考を要求されるようにできているんです
> よ。
飯塚さんの「ゲーム」への拘りがよく分かります。^_^;
GLO・RI・Aほ「顔が出ている個性的な主人公」の
例であり、「典型的なノベルゲーム」の例ではありません。
何しろ典型的なノベルゲームには主人公の顔=個性の一部
が欠けている訳ですから。
(書き方が紛らわしかったのかも)
完全な「投影型」とは、主人公の行動に影響を与えうる
外部要因に対する全ての意識的行動をコントロール出来る
ものと考えます。(理論上だけの存在ですが)
そこから、外因に対する主人公の行動が、主人公自身の
判断に委ねられる割合が多くなるほど「他者型」にシフト
するのではないでしょうか。私の理解ですが。
(完全な「他者型」は電子小説になってしまします)
更にいうと、選択肢を選んだ直後の主人公の行動も、
プレイヤーの意図したものと同じである保証はないので、
乖離性は選択肢の割合以上になります。
#綺羅みたいな行動、私にゃとてもとれません。*-_-*
#故に選択肢が多くても、綺羅は「他者」です。
#顔もあるし。(あれ、声もあったっけ?)
例えば、主人公の丸一日の行動に選択肢がない場合、
それでも「投影型」足り得ますか。
起きるのが辛い朝、「寝て過ごす」「頑張って起きる」
という選択肢が発生せず、「今日はやる気が起きないので
一日寝て過ごした」と言われたら?
(その上、主人公が行かなかった為にヒロインが悲劇に
見舞われたら?)
ノベルゲームでは3、4日選択肢がなく話が進むことも
多いです。(「3日後、」という飛ばしじゃないですよ)
これは決してノベルゲームとして特殊な例ではありません。
ノベルゲームの経験がおありならわかりますよね。
逆に上記に当てはまらない、個性のない「投影型」主人公
のノベルゲームの代表例があれば教えて頂けますか。
>やってもいないゲームで話を続けるのは拙いので、
>例えば「痕」というノベルゲームに切り換えさせて下さい。
>
>私が「痕」をプレイするきっかけは小説を読んで面白いと
>思ったからです。
>この時、「小説は小説、ゲームとは別だから」なんて考え
>もしませんでした。
>そしてその期待は裏切られませんでしたよ。
ゲームをやった引き金となったのが小説だったというだけですね。
あの手のゲームのノベライズは、ゲーム本編をなぞって作られるから
(どちらかというとゲーム本編を削って?作られる)
小説からゲームやっても期待を裏切られないでしょう。
痕をやったことがある人の大部分はゲームをまず、やっていると
思います。
(ゲームをやってからゲームの小説版を読んでみて、期待通り!と
思えるものがあるかどうか。
NITRO+のゲームの小説版は、及第点でしょうか。)
そして、君が望む永遠という「タイトル」に出会ったのが
アニメーションだった、ということなのですね。
「君が望む永遠」というタイトルに出会った人が、ゲームが多いか
今回のアニメーションが多いかはちょっとわかりません。
UHF系列とはいえ、広く放映されたわけですからね。
>「ゲーム」であることに重点をおけばそういう考え方に
>なることが理解できました。
>私は「ノベルゲーム」では「ノベル」に重点を置きます。
>インタラクティブ性や応答性より、ストーリーやキャラクター
>の魅力的で購入するノベルゲームを選択します。
>
>例えば、私は「ゲーム」という点では最低評価の「化粧桜」
>を「ストーリー」の面から評価している訳です。
NITRO+の鬼哭街は、選択肢が0ですからほとんどゲームとは
呼べませんが、「ストーリー」は面白いですね。
>> たまたま他のメディアに移植されたから語れるというだけ
>> のことだと思うのですが。そうでないゲームが圧倒的多数を
>> 占めるのですけど。AVGやノベルゲームに限っても状況は
>> 変わらないと思うのですが。
>
>「メディアミックスで展開された作品を同じ縦軸上の
>作品として捉えることができるかどうか」が論点だった
>と思いますので、ゲーム全体で捉えようとすることこそ、
>そもそもの母集団が違います。
「メディアミックスで展開された作品」と
後々、結果的にメディアミックスとなって*しまった*作品とは
違うでしょう。
>> > 「主人公にも顔や声がついている方がもっとおもしろくなるのに」
>> > と考えているユーザがいる、ということです。
>>
>> その面白くなるのに、というのはまず「ゲームとして」であって、
>> 他メディアのことは2の次なわけです。
>> 他メディアで「ユーザが何を感じようが知ったことではない」の
>> は当然だと思いますけどね。ゲームが面白くて、他メディアに進
>> 出したら、それは「おまけ」みたいなもんでしょう。
>
>「ゲーム」視点の飯塚さんらしい見方で興味深いです。
>私は、派生元がどこでもそれぞれの作品は対等と考えます。
ゲームを作る制作者側の立場を考えれば、「ゲームが売れる」ことが
第一目標だと考えますよ。
飯塚さんと同意見。
そこで顔がついた方が売れると判断すれば顔を入れる。
入れない方がいいかなと判断すれば顔を入れない。
噂で期待していたほど面白かったかなぁ?と思った
ゲームのプリンセスブライドは、主人公顔有り、声有りでした。
まあ、この話的には主人公は、ゲームをしている自身とは
距離が感じられるし、話自体も物語の世界っぽいので
顔があってもいいね、もしかするとこのゲームで主人公の顔が無かったら
ちょっと変かもね、と思います。
>アニメや小説から派生したゲームは「おまけ」ですか?
後から出てきたゲームは、前にあったアニメや小説の
イメージを引き継げるわけで、
その路線のままゲームを作れば、おまけか、一粒で二度おいしいを
狙った、いかにも「楽して儲けよう」的に思えます。
前にあったアニメや小説のイメージの世界を踏まえて
ゲームとしての付加価値をきちんと追加できていれば
それはおまけではなく、「ゲーム」として認識できます。
やってないけど、ギャラクシーエンジェルやデジキャラットのゲーム
ありますよね。
>「.Hack」はアニメとゲームでどちらが「おまけ」?
最初からメディアミックスで展開したのだから
どちらがおまけなんてことはない。
質問自体が意味をなさない。
:
>同様にアニメ的表現をとり「他者型」(と限定しましょう)
>のノベルゲームであり、ヒロインの顔や声がある作品で、
>主人公にだけ顔や声がないのはどうも違和感を感じます。
>それがアニメ化された時に、「えー、こいつはこんな顔
>だったんだ。ああ、やっぱり最初から顔が欲しかったな」
>と感じた、という「結果論」です。
>(アニメ化の為の顔、ではありません)
という考え方の流れをすると、アニメ化されなかったゲームは
ゲーム中に主人公の顔がなくても違和感なかったわけですね。;-P)
(ちがうか。)
>制作者の目的から離れる、
>というか、完成した後の作品をどう捉えるかは、
>プレイヤー(小説等なら読者)の主観であり、自由です。
>
>もちろん、「ああ、制作者の言いたかったことは
>これなんだ!」と感じることはプレイヤーの、そして
>おそらくは制作者の幸せでしょうが、それすら本当に
>制作者の意図と一致しているかは分かりませんし、
>ずれていても一向に構わないと思っています。
>
>著作物が著作者のものであるのは著作中だけであり、
>完成した段階から著作者の手を離れて一人歩きします。
>(ちょっと話が脱線しすぎ?)
顔があったほうがいいも、無くてもいいも、好きずきですね。
主人公の顔が無くて、でもゲームやった結果、あった方が
いいと感じたのならば、制作者側にフィードバックするべきだと
思います。
アンケート葉書、付いてますよね。
メールやBBSで感想を書いてもいい、Webで感想を公開してもいい、
そしてネットニューズで感想を書いてもいい。
ただ、
一律に
----------------------------------------
ゲームの主人公はプレイヤーの分身です
が、ほとんどのゲームの場合、主人公の音声はおろか
顔も出ません。
(姿が出ても「長髪で顔を隠す」等で特徴を殺します)
この手法を始めた当初は、「主人公のキャラを曖昧にする
ことで、プレイヤーが自身をゲームに投影しやすいように」
と考えていたのでしょうが、「ストーリー重視」の昨今、
これは逆効果と考えます。
----------------------------------------
と言われても、あっそ?ぐらいにしか思いません。
主人公のキャラを曖昧にすると、実はゲームを作りやすいかも?
とは思います。キャラデザ、衣装、表情、音声演出等
全部カットできますから。;-P)
その分シナリオにコストをまわせる、注力できる。
完成度を上げるためにどこか削る必要があるとすれば、従来の既存の
ゲームを考えても、主人公のキャラに関する部分を削るだろうな、と。
これとこれとこれ、これらのゲームに関しては
顔が必要なんだ、と言われるともう少し、そうだったかな?と
考える事もあるでしょう。
ただし、あくまでもゲームから入った作品で、ですよ。;-P)
# アニメを先に見てから君望、Kanon、こみっくパーティ、
# ToHeartなどの元のゲームに言及されてもね。
-
<<-=---===□ http://blade.cyberknights.net/ □===---=->>
//_Team CyberKnights. (First) 4bl...@cyberknights.net_//
ドメイン取得。要望があれば可能な限り対応します。_O_)
"CyberKnight Blade" <5bl...@cyberknights.net> wrote in message
news:401b07b0$0$23533$44c9...@news3.asahi-net.or.jp...
> >私が「痕」をプレイするきっかけは小説を読んで面白いと
> >思ったからです。
> >この時、「小説は小説、ゲームとは別だから」なんて考え
> >もしませんでした。
> >そしてその期待は裏切られませんでしたよ。
>
> ゲームをやった引き金となったのが小説だったというだけですね。
「だけ」と付ける意図がよく判りませんが。
それ以外に「考察に必要だ」と考えられている情報が
あろのであれば教えてください。
m(_ _)m
> あの手のゲームのノベライズは、ゲーム本編をなぞって作られるから
> (どちらかというとゲーム本編を削って?作られる)
> 小説からゲームやっても期待を裏切られないでしょう。
>
> 痕をやったことがある人の大部分はゲームをまず、やっていると
> 思います。
> (ゲームをやってからゲームの小説版を読んでみて、期待通り!と
> 思えるものがあるかどうか。
> NITRO+のゲームの小説版は、及第点でしょうか。)
最後の括弧の中がCyberKnightsさんの
仰りたい主張ですね。
OneとかKanonは、次の巻が発売されるのが
楽しみでした。
ゲームは先に終わらせていましたよ。
> そして、君が望む永遠という「タイトル」に出会ったのが
> アニメーションだった、ということなのですね。
ゲームの紹介記事ぐらいの前情報はありました。
> 「君が望む永遠」というタイトルに出会った人が、ゲームが多いか
> 今回のアニメーションが多いかはちょっとわかりません。
> UHF系列とはいえ、広く放映されたわけですからね。
上の文章で主張されている点が判りません。
アニメが先かゲームが先かで何かが変わる?
> >「ゲーム」であることに重点をおけばそういう考え方に
> >なることが理解できました。
>
> >私は「ノベルゲーム」では「ノベル」に重点を置きます。
> >インタラクティブ性や応答性より、ストーリーやキャラクター
> >の魅力的で購入するノベルゲームを選択します。
> >
> >例えば、私は「ゲーム」という点では最低評価の「化粧桜」
> >を「ストーリー」の面から評価している訳です。
>
> NITRO+の鬼哭街は、選択肢が0ですからほとんどゲームとは
> 呼べませんが、「ストーリー」は面白いですね。
選択肢なし、ですか。
電子小説?
どの辺にゲーム性があるのでしょう?
> >> たまたま他のメディアに移植されたから語れるというだけ
> >> のことだと思うのですが。そうでないゲームが圧倒的多数を
> >> 占めるのですけど。AVGやノベルゲームに限っても状況は
> >> 変わらないと思うのですが。
> >
> >「メディアミックスで展開された作品を同じ縦軸上の
> >作品として捉えることができるかどうか」が論点だった
> >と思いますので、ゲーム全体で捉えようとすることこそ、
> >そもそもの母集団が違います。
>
> 「メディアミックスで展開された作品」と
> 後々、結果的にメディアミックスとなって*しまった*作品とは
> 違うでしょう。
「しまった」っていうことはアニメ化には「反対」
のようですね。
> >> > 「主人公にも顔や声がついている方がもっとおもしろくなるのに」
> >> > と考えているユーザがいる、ということです。
> >>
> >> その面白くなるのに、というのはまず「ゲームとして」であって、
> >> 他メディアのことは2の次なわけです。
> >> 他メディアで「ユーザが何を感じようが知ったことではない」の
> >> は当然だと思いますけどね。ゲームが面白くて、他メディアに進
> >> 出したら、それは「おまけ」みたいなもんでしょう。
> >
> >「ゲーム」視点の飯塚さんらしい見方で興味深いです。
> >私は、派生元がどこでもそれぞれの作品は対等と考えます。
>
> ゲームを作る制作者側の立場を考えれば、「ゲームが売れる」ことが
> 第一目標だと考えますよ。
> 飯塚さんと同意見。
私もそのことに反論してはいませんが。
「ゲームとアニメとどっちが先でも『おまけ』って
事はないでしょう」という主張。
> そこで顔がついた方が売れると判断すれば顔を入れる。
> 入れない方がいいかなと判断すれば顔を入れない。
「顔がついた方が売れると判断」してくれたら
嬉しいな、主人公以外の顔があるノベルゲームの場合。
> 噂で期待していたほど面白かったかなぁ?と思った
> ゲームのプリンセスブライドは、主人公顔有り、声有りでした。
つまらないゲームに主人公の顔を付けたら
面白くなる、なんて保証は出来ません。
悪しからず。 ;-P
面白いノベルゲームに主人公だけ顔なしでは
画竜点睛を欠く、といっているのです。
#効果には個人差があります、なんてね。
> まあ、この話的には主人公は、ゲームをしている自身とは
> 距離が感じられるし、話自体も物語の世界っぽいので
>
> 顔があってもいいね、もしかするとこのゲームで主人公の顔が無かったら
> ちょっと変かもね、と思います。
>
> >アニメや小説から派生したゲームは「おまけ」ですか?
>
> 後から出てきたゲームは、前にあったアニメや小説の
> イメージを引き継げるわけで、
> その路線のままゲームを作れば、おまけか、一粒で二度おいしいを
> 狙った、いかにも「楽して儲けよう」的に思えます。
>
> 前にあったアニメや小説のイメージの世界を踏まえて
> ゲームとしての付加価値をきちんと追加できていれば
> それはおまけではなく、「ゲーム」として認識できます。
> >「.Hack」はアニメとゲームでどちらが「おまけ」?
>
> 最初からメディアミックスで展開したのだから
> どちらがおまけなんてことはない。
> 質問自体が意味をなさない。
「ゲームが面白くて、他メディアに進出したら、
それは『おまけ』みたいなもんでしょう」
に対する反論として書いていますから、
そういう反応は大歓迎です。 Y(^_^)Y
(言外に「そうじゃないでしょ」と言っている)
アニメ版「君望」や「D.C.」が「おまけ」と言われ
たら、ねぇ。
確かに「おまけ」と言われても仕方ない出来の
作品もありますが、それは原作がゲームだから
ではなく、アニメの制作者の問題でしょう。
> :
> >同様にアニメ的表現をとり「他者型」(と限定しましょう)
> >のノベルゲームであり、ヒロインの顔や声がある作品で、
> >主人公にだけ顔や声がないのはどうも違和感を感じます。
> >それがアニメ化された時に、「えー、こいつはこんな顔
> >だったんだ。ああ、やっぱり最初から顔が欲しかったな」
> >と感じた、という「結果論」です。
> >(アニメ化の為の顔、ではありません)
>
> という考え方の流れをすると、アニメ化されなかったゲームは
> ゲーム中に主人公の顔がなくても違和感なかったわけですね。;-P)
> (ちがうか。)
違いますよ。 ^_^
「主人公にだけ顔や声がないのはどうも違和感を感じ」る
作品が「アニメ化された」ら、「ああ、やっぱり」なんです。
対偶は
「アニメ化」で「ああ、やっぱり」と感じない作品は、ゲーム
でも「違和感なし」
になります。
> >制作者の目的から離れる、
> >というか、完成した後の作品をどう捉えるかは、
> >プレイヤー(小説等なら読者)の主観であり、自由です。
> >
> >もちろん、「ああ、制作者の言いたかったことは
> >これなんだ!」と感じることはプレイヤーの、そして
> >おそらくは制作者の幸せでしょうが、それすら本当に
> >制作者の意図と一致しているかは分かりませんし、
> >ずれていても一向に構わないと思っています。
> >
> >著作物が著作者のものであるのは著作中だけであり、
> >完成した段階から著作者の手を離れて一人歩きします。
> >(ちょっと話が脱線しすぎ?)
>
> 顔があったほうがいいも、無くてもいいも、好きずきですね。
まったくのところ、おっしゃるとおり。
私は「他の登場人物に顔があるなら主人公にも顔が欲しい」
と主張し、同意見の人が多くて制作者も考えてくれたら嬉しい。
> 主人公の顔が無くて、でもゲームやった結果、あった方が
> いいと感じたのならば、制作者側にフィードバックするべきだと
> 思います。
> アンケート葉書、付いてますよね。
> メールやBBSで感想を書いてもいい、Webで感想を公開してもいい、
> そしてネットニューズで感想を書いてもいい。
まあ、どの程度同じ考えの人が出てくるかな、
と考えて記事を起こしてみたのですが。
(独り相撲かも知れませんし)
できれば、この一連の記事で、
「言われてみればそうかも」
と思ってくれる人が増えたら嬉しいんですが。
> ただ、
>
> 一律に
> ----------------------------------------
> ゲームの主人公はプレイヤーの分身です
> が、ほとんどのゲームの場合、主人公の音声はおろか
> 顔も出ません。
> (姿が出ても「長髪で顔を隠す」等で特徴を殺します)
>
> この手法を始めた当初は、「主人公のキャラを曖昧にする
> ことで、プレイヤーが自身をゲームに投影しやすいように」
> と考えていたのでしょうが、「ストーリー重視」の昨今、
> これは逆効果と考えます。
> ----------------------------------------
> と言われても、あっそ?ぐらいにしか思いません。
CyberKnightsさんが、「あっそ?」と思ったことは
判りました。
これも貴重なご意見です。
積極的な肯定でも否定でもない、と。
つまりCyberKnightsさんは、「顔がないことに違和感なし」
な人だと言うことですよね。
> 主人公のキャラを曖昧にすると、実はゲームを作りやすいかも?
> とは思います。キャラデザ、衣装、表情、音声演出等
> 全部カットできますから。;-P)
> その分シナリオにコストをまわせる、注力できる。
> 完成度を上げるためにどこか削る必要があるとすれば、従来の既存の
> ゲームを考えても、主人公のキャラに関する部分を削るだろうな、と。
そうだろう、と思います。
私としてはそれが哀しいのですが。
そう思う人が少なければこれからもそうでしょうね。
> これとこれとこれ、これらのゲームに関しては
> 顔が必要なんだ、と言われるともう少し、そうだったかな?と
> 考える事もあるでしょう。
> ただし、あくまでもゲームから入った作品で、ですよ。;-P)
>
> # アニメを先に見てから君望、Kanon、こみっくパーティ、
> # ToHeartなどの元のゲームに言及されてもね。
君望、D.C.
:アニメは見たけどゲーム未経験、故に違和感なし
おそらく、ゲームをやるときには、主人公はアニメの
顔と声を思い浮かべるでしょう。
こみパ
:未経験、やる予定なし
Kanan、One、痕、雫、Air、To Heart、他
(今までにプレイした、主人公の顔がないが
その他は顔ありのノベルゲーム。順不同)
:該当(アニメを見たか見ないかに関係なし)
#ちゃちゃ
>> 主人公のキャラを曖昧にすると、実はゲームを作りやすいかも?
>> とは思います。キャラデザ、衣装、表情、音声演出等
>> 全部カットできますから。;-P)
ゆめりあ、とか。
メディアミックスをいうなら、シスプリのお兄ちゃんは顔があるのか
ないのか?とかはどうでしょう。
#どちらも詳しくは知らないので書き捨てて逃げるっ
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:bvdteb$o02$1...@news1.point.ne.jp...
> > > 例えば、「君望」はもともとノベルゲームですが、
> > > 「小説」化も「アニメ」化もされていますし、「コミック」化だって
> > > 可能でしょう。(アンソロジーならあるようですし)
> >
> > そりゃたまたま他のメディアに、「君望」が進出しただけで、「ノベ
> > ルゲーム」として一般化はできないでしょう。
> > それに、「君望」はAVGだと思うんですが。ノベルゲームって言う
> > と、通常「痕」とか「雫」とか「月姫」とかを指すんじゃないですか?
>
>確かに制作者は「恋愛AVG」と銘打っていますが、実際に「ノベルゲ
> ーム」とは呼べない内容なんでしょうか。
内容じゃなくて、システムで違うんだと思いますけど。
AVGはウインドーが出て、そこにセリフを中心に文字が出ますね。
対してノベルゲームは、グラフィックの上もお構いなく全面に文字が表示される。
ストーリーを読むと言うことに特化したシステムを採用しているものを、呼びま
す。
逆に内容で判別することの方が不可能でしょう。
AVGの内容と、ノベルゲームの内容って、なんか差があるんですか?
> しかしストーリーというのは、ゲームの要素の一部です。 根本的な問
> 題として、ゲームにもっとも必要な要素は、ストーリーではありません。
> ゲームのもっとも特徴的なことは、インタラクティブ、プレイヤーの操
> 作に対する応答でしょう。簡単に言うとプレイヤーが操作できること。
> 主人公の投影型が支配的なのも、ここから来ているんですから。
>
>なるほど。
>「ゲーム」であることに重点をおけばそういう考え方になることが理解で
> きました。
いや理解してるとは思えませんね。
このセンテンスは「ゲーム」の定義を問うています。
てつたろさん、あなたは「ゲームの定義」をどう説明します?
電子小説とゲームの違いはどこで判断するんですか?
> 私は「ノベルゲーム」では「ノベル」に重点を置きます。インタラクテ
> ィブ性や応答性より、ストーリーやキャラクターの魅力的で購入するノ
> ベルゲームを選択します。
あなたの購入趣向の議論はしていません。
> 例えば、私は「ゲーム」という点では最低評価の「化粧桜」
> を「ストーリー」の面から評価している訳です。
私は「化粧桜」の評価うんぬんは記述してませんが。
やったことないので、評価できませんしね。
それを踏まえて言わせていただくと、「ゲーム」として最低評価
にはなるという記述が、物凄く脊髄反射的に感じるんですが。
ストーリーはゲームの要素の1つであるわけだから、それが良
かったら少なくとも最低評価にはならないでしょ。
他にグラフィックとかシステムとか音楽とか、いろいろ要素が
あるわけで、総合して評価が高くなったり低くなったりしますね。
まずその「ゲームの評価」の土俵に上がるためには、そもそも
「ゲームである」必要があると言っているんです。
漫画にゲームの評価、つまり音楽とかシステムとかの評価を
持ち込んでもしょうがないでしょ? アニメにゲームの操作性を
語らせても意味がないでしょ?
逆も同じく。そういうことですよ。
> > それを隔たってないと言っても、じゃあなんで廃れたの? と
> > 問われて答えられないじゃないですか。
>
> 「隔たっていない」と「廃れない」の因果関係に
> 答を求めるのは意味がないです。
> 「隔たっている、ならば、廃れる」の対偶は
> 「廃れない、ならば、隔たっていない」ですよ。
だって隔たってないのなら、ゲームファンは今でもゲームブッ
クをゲームと同じく購入を続けるんじゃないですか?
ゲームが1兆円市場を維持してるなら、隔たってないゲーム
ブックが廃れるはずがないでしょうに。
つまり小説がゲームの真似事をしても、同じ面白さを維持で
きないということでしょう? てつたろさん、なんでゲームブックが
廃れたと思ってんです?
> > たまたま他のメディアに移植されたから語れるというだけ
> > のことだと思うのですが。そうでないゲームが圧倒的多数を
> > 占めるのですけど。AVGやノベルゲームに限っても状況は
> > 変わらないと思うのですが。
>
> 「メディアミックスで展開された作品を同じ縦軸上の
> 作品として捉えることができるかどうか」が論点だった
> と思いますので、
違うでしょう。
「展開された」かどうかに関わらず、アニメとか漫画とかを
「縦軸」と称して一緒にしたから議論になってんです。
で、「同じ縦軸に捉える」以前に、「縦軸」とは何かを議論
しているんだと思いますが。
> それに、「ノベルゲームと他のメディアの比較」なので、
> 少なくともここではノベルゲームに限って貰えないと
> 話が出来ません。
なんでノベルゲームなんでしょうかね?
てつたろさんが、他のゲームを遊ばないから?
ストーリー重視だから?
ストーリー重視というなら、FFも非常にストーリー重視です。
またファイアーエムブレムもシナリオSLGと言うだけあって、
これまた非常にストーリー重視のゲームになってます。
なんでノベルゲームだけ? また前から聞いてますが、AVG
はどうなるんです?
> > で、同じキャラクターが出てくるというのが、縦線の根本要素
> > なんですか? ストーリーじゃなくて?
> > 上で壁が薄いとか、隔たってるというのはストーリーのこと
> > だと思っていたのですが、違うのですが?
>
> 違いませんよ、おそらくは。
> 当然ですが、キャラクターが変わればストーリーはまったく異な
> ったものになります。
> 同じキャラクターがでて、同じ個性をもって活動するのが、
> 同じストーリー(注)であることの基本です。
> 注:「ノベルゲームのストーリーを忠実に再現」という意味
> ではありませんよ
では同じキャラクターと同じストーリーの2つを「縦線」の根本要
素とするんですね?
しかし忠実に再現という意味ではない、と注が出てきたのでまた
混乱しています。
「同じ」と書いたら、普通「同じ」ものを指すんじゃないですか?
ストーリーとキャラクターが「同じ」でなくてもいいと? なんか
前段と後段で矛盾が起きてる気がしますが。
> > > 「主人公にも顔や声がついている方がもっとおもしろくなるのに」
> > > と考えているユーザがいる、ということです。
> >
> > その面白くなるのに、というのはまず「ゲームとして」であって、
> > 他メディアのことは2の次なわけです。
> > 他メディアで「ユーザが何を感じようが知ったことではない」の
> > は当然だと思いますけどね。ゲームが面白くて、他メディアに進
> > 出したら、それは「おまけ」みたいなもんでしょう。
>
> 「ゲーム」視点の飯塚さんらしい見方で興味深いです。
ゲーム視点じゃないですよ。
アニメを作るなら、まずアニメとして面白いものを作らなければ
ならない。漫画もしかり。小説もしかりです。
派生製品は往々にして、原作を知らないと面白くないものが多い。
また同じメディアでも2とか3とか、続編物も同じくです。
安易に既存のファン層をターゲットにするのでなく、単体でも面白
いものを作っていくことが、メディアの発展につながります。ユーザ
ーである我々もそれを要求していくことが必要でしょう。
> 同様にアニメ的表現をとり「他者型」(と限定しましょう)
> のノベルゲームであり、ヒロインの顔や声がある作品で、
> 主人公にだけ顔や声がないのはどうも違和感を感じます。
> それがアニメ化された時に、「えー、こいつはこんな顔
> だったんだ。ああ、やっぱり最初から顔が欲しかったな」
> と感じた、という「結果論」です。
確かに「結果論」ですね。(^^;)
で、前段のようにそこまで条件をつけるなら、その「他者型」
のノベルゲームとやら単体で、顔が必要かどうか主張する方
が早いでしょうね。
抽象的に言っても建設的な意見にはなりません。「このゲー
ムには主人公の顔があった方が面白い」と主張してください。
#以降はてつたろさんが、言及する「ノベルゲーム」の定義が
#はっきりしてから答えます。
--
東京都 飯塚顕充
ゲームやってからゲームのノベライズ読んで小説に満足するかどうか、
ゲームのノベライズ読んでからゲームに満足するか。
前者は、ノベライズの際に十分な付加価値が追加されているものと考えます。
後者は、割と当たり前、だから、
ゲームをやって期待を裏切られなかったとしても
ま、そうでしょね、としか思いません。
>> (ゲームをやってからゲームの小説版を読んでみて、期待通り!と
>> 思えるものがあるかどうか。
>> NITRO+のゲームの小説版は、及第点でしょうか。)
>
>最後の括弧の中がCyberKnightsさんの
>仰りたい主張ですね。
んー
-----------------------------------------
>> >私が「痕」をプレイするきっかけは小説を読んで面白いと
>> >思ったからです。
-----------------------------------------
この部分がどれほどのものかな?と思ったわけで
上記のように書いたわけですね。
>OneとかKanonは、次の巻が発売されるのが
>楽しみでした。
>ゲームは先に終わらせていましたよ。
Oneは読んでないので分かりませんが、Kanonは及第点かな。
ゲームをやってずいぶん経っていたので、結構忘れていたかも。
で、顔の有無にどうつながるんでしたっけか?
:
>> 「君が望む永遠」というタイトルに出会った人が、ゲームが多いか
>> 今回のアニメーションが多いかはちょっとわかりません。
>> UHF系列とはいえ、広く放映されたわけですからね。
>
>上の文章で主張されている点が判りません。
>アニメが先かゲームが先かで何かが変わる?
変わるでしょ、
主題を主人公の顔の有無の議論なのですから、
アニメが先なら後からゲームをやると
なんでゲームで顔が無いのはなぜ?と思うかもしれません。
ゲームが先なら、ああこのゲームの主人公はこういう顔なのね、と
思うだけかもしれません。
:
>> NITRO+の鬼哭街は、選択肢が0ですからほとんどゲームとは
>> 呼べませんが、「ストーリー」は面白いですね。
>
>選択肢なし、ですか。
>電子小説?
>どの辺にゲーム性があるのでしょう?
ゲーム性が無いと楽しめないのですか?
あらかじめ、ほとんどゲームと呼べません、と書いてあるわけで。
>私は「ノベルゲーム」では「ノベル」に重点を置きます。
>インタラクティブ性や応答性より、ストーリーやキャラクター
>の魅力的で購入するノベルゲームを選択します。
なんでしょ?
ストーリーやキャラクターや演出が
PC上でのマルチメディアソフトウェアとして十分満足できれば
面白いと思います。
まあ、このまんまアニメーションになっても面白いかも
しれません。
# NITRO+のデモンベインは、あのままスーパーロボットアニメで
# 26話ぐらいでガンガンやって欲しいと、思っています。
:
>> 「メディアミックスで展開された作品」と
>> 後々、結果的にメディアミックスとなって*しまった*作品とは
>> 違うでしょう。
>
>「しまった」っていうことはアニメ化には「反対」
>のようですね。
必ずしも反対というわけではありません。
柳の下のどじょうを狙って、後からアニメ化とかしてくるものの
付加価値が十分かどうか、それをもって価値を認めます。
>私もそのことに反論してはいませんが。
>「ゲームとアニメとどっちが先でも『おまけ』って
>事はないでしょう」という主張。
おまけの話は、前の記事に書いたから書きません。
>> 噂で期待していたほど面白かったかなぁ?と思った
>> ゲームのプリンセスブライドは、主人公顔有り、声有りでした。
>
>つまらないゲームに主人公の顔を付けたら
>面白くなる、なんて保証は出来ません。
>悪しからず。 ;-P
プリンセスブライドは十分面白いゲームでしたよ。
主人公に顔があって面白いと認めたゲームなので、もうちょっと
重要視してあげて欲しいな。
>> という考え方の流れをすると、アニメ化されなかったゲームは
>> ゲーム中に主人公の顔がなくても違和感なかったわけですね。;-P)
>> (ちがうか。)
>
>違いますよ。 ^_^
>「主人公にだけ顔や声がないのはどうも違和感を感じ」る
>作品が「アニメ化された」ら、「ああ、やっぱり」なんです。
まあ、ここは、*分かってて*書いてますから。
>対偶は
>「アニメ化」で「ああ、やっぱり」と感じない作品は、ゲーム
>でも「違和感なし」
>になります。
ふむ、では、やっぱり顔が無くてもいいと判断するゲームは
あるわけだ。
>と主張し、同意見の人が多くて制作者も考えてくれたら嬉しい。
>CyberKnightsさんが、「あっそ?」と思ったことは
>判りました。
>これも貴重なご意見です。
>積極的な肯定でも否定でもない、と。
>つまりCyberKnightsさんは、「顔がないことに違和感なし」
>な人だと言うことですよね。
そうですね。
>君望、D.C.
> :アニメは見たけどゲーム未経験、故に違和感なし
> おそらく、ゲームをやるときには、主人公はアニメの
> 顔と声を思い浮かべるでしょう。
それでは意味がない。
ゲームをやってから、アニメを見て、ああやっぱりこのゲームの
主人公に顔があるべきだ、と思えるゲームを
*リスト*してみて下さいよ、というわけだから。
>Kanan、One、痕、雫、Air、To Heart、他
>(今までにプレイした、主人公の顔がないが
>その他は顔ありのノベルゲーム。順不同)
Airは外して下さいな。
往人くんはちょっと顔だしてますから。;-P)
> :該当(アニメを見たか見ないかに関係なし)
それでは私には意味がない,too。
「このゲームには主人公の顔があった方が面白い」
のリストを要求しているのは飯塚さん。
-
<<-= Team CyberKnights. (First) 4bl...@cyberknights.net =->>
本題から派生した話が多くなって来たので
それぞれにサブタイトルを付けてみました。
適当に分類していますが基準に異論があれば
どうぞ、思うように再分割して下さい。
長くなりがちな話から特に異論のない部分
はカットしていますが、それでも長い。
飯塚さんがカットされた部分も、飯塚さんに
とって異論がない話と考えてよろしいので
しょうか?
"iizuka" <iiz...@comp.metro-u.ac> wrote in message
news:bvlb0g$hqg$1...@swallow.comp.metro-u.ac.jp...
------------------------------------------------------------------
・派生:ノベルゲームの定義について
> > > それに、「君望」はAVGだと思うんですが。ノベルゲームって言う
> > > と、通常「痕」とか「雫」とか「月姫」とかを指すんじゃないですか?
> >
> >確かに制作者は「恋愛AVG」と銘打っていますが、実際に「ノベルゲ
> > ーム」とは呼べない内容なんでしょうか。
>
> 内容じゃなくて、システムで違うんだと思いますけど。
> AVGはウインドーが出て、そこにセリフを中心に文字が出ますね。
> 対してノベルゲームは、グラフィックの上もお構いなく全面に文字が表示され
る。
> ストーリーを読むと言うことに特化したシステムを採用しているものを、呼びま
> す。
「内容」には「システム」も含む解釈でいました。
(「内容」の定義の話は止めときましょう。ますます
収集が付かなくなる ^_^;)
…なるほど、「ウィンドウが出る」か、「全面表示」
かも切り分けのポイントなんですね。
その点は意識したことがなかった。
「台詞中心」か「ストーリー中心」かは私の考える
「ノベルゲーム」の定義と一致します。
確かに「全面表示」で「台詞中心」のゲームには
心当たりがありません。
ただ、「ウィンドウ」型でも「ストーリー中心」で
あれば、「ノベルゲーム」と考えていました。
この場合、AVGの部分集合が「ノベルゲーム」であり、
AVGから切り分けるには、「ノベルゲーム」という
区切りは非常に曖昧な定義になってしまいます。
システム的な違いが切り分けのポイントなら、区分は
明確になりますね。
> 逆に内容で判別することの方が不可能でしょう。
> AVGの内容と、ノベルゲームの内容って、なんか差があるんですか?
定義が正しいか否かは別として、私の考えていた
「ノベルゲーム」とは
・AVGの一分野である。
・ストーリーを読ませることに重点を置いている。
そのため、選択肢はストーリーの分岐に影響のある
箇所以外にはほとんどない。
(この点で、「ノベルゲームは他者型」との判断が
出てきた訳です)
飯塚さんの仰る定義に従うと、私が対象とするゲームは
「ノベルゲーム」という括りでは語れなくなるので
「ストーリー中心」のAVGも含めて「ノベル系ゲーム」
と定義して語らせて頂きます。
(もっと適した定義はないかな)
-------------------------------------------------------------
・派生:それぞれの視点の違い
> > しかしストーリーというのは、ゲームの要素の一部です。 根本的な問
> > 題として、ゲームにもっとも必要な要素は、ストーリーではありません。
> > ゲームのもっとも特徴的なことは、インタラクティブ、プレイヤーの操
> > 作に対する応答でしょう。簡単に言うとプレイヤーが操作できること。
> > 主人公の投影型が支配的なのも、ここから来ているんですから。
> >
> >なるほど。
> >「ゲーム」であることに重点をおけばそういう考え方になることが理解で
> > きました。
>
> いや理解してるとは思えませんね。
「視点の違い」がありますから、私が「理解したこと」が
飯塚さんの「理解させたかったこと」と同じとは限らない
のは認めます。
飯塚さんの文章から私が読み取った事ですから、もしか
したら、飯塚さん自身が気付いていなかった事かも。
> このセンテンスは「ゲーム」の定義を問うています。
> てつたろさん、あなたは「ゲームの定義」をどう説明します?
> 電子小説とゲームの違いはどこで判断するんですか?
端的に言うと
「ユーザーがプレイヤー(能動)であること」
「ユーザが単なる読者であるか、プレイヤーであるか」
でしょう?
「ゲーム」の定義は「理解」以前の問題です。
私が「理解した」と思ったのは、飯塚さんが「ゲーム全般」
で特に「システム」にポイントを置いた見方をしている、
と気付いたこと。
で、私はストーリー性の高いゲームに特化した話をして
いるということ。このとき、「ゲーム」というタームには
それほど拘りをもっていません。
私からすれば、
「ヒロイン達の顔や声があるのに主人公の顔や声が出て
こない電子小説」
というものがあれば、ゲームではない事を承知の上で
「主人公の顔(や声)が欲しい」
リストに加えます、きっと。
また、AVGでもプレイヤーの手を離れて主人公が活躍する
場面が多く、プレイヤーと主人公の乖離性が高ければ、
「主人公の顔(や声)が欲しい」
と感じることがあります。
私としては、これも最初からの主張とずれる話ではない
のですが、飯塚さんの視点から見れば大外れな話である
ことも理解しています。 ^_^;
ここがgameのグループであることを鑑み、電子小説は
あえて同等に扱わないようにしますが。
> > 私は「ノベルゲーム」では「ノベル」に重点を置きます。インタラクテ
> > ィブ性や応答性より、ストーリーやキャラクターの魅力的で購入するノ
> > ベルゲームを選択します。
>
> あなたの購入趣向の議論はしていません。
私がノベル系ゲームの何に重点をおくか、つまり
私の論述に於ける視点を説明しています。
これが、飯塚さんにはご理解頂けていないよう
ですが。
ご理解頂けないのは、私が飯塚さんに分かるよう
に上手に説明できないせいなんでしょうが、
なんとかお酌み取り頂けますと幸いです。
m(_ _)m
> > 例えば、私は「ゲーム」という点では最低評価の「化粧桜」
> > を「ストーリー」の面から評価している訳です。
>
> 私は「化粧桜」の評価うんぬんは記述してませんが。
> やったことないので、評価できませんしね。
上を書いたポイントは「私の視点」です。
ゲームの経験があれば私の論点を理解頂く助け
にはなるでしょうが、評価そのものに同意頂こう
とは考えていません。
> それを踏まえて言わせていただくと、「ゲーム」として最低評価
> にはなるという記述が、物凄く脊髄反射的に感じるんですが。
> ストーリーはゲームの要素の1つであるわけだから、それが良
> かったら少なくとも最低評価にはならないでしょ。
ここで言いたかった「ゲーム」とは「ゲーム全般」
ではなく「ゲーム」を「ゲーム」たらしめている
システム性、「ゲームのもっとも特徴的なこと」
です。
> 他にグラフィックとかシステムとか音楽とか、いろいろ要素が
> あるわけで、総合して評価が高くなったり低くなったりしますね。
まあ、トータルでみても「ゲーム性」の悪さから
一般評価は低いですし、個人的にも高得点はとても
つけられませんが、ポイントを「ストーリー性」に
限れば私の評価が高い、ということ。
> まずその「ゲームの評価」の土俵に上がるためには、そもそも
> 「ゲームである」必要があると言っているんです。
そもそも「ゲームの総合評価」という土俵で話をする
積もりはありません。
「評価」というタームですら、視点の説明のために
持ち出しただけです。
私は「ノベル系ゲームはゲームじゃない」と言われても
別に気にしませんし、前述のように「電子小説」すら
同じ土俵にいれても構わない。
そんな視点で話をしていて、視点が異なる飯塚さんには
そこの処がご理解頂けていないらしい。
> 漫画にゲームの評価、つまり音楽とかシステムとかの評価を
> 持ち込んでもしょうがないでしょ? アニメにゲームの操作性を
> 語らせても意味がないでしょ?
> 逆も同じく。そういうことですよ。
書いている内容には同感です。
そこから導き出されるものが違いますが。
「音楽」とか「システム」とか「ゲームの操作性」
の評価をいつ私が問題にしましたか?
(こういうポイントを持ち出してくるので、「飯塚
さんとは視点が違うんだなぁ」と感じる訳です)
私の視点をご理解頂くご意思がおありなら、ストーリー
にポイントを絞ってください。
それを言いたくて、「化粧桜のシステム性の悪さは
ここでの評価ポイントにはならない」と言ったのです。
-----------------------------------------------------------
・派生:メディアミックス作品のグルーピング(縦横座標)
> > 「隔たっていない」と「廃れない」の因果関係に
> > 答を求めるのは意味がないです。
> > 「隔たっている、ならば、廃れる」の対偶は
> > 「廃れない、ならば、隔たっていない」ですよ。
>
> だって隔たってないのなら、ゲームファンは今でもゲームブッ
> クをゲームと同じく購入を続けるんじゃないですか?
> ゲームが1兆円市場を維持してるなら、隔たってないゲーム
> ブックが廃れるはずがないでしょうに。
だから、「その論理は正しくない」と言っています。
主人公の台詞(目的語と動詞)を入力するタイプのAVGは
廃れましたが、あれはゲームではなかったのですか?
AVGと隔たっていました?
(むしろあれこそAVGの元祖だと思いますが)
> つまり小説がゲームの真似事をしても、同じ面白さを維持で
> きないということでしょう? てつたろさん、なんでゲームブックが
> 廃れたと思ってんです?
「つまり~」の主張にはかねてより同意していますから、
わざわざ理由を書く必要を感じません。
わざわざこんな質問をしているということは、私の
主張をご理解されていないということのようです。
飯塚さんの論点は「面白い」、「つまらない」の主観を
廃したところにあると思っていたのですが、「面白さ」
も論点に入れていただけるのでしょうか?
雑談1:
そういえば、ゲームブックは「プレイする」という点
に於いては「ゲーム」でもあるわけですから、小説と
ノベル系ゲームを繋ぐミッシングリング、なんてね。
雑談2:
DVDだけどインタラクティブにストーリーを進めていく
作品がありますね。
あれもいずれは廃れるのかなぁ。
(やったことはないし、廃れても困らないけど)
> > 「メディアミックスで展開された作品を同じ縦軸上の
> > 作品として捉えることができるかどうか」が論点だった
> > と思いますので、
>
> 違うでしょう。
> 「展開された」かどうかに関わらず、アニメとか漫画とかを
> 「縦軸」と称して一緒にしたから議論になってんです。
はい?
「アニメでもゲームでも君望は君望だ」という主張に、
「アニメはアニメ、ゲームはゲーム」と主張されたわけ
ですよね。
逆に同じアニメでも「君望」と「D.C.」は別の縦線上に
位置しますよ。
縦の座標値は同じ「アニメ」ですが。
(あ、「縦線」を「縦軸」と書き間違えている… -_-;)
> で、「同じ縦軸に捉える」以前に、「縦軸」とは何かを議論
> しているんだと思いますが。
御免なさい。 m(_ _)m
ここのところは書き間違いです。
「縦軸」ではなく、「縦線」です。
(同じ縦軸上の点の集合は逆に横線になってしまう)
改めて説明するなら、
横座標が「君望」や「D.C.」のようなタイトルで、
縦座標がメディアの種別です。
また、「ゲームの中の異なる分野」は、縦軸上の細かな
目盛で表現できます。
これは定義なので、本来議論の対象ではないと考えて
いたのですが。
私の認識では、「同じタイトルを持つ異なるメディアの
作品を同じ縦線上におく」ということに飯塚さんが理解
頂けない、ということが議論の始まりだったと思います。
> > それに、「ノベルゲームと他のメディアの比較」なので、
> > 少なくともここではノベルゲームに限って貰えないと
> > 話が出来ません。
>
> なんでノベルゲームなんでしょうかね?
> てつたろさんが、他のゲームを遊ばないから?
> ストーリー重視だから?
> ストーリー重視というなら、FFも非常にストーリー重視です。
> またファイアーエムブレムもシナリオSLGと言うだけあって、
> これまた非常にストーリー重視のゲームになってます。
> なんでノベルゲームだけ? また前から聞いてますが、AVG
> はどうなるんです?
このスレッドのタイトルを思い出してください。
このスレッドに該当する作品がノベル系ゲームに
集中していたからです。
FFもFEも主人公の顔はあるので端から該当しませんし、
会話中心で主人公の行動のほとんどを操作出来る
タイプのAVGも、飯塚さんの定義された「投影型」
と認めますから対象外です。
インターラクティブ性よりストーリー性が高いAVG
ならノベル型ゲームに分類します。
タイトルから逸れるなら別スレッドにすべきでしょう。
(って、すでにかなりずれていますが、あくまでも
タイトルに沿った展開の範囲に収めておきたいのです)
> > > で、同じキャラクターが出てくるというのが、縦線の根本要素
> > > なんですか? ストーリーじゃなくて?
> > > 上で壁が薄いとか、隔たってるというのはストーリーのこと
> > > だと思っていたのですが、違うのですが?
> >
> > 違いませんよ、おそらくは。
> > 当然ですが、キャラクターが変わればストーリーはまったく異な
> > ったものになります。
> > 同じキャラクターがでて、同じ個性をもって活動するのが、
> > 同じストーリー(注)であることの基本です。
> > 注:「ノベルゲームのストーリーを忠実に再現」という意味
> > ではありませんよ
>
> では同じキャラクターと同じストーリーの2つを「縦線」の根本要
> 素とするんですね?
ああ、誤解されてしまった。
こういう誤解があるから「おそらくは」と
書かざるを得なかったんだけど。
「違いません」と書いたのは「隔たってるという
のはストーリーのこと」に対してです。
だから「多少のストーリーの差異が生じても」
「隔たりは少ない」と言いたかったのです。
「縦線の根本要素」に対する回答は意識して
おりませんでした。
「根本要素」ですか。
例えば「君望」という縦線の根本要素は「君望」
であるということそのものでしょうか。
「世界観」と言ってもいいかも知れません。
あるメディアの「君望」を経験した人が、他
メディアの「君望」の一部を視聴(プレイ)して、
それを同じ「君望」と理解出来れば、ほぼ、同一
縦線上に配置してよいと思います。
「君望」というタイトルで、「君望」の世界を
ベースにしたSTGを作ったとすれば、それも「君望」
の縦線上において構いません。
勿論、まったく同じ横座標値とは限りませんが、
それは例えば同じAVGでも作品によって微妙にシステム
の作りが異なるようなものです。
(これは横座標のずれと表現します)
でもそれは、AVGの「君望」のストーリーを表現
できるものではないでしょうから、アニメの「君望」
より縦座標では「隔たっている」ということを
主張しているんです。
ノベルゲームの対戦格闘ゲーム化を例に過去にも
同じ事を主張した積もりなのに、こんな誤解が
生じるということは、やはり理解頂いていない
んでしょうね。
私の力不足を感じます。
しかし、私の能力では上記の説明が限界です。
これでもご理解頂けないのであれば、残念ですが
これ以上の説明は致しかねます。
御免なさい。 m(_ _)m
(なんだか今回は謝ってばかりだ…)
・派生:おまけ(ゲーム原作のアニメはおまけ?)
> アニメを作るなら、まずアニメとして面白いものを作らなければ
> ならない。漫画もしかり。小説もしかりです。
御意。
> 派生製品は往々にして、原作を知らないと面白くないものが多い。
アニメ版「君望」、「D.C.」は原作を知らなくても
面白かったし、逆に一部のゲームを元にした小説では
原作をやってから読んでも楽しめないものもあります。
つまり、作品の出来不出来を原作ものかどうかに結び
つけて考えるのは反対です。
「安直に作ろうと思えば出来る」と「安直に作る」では
天地の差があります。
> また同じメディアでも2とか3とか、続編物も同じくです。
続編は「おまけ」ですか?
> 安易に既存のファン層をターゲットにするのでなく、単体でも面白
> いものを作っていくことが、メディアの発展につながります。ユーザ
> ーである我々もそれを要求していくことが必要でしょう。
御意。
どちらが先でも良質の作品を提供して頂きたい
ものです。
飯塚さんに「おまけ」なんて言われないように。
^_^
--------------------------------------------------------------------
本題:主人公(男性)の扱い改善を要求する
> で、前段のようにそこまで条件をつけるなら、その「他者型」
> のノベルゲームとやら単体で、顔が必要かどうか主張する方
> が早いでしょうね。
> 抽象的に言っても建設的な意見にはなりません。「このゲー
> ムには主人公の顔があった方が面白い」と主張してください。
CyberKnight Bladeさんのスレッドで挙げたとおりです。
> >Kanan、One、痕、雫、Air、To Heart、他
> >(今までにプレイした、主人公の顔がないが
> >その他は顔ありのノベルゲーム。順不同)
「Air」は除外だそうですが、「往人」の顔が思い出せない。
部分的にだすなら、全編で出して欲しいと思います。
故に除外してあげません。^_^;
"CyberKnight Blade" <5bl...@cyberknights.net> wrote in message
news:401e4adb$0$23256$44c9...@news3.asahi-net.or.jp...
> >> >私が「痕」をプレイするきっかけは小説を読んで面白いと
> >> >思ったからです。
> >> >この時、「小説は小説、ゲームとは別だから」なんて考え
> >> >もしませんでした。
> >> >そしてその期待は裏切られませんでしたよ。
> >>
> >> ゲームをやった引き金となったのが小説だったというだけですね。
> >
> >「だけ」と付ける意図がよく判りませんが。
> >それ以外に「考察に必要だ」と考えられている情報が
> >あろのであれば教えてください。
>
> ゲームやってからゲームのノベライズ読んで小説に満足するかどうか、
> ゲームのノベライズ読んでからゲームに満足するか。
>
> 前者は、ノベライズの際に十分な付加価値が追加されているものと考えます。
> 後者は、割と当たり前、だから、
> ゲームをやって期待を裏切られなかったとしても
> ま、そうでしょね、としか思いません。
ええと、元々、ゲームの小説版の出来不出来を論じて
いたのではなく、
「ゲームはゲーム、アニメや小説とは論じられない」
という飯塚さんの主張に
「ノベルゲームとアニメや小説は親和性が高い」
ことを説明したくて出した例です。
だから、「だけ」が、「親和性は高くなんかない」
と言いたいのかと思いましたが、だとするとどうも
前後の脈絡がつかなかったので。
「痕」のゲーム版と小説版が「隔たったものであるか否か」
で評価していただけると助かるのですが。
> Oneは読んでないので分かりませんが、Kanonは及第点かな。
> ゲームをやってずいぶん経っていたので、結構忘れていたかも。
>
> で、顔の有無にどうつながるんでしたっけか?
ここなんですよね。
どんどん論点がずれている気はします。
てつたろ:
「ノベル型のゲームでヒロイン達に顔や声があるのに
主人公にはない。ストーリー重視なら主人公の
キャラクターをたてるためにも顔や声があった方が
いいんじゃないか。コミックやアニメを楽しむように
ノベル型ゲームを楽しみたい」
↓
飯塚さん:(以下交互に)
「ゲームはゲーム、アニメはアニメ、一緒には出来ない」
↓
「ゲームやアニメという区切りを横線、『君望』とか
『ドラクエ』という作品を縦線と考えた時、ノベル系
ゲームとアニメや小説の距離はSTGとの距離より近い」
(こと、「顔」の話ならSTGと同じ括りにされるより
アニメと同じ括りにしたい)
↓
「距離の判断基準が不明」
↓
「メディアミックスしたとき、ノベル系ゲームのストーリー
を表現できるのはシューティングよりアニメや小説」
(ストーリーで語弊があれば「世界観」といってもいいです)
↓
「AVGのストーリーを表現できるのはAVGだけ」
(ここはAVGをノベル系ゲームに置き換えても同じと判断します)
↓
(でようやく)
「『痕』は小説からゲームに入ったがこの2つが別の
ストーリーだとは考えもしなかったし、ゲームをプレイ
して『こんなものは痕じゃない』とは感じなかった。
対戦格闘版の痕をプレイした感覚でノベルゲームの痕を
プレイしたら、まったく別物に感じるはず」
と繋がります。
最近は「なんでこんな話になったんだっけ」
と思う派生話が多くて、昔の記事を読み直さない
と先へ進めないことも多々あります。
> :
> >> 「君が望む永遠」というタイトルに出会った人が、ゲームが多いか
> >> 今回のアニメーションが多いかはちょっとわかりません。
> >> UHF系列とはいえ、広く放映されたわけですからね。
> >
> >上の文章で主張されている点が判りません。
> >アニメが先かゲームが先かで何かが変わる?
>
> 変わるでしょ、
> 主題を主人公の顔の有無の議論なのですから、
> アニメが先なら後からゲームをやると
> なんでゲームで顔が無いのはなぜ?と思うかもしれません。
> ゲームが先なら、ああこのゲームの主人公はこういう顔なのね、と
> 思うだけかもしれません。
了解です。
いずれにせよ、アニメとノベル系ゲームの表現
上の類似性を問題にしたかったので、この論議
を詰めていくと更に主題から離れてしまいます。
> :
> >> NITRO+の鬼哭街は、選択肢が0ですからほとんどゲームとは
> >> 呼べませんが、「ストーリー」は面白いですね。
> >
> >選択肢なし、ですか。
> >電子小説?
> >どの辺にゲーム性があるのでしょう?
>
> ゲーム性が無いと楽しめないのですか?
いいえ。
「電子小説」でも面白ければOKです。
ただ、飯塚さんが「電子小説はゲームじゃない」
と言っていたことに、「それはそうだ」と同意して
いるもので…
> あらかじめ、ほとんどゲームと呼べません、と書いてあるわけで。
重箱の隅をつつくようで申し訳ないですが、
「ほとんど」と書かれたので
「どこかにゲーム性はありますか?」
と確認したかっただけです。
「ゲームではないが面白い」なら納得ですし、
「選択肢なしでもこんな処にゲーム性はあるよ」
と教えて頂ければ私の「ゲーム」理解にプラス
になるだろう、と思いまして。
> >私は「ノベルゲーム」では「ノベル」に重点を置きます。
> >インタラクティブ性や応答性より、ストーリーやキャラクター
> >の魅力的で購入するノベルゲームを選択します。
>
> なんでしょ?
ご免なさいね、細かな突っ込みで。 ^_^;
> ストーリーやキャラクターや演出が
> PC上でのマルチメディアソフトウェアとして十分満足できれば
> 面白いと思います。
> まあ、このまんまアニメーションになっても面白いかも
> しれません。
>
> # NITRO+のデモンベインは、あのままスーパーロボットアニメで
> # 26話ぐらいでガンガンやって欲しいと、思っています。
角川スニーカー文庫で小説版がでていますから、
今度読んでみようかと考えています。
もちろんゲームもやってみたいけど。
#クトゥルー世界は結構好きだし、ネクロノミコン
#と聞いちゃ、心がザワザワします。 ^_^
#ネクロノミコンの擬人化と言えば
#Princess of Darkness(爆)
> >> 噂で期待していたほど面白かったかなぁ?と思った
> >> ゲームのプリンセスブライドは、主人公顔有り、声有りでした。
> >
> >つまらないゲームに主人公の顔を付けたら
> >面白くなる、なんて保証は出来ません。
> >悪しからず。 ;-P
>
> プリンセスブライドは十分面白いゲームでしたよ。
> 主人公に顔があって面白いと認めたゲームなので、もうちょっと
> 重要視してあげて欲しいな。
これは失礼。m(_ _)m
でも、CyberKnight Bladeさんが、
「噂で期待していたほど面白かったかなぁ?」
なんて書くものだから
「顔あり、声ありでも大して面白くなかった」
と解釈してしまったじゃないですか。
(必殺!責任転嫁…重ねて失礼)
> >> という考え方の流れをすると、アニメ化されなかったゲームは
> >> ゲーム中に主人公の顔がなくても違和感なかったわけですね。;-P)
> >> (ちがうか。)
> >
> >違いますよ。 ^_^
> >「主人公にだけ顔や声がないのはどうも違和感を感じ」る
> >作品が「アニメ化された」ら、「ああ、やっぱり」なんです。
>
> まあ、ここは、*分かってて*書いてますから。
誘導尋問ですか。(引っ掛かったかな)
#「.Hack」はアニメとゲームでどちらが「おまけ」?
#と同じ事をやられたか…
> >対偶は
> >「アニメ化」で「ああ、やっぱり」と感じない作品は、ゲーム
> >でも「違和感なし」
> >になります。
>
> ふむ、では、やっぱり顔が無くてもいいと判断するゲームは
> あるわけだ。
上記の論理をそう解釈するのは間違いですが、
(AならばBであるとしても、Aに属する集合が空の場合)
ありますよ。
アニメ化されたゲームで言うならポケモンとか。
「ゲーム」という大分類で括ったら、それこそ
主人公の顔などいらない方が大半です。
(ノベル系ゲームの数などゲーム全体の一部ですし)
というか、顔が欲しいケースはノベル系ゲームから
更に限定しています。
> ゲームをやってから、アニメを見て、ああやっぱりこのゲームの
> 主人公に顔があるべきだ、と思えるゲームを
> *リスト*してみて下さいよ、というわけだから。
ちょいと取り違えてました。
アニメをみたから「顔だせや!」と思った訳では
ないのですが、「ああ、やっぱり」でよいなら、
ぱっと思いつくのは「Kanan」や「To Heart」かな。
でも「To Heart」は「リーフファイト97」で
既に「こんな顔かい1」って思いましたから除外
すべきかなぁ。
> Airは外して下さいな。
> 往人くんはちょっと顔だしてますから。;-P)
御免なさい、記憶になかった。
どこで出ていましたっけ?
(「子供達」とか「カラス」じゃないですよね)
でも、「一寸だけ」が演出上の理由でないなら、
全編に出して欲しかった。
(「演出上一寸だけ」の例は「Ever17」
あれは途中から顔と声が消える演出で、最初は
違和感があるのですが最後には「やられ」ます。
主人公の顔が出ないことをあれほど見事に演出に
使われた例を知りません)
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:bvodk6$9sr$1...@news1.point.ne.jp...
> 飯塚さんがカットされた部分も、飯塚さんにとって異論がない
> 話と考えてよろしいのでしょうか?
「ノベルゲーム」の定義がはっきりしてから、答えます。
> > > > それに、「君望」はAVGだと思うんですが。ノベルゲームって言う
> > > > と、通常「痕」とか「雫」とか「月姫」とかを指すんじゃないですか?
> > >
> > >確かに制作者は「恋愛AVG」と銘打っていますが、実際に「ノベルゲ
> > > ーム」とは呼べない内容なんでしょうか。
> >
> > 内容じゃなくて、システムで違うんだと思いますけど。
> > AVGはウインドーが出て、そこにセリフを中心に文字が出ますね。
> > 対してノベルゲームは、グラフィックの上もお構いなく全面に文字が表示
> >される。
> > ストーリーを読むと言うことに特化したシステムを採用しているものを、呼
> >びます。
>
> 「台詞中心」か「ストーリー中心」かは私の考える「ノベルゲーム」
> の定義と一致します。確かに「全面表示」で「台詞中心」のゲー
> ムには心当たりがありません。
書き足りなかったな、と思ってたらやっぱり勘違いしまし
たね。
ノベルゲームはストーリー中心じゃありません。「地の文
中心」です。「セリフ中心」の対になるわけですね。実際に
は「地の文中心」と言うほど中心じゃないんですが、AVG
の「セリフ中心」とは、圧倒的な差があります。
ゲームとしてストーリーの重要性が高いという意味では、
AVGとノベルゲームは一緒です。
> > 逆に内容で判別することの方が不可能でしょう。
> > AVGの内容と、ノベルゲームの内容って、なんか差があるんですか?
>
> 定義が正しいか否かは別として、私の考えていた
> 「ノベルゲーム」とは
> ・AVGの一分野である。
> ・ストーリーを読ませることに重点を置いている。
> そのため、選択肢はストーリーの分岐に影響のある
> 箇所以外にはほとんどない。
言っておきますが、AVGとノベルゲームの定義は、私が言い
出したんじゃなくて、メーカーがそういう風に売り出して、問屋の
発注呼称、雑誌表記、ユーザーなどに定着したんですよ?
それを自分の都合に合うように、いきなりここで勝手に変えら
れても、議論以前に会話が成立しませんよ。
> 飯塚さんの仰る定義に従うと、私が対象とするゲームは
> 「ノベルゲーム」という括りでは語れなくなるので「ストーリー
> 中心」のAVGも含めて「ノベル系ゲーム」と定義して語ら
> せて頂きます。
世間一般の定義と違うということは、それだけで多数派に
成りえない主張であると、はっきりしましたね。(^^;)
だいたい「ストーリー中心でないAVG」って、ぱっと思いつか
ないんですけど、実際のソフトでどんなものが該当するんです
か?
> (もっと適した定義はないかな)
定義の開発に労力を割くのはやめましょうよ。(^^;)
> > > ゲームのもっとも特徴的なことは、インタラクティブ、プレイヤーの操
> > > 作に対する応答でしょう。簡単に言うとプレイヤーが操作できること。
> > > 主人公の投影型が支配的なのも、ここから来ているんですから。
> >
> > このセンテンスは「ゲーム」の定義を問うています。
> > てつたろさん、あなたは「ゲームの定義」をどう説明します?
> > 電子小説とゲームの違いはどこで判断するんですか?
>
> 端的に言うと
> 「ユーザーがプレイヤー(能動)であること」
> 「ユーザが単なる読者であるか、プレイヤーであるか」
> でしょう?
その通りです。
「ゲームプレイヤー」という言葉はありますが、「ゲームリーダー」
という言葉はありません。
私には、「ノベルゲーム」同様、てつたろさんが「ゲームリーダー」
という新たな定義を開発して、議論しようとしているように見えます。
> 私がノベル系ゲームの何に重点をおくか、つまり
> 私の論述に於ける視点を説明しています。
「ノベル系ゲーム」って何です?
どうやってその他のゲームと判別するんでしょう?
> > それを踏まえて言わせていただくと、「ゲーム」として最低評価
> > にはなるという記述が、物凄く脊髄反射的に感じるんですが。
> > ストーリーはゲームの要素の1つであるわけだから、それが良
> > かったら少なくとも最低評価にはならないでしょ。
>
> ここで言いたかった「ゲーム」とは「ゲーム全般」ではなく「ゲ
> ーム」を「ゲーム」たらしめているシステム性、「ゲームのもっ
> とも特徴的なこと」です。
それでも最低評価にはならんでしょ。
AVGのゲーム性は、選択肢に発生します。
要するにできるだけ選択肢がたくさん、そして種類があった
方が、ゲーム性が高くなる。
しかしもちろん、ただ増やしたり種類を作っただけでは、難
度が上がったり、ストーリーの不整合が出たり、プレイヤーは
遊びにくくなります。
無意味な選択肢があるだけで、プレイヤーはストレスを感じ
るわけですね。
で、件の「化粧桜」ですが、選択肢が多すぎるとか逆に少な
すぎるとかして、「ゲーム」としての評価も最低となったんですか?
> > 漫画にゲームの評価、つまり音楽とかシステムとかの評価を
> > 持ち込んでもしょうがないでしょ? アニメにゲームの操作性を
> > 語らせても意味がないでしょ?
> > 逆も同じく。そういうことですよ。
>
> 書いている内容には同感です。
> そこから導き出されるものが違いますが。
>
> 「音楽」とか「システム」とか「ゲームの操作性」
> の評価をいつ私が問題にしましたか?
「ゲームとして最低評価」と記述するのは、通常ストー
リー、グラフィック、音楽、システムなどいずれも最低
の場合と、メーカーのユーザーをナメた姿勢が透けて
見えるときでしょう。(バグだらけでクリアもできないとか、
パッケージとソフトの中身が違うとか)
> 私の視点をご理解頂くご意思がおありなら、ストーリーにポ
> イントを絞ってください。
> それを言いたくて、「化粧桜のシステム性の悪さはここでの
> 評価ポイントにはならない」と言ったのです。
「化粧桜のシステム性の悪さはここでの評価ポイントにはなら
ない」なんて記述、どこにもなかったですけど。(^^;)
> > > 「隔たっていない」と「廃れない」の因果関係に
> > > 答を求めるのは意味がないです。
> > > 「隔たっている、ならば、廃れる」の対偶は
> > > 「廃れない、ならば、隔たっていない」ですよ。
> >
> > だって隔たってないのなら、ゲームファンは今でもゲームブッ
> > クをゲームと同じく購入を続けるんじゃないですか?
> > ゲームが1兆円市場を維持してるなら、隔たってないゲーム
> > ブックが廃れるはずがないでしょうに。
>
> だから、「その論理は正しくない」と言っています。
> 主人公の台詞(目的語と動詞)を入力するタイプのAVGは
> 廃れましたが、あれはゲームではなかったのですか?
なんのこっちゃかわかりませんが、テープソフトでそんなのが
あったかもしれませんね。まだテレビゲームそのものが、確立
されてない頃の産物ですけど。
で、だから何? という気がするんですが。
どんなになってもゲームはゲームですよ。
小説は小説ですね。小説がゲームブックとして、どんなにマネ
しようと隔たった存在には変わらない。実際マネようとしたゲー
ムブックも廃れてしまった。
ゲームブックが今でも隆盛を誇ってれば、なんらかの証明に
なると思いますが、廃れてしまったもので証明はできないでしょう。
> > つまり小説がゲームの真似事をしても、同じ面白さを維持で
> > きないということでしょう?
>
> 「つまり~」の主張にはかねてより同意していますから、
> わざわざ理由を書く必要を感じません。
ああ、同意してたんですか。
じゃあ、これで小説にはゲームのマネごとで成功できないぐら
い隔たってることが合意できたわけです。良かった、良かった。(^^)
> > > それに、「ノベルゲームと他のメディアの比較」なので、
> > > 少なくともここではノベルゲームに限って貰えないと
> > > 話が出来ません。
> >
> > なんでノベルゲームなんでしょうかね?
> > てつたろさんが、他のゲームを遊ばないから?
> > ストーリー重視だから?
> > ストーリー重視というなら、FFも非常にストーリー重視です。
> > またファイアーエムブレムもシナリオSLGと言うだけあって、
> > これまた非常にストーリー重視のゲームになってます。
> > なんでノベルゲームだけ? また前から聞いてますが、AVG
> > はどうなるんです?
>
> FFもFEも主人公の顔はあるので端から該当しませんし、
は? 該当しない? 何に?
「ノベルゲーム」とやらに該当しないんですか?
というか、なぜFFやFEが出てきたかと言いますと、てつたろさん
言う「ノベルゲーム」の範疇がこれでわかると思ったんですがね。
> ノベル型ゲームに分類します。
ノベル型ゲーム……。
> > > > で、同じキャラクターが出てくるというのが、縦線の根本要素
> > > > なんですか? ストーリーじゃなくて?
> > > > 上で壁が薄いとか、隔たってるというのはストーリーのこと
> > > > だと思っていたのですが、違うのですが?
> > >
> > > 違いませんよ、おそらくは。
> > > 当然ですが、キャラクターが変わればストーリーはまったく異な
> > > ったものになります。
> > > 同じキャラクターがでて、同じ個性をもって活動するのが、
> > > 同じストーリー(注)であることの基本です。
> > > 注:「ノベルゲームのストーリーを忠実に再現」という意味
> > > ではありませんよ
> >
> > では同じキャラクターと同じストーリーの2つを「縦線」の根本要
> > 素とするんですね?
>
> 「根本要素」ですか。
> 例えば「君望」という縦線の根本要素は「君望」であるという
> ことそのものでしょうか。
> 「世界観」と言ってもいいかも知れません。
世界観って、同じ世界観で違うキャラクターのものだって
たくさんあるでしょうが。
そういう場合どうなるんです? 縦線にならないんですか?
> でもそれは、AVGの「君望」のストーリーを表現
> できるものではないでしょうから、アニメの「君望」
> より縦座標では「隔たっている」ということを
> 主張しているんです。
事例として上がってる「君望」なんですけど、「君望」に
しか当てはまらない、排他条件のような気がしてしょうが
ないんですけど。世界観が一緒かどうかなんて、個々の
ソフト個別に判断するしかないですよ。
世界観と聞くと、私はすぐガンダムを思い出します。
さあ、果たしてガンダムの続編はどこまでか?
初代だけだ。いやZだ。ZZまでは許せる。
ミノフスキー粒子が出ているものまで。
ガンダムが出れば、オッケー。
宇宙世紀だ。富野だ。大河原だ。
ガンダムの世界観を「どこまで認めるか?」を巡ってい
くらでも意見が出てきます。
「君望」も同じです。ゲームだけ遊んだ人。アニメだけ見て
る人。小説しか知らない人。どれか2つ知ってる人。全部
持ってる人。
それぞれ世界観が違う。不思議な話ですが、時が経てば
経つほどその差は大きくなる。
世界観が縦線の根本要素なんて、それは「個々の感性に
よって違います」と言ってると同じです。
> しかし、私の能力では上記の説明が限界です。
> これでもご理解頂けないのであれば、残念ですが
> これ以上の説明は致しかねます。
やっぱり個別検討ですね。
「ノベルゲーム」とか、「ストーリー性」とかで何かを括って
十把一絡げに議論することは無理だと言うことでしょう。
> > で、前段のようにそこまで条件をつけるなら、その「他者型」
> > のノベルゲームとやら単体で、顔が必要かどうか主張する方
> > が早いでしょうね。
> > 抽象的に言っても建設的な意見にはなりません。「こ..のゲー
> > ムには主人公の顔があった方が面白い」と主張してください。
>
> Kanan、One、痕、雫、Air、To Heart、他
> (今までにプレイした、主人公の顔がないが
> その他は顔ありのノベルゲーム。順不同)
このラインナップを見てて気付きましたが、マニュアルに主人公
のキャラクターが設定されてれば、解決するんですかね?
今までの議論で理解すると、別にゲーム中でなくても顔さえわか
れば、いい気がしますし。
または顔が髪で隠れていたら、それを主人公の個性と考えるとか。
たぶんすごくシャイなんですよ。(^^;)
--
東京都 飯塚顕充
親和性が何を指すのか不明確ですが、
テキストの量が多いADVゲームやビジュアルノベル分野の
ゲームでなら、割と手を抜いてもそれなりの小説は
できてしまうでしょうね。
単にノベルゲームとアニメーションとの親和性と言われると
理解はできません。
アニメーションを意識したノベルゲームもあるとは
思いますので、全く別物とも言いませんが。
>「痕」のゲーム版と小説版が「隔たったものであるか否か」
>で評価していただけると助かるのですが。
選択肢を選択することによりシナリオ/ゲーム世界に介入して
エンディングを選択するタイプのゲームに対し、
エンディング固定の小説では、あまり小説を読もうという気にはなりません。
# マルチエンディングに合わせてそれぞれを小説化されたKanonは
# 読みましたけどね。
>「『痕』は小説からゲームに入ったがこの2つが別の
>ストーリーだとは考えもしなかったし、ゲームをプレイ
>して『こんなものは痕じゃない』とは感じなかった。
:
一貫してゲームのノベライズは、シナリオ/ストーリーが
オリジナルのゲームのそれを踏襲しているから、
別と考えるなんてことはないでしょう、が私の意見ですから。
:
>「電子小説」でも面白ければOKです。
>ただ、飯塚さんが「電子小説はゲームじゃない」
>と言っていたことに、「それはそうだ」と同意して
>いるもので…
>
>> あらかじめ、ほとんどゲームと呼べません、と書いてあるわけで。
>
>重箱の隅をつつくようで申し訳ないですが、
>「ほとんど」と書かれたので
ゲームと呼べないと書いただけですからね。
ゲーム性があるとは書いてませんよね。
>「どこかにゲーム性はありますか?」
>と確認したかっただけです。
では、鬼哭街のタイトルを持つソフトウェアは
どの分類で売られているのでしょう?
ひとくくりしてしまえば、ゲームですよね。
>「ゲームではないが面白い」なら納得ですし、
>「選択肢なしでもこんな処にゲーム性はあるよ」
>と教えて頂ければ私の「ゲーム」理解にプラス
>になるだろう、と思いまして。
ゲーム性は無い、これは絶対的に決定。
ゲームではないか、というと分類上ゲームに分類されるなら
別にゲームでもいいじゃん、と思っています。
電子小説というと単なるテキストファイルをPDAで読むのと
大差ないような味気ないものに思えてしまいますが、
ビジュアルノベルとなると、視覚効果、効果音等の演出が入り
より楽しめるマルチメディアコンテンツであることが
期待できます。
私的意見。
>角川スニーカー文庫で小説版がでていますから、
>今度読んでみようかと考えています。
>もちろんゲームもやってみたいけど。
どっちが先でもいいけど、ゲームしないならつまらないでしょうね。
小説だけなんて意味なし。
ビジュアルノベルとしてのマルチメディアコンテンツを
楽しむべきです。
>#クトゥルー世界は結構好きだし、ネクロノミコン
>#と聞いちゃ、心がザワザワします。 ^_^
最近、SS版をPCに再移植した黒の断章というのも
ありますね。
ゲームシステム自体は非常に古くさいアドベンチャーゲームでしたが。
>アニメ化されたゲームで言うならポケモンとか。
>「ゲーム」という大分類で括ったら、それこそ
>主人公の顔などいらない方が大半です。
ま、ポケモンはゲームとして主人公というものが別途
いるわけではないですからね。
>(ノベル系ゲームの数などゲーム全体の一部ですし)
>というか、顔が欲しいケースはノベル系ゲームから
>更に限定しています。
:
>ないのですが、「ああ、やっぱり」でよいなら、
>ぱっと思いつくのは「Kanan」や「To Heart」かな。
主人公の顔有りか顔無しか、と
単純にノベルゲームと結びつけていいものかどうかは
疑問に思っています。
車のレースゲームや戦闘機での空戦ゲームでは、
コックピット視点のゲームが好きでしょうか、それとも
コックピットを後ろから眺める視点のゲームが好きでしょうか。
私は主に前者を選びます。
これをADVゲームでもビジュアルノベルでも当てはめる。
主人公視点で進めるゲームと、
主人公を後ろもしくは側面から眺める、つまり主人公の体などが
画面に映るタイプと。
一般的に、ゲーム世界の主人公の挙動をロールプレイするタイプの
ゲームであれば、私は主に前者ですね。
つまり、KanonもToHeartも痕もゲームであれば主人公の顔、姿形は
表現されなくて良い、という結論。
もうとんでも無く現実世界とかけ離れた世界、おとぎ話の世界で
構築されているのであれば、それらの架空世界を外から眺めるタイプと
いうのも、それはそれでいいかもしれません(主人公の顔、姿形が明確)。
(主人公を自身でロールプレイする感覚が無い、もしくは非常に薄いタイプ)
プリンセスブライドは、主にこういったとらえ方をしています。
デモンベインなどもこちら的なとらえ方ですね。
もともとスーパーロボットアニメを意識していると踏んでいるゲームですから
非常にアニメーション的だと思います。
>> Airは外して下さいな。
>> 往人くんはちょっと顔だしてますから。;-P)
>
>御免なさい、記憶になかった。
>どこで出ていましたっけ?
教えてあげません。もう一度、全部やり直して下さい。
# きゅぴ~ん。。
ゲームを全部やるのが大変なら、KEYのオフィシャルホームページで
製品紹介のキャラクター紹介を見ればいいでしょう。
>でも、「一寸だけ」が演出上の理由でないなら、
>全編に出して欲しかった。
上記の通り、私は必要ないと考えています。
なんかここが盛り上がるのも久しぶりでうれしい気分。
私のスタンスは、
ストーリーをよりたのしむには、
主人公のキャラクターはハッキリしていたほうがいい。
顔も出したほうがいい。
声もあったほうがいい。
#ちなみに、Airの主人公の国崎往人の顔は
#マニュアルのキャラクター紹介で出てたと思います。
前の書き込みで
PC(プレイヤーキャラ)と主人公がどうのこうの言いましたが、
それはPCに感情移入してゲームをプレイするとき、
そいつがカッコイイほうが私の好みだ、といったところです。
たとえPCが全然自分の思い通りにならなくてもかっこよければ許す。
10年ほど前にやったゲームで校内写生ってのがあって、
そのゲームでは基本的にPCの姿は画面に出てこない。
でも、ゲーム中で1,2回、ほんのチラッと
顔が出るところがあって、それがすげぇぶ男なもんだから、
PCの顔だって最初は気がつかなかった。
どうやら、カッコ悪い主人公は私の好みではないようです。
稀に音声のあるゲームでプレイヤーの名前を
きちんと役の人が呼んでくれるものもあるようです。
それは、
たまたまデフォルトの主人公の名前がプレイヤーの名前と同じだったとき
です。
残念ながら、私はそういうゲームに会ったことはないのですが。
臭作ってゲームではPCであるところの臭作がプレイヤーに対して
逆襲するというストーリーでした。
PCとしての臭作は随分ハッキリとしたキャラクターですよね。
で、それは「プレイヤーの分身ではない」ということを主張するゲーム
と言えなくも無いかもしれない。
もしかしたら、ストーリーを描こうとすると
プレイヤーの存在を排除することにつながるのかもしれません。
ストーリー展開上主人公にはどうしてもやって貰わないといけない
行動をプレイヤーの意向にかかわらず(クリアするためには)やらせる
ってことになりますから。
#鬼哭街のストーリーはすごく感動的でした
逆に、ストーリーを描こうとしないゲーム
例えばルナティックドーンみたいな育てゲーならプレイヤーは
思う存分PCを操作して自分の分身を演じることができます。
その結果PCが、弱きを助けて強きをくじく勇者になろうが、
雑魚モンスターを虐殺し続けるサディストになろうが問題なし。
#ちなみに私はRPG全般を遊ばなくなって久しい
それは、ストーリーって物がゲーム内でどう位置づけられてるか。
ゲームで先に進んだご褒美にストーリーが楽しめる
って位置づけなら、ストーリーよりもゲーム性が優先するわけで、
プレイヤーがPCを自由に動かせないのはかなりマイナスなわけで、
何やりだすかわからないPCのキャラクターが
薄くなるのも仕方ないのかなぁ。
がんばれ、主人公。
でも
ゲームをただストーリーを伝えるための媒体として使用することは
ゲームのゲームたる所以を危うくするのかな。
By 様
"tetsurou hayasaki" <s104...@u-aizu.ac.jp> wrote in message
news:0402052205...@std2ss27.u-aizu.ac.jp...
> ども、様です。
お帰りなさいませ。
> なんかここが盛り上がるのも久しぶりでうれしい気分。
ちょっと重いんで皆さんには避けられているかな、
とか思ったり。 ^_^
> 私のスタンスは、
> ストーリーをよりたのしむには、
> 主人公のキャラクターはハッキリしていたほうがいい。
> 顔も出したほうがいい。
> 声もあったほうがいい。
>
> #ちなみに、Airの主人公の国崎往人の顔は
> #マニュアルのキャラクター紹介で出てたと思います。
プレイ中、顔を見た記憶がなかったんです。
でもKeyのサイトにも顔が出ていましたし、ストーリー
中にも出てくるようですね。
#うーん、思い出せないよ。(._.)
マニュアル探そうにも、箱毎古い地層に埋もれて
なかなか掘り出せない。
ええ、私は片づけ下手です。
> 前の書き込みで
> PC(プレイヤーキャラ)と主人公がどうのこうの言いましたが、
> それはPCに感情移入してゲームをプレイするとき、
> そいつがカッコイイほうが私の好みだ、といったところです。
> たとえPCが全然自分の思い通りにならなくてもかっこよければ許す。
ストーリーを読む感覚で楽しむなら、PCの暴走も
また楽しからずや。
> 臭作ってゲームではPCであるところの臭作がプレイヤーに対して
> 逆襲するというストーリーでした。
> PCとしての臭作は随分ハッキリとしたキャラクターですよね。
> で、それは「プレイヤーの分身ではない」ということを主張するゲーム
> と言えなくも無いかもしれない。
臭作の「私」は偽善ぽくて嫌いです。
散々臭作を操って好き勝手やっておきながら、
いざ臭作が暴走すると途端に善人ぶるのが
鼻につきました。
…なんて感想はきっと少数意見だろうなぁ。
> もしかしたら、ストーリーを描こうとすると
> プレイヤーの存在を排除することにつながるのかもしれません。
> ストーリー展開上主人公にはどうしてもやって貰わないといけない
> 行動をプレイヤーの意向にかかわらず(クリアするためには)やらせる
> ってことになりますから。
ゲームであればプレイヤーのコントロールはあるのが
基本ですから、本人になった気分でコントロールできるか
神様の気分でコントロールするかの違いなんでしょう。
(あるいは覗き屋か)
仰るとおり、ストーリー性を高くすると登場人物の意思を
100%コントロールするのは無理なので、自己投影させよう
にも乖離性は生じますね。
それを無視して自己投影出来る人は、きっと顔なしで
いいんでしょう。
> 雑魚モンスターを虐殺し続けるサディストになろうが問題なし。
スライムいじめが趣味という主人公がいたなぁ、
あるRPGに。
> それは、ストーリーって物がゲーム内でどう位置づけられてるか。
> ゲームで先に進んだご褒美にストーリーが楽しめる
> って位置づけなら、ストーリーよりもゲーム性が優先するわけで、
> プレイヤーがPCを自由に動かせないのはかなりマイナスなわけで、
> 何やりだすかわからないPCのキャラクターが
> 薄くなるのも仕方ないのかなぁ。
RPGといえば、主人公の顔が出ていても、コントロール
できれば私は自己投影はできました。
「自己投影には主人公の顔がじゃまだ」と考えている人
っているのかな。
#ウルトラマンごっこをするとき、ウルトラマンになり切るには
#ウルトラマンの顔をイメージしたし。
> でも
> ゲームをただストーリーを伝えるための媒体として使用することは
> ゲームのゲームたる所以を危うくするのかな。
わたしゃゲームの枠に拘らないですから、「これは
ゲームじゃない」と評価されても一向に構いませんが。
^_^;
で、「鬼哭街」はゲームなんだろうか…
自分で評価したいけれど、時間がない。
だれか私に時間をください。
(ついでにゲームを買うお金も欲しい…)
"CyberKnight Blade" <5bl...@cyberknights.net> wrote in message
news:402112b2$0$23290$44c9...@news3.asahi-net.or.jp...
CyberKnight Bladeさんの意見には概ね納得。
同調出来る部分と、そうかなと思える部分は
ありますが、CyberKnight Bladeさんがそう
考えることは尊重出来ます。
質問形式はやめて、「私はこう考える」と
いう形式をとりますので、同意いただけなく
ても私の考えを尊重頂けるのであれば反論は
不要です。
もちろん、反論頂いても構いませんが。:-)
> tetsutaroの<bvoeuf$a41$1...@news1.point.ne.jp>から
> 親和性が何を指すのか不明確ですが、
> 単にノベルゲームとアニメーションとの親和性と言われると
> 理解はできません。
CyberKnight Bladeさんの文章を読むと、充分
理解されているように思えます。
理解というより、当たり前すぎて、却って
「何を言っているのだろう」と思われている
のだろうな。
#私だって自分では当たり前と思っていたこと
#を改めて説明しようとしているんですから。
#当たり前と認識している事を人に説明する事
#のなんと難しい事か。
> >「痕」のゲーム版と小説版が「隔たったものであるか否か」
> >で評価していただけると助かるのですが。
CyberKnight Bladeさんは「隔たり」そのもの
を意識されていないようです。
#あ、私も飯塚さんの反論をうけるまで意識
#していませんでしたよ。
> 一貫してゲームのノベライズは、シナリオ/ストーリーが
> オリジナルのゲームのそれを踏襲しているから、
> 別と考えるなんてことはないでしょう、が私の意見ですから。
これが、「隔たりがあるか」の回答と思います。
私も同意見です。
> >> あらかじめ、ほとんどゲームと呼べません、と書いてあるわけで。
> ゲーム性があるとは書いてませんよね。
>
> >「どこかにゲーム性はありますか?」
> >と確認したかっただけです。
>
> では、鬼哭街のタイトルを持つソフトウェアは
> どの分類で売られているのでしょう?
> ひとくくりしてしまえば、ゲームですよね。
> ゲーム性は無い、これは絶対的に決定。
> ゲームではないか、というと分類上ゲームに分類されるなら
> 別にゲームでもいいじゃん、と思っています。
>
> 電子小説というと単なるテキストファイルをPDAで読むのと
> 大差ないような味気ないものに思えてしまいますが、
> ビジュアルノベルとなると、視覚効果、効果音等の演出が入り
> より楽しめるマルチメディアコンテンツであることが
> 期待できます。
>
> 私的意見。
主観的なご意見は「なるほど」と了解致しました。
以下は「鬼哭街はゲームか否か」の1点だけです。
「ゲームとはなにか」については飯塚さんの説を
ご参照下さい。
私はこの点について飯塚さんと同意見なもので。
なにせ「鬼哭街」は経験していないので、どんな
システムなのか判りません。そこで色々とお聞き
しましたが、「ゲーム性はない」と。
分類に関して言えば、客観的な分類と制作者が
「これは~だ」とする主観的分類があるわけで、
客観的には「ゲーム性がなければゲームじゃない」
と考えます。
もし、「違う」というなら、ゲームの定義から
議論し直す必要があります。
#「鬼哭街」がゲームでなくても、「One」や「Air」
#と同じ括りで語ることには異論はありません。
#「ゲームとその他を同列に扱うな」と言っている
#のは飯塚さんですし。
> >角川スニーカー文庫で小説版がでていますから、
> >今度読んでみようかと考えています。
> >もちろんゲームもやってみたいけど。
>
> どっちが先でもいいけど、ゲームしないならつまらないでしょうね。
> 小説だけなんて意味なし。
>
> ビジュアルノベルとしてのマルチメディアコンテンツを
> 楽しむべきです。
本屋でペラペラとみた限りでは面白そうだと
感じましたし、私の主観は別です。
が、CyberKnight Bladeさんの考えには反論は
しません。
主観の問題ですからご意見を尊重します。
> >(ノベル系ゲームの数などゲーム全体の一部ですし)
> >というか、顔が欲しいケースはノベル系ゲームから
> >更に限定しています。 :
> >ないのですが、「ああ、やっぱり」でよいなら、
> >ぱっと思いつくのは「Kanan」や「To Heart」かな。
>
> 主人公の顔有りか顔無しか、と
> 単純にノベルゲームと結びつけていいものかどうかは
> 疑問に思っています。
所謂「ビジュアルノベル」だけを限定した積もりでは
なく、「ノベル性の高いゲーム」を括りたかったんです
が、括り方の定義に失敗したようです。
私自身、いろんな言い方を混同してしまいました。
> 車のレースゲームや戦闘機での空戦ゲームでは、
> コックピット視点のゲームが好きでしょうか、それとも
> コックピットを後ろから眺める視点のゲームが好きでしょうか。
>
> 私は主に前者を選びます。
私も同じです。
> これをADVゲームでもビジュアルノベルでも当てはめる。
>
> 主人公視点で進めるゲームと、
> 主人公を後ろもしくは側面から眺める、つまり主人公の体などが
> 画面に映るタイプと。
>
> 一般的に、ゲーム世界の主人公の挙動をロールプレイするタイプの
> ゲームであれば、私は主に前者ですね。
「ロールプレイ」という概念は面白いですね。
「ゲーム」を制作者の主観的分類でいると、
RPGは特定の分野を指しますが、CyberKnight Blade
さんの視点ではAVGも「ロールプレイ」だと。
私もその視点には同調出来ます。
#そういえば、昔のAVGはテーブルトークRPGを再現しよう
#としたものと思います。
「人(擬人化された動物や物でもいいです)」に
なりきってゲームに入り込んで遊べれば、
「ロープレ」性は高いといえますね。
> つまり、KanonもToHeartも痕もゲームであれば主人公の顔、姿形は
> 表現されなくて良い、という結論。
そこなんです。
本当の意味でのロープレであれば、テーブル
トークに勝る物はないでしょう。
あるいは、公園でのゴッコ遊びでもよし。
何をするのもプレイヤーの意思が反映されますから。
でも、コンピュータの世界ではそうはいかない。
KanonやToHeartの場合も、ゲーム中の「私」の意思
は多くの場面でコンピュータがコントロールします。
ToHartでいえば、「あかりを他の男に襲わせよう
とする」のは「私」ではありえなかった。
#「投影型」「他者型」という分類がありましたが
#「ロープレ性」の「高い」「低い」を当てはめる
#ことが出来そうです。
#で、「顔」が欲しいのは後者です。
> もうとんでも無く現実世界とかけ離れた世界、おとぎ話の世界で
> 構築されているのであれば、それらの架空世界を外から眺めるタイプと
> いうのも、それはそれでいいかもしれません(主人公の顔、姿形が明確)。
> (主人公を自身でロールプレイする感覚が無い、もしくは非常に薄いタイプ)
> プリンセスブライドは、主にこういったとらえ方をしています。
「とんでもなく現実からかけ離れた世界」のヒーロー
をロールプレイするのも面白いと私は思います。
#ならば「顔」は不要。(ない方がいいとまでは言いません)
> >> Airは外して下さいな。
> >> 往人くんはちょっと顔だしてますから。;-P)
> >
> >御免なさい、記憶になかった。
> >どこで出ていましたっけ?
>
> 教えてあげません。もう一度、全部やり直して下さい。
あう、新しいゲームにも手を出す余裕のない私に、
旧い地層に埋もれたゲームを発掘してやり直せと…
#文字通り「埋まっています」 ^_^;
#そりゃあ、売っぱいもせず持っているのは
#「いつかはリプレイしたい」からですが。
> ゲームを全部やるのが大変なら、KEYのオフィシャルホームページで
> 製品紹介のキャラクター紹介を見ればいいでしょう。
あ、なるほど。
> >でも、「一寸だけ」が演出上の理由でないなら、
> >全編に出して欲しかった。
>
> 上記の通り、私は必要ないと考えています。
了解。
宗教勧誘ではないので、無理に説得するつもり
などありませぬ。
私は、Airの主人公をロールプレイする感覚は
持てなかったので、物語の登場人物なら他の
登場人物同様に顔が欲しいな、と。
私の文章を読むことで、「あ、そうかな」
と考えてくれる人が増えれば嬉しいけど。
P.S.
今、「仮面ライダーブレイド」という番組が
始まっていますが、CyberKnight Bladeさんの
Bladeは「テッカマン」の方ですか。 :-)
「理解」ってするのもさせるのも難しいもの
ですね。
「理解した」のは「私」なので「あなた」が
「理解させたい」ことと同じとは限らない。
両者を近づける努力に意味はあるでしょうが、
完全に一致させるのは難しい。
「一致した」と思っても、お互いがずれに
気付いていないだけかも知れません。
"iizuka" <iiz...@comp.metro-u.ac> wrote in message
news:bvqcn8$h78$1...@swallow.comp.metro-u.ac.jp...
> > 飯塚さんがカットされた部分も、飯塚さんにとって異論がない
> > 話と考えてよろしいのでしょうか?
>
> 「ノベルゲーム」の定義がはっきりしてから、答えます。
「ノベルゲームの定義」とは無関係な話が
多かったと思いますが。
客観的な「ノベルゲーム」の定義なら、
飯塚さんにお任せします。
どうも、私は勘違いをしていたようだし。
(私の考える定義は既述してます)
> 定義の開発に労力を割くのはやめましょうよ。(^^;)
とも仰られているので、主観的な定義について
これ以上の言及は止めます。 m(_ _)m
> > > AVGはウインドーが出て、そこにセリフを中心に文字が出ますね。
> > > 対してノベルゲームは、グラフィックの上もお構いなく全面に文字が表示
> > >される。
> > > ストーリーを読むと言うことに特化したシステムを採用しているものを、呼
> > >びます。
> >
> > 「台詞中心」か「ストーリー中心」かは私の考える「ノベルゲーム」
> > の定義と一致します。確かに「全面表示」で「台詞中心」のゲー
> > ムには心当たりがありません。
>
> 書き足りなかったな、と思ってたらやっぱり勘違いしまし
> たね。
> ノベルゲームはストーリー中心じゃありません。「地の文
> 中心」です。「セリフ中心」の対になるわけですね。実際に
> は「地の文中心」と言うほど中心じゃないんですが、AVG
> の「セリフ中心」とは、圧倒的な差があります。
> ゲームとしてストーリーの重要性が高いという意味では、
> AVGとノベルゲームは一緒です。
別に「勘違い」と言われるほど隔たったことを書いた
積もりはありませんでしたけど。
「ストーリーを読むと言うことに特化した」では長いので
「ストーリー中心」と書いただけですから。
「地の文中心」と言われても「そうですね」ぐらい
にしか思わないです。
> 言っておきますが、AVGとノベルゲームの定義は、私が言い
> 出したんじゃなくて、メーカーがそういう風に売り出して、問屋の
> 発注呼称、雑誌表記、ユーザーなどに定着したんですよ?
・主観的定義
他のだれがなんといっても私はこう定義する
例えば制作者が「AVG」と売り出したから
無条件で「AVG」と見なすという定義
・相対客観の定義
多くの人がそうだと認める定義
・絶対客観の定義
この定義にはだれも異論を挟めない
メーカーが売り出したのは「主観」で、「定着」したら
「相対客観」かな。
システム上の区分だけなら「絶対客観」に出来ますが。
> それを自分の都合に合うように、いきなりここで勝手に変えら
> れても、議論以前に会話が成立しませんよ。
相対客観の定義で話していた積もりでしたが、
どうも違っていたようで。
> > 飯塚さんの仰る定義に従うと、私が対象とするゲームは
> > 「ノベルゲーム」という括りでは語れなくなるので「ストーリー
> > 中心」のAVGも含めて「ノベル系ゲーム」と定義して語ら
> > せて頂きます。
>
> 世間一般の定義と違うということは、それだけで多数派に
> 成りえない主張であると、はっきりしましたね。(^^;)
どういう集合の括り方をするかの問題で、何もない
ところに新たな空集合を作ってから物を放り込もう
としている訳ではないんですが、おわかりですか?
(「ゲームリーダー」なんで言い出すんだから理解
されているとは思えませんが)
それに、多数派であることが飯塚さんにとって重要
なんですか。
(そういえば、そういう論理の展開が多いような…)
> だいたい「ストーリー中心でないAVG」って、ぱっと思いつか
> ないんですけど、実際のソフトでどんなものが該当するんです
> か?
「ストーリーを読むと言うことに特化」している
ことを「ストーリー中心」と書いた積もりなんです
がね。 -_-
「私が誤解している」と飯塚さんが誤解していると
思いますが。
(誤解させるような書き方をしたというなら、
お互い様かと)
ふむ、いみじくも「ストーリーを読む」という言葉
が出ましたので、その対比であるなら「主人公に投影
できるので顔が要らないAVG」は「ストーリーを自分
で作っていく感覚のAVG」といえるかもしれません。
> 「ゲームプレイヤー」という言葉はありますが、「ゲームリーダー」
> という言葉はありません。
> 私には、「ノベルゲーム」同様、てつたろさんが「ゲームリーダー」
> という新たな定義を開発して、議論しようとしているように見えます。
「鬼哭街」を「ゲーム性はないがゲーム」と言って
いる人達に言ってあげてください。 ^_^;
こんな見方をされていることからも、「理解されて
いない」と感じます。
> > 私がノベル系ゲームの何に重点をおくか、つまり
> > 私の論述に於ける視点を説明しています。
>
> 「ノベル系ゲーム」って何です?
> どうやってその他のゲームと判別するんでしょう?
定義はしてますが、お読み頂いていないのでしょうか。
(定義することに意味がないと仰るなら、質問そのものが
無意味でしょう)
> > ここで言いたかった「ゲーム」とは「ゲーム全般」ではなく「ゲ
> > ーム」を「ゲーム」たらしめているシステム性、「ゲームのもっ
> > とも特徴的なこと」です。
>
> それでも最低評価にはならんでしょ。
> AVGのゲーム性は、選択肢に発生します。
> 要するにできるだけ選択肢がたくさん、そして種類があった
> 方が、ゲーム性が高くなる。
> しかしもちろん、ただ増やしたり種類を作っただけでは、難
> 度が上がったり、ストーリーの不整合が出たり、プレイヤーは
> 遊びにくくなります。
> 無意味な選択肢があるだけで、プレイヤーはストレスを感じ
> るわけですね。
> で、件の「化粧桜」ですが、選択肢が多すぎるとか逆に少な
> すぎるとかして、「ゲーム」としての評価も最低となったんですか?
ゲーム全般が、ではなく、システム性が最低評価だと
言っているのですが。
#ほら、理解されていない、というか読まれていない。
「化粧桜」のプレイにはストレスを感じます。
大概の人がかなり初期の段階で投げてしまったと
思います。問題は選択肢の数ではなく、移動の
システムにあります。レスポンスに関わる問題
なので、体感されれば一発で判りますが。
> > 「音楽」とか「システム」とか「ゲームの操作性」
> > の評価をいつ私が問題にしましたか?
>
> 「ゲームとして最低評価」と記述するのは、通常ストー
> リー、グラフィック、音楽、システムなどいずれも最低
> の場合と、メーカーのユーザーをナメた姿勢が透けて
> 見えるときでしょう。(バグだらけでクリアもできないとか、
> パッケージとソフトの中身が違うとか)
「システム性」と言い直したのをお読み頂いていない
のですね。
なんだか、過去に書いたはずのことを質問されて再度
言い直すことが多い気がします。
#読まれていないのでは「理解して貰う」努力は無駄だ。
> > > > 「隔たっていない」と「廃れない」の因果関係に
> > > > 答を求めるのは意味がないです。
> > > > 「隔たっている、ならば、廃れる」の対偶は
> > > > 「廃れない、ならば、隔たっていない」ですよ。
> > >
> > > だって隔たってないのなら、ゲームファンは今でもゲームブッ
> > > クをゲームと同じく購入を続けるんじゃないですか?
> > > ゲームが1兆円市場を維持してるなら、隔たってないゲーム
> > > ブックが廃れるはずがないでしょうに。
> >
> > だから、「その論理は正しくない」と言っています。
> > 主人公の台詞(目的語と動詞)を入力するタイプのAVGは
> > 廃れましたが、あれはゲームではなかったのですか?
>
> なんのこっちゃかわかりませんが、テープソフトでそんなのが
> あったかもしれませんね。まだテレビゲームそのものが、確立
> されてない頃の産物ですけど。
PC-88系が全盛の頃のAVGを指しているんですがね。
#tape時代だけではなく5インチFD時代
あの当時でもAVGはAVGとして確立していたと思いますが。
少なくとも飯塚さんがゲームの例で挙げたインベーダー
よりは後。
> で、だから何? という気がするんですが。
「隔たっていないなら廃れない」という論理は
「ゲームブックより隔たりがなかったものが廃れた」
段階で否定される訳です。
「廃れ」と「隔たり」に相関なんてないと主張して
いるのを「だから何?」といわれたら、
「理解されていないなぁ」としか言えない。
> どんなになってもゲームはゲームですよ。
たとえ廃れてもゲームはゲーム。
ゲームブックだってゲームの側面はあり。
> 小説は小説ですね。小説がゲームブックとして、どんなにマネ
> しようと隔たった存在には変わらない。実際マネようとしたゲー
> ムブックも廃れてしまった。
> ゲームブックが今でも隆盛を誇ってれば、なんらかの証明に
> なると思いますが、廃れてしまったもので証明はできないでしょう。
元々AVGはテーブルトークRPGのマネが起源だと
思いますし、飯塚さんの仰る「ノベルゲーム」も
「ノベル」と銘打つ段階で小説が起源ですね。
ゲームブックはAVGが起源ではなく、むしろ
テーブルトークRPGが起源だと思います。
その点でAVGの兄弟分で、AVGのマネではない。
類似性で言えば、全画面文字表示型のノベル
ゲームの方がゲームブックのスタイルに近い
ですが、サウンドノベルのはしりの弟切草より
ゲームブックは以前からありましたし、むしろ
マネたと言うなら後発のゲームの方でしょう。
大戦略のようなシミュレーションもボードゲームが
起源ですが、今ボードで戦争シミュレーションを
やる人はコンピュータでやる人に比べ圧倒的に少数
でしょう。
これだけ申し上げても、盛衰と類似性を相関付ける
のが無意味とおわかり頂けないのでしょうか?
> > > つまり小説がゲームの真似事をしても、同じ面白さを維持で
> > > きないということでしょう?
> >
> > 「つまり~」の主張にはかねてより同意していますから、
> > わざわざ理由を書く必要を感じません。
>
> ああ、同意してたんですか。
> じゃあ、これで小説にはゲームのマネごとで成功できないぐら
> い隔たってることが合意できたわけです。良かった、良かった。(^^)
部分的合意を全体に解釈するのは、恣意的な取り違え
ですね。
(まぁ冗談なんでしょうから、目くじらをたてるのも
大人気ありませんが)
#本件もこれ以上の説明は出来そうにありません。
#ご理解頂けなければ残念ながらGiveUpします。
> > > > それに、「ノベルゲームと他のメディアの比較」なので、
> > > > 少なくともここではノベルゲームに限って貰えないと
> > > > 話が出来ません。
> > >
> > > なんでノベルゲームなんでしょうかね?
> > > てつたろさんが、他のゲームを遊ばないから?
> > > ストーリー重視だから?
> > > ストーリー重視というなら、FFも非常にストーリー重視です。
> > > またファイアーエムブレムもシナリオSLGと言うだけあって、
> > > これまた非常にストーリー重視のゲームになってます。
> > > なんでノベルゲームだけ? また前から聞いてますが、AVG
> > > はどうなるんです?
> >
> > FFもFEも主人公の顔はあるので端から該当しませんし、
>
> は? 該当しない? 何に?
> 「ノベルゲーム」とやらに該当しないんですか?
前に書いてある文をカットして、そこが
なかったように扱うのは止めてくださいな。
> というか、なぜFFやFEが出てきたかと言いますと、てつたろさん
> 言う「ノベルゲーム」の範疇がこれでわかると思ったんですがね。
>
>
> > ノベル型ゲームに分類します。
>
> ノベル型ゲーム……。
「ノベル系ゲーム」^_^;;;
過去ログをみると実に様々な表現をしてしまった。
「恋愛系ゲーム」からスタートして、「ノベル系の
恋愛ゲーム」と言い、「ノベル系ゲーム」、「ノベル
型ゲーム」、「ノベルゲーム」。
混同していますね。
言葉の定義は自分の中ではっきりしていませんでした。
「ノベル系ゲーム」の定義をしたのでこれで行こうと
思った矢先、早速混同してしまいました。
制作者が「AVG」と銘打つから「AVG」というなら、
制作者が「ガンダム」といえば「ガンダム」でしょう。
「こんなのガンダムじゃない」は
「こんなのAVGじゃない」と同義。
横軸上の「ガンダム」という範囲
縦塾上の「AVG」という範囲
線にも太さはあり、どこまでの幅で同じ分類に
区切るかの問題。
「ノベルゲーム」に対する意識のずれは
縦座標のずれ。
それが縦横の軸の意味です。
#と書いても、今までの経緯から鑑みて、
#この説明で理解して貰える可能性は低いだろうなぁ。
…
#やっと主題に入れる…^_^;
> > > で、前段のようにそこまで条件をつけるなら、その「他者型」
> > > のノベルゲームとやら単体で、顔が必要かどうか主張する方
> > > が早いでしょうね。
「必要かどうか」も主観なんですがねぇ。
アレルギーのように、今まで積もり積もって発症
した、ということもありますし。
アレルゲンのいくつかは特定出来ますが、それ
単体だけならきっとこんな投稿はしなかった。
紅茶にミルクが必要かどうかの主張と一緒。
世の中にレモンティーが主流でどの店へ行っても
レモンティーを出されるうち、「ミルクティー
が好きなんでもっとミルクティーが増えて欲しい」
という欲求が高まってきた。
ミルクティーが好きな理由は説明できても、嫌いな
人にまで強要はできないし、しない。
今まで飲んだことがない人に、「美味しそうだ」
と思って貰いミルクティー党が増えれば、ミルク
ティーを出す店も増えるだろうという目論見。
(「目論見」って言うと大袈裟か。とりあえずは
「どの程度ミルクティー党がいるかな」、程度)
#という例え話は誤解を呼ぶのかな。
#例え話じゃなくても誤解されてるから一緒か…
> > Kanan、One、痕、雫、Air、To Heart、他
> > (今までにプレイした、主人公の顔がないが
> > その他は顔ありのノベルゲーム。順不同)
>
> このラインナップを見てて気付きましたが、マニュアルに主人公
> のキャラクターが設定されてれば、解決するんですかね?
Airのことを仰っているのですね。
CyberKnight Bladeさんのご指摘でAirの紹介ページ
で確認してきました。
現実、「マニュアルに主人公のキャラクターが設定」
されているゲームなら、ゲーム中に主人公のキャラクター
は出てきますね。
マニュアルだけのキャラクターなどそれこそ不自然だ。
でも、往人の顔ってどのシーンででたのか、憶えが
ないんです。
#柳也の顔はどうだっけ?
少なくとも、基本は主人公視点でしたね。
> 今までの議論で理解すると、別にゲーム中でなくても顔さえわか
> れば、いい気がしますし。
ストーリーの登場人物として、ヒロインと同じ扱いを
して欲しい。
…最初の頃の主張です。
#誤解というより、忘れているだけですか?
#なんだか随分昔の話のような気がします… ('o')
> または顔が髪で隠れていたら、それを主人公の個性と考えるとか。
> たぶんすごくシャイなんですよ。(^^;)
いくつかのゲームで同じ事(長髪で顔隠し)をやられたら、
「へのへのもへじ」と変わりませんよ。 ^_^;
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:c00e4f$9eh$1...@news1.point.ne.jp...
>> 定義の開発に労力を割くのはやめましょうよ。(^^;)
>
>とも仰られているので、主観的な定義についてこれ以上の
>言及は止めます。 m(_ _)m
そうしていただけると大変助かりますが、さあ果たしてそうなりますか。(^^;)
> > > 飯塚さんがカットされた部分も、飯塚さんにとって異論がない
> > > 話と考えてよろしいのでしょうか?
> >
> > 「ノベルゲーム」の定義がはっきりしてから、答えます。
>
> 客観的な「ノベルゲーム」の定義なら、飯塚さんにお任せします。
それなら簡単ですけど。
「痕」を筆頭に、文字が画面全面に表示されるものが「ノベルゲーム」です。
その定義で話していいのなら、すぐにでも。(^^)
> (私の考える定義は既述してます)
そのてつたろさんの定義では、そうでないモノとの境がさっぱりわからない。
>> > > AVGはウインドーが出て、そこにセリフを中心に文字が出ますね。
>> > > 対してノベルゲームは、グラフィックの上もお構いなく全面に文字が表示
>> > >される。
>> > > ストーリーを読むと言うことに特化したシステムを採用しているものを、
呼
>> > >びます。
>> >
>> > 「台詞中心」か「ストーリー中心」かは私の考える「ノベルゲーム」
>> > の定義と一致します。確かに「全面表示」で「台詞中心」のゲー
>> > ムには心当たりがありません。
>>
>> 書き足りなかったな、と思ってたらやっぱり勘違いしましたね。
>> ノベルゲームはストーリー中心じゃありません。「地の文中心」
>>です。
>> ゲームとしてストーリーの重要性が高いという意味では、AVGと
>>ノベルゲームは一緒です。
>
>別に「勘違い」と言われるほど隔たったことを書いた
>積もりはありませんでしたけど。
ホントですかね?(^^;)
> 「ストーリーを読むと言うことに特化した」では長いので
> 「ストーリー中心」と書いただけですから。
「特化したシステム」です。内容じゃなくて、システムで違うと最初に記
述したはずなのですが。
画面全体に文字が表示されるシステムを採用しているものを、「ノベル
ゲーム」と言うんです。「ストーリー中心」と書いたら、ストーリーの重
要度が同じAVGとノベルゲームの一緒くたに「ノベルゲーム」と呼ぶことに
なるでしょうが。
>> 言っておきますが、AVGとノベルゲームの定義は、私が言い
>> 出したんじゃなくて、メーカーがそういう風に売り出して、問屋の
>> 発注呼称、雑誌表記、ユーザーなどに定着したんですよ?
>> それを自分の都合に合うように、いきなりここで勝手に変えら
>> れても、議論以前に会話が成立しませんよ。
>
>相対客観の定義で話していた積もりでしたが、どうも違っていたようで。
違いますねぇ。
>> > 飯塚さんの仰る定義に従うと、私が対象とするゲームは
>> > 「ノベルゲーム」という括りでは語れなくなるので「ストーリー
>> > 中心」のAVGも含めて「ノベル系ゲーム」と定義して語ら
>> > せて頂きます。
>>
>> 世間一般の定義と違うということは、それだけで多数派に
>> 成りえない主張であると、はっきりしましたね。(^^;)
>
>それに、多数派であることが飯塚さんにとって重要なんですか。
>(そういえば、そういう論理の展開が多いような…)
御自分の意見が、多数派かどうかを知りたいとおっしゃってません
でした?
だからできるだけ、そういうふうに言及しているんですが。
>> だいたい「ストーリー中心でないAVG」って、ぱっと思いつか
>> ないんですけど、実際のソフトでどんなものが該当するんです
>> か?
>
>「ストーリーを読むと言うことに特化」していることを「ストー
>リー中心」と書いた積もりなんですがね。 -_-
>「私が誤解している」と飯塚さんが誤解していると思いますが。
「システム」という記述が抜けてる段階で、勘違いが起きてるのは
確実と考えています。
> ふむ、いみじくも「ストーリーを読む」という言葉が出ましたの
> で、その対比であるなら「主人公に投影できるので顔が要らない
> AVG」は「ストーリーを自分で作っていく感覚のAVG」といえるか
> もしれません。
で、まぁ話を前に進めますが、「ストーリーを自分で作っていく
感覚のAVG」というのは、物凄く少ないですね。
AVGとノベルゲームの顔がいらない理由の大きなものに、「ストー
リーが1人称である」というのがあります。
AVGで3人称のゲームというのは、圧倒的に少ない。ノベルゲーム
に至っては、皆無です。視点をザッピングさせて複数の主人公をプ
レイヤーが演じる「街」などがあるくらいで、それも1人称の集合
体です。
だから、そもそも画面に主人公が出てくる必要が最初からない。
見えてる画面が主人公の見えている世界です。
ノベルゲームではそれを利用して、セリフ以外の心象表現とか、
主人公が感じた情景描写などに力を入れています。
「痕」なんかは、これをうまく利用して「実は自分が連続殺人の犯
人ではないのか?」という葛藤がサスペンスを盛り上げています。
要するに顔が画面に出る必要はない上に、出るとおかしいという
ことになります。
>> > 私がノベル系ゲームの何に重点をおくか、つまり
>> > 私の論述に於ける視点を説明しています。
>>
>> 「ノベル系ゲーム」って何です?
>> どうやってその他のゲームと判別するんでしょう?
>
>定義はしてますが、お読み頂いていないのでしょうか。
>(定義することに意味がないと仰るなら、質問そのものが
>無意味でしょう)
そもそも判別方法が、個人の感性に寄るところが問題なんです。
何度定義とされている記述を読んでも、それ以外のジャンルとの
境が解らない。実際のゲームとどう当てはまるのかもわからない。
わからないことだらけです。(^^;)
>> > ここで言いたかった「ゲーム」とは「ゲーム全般」ではなく「ゲ
>> > ーム」を「ゲーム」たらしめているシステム性、「ゲームのもっ
>> > とも特徴的なこと」です。
>>
>> それでも最低評価にはならんでしょ。
>> AVGのゲーム性は、選択肢に発生します。
>> 要するにできるだけ選択肢がたくさん、そして種類があった
>> 方が、ゲーム性が高くなる。
>> で、件の「化粧桜」ですが、選択肢が多すぎるとか逆に少な
>> すぎるとかして、「ゲーム」としての評価も最低となったんですか?
>
>ゲーム全般が、ではなく、システム性が最低評価だと
>言っているのですが。
>#ほら、理解されていない、というか読まれていない。
読みましたけど、私の言うゲームとシステムの関係がてつたろさんの
それと同じかどうかわかりませんでしたので、共通理解を得るために説
明しているのです。他の全ての点も同様の主旨で記述しています。
>「化粧桜」のプレイにはストレスを感じます。
>問題は選択肢の数ではなく、移動のシステムにあります。レスポンスに
>関わる問題なので、体感されれば一発で判りますが。
なるほど。システムが悪かったのですね。
ようやく理解しました。
しかし指摘しておきますが、システムは「ゲームのもっとも特徴的なこ
と」ではありません。システムは、インターフェースです。
使いやすいか使いにくいか、で語られる範疇の話で技術的、つまりプロ
グラムの善し悪しの問題です。
斬新なシステムは評価の対象になりますが、ぶっちゃけた話、早くて安
定したシステムなら他のソフトから買ってきても何にも問題にならない
レベルの話ですよ。
>> > > > 「隔たっていない」と「廃れない」の因果関係に
>> > > > 答を求めるのは意味がないです。
>> > > > 「隔たっている、ならば、廃れる」の対偶は
>> > > > 「廃れない、ならば、隔たっていない」ですよ。
>> > >
>> > > だって隔たってないのなら、ゲームファンは今でもゲームブッ
>> > > クをゲームと同じく購入を続けるんじゃないですか?
>> > > ゲームが1兆円市場を維持してるなら、隔たってないゲーム
>> > > ブックが廃れるはずがないでしょうに。
>> >
>> > だから、「その論理は正しくない」と言っています。
>> > 主人公の台詞(目的語と動詞)を入力するタイプのAVGは
>> > 廃れましたが、あれはゲームではなかったのですか?
>>
>> なんのこっちゃかわかりませんが、テープソフトでそんなのが
>> あったかもしれませんね。まだテレビゲームそのものが、確立
>> されてない頃の産物ですけど。
>
>PC-88系が全盛の頃のAVGを指しているんですがね。
>あの当時でもAVGはAVGとして確立していたと思いますが。
思い出しました。ありましたね。そう言えば。
あのころのゲームは、そうやってコマンドを探すのがゲームだった
んですよね。どっちかって言うと、パズルに近い。
ジーザス以降とそれ以前では、劇的にゲーム内容が違う。
>> 小説は小説ですね。小説がゲームブックとして、どんなにマネ
>> しようと隔たった存在には変わらない。実際マネようとしたゲー
>> ムブックも廃れてしまった。
>> ゲームブックが今でも隆盛を誇ってれば、なんらかの証明に
>> なると思いますが、廃れてしまったもので証明はできないでしょう。
>
>元々AVGはテーブルトークRPGのマネが起源だと思いますし、飯
>塚さんの仰る「ノベルゲーム」も「ノベル」と銘打つ段階で小
>説が起源ですね。
>
>ゲームブックはAVGが起源ではなく、むしろテーブルトークRPG
>が起源だと思います。
AVGはTRPGとは関係ないでしょう。
というか、インベーダーの頃から、TRPGとは違う独自の発展を
テレビゲームはしてきてますよ。テレビゲームは後発だけに懐が
深いので、様々なものを取り込んできてますけど。
ノベルゲームの起源は、これははっきりAVGです。
ゲームブックの起源がTRPGというのは、確かにその通りですね。
ということは、私が間違っていて、TRPGとの関連性がテレビゲ
ームにほとんどない以上、ゲームブックとテレビゲームの関連性
もほとんどないということですね。最初から。なんだ。(^^;)
> これだけ申し上げても、盛衰と類似性を相関付けるのが無意味
> とおわかり頂けないのでしょうか?
発生の段階からゲームと関係なく、かつ廃れてしまった以上、
ますますゲームと小説が隔たってないと証明するのは不可能に
なったと言えるでしょう。
> #本件もこれ以上の説明は出来そうにありません。
> #ご理解頂けなければ残念ながらGiveUpします。
了解しました。
> > > > > それに、「ノベルゲームと他のメディアの比較」なので、
> > > > > 少なくともここではノベルゲームに限って貰えないと
> > > > > 話が出来ません。
> > > >
> > > > なんでノベルゲームなんでしょうかね?
> > > > ストーリー重視というなら、FFも非常にストーリー重視です。
> > > > またファイアーエムブレムもシナリオSLGと言うだけあって、
> > > > これまた非常にストーリー重視のゲームになってます。
> > > > なんでノベルゲームだけ? また前から聞いてますが、AVG
> > > > はどうなるんです?
> > >
> > > FFもFEも主人公の顔はあるので端から該当しませんし、
> >
> > は? 該当しない? 何に?
> > 「ノベルゲーム」とやらに該当しないんですか?
>
> 前に書いてある文をカットして、そこが
> なかったように扱うのは止めてくださいな。
以下のことが、理解したいんですけど。
「というか、なぜFFやFEが出てきたかと言いますと、てつたろさん
言う「ノベルゲーム」の範疇がこれでわかると思ったんですがね」
> > 例えば「君望」という縦線の根本要素は「君望」であるという
> > ことそのものでしょうか。
> > 「世界観」と言ってもいいかも知れません。
>
> 世界観って、同じ世界観で違うキャラクターのものだって
> たくさんあるでしょうが。
> そういう場合どうなるんです? 縦線にならないんですか?
この点の疑問は、縦線を理解する重要な点だと思うのですが。
>> > でもそれは、AVGの「君望」のストーリーを表現
>> > できるものではないでしょうから、アニメの「君望」
>> > より縦座標では「隔たっている」ということを
>> > 主張しているんです。
>>
>> 事例として上がってる「君望」なんですけど、「君望」に
>> しか当てはまらない、排他条件のような気がしてしょうが
>> ないんですけど。世界観が一緒かどうかなんて、個々の
>> ソフト個別に判断するしかないですよ。
>>
>> 「君望」も同じです。ゲームだけ遊んだ人。アニメだけ見て
>> る人。小説しか知らない人。どれか2つ知ってる人。全部
>> 持ってる人。
>> それぞれ世界観が違う。不思議な話ですが、時が経てば
>> 経つほどその差は大きくなる。
>> 世界観が縦線の根本要素なんて、それは「個々の感性に
>> よって違います」と言ってると同じです。
>
>制作者が「AVG」と銘打つから「AVG」というなら、
>制作者が「ガンダム」といえば「ガンダム」でしょう。
まず「世界観」では、根本要素にならないという指摘は理解されました?
次にここで新たに、「制作者が言った」という新たな縦線の根本要素が示
されていますが、これでは制作者が同じタイトルをつけただけで、世界観す
らも関係なく同じものと縦線になることになるんですが、そうなのですか?
> #と書いても、今までの経緯から鑑みて、
> #この説明で理解して貰える可能性は低いだろうなぁ。
何が縦線の根本要素なのか、さっぱりわかりません。
ついでに言うと、前回あれだけ自分で記述した「軸」と「線」の違い
がまたどっかに言ってしまったし。(^^;)
> > > Kanan、One、痕、雫、Air、To Heart、他
> > > (今までにプレイした、主人公の顔がないが
> > > その他は顔ありのノベルゲーム。順不同)
> >
> > このラインナップを見てて気付きましたが、マニュアルに主人公
> > のキャラクターが設定されてれば、解決するんですかね?
>
> 現実、「マニュアルに主人公のキャラクターが設定」
> されているゲームなら、ゲーム中に主人公のキャラクター
> は出てきますね。
> マニュアルだけのキャラクターなどそれこそ不自然だ。
なんで?
ノベルゲームの全てが、画面=主人公の視点です。
ということは、主人公が画面に出てくるはずもないわけで、マニュアル
だけになるのは必然ですよね。
他にも画面=主人公の視点のゲームは山のようにあるわけで、不自然と
考える方がおかしいことになると思いますが。
>> 今までの議論で理解すると、別にゲーム中でなくても顔さえわか
>> れば、いい気がしますし。
>
>ストーリーの登場人物として、ヒロインと同じ扱いをして欲しい。
主人公は特別なモノなんですよ。
他のどんなキャラとも一緒にはならないです。
>> または顔が髪で隠れていたら、それを主人公の個性と考えるとか。
>> たぶんすごくシャイなんですよ。(^^;)
>
>いくつかのゲームで同じ事(長髪で顔隠し)をやられたら、
>「へのへのもへじ」と変わりませんよ。 ^_^;
顔を想像する楽しみがあっていいじゃないですか。(^^)
--
東京都 飯塚顕充
いつもお付き合いいただきまして感謝です。
"iizuka" <iiz...@comp.metro-u.ac> wrote in message
news:c070bj$h90$1...@swallow.comp.metro-u.ac.jp...
> >> 定義の開発に労力を割くのはやめましょうよ。(^^;)
> >
> >とも仰られているので、主観的な定義についてこれ以上の
> >言及は止めます。 m(_ _)m
>
> そうしていただけると大変助かりますが、さあ果たしてそうなりますか。(^^;)
>
>
> > > > 飯塚さんがカットされた部分も、飯塚さんにとって異論がない
> > > > 話と考えてよろしいのでしょうか?
> > >
> > > 「ノベルゲーム」の定義がはっきりしてから、答えます。
> >
> > 客観的な「ノベルゲーム」の定義なら、飯塚さんにお任せします。
>
> それなら簡単ですけど。
> 「痕」を筆頭に、文字が画面全面に表示されるものが「ノベルゲーム」です。
> その定義で話していいのなら、すぐにでも。(^^)
了解です。
今後、「ノベルゲーム」とは「文字が画面全面に表示されるもの」
という前提でお話しします。
> > (私の考える定義は既述してます)
>
> そのてつたろさんの定義では、そうでないモノとの境がさっぱりわからない。
もともと主観前提でお話ししてましたから。^_^;
まあ止めると言った以上、私のノベルゲームの定義に
絡む話はカットします。
#ついでにご理解いただくことを断念したマトリックス
#絡みの話もカット
#(結構スッキリ)
> 「特化したシステム」です。内容じゃなくて、システムで違うと最初に記
> 述したはずなのですが。
> 画面全体に文字が表示されるシステムを採用しているものを、「ノベル
> ゲーム」と言うんです。「ストーリー中心」と書いたら、ストーリーの重
> 要度が同じAVGとノベルゲームの一緒くたに「ノベルゲーム」と呼ぶことに
> なるでしょうが。
実はそこが判らなかったところでした。
・AVG
ウインドーがでる(絶対客観)
セリフを中心に文字が出る(相対客観)
・ノベルゲーム
全面に文字を表示(絶対客観)
ストーリーを読むと言うことに特化した(相対客観)
という対比だと思っていたのですが、
「全面に文字を表示」
=「ストーリーを読むと言うことに特化したシステム」
だったのですね。
「ウインドーがでて」「地の文中心」のゲームは
どうなるのか、
また、もし「全面に文字を表示」で「台詞中心」
のゲームがあったらどうなるのかと思いましたが、
「ウインドー」か「全面」かだけがポイントなら
判ります。
#であれば、台詞中心かどうかは重要ではありませんね。
> >> 世間一般の定義と違うということは、それだけで多数派に
> >> 成りえない主張であると、はっきりしましたね。(^^;)
> >
> >それに、多数派であることが飯塚さんにとって重要なんですか。
> >(そういえば、そういう論理の展開が多いような…)
>
> 御自分の意見が、多数派かどうかを知りたいとおっしゃってません
> でした?
> だからできるだけ、そういうふうに言及しているんですが。
前に投稿した文章の「紅茶」の例をご参照ください。
> > ふむ、いみじくも「ストーリーを読む」という言葉が出ましたの
> > で、その対比であるなら「主人公に投影できるので顔が要らない
> > AVG」は「ストーリーを自分で作っていく感覚のAVG」といえるか
> > もしれません。
>
> で、まぁ話を前に進めますが、「ストーリーを自分で作っていく
> 感覚のAVG」というのは、物凄く少ないですね。
昔のAVGは、状況を目の前に突きつけて「さあどうする」
と言ってくる。それに対する応答を入力することで話が
進み新たな状況になる。そしてその状況に対する応答が
要求される、の繰り返しでした。
最近ではそのようなタイプのゲームは壊滅的に少なく、
代わりに何も選択せずとも主人公達がどんどん話を進める
ゲームが増えています。
> AVGとノベルゲームの顔がいらない理由の大きなものに、「ストー
> リーが1人称である」というのがあります。
> AVGで3人称のゲームというのは、圧倒的に少ない。ノベルゲーム
> に至っては、皆無です。視点をザッピングさせて複数の主人公をプ
> レイヤーが演じる「街」などがあるくらいで、それも1人称の集合
> 体です。
> だから、そもそも画面に主人公が出てくる必要が最初からない。
> 見えてる画面が主人公の見えている世界です。
> ノベルゲームではそれを利用して、セリフ以外の心象表現とか、
> 主人公が感じた情景描写などに力を入れています。
> 「痕」なんかは、これをうまく利用して「実は自分が連続殺人の犯
> 人ではないのか?」という葛藤がサスペンスを盛り上げています。
> 要するに顔が画面に出る必要はない上に、出るとおかしいという
> ことになります。
「Better Sweet Fools」はおかしいですか? ;_;
#PS2版を買って最近始めたばかりです
> >> > ここで言いたかった「ゲーム」とは「ゲーム全般」ではなく「ゲ
> >> > ーム」を「ゲーム」たらしめているシステム性、「ゲームのもっ
> >> > とも特徴的なこと」です。
> >>
> >> それでも最低評価にはならんでしょ。
> >> AVGのゲーム性は、選択肢に発生します。
> >> 要するにできるだけ選択肢がたくさん、そして種類があった
> >> 方が、ゲーム性が高くなる。
> >> で、件の「化粧桜」ですが、選択肢が多すぎるとか逆に少な
> >> すぎるとかして、「ゲーム」としての評価も最低となったんですか?
> >
> >ゲーム全般が、ではなく、システム性が最低評価だと
> >言っているのですが。
> >#ほら、理解されていない、というか読まれていない。
>
> 読みましたけど、私の言うゲームとシステムの関係がてつたろさんの
> それと同じかどうかわかりませんでしたので、共通理解を得るために説
> 明しているのです。他の全ての点も同様の主旨で記述しています。
「読んだけど理解頂けなかった」と。
私は無力だ… T-T
> >「化粧桜」のプレイにはストレスを感じます。
> >問題は選択肢の数ではなく、移動のシステムにあります。レスポンスに
> >関わる問題なので、体感されれば一発で判りますが。
>
> なるほど。システムが悪かったのですね。
> ようやく理解しました。
> しかし指摘しておきますが、システムは「ゲームのもっとも特徴的なこ
> と」ではありません。システムは、インターフェースです。
「ゲームのもっとも特徴的なことは、インタラクティブ、
プレイヤーの操作に対する応答」と仰ってたのですが、
これも解釈が違いますか?
まあ、その点はどちらでもいいです。
要するに「化粧桜」のシステムは最低レベルの物で
多くのプレイヤーはゲームのコンプリートを断念
するほどだったが、ことストーリーに関しては私の
評価は高いので、「個性ある主人公」の例で「化粧桜」
をあげたということ。
> 使いやすいか使いにくいか、で語られる範疇の話で技術的、つまりプロ
> グラムの善し悪しの問題です。
> 斬新なシステムは評価の対象になりますが、ぶっちゃけた話、早くて安
> 定したシステムなら他のソフトから買ってきても何にも問題にならない
> レベルの話ですよ。
済みませんがここの文章の意味と主張が
判りませんでした。
> > > このラインナップを見てて気付きましたが、マニュアルに主人公
> > > のキャラクターが設定されてれば、解決するんですかね?
> >
> > 現実、「マニュアルに主人公のキャラクターが設定」
> > されているゲームなら、ゲーム中に主人公のキャラクター
> > は出てきますね。
> > マニュアルだけのキャラクターなどそれこそ不自然だ。
>
> なんで?
> ノベルゲームの全てが、画面=主人公の視点です。
> ということは、主人公が画面に出てくるはずもないわけで、マニュアル
> だけになるのは必然ですよね。
Airは出てくるようですが?
(私の記憶には無いのですが)
> 他にも画面=主人公の視点のゲームは山のようにあるわけで、不自然と
> 考える方がおかしいことになると思いますが。
「画面=主人公の視点」の目的が主人公のキャラクター
を曖昧にすることで自己投影させることが目的なら
マニュアルにもキャラクターを載せないことが自然
ですね。
「画面=主人公の視点」は主人公が一方向だけ向いて
いるなら良いんですが、転んだり、寝ころんだり、
ヒロインを抱きしめたりするシーンを描くには不向き
ですね。
#18禁のHシーンも「主人公の視点」なら顔しか見えない
#はずだし(正常位なら) ^_^;;
> >> 今までの議論で理解すると、別にゲーム中でなくても顔さえわか
> >> れば、いい気がしますし。
> >
> >ストーリーの登場人物として、ヒロインと同じ扱いをして欲しい。
>
> 主人公は特別なモノなんですよ。
> 他のどんなキャラとも一緒にはならないです。
特別ということが他より低い扱いを指す
訳ではないですよね。
(件名の通り、「改善」して欲しいと
感じているもので)
> >> または顔が髪で隠れていたら、それを主人公の個性と考えるとか。
> >> たぶんすごくシャイなんですよ。(^^;)
> >
> >いくつかのゲームで同じ事(長髪で顔隠し)をやられたら、
> >「へのへのもへじ」と変わりませんよ。 ^_^;
>
> 顔を想像する楽しみがあっていいじゃないですか。(^^)
小説的な楽しみですね。
チュンソフトのノベルゲームはヒロインを含めて
顔がないですが、それはそれで違和感なし。
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:c0aqeb$r69$1...@news1.point.ne.jp...
> > > > > 飯塚さんがカットされた部分も、飯塚さんにとって異論がない
> > > > > 話と考えてよろしいのでしょうか?
> > > >
> > > > 「ノベルゲーム」の定義がはっきりしてから、答えます。
> > >
> > > 客観的な「ノベルゲーム」の定義なら、飯塚さんにお任せします。
> >
> > それなら簡単ですけど。
> > 「痕」を筆頭に、文字が画面全面に表示されるものが「ノベルゲーム」です。
> > その定義で話していいのなら、すぐにでも。(^^)
>
> 了解です。
> 今後、「ノベルゲーム」とは「文字が画面全面に表示されるもの」
> という前提でお話しします。
あ、そうですか。
> > > (私の考える定義は既述してます)
> >
> > そのてつたろさんの定義では、そうでないモノとの境がさっぱりわからない。
>
> もともと主観前提でお話ししてましたから。^_^;
それじゃあ互いに理解できる議論にならんでしょうな。
> > 「特化したシステム」です。内容じゃなくて、システムで違うと最初に記
> > 述したはずなのですが。
> > 画面全体に文字が表示されるシステムを採用しているものを、「ノベル
> > ゲーム」と言うんです。「ストーリー中心」と書いたら、ストーリーの重
> > 要度が同じAVGとノベルゲームの一緒くたに「ノベルゲーム」と呼ぶことに
> > なるでしょうが。
>
> 実はそこが判らなかったところでした。
> ・AVG
> ウインドーがでる(絶対客観)
> セリフを中心に文字が出る(相対客観)
> ・ノベルゲーム
> 全面に文字を表示(絶対客観)
> ストーリーを読むと言うことに特化した(相対客観)
>
> という対比だと思っていたのですが、
> 「全面に文字を表示」=「ストーリーを読むと言うことに特化したシステム」
> だったのですね。
その通りです。
> 「ウインドーがでて」「地の文中心」のゲームはどうなるのか、
プレイヤーが参加できなくなるから、そういうゲームは皆無です。
> また、もし「全面に文字を表示」で「台詞中心」
> のゲームがあったらどうなるのかと思いましたが、
セリフ中心にするなら、ノベルタイプをシステムに採用する必要はないです
ね。最初からアプローチを間違ったゲームは、消える運命ですな。
> 「ウインドー」か「全面」かだけがポイントなら判ります。
> #であれば、台詞中心かどうかは重要ではありませんね。
副次的ですが、特徴の1つです。
特に心象表現が細かくできる。キャラクターの気持ちを表現したい場合に
威力を発揮します。
逆に「弟切草」のようなタイプは珍しい。ホラーも推理モノも、特段ノベ
ルタイプである必要はないからです。
実際「ファミコン探偵クラブ」の方がよっぽど恐いし、探偵モノとしても
魅力が出てます。
まぁ、「弟切草」は実験的な意味合いが大きいですから、存在事態に意
味があるんでしょう。
> > > ふむ、いみじくも「ストーリーを読む」という言葉が出ましたの
> > > で、その対比であるなら「主人公に投影できるので顔が要らない
> > > AVG」は「ストーリーを自分で作っていく感覚のAVG」といえるか
> > > もしれません。
> >
> > で、まぁ話を前に進めますが、「ストーリーを自分で作っていく
> > 感覚のAVG」というのは、物凄く少ないですね。
>
> 昔のAVGは、状況を目の前に突きつけて「さあどうする」と言ってくる。
> それに対する応答を入力することで話が進み新たな状況になる。そし
> てその状況に対する応答が要求される、の繰り返しでした。
> 最近ではそのようなタイプのゲームは壊滅的に少なく、代わりに何も
> 選択せずとも主人公達がどんどん話を進めるゲームが増えています。
昔かどうかでなく、ストーリーのタイプによって違うんだと思います
ね。探偵もののストーリーは、今でも「さてどうするか?」というコメ
ントそのものと、選択肢が表示されますから。
> > 要するに顔が画面に出る必要はない上に、出るとおかしいという
> > ことになります。
>
> 「Better Sweet Fools」はおかしいですか? ;_;
> #PS2版を買って最近始めたばかりです
おかしいというか、異端の部類ですな。
最初から、プレイヤー=観客というコンセプトですから。
> > >> > ここで言いたかった「ゲーム」とは「ゲーム全般」ではなく「ゲ
> > >> > ーム」を「ゲーム」たらしめているシステム性、「ゲームのもっ
> > >> > とも特徴的なこと」です。
> > >>
> > >> それでも最低評価にはならんでしょ。
> > >> AVGのゲーム性は、選択肢に発生します。
> > >> 要するにできるだけ選択肢がたくさん、そして種類があった
> > >> 方が、ゲーム性が高くなる。
> > >> で、件の「化粧桜」ですが、選択肢が多すぎるとか逆に少な
> > >> すぎるとかして、「ゲーム」としての評価も最低となったんですか?
> > >
> > >ゲーム全般が、ではなく、システム性が最低評価だと
> > >言っているのですが。
> > >#ほら、理解されていない、というか読まれていない。
> >
> > 読みましたけど、私の言うゲームとシステムの関係がてつたろさんの
> > それと同じかどうかわかりませんでしたので、共通理解を得るために説
> > 明しているのです。他の全ての点も同様の主旨で記述しています。
>
> 「読んだけど理解頂けなかった」と。
> 私は無力だ… T-T
前進はしてますから大丈夫。(^^)
> > >「化粧桜」のプレイにはストレスを感じます。
> > >問題は選択肢の数ではなく、移動のシステムにあります。レスポンスに
> > >関わる問題なので、体感されれば一発で判りますが。
> >
> > なるほど。システムが悪かったのですね。
> > ようやく理解しました。
> > しかし指摘しておきますが、システムは「ゲームのもっとも特徴的なこ
> > と」ではありません。システムは、インターフェースです。
> > 使いやすいか使いにくいか、で語られる範疇の話で技術的、つまりプロ
> > グラムの善し悪しの問題です。
> > 斬新なシステムは評価の対象になりますが、ぶっちゃけた話、早くて安
> > 定したシステムなら他のソフトから買ってきても何にも問題にならない
> > レベルの話ですよ。
>
> 要するに「化粧桜」のシステムは最低レベルの物で多くのプレイヤー
> はゲームのコンプリートを断念するほどだったが、ことストーリーに
> 関しては私の評価は高いので、「個性ある主人公」の例で「化粧桜」
> をあげたということ。
ですから、移動が面倒臭かったらマップを表示して、クリップ1発で場所
を移動できれば良いとかそういうレベルの話でしょう?
それはインターフェースの問題です。
前にも書いた通り、AVGでの「ゲームのもっとも特徴的なこと」は、ストー
リーの分岐を作って、如何に遊べるようにするかです。
システムの善し悪しではありません。
> > > > このラインナップを見てて気付きましたが、マニュアルに主人公
> > > > のキャラクターが設定されてれば、解決するんですかね?
> > >
> > > 現実、「マニュアルに主人公のキャラクターが設定」
> > > されているゲームなら、ゲーム中に主人公のキャラクター
> > > は出てきますね。
> > > マニュアルだけのキャラクターなどそれこそ不自然だ。
> >
> > なんで?
> > ノベルゲームの全てが、画面=主人公の視点です。
> > ということは、主人公が画面に出てくるはずもないわけで、マニュアル
> > だけになるのは必然ですよね。
>
> Airは出てくるようですが?
> (私の記憶には無いのですが)
ああ、失念していました。
女装を見せたいとか、そういう特種事情ではあるかもしれませんね。
> > 他にも画面=主人公の視点のゲームは山のようにあるわけで、不自然と
> > 考える方がおかしいことになると思いますが。
>
> 「画面=主人公の視点」の目的が主人公のキャラクターを曖昧に
> することで自己投影させることが目的ならマニュアルにもキャラ
> クターを載せないことが自然ですね。
そうとも限らないでしょう。
画面=主人公なら、特に説明の必要もなく、心象表現は主人公のもの
とすることができますから。
> 「画面=主人公の視点」は主人公が一方向だけ向いているなら良いん
> ですが、転んだり、寝ころんだり、ヒロインを抱きしめたりするシー
> ンを描くには不向きですね。
> #18禁のHシーンも「主人公の視点」なら顔しか見えない
> #はずだし(正常位なら) ^_^;;
それは屁理屈です。
> > >> 今までの議論で理解すると、別にゲーム中でなくても顔さえわか
> > >> れば、いい気がしますし。
> > >
> > >ストーリーの登場人物として、ヒロインと同じ扱いをして欲しい。
> >
> > 主人公は特別なモノなんですよ。
> > 他のどんなキャラとも一緒にはならないです。
>
> 特別ということが他より低い扱いを指す訳ではないですよね。
> (件名の通り、「改善」して欲しいと感じているもので)
低いわけじゃないでしょう。
むしろ高いんじゃないですか。
どんなゲームでも、基本的に主人公を中心に世界が構築されてる
わけですから。
--
東京都 飯塚顕充
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:bvdteb$o02$1...@news1.point.ne.jp...
> > ゲームの本質を考えると、投影型が多数を占める状況は
> > 変わらないでしょう。
> > で、てつたろうさんが切り替えることが出来るなら、ノベル
> > ゲームであろうとAVGであろうと、投影型のゲームなら投影
> > 型に。他者型なら他者型に切り替えて遊べば、いいのでは
> > ないでしょうか?
>
> ここで、飯塚さんの仰る「切替」とは何でしょうか。
以下に記述があります。
> ゲームの歴史とその性質上、投影型の方が多いでしょうね。
> 特にいろいろなジャンルのゲームをやる人間ほど、この傾
> 向は強いと思います。
> ただ一番多いのは、必要に応じて切り替える人で、どっち
> かでなきゃ全くダメという人はかなり少ないでしょう。
投影型と他者型を必要に応じて切り替えることですね。
> > > ノベルゲームだと、「よせ、やめろ、そんなことはするんじゃ
> > >ない」ということを勝手にやってくれたりします。それにプレイ
> > > ヤーは干渉できない、というよりそのもどかしさを含めて楽
> > > しんでいるはずです。
> >
> > 「よせ、やめろ、そんなことはするんじゃない」
> > と思うようなゲーム自体、物凄く少ないと思うのですが。(^^;)
>
> (私が「よせ~」をゲーム一般を対象に書いたと誤解
> されてはいませんよね)
誤解じゃなく、書いてある通りに理解したんですが。(^^;)
> > さらにそういう操作できないストレスを楽しむというのも、ゲ
> > ームのプレイヤー中、多数を占めると思えません。
> > とても一般化できる事例ではないと思います。
>
> ノベルゲームのストーリーに求めるのは意外性だと
> 思いますが。
多数の人が求めるのは、意外性より感動でしょう。
ありがちな王道のストーリーでも、感動できるのなら
評価されるのが昨今の流れです。
まぁそれは極端としても、広義の「感動」が求められ
ているのは間違いないでしょう。
> > ノベルゲームでそういう事態が発生するとしたら、投影型を
> > 狙って作られたゲームでは、できるだけ主人公と同じく悩んだ
> > り、苦労したりという感情を理解して欲しいという目的でしょう。
>
> それって飯塚さんが「他者型」の特徴として挙げられた
> 「感情移入」でしょう。
> 「投影型」なら、プレイヤーの感情に主人公が合わせて
> くれなければ。
それは投影型を狭く考えすぎです。
ストーリーをプレイヤーに合わせると言ってるのと同じですよ。
それは。
> > 辛い状況にある主人公に、なんだそりゃと引かれたり、あはは
> > バカだコイツと笑われるのは、目的から離れるわけで、それを
> > より回避できる投影型を選ぶのは、1つの選択だと思います。
>
> 実際、それを回避出来るノベルゲームにはお目に掛かった
> 事がない。
ノベルゲームで、できるだけ心象表現を増やすのも、主人公
が何を考え、今どんな感情で行動しているかプレイヤーに伝え
るためですね。
1人称を使うのも同様の理由でしょうし、画面=主人公の視界
とするのも同じ理由です。
主人公の気持ちを理解するための、それら回避の仕掛けを
もってして、「お目に掛かったことはない」ということは、てつたろ
さんは今までノベルゲームの主人公の気持ちを、理解したこと
はないということですね。
そりゃ面白くないでしょうな。(^^;)
> > > > > メンコや、ビー玉、独楽、凧、等もゲームの「駒」ですね。
> > > > テレビゲーム、ビデオゲームと言われるものは、メンコやビー玉
> > > > を元祖に持つわけではありませんから、同じ意味合いになるとは
> > > > 限りません。
> > >
> > > おや、それでは飯塚さんがおっしゃる「駒」とはなんだろう?
> >
> > ですから、「自機=プレイヤー」とわかる「記号」ですよ。
>
> ゲームに自己を投影するための「形あるもの」なんですよね。
> それは、メンコでもビー玉でも同じと思いますが。
違いますね。
メンコやビー球は自己じゃなくて、武器でしょ。
相手をそのルールで倒すための武器。
メンコで遊んでいるときに、「俺は今メンコだ」と考える
奴がいたら怖いですよ、はっきり言って。(^^;)
> > > 主人公のキャラクターを希薄にしてプレイヤーとの一体化
> > > を図るのが「投影型」と思っていましたが、違いましたか?
> >
> > まずわかりやすい特徴が、顔ですからね。
> > 好みじゃない顔なら、投影するのに邪魔になるわけですし。
>
> では、上記の定義は「概ね」間違っていない、と。
> 次に、
> 「ノベルゲームにおける主人公のキャラクターは希薄か」
> という問題ですが、今まで述べてきたように、ノベルゲーム
> に関しては登場人物のキャラクターこそ命だと考えています。
> 「怒れ」「泣け」「笑え」と命令しなくても感情を表現する
> 主人公に対するプレイヤー(私)の接し方は、それこそ小説の
> 主人公に対する読者(私)の接し方に近いです。
主人公はゲームにおいてスーパーな存在ですから、どんな
容姿もありえるし、どんな性格もありえるんです。特に最初は。
遊ぶ人間がどんな人間かわからないんですから。
で、主人公は社会通念上に照らして、笑うし泣くし怒るんです。
特に最初は。
ストーリーが進むにつれ、段々個性が強くなってくるのがゲ
ームの主人公で、それは小説の主人公と違います。
> > > 主人公に女性を据えたノベルゲームでヒロインの顔が
> > > ないものってありましたっけ。
> >
> > それはターゲットにする層の問題が大きいと思いますね。
> > 女性向のゲームはしっかり男の顔を、これでもかと描くわけですから。
>
> その場合の男は「主人公」じゃないですよ。
だから女性を主人公に据えたゲームの話でしょ?
> > > つまり、実際の処「男の顔なんていらん」と考えている
> > > ソフトハウスが多いだけではないかと思うのですが。
> >
> > もちろんそう考えているソフトメーカーもあるでしょうが、基本的に
> > はゲームの歴史とその特徴からの判断でしょう。
>
> では、主人公(男)の顔が描かれない理由は「ターゲットに
> する層の問題」と「ゲームの歴史とその特徴からの判断」で
> どちらがより大きいとお考えでしょうか。
> ちなみに私はの意見は「前者」だと思います。
私は後者です。
> > > > 「面白い」「つまらない」は個人の趣向の問題です。
> > >
> > > 「私個人という1ユーザの趣向として、ノベルゲームの主人公
> > > の扱いに不満あり」
> > > という主張で書いてきました。
> >
> > だから「主人公の扱い」という「構造上の問題がある」というの
> > が主張でしょ?
> > 単に無個性の主人公が嫌いというなら、主人公に個性のある
> > ゲームだけやってなさいというだけの話です。
> > 構造上の問題というなら、それはゲームの歴史と特徴を理解す
> > れば、なぜそうなっているのか理解できる、と話しているわけです。
>
> 飯塚さんの話は「歴史の講義」だったのですか。
歴史と「特徴」です。
> 飯塚さんだって嗜好に合わないゲームはやりませんよね。
いや、やりますよ。
やってみないと、本当に嗜好に合わないかどうかわかりま
せんし。
> 完全な「投影型」とは、主人公の行動に影響を与えうる
> 外部要因に対する全ての意識的行動をコントロール出来る
> ものと考えます。(理論上だけの存在ですが)
ま、そうでしょうね。
> そこから、外因に対する主人公の行動が、主人公自身の
> 判断に委ねられる割合が多くなるほど「他者型」にシフト
> するのではないでしょうか。私の理解ですが。
> (完全な「他者型」は電子小説になってしまします)
ストーリーの奴隷になればなるほど、他者型になるのは
しょうがないでしょうね。
> 例えば、主人公の丸一日の行動に選択肢がない場合、
> それでも「投影型」足り得ますか。起きるのが辛い朝、
> 「寝て過ごす」「頑張って起きる」という選択肢が発生せ
> ず、「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」
> と言われたら?
投影型うんぬん以前に、ゲームとしてコンセプトに問題
がありますね。(^^;) ゲームとして無意味な展開はプレイ
ヤーのストレスになりますから、ストレスをかける何らかの
意味がない限り、ゲームとしてやっちゃダメでしょう。
> これは決してノベルゲームとして特殊な例ではありません。
> ノベルゲームの経験がおありならわかりますよね。
いやぁ、特殊な例だと思いますね。
> 逆に上記に当てはまらない、個性のない「投影型」主人公
> のノベルゲームの代表例があれば教えて頂けますか。
痕もTo-Heartもしっかり投影型の主人公ですよ。
--
東京都 飯塚顕充
"iizuka" <iiz...@comp.metro-u.ac> wrote in message
news:c0euqm$fng$1...@swallow.comp.metro-u.ac.jp...
> > > > (私の考える定義は既述してます)
> > >
> > > そのてつたろさんの定義では、そうでないモノとの境がさっぱりわからな
い。
> >
> > もともと主観前提でお話ししてましたから。^_^;
>
> それじゃあ互いに理解できる議論にならんでしょうな。
もともとが、「好き嫌い」レベルの話でしたので。
共感できるか否か。
共感できなくてもそれはそれで止むなしと。
#紅茶の好みは人それぞれ
> > 「ウインドーがでて」「地の文中心」のゲームはどうなるのか、
>
> プレイヤーが参加できなくなるから、そういうゲームは皆無です。
「地の文中心」かどうかは兎も角、「プレイヤーの参加」
でいえばAVGでも選択肢が永いこと現れないものが近年多い
とは思います。
> > また、もし「全面に文字を表示」で「台詞中心」
> > のゲームがあったらどうなるのかと思いましたが、
>
> セリフ中心にするなら、ノベルタイプをシステムに採用する必要はないです
> ね。最初からアプローチを間違ったゲームは、消える運命ですな。
一人称ではモノローグも主人公の台詞と考えれば、
十分「台詞中心」も多いような。
それとも飯塚さんは文字通りの「台詞」全般ではなく、
選択を伴う「台詞」のみを指しているのでしょうか。
> > 「ウインドー」か「全面」かだけがポイントなら判ります。
> > #であれば、台詞中心かどうかは重要ではありませんね。
>
> 副次的ですが、特徴の1つです。
> 特に心象表現が細かくできる。キャラクターの気持ちを表現したい場合に
> 威力を発揮します。
> 逆に「弟切草」のようなタイプは珍しい。ホラーも推理モノも、特段ノベ
> ルタイプである必要はないからです。
> 実際「ファミコン探偵クラブ」の方がよっぽど恐いし、探偵モノとしても
> 魅力が出てます。
> まぁ、「弟切草」は実験的な意味合いが大きいですから、存在事態に意
> 味があるんでしょう。
ふと、思ったのですが、ノベルゲームが「ストーリー
を読ませることに重きを置いたシステム」なら、その
対比としてのAVGは「グラフィックに重きを置いた
システム」といえるのではないでしょうか。
ノベルゲームでは文章が中心のためグラフィックは
小説の挿し絵的に扱われています。
逆にAVGは1ウィンドウに表示される文字数は制限
されるため、一連の長文は何度も改ページしながら
読まなければならない煩わしさがあります。
うっかりEnterを押しすぎて読み飛ばしてしまい、
LOGを見直さなければならないこともしばしば。
よって、どうしても短い台詞が中心になる。
その代わり、台詞に合わせて人物をアニメーション
したり、声でしゃべらせたりする事が出来る。
ノベルゲームの形態をとるかAVGの形態をとるかは
文章とグラフィック(音声)のどちらに重きを置くか
の制作者の意図によるものかも知れません。
#AVGがストーリーを軽視しているという意味ではなく
#あくまでバランスの問題ですが。
> > > > ふむ、いみじくも「ストーリーを読む」という言葉が出ましたの
> > > > で、その対比であるなら「主人公に投影できるので顔が要らない
> > > > AVG」は「ストーリーを自分で作っていく感覚のAVG」といえるか
> > > > もしれません。
> > >
> > > で、まぁ話を前に進めますが、「ストーリーを自分で作っていく
> > > 感覚のAVG」というのは、物凄く少ないですね。
> >
> > 昔のAVGは、状況を目の前に突きつけて「さあどうする」と言ってくる。
> > それに対する応答を入力することで話が進み新たな状況になる。そし
> > てその状況に対する応答が要求される、の繰り返しでした。
> > 最近ではそのようなタイプのゲームは壊滅的に少なく、代わりに何も
> > 選択せずとも主人公達がどんどん話を進めるゲームが増えています。
>
> 昔かどうかでなく、ストーリーのタイプによって違うんだと思います
> ね。探偵もののストーリーは、今でも「さてどうするか?」というコメ
> ントそのものと、選択肢が表示されますから。
昔はバリエーションがなかった、ということです。
それと、主人公のモノローグとしての「さて~」
という意味で書いたのではなく、
「状況」→「行動」→「状況」→「行動」→…
という構造を示したのです。
最近は、
「状況」→「行動」→「状況a」→「状況b」→…
と主人公の行動を入力(選択)することなく、
ストーリーが進むものが多い、という話ですよ。
前者が「ストーリーを自分で作る感覚」なら、
後者でプレイヤーの入力が少なくなるほど
「ストーリーを読む感覚」が強くなると思います。
前者が「投影型」なら後者は「他者型」
(後で飯塚さんが書かれたタームを拾えば
「観客型」)と言えます。
> > > 要するに顔が画面に出る必要はない上に、出るとおかしいという
> > > ことになります。
> >
> > 「Better Sweet Fools」はおかしいですか? ;_;
> > #PS2版を買って最近始めたばかりです
>
> おかしいというか、異端の部類ですな。
> 最初から、プレイヤー=観客というコンセプトですから。
「異端」というより「多様化」ではないかと。
#紅茶で言えばロシアンティーとかアップルティーとか。
> ですから、移動が面倒臭かったらマップを表示して、クリップ1発で場所
> を移動できれば良いとかそういうレベルの話でしょう?
> それはインターフェースの問題です。
> 前にも書いた通り、AVGでの「ゲームのもっとも特徴的なこと」は、ストー
> リーの分岐を作って、如何に遊べるようにするかです。
> システムの善し悪しではありません。
で、分岐の極端に少ない「Better Sweet Fools」
は「異端」という訳ですか。
> > > > > このラインナップを見てて気付きましたが、マニュアルに主人公
> > > > > のキャラクターが設定されてれば、解決するんですかね?
> > > >
> > > > 現実、「マニュアルに主人公のキャラクターが設定」
> > > > されているゲームなら、ゲーム中に主人公のキャラクター
> > > > は出てきますね。
> > > > マニュアルだけのキャラクターなどそれこそ不自然だ。
> > >
> > > なんで?
> > > ノベルゲームの全てが、画面=主人公の視点です。
> > > ということは、主人公が画面に出てくるはずもないわけで、マニュアル
> > > だけになるのは必然ですよね。
> >
> > Airは出てくるようですが?
> > (私の記憶には無いのですが)
>
> ああ、失念していました。
> 女装を見せたいとか、そういう特種事情ではあるかもしれませんね。
「特殊事情」ってごく普通にありそうですが。
#主人公の顔を描かないように後ろ姿とか
#髪の毛隠しとかなら。
> > > 他にも画面=主人公の視点のゲームは山のようにあるわけで、不自然と
> > > 考える方がおかしいことになると思いますが。
> >
> > 「画面=主人公の視点」の目的が主人公のキャラクターを曖昧に
> > することで自己投影させることが目的ならマニュアルにもキャラ
> > クターを載せないことが自然ですね。
>
> そうとも限らないでしょう。
> 画面=主人公なら、特に説明の必要もなく、心象表現は主人公のもの
> とすることができますから。
文体が一人称なら主人公視点であろうが
無かろうが「心象表現は主人公のもの」
と思いますが。
また、「顔のない」ことが「主人公視点」
であることが理由なら「声がない」のは
なぜでしょう。
ふむ、では「マニュアルのみ顔出し」の
事例をいくつか挙げて頂けますか。
> > 「画面=主人公の視点」は主人公が一方向だけ向いているなら良いん
> > ですが、転んだり、寝ころんだり、ヒロインを抱きしめたりするシー
> > ンを描くには不向きですね。
> > #18禁のHシーンも「主人公の視点」なら顔しか見えない
> > #はずだし(正常位なら) ^_^;;
>
> それは屁理屈です。
実際に「主人公視点」から逸れる「特殊事情」
のケースを挙げただけで、ごくありふれた話
の積もりでしたが。
どの辺に「筋道が立たない」とか「道理が
通らない」と感じられたのでしょうか。
なんだか話の向きがまた逸れてしまいそう
なので、確認の意味で書きますと、
「主人公視点」中心のAVG、ノベルゲーム
が多いのは事実ですから認めます。
しかし、そのようなゲームでも、「主人公
視点」から逸れるシーンはあります。
それが「主人公視点」の限界だと思います。
昔は「主人公視点」中心以外のAVGは皆無
でしたが昨今、「主人公視点」に拘らない
AVGも増えています。
(まだまだ少数派ですが「異端」と言われ
排斥される謂われはないです)
> 保留していた分です。
> ノベルゲームが、文字を全面に表示するシステムのものを
> 指すと定義が確定したので、反論します。
有り難うございます。m(_ _)m
ここで反論されている以外の箇所はご理解頂けたと見なします。
> "tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
> news:bvdteb$o02$1...@news1.point.ne.jp...
> > > ゲームの本質を考えると、投影型が多数を占める状況は
> > > 変わらないでしょう。
> > > で、てつたろうさんが切り替えることが出来るなら、ノベル
> > > ゲームであろうとAVGであろうと、投影型のゲームなら投影
> > > 型に。他者型なら他者型に切り替えて遊べば、いいのでは
> > > ないでしょうか?
> >
> > ここで、飯塚さんの仰る「切替」とは何でしょうか。
>
> 以下に記述があります。
> > ゲームの歴史とその性質上、投影型の方が多いでしょうね。
> > 特にいろいろなジャンルのゲームをやる人間ほど、この傾
> > 向は強いと思います。
> > ただ一番多いのは、必要に応じて切り替える人で、どっち
> > かでなきゃ全くダメという人はかなり少ないでしょう。
>
> 投影型と他者型を必要に応じて切り替えることですね。
「切替」の基準はプレーヤーがそのゲームをどちらと
見なすかだと思います。
制作者が「投影型」として作ったのだから、「投影型」
として遊べ、と言っている訳ではないですよね。
「投影型の方が多い」と言っているのは誰なのかが
判りませんでしたが、続く文から判断すると、プレイヤー
と見なしてよさそうですね。
で、私が「顔が欲しい」のは、私が「他者型」と見なす
ゲームです。
#全てのゲームを「他者型」で遊ぼうとしている訳では
#ないのですが、時々そこをお判り頂いているのか不安
#に駆られることがあります。
> > > > ノベルゲームだと、「よせ、やめろ、そんなことはするんじゃ
> > > >ない」ということを勝手にやってくれたりします。それにプレイ
> > > > ヤーは干渉できない、というよりそのもどかしさを含めて楽
> > > > しんでいるはずです。
> > >
> > > 「よせ、やめろ、そんなことはするんじゃない」
> > > と思うようなゲーム自体、物凄く少ないと思うのですが。(^^;)
> >
> > (私が「よせ~」をゲーム一般を対象に書いたと誤解
> > されてはいませんよね)
>
> 誤解じゃなく、書いてある通りに理解したんですが。(^^;)
では、上記の「ゲーム自体」とは「ノベルゲーム」に限定して
お答え頂いた結果なのですね。
ノベルゲーム、及び、昨今のAVGにおいては、主人公はプレイヤー
の思いも寄らない行動をとることがあります。
そういうゲームが一部である、と言っているのではなく、多くの
ノベルゲームやAVGにおいて、そういうシーンが含まれています。
その例として、飯塚さんが「投影型」だと仰る「ToHeart」にも、
主人公がヒロインを同級生に襲わせようとする場面があります。
(私が「よせ、やめろ」といった由縁です)
> > > さらにそういう操作できないストレスを楽しむというのも、ゲ
> > > ームのプレイヤー中、多数を占めると思えません。
「操作できない」からと言って皆が
ストレスを感じると考えるのは変です。
飯塚さんはEnterキーで話を進めていく
場面にストレスを感じるのですか。
それでは、ノベルゲームやAVGをプレイ
する時間の大半は苦痛でしょうね。
> > > とても一般化できる事例ではないと思います。
> >
> > ノベルゲームのストーリーに求めるのは意外性だと
> > 思いますが。
>
> 多数の人が求めるのは、意外性より感動でしょう。
「感動」の源として「意外性」は重要なウェイト
を占めていると考えます。
先の読めるストーリーより、ハラハラドキドキの
ストーリーで「この先どうなるのだろう」と思わせ
ておいて一気に感動へ持っていくのが常套手段かと。
> ありがちな王道のストーリーでも、感動できるのなら
> 評価されるのが昨今の流れです。
王道のなかにも「意外性」は組み込まれています。
> まぁそれは極端としても、広義の「感動」が求められ
> ているのは間違いないでしょう。
そうですね、「意外性」なしに「感動」に持っていく
ことの如何に難しいことか。
その他にも「笑い」を提供するノベルゲーム/AVGも
あり、いずれも、プレイヤーの想像を超えた展開に
大笑いしたり大泣きしたり出来ます。
これは決して特殊な例ではないです。
> > > ノベルゲームでそういう事態が発生するとしたら、投影型を
> > > 狙って作られたゲームでは、できるだけ主人公と同じく悩んだ
> > > り、苦労したりという感情を理解して欲しいという目的でしょう。
> >
> > それって飯塚さんが「他者型」の特徴として挙げられた
> > 「感情移入」でしょう。
> > 「投影型」なら、プレイヤーの感情に主人公が合わせて
> > くれなければ。
>
> それは投影型を狭く考えすぎです。
> ストーリーをプレイヤーに合わせると言ってるのと同じですよ。
> それは。
幅がありますよね。
よかった、その点は同意見を持てた訳だ。;-)
で、理論上の話ですが、「ストーリーをプレイヤー
に合わせる」というのは、「投影型」の極端に
位置するものだと思います。
そこから、ストーリーがプレイヤーから離れていく
に従い、「他者型」の色が濃くなる。
で、「他者型」の極端は「電子小説」になる。
戻りますが、「プレイヤーに理解を求める」という
ことはプレイヤーと主人公が乖離していることが
前提です。
これは、「他者型の特徴」だと考えます。
> > > 辛い状況にある主人公に、なんだそりゃと引かれたり、あはは
> > > バカだコイツと笑われるのは、目的から離れるわけで、それを
> > > より回避できる投影型を選ぶのは、1つの選択だと思います。
> >
> > 実際、それを回避出来るノベルゲームにはお目に掛かった
> > 事がない。
>
> ノベルゲームで、できるだけ心象表現を増やすのも、主人公
> が何を考え、今どんな感情で行動しているかプレイヤーに伝え
> るためですね。
そう、プレイヤーは「読んでいる」
> 1人称を使うのも同様の理由でしょうし、画面=主人公の視界
> とするのも同じ理由です。
$ キャラクターに感情移入するためには、そのキャラクターが
$何を考え、何を夢に見、何をしようとしているかがわかった方が
$いいですから。
$ つまり「主人公は他者」である。
とは飯塚さんの弁です。
$ 対してゲームの歴史に脈々と流れる「主人公同一性」があり
$ます。「ドラゴンクエスト」がわかりやすいです。
$ あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
$ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
が「投影型」なんですよね。
> 主人公の気持ちを理解するための、それら回避の仕掛けを
> もってして、「お目に掛かったことはない」ということは、てつたろ
> さんは今までノベルゲームの主人公の気持ちを、理解したこと
> はないということですね。
ああ、そういう解釈をされましたか。
「それ」は意外性を指した積もりだったんですが。
本気でそう思われているなら、随分と穿った見方
ですね。
まあ、Jokeだと解釈しておきましょう。;-P
> そりゃ面白くないでしょうな。(^^;)
「面白くもない」なら「顔の有無」に拘ったり
しませんよ。
面白いゲームだからこそ違和感も印象に残る。
> > ゲームに自己を投影するための「形あるもの」なんですよね。
> > それは、メンコでもビー玉でも同じと思いますが。
>
> 違いますね。
> メンコやビー球は自己じゃなくて、武器でしょ。
> 相手をそのルールで倒すための武器。
ゲームの「駒」って基本的に「武器」だと
思いますが。
「ビックバイパー」は「武器」じゃない
とは言いませんよね。
#「~は友達さ!」ってアニメもありましたが :-)
> メンコで遊んでいるときに、「俺は今メンコだ」と考える
> 奴がいたら怖いですよ、はっきり言って。(^^;)
メンコがひっくり返りそうになるのを
堪えたとき、「よーし、よく頑張った」
とは思いませんか。
あの時のメンコは自分の分身です。
#ベイブレイドで独楽から出てくるキャラクター
#も主人公の分身でしょうし。
まあ、飯塚さんが思わなくても「思う気持ち」
がご理解頂けるかどうかが肝要で、
「思わない」と仰るならこの話もここまでに
した方がよろしいかと。
(どうせ既に本流の話ではありませんし)
> > > > 主人公のキャラクターを希薄にしてプレイヤーとの一体化
> > > > を図るのが「投影型」と思っていましたが、違いましたか?
> > >
> > > まずわかりやすい特徴が、顔ですからね。
> > > 好みじゃない顔なら、投影するのに邪魔になるわけですし。
> >
> > では、上記の定義は「概ね」間違っていない、と。
> > 次に、
> > 「ノベルゲームにおける主人公のキャラクターは希薄か」
> > という問題ですが、今まで述べてきたように、ノベルゲーム
> > に関しては登場人物のキャラクターこそ命だと考えています。
> > 「怒れ」「泣け」「笑え」と命令しなくても感情を表現する
> > 主人公に対するプレイヤー(私)の接し方は、それこそ小説の
> > 主人公に対する読者(私)の接し方に近いです。
>
> 主人公はゲームにおいてスーパーな存在ですから、どんな
> 容姿もありえるし、どんな性格もありえるんです。特に最初は。
> 遊ぶ人間がどんな人間かわからないんですから。
> で、主人公は社会通念上に照らして、笑うし泣くし怒るんです。
> 特に最初は。
> ストーリーが進むにつれ、段々個性が強くなってくるのがゲ
> ームの主人公で、それは小説の主人公と違います。
AirでもOneでも痕でも、主人公の個性は一貫して
いると思いますが。
プレイヤーの選択で純愛か鬼畜か選べるゲームなら、
性格が変わることはあるのでしょうが、それって
むしろ稀な例だと思います。
(あ、もちろん上記はノベルゲームとAVGの場合で、
所謂「調教」系のシミュレーションでは主人公の
性格が変わることが多いですね)
主人公のキャラがプレイヤーの選択で変わる
ゲームは「投影型」の色が濃い。
それは同意します。
> > > > 主人公に女性を据えたノベルゲームでヒロインの顔が
> > > > ないものってありましたっけ。
> > >
> > > それはターゲットにする層の問題が大きいと思いますね。
> > > 女性向のゲームはしっかり男の顔を、これでもかと描くわけですから。
> >
> > その場合の男は「主人公」じゃないですよ。
>
> だから女性を主人公に据えたゲームの話でしょ?
はい、だからその時の男の顔を例に出しても、
意味がないです。
「ヒロインの顔が」と書いたのを読んで頂いて
いますよね。
じゃあもっと絞り込みましょうか?
「男性向けの」「女性が主人公の」「ノベルゲーム
またはAVG」
例を挙げれば「MOON」のような。
そうだ、「主人公の1人称」というのも忘れては
いけませんね。
「一時的にヒロインが一人称になったとき、
ヒロインの視点になるか」でもいいです。
#回りくどいですか?
#ズバリ言うと、顔がないのが「投影型」なら
#「MOON」にもヒロインの顔を出さないのが
#流儀だろうけれど、普通に出てきますよね。
#であれば、制作者は「投影型」だからという
#拘りを大して持っていないだろう、という
#考えです。
#「投影型」だから「顔なし」という理由は
#希薄だと思っているのです。
> > > > つまり、実際の処「男の顔なんていらん」と考えている
> > > > ソフトハウスが多いだけではないかと思うのですが。
> > >
> > > もちろんそう考えているソフトメーカーもあるでしょうが、基本的に
> > > はゲームの歴史とその特徴からの判断でしょう。
> >
> > では、主人公(男)の顔が描かれない理由は「ターゲットに
> > する層の問題」と「ゲームの歴史とその特徴からの判断」で
> > どちらがより大きいとお考えでしょうか。
> > ちなみに私はの意見は「前者」だと思います。
>
> 私は後者です。
「ターゲットにする層の問題」が小さいと主張し、
私を説得したいのであれば、その証明として前述
の例を挙げてください。
「一時的にヒロインの1人称」であれば、該当する
ゲームは結構ありそうな気はします。
> > 飯塚さんの話は「歴史の講義」だったのですか。
>
> 歴史と「特徴」です。
過去の歴史にケチを付ける積もりはありません。
今が、そしてこれからがどうあるのかが問題。
> > 飯塚さんだって嗜好に合わないゲームはやりませんよね。
>
> いや、やりますよ。
> やってみないと、本当に嗜好に合わないかどうかわかりま
> せんし。
前提が違いますね。
「嗜好に合うか判らない」は「嗜好に合わない」
ではありません。
#こういうのを「筋道が立たない理屈」
#と言います。;-P
…そうですね、では言い換えましょう。
体験版をプレイして、「これは嗜好に合わないな」
と思えば製品には手を出さないでしょう?
または、鬼畜なゲームが嫌いなら「鬼畜」と
銘打っているゲームには手を出さないでしょう?
> > 完全な「投影型」とは、主人公の行動に影響を与えうる
> > 外部要因に対する全ての意識的行動をコントロール出来る
> > ものと考えます。(理論上だけの存在ですが)
>
> ま、そうでしょうね。
>
> > そこから、外因に対する主人公の行動が、主人公自身の
> > 判断に委ねられる割合が多くなるほど「他者型」にシフト
> > するのではないでしょうか。私の理解ですが。
> > (完全な「他者型」は電子小説になってしまします)
>
> ストーリーの奴隷になればなるほど、他者型になるのは
> しょうがないでしょうね。
飯塚さんて、「他者型」がお嫌いのようですね。
#嗜好に合わない?
> > 例えば、主人公の丸一日の行動に選択肢がない場合、
> > それでも「投影型」足り得ますか。起きるのが辛い朝、
> > 「寝て過ごす」「頑張って起きる」という選択肢が発生せ
> > ず、「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」
> > と言われたら?
>
> 投影型うんぬん以前に、ゲームとしてコンセプトに問題
> がありますね。(^^;) ゲームとして無意味な展開はプレイ
> ヤーのストレスになりますから、ストレスをかける何らかの
> 意味がない限り、ゲームとしてやっちゃダメでしょう。
「ゲームとして無意味な展開」って何でしょう?
ノベルゲームでもAVGでも終盤では選択肢がほとんど
でないで「読ませる」ことが中心になることはごく普通
に見受けられますが、飯塚さんの評価ではそれらはゲーム
として「駄目」な部類ですか?
なんだか、飯塚さんこそノベルゲームやAVGを楽しめない
ような気がしてきました。
ストーリーを読むことがストレスなら、ノベルゲームや
大半のAVGは避けた方が無難かと。
> > これは決してノベルゲームとして特殊な例ではありません。
> > ノベルゲームの経験がおありならわかりますよね。
>
> いやぁ、特殊な例だと思いますね。
特殊ではないノベルゲームの例は何でしょうか?
プレイしたことのないものは判断できませんが
複数挙がれば一つぐらいは「なるほど」と思える
例もあるかも知れません。
> > 逆に上記に当てはまらない、個性のない「投影型」主人公
> > のノベルゲームの代表例があれば教えて頂けますか。
>
> 痕もTo-Heartもしっかり投影型の主人公ですよ。
$ あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
$ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
と考えられている、と。
(本当に?)
何度か引き合いに出されているけどToHeartであったっけ?
既に記憶から失われているだけかもしれない。
(こっちの主人公ではたしかにあるまじき行為)
ONEにはありましたけどねぇ。
(こっちの主人公では、、、どうかな。)
:
>プレイヤーの選択で純愛か鬼畜か選べるゲームなら、
>性格が変わることはあるのでしょうが、それって
>むしろ稀な例だと思います。
ゲームのはじめにプレイヤーの選択で悪のレベルが
選べるアドベンチャーゲームは存在しました。
あれがどの程度性格が変わって結果に結びついたかは
よくわかりませんけどね。
:
>「ターゲットにする層の問題」が小さいと主張し、
>私を説得したいのであれば、その証明として前述
>の例を挙げてください。
>
>「一時的にヒロインの1人称」であれば、該当する
>ゲームは結構ありそうな気はします。
ヒロインの1人称パートがプロローグで
あれあれ?どうなってるんだ、と思ったFate/stay night
:
>> 投影型うんぬん以前に、ゲームとしてコンセプトに問題
>> がありますね。(^^;) ゲームとして無意味な展開はプレイ
>> ヤーのストレスになりますから、ストレスをかける何らかの
>> 意味がない限り、ゲームとしてやっちゃダメでしょう。
>
>「ゲームとして無意味な展開」って何でしょう?
それは
>> > 例えば、主人公の丸一日の行動に選択肢がない場合、
>> > それでも「投影型」足り得ますか。起きるのが辛い朝、
>> > 「寝て過ごす」「頑張って起きる」という選択肢が発生せ
>> > ず、「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」
>> > と言われたら?
これなんでしょ。
何らかのイベントの発生、物語の展開を期待していながら
何もしないでその一日が終わった。
一見、「ゲームとして無意味な展開」と見え
プレイヤーのストレスとなる。
で
>>ストレスをかける何らかの意味がない限り、ゲームとしてやっちゃダメ
なんでしょ。
>ノベルゲームでもAVGでも終盤では選択肢がほとんど
>でないで「読ませる」ことが中心になることはごく普通
>に見受けられますが、飯塚さんの評価ではそれらはゲーム
>として「駄目」な部類ですか?
それはミスリードのように思いますけど。
(意識的?)
小説だって、いろいろ伏線を張ることもあり、それが
当初「ストーリーとして無意味な展開」に思えて
読者にストレスを与え
しかし最後の最後で全部繋がって、そうかそういうわけだったのか、
と読者に満足を与えることもあるのではないでしょうか。
>なんだか、飯塚さんこそノベルゲームやAVGを楽しめない
>ような気がしてきました。
>
>ストーリーを読むことがストレスなら、ノベルゲームや
>大半のAVGは避けた方が無難かと。
それミスリード(かなり意図的?;-P)
>特殊ではないノベルゲームの例は何でしょうか?
>プレイしたことのないものは判断できませんが
>複数挙がれば一つぐらいは「なるほど」と思える
>例もあるかも知れません。
では一つコメントを。
Better Sweet Foolsを何らかのゲームの例として上げられていますが
それがどのようなゲームか説明がなく、何の為に例として上げられたか
分からないのでタイトルだけでは分かりません。
PS2版がどれだけ売れているのか知りませんけど買ってないですし、
PC版はプレミア価格付くほど希少品だったように思いますし。
#「化粧桜」とかいうのも知らない。
# 引用して最初ほとんど説明無しだったでしょ。
# まあ私、ゲームにそれほど詳しくないもので。_O_)
アニメ化されPS2版も出たはずの割と有名、かもしれないけど詳細不明の
D.C.のPC版。
ガヤシステムとかいって、行き先の場所の騒音とかノイズとか
会話を聞いているうちにその行き先に誰がいるのか分かるような
仕組みらしいけど、そんな面倒なのはやってられない!、と思った。
今時、行き先に誰がいるのかSDキャラなりアイコンなりで分かるように
なってないゲームなんて不便でストレス溜まってしょうがない。
(D.C.のゲームシステムというかゲームデザインは不合格ですね。)
ToHeartも
実はPC版では行き先に誰がいるのか不明でsave&load繰り返して
総当たりするようなことが必要でしたが、
PS版では行き先に誰がいるか分かるようになった。
(旧PC版のゲームシステムというかゲームデザインは不合格ですが
PS版は合格ね。)
CyberKnight Bladeさんは飯塚さんのご意見に
同意派なんでしょうか。
同意されているような書き方ですが、どうも
飯塚さんの意見とは大きくずれているような
気がしてなりません。
#それとも飯塚さんの反応がないから同意見
#なのかしら。
#それなら飯塚さんの記事の見方も変わるの
#ですが。
"CyberKnight Blade" <5bl...@cyberknights.net> wrote in message
news:402d6a85$0$23278$44c9...@news3.asahi-net.or.jp...
> >その例として、飯塚さんが「投影型」だと仰る「ToHeart」にも、
> >主人公がヒロインを同級生に襲わせようとする場面があります。
> >(私が「よせ、やめろ」といった由縁です)
>
> 何度か引き合いに出されているけどToHeartであったっけ?
> 既に記憶から失われているだけかもしれない。
> (こっちの主人公ではたしかにあるまじき行為)
>
> ONEにはありましたけどねぇ。
> (こっちの主人公では、、、どうかな。)
???
混同してましたか?
#夜の教室に呼び出して、自分と誤解させて
#襲わせておき、明かりをつける、という
#展開。
#う、「Oneだ」と言われればそんな気もしてきた。
*_ _*
(気を取り直して)
「この主人公にはあるまじき」とか
「この主人公なら」とかが出ている
段階で主人公のキャラクター性が
出ている訳で、それは飯塚さんの
初期の主張では「他人型」なわけです。
「主人公の顔がない理由」を「投影型
だから」とした主張が成り立たなくなる
訳です。
> >> 投影型うんぬん以前に、ゲームとしてコンセプトに問題
> >> がありますね。(^^;) ゲームとして無意味な展開はプレイ
> >> ヤーのストレスになりますから、ストレスをかける何らかの
> >> 意味がない限り、ゲームとしてやっちゃダメでしょう。
> >
> >「ゲームとして無意味な展開」って何でしょう?
>
> それは
>
> >> > 例えば、主人公の丸一日の行動に選択肢がない場合、
> >> > それでも「投影型」足り得ますか。起きるのが辛い朝、
> >> > 「寝て過ごす」「頑張って起きる」という選択肢が発生せ
> >> > ず、「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」
> >> > と言われたら?
>
> これなんでしょ。
> 何らかのイベントの発生、物語の展開を期待していながら
> 何もしないでその一日が終わった。
> 一見、「ゲームとして無意味な展開」と見え
> プレイヤーのストレスとなる。
実際に「無意味」かどうかは置いておき、
それは「ゲームとして」ではなく
「ストーリーとして」だと思われます。
飯塚さんが「ゲーム」というタームに
何らかの拘りを持たれているようなので
何か私には判らないテーマがあるのでは
ないか、と思ったもので確認したかった。
いずれにせよ、上記はCyberKnight Blade
さんの解釈であり、飯塚さんが同じ意図を
持っているのかは私には判りません。
> で
> >>ストレスをかける何らかの意味がない限り、ゲームとしてやっちゃダメ
> なんでしょ。
>
> >ノベルゲームでもAVGでも終盤では選択肢がほとんど
> >でないで「読ませる」ことが中心になることはごく普通
> >に見受けられますが、飯塚さんの評価ではそれらはゲーム
> >として「駄目」な部類ですか?
>
> それはミスリードのように思いますけど。
> (意識的?)
#質問がどうして「ミスリード」になるのか
#判りません。
#違うと思えば「いいえ」と答えればその方向
#に話は進みませんし。
飯塚さんはプレイヤーとして操作することを
重要視しているようなので、選択肢が出ずに
ストーリーが進捗していくのをどう考えるのか
確認したかったのですが。
(本当に「駄目」と考えているのではないか
と思える節もありましたし)
> 小説だって、いろいろ伏線を張ることもあり、それが
> 当初「ストーリーとして無意味な展開」に思えて
> 読者にストレスを与え
> しかし最後の最後で全部繋がって、そうかそういうわけだったのか、
> と読者に満足を与えることもあるのではないでしょうか。
はい、書いてあることには私もほぼ同意見です。
(それを「ストレス」と感じるかどうかは
個人の受け方で、私は少しもストレスでは
ないのですが)
「ゲームはゲームで小説との比較は無意味」
と、飯塚さんには初期に断じられています。
それで散々揉めて、最終的には理解頂くこと
を諦めました。
蒸し返しになりそうなので、その論理展開は
飯塚さんに対してはできませんが。
また、飯塚さんは「ストーリーとして無意味
な展開」とは書かれていません。
もし、そう書かれていたなら、「1日寝ている
ことだってストーリー上無意味という訳では
ありませんよ」と展開できたのですが。
> >なんだか、飯塚さんこそノベルゲームやAVGを楽しめない
> >ような気がしてきました。
> >
> >ストーリーを読むことがストレスなら、ノベルゲームや
> >大半のAVGは避けた方が無難かと。
>
> それミスリード(かなり意図的?;-P)
#飯塚さんは確固たる信念をお持ちなので
#ミスリードなど無意味かと… ^_^;;
わざと穿った取り方をしているのか、という
意味の問いなら「半分は本気」
できれば反論があることを期待しつつ書いては
いますが。
$> > そこから、外因に対する主人公の行動が、主人公自身の
$> > 判断に委ねられる割合が多くなるほど「他者型」にシフト
$> > するのではないでしょうか。私の理解ですが。
$> > (完全な「他者型」は電子小説になってしまします)
に対し、
$> ストーリーの奴隷になればなるほど、他者型になるのは
$> しょうがないでしょうね。
とも書かれています。
ここから、「主人公が自分の意志で動く割合が多い」
ノベルゲーム&AVGにはマイナスイメージをお持ちの
ご様子が伺えますが、昨今のノベルゲーム&AVGで、
主人公の行動を選択する割合と、主人公の行動を
みている割合を鑑みるに、どうもほとんどのものは
マイナスイメージの対象になってしまいそうに
思えたものですから。
> >特殊ではないノベルゲームの例は何でしょうか?
> >プレイしたことのないものは判断できませんが
> >複数挙がれば一つぐらいは「なるほど」と思える
> >例もあるかも知れません。
>
> では一つコメントを。
> Better Sweet Foolsを何らかのゲームの例として上げられていますが
> それがどのようなゲームか説明がなく、何の為に例として上げられたか
> 分からないのでタイトルだけでは分かりません。
>
> PS2版がどれだけ売れているのか知りませんけど買ってないですし、
> PC版はプレミア価格付くほど希少品だったように思いますし。
例えば「顔が出たらおかしい」という説の対比
として出した場合は、「顔が出る」ゲームの例
であることは明白だと思いますが、判りません
でしたか?
ここでの例はその特徴だけで十分でしたし、
別の場所では「選択肢の極端に少ない」例として
取り上げています。
くどくどとゲームの内容を書いても意味がないと
思いました。
私も飯塚さんにまず挙げていただきたいのは
ゲームの羅列であり、必要ならそこから質問
をしていきます。
私は「それがどのようなゲームか説明」を
要求してなどいませんよ。
> #「化粧桜」とかいうのも知らない。
> # 引用して最初ほとんど説明無しだったでしょ。
> # まあ私、ゲームにそれほど詳しくないもので。_O_)
「主人公の顔がある」例として出しましたし、そのこと
は前後の文で触れています。
タイトルが判れば、もしそれ以上の情報を知りたければ
webで検索された方が客観的情報を得られるでしょうし、
知っている人には無駄な説明になりましょう。
説明が必要だと思えばするし、不要だと考えればしない。
それで困ればどうぞご質問下さいな。 m(_ _)m
#CyberKnight Bladeさん的には飯塚さんが例に出した
#FFやFEは問題ない?
#ここを読む人の100%が知っているわけではないと
#思いますが。
> アニメ化されPS2版も出たはずの割と有名、かもしれないけど詳細不明の
> D.C.のPC版。
> ガヤシステムとかいって、行き先の場所の騒音とかノイズとか
> 会話を聞いているうちにその行き先に誰がいるのか分かるような
> 仕組みらしいけど、そんな面倒なのはやってられない!、と思った。
>
> 今時、行き先に誰がいるのかSDキャラなりアイコンなりで分かるように
> なってないゲームなんて不便でストレス溜まってしょうがない。
> (D.C.のゲームシステムというかゲームデザインは不合格ですね。)
>
> ToHeartも
> 実はPC版では行き先に誰がいるのか不明でsave&load繰り返して
> 総当たりするようなことが必要でしたが、
> PS版では行き先に誰がいるか分かるようになった。
> (旧PC版のゲームシステムというかゲームデザインは不合格ですが
> PS版は合格ね。)
どちらが良いかは個人の好みの問題かと;-)
だって、「実際の場面ではどこにだれがいるか
なんてわからないじゃないか」という意見
もありでしょう。
#私?つい攻略サイトに頼ってしまう軟弱
#プレイヤー的には「アイコン」がでた方
#がうれしいかも。
#だから「同感」とは思っても、「合否」
#の判定なんて出来ません。
閑話休題
今日、前述のBetter Sweet Foolsの1巡目
が終わりました。
1巡中に選んだ選択肢は3,4個でしたが、
ストレスは感じませんでした。
終わってみて心地よい感動の余韻はありましたが。
プレイ中びっくりしたのが、「アラン」
という主役の一人の台詞でした。
「人は誰かを本当に理解することは出来ない。
理解した気になるだけ」
対してヒロインの「ティ」は
「それでも私は理解したい」と言います。
(そのままの台詞ではありません、念のため)
少し前に書いたコメント
$「理解」ってするのもさせるのも難しいもの
$ですね。
$「理解した」のは「私」なので「あなた」が
$「理解させたい」ことと同じとは限らない。
$両者を近づける努力に意味はあるでしょうが、
$完全に一致させるのは難しい。
をゲームの中で主人公が言ったのですから。
なんだかこのゲームに対する思い入れが
増えたような気がします。
*^_^*
別のスレッドで書いた以上でも以下でもありません。
tetsutaroさんの投稿に対し、意見を述べているにすぎません。
:
>> ONEにはありましたけどねぇ。
:
>#夜の教室に呼び出して、自分と誤解させて
>#襲わせておき、明かりをつける、という
>#展開。
>#う、「Oneだ」と言われればそんな気もしてきた。
ONEではそういう展開があったかと思います。
:
>(気を取り直して)
>「この主人公にはあるまじき」とか
>「この主人公なら」とかが出ている
>段階で主人公のキャラクター性が
>出ている訳で、それは飯塚さんの
>初期の主張では「他人型」なわけです。
>
>「主人公の顔がない理由」を「投影型
>だから」とした主張が成り立たなくなる
>訳です。
「この主人公にはあるまじき」のレベルや頻度が
妥協できる範囲かそうでないかのさじ加減では
ないかと思います。
それをストレスとして後の話の展開にうまく続くのであれば
許容範囲。
ToHeartでなく、ONEであればかなり酷い奴ですよね、
主人公は(それでもあの部分だけはNGだと考えています)。
:
>飯塚さんはプレイヤーとして操作することを
>重要視しているようなので、選択肢が出ずに
>ストーリーが進捗していくのをどう考えるのか
>確認したかったのですが。
そうですか、私にはそうは思えなかったので。
:
>また、飯塚さんは「ストーリーとして無意味
>な展開」とは書かれていません。
「ゲームとしてコンセプトに問題」
「ゲームとして無意味な展開」
の部分ですね。
ちょっと考えたけど、ストーリーも含むんだろうな、と
判断しました。
>もし、そう書かれていたなら、「1日寝ている
>ことだってストーリー上無意味という訳では
>ありませんよ」と展開できたのですが。
無意味ではない場合もあるでしょうね。
>例えば「顔が出たらおかしい」という説の対比
>として出した場合は、「顔が出る」ゲームの例
>であることは明白だと思いますが、判りません
>でしたか?
明確には。そうなんだろうな、とは思いましたけど。
>別の場所では「選択肢の極端に少ない」例として
>取り上げています。
こっちは分かります。
>「主人公の顔がある」例として出しましたし、そのこと
明確には。そうなんだろうな、とは思いましたけど。
>は前後の文で触れています。
後々、別のスレッドで補足が増えていったような。
>#CyberKnight Bladeさん的には飯塚さんが例に出した
>#FFやFEは問題ない?
>#ここを読む人の100%が知っているわけではないと
>#思いますが。
# ゲームとしての知名度が段違いですからねぇ。。
# やったことないけど、どんなゲームか知らないとは
# 言わない。
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:c0inm3$s9$1...@news1.point.ne.jp...
> > > > そのてつたろさんの定義では、そうでないモノとの境がさっぱりわからな
い。
> > >
> > > もともと主観前提でお話ししてましたから。^_^;
> >
> > それじゃあ互いに理解できる議論にならんでしょうな。
>
> もともとが、「好き嫌い」レベルの話でしたので。
> 共感できるか否か。
> 共感できなくてもそれはそれで止むなしと。
> #紅茶の好みは人それぞれ
単に個人の趣向の問題なら、議論する気はありません。私は個人の趣向を
記述していませんので。
それだけの話なら勝手に好きなゲームをやることです。
青年の主張大会をやってるわけではないので、単に個人的意見の発露なら
ホームページで思う存分語って欲しいですね。
> > > 「ウインドーがでて」「地の文中心」のゲームはどうなるのか、
> >
> > プレイヤーが参加できなくなるから、そういうゲームは皆無です。
>
> 「地の文中心」かどうかは兎も角、「プレイヤーの参加」
> でいえばAVGでも選択肢が永いこと現れないものが近年多い
> とは思います。
まぁとにかく、「ウインドーがでて」「地の文中心」のゲームなんて
ものは考えなくて大丈夫です。
> > > また、もし「全面に文字を表示」で「台詞中心」
> > > のゲームがあったらどうなるのかと思いましたが、
> >
> > セリフ中心にするなら、ノベルタイプをシステムに採用する必要はないです
> > ね。最初からアプローチを間違ったゲームは、消える運命ですな。
>
> 一人称ではモノローグも主人公の台詞と考えれば、十分「台詞中心」
> も多いような。
モノローグとセリフは別でしょう。
一人称だと情景描写とモノローグの境も、非常に曖昧ですしね。
> > > 「ウインドー」か「全面」かだけがポイントなら判ります。
> > > #であれば、台詞中心かどうかは重要ではありませんね。
> >
> > 副次的ですが、特徴の1つです。
> > 特に心象表現が細かくできる。キャラクターの気持ちを表現したい場合に
> > 威力を発揮します。
> > 逆に「弟切草」のようなタイプは珍しい。ホラーも推理モノも、特段ノベ
> > ルタイプである必要はないからです。
> > 実際「ファミコン探偵クラブ」の方がよっぽど恐いし、探偵モノとしても
> > 魅力が出てます。
> > まぁ、「弟切草」は実験的な意味合いが大きいですから、存在自体に意
> > 味があるんでしょう。
>
> ふと、思ったのですが、ノベルゲームが「ストーリーを読ませることに
> 重きを置いたシステム」なら、その対比としてのAVGは「グラフィック
> に重きを置いたシステム」といえるのではないでしょうか。
ノベルゲームはAVGの派生物で対比するものじゃないと思いますね。
AVGはグラフィックに限らず、システムも含めてバランスがとれてます。
ノベルゲームが読ませることに特化してるんだと思います。
> > > > で、まぁ話を前に進めますが、「ストーリーを自分で作っていく
> > > > 感覚のAVG」というのは、物凄く少ないですね。
> > >
> > > 昔のAVGは、状況を目の前に突きつけて「さあどうする」と言ってくる。
> > > 最近ではそのようなタイプのゲームは壊滅的に少なく、代わりに何も
> > > 選択せずとも主人公達がどんどん話を進めるゲームが増えています。
> >
> > 昔かどうかでなく、ストーリーのタイプによって違うんだと思います
> > ね。探偵もののストーリーは、今でも「さてどうするか?」というコメ
> > ントそのものと、選択肢が表示されますから。
>
> 主人公のモノローグとしての「さて~」という意味で書いたのではなく、
> 「状況」→「行動」→「状況」→「行動」→…という構造を示したのです。
> 最近は、「状況」→「行動」→「状況a」→「状況b」→…
> と主人公の行動を入力(選択)することなく、
> ストーリーが進むものが多い、という話ですよ。
わかりません。
行動を選択していくものが、圧倒的に多いと思いますが。
選択肢が少ないということですかね?
> > > > 要するに顔が画面に出る必要はない上に、出るとおかしいという
> > > > ことになります。
> > >
> > > 「Better Sweet Fools」はおかしいですか? ;_;
> >
> > おかしいというか、異端の部類ですな。
> > 最初から、プレイヤー=観客というコンセプトですから。
>
> 「異端」というより「多様化」ではないかと。
プレイヤー=主人公でなく観客という点から言って、異端ですね。
> > ですから、移動が面倒臭かったらマップを表示して、クリップ1発で場所
> > を移動できれば良いとかそういうレベルの話でしょう?
> > それはインターフェースの問題です。
> > 前にも書いた通り、AVGでの「ゲームのもっとも特徴的なこと」は、ストー
> > リーの分岐を作って、如何に遊べるようにするかです。
> > システムの善し悪しではありません。
>
> で、分岐の極端に少ない「Better Sweet Fools」
> は「異端」という訳ですか。
化粧桜の評価で低いのは、「ゲームのもっとも特徴的なこと」ではない
ということは、合意できたと理解してよろしいのでしょうか?
> > > > > > このラインナップを見てて気付きましたが、マニュアルに主人公
> > > > > > のキャラクターが設定されてれば、解決するんですかね?
> > > > >
> > > > > 現実、「マニュアルに主人公のキャラクターが設定」
> > > > > されているゲームなら、ゲーム中に主人公のキャラクター
> > > > > は出てきますね。
> > > > > マニュアルだけのキャラクターなどそれこそ不自然だ。
> > > >
> > > > なんで?
> > > > ノベルゲームの全てが、画面=主人公の視点です。
> > > > ということは、主人公が画面に出てくるはずもないわけで、マニュアル
> > > > だけになるのは必然ですよね。
> > >
> > > Airは出てくるようですが?
> > > (私の記憶には無いのですが)
> >
> > ああ、失念していました。
> > 女装を見せたいとか、そういう特種事情ではあるかもしれませんね。
>
> 「特殊事情」ってごく普通にありそうですが。
さあ、普通と言うほど記憶にないですね。
> > > 「画面=主人公の視点」の目的が主人公のキャラクターを曖昧に
> > > することで自己投影させることが目的ならマニュアルにもキャラ
> > > クターを載せないことが自然ですね。
> >
> > そうとも限らないでしょう。
> > 画面=主人公なら、特に説明の必要もなく、心象表現は主人公のもの
> > とすることができますから。
>
> 文体が一人称なら主人公視点であろうが無かろうが「心象表現は主
> 人公のもの」と思いますが。
ゲームの場合、その特徴から1人称がデフォルトです。だから主
人公のいる場所以外の状況を、描写できなくなる問題があります。
そのため神の目で見ている何者かの視点で、他のキャラクターの心
象表現をしたりするわけです。だから、心象表現が主人公のものとは
限りません。正確には、何も説明がなかったら主人公。説明があった
ら他のキャラクターの心象表現です。
> また、「顔のない」ことが「主人公視点」であることが理由なら
> 「声がない」のはなぜでしょう。
投影型の主人公の邪魔になるのと、そもそもニーズがないという
2点が理由でしょう。
> > > 「画面=主人公の視点」は主人公が一方向だけ向いているなら良いん
> > > ですが、転んだり、寝ころんだり、ヒロインを抱きしめたりするシー
> > > ンを描くには不向きですね。
> > > #18禁のHシーンも「主人公の視点」なら顔しか見えない
> > > #はずだし(正常位なら) ^_^;;
> >
> > それは屁理屈です。
>
> どの辺に「筋道が立たない」とか「道理が通らない」と感じられた
> のでしょうか。
屁理屈でなければ、思考すること自体無意味ですと言い直します。
--
東京都 飯塚顕充
In article <c0ip57$152$1...@news1.point.ne.jp>, tetsut...@yahoo.co.jp says...
>AirでもOneでも痕でも、主人公の個性は一貫して
>いると思いますが。
前にも言いましたがここら辺の感覚の違いは面白いですねぇ。
私はどのゲームも基本的な人格は設定されているが、さらに
プレイヤーの「個性の選択」によって「行動」が決められると
感じていますね。
AVG、まあノベルゲームも私は違いがないと思いますが、なにも
行動を直接選択する事だけなものはほとんどないと感じています。
行動でなく個性を選択するんですから、プレイヤーの選択によって
意外な行動をキャラがとっても不思議ではないですね。まあそれが
そんな事をするはずが無い、と思う人がいるのもわかりますが。
# 「彼女が好きだ」という選択を選んでも、実際は恥ずかしくて
# いえなかった、という行動をとるとか見たいなのも別に普通だと
# 思うんですけどね。
>$ あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
>$ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
>
>と考えられている、と。
>(本当に?)
突き詰めれば選択史を選ぶ事をしなければ進みませんが、まあそこ
まで言わなくても、投影というのはなにも行動を全て指定するという
事ではないと思いますね。個性があるキャラに指針をあたえることが
できるのもまた投影の形でしょう。
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:c0ip57$152$1...@news1.point.ne.jp...
> ここで反論されている以外の箇所はご理解頂けたと見なします。
理解と言うか他の場所と重複してるとか、論筋からはずれ
たと判断したと思ってください。
> > > > ゲームの本質を考えると、投影型が多数を占める状況は
> > > > 変わらないでしょう。
> > > > で、てつたろうさんが切り替えることが出来るなら、ノベル
> > > > ゲームであろうとAVGであろうと、投影型のゲームなら投影
> > > > 型に。他者型なら他者型に切り替えて遊べば、いいのでは
> > > > ないでしょうか?
> > >
> > > ここで、飯塚さんの仰る「切替」とは何でしょうか。
> >
> > 以下に記述があります。
> > > ゲームの歴史とその性質上、投影型の方が多いでしょうね。
> > > 特にいろいろなジャンルのゲームをやる人間ほど、この傾
> > > 向は強いと思います。
> > > ただ一番多いのは、必要に応じて切り替える人で、どっち
> > > かでなきゃ全くダメという人はかなり少ないでしょう。
> >
> > 投影型と他者型を必要に応じて切り替えることですね。
>
> 「切替」の基準はプレーヤーがそのゲームをどちらと
> 見なすかだと思います。
> 制作者が「投影型」として作ったのだから、「投影型」
> として遊べ、と言っている訳ではないですよね。
結果的に「投影型」として作られたゲームは、「投影型」
で遊ぶでしょう。遊ぶときに「さあ、これはどっちだ」といち
いち判定しないですからね。普通の人は無意識にそうや
って切り替えてるはずなんですが。
> で、私が「顔が欲しい」のは、私が「他者型」と見なす
> ゲームです。
普通の人のように無意識に遊ぶと新しい境地が…。(^^;)
> > > > > ノベルゲームだと、「よせ、やめろ、そんなことはするんじゃ
> > > > >ない」ということを勝手にやってくれたりします。それにプレイ
> > > > > ヤーは干渉できない、というよりそのもどかしさを含めて楽
> > > > > しんでいるはずです。
> > > >
> > > > 「よせ、やめろ、そんなことはするんじゃない」
> > > > と思うようなゲーム自体、物凄く少ないと思うのですが。(^^;)
> > >
> > > (私が「よせ~」をゲーム一般を対象に書いたと誤解
> > > されてはいませんよね)
> >
> > 誤解じゃなく、書いてある通りに理解したんですが。(^^;)
>
> ノベルゲーム、及び、昨今のAVGにおいては、主人公はプレイヤー
> の思いも寄らない行動をとることがあります。
> そういうゲームが一部である、と言っているのではなく、多くの
> ノベルゲームやAVGにおいて、そういうシーンが含まれています。
> その例として、飯塚さんが「投影型」だと仰る「ToHeart」にも、
> 主人公がヒロインを同級生に襲わせようとする場面があります。
> (私が「よせ、やめろ」といった由縁です)
全く記憶にございません。
で、多くと言っても、ここで名前の上がった痕とかToHeartには
ないんじゃないですか?
> > > > さらにそういう操作できないストレスを楽しむというのも、ゲ
> > > > ームのプレイヤー中、多数を占めると思えません。
>
> 「操作できない」からと言って皆がストレスを感じると考える
> のは変です。
なんか自身の記述と矛盾してる気がするのですが、
「よせ、やめろ」とてつたろさんが思ったこと、すなわちストレス
ではないのですか? で、それを楽しんでいる人は多数を占め
たりはしないでしょう?
てつたろさんは「よせ、やめろ」と思うような状態を、楽しんで
るんですかね?
> 飯塚さんはEnterキーで話を進めていく場面にストレスを感じ
> るのですか。それでは、ノベルゲームやAVGをプレイ
> する時間の大半は苦痛でしょうね。
私は「よせ、やめろ」と思うような展開だとストレスを感じますね。
人並みに。
> > > ノベルゲームのストーリーに求めるのは意外性だと
> > > 思いますが。
> >
> > 多数の人が求めるのは、意外性より感動でしょう。
>
> 「感動」の源として「意外性」は重要なウェイトを占めて
> いると考えます。
うーん。
「感動」というのは「喜怒哀楽」のことを言うんですがね。普通。
喜ぶは、笑いゲー・バカゲーなどですが、お笑いは一寸低く
見られているので、「感動」するゲームには入れてもらえません。
怒るのも、プレイヤー怒らせてもしょうがないので論外です。
で、結果的に哀楽、つまり泣けるゲームかハッピーエンドのゲ
ームが「感動」するゲームと考えられています。
今「泣けるゲーム」が大流行ですね。
で、あれは意外性があるから泣けるんじゃなくて、悲しい
お話だから泣けるんです。あったり前の話ですね。(^^;)
もう1つが王道の「ハッピーエンド」。
これはその直前に苦難がありますが、そこを突き抜けて
ハッピーエンドに至るから感動するわけで、意外性がある
からハッピーエンドで感動するわけじゃないでしょう。
> > ありがちな王道のストーリーでも、感動できるのなら
> > 評価されるのが昨今の流れです。
> > まぁそれは極端としても、広義の「感動」が求められ
> > ているのは間違いないでしょう。
>
> そうですね、「意外性」なしに「感動」に持っていく
> ことの如何に難しいことか。
「持っていく」のと「源」とは全然違いますよ。
「持っていく」というのは、要するにプレイヤーの好奇心を
かき立てるようにするということでしょう?
推進力と源は全然違いますよ。
> > > > ノベルゲームでそういう事態が発生するとしたら、投影型を
> > > > 狙って作られたゲームでは、できるだけ主人公と同じく悩んだ
> > > > り、苦労したりという感情を理解して欲しいという目的でしょう。
> > >
> > > それって飯塚さんが「他者型」の特徴として挙げられた
> > > 「感情移入」でしょう。
> > > 「投影型」なら、プレイヤーの感情に主人公が合わせて
> > > くれなければ。
> >
> > それは投影型を狭く考えすぎです。
> > ストーリーをプレイヤーに合わせると言ってるのと同じですよ。
> > それは。
>
> 幅がありますよね。
> よかった、その点は同意見を持てた訳だ。;-)
幅というか、不可能なことを投影型として当たり前としたから
否定したのですが。やんわりと。
> 戻りますが、「プレイヤーに理解を求める」ということはプレイ
> ヤーと主人公が乖離していることが前提です。
> これは、「他者型の特徴」だと考えます。
ストーリーはどんな場合もおしなべて、理解してもらうもの
です。これは他者型うんぬんでなく、ストーリーの特徴です。
だから、主人公も理解していないんです。最初は。
> > > ゲームに自己を投影するための「形あるもの」なんですよね。
> > > それは、メンコでもビー玉でも同じと思いますが。
> >
> > 違いますね。
> > メンコやビー球は自己じゃなくて、武器でしょ。
> > 相手をそのルールで倒すための武器。
>
> ゲームの「駒」って基本的に「武器」だと思いますが。
> 「ビックバイパー」は「武器」じゃないとは言いませんよね。
だからあれは「自機」です。
「武器」はレーザーとかホーミングミサイルとかです。
> > メンコで遊んでいるときに、「俺は今メンコだ」と考える
> > 奴がいたら怖いですよ、はっきり言って。(^^;)
>
> メンコがひっくり返りそうになるのを堪えたとき、「よー
> し、よく頑張った」とは思いませんか。
> あの時のメンコは自分の分身です。
分身じゃなくて、擬人化でしょう。
無機物を個性のある人に模す。分身じゃなくて、対等
な個人と見てるんですよ。
> > > 「ノベルゲームにおける主人公のキャラクターは希薄か」
> > > という問題ですが、今まで述べてきたように、ノベルゲーム
> > > に関しては登場人物のキャラクターこそ命だと考えています。
> > > 「怒れ」「泣け」「笑え」と命令しなくても感情を表現する
> > > 主人公に対するプレイヤー(私)の接し方は、それこそ小説の
> > > 主人公に対する読者(私)の接し方に近いです。
> >
> > 主人公はゲームにおいてスーパーな存在ですから、どんな
> > 容姿もありえるし、どんな性格もありえるんです。特に最初は。
> > 遊ぶ人間がどんな人間かわからないんですから。
> > で、主人公は社会通念上に照らして、笑うし泣くし怒るんです。
> > 特に最初は。
> > ストーリーが進むにつれ、段々個性が強くなってくるのがゲ
> > ームの主人公で、それは小説の主人公と違います。
>
> AirでもOneでも痕でも、主人公の個性は一貫して
> いると思いますが。
無個性だと思いますね。
最大公約数の集合体です。
> プレイヤーの選択で純愛か鬼畜か選べるゲームなら、
> 性格が変わることはあるのでしょうが、それって
> むしろ稀な例だと思います。
倉林さんが書いてますが、純愛か鬼畜かなんて極端な
例でなくても、主人公の性格はプレイヤーの選択で決定
していくんですよ。
> #ズバリ言うと、顔がないのが「投影型」なら「MOON」にもヒ
> #ロインの顔を出さないのが流儀だろうけれど、普通に出て
> #きますよね。であれば、制作者は「投影型」だからという拘
> #りを大して持っていないだろう、という考えです。
> #「投影型」だから「顔なし」という理由は希薄だと思っている
> #のです。
なんだ、そういうことですか。
まぁ特殊な1例だけでは、一般化できないでしょう。
> > > > > つまり、実際の処「男の顔なんていらん」と考えている
> > > > > ソフトハウスが多いだけではないかと思うのですが。
> > > >
> > > > もちろんそう考えているソフトメーカーもあるでしょうが、基本的に
> > > > はゲームの歴史とその特徴からの判断でしょう。
> > >
> > > では、主人公(男)の顔が描かれない理由は「ターゲットに
> > > する層の問題」と「ゲームの歴史とその特徴からの判断」で
> > > どちらがより大きいとお考えでしょうか。
> > > ちなみに私はの意見は「前者」だと思います。
> >
> > 私は後者です。
>
> 「ターゲットにする層の問題」が小さいと主張し、私を説得し
> たいのであれば、その証明として前述の例を挙げてください。
だから今まで議論に上げた、痕とかToHeartとかは後者の
ゲームですよ。
> > > 飯塚さんの話は「歴史の講義」だったのですか。
> >
> > 歴史と「特徴」です。
>
> 過去の歴史にケチを付ける積もりはありません。
> 今が、そしてこれからがどうあるのかが問題。
今も昔もゲームの特徴とはなんなのか、ということも理解
して欲しいのですがねぇ。
> > > 飯塚さんだって嗜好に合わないゲームはやりませんよね。
> >
> > いや、やりますよ。
> > やってみないと、本当に嗜好に合わないかどうかわかりま
> > せんし。
>
> 体験版をプレイして、「これは嗜好に合わないな」
> と思えば製品には手を出さないでしょう?
購入するかどうかと、やるかやらないかとは全然別の話
でしょうに。
体験版だろうがなんだろうが、「やってる」「遊んでる」こと
には変わらないでしょ?
> または、鬼畜なゲームが嫌いなら「鬼畜」と
> 銘打っているゲームには手を出さないでしょう?
だからとりあえず体験版でも何でもやってみますって。
> > > 例えば、主人公の丸一日の行動に選択肢がない場合、
> > > それでも「投影型」足り得ますか。起きるのが辛い朝、
> > > 「寝て過ごす」「頑張って起きる」という選択肢が発生せ
> > > ず、「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」
> > > と言われたら?
> >
> > 投影型うんぬん以前に、ゲームとしてコンセプトに問題
> > がありますね。(^^;) ゲームとして無意味な展開はプレイ
> > ヤーのストレスになりますから、ストレスをかける何らかの
> > 意味がない限り、ゲームとしてやっちゃダメでしょう。
>
> 「ゲームとして無意味な展開」って何でしょう?
今回の場合で行くと、「今日はやる気が起きないので一
日寝て過ごした」です。
> ノベルゲームでもAVGでも終盤では選択肢がほとんど
> でないで「読ませる」ことが中心になることはごく普通
> に見受けられますが、飯塚さんの評価ではそれらはゲーム
> として「駄目」な部類ですか?
終盤で
「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」
なんてやるノベルゲームは駄目な部類でしょうなぁ。(^^;)
> > > これは決してノベルゲームとして特殊な例ではありません。
> > > ノベルゲームの経験がおありならわかりますよね。
> >
> > いやぁ、特殊な例だと思いますね。
>
> 特殊ではないノベルゲームの例は何でしょうか?
痕とかToHeartはノベルゲームの代名詞になってますよね。
> > > 逆に上記に当てはまらない、個性のない「投影型」主人公
> > > のノベルゲームの代表例があれば教えて頂けますか。
> >
> > 痕もTo-Heartもしっかり投影型の主人公ですよ。
>
> $ あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
> $ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
> と考えられている、と。(本当に?)
だってあの主人公の夢ってなんです?
思考だって社会通念上に照らしての喜怒哀楽しかしてない
でしょうが。
--
東京都 飯塚顕充
In article <c0st5o$gbe$1...@swallow.comp.metro-u.ac.jp>, iiz...@comp.metro-u.ac says...
> 飯塚(東京都)です。
>> AirでもOneでも痕でも、主人公の個性は一貫して
>> いると思いますが。
>
> 無個性だと思いますね。
> 最大公約数の集合体です。
まあ少なくとも設定は存在しますから、無個性というほどのゲームは
これ以外にも私の感覚ではもはやないですかねぇ……
>> プレイヤーの選択で純愛か鬼畜か選べるゲームなら、
>> 性格が変わることはあるのでしょうが、それって
>> むしろ稀な例だと思います。
>
> 倉林さんが書いてますが、純愛か鬼畜かなんて極端な
>例でなくても、主人公の性格はプレイヤーの選択で決定
>していくんですよ。
まああの世界でもっとも重要な、どの女性が(より)好みか、という
性格付けはプレイヤーの選択するところですね。(少なくともそうじゃ
ないと今まであがったゲームはゲームとして成り立たないと思ってた)
いそうなところを狙って移動したり、誘いを断ったりなども行動と性格
(好みのタイプかどうかなのかという個性)を同時に選択しているような
感覚ですな。
これを主人公の性格にそって読んでいる、と感じておられるというのは
結構意外な見方なんで面白いです。それの是非はともかく、それなら顔が
欲しいと思うというのも私はわかる気がしました。
"iizuka" <iiz...@comp.metro-u.ac> wrote in message
news:c0pfah$j4g$1...@swallow.comp.metro-u.ac.jp...
> > もともとが、「好き嫌い」レベルの話でしたので。
> > 共感できるか否か。
> > 共感できなくてもそれはそれで止むなしと。
> > #紅茶の好みは人それぞれ
>
> 単に個人の趣向の問題なら、議論する気はありません。私は個人の趣向を
> 記述していませんので。
> それだけの話なら勝手に好きなゲームをやることです。
> 青年の主張大会をやってるわけではないので、単に個人的意見の発露なら
> ホームページで思う存分語って欲しいですね。
NGって個人的意見は禁止されていましたっけ?
それってかなりつまらなくなりそう…
#少なくとも私は「好きだ」という気持ちが
#投稿の原動力です。
#飯塚さんがここまで根気よくお付き合いを
#頂いている原動力も同じだと思っていました
#が、それすら私の勘違いなら哀しいです。
> > > > 「ウインドーがでて」「地の文中心」のゲームはどうなるのか、
> > >
> > > プレイヤーが参加できなくなるから、そういうゲームは皆無です。
> >
> > 「地の文中心」かどうかは兎も角、「プレイヤーの参加」
> > でいえばAVGでも選択肢が永いこと現れないものが近年多い
> > とは思います。
>
> まぁとにかく、「ウインドーがでて」「地の文中心」のゲームなんて
> ものは考えなくて大丈夫です。
そこを突っ込まれましたか ^_^;;
では、改めて
AVGでも選択肢が永いこと現れないものが近年多い
とは思います。
> > > > また、もし「全面に文字を表示」で「台詞中心」
> > > > のゲームがあったらどうなるのかと思いましたが、
> > >
> > > セリフ中心にするなら、ノベルタイプをシステムに採用する必要はないです
> > > ね。最初からアプローチを間違ったゲームは、消える運命ですな。
> > > > 「ウインドー」か「全面」かだけがポイントなら判ります。
> > > > #であれば、台詞中心かどうかは重要ではありませんね。
> > >
> > > 副次的ですが、特徴の1つです。
> > > 特に心象表現が細かくできる。キャラクターの気持ちを表現したい場合に
> > > 威力を発揮します。
> > > 逆に「弟切草」のようなタイプは珍しい。ホラーも推理モノも、特段ノベ
> > > ルタイプである必要はないからです。
> > > 実際「ファミコン探偵クラブ」の方がよっぽど恐いし、探偵モノとしても
> > > 魅力が出てます。
> > > まぁ、「弟切草」は実験的な意味合いが大きいですから、存在自体に意
> > > 味があるんでしょう。
> >
> > ふと、思ったのですが、ノベルゲームが「ストーリーを読ませることに
> > 重きを置いたシステム」なら、その対比としてのAVGは「グラフィック
> > に重きを置いたシステム」といえるのではないでしょうか。
>
> ノベルゲームはAVGの派生物で対比するものじゃないと思いますね。
> AVGはグラフィックに限らず、システムも含めてバランスがとれてます。
いえ、長いテキストを読ませることに不適切
なシステムだから短文である台詞が中心に
ならざるを得なかった、とも考えられます。
AVGも選択肢が少なければ「読むこと」が中心
になりましょう。
システム的に読ませることに特化したノベル
ゲームに比較すると、改ページが煩わしく
なりがちですが。
> > > > > で、まぁ話を前に進めますが、「ストーリーを自分で作っていく
> > > > > 感覚のAVG」というのは、物凄く少ないですね。
> > > >
> > > > 昔のAVGは、状況を目の前に突きつけて「さあどうする」と言ってくる。
> > > > 最近ではそのようなタイプのゲームは壊滅的に少なく、代わりに何も
> > > > 選択せずとも主人公達がどんどん話を進めるゲームが増えています。
> > >
> > > 昔かどうかでなく、ストーリーのタイプによって違うんだと思います
> > > ね。探偵もののストーリーは、今でも「さてどうするか?」というコメ
> > > ントそのものと、選択肢が表示されますから。
> >
> > 主人公のモノローグとしての「さて~」という意味で書いたのではなく、
> > 「状況」→「行動」→「状況」→「行動」→…という構造を示したのです。
> > 最近は、「状況」→「行動」→「状況a」→「状況b」→…
> > と主人公の行動を入力(選択)することなく、
> > ストーリーが進むものが多い、という話ですよ。
>
> わかりません。
> 行動を選択していくものが、圧倒的に多いと思いますが。
> 選択肢が少ないということですかね?
では「昔のAVG」の具体例を。
「目の前に扉がある」どうする?
「扉を開く」
「部屋の中は真っ暗だ」どうする?
「スイッチをつける」
「スイッチが故障しているようだ」どうする?
今のAVGは、「攻略ページ」などを拝見すると
判りますが、1回のプレイで2,3時間かかる
ゲームでも選択肢は10個もないケースが多い
です。
これはノベルゲームでもほぼ一緒。
チュンソフトのノベルゲームは昨今のAVGの
多くよりよほど選択肢の数は多く、分岐も
複雑です。
> > > > > 要するに顔が画面に出る必要はない上に、出るとおかしいという
> > > > > ことになります。
> > > >
> > > > 「Better Sweet Fools」はおかしいですか? ;_;
> > >
> > > おかしいというか、異端の部類ですな。
> > > 最初から、プレイヤー=観客というコンセプトですから。
> >
> > 「異端」というより「多様化」ではないかと。
>
> プレイヤー=主人公でなく観客という点から言って、異端ですね。
私はほとんどのノベルゲームやAVGを観客、
あるいは読者の立場でプレイしています。
しかし、観客も劇にのめり込めば主人公
その他のキャラクター(アクターか)達と
一体感を感じる時があります。
それは、自分があたかもその場で劇に
出演している気分です。
「投影型」との違いは、その時の自分が
てつたろでも役を演じる俳優でもなく、
劇上の登場人物そのものであるという
ことです。
#だから顔はあったほうがいい
> > > ですから、移動が面倒臭かったらマップを表示して、クリップ1発で場所
> > > を移動できれば良いとかそういうレベルの話でしょう?
> > > それはインターフェースの問題です。
> > > 前にも書いた通り、AVGでの「ゲームのもっとも特徴的なこと」は、ストー
> > > リーの分岐を作って、如何に遊べるようにするかです。
> > > システムの善し悪しではありません。
> >
> > で、分岐の極端に少ない「Better Sweet Fools」
> > は「異端」という訳ですか。
>
> 化粧桜の評価で低いのは、「ゲームのもっとも特徴的なこと」ではない
> ということは、合意できたと理解してよろしいのでしょうか?
$ ここで言いたかった「ゲーム」とは「ゲーム全般」ではなく「ゲ
$ ーム」を「ゲーム」たらしめているシステム性、「ゲームのもっ
$ とも特徴的なこと」です。
と書かれていましたが、上の文
「システムの善し悪しではない」
とは矛盾するように感じました。
#さて、今度はどんな誤解があるのでしょうか?
> > > > > ノベルゲームの全てが、画面=主人公の視点です。
> > > > > ということは、主人公が画面に出てくるはずもないわけで、マニュアル
> > > > > だけになるのは必然ですよね。
> > > >
> > > > Airは出てくるようですが?
> > > > (私の記憶には無いのですが)
> > >
> > > ああ、失念していました。
> > > 女装を見せたいとか、そういう特種事情ではあるかもしれませんね。
> >
> > 「特殊事情」ってごく普通にありそうですが。
>
> さあ、普通と言うほど記憶にないですね。
(説明上、順番を変えます)
> > > > 「画面=主人公の視点」は主人公が一方向だけ向いているなら良いん
> > > > ですが、転んだり、寝ころんだり、ヒロインを抱きしめたりするシー
> > > > ンを描くには不向きですね。
> > > > #18禁のHシーンも「主人公の視点」なら顔しか見えない
> > > > #はずだし(正常位なら) ^_^;;
> > >
> > > それは屁理屈です。
> >
> > どの辺に「筋道が立たない」とか「道理が通らない」と感じられた
> > のでしょうか。
>
> 屁理屈でなければ、思考すること自体無意味ですと言い直します。
(「なにも考えるな。ただ受け入れるんだ」と ^_^;;;)
ですから、上記の例はAVGで普通にあるシーンでしょう?
飯塚さんは「普通」にご覧になったことがないと?
(1ゲーム全体の何%以下だから「特殊」だなんて
強引な理屈は言いませんよね)
制作者の都合、およびプレイヤーの嗜好(そう嗜好です)
次第で、いくらでも主人公視点なんて外されるものです。
> > > > 「画面=主人公の視点」の目的が主人公のキャラクターを曖昧に
> > > > することで自己投影させることが目的ならマニュアルにもキャラ
> > > > クターを載せないことが自然ですね。
> > >
> > > そうとも限らないでしょう。
> > > 画面=主人公なら、特に説明の必要もなく、心象表現は主人公のもの
> > > とすることができますから。
> >
> > 文体が一人称なら主人公視点であろうが無かろうが「心象表現は主
> > 人公のもの」と思いますが。
>
> ゲームの場合、その特徴から1人称がデフォルトです。だから主
> 人公のいる場所以外の状況を、描写できなくなる問題があります。
> そのため神の目で見ている何者かの視点で、他のキャラクターの心
> 象表現をしたりするわけです。だから、心象表現が主人公のものとは
> 限りません。正確には、何も説明がなかったら主人公。説明があった
> ら他のキャラクターの心象表現です。
他者の視点を認めて頂いたわけですね。
「主人公が画面に出てくるはずもないわけ」
ではない、と訂正頂けたと判断します。
> > また、「顔のない」ことが「主人公視点」であることが理由なら
> > 「声がない」のはなぜでしょう。
>
> 投影型の主人公の邪魔になるのと、そもそもニーズがないという
> 2点が理由でしょう。
嗜好上の理由から私は欲しい。
最近はぼちぼち主人公の顔や声のあるAVG
/ノベルゲームも出始めているようで、
私のような嗜好の人間が増えてニーズが
認められつつあるのかな。
(ゲームに於けるニーズの有無は嗜好の
問題でしょ。嗜好の問題を語れなければ
ニーズを持ち出すのも無意味)
"KURABAYASHI" <kura...@nifty.com> wrote in message
news:c0ql9h$ovr$1...@news511.nifty.com...
> 倉林です。
>
> In article <c0ip57$152$1...@news1.point.ne.jp>, tetsut...@yahoo.co.jp
says...
>
> >AirでもOneでも痕でも、主人公の個性は一貫して
> >いると思いますが。
>
> 前にも言いましたがここら辺の感覚の違いは面白いですねぇ。
> 私はどのゲームも基本的な人格は設定されているが、さらに
> プレイヤーの「個性の選択」によって「行動」が決められると
> 感じていますね。
女の子の好みも個性の内、というなら
ほとんどのギャルゲーはそうかも知れませんね。
あるいは、選択肢によっては多少の個性の揺らぎが
あるものもあります。
(素直に「はい」と答えるか、照れて「いいえ」
と答えるか等はそうですね)
ただ、共通ルーチンを通るときの主人公の行動は
どんな選択肢を通ってきても同じだし、それ
はそれで制作者が設定した主人公の個性だと
思います。
主人公の性格フラグのようなものを持たせない
限り、本格的な個性の変化は難しそうです。
いずれにせよ、プレイヤーの性格がそのまま
反映されるAVG/ノベルゲームは今の技術では
ちょっと無理です。
(なぜこんな話を持ち出したかは「投影型」/
「他人型」の定義に関する文章をご参照下さい)
> AVG、まあノベルゲームも私は違いがないと思いますが、なにも
> 行動を直接選択する事だけなものはほとんどないと感じています。
私も一緒くたにノベルゲームと扱って
いたのですが、客観的システム的に
それが間違いであると知らされ、
今はほとんどの場面では「AVG」と
「ノベルゲーム」を併せて表記して
います。
> 行動でなく個性を選択するんですから、プレイヤーの選択によって
> 意外な行動をキャラがとっても不思議ではないですね。まあそれが
> そんな事をするはずが無い、と思う人がいるのもわかりますが。
私は意外性を楽しんでます。^_^
他の多くの人もそうであろうと
考えています。
「そんな事をするはずが無い」
と考えるとしたら「自分だったら」
が前に付くのでしょうかね。
#女の子の前で真っ赤に上がって
#しまう主人公が特別な理由無く
#遊び人のように振る舞えば誰もが
#「そんなはず無い」でしょうが、
#さすがにそれはストーリーが破綻
#するので誰もやらないでしょうし。
> # 「彼女が好きだ」という選択を選んでも、実際は恥ずかしくて
> # いえなかった、という行動をとるとか見たいなのも別に普通だと
> # 思うんですけどね。
ですね。
それはむしろ私と同意見です。
そんな恥ずかしがり屋の主人公が
実は強面の大男だった、というのも
意外性があって面白そうですが、
そんなとき主人公の顔が出てもいい
とは思いませんか?
> >$ あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
> >$ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
> >
> >と考えられている、と。
> >(本当に?)
>
> 突き詰めれば選択史を選ぶ事をしなければ進みませんが、まあそこ
> まで言わなくても、投影というのはなにも行動を全て指定するという
> 事ではないと思いますね。個性があるキャラに指針をあたえることが
> できるのもまた投影の形でしょう。
先述の話は言葉の定義の問題です。
$ キャラクターに感情移入するためには、そのキャラクターが
$ 何を考え、何を夢に見、何をしようとしているかがわかった方が
$ いいですから。
$ つまり「主人公は他者」である。
$ いわゆる「ファイナルファンタジー」系ですね。
これは飯塚さんが「他人型」と分類されています。
その前提で話をして参りました。
対する「投影型」は
$ 対してゲームの歴史に脈々と流れる「主人公同一性」があり
$ ます。「ドラゴンクエスト」がわかりやすいです。
$ あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
$ ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
と定義づけられています。
STGの戦闘機、レースゲームの自車もそれに分類される
ようです。
まあ、厳密な分類など無く、「どちらにより近いか」
と、プレイヤーが「どちらと感じるか」の問題のような
気もします。
私が、「キャラクター性の高い主人公には顔(や声)が
欲しい」という考えに対し、「投影型の主人公は記号
だから顔は邪魔」というのが飯塚さんのご意見のよう
です。
(断定にできないのは飯塚さんのご意見を私が正しく
理解できていない可能性があるからです。というより
100%、飯塚さんの考えを理解するのは無理。
飯塚さんの書かれた文章から読みとった情報を解釈
し、私なりの理解に結びつけることしか出来ません)
ただし、"$"で引用した文章は飯塚さんご自身の投稿
された文章です。
(なぜか京大サーバからは消えていますが、googleで
みると残っています)
倉林さんがそこから何を読みとられるかも、倉林さん
ご自身の判断にお任せします。 m(_ _)m
In article <c0tcui$se5$1...@news1.point.ne.jp>, tetsut...@yahoo.co.jp says...
>てつたろです。
>女の子の好みも個性の内、というなら
>ほとんどのギャルゲーはそうかも知れませんね。
この一点だけで、基本的には別人であり、システムの一端だと思い
ますけどねぇ。じゃなければつねに同じ女性とつきあうようになり、
一本道のAVGになると思っています。
>ただ、共通ルーチンを通るときの主人公の行動は
>どんな選択肢を通ってきても同じだし、それ
>はそれで制作者が設定した主人公の個性だと
>思います。
もちろん基本的な人格は存在しますね。私にとってはべつに
本格的な性格の変化などなくても十分変わっている
と思えるだけの事でしょう。
>私が、「キャラクター性の高い主人公には顔(や声)が
>欲しい」という考えに対し、「投影型の主人公は記号
>だから顔は邪魔」というのが飯塚さんのご意見のよう
>です。
まあどれが投影型でそうでないか、など特に重要でないんでしょうし、
私自身は気にしてませんが(顔の有無含めて。ルートによって顔を変えた
方が面白いと製作者が思うなら変えたっていいし)どう感じてやってるか
という違いはなかなか興味深いお話でしたな。
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:c0td3s$se9$1...@news1.point.ne.jp...
> > > もともとが、「好き嫌い」レベルの話でしたので。
> > > 共感できるか否か。
> > > 共感できなくてもそれはそれで止むなしと。
> > > #紅茶の好みは人それぞれ
> >
> > 単に個人の趣向の問題なら、議論する気はありません。私は個人の趣向を
> > 記述していませんので。
> > それだけの話なら勝手に好きなゲームをやることです。
> > 青年の主張大会をやってるわけではないので、単に個人的意見の発露なら
> > ホームページで思う存分語って欲しいですね。
>
> NGって個人的意見は禁止されていましたっけ?
> それってかなりつまらなくなりそう…
単に発露するだけなら、ネットニュースでやる必要はないでしょう。
対等に意見交換する、議論するのでなければ。
単に「こっちが好き」「俺はあっちが好き」では、議論にならんでしょ
うが。
> > > ふと、思ったのですが、ノベルゲームが「ストーリーを読ませることに
> > > 重きを置いたシステム」なら、その対比としてのAVGは「グラフィック
> > > に重きを置いたシステム」といえるのではないでしょうか。
> >
> > ノベルゲームはAVGの派生物で対比するものじゃないと思いますね。
> > AVGはグラフィックに限らず、システムも含めてバランスがとれてます。
>
> いえ、長いテキストを読ませることに不適切なシステムだ
> から短文である台詞が中心にならざるを得なかった、と
> も考えられます。
それは違いますね。
もともと長いテキストを読ませるゲームが存在しませんでしたから。
> > > > > 昔のAVGは、状況を目の前に突きつけて「さあどうする」と言ってくる。
> > > > > 最近ではそのようなタイプのゲームは壊滅的に少なく、代わりに何も
> > > > > 選択せずとも主人公達がどんどん話を進めるゲームが増えています。
> > > >
> > > > 昔かどうかでなく、ストーリーのタイプによって違うんだと思います
> > > > ね。探偵もののストーリーは、今でも「さてどうするか?」というコメ
> > > > ントそのものと、選択肢が表示されますから。
> > >
> > > 主人公のモノローグとしての「さて~」という意味で書いたのではなく、
> > > 「状況」→「行動」→「状況」→「行動」→…という構造を示したのです。
> > > 最近は、「状況」→「行動」→「状況a」→「状況b」→…
> > > と主人公の行動を入力(選択)することなく、
> > > ストーリーが進むものが多い、という話ですよ。
> >
> > わかりません。
> > 行動を選択していくものが、圧倒的に多いと思いますが。
> > 選択肢が少ないということですかね?
>
> では「昔のAVG」の具体例を。
> 「部屋の中は真っ暗だ」どうする?「スイッチをつける」
> 「スイッチが故障しているようだ」どうする?
> 今のAVGは、「攻略ページ」などを拝見すると判りますが、
> 1回のプレイで2,3時間かかるゲームでも選択肢は10個
> もないケースが多いです。これはノベルゲームでもほぼ一緒。
> チュンソフトのノベルゲームは昨今のAVGの多くよりよ
> ほど選択肢の数は多く、分岐も複雑です。
わかりません。
選択肢では、行動を選択するかどうかという点は、「する」
ということでいいですよね?
で、選択肢の数についてですが、1ゲーム2、3時間なんて
短いゲームでは例にならないでしょう。
だいたい相場は1プレイ10時間。多いものは30時間ぐら
いですよ。今のAVGやノベルゲームは。
スキップで飛ばしまくるなら別ですけど。
> > > > > > 要するに顔が画面に出る必要はない上に、出ると
> > > > > > おかしいということになります。
> > > > >
> > > > > 「Better Sweet Fools」はおかしいですか? ;_;
> > > >
> > > > おかしいというか、異端の部類ですな。
> > > > 最初から、プレイヤー=観客というコンセプトですから。
> > >
> > > 「異端」というより「多様化」ではないかと。
> >
> > プレイヤー=主人公でなく観客という点から言って、異端ですね。
>
> 私はほとんどのノベルゲームやAVGを観客、
> あるいは読者の立場でプレイしています。
それは知ってます。
私が言ってるのは、 「Better Sweet Fools」は制作コンセプ
トが最初からプレイヤー=観客であるという点で、異端だと言
うことです。
> > > > ですから、移動が面倒臭かったらマップを表示して、クリップ
> > > > 1発で場所を移動できれば良いとかそういうレベルの話でしょう?
> > > > それはインターフェースの問題です。
> > > > 前にも書いた通り、AVGでの「ゲームのもっとも特徴的なこと」
> > > > は、ストーリーの分岐を作って、如何に遊べるようにするかです。
> > > > システムの善し悪しではありません。
> > >
> > > で、分岐の極端に少ない「Better Sweet Fools」
> > > は「異端」という訳ですか。
> >
> > 化粧桜の評価で低いのは、「ゲームのもっとも特徴的なこと」で
> > はないということは、合意できたと理解してよろしいのでしょうか?
>
> $ ここで言いたかった「ゲーム」とは「ゲーム全般」ではなく「ゲ
> $ ーム」を「ゲーム」たらしめているシステム性、「ゲームのもっ
> $ とも特徴的なこと」です。
> と書かれていましたが、上の文 「システムの善し悪しではない」
> とは矛盾するように感じました。
> #さて、今度はどんな誤解があるのでしょうか?
書いてある内容が理解できません。
もう一度確認します。
化粧桜の評価で低いのは、「ゲームのもっとも特徴的なこと」で
はないということは、合意できたと理解してよろしいのでしょうか?
「合意できた」「出来なかった」の2者択一でお願いします。
次に「出来なかった」場合に、その理由を記述してください。
> > > > > > ノベルゲームの全てが、画面=主人公の視点です。
> > > > > > ということは、主人公が画面に出てくるはずもないわけで、
> > > > > >マニュアルだけになるのは必然ですよね。
> > > > >
> > > > > Airは出てくるようですが?
> > > > > (私の記憶には無いのですが)
> > > >
> > > > ああ、失念していました。女装を見せたいとか、そうい
> > > > う特種事情ではあるかもしれませんね。
> > >
> > > 「特殊事情」ってごく普通にありそうですが。
> >
> > さあ、普通と言うほど記憶にないですね。
>
> (説明上、順番を変えます)
>
> > > > > 「画面=主人公の視点」は主人公が一方向だけ向いてい
> > > > > るなら良いんですが、転んだり、寝ころんだり、ヒロインを
> > > > > 抱きしめたりするシーンを描くには不向きですね。
> > > > > #18禁のHシーンも「主人公の視点」なら顔しか見えない
> > > > > #はずだし(正常位なら) ^_^;;
> > > >
> > > > それは屁理屈です。
> > >
> > > どの辺に「筋道が立たない」とか「道理が通らない」と感じられた
> > > のでしょうか。
> >
> > 屁理屈でなければ、思考すること自体無意味ですと言い直します。
>
> ですから、上記の例はAVGで普通にあるシーンでしょう?
> 飯塚さんは「普通」にご覧になったことがないと?
は?
上段は女装するという特殊な事情で、主人公が描かれた
事例ですよね? 特殊な事例で非常に少ないでしょう。
後段は要求のない描写
・転んだ瞬間の視界を『正確』に描写する
・寝てる時の視界を『正確』に描写する
・Hシーンで主人公の視界を『正確』に描写する
という通常ニーズのない描写の話ですよね。
もともと仮想のものなんですから、嘘があっていいんですよ。
リアルも度が過ぎるとクリエイターの自己満足にしかなりま
せん。
「そもそもあんな明るい部屋でHをする場合は少ないので、
かろうじて輪郭がわかる程度に輝度を下げました」
「女性はあんなふうに喘がないので、現実に近づけました」
ゲームソフトは(他のメディアも同様ですが)様々な嘘があ
ります。本当ならこうであると重箱の隅を突ついても、思考
すること自体無意味です。
> 制作者の都合、およびプレイヤーの嗜好(そう嗜好です)
> 次第で、いくらでも主人公視点なんて外されるものです。
その通りですよ。
制作者はプレイヤーの最大公約数を考えてゲームを作る
んですね。
> > > > > 「画面=主人公の視点」の目的が主人公のキャラクタ
> > > > > ーを曖昧にすることで自己投影させることが目的なら
> > > > > マニュアルにもキャラクターを載せないことが自然ですね。
> > > >
> > > > そうとも限らないでしょう。
> > > > 画面=主人公なら、特に説明の必要もなく、心象表
> > > > 現は主人公のものとすることができますから。
> > >
> > > 文体が一人称なら主人公視点であろうが無かろうが「心
> > > 象表現は主人公のもの」と思いますが。
> >
> > ゲームの場合、その特徴から1人称がデフォルトです。だから主
> > 人公のいる場所以外の状況を、描写できなくなる問題があります。
> > 正確には、何も説明がなかったら主人公。説明があった
> > ら他のキャラクターの心象表現です。
>
> 他者の視点を認めて頂いたわけですね。
まぁ確かに時々そういうソフトがあります。
しかし1人称で他者の視点を混ぜるのは、原則やっ
てはいけないことです。
まずプレイヤーが混乱するし、その瞬間ゲームへの集中
が切れてしまうからですね。
> 「主人公が画面に出てくるはずもないわけ」
> ではない、と訂正頂けたと判断します。
「やってはいけないことをやってるゲームもある」
と訂正します。
> > > また、「顔のない」ことが「主人公視点」であることが理由なら
> > > 「声がない」のはなぜでしょう。
> >
> > 投影型の主人公の邪魔になるのと、そもそもニーズ
> > がないという2点が理由でしょう。
>
> 嗜好上の理由から私は欲しい。
そうですか。
--
東京都 飯塚顕充
で、脱線ネタ。
iizuka wrote:
>>NGって個人的意見は禁止されていましたっけ?
>>それってかなりつまらなくなりそう…
>
> 単に発露するだけなら、ネットニュースでやる必要はないでしょう。
> 対等に意見交換する、議論するのでなければ。
> 単に「こっちが好き」「俺はあっちが好き」では、議論にならんでしょ
> うが。
Netnews、特に recなカテゴリで、投稿記事は必ず議論じゃなきゃ
いかんとは考えません。単に感想とか投げて、「ああ、そうなんだ」
と興味もつ人がいれば、それはそれでいいと。なんで別に
「俺はネリネが好きやー!」
「俺はシアじゃー!」
「プリムラを忘れるなー!」
とかいうやり取りでも、全然構わんと思うんです(笑)
# 反応したくない人は反応しなければいい。反応しない人ばっかり
#いるコミュニティなら、そのうち「好きじゃー」とかいう記事を
#投稿する人も自然と淘汰されるでしょう。
## 「○○の感想をwebで書いたから見てね」とURLだけ投稿する
##なんてスタイルもありましたね。
が、てつたろさんの最初の記事を私が読んだとき、「・・・で?」
と思ったのは事実です。その後のやり取りで、大体何をおっしゃり
たいのかはわかりましたが、私個人としては、飯塚さんの意見の
方が、納得いく部分が多いです。
激しく余談。
主人公の独白や平文がメインで進み、映像に被ったかどうかは
覚えていませんが、基本的にエロ小説を読ませる感覚で進行する
「自慰倒錯」なんかはどういうカテゴライズになるんでしょう?(^^;;;
一応、主人公の行動をプレイヤーが制御できます。主人公は女性
で、その女性が自慰をするシーンを描写するのがメインになります。
自然、主人公は画面に出っぱなし。なんとなく疑問に思いました。
--
MARUYAMA Masayuki@DTI
まずは主張の整理から。
(さて、もう青年なんて胸張って言える歳
じゃありませんが)
昔の飯塚さんの投稿からの引用には"$"を付けています。
$> > 対してゲームの歴史に脈々と流れる「主人公同一性」があり
$> > ます。「ドラゴンクエスト」がわかりやすいです。
$> > あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
$> > ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
$>
$> ドラクエも特定のヒロインと結婚したり、単なる記号とは
$> 言いづらくなっていますが。
$
$ それでも個性を極力減らすスタンスは貫いているでしょう。
ドラクエの主人公はゲーム中で喜怒哀楽を表す
ことはありませんでした。(それが「社会通念上」
のものであろうとなかろうと)
台詞の発露すらない。
敢えていえば、主人公が話し掛けている相手が、
鸚鵡返しすることで主人公の発言を表現するほど
の徹底ぶりです。
あくまで、喜怒哀楽はプレイヤーのもので、
プレイヤーの意思とは無関係に主人公が喜怒哀楽
を表現することはない。
主人公の行動はプレイヤーの思考に唯一基づく
べきである。
これが飯塚さんが定義された「投影型」の特徴と
理解して話を進めて参りました。
さてこれに対し、
$「のめり込む」というか、「感情移入しやすい」ということですね。
$ キャラクターに感情移入するためには、そのキャラクターが
$何を考え、何を夢に見、何をしようとしているかがわかった方が
$いいですから。
$ つまり「主人公は他者」である。
$ いわゆる「ファイナルファンタジー」系ですね。
主人公が台詞で喜怒哀楽を表現し、それにプレイヤー
の感情がつられる。
別の記事で「劇場型」とも定義された、主人公が個と
して成り立っているゲーム。
これを飯塚さんは「他者型」と定義されたと理解して
おります。
この定義からすると、「主人公視点」でも「他者型」
「第三者視点」でも「投影型」というものはあり、
「主人公視点だから投影型」という法則は成り立ち
ません。
「主人公視点だから顔不要」という論であれば、
「主人公視点には限界があり、主人公視点を離れた
時には主人公の顔が出てもいい」というのが私の
考えであり、
「投影型だから顔が不要」という論であれば、
「主人公の考えや思いが表記されるAVGやノベル
ゲームは「他者型」の特徴を示しているので対象外」
というのが私の考えです。
"iizuka" <iiz...@comp.metro-u.ac> wrote in message
news:c0st5o$gbe$1...@swallow.comp.metro-u.ac.jp...
> > ここで反論されている以外の箇所はご理解頂けたと見なします。
>
> 理解と言うか他の場所と重複してるとか、論筋からはずれ
> たと判断したと思ってください。
私が説明を諦めた部分と同じ理由かなぁ。
#何度か手を変え品を変え説明したけれど
#ご理解頂けず、本題の主旨からもずれて
#きたので、GIVEUPすることにした論題達。
> > 「切替」の基準はプレーヤーがそのゲームをどちらと
> > 見なすかだと思います。
> > 制作者が「投影型」として作ったのだから、「投影型」
> > として遊べ、と言っている訳ではないですよね。
>
> 結果的に「投影型」として作られたゲームは、「投影型」
> で遊ぶでしょう。遊ぶときに「さあ、これはどっちだ」といち
> いち判定しないですからね。普通の人は無意識にそうや
> って切り替えてるはずなんですが。
無意識にやるから「違和感」を感じるのですが。
「これは投影型がから仕方ないんだ」と思えば、
違和感を無理矢理押し込めもしますが、そんな
プレイをしてもつまらないでしょうし。
> > で、私が「顔が欲しい」のは、私が「他者型」と見なす
> > ゲームです。
>
> 普通の人のように無意識に遊ぶと新しい境地が…。(^^;)
無意識の遊んでいて違和感を感じたので、原因を
考えたのですから、逆ですね。
#一々理屈を捏ねながら遊ぶ人って、そういない
#と思いますし、そういう遊び方を否定する訳では
#ありませんが、私はやりたくありません。 ^_^;
☆サマリ「プレイヤーの意図しない主人公の行動」
(てつたろ)
近年のノベルゲーム/AVGの主人公は、プレイヤーの
選択とは関係ない、プレイヤーが主人公に対して望んで
いることとは異なる行動をとる。
プレイヤーは干渉できない主人公の行動をも、もどかしさ
を含めて楽しむはず。
↓
(飯塚さん)
そんな(プレイヤーが干渉できない)ゲームはもの凄く
少ない。
更に「操作できないストレス」を楽しむプレイヤーも
多数を占めるとは思えない。
> > その例として、飯塚さんが「投影型」だと仰る「ToHeart」にも、
> > 主人公がヒロインを同級生に襲わせようとする場面があります。
> > (私が「よせ、やめろ」といった由縁です)
>
> 全く記憶にございません。
これは「ONE」の誤りでした。 m(_ _)m
#CyberKnight Bladeさん、ご指摘有り難うございます。
> で、多くと言っても、ここで名前の上がった痕とかToHeartには
> ないんじゃないですか?
「よせ、やめろ」にだけ注目されているなら
そう感じられるのかもしれませんが、
私はプレイヤーの意図しない主人公の行動
全般を指しています。
例えば痕なら「ヒロインが敵の手に落ちるような
主人公の行動」
ToHeartでは「マルチの××を見ようとする主人公
の行動」等です。
(プレイヤーはおそらく志保と同じ思い「なにーやめろ」
-男なら逆に「それいけ」という思いかな-に抱かれる
はず)
主人公はそれを見事に外してくれました。
あの時の主人公は転けた志保に向けて「何やってんだ?」
みたいな台詞を言っていますが、あれは画面の向こうで
転けたであろうプレイヤーに向けたものでもあったと
思います。
ゲームの主人公からプレイヤーへのメッセージは、
投影型の主人公には考えられませんね。
> > > > > さらにそういう操作できないストレスを楽しむというのも、ゲ
> > > > > ームのプレイヤー中、多数を占めると思えません。
> >
> > 「操作できない」からと言って皆がストレスを感じると考える
> > のは変です。
>
> なんか自身の記述と矛盾してる気がするのですが、
> 「よせ、やめろ」とてつたろさんが思ったこと、すなわちストレス
> ではないのですか? で、それを楽しんでいる人は多数を占め
> たりはしないでしょう?
> てつたろさんは「よせ、やめろ」と思うような状態を、楽しんで
> るんですかね?
もちろん、楽しんでいますよ。
当然じゃないですか、そう書いてきたはずだし。
厳密な意味での「ストレス(心因的圧力)」なら
感じているかも知れませんが、感動の場面も
「ストレス」でしょう?
ストーリーがプレイヤーの思いもしない方向へ
進むことが苦痛なら、多くのAVG/ノベルゲーム
は苦痛の連続でしょう。
私は、予定調和なノベルゲームにはあまり魅力
を感じないし、「その先どうなるんだ」という
展開にワクワクします。
それが普通の反応だとばかり思っていましたが。
^_^;
> > 飯塚さんはEnterキーで話を進めていく場面にストレスを感じ
> > るのですか。それでは、ノベルゲームやAVGをプレイ
> > する時間の大半は苦痛でしょうね。
>
> 私は「よせ、やめろ」と思うような展開だとストレスを感じますね。
> 人並みに。
明らかに質問をはぐらかしていますね。
もともと「よせ、やめろ」はプレイヤーが操作
できない一例にすぎません。
質問では「Enterキーで話を進めていく場面に
ストレスを感じるか」と聞いているのですが。
まあ、せっかくのお答えなのでお相手いたします。
では、飯塚さんは主人公やヒロインが不幸に
見舞われるゲームは楽しめないのでしょうか。
特に、不幸の原因が主人公の行動(プレイヤーの
選択以外)であった場合には。
> > > > ノベルゲームのストーリーに求めるのは意外性だと
> > > > 思いますが。
> > >
> > > 多数の人が求めるのは、意外性より感動でしょう。
> >
> > 「感動」の源として「意外性」は重要なウェイトを占めて
> > いると考えます。
>
> うーん。
> 「感動」というのは「喜怒哀楽」のことを言うんですがね。普通。
> 喜ぶは、笑いゲー・バカゲーなどですが、お笑いは一寸低く
> 見られているので、「感動」するゲームには入れてもらえません。
では、多くの人は「笑いゲー・バカゲー」を求めて
いないとでも?
> 怒るのも、プレイヤー怒らせてもしょうがないので論外です。
敵の卑劣な行為に怒る主人公に感情移入するのも
感動の内でしょう。
まあ、折角の例なのでそう邪険にせずに。^_^;
> で、結果的に哀楽、つまり泣けるゲームかハッピーエンドのゲ
> ームが「感動」するゲームと考えられています。
「感動するゲームは」という記事に対して挙がる
リストはそうですね。
鬱ゲー、あるいはダウン系と言われるものでも、
感動はありますが、まあ、「哀」に分類しても
いいですし。
> 今「泣けるゲーム」が大流行ですね。
> で、あれは意外性があるから泣けるんじゃなくて、悲しい
> お話だから泣けるんです。あったり前の話ですね。(^^;)
> もう1つが王道の「ハッピーエンド」。
> これはその直前に苦難がありますが、そこを突き抜けて
> ハッピーエンドに至るから感動するわけで、意外性がある
> からハッピーエンドで感動するわけじゃないでしょう。
「起承転結」って知ってますよね。
私のいう意外性とは「転」です。
あっと驚く展開があればだらだらとした
「転」のない話よりよほど感動が強まる
とは思いませんか?
お話が感動へと流れ出すきっかけが
「意外性」=「転」と考えます。
「どこかでみたような話」では感動も
半減します。
意外性0で感動できたゲームって思い出せ
ません。
ありきたりなゲームより、プレイヤーをあっと
言わせる意外性があるゲームが好まれるのは
否定される謂われはないと思いますが。
> > > ありがちな王道のストーリーでも、感動できるのなら
> > > 評価されるのが昨今の流れです。
> > > まぁそれは極端としても、広義の「感動」が求められ
> > > ているのは間違いないでしょう。
> >
> > そうですね、「意外性」なしに「感動」に持っていく
> > ことの如何に難しいことか。
>
> 「持っていく」のと「源」とは全然違いますよ。
> 「持っていく」というのは、要するにプレイヤーの好奇心を
> かき立てるようにするということでしょう?
> 推進力と源は全然違いますよ。
意外性のある事件を発端として「え?」と
思わせて「おお!」と感動させる。
所謂「転」から「結」への流れです。
源の位置エネルギーが高ければ推進力(運動
エネルギー)は大きいということ。
普通の男女の、何のイベントもない日常の
ストーリーで感動的な話を作ることは、相当
に難しいと思いますよ。
☆サマリ「主人公の感情を理解するのは他者型ではないか」
(飯塚さん)
「投影型として作られたノベルゲームで、主人公が
プレイヤーの意に反する行動をとるのは、主人公の
感情を理解して欲しいという目的ゆえ」
↓
(てつたろ)
「それは飯塚さんが他者型と定義したタイプの特徴の
一つである感情移入と考える。投影型はプレイヤーの
感情が主人公に反映されるべき」
↓
「投影型を狭く考えすぎている」
> 不可能なことを投影型として当たり前としたから
> 否定したのですが。やんわりと。
それではノベルゲーム/AVGは「投影型」足り得ない
のでしょう。
だって、「投影型」の主人公はプレイヤーを表す
記号なんでしょう?
記号が勝手に喜んだり悲しんだりはしませんよね。
少なくともドラクエの主人公は台詞でも行動でも
表情でも起動哀楽は表現しません。
主人公は受け身でプレイヤーの喜び、悲しみを
そのまま「投影」できなければ。
主人公の思考に感情移入するのは「他者型」なんで
しょう?
> ストーリーはどんな場合もおしなべて、理解してもらうもの
> です。これは他者型うんぬんでなく、ストーリーの特徴です。
> だから、主人公も理解していないんです。最初は。
「ストーリーを」ではなく「主人公を」です。
勝手に主語を変えないようにお願いいたします。
それに最後まで「主人公が」何かを理解する必要は
ありませんね、投影型の「駒」なら。
理解するのはプレイヤーだけで充分なはず。
> > > > ゲームに自己を投影するための「形あるもの」なんですよね。
> > > > それは、メンコでもビー玉でも同じと思いますが。
> > >
> > > 違いますね。
> > > メンコやビー球は自己じゃなくて、武器でしょ。
> > > 相手をそのルールで倒すための武器。
> >
> > ゲームの「駒」って基本的に「武器」だと思いますが。
> > 「ビックバイパー」は「武器」じゃないとは言いませんよね。
>
> だからあれは「自機」です。
> 「武器」はレーザーとかホーミングミサイルとかです。
これこそ屁理屈と感じてしまいました。
「戦闘機や戦車は武器ではない」のですか。
それは「銃は武器ではなく弾が武器だ」と
言っているのと同じですよ。
> > > メンコで遊んでいるときに、「俺は今メンコだ」と考える
> > > 奴がいたら怖いですよ、はっきり言って。(^^;)
> >
> > メンコがひっくり返りそうになるのを堪えたとき、「よー
> > し、よく頑張った」とは思いませんか。
> > あの時のメンコは自分の分身です。
>
> 分身じゃなくて、擬人化でしょう。
> 無機物を個性のある人に模す。分身じゃなくて、対等
> な個人と見てるんですよ。
昔のロボットものですね。
「俺はマシンだけど燃える友情がわかるぜ!」
ロボット格闘ゲームに出てくるロボットは
「投影型」?「他者型」?
ベイブレードのゲームがあるようですが、
あの独楽はどっち?
かなり定義が破綻しているような気がします。
私は、飯塚さんが最初に仰った定義に基づいて
考えていますが、最初の定義に間違い、もしくは
補足すべき事項があるなら、再定義して頂いても
結構ですよ。
> > > 主人公はゲームにおいてスーパーな存在ですから、どんな
> > > 容姿もありえるし、どんな性格もありえるんです。特に最初は。
「主人公が特別な存在である」ということは、
何も「ゲーム」に限定される必要はありません。
> > > 遊ぶ人間がどんな人間かわからないんですから。
> > > で、主人公は社会通念上に照らして、笑うし泣くし怒るんです。
> > > 特に最初は。
> > > ストーリーが進むにつれ、段々個性が強くなってくるのがゲ
> > > ームの主人公で、それは小説の主人公と違います。
なるほど、最初は「投影型」で徐々に「他者型」
になると。
もしかしたら、「徐々にプレイヤーの思考を反映
するようになる」とでもお考えですか。
それほど、「主人公同一性」を高くできるノベル
ゲーム/AVGって何があるんでしょうか。
> > AirでもOneでも痕でも、主人公の個性は一貫して
> > いると思いますが。
>
> 無個性だと思いますね。
> 最大公約数の集合体です。
主人公にありがちな性格、というものはあるで
しょうね。
無口な主人公なら会話中心のAVGの主役は難しい
でしょうし。 ^_^
それを最大公約数というかについては…
まあ、論じるほどの問題ではないです。
ただ、例え最大公約数だとしても、値は「0」、
つまり「無個性」ではないですし、おそらくは
プレイヤーの個性とはまったく異なるでしょう。
> > プレイヤーの選択で純愛か鬼畜か選べるゲームなら、
> > 性格が変わることはあるのでしょうが、それって
> > むしろ稀な例だと思います。
>
> 倉林さんが書いてますが、純愛か鬼畜かなんて極端な
> 例でなくても、主人公の性格はプレイヤーの選択で決定
> していくんですよ。
多少の揺らぎはあるでしょうね。
飯塚さんは主人公に性格が存在すると認めて
いらっしゃる。
性格があるなら、最早「記号」ではないですね。
そしてその性格は、プレイヤー自身の性格を反映
したものでもない。
それは、主人公がプレイヤーとは別個の存在で
あることの証ではないでしょうか?
#で、別個の存在なら顔があってもいい訳だ。
> > #ズバリ言うと、顔がないのが「投影型」なら「MOON」にもヒ
> > #ロインの顔を出さないのが流儀だろうけれど、普通に出て
> > #きますよね。であれば、制作者は「投影型」だからという拘
> > #りを大して持っていないだろう、という考えです。
> > #「投影型」だから「顔なし」という理由は希薄だと思っている
> > #のです。
>
> なんだ、そういうことですか。
> まぁ特殊な1例だけでは、一般化できないでしょう。
そうではない(ヒロインの一人称の時にヒロイン
の顔がでない)例が多数あるなら。
全部で1例であれば一般化はできないまでも
考えを否定される謂われはありませんよね。
> > > > > > つまり、実際の処「男の顔なんていらん」と考えている
> > > > > > ソフトハウスが多いだけではないかと思うのですが。
> > > > >
> > > > > もちろんそう考えているソフトメーカーもあるでしょうが、基本的に
> > > > > はゲームの歴史とその特徴からの判断でしょう。
> > > >
> > > > では、主人公(男)の顔が描かれない理由は「ターゲットに
> > > > する層の問題」と「ゲームの歴史とその特徴からの判断」で
> > > > どちらがより大きいとお考えでしょうか。
> > > > ちなみに私はの意見は「前者」だと思います。
> > >
> > > 私は後者です。
> >
> > 「ターゲットにする層の問題」が小さいと主張し、私を説得し
> > たいのであれば、その証明として前述の例を挙げてください。
>
> だから今まで議論に上げた、痕とかToHeartとかは後者の
> ゲームですよ。
「そうではない(=ヒロインの一人称の時にヒロイン
の顔がでない)例」として挙げられてますか。
であれば、該当するシーンが思い出せないので、
「あそこの場面」とご指摘下さい。
> > > > 飯塚さんの話は「歴史の講義」だったのですか。
> > >
> > > 歴史と「特徴」です。
> >
> > 過去の歴史にケチを付ける積もりはありません。
> > 今が、そしてこれからがどうあるのかが問題。
>
> 今も昔もゲームの特徴とはなんなのか、ということも理解
> して欲しいのですがねぇ。
「鬼哭街」は選択肢がないそうですね。
でもメーカーはゲームとして売っているし、
多くの人はゲームとして扱っている。
彼らはゲームをなんだと捉えているのだろうか。
ただ気になるのは
「メーカーがゲームとして作ったものはゲームと
見なすべきか」
という問題です。
#飯塚さんの過去の投稿から「鬼哭街」を検索
#しようとしましたが見つかりませんでした。
#もしかして「鬼門」でしたか。;-P
☆カットされた部分のサマリ
$ 単に無個性の主人公が嫌いというなら、主人公に個性のある
$ ゲームだけやってなさいというだけの話です。
(なんだかこの理解も変ですね。私は「個性的な
主人公なのに顔がないことに違和感あり」と主張
しているのに)
↓
最初から嗜好に合わないことが判っていれば、
私だったら手を付けない。
美味しいけどひと味足りないことが問題。
(上記の括弧書きのことを言っています)
(でその中の一部で当然同意を得られるだろうと
思って書いたのが以下の一言)
> > > > 飯塚さんだって嗜好に合わないゲームはやりませんよね。
> > >
> > > いや、やりますよ。
> > > やってみないと、本当に嗜好に合わないかどうかわかりま
> > > せんし。
(ひょっとして質問が「やりたいか、やりたくないか」
でないことをご指摘されたかったのでしょうか?
いや、もしそうならもっと直接的に指摘されるでしょうし)
> > 体験版をプレイして、「これは嗜好に合わないな」
> > と思えば製品には手を出さないでしょう?
>
> 購入するかどうかと、やるかやらないかとは全然別の話
> でしょうに。
> 体験版だろうがなんだろうが、「やってる」「遊んでる」こと
> には変わらないでしょ?
全然質問の答になっていません。
これも私には「屁理屈」に感じる。
わたしは「嗜好に合わない」ゲームといっているのに
「わからない」ゲームの例を挙げて何を語ろうという
のですか?
体験版をプレイして嗜好に合わないことが判りました。
そのゲームを飯塚さんは購入してまでプレイしたい
ですか?
#なんだか、ゲームブックの話の時と同じ様相を
#呈してきた気が。
#本筋から外れている処も同じだし ;_;
> > または、鬼畜なゲームが嫌いなら「鬼畜」と
> > 銘打っているゲームには手を出さないでしょう?
>
> だからとりあえず体験版でも何でもやってみますって。
それは、「もしかしたら嗜好に合うかもしれない」
と思うからではないですか?
#嫌いな分野のゲームでもとりあえずやってみよう
#と考えられる飯塚さんのバイタリティには恐れ
#入ります。が、一般化は困難でしょうね。
#普通の人はそこまでの気力も時間も、(体験版が
#でていなければ確認のためだけに製品を買う)金も
#ないですから。
> > > > 例えば、主人公の丸一日の行動に選択肢がない場合、
> > > > それでも「投影型」足り得ますか。起きるのが辛い朝、
> > > > 「寝て過ごす」「頑張って起きる」という選択肢が発生せ
> > > > ず、「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」
> > > > と言われたら?
> > >
> > > 投影型うんぬん以前に、ゲームとしてコンセプトに問題
> > > がありますね。(^^;) ゲームとして無意味な展開はプレイ
> > > ヤーのストレスになりますから、ストレスをかける何らかの
> > > 意味がない限り、ゲームとしてやっちゃダメでしょう。
そもそもこの段階で質問をはぐらかされていた
訳ですが…それに律儀に付き合う私。
斯くしてどんどん本筋から外れた議論になる、と。
> > 「ゲームとして無意味な展開」って何でしょう?
>
> 今回の場合で行くと、「今日はやる気が起きないので一
> 日寝て過ごした」です。
ストーリーとしては、主人公の状態を描写する
意味のある展開だし、テキストを読む行為が
ストレスではないでしょうから、上記は「無意味」
ではありません。
> > ノベルゲームでもAVGでも終盤では選択肢がほとんど
> > でないで「読ませる」ことが中心になることはごく普通
> > に見受けられますが、飯塚さんの評価ではそれらはゲーム
> > として「駄目」な部類ですか?
>
> 終盤で
> 「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」
> なんてやるノベルゲームは駄目な部類でしょうなぁ。(^^;)
またもや、質問を勝手に取り違えていますね。
もう一度上記の質問を読み直してください。
まあ、折角なんでお答えただいた内容にも言及
しますと、
「前日ヒロインと喧嘩をしてしまった。今日一日
やる気が起きないのでふて寝して過ごすことにした」
→翌日
それだって、主人公の心理描写です。
(期末試験を頑張った翌日の休日、なんて設定も
ありえますね)
バイタリティ溢れる飯塚さんならそんなときでも
キチンと起きて一日を有意義に過ごせるのかも
知れませんが、ゲームの主人公はそうではなかった。
> > > > これは決してノベルゲームとして特殊な例ではありません。
> > > > ノベルゲームの経験がおありならわかりますよね。
> > >
> > > いやぁ、特殊な例だと思いますね。
> >
> > 特殊ではないノベルゲームの例は何でしょうか?
>
> 痕とかToHeartはノベルゲームの代名詞になってますよね。
「痕」も「ToHeart」も終盤で怒濤の展開の時、
出てくる選択肢は少なくなり、ストーリーを読む
比率が格段に増すと思いますが。
痕での千鶴トゥルーエンドで、最後の選択肢から
endまでの展開は飯塚さんの予想通りのものでした
か?
ラストの主人公の死は、プレイヤーが望んだ結末
でしたか?
あの時の主人公に感情移入できませんでしたか?
> > > > 逆に上記に当てはまらない、個性のない「投影型」主人公
> > > > のノベルゲームの代表例があれば教えて頂けますか。
> > >
> > > 痕もTo-Heartもしっかり投影型の主人公ですよ。
主人公には夢も思考がないと。
> > $ あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
> > $ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
> > と考えられている、と。(本当に?)
>
> だってあの主人公の夢ってなんです?
AIRの主人公の夢はありましたね。
#主人公の「夢」が語られなければ「他者型」
#とは認めない、というのでなければ、あまり
#意味のある質問とも思えませんし。
> 思考だって社会通念上に照らしての喜怒哀楽しかしてない
> でしょうが。
それは制作者に対する侮辱のように思えます。
(あるいは屁理屈?)
「社会通念上の喜怒哀楽」しかしない主人公に
プレイヤーは感動する訳ですか?
(あ、「駒」に対して感動なんてないか)
ドラクエの主人公の表す喜怒哀楽とノベルゲーム/
AVGの主人公の表す喜怒哀楽が同レベルであると?
千歩譲って「社会通念上の喜怒哀楽」であったと
しても、それは主人公の思考であり、プレイヤーの
思考とは別のものでしょう?
それが社会通念上共感しやすいものであったとして
「共感」は既に存在する主人公の自我に対して行う
ものです。
つまり演劇の登場人物に対する共感と同じものです。
Message-ID: <c0vrqu$kl5$1...@newsl.dti.ne.jp>
においてMARUYAMA Masayukiさんは書きました。
> てつたろさんの最初の記事を私が読んだとき、「・・・で?」
> と思ったのは事実です。
私は、「・・・で?」というよりも、
「そんなこと考えたこと無かったし、どっちでもいいじゃん」
としか思えませんでした。
#主人公の性格や基本設定がしっかりしていれば。
#ゲームシステムやらを始めとするその他の問題は棚上げしておきます。
てつたろさんが起こした大元の元記事
Message-ID: <burd7f$c07$1...@news1.point.ne.jp>に
ついては下記の通りです。
> 物語の登場人物に実存する自分の姿を当てはめて考える人
> っているのでしょうか。
> 私だったら興醒めです。
> 物語の中ぐらい別人になりたい。
「姿をあてはめる」のではなくて、「主人公として(プレイヤーが一体化し)
ゲームの世界を擬似体験していく」という楽しみ方(もしくは遊び方)をして
いると思うんですよね。
だから「姿」よりも、「性格や基本設定がしっかりしてる、
ゲームの世界へ仮想参加しやすい」ことの方が大事で、
それはゲームを作る上で欠かせない部分だと考えます。
> 顔と音声がなければ、後はテキストから主人公の像を想定
> しなければなりません。
いいじゃないですか、それで。「主人公の像を想定」する楽しみ方も
あると思います。
どういう楽しみ方をするかは、人それぞれです。
ではでは。
--
笠原 励(氷炎 雷光風/ひえん らいこふ)
cun...@uranus.interq.or.jp -受信専用-cun...@yahoo.co.jp
オリジナルストーリーの感想は、if_t...@infoseek.jpまで。
Subjectに「番外編」とあれば、ほぼオリジナルストーリーです。
"iizuka" <iiz...@comp.metro-u.ac> wrote in message
news:c0vegt$gde$1...@swallow.comp.metro-u.ac.jp...
> 単に発露するだけなら、ネットニュースでやる必要はないでしょう。
> 対等に意見交換する、議論するのでなければ。
そこは見解の相違でしょうか。
fj.rec.foodでも、fj.rec.animationでも
fj.rec.tokusatsuでも「~が好き」という
記事が中心です。
で、「いや、私は~だからそれほど好きではない」
という意見が出ても普通は「そうですか」
(あるいは無反応)で済みます。
別の記事でも例えましたが、
「ミルクティが好きだけど飲める店が少ない
もっと、店が増えたらいいなぁ」
と言うのが元の主張。
「イヤ歴史的にみて紅茶はストレートが主流
でミルクは入れてはいけない」
と言われたから「ミルクが紅茶に合う」ことを
何とか説明しようとしているんですよ。
> 単に「こっちが好き」「俺はあっちが好き」では、議論にならんでしょ
> うが。
なぜ好きかが判れば興味深い話し合いに
なるでしょうね。
議論になったのは飯塚さんが「顔は不要」
あるいは「無くて当たり前」のような論理
を仰ったからです。
(ああ、下では「やってはいけない」とまで
書かれていますね)
別に議論になったことを責めている訳では
なく、これはこれで興味深い展開でした。
ただし、話の発端が嗜好の問題であり、
議論が進もうと、私がAVGやノベルゲーム
で主人公に顔が欲しいものがあるのは、
私個人の嗜好が根底にあることはご理解
頂きたかったのです。
#って、実は何度も「嗜好」の話は書いて
#いるはずなんですがねぇ (;_;)
> > > > ふと、思ったのですが、ノベルゲームが「ストーリーを読ませることに
> > > > 重きを置いたシステム」なら、その対比としてのAVGは「グラフィック
> > > > に重きを置いたシステム」といえるのではないでしょうか。
> > >
> > > ノベルゲームはAVGの派生物で対比するものじゃないと思いますね。
> > > AVGはグラフィックに限らず、システムも含めてバランスがとれてます。
> >
> > いえ、長いテキストを読ませることに不適切なシステムだ
> > から短文である台詞が中心にならざるを得なかった、と
> > も考えられます。
>
> それは違いますね。
> もともと長いテキストを読ませるゲームが存在しませんでしたから。
「不適切な分野は発展しない」のでしょう?
ウィンドウシステムが長文を読ませるのに
不適切だから作成者もあえて、長文を書かない
ようにしたとは考えられませんか?
最近は3,4回は改ページしないと全文が読めない
AVGの文章もあります。
ノベルゲームにすれば1ページに収まる量なの
ですが、AVGでは全文を読むのにログを開かねば
ならない。
これは厄介です。
だから、短い会話中心が適しているのかな、と
考えた次第です。
> > > > 「状況」→「行動」→「状況」→「行動」→…という構造を示したのです。
> > > > 最近は、「状況」→「行動」→「状況a」→「状況b」→…
> > > > と主人公の行動を入力(選択)することなく、
> > > > ストーリーが進むものが多い、という話ですよ。
> > >
> > > わかりません。
> > > 行動を選択していくものが、圧倒的に多いと思いますが。
> > > 選択肢が少ないということですかね?
> >
> > では「昔のAVG」の具体例を。
> > 「部屋の中は真っ暗だ」どうする?「スイッチをつける」
> > 「スイッチが故障しているようだ」どうする?
> > 今のAVGは、「攻略ページ」などを拝見すると判りますが、
> > 1回のプレイで2,3時間かかるゲームでも選択肢は10個
> > もないケースが多いです。これはノベルゲームでもほぼ一緒。
> > チュンソフトのノベルゲームは昨今のAVGの多くよりよ
> > ほど選択肢の数は多く、分岐も複雑です。
>
> わかりません。
> 選択肢では、行動を選択するかどうかという点は、「する」
> ということでいいですよね?
えっと、当然ですがそれが何か???
> で、選択肢の数についてですが、1ゲーム2、3時間なんて
> 短いゲームでは例にならないでしょう。
> だいたい相場は1プレイ10時間。多いものは30時間ぐら
> いですよ。今のAVGやノベルゲームは。
> スキップで飛ばしまくるなら別ですけど。
ああ、0を1桁つけ忘れていました。
2,3時間で10個も選択肢が出れば今時例外的
に多い部類ですね。
> > > > > ですから、移動が面倒臭かったらマップを表示して、クリップ
> > > > > 1発で場所を移動できれば良いとかそういうレベルの話でしょう?
> > > > > それはインターフェースの問題です。
> > > > > 前にも書いた通り、AVGでの「ゲームのもっとも特徴的なこと」
> > > > > は、ストーリーの分岐を作って、如何に遊べるようにするかです。
> > > > > システムの善し悪しではありません。
> > > >
> > > > で、分岐の極端に少ない「Better Sweet Fools」
> > > > は「異端」という訳ですか。
> > >
> > > 化粧桜の評価で低いのは、「ゲームのもっとも特徴的なこと」で
> > > はないということは、合意できたと理解してよろしいのでしょうか?
> >
> > $ ここで言いたかった「ゲーム」とは「ゲーム全般」ではなく「ゲ
> > $ ーム」を「ゲーム」たらしめているシステム性、「ゲームのもっ
> > $ とも特徴的なこと」です。
> > と書かれていましたが、上の文 「システムの善し悪しではない」
> > とは矛盾するように感じました。
> > #さて、今度はどんな誤解があるのでしょうか?
>
> 書いてある内容が理解できません。
> もう一度確認します。
> 化粧桜の評価で低いのは、「ゲームのもっとも特徴的なこと」で
> はないということは、合意できたと理解してよろしいのでしょうか?
> 「合意できた」「出来なかった」の2者択一でお願いします。
> 次に「出来なかった」場合に、その理由を記述してください。
出来ませんでした。
その理由は飯塚さんの仰る
「ゲームのもっとも特徴的なこと」
が矛盾しているからです。
あるところで、それは「システム性である」
といい(このときはなるほどと思いました)、
別の箇所で「システムの善し悪しではない」
と仰られています。
これでは混乱します。
#質問に答えず質問を返すのは議論としては
#反則的手法でしたね。
#結局誰かが答えないと収集付かないから。
> > > > > > 「画面=主人公の視点」は主人公が一方向だけ向いてい
> > > > > > るなら良いんですが、転んだり、寝ころんだり、ヒロインを
> > > > > > 抱きしめたりするシーンを描くには不向きですね。
> > > > > > #18禁のHシーンも「主人公の視点」なら顔しか見えない
> > > > > > #はずだし(正常位なら) ^_^;;
> > > > >
> > > > > それは屁理屈です。
> > > >
> > > > どの辺に「筋道が立たない」とか「道理が通らない」と感じられた
> > > > のでしょうか。
> > >
> > > 屁理屈でなければ、思考すること自体無意味ですと言い直します。
> >
> > ですから、上記の例はAVGで普通にあるシーンでしょう?
> > 飯塚さんは「普通」にご覧になったことがないと?
>
> は?
> 上段は女装するという特殊な事情で、主人公が描かれた
> 事例ですよね? 特殊な事例で非常に少ないでしょう。
え?
「主人公視点」の話をしているので、主人公に
女装癖があるかどうかなんて話の筋とは何ら
関係ないですよ。
(女装癖は冗談ですが ;-P)
「女装」は飯塚さんが呈示した1例にすぎません。
そりゃそれだけ限定された例は特殊でまれで
しょうね。
つまらない理屈で議論を混乱させるのは止めましょう。
それとも、私が何をさして「普通」と言ったのか、
本気で理解頂けなかったのなら、飯塚さんに何かを
理解頂こうという私の努力の全ては無駄だったの
かも知れません。
> 後段は要求のない描写
> ・転んだ瞬間の視界を『正確』に描写する
> ・寝てる時の視界を『正確』に描写する
> ・Hシーンで主人公の視界を『正確』に描写する
> という通常ニーズのない描写の話ですよね。
> もともと仮想のものなんですから、嘘があっていいんですよ。
> リアルも度が過ぎるとクリエイターの自己満足にしかなりま
> せん。
> 「そもそもあんな明るい部屋でHをする場合は少ないので、
> かろうじて輪郭がわかる程度に輝度を下げました」
> 「女性はあんなふうに喘がないので、現実に近づけました」
> ゲームソフトは(他のメディアも同様ですが)様々な嘘があ
> ります。本当ならこうであると重箱の隅を突ついても、思考
> すること自体無意味です。
それでは飯塚さんが主人公視点に拘られる
事自体無意味ですね。
> > 制作者の都合、およびプレイヤーの嗜好(そう嗜好です)
> > 次第で、いくらでも主人公視点なんて外されるものです。
>
> その通りですよ。
> 制作者はプレイヤーの最大公約数を考えてゲームを作る
> んですね。
「普通」にあることをご理解いただけた
ようですね。
主人公視点を外したってそのことに
だれも違和感を感じない。
わたしも気にしたことはありません。
ならば、主人公視点を外して主人公を
登場させても大した問題は起きそうに
ありませんね。
そうしたノベルゲーム/AVGゲームも
徐々にですが増えているようですし。
> まぁ確かに時々そういうソフトがあります。
> しかし1人称で他者の視点を混ぜるのは、原則やっ
> てはいけないことです。
> まずプレイヤーが混乱するし、その瞬間ゲームへの集中
> が切れてしまうからですね。
重箱の隅程度のことで混乱する
プレイヤーはいないのでは?
主人公視点から外れるシーンは
多くクライマックスで登場します
から、むしろプレイヤーは集中
しているでしょうね。
> > 「主人公が画面に出てくるはずもないわけ」
> > ではない、と訂正頂けたと判断します。
>
> 「やってはいけないことをやってるゲームもある」
> と訂正します。
前述で「重箱の隅を突ついても、思考すること
自体無意味」と仰って頂いたばかりなのに T_T
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:c100of$auf$1...@news1.point.ne.jp...
> 「主人公視点だから顔不要」という論であれば、
> 「主人公視点には限界があり、主人公視点を離れた
> 時には主人公の顔が出てもいい」というのが私の考えであり、
視点の変更は、プレイヤーが混乱するからやらないというの
が原則であり、顔が出たらその状況に拍車をかけることになり
ます。
制作側は、できるだけプレイヤーが混乱しないよう配慮する
必要があるでしょう。主人公の顔を出さないと言うのも、その
配慮の1つです。
> 「投影型だから顔が不要」という論であれば、「主人公の考
> えや思いが表記されるAVGやノベルゲームは「他者型」の
> 特徴を示しているので対象外」というのが私の考えです。
しかし既に示したようにノベルゲームの代名詞である
痕とかToHeartは、投影型に分類されます。
他者型の特徴を示してるのは、 「Better Sweet Fools」
でしたっけ?
ああ、もう顔が出てるんだから問題ないじゃないですか。
> > > 「切替」の基準はプレーヤーがそのゲームをどちらと
> > > 見なすかだと思います。
> > > 制作者が「投影型」として作ったのだから、「投影型」
> > > として遊べ、と言っている訳ではないですよね。
> >
> > 結果的に「投影型」として作られたゲームは、「投影型」
> > で遊ぶでしょう。遊ぶときに「さあ、これはどっちだ」といち
> > いち判定しないですからね。普通の人は無意識にそうや
> > って切り替えてるはずなんですが。
>
> 無意識にやるから「違和感」を感じるのですが。
「違和感」を感じるなら、切り替えられてないんですよ。
アクションゲームを遊ぶときは違和感なく切り替えられる
わけでしょ?
さて、その原因はなんでしょうねぇ。
私にはてつたろさんが、投影型のゲームを遊ぶ慣れてな
いせいで、うまく切り替えられない気がしますが。
対処法は、もっといろんなゲームをやってみることですか
ねぇ。
> > > その例として、飯塚さんが「投影型」だと仰る「ToHeart」にも、
> > > 主人公がヒロインを同級生に襲わせようとする場面があります。
> > > (私が「よせ、やめろ」といった由縁です)
> >
> > 多くと言っても、ここで名前の上がった痕とかToHeartには
> > ないんじゃないですか?
>
> 例えば痕なら「ヒロインが敵の手に落ちるような主人公の行動」
> ToHeartでは「マルチの××を見ようとする主人公の行動」等です。
それはプレイヤーが(この場合てつたろさんですが)そうなる
選択肢を選んだからでしょ? いつも必ず敵の手に落ちるわ
けじゃないし、見るわけじゃないんだから。
「いつも必ず落ちるので許せん」という話ならわかりますよ。
投影型他者型に限らず、ゲームとして問題だ、という話ですね。
そうなるためにそれ相応の理由がない限り、ゲームとしての
評価は低くなっちゃうでしょう。
> 主人公はそれを見事に外してくれました。
意外な展開で良かったじゃないですか。(^^)
> > > > > > さらにそういう操作できないストレスを楽しむというのも、ゲ
> > > > > > ームのプレイヤー中、多数を占めると思えません。
> > >
> > > 「操作できない」からと言って皆がストレスを感じると考える
> > > のは変です。
> >
> > なんか自身の記述と矛盾してる気がするのですが、
> > 「よせ、やめろ」とてつたろさんが思ったこと、すなわちストレス
> > ではないのですか? で、それを楽しんでいる人は多数を占め
> > たりはしないでしょう?
> > てつたろさんは「よせ、やめろ」と思うような状態を、楽しんで
> > るんですかね?
>
> もちろん、楽しんでいますよ。
はあ、そうですか。
> 厳密な意味での「ストレス(心因的圧力)」なら感じているか
> も知れませんが、感動の場面も「ストレス」でしょう?
はぁ? 違うでしょう、普通。
感動の場面で感じるのはカタルシスでしょう。
ストレスと対極ですよ。感動の場面でストレス感じてどうするの。(^^;)
> ストーリーがプレイヤーの思いもしない方向へ進むことが苦
> 痛なら、多くのAVG/ノベルゲームは苦痛の連続でしょう。
「よせ、やめろ」という負の感情を持つのは、誰でも普
通苦痛ですよ。逆に「よし! よくやった」という感情を
持つとカタルシスを感じますね。
> それが普通の反応だとばかり思っていましたが。^_^;
「よせ、やめろ」という負の感情を楽しんでたり、感動の場面で
ストレスを感じるのは、凄まじく特殊な反応だと思いますよ。
#ふむ。総合するとてつたろさんは、かなりサディストのケが
#ありますな。(^^;)
> > > 飯塚さんはEnterキーで話を進めていく場面にストレスを感じ
> > > るのですか。それでは、ノベルゲームやAVGをプレイ
> > > する時間の大半は苦痛でしょうね。
> >
> > 私は「よせ、やめろ」と思うような展開だとストレスを感じますね。
> > 人並みに。
>
> 明らかに質問をはぐらかしていますね。
> もともと「よせ、やめろ」はプレイヤーが操作できない一例
> にすぎません。
私がどんな場合にストレスを感じるか、てつたろさんが勘違
いなさったようなので訂正したのです。
それに質問だったのですか? なんか勘違いした上に、納
得したように見えたですが。(^^;)
> > > > > ノベルゲームのストーリーに求めるのは意外性だと
> > > > > 思いますが。
> > > >
> > > > 多数の人が求めるのは、意外性より感動でしょう。
> > >
> > > 「感動」の源として「意外性」は重要なウェイトを占めて
> > > いると考えます。
> >
> > うーん。
> > 「感動」というのは「喜怒哀楽」のことを言うんですがね。普通。
> > 喜ぶは、笑いゲー・バカゲーなどですが、お笑いは一寸低く
> > 見られているので、「感動」するゲームには入れてもらえません。
>
> では、多くの人は「笑いゲー・バカゲー」を求めて
> いないとでも?
残念ながら「感動」するゲームと分類した場合、「笑いゲー・
バカゲー」は入りません。人が求めてるかどうかとは別の問
題です。
> > 怒るのも、プレイヤー怒らせてもしょうがないので論外です。
>
> 敵の卑劣な行為に怒る主人公に感情移入するのも
> 感動の内でしょう。
「怒りゲー」というものは存在しない、というお話です。
> > で、結果的に哀楽、つまり泣けるゲームかハッピーエンドのゲ
> > ームが「感動」するゲームと考えられています。
>
> 「感動するゲームは」という記事に対して挙がるリストはそうですね。
そのとおりです。
> > 今「泣けるゲーム」が大流行ですね。
> > で、あれは意外性があるから泣けるんじゃなくて、悲しい
> > お話だから泣けるんです。あったり前の話ですね。(^^;)
> > もう1つが王道の「ハッピーエンド」。
> > これはその直前に苦難がありますが、そこを突き抜けて
> > ハッピーエンドに至るから感動するわけで、意外性がある
> > からハッピーエンドで感動するわけじゃないでしょう。
>
> あっと驚く展開があればだらだらとした「転」のない話よ
> りよほど感動が強まるとは思いませんか?
強くなるスパイスになるかもしれませんが、源ではないですな。
> 意外性0で感動できたゲームって思い出せません。
操作性が0の感動できたゲームもないでしょうし、グラフィック
の良さが0で感動できたゲームもないでしょう。
ゲームは総合的なメディアですから、何かゼロでは感動なん
て望むべくもないんです。
> > > > ありがちな王道のストーリーでも、感動できるのなら
> > > > 評価されるのが昨今の流れです。
> > > > まぁそれは極端としても、広義の「感動」が求められ
> > > > ているのは間違いないでしょう。
> > >
> > > そうですね、「意外性」なしに「感動」に持っていく
> > > ことの如何に難しいことか。
> >
> > 「持っていく」のと「源」とは全然違いますよ。
> > 「持っていく」というのは、要するにプレイヤーの好奇心を
> > かき立てるようにするということでしょう?
> > 推進力と源は全然違いますよ。
>
> 意外性のある事件を発端として「え?」と思わせて「おお!」
> と感動させる。所謂「転」から「結」への流れです。
まぁとにかく推進力と源は違いますよ。
> > > > ストーリーをプレイヤーに合わせると言ってるのと同じですよ。
> >
> > 不可能なことを投影型として当たり前としたから
> > 否定したのですが。やんわりと。
>
> それではノベルゲーム/AVGは「投影型」足り得ないのでしょう。
> だって、「投影型」の主人公はプレイヤーを表す記号なんでしょう?
> 記号が勝手に喜んだり悲しんだりはしませんよね。
何度も書いてるはずなのですが、投影型の主人公は、社会
通念に照らして喜んだり、悲しんだりするんです。特に最初は。
> > > 「プレイヤーに理解を求める」ということはプレイ
> > > ヤーと主人公が乖離していることが前提です。
> > > これは、「他者型の特徴」だと考えます。
> >
> > ストーリーはどんな場合もおしなべて、理解してもらうもの
> > です。これは他者型うんぬんでなく、ストーリーの特徴です。
> > だから、主人公も理解していないんです。最初は。
>
> 「ストーリーを」ではなく「主人公を」です。
> 勝手に主語を変えないようにお願いいたします。
だから、ストーリーがそもそもそういう性質ものであると指摘
しています。他者型うんぬんでなく、ストーリーの特徴なんです。
制作者が、プレイヤーに理解を求めるのもそのせいです。
> > > > > ゲームに自己を投影するための「形あるもの」なんですよね。
> > > > > それは、メンコでもビー玉でも同じと思いますが。
> > > >
> > > > 違いますね。
> > > > メンコやビー球は自己じゃなくて、武器でしょ。
> > > > 相手をそのルールで倒すための武器。
> > >
> > > ゲームの「駒」って基本的に「武器」だと思いますが。
> > > 「ビックバイパー」は「武器」じゃないとは言いませんよね。
> >
> > だからあれは「自機」です。
> > 「武器」はレーザーとかホーミングミサイルとかです。
>
> これこそ屁理屈と感じてしまいました。
> 「戦闘機や戦車は武器ではない」のですか。
グラディウスの場合には、レーザーとかホーミングミサイル
が武器です。遊んでて、レーザー取るためにパワーアップを
取ったりしたでしょうが。
ビックバイパー自体は「自機」とは呼称しますが、「武器」と
は呼称しません。
> > > > メンコで遊んでいるときに、「俺は今メンコだ」と考える
> > > > 奴がいたら怖いですよ、はっきり言って。(^^;)
> > >
> > > メンコがひっくり返りそうになるのを堪えたとき、「よー
> > > し、よく頑張った」とは思いませんか。
> > > あの時のメンコは自分の分身です。
> >
> > 分身じゃなくて、擬人化でしょう。
> > 無機物を個性のある人に模す。分身じゃなくて、対等
> > な個人と見てるんですよ。
>
> 昔のロボットものですね。
まぁとにかく、メンコに「よく頑張った」と思うときとは、
擬人化です。
> > > > 主人公はゲームにおいてスーパーな存在ですから、どんな
> > > > 容姿もありえるし、どんな性格もありえるんです。特に最初は。
> > > > 遊ぶ人間がどんな人間かわからないんですから。
> > > > で、主人公は社会通念上に照らして、笑うし泣くし怒るんです。
> > > > 特に最初は。
> > > > ストーリーが進むにつれ、段々個性が強くなってくるのがゲ
> > > > ームの主人公で、それは小説の主人公と違います。
> > >
> > > AirでもOneでも痕でも、主人公の個性は一貫して
> > > いると思いますが。
> >
> > 無個性だと思いますね。
> > 最大公約数の集合体です。
>
> それを最大公約数というかについては…
> まあ、論じるほどの問題ではないです。
了解です。
> > > プレイヤーの選択で純愛か鬼畜か選べるゲームなら、
> > > 性格が変わることはあるのでしょうが、それって
> > > むしろ稀な例だと思います。
> >
> > 倉林さんが書いてますが、純愛か鬼畜かなんて極端な
> > 例でなくても、主人公の性格はプレイヤーの選択で決定
> > していくんですよ。
>
> 多少の揺らぎはあるでしょうね。
> 飯塚さんは主人公に性格が存在すると認めていらっしゃる。
プレイヤーの選択、それすなわち主人公の性格ですね。
> そしてその性格は、プレイヤー自身の性格を反映したものでもない。
どんな性格にするかは、プレイヤーの自由ですからね。
ただ通常、少なくとも最初は自分の性格を反映して選択肢を
選ぶもんですが。
> それは、主人公がプレイヤーとは別個の存在で
> あることの証ではないでしょうか?
少なくともファーストプレイでは、別個とは言えないでしょうね。
あまのじゃくな人はいますけど。
> > > #ズバリ言うと、顔がないのが「投影型」なら「MOON」にもヒ
> > > #ロインの顔を出さないのが流儀だろうけれど、普通に出て
> > > #きますよね。
> >
> > なんだ、そういうことですか。
> > まぁ特殊な1例だけでは、一般化できないでしょう。
>
> そうではない(ヒロインの一人称の時にヒロイン
> の顔がでない)例が多数あるなら。
> 全部で1例であれば一般化はできないまでも
> 考えを否定される謂われはありませんよね。
考えと言うか、MOONはそういうゲームだったということでしょう。
> > > > > > > つまり、実際の処「男の顔なんていらん」と考えている
> > > > > > > ソフトハウスが多いだけではないかと思うのですが。
> > > > > >
> > > > > > もちろんそう考えているソフトメーカーもあるでしょうが、基本的に
> > > > > > はゲームの歴史とその特徴からの判断でしょう。
> > > > >
> > > > > では、主人公(男)の顔が描かれない理由は「ターゲットに
> > > > > する層の問題」と「ゲームの歴史とその特徴からの判断」で
> > > > > どちらがより大きいとお考えでしょうか。
> > > > > ちなみに私はの意見は「前者」だと思います。
> > > >
> > > > 私は後者です。
> > >
> > > 「ターゲットにする層の問題」が小さいと主張し、私を説得し
> > > たいのであれば、その証明として前述の例を挙げてください。
> >
> > だから今まで議論に上げた、痕とかToHeartとかは後者の
> > ゲームですよ。
>
> 「そうではない(=ヒロインの一人称の時にヒロイン
> の顔がでない)例」として挙げられてますか。
> であれば、該当するシーンが思い出せないので、
> 「あそこの場面」とご指摘下さい。
痕の千鶴ENDの時に、モノロ-グで顔が出なかったと思います
が、そもそも主人公の顔を出さないことを、演出の一部として使
っています。要するにゲームの特徴として利用している例です。
またToHeartも同じですね。
> > > > > 飯塚さんの話は「歴史の講義」だったのですか。
> > > >
> > > > 歴史と「特徴」です。
> > >
> > > 過去の歴史にケチを付ける積もりはありません。
> > > 今が、そしてこれからがどうあるのかが問題。
> >
> > 今も昔もゲームの特徴とはなんなのか、ということも理解
> > して欲しいのですがねぇ。
>
> 「鬼哭街」は選択肢がないそうですね。
> 彼らはゲームをなんだと捉えているのだろうか。
今はてつたろさんに、ゲームの特徴を理解してもらえれば
それでいいです。
> 体験版をプレイして嗜好に合わないことが判りました。
> そのゲームを飯塚さんは購入してまでプレイしたい
> ですか?
デキの良さそうなソフトなら購入して遊びます。
自分の嗜好に合わないな、と思っても非常に評価している
人がいたら、その人がなぜそこまで評価したのか知りたくて
買います。
> > > > > 例えば、主人公の丸一日の行動に選択肢がない場合、
> > > > > それでも「投影型」足り得ますか。起きるのが辛い朝、
> > > > > 「寝て過ごす」「頑張って起きる」という選択肢が発生せ
> > > > > ず、「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」
> > > > > と言われたら?
> > > >
> > > > 投影型うんぬん以前に、ゲームとしてコンセプトに問題
> > > > がありますね。(^^;) ゲームとして無意味な展開はプレイ
> > > > ヤーのストレスになりますから、ストレスをかける何らかの
> > > > 意味がない限り、ゲームとしてやっちゃダメでしょう。
> > >
> > > 「ゲームとして無意味な展開」って何でしょう?
> >
> > 今回の場合で行くと、「今日はやる気が起きないので一
> > 日寝て過ごした」です。
>
> ストーリーとしては、主人公の状態を描写する
> 意味のある展開だし、テキストを読む行為が
> ストレスではないでしょうから、上記は「無意味」
> ではありません。
ストーリーとして、なぜそういう主人公の描写をしなければ
ならなかったか? という理由が必要なんですよ。
無駄な描写はそれだけでストレスになるんです。てつたろ
さんには何故か理解できないようですが、普通の人はストレ
スになる。
> > > ノベルゲームでもAVGでも終盤では選択肢がほとんど
> > > でないで「読ませる」ことが中心になることはごく普通
> > > に見受けられますが、飯塚さんの評価ではそれらはゲーム
> > > として「駄目」な部類ですか?
> >
> > 終盤で
> > 「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」
> > なんてやるノベルゲームは駄目な部類でしょうなぁ。(^^;)
>
> またもや、質問を勝手に取り違えていますね。
これは冗談です。
> > > > > これは決してノベルゲームとして特殊な例ではありません。
> > > > > ノベルゲームの経験がおありならわかりますよね。
> > > >
> > > > いやぁ、特殊な例だと思いますね。
> > >
> > > 特殊ではないノベルゲームの例は何でしょうか?
> >
> > 痕とかToHeartはノベルゲームの代名詞になってますよね。
>
> 「痕」も「ToHeart」も終盤で怒濤の展開の時、
> 出てくる選択肢は少なくなり、ストーリーを読む
> 比率が格段に増すと思いますが。
「主人公の丸一日の行動に選択肢がない」なんてことはない
ですよ。終盤で怒涛の展開だから、ないんでしょ。
> > > > > 逆に上記に当てはまらない、個性のない「投影型」主人公
> > > > > のノベルゲームの代表例があれば教えて頂けますか。
> > > >
> > > > 痕もTo-Heartもしっかり投影型の主人公ですよ。
> > >
> > > $ あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
> > > $ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
> > > と考えられている、と。(本当に?)
> >
> > だってあの主人公の夢ってなんです?
>
> AIRの主人公の夢はありましたね。
痕とToHeartにないという点はよろしいですか?
> > 思考だって社会通念上に照らしての喜怒哀楽しかしてない
> > でしょうが。
>
> 「社会通念上の喜怒哀楽」しかしない主人公にプレイヤーは
> 感動する訳ですか?
ノベルゲームで感動する時には、普通主人公に感動してる
んじゃないでしょう。
> 千歩譲って「社会通念上の喜怒哀楽」であったとしても、そ
> れは主人公の思考であり、プレイヤーの思考とは別のもの
> でしょう?
できるだけ多くのプレイヤーの思考と同じにするために、
社会通念に照らした喜怒哀楽にするんですよ。
--
東京都 飯塚顕充
人を理解するのって難しいです。
理解できたと確信した瞬間にするりと
滑り逃げていく。 ;_;
"笠原 励(氷炎 雷光風)" <cun...@uranus.interq.or.jp> wrote in message
news:20040219013849.5...@uranus.interq.or.jp...
> どうも。氷炎 雷光風(ひえん らいこふ)こと笠原です。
ごきげんよう。
(というのはグループ違い ^_^)
> Message-ID: <c0vrqu$kl5$1...@newsl.dti.ne.jp>
> においてMARUYAMA Masayukiさんは書きました。
>
> > てつたろさんの最初の記事を私が読んだとき、「・・・で?」
> > と思ったのは事実です。
> 私は、「・・・で?」というよりも、
> 「そんなこと考えたこと無かったし、どっちでもいいじゃん」
> としか思えませんでした。
んー。
そんなこと考えたこともなかった人達に
「そんな考えもあるんだ」
と思って貰うことが投稿した第一の目的でした。
#紅茶の例でいうと、「ミルクティーって知ってる?」
その上で、次にゲームをやったときに、
「そういわれればそうかも」
#「この前飲んだら美味しかった」
と思って貰えれば更に嬉しいんですが、
こればかりは個人の嗜好の問題なので強要する
積もりはありませんし、「別にそんなことない
じゃん」でも仕方ありません。
#「飲んだけど美味しくなかった」、「ストレート
#の方が好き」という意見
ただ、相手がミルクティーと思って飲んでいる
ものが、実は紅茶に植物性クリームを入れたもの
等で、私の考えるミルクティーとは異なると思えば
更に説明を続けますが。
問題は、「お前その考えは間違っているよ」
#「ミルクティーは紅茶の飲み方として歴史的に
#正しくない」
と言われた場合。
「少数意見」と言われるならそれは仕方ない。
(事実、みんなが私と同じ考えなら業界は動いて
今頃は主人公の顔/声付きのAVG/ノベルゲーム
が市場にあふれているでしょうし)
でも、納得できない理由で否定はされたくないです。
飯塚さんとの議論はそんな流れだと、私は考えて
います。
間違っているという根拠が納得できれば諦めますが、
誰が見ても同じ見方しかできない客観的根拠が出て
こない限り納得は難しい。
> てつたろさんが起こした大元の元記事
> Message-ID: <burd7f$c07$1...@news1.point.ne.jp>に
> ついては下記の通りです。
>
> > 物語の登場人物に実存する自分の姿を当てはめて考える人
> > っているのでしょうか。
> > 私だったら興醒めです。
> > 物語の中ぐらい別人になりたい。
> 「姿をあてはめる」のではなくて、「主人公として(プレイヤーが一体化し)
> ゲームの世界を擬似体験していく」という楽しみ方(もしくは遊び方)をして
> いると思うんですよね。
そうですね。
「別人になりたい」
というのは、ゲームの主人公に同調してその世界
を楽しみたい、という意味です。
(以前「コミックや小説を読むように物語に没頭
したい」と書いたように)
だから、主人公に元の名前があれば自分の名前を
付けたりはしません。主人公のキャラをできるだけ
尊重します。
これは私のポリシーです。
(勿論、他人にこの遊び方を強要する気はありません)
> だから「姿」よりも、「性格や基本設定がしっかりしてる、
> ゲームの世界へ仮想参加しやすい」ことの方が大事で、
> それはゲームを作る上で欠かせない部分だと考えます。
「姿よりも設定」に同意します。
私だって「主人公の顔さえあれば後はなんでもいい」
訳ではありませんし。
#美味しい紅茶を美味しくいれて、その上で
#ミルクを入れるかどうか。
#主役はあくまで紅茶です。
> > 顔と音声がなければ、後はテキストから主人公の像を想定
> > しなければなりません。
> いいじゃないですか、それで。「主人公の像を想定」する楽しみ方も
> あると思います。
はい、ケースバイケースで同意します。
上記の引用部分だけでは判からないでしょうが、
私の「顔が欲しい」ケースには条件と理由が
あります。
例えばチュンソフトのノベルゲームの場合、主人公
の顔がありませんが、別に違和感がない。
何故かというと、誰の顔も平等に出て来ないからです。
主人公もヒロインも他の登場人物も顔や声を想像して
楽しんでいます。
対して、ヒロインの顔はしっかり描かれているのに
主人公だけ顔なし、例え姿を描くことがあっても
後ろ姿や髪で顔を隠して存在感をぼやかしている
作品があります。(というか、ノベルゲーム/AVGでは
こちらが大多数)
最近のAVG/ノベルゲームの主人公はアクがあって
キャラも立っていると感じます。
それをわざわざ存在感をぼやかそうとするもの
だから違和感を感じる私です。
(飯塚さんは、ゲームの「駒」だから主人公には
夢も意思も不要との考えのようですが、それとは
真っ向対立しています)
顔だけではなく、「ヒロインの声はフルボイス」
なんて事になると、更に大変です。
主人公のパートは顔と声を想像で補完し、
ヒロインのパートはそれが提供される。
それぞれのパートで思考の切替が発生して更に
違和感を感じてしまうんですが、これは私だけ
なんでしょうか?
もともと「クライマックスだけ声アリ」から
「フルボイス」に進化したのも「部分的に声アリ」
の違和感解消の為だと私は思うんです。
#「ならば声を消せば?」という意見もあるでしょうが、
#わざわざレベルの低い方に合せるのも抵抗があります。
この「違和感」というものは主観であり感覚的な
ものなので、「感じるな」と言われて「そうですか
では止めます」とは行かない。 ^_^;;
> どういう楽しみ方をするかは、人それぞれです。
まったくその通りです。
「顔がないことが当たり前だから、お前もそれに
合わせろ。顔なんて余計だ」
と言われさえしなければ一向に構いません。
私の記事からその考えが読みとれなかったなら
それは私の文章力が足りないせいでしょう。
難しいなぁ、人に理解を求めるのって。
短過ぎれば、言葉足らずで誤解され、長すぎれば
焦点がぼやけて脇道へ逸れる。
例え話は本質とは微妙にずれるから、取り方次第
ではやはり誤解を生むことも判っています。
それでも理解して欲しくて今日もシコシコと記事を
認めています。
少しでも私の本意が伝わりますように、と祈りつつ。
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:c10630$bfc$1...@news1.point.ne.jp...
> > 単に「こっちが好き」「俺はあっちが好き」では、議論にならんでしょ
> > うが。
>
> ただし、話の発端が嗜好の問題であり、議論が進もう
> と、私がAVGやノベルゲームで主人公に顔が欲しいも
> のがあるのは、私個人の嗜好が根底にあることはご理
> 解頂きたかったのです。
> #って、実は何度も「嗜好」の話は書いて
> #いるはずなんですがねぇ (;_;)
無視してました。
議論相手が何を動機に投稿しているかは基本的に
関係ないですから。
> > > いえ、長いテキストを読ませることに不適切なシステムだ
> > > から短文である台詞が中心にならざるを得なかった、と
> > > も考えられます。
> >
> > それは違いますね。
> > もともと長いテキストを読ませるゲームが存在しませんでしたから。
>
> 「不適切な分野は発展しない」のでしょう?
> ウィンドウシステムが長文を読ませるのに不適切だから作
> 成者もあえて、長文を書かないようにしたとは考えられませんか?
今ストーリーはどんどん長大の一途をたどっていますが、別に
AVGは廃れていませんので、長文を読ませるのに不適切とは
いえないでしょう。
> > > > > 「状況」→「行動」→「状況」→「行動」→…という構造を示したので
す。
> > > > > 最近は、「状況」→「行動」→「状況a」→「状況b」→…
> > > > > と主人公の行動を入力(選択)することなく、
> > > > > ストーリーが進むものが多い、という話ですよ。
> > > >
> > > > わかりません。
> > > > 行動を選択していくものが、圧倒的に多いと思いますが。
> > > > 選択肢が少ないということですかね?
> > >
> > > では「昔のAVG」の具体例を。
> > > 今のAVGは、「攻略ページ」などを拝見すると判りますが、
> > > 1回のプレイで2,3時間かかるゲームでも選択肢は10個
> > > もないケースが多いです。これはノベルゲームでもほぼ一緒。
> > > チュンソフトのノベルゲームは昨今のAVGの多くよりよ
> > > ほど選択肢の数は多く、分岐も複雑です。
> >
> > わかりません。
> > 選択肢では、行動を選択するかどうかという点は、「する」
> > ということでいいですよね?
>
> えっと、当然ですがそれが何か???
てつたろさんが、
> 主人公の行動を入力(選択)することなく、
> ストーリーが進むものが多い、という話ですよ。
と書いたから、行動を選択するものが圧倒的であると
指摘しています。
まぁ、今回「当然です」と了解を取ったので解決しましたが。
> > で、選択肢の数についてですが、1ゲーム2、3時間なんて
> > 短いゲームでは例にならないでしょう。
> > だいたい相場は1プレイ10時間。多いものは30時間ぐら
> > いですよ。今のAVGやノベルゲームは。
>
> ああ、0を1桁つけ忘れていました。
> 2,3時間で10個も選択肢が出れば今時例外的に多い部類ですね。
はぁ?
20、30時間で選択肢10個?
以下は痕の攻略サイトです。
http://ren.pekori.to/game/etc/kizuato.html
以下はToHeartの攻略サイトです。
http://ren.pekori.to/game/toheart/toheart_frm.html
以下はAIRの攻略サイトです。
http://www.dd.iij4u.or.jp/~ysm/index2.htm
以下はMOONの攻略サイトです。
http://kotone.bunkasha.co.jp/~kenjo/capture/moon.html
ご覧のとおり、議論の焦点となっているゲームで、10個なんて
ゲームはありませんけどね。
いったいどのゲームのことを言ってるんです?
#自分が遊んだことないゲームを持ってきてるわけじゃなかろうし。
> > > > > > ですから、移動が面倒臭かったらマップを表示して、クリップ
> > > > > > 1発で場所を移動できれば良いとかそういうレベルの話でしょう?
> > > > > > それはインターフェースの問題です。
> > > > > > 前にも書いた通り、AVGでの「ゲームのもっとも特徴的なこと」
> > > > > > は、ストーリーの分岐を作って、如何に遊べるようにするかです。
> > > > > > システムの善し悪しではありません。
> > > > >
> > > > > で、分岐の極端に少ない「Better Sweet Fools」
> > > > > は「異端」という訳ですか。
> >
> > 化粧桜の評価で低いのは、「ゲームのもっとも特徴的なこと」で
> > はないということは、合意できたと理解してよろしいのでしょうか?
> > 「合意できた」「出来なかった」の2者択一でお願いします。
> > 次に「出来なかった」場合に、その理由を記述してください。
>
> 出来ませんでした。
> その理由は飯塚さんの仰る「ゲームのもっとも特徴的なこと」
> が矛盾しているからです。
> あるところで、それは「システム性である」といい、
私は「システム性である」なんて記述したことはないですよ。
てつたろさんが自分で書いたんでしょうが。
私は「ゲームのもっとも特徴的なこと」はインタラクティブで
あることだと記述しました。簡単に言うと、プレイヤーが操作で
きることです。
> 別の箇所で「システムの善し悪しではない」
> と仰られています。これでは混乱します。
システムはインターフェースです。応答が早いか遅いかは
技術的な問題で、ゲームのもっとも特徴的なことでありませ
ん。
ということで、化粧桜の評価で低いのは、「ゲームのもっと
も特徴的なこと」ではないということは、合意できたと理解し
てよろしいのでしょうか?
> #質問に答えず質問を返すのは議論としては反則的手法でしたね。
どんな方法でもいいんですが、わかる文章にしてください。
> > > > > > > 「画面=主人公の視点」は主人公が一方向だけ向いてい
> > > > > > > るなら良いんですが、転んだり、寝ころんだり、ヒロインを
> > > > > > > 抱きしめたりするシーンを描くには不向きですね。
> > > > > > > #18禁のHシーンも「主人公の視点」なら顔しか見えない
> > > > > > > #はずだし(正常位なら) ^_^;;
> > > >
> > > > 屁理屈でなければ、思考すること自体無意味ですと言い直します。
> > >
> > > ですから、上記の例はAVGで普通にあるシーンでしょう?
> > > 飯塚さんは「普通」にご覧になったことがないと?
> >
> > は?
> > 上段は女装するという特殊な事情で、主人公が描かれた
> > 事例ですよね? 特殊な事例で非常に少ないでしょう。
>
> え?
> 「主人公視点」の話をしているので、主人公に女装癖が
> あるかどうかなんて話の筋とは何ら関係ないですよ。
失礼。記憶違いしました。
女装じゃなくてカラスでした。
> > もともと仮想のものなんですから、嘘があっていいんですよ。
>
> それでは飯塚さんが主人公視点に拘られる
> 事自体無意味ですね。
いいえ。
主人公視点で描写することは、何度も記述したとおりゲー
ムの特長を反映した理由があります。
転んだら視界も動かさなければならないとかとは、レベル
の違う話です。
> > > 制作者の都合、およびプレイヤーの嗜好(そう嗜好です)
> > > 次第で、いくらでも主人公視点なんて外されるものです。
> >
> > その通りですよ。
> > 制作者はプレイヤーの最大公約数を考えてゲームを作る
> > んですね。
>
> ならば、主人公視点を外して主人公を登場させても大した問
> 題は起きそうにありませんね。
プレイヤーが混乱しない程度でないと問題は起きます。
Hシーンで主人公の身体が描写されると、違和感を感じる
プレイヤーがいるように、1人称をプレイヤーが許容する範
囲には限界があります。
制作者はだから常に最大公約数を考えてゲームを作る必
要がありますね。
> > まぁ確かに時々そういうソフトがあります。
> > しかし1人称で他者の視点を混ぜるのは、原則やっ
> > てはいけないことです。
> > まずプレイヤーが混乱するし、その瞬間ゲームへの集中
> > が切れてしまうからですね。
>
> 重箱の隅程度のことで混乱するプレイヤーはいないのでは?
程度問題です。
> 主人公視点から外れるシーンは多くクライマックスで登場します
> から、むしろプレイヤーは集中しているでしょうね。
クライマックスで登場するというのは本当ですか?
まぁ、とにかく程度問題です。
--
東京都 飯塚顕充
"iizuka" <iiz...@comp.metro-u.ac> wrote in message
news:c12faf$gec$1...@swallow.comp.metro-u.ac.jp...
> > 「主人公視点だから顔不要」という論であれば、
> > 「主人公視点には限界があり、主人公視点を離れた
> > 時には主人公の顔が出てもいい」というのが私の考えであり、
>
> 視点の変更は、プレイヤーが混乱するからやらないというの
> が原則であり、顔が出たらその状況に拍車をかけることになり
> ます。
> 制作側は、できるだけプレイヤーが混乱しないよう配慮する
> 必要があるでしょう。主人公の顔を出さないと言うのも、その
> 配慮の1つです。
・「プレイヤーの混乱」という点について
Better Sweet Foolsの欠点は章の途中でいきなり
一人称の対象が変わることでした。
せめて章毎に切り換えるか、文字の色を変える等
してくれたら判りやすいのに、と思いました。
逆に、文章が一人称で一貫しているのであれば、
主人公の姿が画面に出たからといって混乱した
ことは経験的にありません。
ましてや、既に姿を登場させている状態で「顔が
出たら混乱を増す」と言う説にはちょいと首を傾げ
ざるを得ない。
飯塚さんは過去プレイしたゲームで、主人公の
姿が現れた事が理由で混乱した経験がおあり
なのでしょうか?
一寸原文に補足しますと、
「主人公視点」のソフトそのものを否定する訳
ではありません。
「常時主人公の顔をだせ」とも申しません。
「主人公視点を外れたとき位、無理矢理に
ごまかしたりせず顔をだせばいいのに」という
話です。
あと、ヒロインフルボイス時の主人公の声ですが、
これは「主人公視点でも出て欲しい」と思います。
(脇役の男もね)
#声が出ると混乱する、という事はありませんよね?
;-)
> > 「投影型だから顔が不要」という論であれば、「主人公の考
> > えや思いが表記されるAVGやノベルゲームは「他者型」の
> > 特徴を示しているので対象外」というのが私の考えです。
>
> しかし既に示したようにノベルゲームの代名詞である
> 痕とかToHeartは、投影型に分類されます。
今までも気になっていたんですが、分類したの
はだれですか?
飯塚さんがそう考えるという話ですか?
痕とかToHeartの主人公が「夢も思考もない
ゲームの駒」だとの考えには同意できません。
(この点は最後の方に纏めています)
どうやら定義の変更もないようですね。
> 他者型の特徴を示してるのは、 「Better Sweet Fools」
> でしたっけ?
> ああ、もう顔が出てるんだから問題ないじゃないですか。
はい、「顔」の点で問題はありません。
「顔」が出てくる例として挙げたのですから
当然ですね。
「Better Sweet Foolsに顔が欲しい」なんて
どこにも書いた憶えはないのですが…
(それともこれも冗句でしょうか)
> > > > 「切替」の基準はプレーヤーがそのゲームをどちらと
> > > > 見なすかだと思います。
> > > > 制作者が「投影型」として作ったのだから、「投影型」
> > > > として遊べ、と言っている訳ではないですよね。
> > >
> > > 結果的に「投影型」として作られたゲームは、「投影型」
> > > で遊ぶでしょう。遊ぶときに「さあ、これはどっちだ」といち
> > > いち判定しないですからね。普通の人は無意識にそうや
> > > って切り替えてるはずなんですが。
> >
> > 無意識にやるから「違和感」を感じるのですが。
>
> 「違和感」を感じるなら、切り替えられてないんですよ。
無意識にやると「他者型」と切り換えてしまいます。
> アクションゲームを遊ぶときは違和感なく切り替えられる
> わけでしょ?
アクションゲームの「駒」が自分の意思で
動くことはないですからね。
と、いうより、アクションゲームって
マリオにしろソニックにしろ顔が出てます
よね。
「投影型だから顔は不要」説と反するのです
が、どうなんでしょう?
「投影型だから顔は不要」説そのものが間違い
だったんでしょうか?
> さて、その原因はなんでしょうねぇ。
> 私にはてつたろさんが、投影型のゲームを遊ぶ慣れてな
> いせいで、うまく切り替えられない気がしますが。
> 対処法は、もっといろんなゲームをやってみることですか
> ねぇ。
「そんなことはないですよ」とは主観でしか
ないので答えても意味がなさそうです。
お金と時間を貰えたらもっとやってみます。
飯塚さん、よろしく m(_ _)m
(…冗句ですよ、念のため ;-P)
> > > > その例として、飯塚さんが「投影型」だと仰る「ToHeart」にも、
> > > > 主人公がヒロインを同級生に襲わせようとする場面があります。
> > > > (私が「よせ、やめろ」といった由縁です)
> > >
> > > 多くと言っても、ここで名前の上がった痕とかToHeartには
> > > ないんじゃないですか?
> >
> > 例えば痕なら「ヒロインが敵の手に落ちるような主人公の行動」
> > ToHeartでは「マルチの××を見ようとする主人公の行動」等です。
>
> それはプレイヤーが(この場合てつたろさんですが)そうなる
> 選択肢を選んだからでしょ? いつも必ず敵の手に落ちるわ
> けじゃないし、見るわけじゃないんだから。
いや、そのヒロインのルートに進んだら、
ストーリー的に不可避ですね。
> 「いつも必ず落ちるので許せん」という話ならわかりますよ。
「許せん」なんて思いませんが、プレイヤーが
主人公の意思による行動を全てコントロールできる
訳ではないんです。
> 投影型他者型に限らず、ゲームとして問題だ、という話ですね。
> そうなるためにそれ相応の理由がない限り、ゲームとしての
> 評価は低くなっちゃうでしょう。
簡単にいうと「ストーリー上の都合」が理由ですね。
(「丸一日寝ていた」というのも同じ)
> > 主人公はそれを見事に外してくれました。
>
> 意外な展開で良かったじゃないですか。(^^)
はい、でもプレイヤーは志保の意思に同調させられ
ます。主人公はプレイヤーの操作を離れて暴走して
いますが、それがストーリーを面白くしてくれた。
だから、システム的に評価を下げても総合評価では
差し引きプラス評価です。
> > 厳密な意味での「ストレス(心因的圧力)」なら感じているか
> > も知れませんが、感動の場面も「ストレス」でしょう?
>
> はぁ? 違うでしょう、普通。
> 感動の場面で感じるのはカタルシスでしょう。
「概ね」で同意。
> ストレスと対極ですよ。感動の場面でストレス感じてどうするの。(^^;)
訂正
感動のなかには「哀」があり、登場人物の身に
降りかかった不幸に「感動」する場合がある。
その際に感じているのは「ストレス」
(創作物全般ですが、受け手にストレスを与える
ことで感動を引き出すものもある)
ストレスとカタルシスを上手く使い分けてこそ
感動は生まれると思われます。
#それとも、主人公が不幸のままで終わったら
#感動はできないですか?
> > ストーリーがプレイヤーの思いもしない方向へ進むことが苦
> > 痛なら、多くのAVG/ノベルゲームは苦痛の連続でしょう。
>
> 「よせ、やめろ」という負の感情を持つのは、誰でも普
> 通苦痛ですよ。逆に「よし! よくやった」という感情を
> 持つとカタルシスを感じますね。
悲劇はお嫌いですか。
> > それが普通の反応だとばかり思っていましたが。^_^;
>
> 「よせ、やめろ」という負の感情を楽しんでたり、感動の場面で
> ストレスを感じるのは、凄まじく特殊な反応だと思いますよ。
> #ふむ。総合するとてつたろさんは、かなりサディストのケが
> #ありますな。(^^;)
いやまあ、主人公の不幸で感動できるのですから
むしろ、マゾヒスティックな喜びかと ^_^;
> > > > 飯塚さんはEnterキーで話を進めていく場面にストレスを感じ
> > > > るのですか。それでは、ノベルゲームやAVGをプレイ
> > > > する時間の大半は苦痛でしょうね。
> > >
> > > 私は「よせ、やめろ」と思うような展開だとストレスを感じますね。
> > > 人並みに。
> >
> > 明らかに質問をはぐらかしていますね。
> > もともと「よせ、やめろ」はプレイヤーが操作できない一例
> > にすぎません。
>
> 私がどんな場合にストレスを感じるか、てつたろさんが勘違
> いなさったようなので訂正したのです。
> それに質問だったのですか? なんか勘違いした上に、納
> 得したように見えたですが。(^^;)
改めて質問しましょうか。
飯塚さんはEnterキーで話を進めていく場面に
ストレスを感じるのですか?
もう一つ
ストレスはすべからく苦痛ですか?
> > > > > > ノベルゲームのストーリーに求めるのは意外性だと
> > > > > > 思いますが。
> > > > >
> > > > > 多数の人が求めるのは、意外性より感動でしょう。
> > > >
> > > > 「感動」の源として「意外性」は重要なウェイトを占めて
> > > > いると考えます。
> > >
> > > うーん。
> > > 「感動」というのは「喜怒哀楽」のことを言うんですがね。普通。
> > > 喜ぶは、笑いゲー・バカゲーなどですが、お笑いは一寸低く
> > > 見られているので、「感動」するゲームには入れてもらえません。
> >
> > では、多くの人は「笑いゲー・バカゲー」を求めて
> > いないとでも?
>
> 残念ながら「感動」するゲームと分類した場合、「笑いゲー・
> バカゲー」は入りません。人が求めてるかどうかとは別の問
> 題です。
「感動」を持ち出されたのは飯塚さんです。
もとは、「ノベルゲーム(/AVG)のストーリーに
意外性は求められているか」が議題。
「感動」が求められているのは否定しませんが、
「意外性が求められていない」とする根拠が欲しい。
基本的に「感動」と「意外性」は排他的なもの
ではないです。
笑いゲーは「感動」に含められない(個人的には
「どうかなぁ」と思いますが)けど、笑いゲー
にも「意外性」はありですしね。
#「思いもよらぬ仕掛けが貴方を待ち受ける」
#という謳い文句に惹かれるものはありませんか?
> > > 怒るのも、プレイヤー怒らせてもしょうがないので論外です。
> >
> > 敵の卑劣な行為に怒る主人公に感情移入するのも
> > 感動の内でしょう。
>
> 「怒りゲー」というものは存在しない、というお話です。
では「プレイヤー怒らせてもしょうがない」
というのは「プレイヤー怒らせたまま終らせても
しょうがない」という意味ですね。
それなら了解。
> > あっと驚く展開があればだらだらとした「転」のない話よ
> > りよほど感動が強まるとは思いませんか?
>
> 強くなるスパイスになるかもしれませんが、源ではないですな。
「強くなるスパイスになる」と認めて頂けたなら
良しとします。
「源」という例えは語弊があるようなので
撤回しましょう。
> > 意外性0で感動できたゲームって思い出せません。
>
> 操作性が0の感動できたゲームもないでしょうし、グラフィック
> の良さが0で感動できたゲームもないでしょう。
> ゲームは総合的なメディアですから、何かゼロでは感動なん
> て望むべくもないんです。
では「意外性が求められている」こと事態
は概ね了解頂けるのですね。
> > > > > ストーリーをプレイヤーに合わせると言ってるのと同じですよ。
> > >
> > > 不可能なことを投影型として当たり前としたから
> > > 否定したのですが。やんわりと。
> >
> > それではノベルゲーム/AVGは「投影型」足り得ないのでしょう。
> > だって、「投影型」の主人公はプレイヤーを表す記号なんでしょう?
> > 記号が勝手に喜んだり悲しんだりはしませんよね。
>
> 何度も書いてるはずなのですが、投影型の主人公は、社会
> 通念に照らして喜んだり、悲しんだりするんです。特に最初は。
Kanonの主人公が舞台となる街に戻ったとき、
社会通念上から言えば懐かしい街に戻れた
訳ですから悦んでもいいはずですが、悩んで
(あるいは苦しんで)います。
プレイヤーは主人公が何を悩み苦しんでいる
かをゲームがかなり先へ進むまで知らされない。
主人公は、自身の悩み苦しみに基づいた行動を
とります。
ONEの場合、主人公は心に傷を負っていますが
これもゲーム開始時点ではプレイヤーには
知らされていない。
プレイヤーは主人公の悩み苦しみを知らない
まましばらくゲームを続けなければなりません。
これでもまだ、「主人公には夢も思考もない」
のでしょうか?
> > > > 「プレイヤーに理解を求める」ということはプレイ
> > > > ヤーと主人公が乖離していることが前提です。
> > > > これは、「他者型の特徴」だと考えます。
> > >
> > > ストーリーはどんな場合もおしなべて、理解してもらうもの
> > > です。これは他者型うんぬんでなく、ストーリーの特徴です。
> > > だから、主人公も理解していないんです。最初は。
> >
> > 「ストーリーを」ではなく「主人公を」です。
> > 勝手に主語を変えないようにお願いいたします。
>
> だから、ストーリーがそもそもそういう性質ものであると指摘
> しています。他者型うんぬんでなく、ストーリーの特徴なんです。
> 制作者が、プレイヤーに理解を求めるのもそのせいです。
ごめんなさい。
言いたいことが理解できないのでコメント不可です。
この議題の最初において飯塚さんは「投影型では」
と言っていたので、それに反論するために「他者型」
の特徴を持ちだしたのですが、今更「他者型うんぬん
でなく」という切り捨て方をされると、どう議論して
良いのか判らなくなります。;_;
・サマリ:投影型の「主人公同一性」の例
(飯塚さん)
「自機」=「プレイヤー」
「それがプレイヤーである」とわかる「駒」、
記号であれば良い。
(てつたろ)
メンコや、ビー玉、独楽、凧、等もゲーム
の「駒」でいいか。
(飯塚さん)
ゲームはメンコやビー玉が起源ではない。
意味合いが違う。
(てつたろ)
ゲームに自己を投影するための「形あるもの」
という点で同じと考えた。
対戦ゲームのアニメ化で、カードとか独楽を
生き物のように描くのは「自分の分身」である
からだろう。
(飯塚さん)
メンコやビー玉は武器。
ビッグバイパーは「自機」武器はレーザー等。
メンコに対して擬人化はあるが「分身」ではない。
本件で長々と議論を続ける意味が分からなく
なってきたので、私からは前回投稿時の質問
(未回答)をさせていただき、最後といたします。
・ベイブレードのゲームがあるようですが、
あの独楽は投影型の「駒」だと思いませんか?
> どんな性格にするかは、プレイヤーの自由ですからね。
> ただ通常、少なくとも最初は自分の性格を反映して選択肢を
> 選ぶもんですが。
>
> > それは、主人公がプレイヤーとは別個の存在で
> > あることの証ではないでしょうか?
>
> 少なくともファーストプレイでは、別個とは言えないでしょうね。
> あまのじゃくな人はいますけど。
そうそう心理学テストのように自分の性格に
ぴったりとは行かないでしょうね。
主人公の基本的な性格に「どの子が好みか」
の色が付く程度。
積極性、柔軟性、明るさなどが目に見えて
変わる事ってありましたっけ?
=「自己の性格と別個とは言えない」ほど
性格が変わる事って。
> > > > #ズバリ言うと、顔がないのが「投影型」なら「MOON」にもヒ
> > > > #ロインの顔を出さないのが流儀だろうけれど、普通に出て
> > > > #きますよね。
> > >
> > > なんだ、そういうことですか。
> > > まぁ特殊な1例だけでは、一般化できないでしょう。
> >
> > そうではない(ヒロインの一人称の時にヒロイン
> > の顔がでない)例が多数あるなら。
> > 全部で1例であれば一般化はできないまでも
> > 考えを否定される謂われはありませんよね。
>
> 考えと言うか、MOONはそういうゲームだったということでしょう。
なぜ、そういうゲームになったと
お考えでしょうか?
> > 「そうではない(=ヒロインの一人称の時にヒロイン
> > の顔がでない)例」として挙げられてますか。
> > であれば、該当するシーンが思い出せないので、
> > 「あそこの場面」とご指摘下さい。
>
> 痕の千鶴ENDの時に、モノロ-グで顔が出なかったと思います
千鶴の視点でしたか?
千鶴がモノローグするシーンは記憶に
ありませんでした。
> が、そもそも主人公の顔を出さないことを、演出の一部として使
> っています。要するにゲームの特徴として利用している例です。
> またToHeartも同じですね。
制作者の考えは類推するしかありませんが
「演出」として主人公の顔を出さないという
ことは「そのつもりなんだろうな」と理解は
できます。
私個人としてはもっと別の演出が良かった
のですが。
> > 「鬼哭街」は選択肢がないそうですね。
> > 彼らはゲームをなんだと捉えているのだろうか。
>
> 今はてつたろさんに、ゲームの特徴を理解してもらえれば
> それでいいです。
ゲームの特徴を理解するために、飯塚さんが
「鬼哭街」という「ゲーム」(制作者の自称、
および多くのプレイヤーの認識)をどう考える
かお聞かせいただけると幸いです。
> > 体験版をプレイして嗜好に合わないことが判りました。
> > そのゲームを飯塚さんは購入してまでプレイしたい
> > ですか?
>
> デキの良さそうなソフトなら購入して遊びます。
> 自分の嗜好に合わないな、と思っても非常に評価している
> 人がいたら、その人がなぜそこまで評価したのか知りたくて
> 買います。
それは、私のように「やってみたいゲーム」
すら買う金と遊ぶ時間が足りない人間には
真似できない行為です。
いや、本気で飯塚さんのゲームに対する情熱
には感心いたしました。
> > > > 「ゲームとして無意味な展開」って何でしょう?
> > >
> > > 今回の場合で行くと、「今日はやる気が起きないので一
> > > 日寝て過ごした」です。
> >
> > ストーリーとしては、主人公の状態を描写する
> > 意味のある展開だし、テキストを読む行為が
> > ストレスではないでしょうから、上記は「無意味」
> > ではありません。
>
> ストーリーとして、なぜそういう主人公の描写をしなければ
> ならなかったか? という理由が必要なんですよ。
理由となる例は挙げました。
また、私が書かなかったとしても
「理由無く」と解釈するのは拡大解釈です。
> 無駄な描写はそれだけでストレスになるんです。てつたろ
> さんには何故か理解できないようですが、普通の人はストレ
> スになる。
飯塚さんは私の文章のどこから「無駄な」
なんて接頭語を連想したんでしょうね?
> > > > ノベルゲームでもAVGでも終盤では選択肢がほとんど
> > > > でないで「読ませる」ことが中心になることはごく普通
> > > > に見受けられますが、飯塚さんの評価ではそれらはゲーム
> > > > として「駄目」な部類ですか?
> > >
> > > 終盤で
> > > 「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」
> > > なんてやるノベルゲームは駄目な部類でしょうなぁ。(^^;)
> >
> > またもや、質問を勝手に取り違えていますね。
>
> これは冗談です。
冗談ではない回答を期待します。
> > > > > > これは決してノベルゲームとして特殊な例ではありません。
> > > > > > ノベルゲームの経験がおありならわかりますよね。
> > > > >
> > > > > いやぁ、特殊な例だと思いますね。
> > > >
> > > > 特殊ではないノベルゲームの例は何でしょうか?
> > >
> > > 痕とかToHeartはノベルゲームの代名詞になってますよね。
> >
> > 「痕」も「ToHeart」も終盤で怒濤の展開の時、
> > 出てくる選択肢は少なくなり、ストーリーを読む
> > 比率が格段に増すと思いますが。
>
> 「主人公の丸一日の行動に選択肢がない」なんてことはない
> ですよ。終盤で怒涛の展開だから、ないんでしょ。
ゲーム中の実時刻を例にしたのは不適切
だったかも知れません。
なぜなら、終盤で何のイベントもないまま
(ストーリーもないまま)何日か過ぎていく
事もありますので。
(要するに日常的な起床-通学-昼休み-下校
ー自宅-就寝の、ストーリー上「無駄な」
プロセスをカットする例)
これを「丸一日の行動に選択肢がない」例
とするにはさすがに「屁理屈」っぽくなります。
ストーリーそのものの量に切り替えた方が
公正かと思いました。
終盤で「スキップなしのプレイ時間」30分
程度の間、選択肢がない、という事は
普通にあります。
> > > > > > 逆に上記に当てはまらない、個性のない「投影型」主人公
> > > > > > のノベルゲームの代表例があれば教えて頂けますか。
> > > > >
> > > > > 痕もTo-Heartもしっかり投影型の主人公ですよ。
> > > >
> > > > $ あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
> > > > $ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
> > > > と考えられている、と。(本当に?)
> > >
> > > だってあの主人公の夢ってなんです?
> >
> > AIRの主人公の夢はありましたね。
>
> 痕とToHeartにないという点はよろしいですか?
「ある」とも「ない」とも本編には出て
きません。
だけど一個の人格としてみればあるはずと
想像します。
> > > 思考だって社会通念上に照らしての喜怒哀楽しかしてない
> > > でしょうが。
> >
> > 「社会通念上の喜怒哀楽」しかしない主人公にプレイヤーは
> > 感動する訳ですか?
>
> ノベルゲームで感動する時には、普通主人公に感動してる
> んじゃないでしょう。
普通、主人公の幸不幸に情動されるんでしょう?
幸せそうな喜びの様子、何かを失った悲しみの様子
をみて感動するのを、「主人公に感動してる」とは
言いませんか?
> > 千歩譲って「社会通念上の喜怒哀楽」であったとしても、そ
> > れは主人公の思考であり、プレイヤーの思考とは別のもの
> > でしょう?
>
> できるだけ多くのプレイヤーの思考と同じにするために、
> 社会通念に照らした喜怒哀楽にするんですよ。
実際のプレイヤーの思考は個々人毎に異なります。
平均的な思考って結局誰の思考からもずれが生じる
ものです。
(「投影型だから顔が不要」説が消えれば
ここの部分も意味が無くないます。
その時はずばっとカットするかも)
2,3日不在にするので投稿に間が空くと思います。
(溜まった記事を消化したりフォローしたり
するのに時間もかかるだろうし)
"iizuka" <iiz...@comp.metro-u.ac> wrote in message
news:c14ruk$dp6$1...@swallow.comp.metro-u.ac.jp...
> > 「不適切な分野は発展しない」のでしょう?
> > ウィンドウシステムが長文を読ませるのに不適切だから作
> > 成者もあえて、長文を書かないようにしたとは考えられませんか?
>
> 今ストーリーはどんどん長大の一途をたどっていますが、別に
> AVGは廃れていませんので、長文を読ませるのに不適切とは
> いえないでしょう。
AVGは会話中心ですよね。
基本的にウィンドウ内に収まる区切りの文が中心
で、全文を読むまでに何回も改行を繰り返さなければ
ならない長文には不適切だと思います。
ノベル形式が増えてきたのは1画面をフルに使って
文章を表示できるメリットがあるからでしょう。
あ、ひょっとして長文を長編と解釈されていませんか。
「一区切りの長い文章」のつもりだったのですが。
(そう読みとれる文も書いていたはずですが)
> > > 選択肢では、行動を選択するかどうかという点は、「する」
> > > ということでいいですよね?
> >
> > えっと、当然ですがそれが何か???
>
> てつたろさんが、
> > 主人公の行動を入力(選択)することなく、
> > ストーリーが進むものが多い、という話ですよ。
> と書いたから、行動を選択するものが圧倒的であると
> 指摘しています。
> まぁ、今回「当然です」と了解を取ったので解決しましたが。
選択肢があれば行動を選択する
選択肢が無くEnterキー(またはマウスクリック)
だけで進める場面では行動が選択できない
当たり前ですね。
選択肢が出る場面に限定するなら「圧倒的」どころか
「全て」でもいいです。
例えば主人公とヒロインの会話のうち、プレイヤーが
介入出来る割合(選択肢の出る割合)はかなり低いと
思います。あとは主人公が勝手に会話を進めるので
プレイヤーはEnterキーを押しながら彼の言動をみてる
だけ。
主人公の言動を客観的にみながら、主人公がどんな
行動様式を持つ人間かを理解していきます。
> > 2,3時間で10個も選択肢が出れば今時例外的に多い部類ですね。
(中略)
> ご覧のとおり、議論の焦点となっているゲームで、10個なんて
> ゲームはありませんけどね。
> いったいどのゲームのことを言ってるんです?
> #自分が遊んだことないゲームを持ってきてるわけじゃなかろうし。
今やっているBetter Sweet Foolsが極端に選択肢が
少なかったもので、記憶が下方修正されていたようです。
失礼いたしました。 m(_ _)m
折角実例をご呈示頂いたので参考にさせていただくと、
選択肢は1プレイあたり20~30程度のものが多いようです。
2,30時間のプレイに2,30の選択肢は、最初勘違いしていた
からすると2,3倍になりますが、それでも1時間あたり
1個にしかなりません。
(うーん、冷静に考えればこれでも実際より間隔が空き
すぎている気がします)
当初の数字で「2時間あたり10」としてみても、12分に
1回の割合でしか選択肢が登場しません。
選択肢の選択を考える時間を1分としても、プレイヤー
が主人公を操作できる時間は全体のプレイ時間の1/10
程度となります。
AIRも初期にプレイできる3本は選択肢が多いですが
追加で出来るものは最初のが0、後のが16でした。
更に追加すると、選択肢はそれぞれのストーリーの
前半に集中しており、後半では1日、時には2,3日
選択肢なしのケースが多く見られます。
要するに、RPGやアクションゲームがプレイ時間の
大半で主人公=駒の操作が出来るのと比較し、
近年のAVGやノベルゲームは、主人公の操作時間は
プレイ時間の1/10かそれ以下しかない。
(PC-88の頃のAVGはそうでもなかったんですが)
RPGでもFFのようにプレイヤーの操作できない時間
があるものは、他者型に位置づけられた飯塚さん
ですから、AVGやノベルゲームは主人公視点の他者型
ゲームであると認識されてもよろしいのでは無いで
しょうか。
> 私は「システム性である」なんて記述したことはないですよ。
> てつたろさんが自分で書いたんでしょうが。
> 私は「ゲームのもっとも特徴的なこと」はインタラクティブで
> あることだと記述しました。簡単に言うと、プレイヤーが操作で
> きることです。
そうでした。
$ ゲームのもっとも特徴的なことは、インタラクティブ、プレイヤ
$ ーの操作に対する応答でしょう。簡単に言うとプレイヤーが操
$ 作できること。
と書かれていたものを
「インタラクティブ性、応答性」=「システム性」
と解釈し、飯塚さんがそう仰ったものだと思い込んで
いたものでした。
この点は「ゲーム時間と選択肢数」に次いで私の
認識誤りによるものです。
重ねて失礼しました。
> ということで、化粧桜の評価で低いのは、「ゲームのもっと
> も特徴的なこと」ではないということは、合意できたと理解し
> てよろしいのでしょうか?
了解です。
するとやはり「鬼哭街」は「ゲームのもっとも
特徴的なこと」で最低評価ですか?
(そもそも選択肢0だから評価以前にゲーム
ではない?)
メーカーやユーザーがこれを「ゲーム」と呼ぶ
ことはどう思われますか?
AVGやノベルゲームの後半は「ゲームのもっとも
特徴的なこと」で、前半に比べて評価が落ちますか?
> > 「主人公視点」の話をしているので、主人公に女装癖が
> > あるかどうかなんて話の筋とは何ら関係ないですよ。
>
> 失礼。記憶違いしました。
> 女装じゃなくてカラスでした。
主人公「往人」自身は出てこなかった?
CyberKnight Bladeさんの話では出てきた
ようですが。
#閑話休題
#「カラスの視点」で見た街や観鈴というのも
#面白そうですが、別の絵をおこすのが大変
#だったのかも知れませんね。
> > > もともと仮想のものなんですから、嘘があっていいんですよ。
> >
> > それでは飯塚さんが主人公視点に拘られる
> > 事自体無意味ですね。
>
> いいえ。
> 主人公視点で描写することは、何度も記述したとおりゲー
> ムの特長を反映した理由があります。
アクションゲームやRPGは主人公視点でなくともゲームの
特徴に反していない。
この理解は正しいでしょうか?
> > ならば、主人公視点を外して主人公を登場させても大した問
> > 題は起きそうにありませんね。
>
> プレイヤーが混乱しない程度でないと問題は起きます。
> Hシーンで主人公の身体が描写されると、違和感を感じる
> プレイヤーがいるように、1人称をプレイヤーが許容する範
> 囲には限界があります。
実際に混乱した人や、違和感を感じた人
をご存じですか?
Better Sweet Foolsやデモンベイン(これも
主人公の顔が出るそうです)をプレイした人で、
画面に主人公(一人称)達の顔が出たことにより
違和感を感じた人はどの程度いるのでしょうか。
少なくとも私はBetter Sweet Foolsでは
顔が出ることの違和感は感じませんでした。
> 制作者はだから常に最大公約数を考えてゲームを作る必
> 要がありますね。
ユーザニーズの、という話でならほぼ同意です。
(「ユーザニーズ」もユーザ個々人の主観と
嗜好によるものです)
それだけだとどこも同じようなものになって
しまうので、色々な試みを加えてきますが。
その他は予算と納期の関係、と言う現実問題も
あるのでしょう。
> > > まぁ確かに時々そういうソフトがあります。
> > > しかし1人称で他者の視点を混ぜるのは、原則やっ
> > > てはいけないことです。
> > > まずプレイヤーが混乱するし、その瞬間ゲームへの集中
> > > が切れてしまうからですね。
> >
> > 重箱の隅程度のことで混乱するプレイヤーはいないのでは?
>
> 程度問題です。
どの程度だと混乱するかの基準と
その客観的根拠は示せますか?
> > 主人公視点から外れるシーンは多くクライマックスで登場します
> > から、むしろプレイヤーは集中しているでしょうね。
>
> クライマックスで登場するというのは本当ですか?
「アルバム」に登録される絵を見ていただければ。^_^
> まぁ、とにかく程度問題です。
「適当」と「いい加減」がモットーの私ですが
これがなかなか難しい。
どの程度が適当でほどよい加減なのか。
主人公視点のゲームそのものを否定はしません。
#茶葉が良ければ「ストレートティー」も良い
#ものです。
でも、100%主人公視点を貫くことが無意味
なら、顔が出ることも構わないし、まして
や声は主人公視点でも「あってもいい」と
思います。
制作会社の予算や納期といった現実問題を
無視すれば、ですが。
(もっともヒロインの部分ボイスからフルボイス
へと進化したように、ニーズさえあればいつか
主人公や男の声も付くかも知れません)
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:c15f6g$6em$1...@news1.point.ne.jp...
> > > 「主人公視点だから顔不要」という論であれば、
> > > 「主人公視点には限界があり、主人公視点を離れた
> > > 時には主人公の顔が出てもいい」というのが私の考えであり、
> >
> > 視点の変更は、プレイヤーが混乱するからやらないというの
> > が原則であり、顔が出たらその状況に拍車をかけることになり
> > ます。
> > 制作側は、できるだけプレイヤーが混乱しないよう配慮する
> > 必要があるでしょう。主人公の顔を出さないと言うのも、その
> > 配慮の1つです。
>
> 逆に、文章が一人称で一貫しているのであれば、
> 主人公の姿が画面に出たからといって混乱した
> ことは経験的にありません。
一人称で、なぜ自分の姿が画面に出るんでしょうか?
どんな場合だったのか、教えて欲しいですね。
> ましてや、既に姿を登場させている状態で「顔が
> 出たら混乱を増す」と言う説にはちょいと首を傾げ
> ざるを得ない。
最初から姿を登場させていたら、混乱する人は少ない
でしょうね。そういうソフトはそもそも他者型のソフトと言
えるでしょう。
本当なら1人称もやってはいけないんですが、そこは
制作側のミスでしょうね。
> 飯塚さんは過去プレイしたゲームで、主人公の姿が
> 現れた事が理由で混乱した経験がおありなのでしょ
> うか?
AIRで、混乱と言うかゲームのコンセプトが他者型と
気付いて、あまりいい作りじゃないなと感想を持った
ことがありますね。
> 「主人公視点を外れたとき位、無理矢理に
> ごまかしたりせず顔をだせばいいのに」という話です。
基本的にやってはいけないことですから、その後拍車を
かけることは考える必要はないと思います。
> あと、ヒロインフルボイス時の主人公の声ですが、
> これは「主人公視点でも出て欲しい」と思います。
> (脇役の男もね)
> #声が出ると混乱する、という事はありませんよね?
顔と一緒で個性の1つですから、不必要といえるでしょう。
実際あっても出さない設定にする人も多いですし。
> > > > 結果的に「投影型」として作られたゲームは、「投影型」
> > > > で遊ぶでしょう。遊ぶときに「さあ、これはどっちだ」といち
> > > > いち判定しないですからね。普通の人は無意識にそうや
> > > > って切り替えてるはずなんですが。
> > >
> > > 無意識にやるから「違和感」を感じるのですが。
> >
> > 「違和感」を感じるなら、切り替えられてないんですよ。
>
> 無意識にやると「他者型」と切り換えてしまいます。
そりゃあ珍しいですね。
> > アクションゲームを遊ぶときは違和感なく切り替えられる
> > わけでしょ?
>
> アクションゲームの「駒」が自分の意思で動くことはないで
> すからね。
> と、いうより、アクションゲームってマリオにしろソニックにし
> ろ顔が出てますよね。
> 「投影型だから顔は不要」説と反するのですが、どうなん
>でしょう? 「投影型だから顔は不要」説そのものが間違い
> だったんでしょうか?
顔があろうとなかろうと、プレイヤーであることを示す記号
だから問題ないんです。
今まで何度も何度も何度も何度も何度も、説明してますが
まだわかりませんか?(--*)
主人公=プレイヤーであれば、顔を出しているかどうかは
大した問題ではありません。もともとそこからゲームは始ま
っています。
それをプレイヤー≠主人公だから顔が必要だと、てつたろ
さんが言い出した。しかし本来ゲームはゲーム=主人公だ
から顔は必要ではないということなんです。
脊髄で反射するのはお互い時間の無駄だからやめましょうよ。(^^;)
で、話を前に進めますけどね。
アクションゲームではなんの問題もなく切り替えられるわけ
でしょ? なぜノベルゲームやAVGだと自動的に他者型と判
断するんですか?
> > > > 多くと言っても、ここで名前の上がった痕とかToHeartには
> > > > ないんじゃないですか?
> > >
> > > 例えば痕なら「ヒロインが敵の手に落ちるような主人公の行動」
> > > ToHeartでは「マルチの××を見ようとする主人公の行動」等です。
> >
> > それはプレイヤーが(この場合てつたろさんですが)そうなる
> > 選択肢を選んだからでしょ? いつも必ず敵の手に落ちるわ
> > けじゃないし、見るわけじゃないんだから。
>
> いや、そのヒロインのルートに進んだら、
> ストーリー的に不可避ですね。
ヒロインが敵に落ちる行動が痕であったという記憶がありません
が、どこでしょう?
まぁそれを無視するとしても、納得できないストーリーの要求なら、
選択肢で回避することが出来ないこと問題ですね。
> > 投影型他者型に限らず、ゲームとして問題だ、という話ですね。
> > そうなるためにそれ相応の理由がない限り、ゲームとしての
> > 評価は低くなっちゃうでしょう。
>
> 簡単にいうと「ストーリー上の都合」が理由ですね。
じゃあそのストーリーに問題があるんですよ。
なんのことはない。
> > > 厳密な意味での「ストレス(心因的圧力)」なら感じているか
> > > も知れませんが、感動の場面も「ストレス」でしょう?
> >
> > はぁ? 違うでしょう、普通。
> > 感動の場面で感じるのはカタルシスでしょう。
> > ストレスと対極ですよ。感動の場面でストレス感じてどうするの。(^^;)
>
> 訂正
> 感動のなかには「哀」があり、登場人物の身に降りかかっ
> た不幸に「感動」する場合がある。その際に感じているの
> は「ストレス」(創作物全般ですが、受け手にストレスを与える
> ことで感動を引き出すものもある)
いや、まだ違いますね。
「哀」の感動の場面でも、感じているのはストレスではありません。
涙を流しても、それはストレスで涙を流してないからです。
涙を流すのは、悲しいという「感動」からです。まぁこれをカタル
シスとは言いませんが、決してストレスを感じているわけでありま
せん。誰でも普通「感動」の場面では、ストレスを感じたりしません。
> > > ストーリーがプレイヤーの思いもしない方向へ進むことが苦
> > > 痛なら、多くのAVG/ノベルゲームは苦痛の連続でしょう。
> >
> > 「よせ、やめろ」という負の感情を持つのは、誰でも普
> > 通苦痛ですよ。逆に「よし! よくやった」という感情を
> > 持つとカタルシスを感じますね。
>
> 悲劇はお嫌いですか。
は? 「よせ、やめろ」というのは、悲劇のことだったん
ですか?
> > > > > 飯塚さんはEnterキーで話を進めていく場面にストレスを感じ
> > > > > るのですか。それでは、ノベルゲームやAVGをプレイ
> > > > > する時間の大半は苦痛でしょうね。
> > > >
> > > > 私は「よせ、やめろ」と思うような展開だとストレスを感じますね。
> > > > 人並みに。
> > >
> > > 明らかに質問をはぐらかしていますね。
> > > もともと「よせ、やめろ」はプレイヤーが操作できない一例
> > > にすぎません。
> >
> > 私がどんな場合にストレスを感じるか、てつたろさんが勘違
> > いなさったようなので訂正したのです。
> > それに質問だったのですか? なんか勘違いした上に、納
> > 得したように見えたですが。(^^;)
>
> 改めて質問しましょうか。
それより論筋の方の、操作できないストレスを楽しむというのが
ゲームのプレイヤー中、多数を占めると思えない、という点はよ
ろしいですか?
> > > > > > > ノベルゲームのストーリーに求めるのは意外性だと
> > > > > > > 思いますが。
> > > > > >
> > > > > > 多数の人が求めるのは、意外性より感動でしょう。
> > > > >
> > > > > 「感動」の源として「意外性」は重要なウェイトを占めて
> > > > > いると考えます。
> > > >
> > > > うーん。
> > > > 「感動」というのは「喜怒哀楽」のことを言うんですがね。普通。
> > > > 喜ぶは、笑いゲー・バカゲーなどですが、お笑いは一寸低く
> > > > 見られているので、「感動」するゲームには入れてもらえません。
> > >
> > > では、多くの人は「笑いゲー・バカゲー」を求めて
> > > いないとでも?
> >
> > 残念ながら「感動」するゲームと分類した場合、「笑いゲー・
> > バカゲー」は入りません。人が求めてるかどうかとは別の問
> > 題です。
>
> 「感動」が求められているのは否定しませんが、
> 「意外性が求められていない」とする根拠が欲しい。
意外性が求められていないとは言ってません。
ただまず、感動を求める人の方が、はるかに多いということ
です。
> > > 意外性0で感動できたゲームって思い出せません。
> >
> > 操作性が0の感動できたゲームもないでしょうし、グラフィック
> > の良さが0で感動できたゲームもないでしょう。
> > ゲームは総合的なメディアですから、何かゼロでは感動なん
> > て望むべくもないんです。
>
> では「意外性が求められている」こと事態
> は概ね了解頂けるのですね。
ゼロかどうかの極論を了解もクソもないですだ。(^^;)
> > > > > > ストーリーをプレイヤーに合わせると言ってるのと同じですよ。
> > > >
> > > > 不可能なことを投影型として当たり前としたから
> > > > 否定したのですが。やんわりと。
> > >
> > > それではノベルゲーム/AVGは「投影型」足り得ないのでしょう。
> > > だって、「投影型」の主人公はプレイヤーを表す記号なんでしょう?
> > > 記号が勝手に喜んだり悲しんだりはしませんよね。
> >
> > 何度も書いてるはずなのですが、投影型の主人公は、社会
> > 通念に照らして喜んだり、悲しんだりするんです。特に最初は。
>
> Kanonの主人公が舞台となる街に戻ったとき、社会通念上
> から言えば懐かしい街に戻れた訳ですから悦んでもいいは
> ずですが、悩んで(あるいは苦しんで)います。
まぁ最初から既に事件が起きていて、7年後から物語が始ま
るというのが、そもそもゲームの導入ですからね。
で、故郷が社会通念上懐かしいと言えるわけではないでしょう。
苦い思い出のある人も多々いるわけですし。
まぁAIRといい、事例を考えてみると、keyの作品は他者型と
言える作品が多いですな。
> ONEの場合、主人公は心に傷を負っていますが
> これもゲーム開始時点ではプレイヤーには
> 知らされていない。
これは事例としては全く当てはまらないと思いますね。
時々入る意味不明な風景が、主人公の知る映像とわかる
わけでもないですし。通常主人公が苦しんでることとは、全く
関係なくプレーできるんですから。「とくに最初は」という私の
記述にまさに合致するソフトでしょう。
> > > それは、主人公がプレイヤーとは別個の存在で
> > > あることの証ではないでしょうか?
> >
> > 少なくともファーストプレイでは、別個とは言えないでしょうね。
> > あまのじゃくな人はいますけど。
>
> そうそう心理学テストのように自分の性格にぴったりと
>は行かないでしょうね。
まぁ、どうプレイするかはプレイヤーの勝手ですよ。
> > > > > #ズバリ言うと、顔がないのが「投影型」なら「MOON」にもヒ
> > > > > #ロインの顔を出さないのが流儀だろうけれど、普通に出て
> > > > > #きますよね。
> > > >
> > > > なんだ、そういうことですか。
> > > > まぁ特殊な1例だけでは、一般化できないでしょう。
> > >
> > > そうではない(ヒロインの一人称の時にヒロイン
> > > の顔がでない)例が多数あるなら。
> > > 全部で1例であれば一般化はできないまでも
> > > 考えを否定される謂われはありませんよね。
> >
> > 考えと言うか、MOONはそういうゲームだったということでしょう。
>
> なぜ、そういうゲームになったとお考えでしょうか?
MOONの制作者がそう作ったからでしょう。
> > そもそも主人公の顔を出さないことを、演出の一部として使
> > っています。要するにゲームの特徴として利用している例です。
> > またToHeartも同じですね。
>
> 制作者の考えは類推するしかありませんが「演出」として
> 主人公の顔を出さないということは「そのつもりなんだろ
> うな」と理解はできます。
では「痕」や「ToHeart」は投影型のソフトに該当するという
ことでよろしいでしょうか?
> > > 「鬼哭街」は選択肢がないそうですね。
> > > 彼らはゲームをなんだと捉えているのだろうか。
> >
> > 今はてつたろさんに、ゲームの特徴を理解してもらえれば
> > それでいいです。
>
> ゲームの特徴を理解するために、飯塚さんが「鬼哭街」と
> いう「ゲーム」(制作者の自称、および多くのプレイヤーの
> 認識)をどう考えるかお聞かせいただけると幸いです。
既にゲームの特徴は説明しています。
実際てつたろさんが遊んだことのない「鬼哭街」を議論しても
論筋からはずれると思います。
> > > > > 「ゲームとして無意味な展開」って何でしょう?
> > > >
> > > > 今回の場合で行くと、「今日はやる気が起きないので一
> > > > 日寝て過ごした」です。
> > >
> > > ストーリーとしては、主人公の状態を描写する
> > > 意味のある展開だし、テキストを読む行為が
> > > ストレスではないでしょうから、上記は「無意味」
> > > ではありません。
> >
> > ストーリーとして、なぜそういう主人公の描写をしなければ
> > ならなかったか? という理由が必要なんですよ。
>
> 理由となる例は挙げました。
> また、私が書かなかったとしても
> 「理由無く」と解釈するのは拡大解釈です。
理由になってないんですね。
本気でわかってないのか、「今日はやる気が起きないので一
日寝て過ごした」なんてしょうもない例を持ち出したことを、と
ぼけているのかどっちですかね?(^^;)
> > 無駄な描写はそれだけでストレスになるんです。てつたろ
> > さんには何故か理解できないようですが、普通の人はストレ
> > スになる。
>
> 飯塚さんは私の文章のどこから「無駄な」
> なんて接頭語を連想したんでしょうね?
だって「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」と
いう描写は、ストーリー上の必要性がないわけでしょう?
説明できないわけだから。意味がないなら、そりゃ無駄な描
写ですよ。
ストーリーに書かれていることは、基本的に全て意味がある。
逆に、読んでる側はそれを読み解こうとする。主人公の状態
を描写したかったのなら、なぜこの瞬間にその描写が必要だっ
たか、問われるんです。
> > > > > ノベルゲームでもAVGでも終盤では選択肢がほとんど
> > > > > でないで「読ませる」ことが中心になることはごく普通
> > > > > に見受けられますが、飯塚さんの評価ではそれらはゲーム
> > > > > として「駄目」な部類ですか?
> > > >
> > > > 終盤で
> > > > 「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」
> > > > なんてやるノベルゲームは駄目な部類でしょうなぁ。(^^;)
> > >
> > > またもや、質問を勝手に取り違えていますね。
> >
> > これは冗談です。
>
> 冗談ではない回答を期待します。
「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」
なんて特殊な事例では答えることが出来ません。
> > > > > > > これは決してノベルゲームとして特殊な例ではありません。
> > > > > > > ノベルゲームの経験がおありならわかりますよね。
> > > > > >
> > > > > > いやぁ、特殊な例だと思いますね。
> > > > >
> > > > > 特殊ではないノベルゲームの例は何でしょうか?
> > > >
> > > > 痕とかToHeartはノベルゲームの代名詞になってますよね。
> > >
> > > 「痕」も「ToHeart」も終盤で怒濤の展開の時、
> > > 出てくる選択肢は少なくなり、ストーリーを読む
> > > 比率が格段に増すと思いますが。
> >
> > 「主人公の丸一日の行動に選択肢がない」なんてことはない
> > ですよ。終盤で怒涛の展開だから、ないんでしょ。
>
> 終盤で「スキップなしのプレイ時間」30分程度の間、選
> 択肢がない、という事は普通にあります。
選択肢が~分以上出ないと、プレイヤーはストレスを
感じるとか、それに類する主張はしてもいないし、聞い
たこともないんですがね。
> > > > > > > 逆に上記に当てはまらない、個性のない「投影型」主人公
> > > > > > > のノベルゲームの代表例があれば教えて頂けますか。
> > > > > >
> > > > > > 痕もTo-Heartもしっかり投影型の主人公ですよ。
> > > > >
> > > > > $ あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
> > > > > $ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
> > > > > と考えられている、と。(本当に?)
> > > >
> > > > だってあの主人公の夢ってなんです?
> > >
> > > AIRの主人公の夢はありましたね。
> >
> > 痕とToHeartにないという点はよろしいですか?
>
> 「ある」とも「ない」とも本編には出てきません。
> だけど一個の人格としてみればあるはずと想像します。
想像じゃ意味がない。(^^;)
ドラクエの主人公やアクションゲームの主人公に夢がない
点は認めたわけでしょ? なぜここだけ認めることが出来な
いの?
> > > > 思考だって社会通念上に照らしての喜怒哀楽しかしてない
> > > > でしょうが。
> > >
> > > 「社会通念上の喜怒哀楽」しかしない主人公にプレイヤーは
> > > 感動する訳ですか?
> >
> > ノベルゲームで感動する時には、普通主人公に感動してる
> > んじゃないでしょう。
>
> 普通、主人公の幸不幸に情動されるんでしょう?
> 幸せそうな喜びの様子、何かを失った悲しみの様子
> をみて感動するのを、「主人公に感動してる」とは
> 言いませんか?
言いませんよ。痕に感動したときに、主人公に感動
したと言いますかね? 言わないでしょうが。
> > > 千歩譲って「社会通念上の喜怒哀楽」であったとしても、そ
> > > れは主人公の思考であり、プレイヤーの思考とは別のもの
> > > でしょう?
> >
> > できるだけ多くのプレイヤーの思考と同じにするために、
> > 社会通念に照らした喜怒哀楽にするんですよ。
>
> 実際のプレイヤーの思考は個々人毎に異なります。
> 平均的な思考って結局誰の思考からもずれが生じる
> ものです。
社会通念が存在しないと?
常識と言い換えてもいいですが。
最大公約数を否定するというのは、聞いたことがない
ですけどね。
--
東京都 飯塚顕充
"tetsutaro" <tetsut...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:c17t17$21jv$1...@news01.point.ne.jp...
> > > 「不適切な分野は発展しない」のでしょう?
> > > ウィンドウシステムが長文を読ませるのに不適切だから作
> > > 成者もあえて、長文を書かないようにしたとは考えられませんか?
> >
> > 今ストーリーはどんどん長大の一途をたどっていますが、別に
> > AVGは廃れていませんので、長文を読ませるのに不適切とは
> > いえないでしょう。
>
> AVGは会話中心ですよね。
> 基本的にウィンドウ内に収まる区切りの文が中心で、全文を
> 読むまでに何回も改行を繰り返さなければならない長文には
> 不適切だと思います。
AVGは会話中心に発展してきましたが、長文の表示が不適切
かどうかは判断することが出来ないでしょう。
ウインドーには最低でも3行は表示できます。1行につき15文
字から20文字は表示されてますね。
すると、最低でも45文字から60文字表示できるわけです。
1文章45文字~60文字を超えるものを、実際のストーリーで
要求されることはまずありません。
ノベルゲームであっても、画面上にいきなり全部表示するので
なく、クリックで1文ずつ表示させる方式を取っています。
要するに長文の表示に優劣をつけることはできないでしょう。
> 2,30時間のプレイに2,30の選択肢は、最初勘違いしていた
> からすると2,3倍になりますが、それでも1時間あたり
> 1個にしかなりません。
> (うーん、冷静に考えればこれでも実際より間隔が空き
> すぎている気がします)
まず時間で選択肢の数を考える有効性がないと思います。
FFやバイオハザードの場合は、ムービーが出ると、
それまで自由に動かせた主人公が他者になり、プレイ
ヤーはムービーを鑑賞してるだけになってしまいます。
この点から問題点として上げましたが、操作という意
味では、アクションゲームやRPGと、AVGやノベルゲーム
の操作は、その範囲が全く違いますので一緒にするこ
とはできません。
> AVGやノベルゲームの後半は「ゲームのもっとも
> 特徴的なこと」で、前半に比べて評価が落ちますか?
落ちませんね。
今クライマックスで選択肢のないゲームが圧倒的に多いで
すから。
> > > 「主人公視点」の話をしているので、主人公に女装癖が
> > > あるかどうかなんて話の筋とは何ら関係ないですよ。
> >
> > 失礼。記憶違いしました。
> > 女装じゃなくてカラスでした。
>
> 主人公「往人」自身は出てこなかった?
> CyberKnight Bladeさんの話では出てきたようですが。
> #「カラスの視点」で見た街や観鈴というのも
> #面白そうですが、
往人も出ていたかもしれませんが、AIRでの特徴はやっぱり
カラスでしょう。要するに完全にプレイヤーが傍観者になってし
まう。
> > > > ・転んだ瞬間の視界を『正確』に描写する
> > > > ・寝てる時の視界を『正確』に描写する
> > > > ・Hシーンで主人公の視界を『正確』に描写する
> > > > という通常ニーズのない描写の話ですよね。
> > > > もともと仮想のものなんですから、嘘があっていいんですよ。
> > >
> > > それでは飯塚さんが主人公視点に拘られる
> > > 事自体無意味ですね。
> >
> > いいえ。
> > 主人公視点で描写することは、何度も記述したとおりゲー
> > ムの特長を反映した理由があります。
>
> アクションゲームやRPGは主人公視点でなくともゲームの
> 特徴に反していない。この理解は正しいでしょうか?
まぁとにかく、AVGでニーズのない描写をしないからといって、
何かを主張できるわけではないということです。
> > > ならば、主人公視点を外して主人公を登場させても大した問
> > > 題は起きそうにありませんね。
> >
> > プレイヤーが混乱しない程度でないと問題は起きます。
> > Hシーンで主人公の身体が描写されると、違和感を感じる
> > プレイヤーがいるように、1人称をプレイヤーが許容する範
> > 囲には限界があります。
>
> 実際に混乱した人や、違和感を感じた人をご存じですか?
そりゃAIRの感想ホームページをさらえばですね。いくらでも
いらっしゃるでしょう。
> > > > まぁ確かに時々そういうソフトがあります。
> > > > しかし1人称で他者の視点を混ぜるのは、原則やっ
> > > > てはいけないことです。
> > > > まずプレイヤーが混乱するし、その瞬間ゲームへの集中
> > > > が切れてしまうからですね。
> > >
> > > 重箱の隅程度のことで混乱するプレイヤーはいないのでは?
> >
> > 程度問題です。
>
> どの程度だと混乱するかの基準とその客観的根拠は示せますか?
AIR程度にまでなると、他者型の視点を怒る人がいますね。
> 100%主人公視点を貫くことが無意味なら、顔が出ることも構わないし、
> ましてや声は主人公視点でも「あってもいい」と思います。
そうですか。
--
東京都 飯塚顕充
tetsutaroさんの<c17t17$21jv$1...@news01.point.ne.jp>から
:
>> > 「主人公視点」の話をしているので、主人公に女装癖が
>> > あるかどうかなんて話の筋とは何ら関係ないですよ。
>>
>> 失礼。記憶違いしました。
>> 女装じゃなくてカラスでした。
>
>主人公「往人」自身は出てこなかった?
>CyberKnight Bladeさんの話では出てきた
>ようですが。
そういう意味では、「往人」の一人称時に
彼の絵が出ることはなかったはずです。
そらの視点から出てきたはずです。
私の引用が不明確だったようですみません。
顔が出る、出ないという意味では、AIRの主人公たる
往人の顔も出る。
しかし、彼の視点でストーリーが進む時、顔は一切出ない。
つまり、AIRは基本的に主人公の顔が出ないゲームである。
ゲームの、ストーリーの必然として、主人公は切り替わる。
主人公の視点は切り替わる。
その時、主人公でなくなった往人の顔が出る。
>#閑話休題
>#「カラスの視点」で見た街や観鈴というのも
>#面白そうですが、別の絵をおこすのが大変
>#だったのかも知れませんね。
「カラスの視点」は無理ですが、
そらの視点では、それまでの絵のままでしたね。
そらの視点で、そらの一人称で、話が進んだところがあり
この視点で、往人の顔が出ることは問題ないんです。
飯塚さんもNOとは言ってないんです。
>> > ならば、主人公視点を外して主人公を登場させても大した問
>> > 題は起きそうにありませんね。
>>
>> プレイヤーが混乱しない程度でないと問題は起きます。
>> Hシーンで主人公の身体が描写されると、違和感を感じる
>> プレイヤーがいるように、1人称をプレイヤーが許容する範
>> 囲には限界があります。
>
>実際に混乱した人や、違和感を感じた人
>をご存じですか?
>Better Sweet Foolsやデモンベイン(これも
>主人公の顔が出るそうです)をプレイした人で、
>画面に主人公(一人称)達の顔が出たことにより
>違和感を感じた人はどの程度いるのでしょうか。
主人公視点だったものから、主人公以外の視点に頻繁に
切り替わって主人公の絵が出てきたらわかりにくい、と
飯塚さんは言っているだけで、
主人公の顔が最初から最後まで出るものまで否定しているとは
思いませんし、読めないけどな。
>少なくとも私はBetter Sweet Foolsでは
>顔が出ることの違和感は感じませんでした。
:
>> > > しかし1人称で他者の視点を混ぜるのは、原則やっ
>> > > てはいけないことです。
>> > > まずプレイヤーが混乱するし、その瞬間ゲームへの集中
>> > > が切れてしまうからですね。
>> >
>> > 重箱の隅程度のことで混乱するプレイヤーはいないのでは?
>>
>> 程度問題です。
>
>どの程度だと混乱するかの基準と
>その客観的根拠は示せますか?
Better Sweet Foolsで、どのような感じで顔が出るか分からないから
いくら例示されても、それが混乱するほどのものかそうでないのか
分からないですね。
まして、顔があってもいいじゃないか、の貴殿の意見ですから。
基準はそれぞれに依存するでしょうから、飯塚さんの意見が出たとして
それに納得されるかそれはまた別。
デモンベインも、プリンセスブライドも最初から主人公の顔が
かなり頻繁に出てくるゲームですが、視点がいろいろ変わって
わかりにくい、というものではありませんでした。
こういうゲームでは、主人公の顔が出ていてもいいね、というのは
私の意見。
ただし、一般的に主人公の顔が出ている必要はないというのも
私の意見。
# Better Sweet Foolsがどんな感じか、それがプリンセスブライドのような
# 感じであるなら、何言ってくれてるのだろう?と思う。
|> だから、そもそも画面に主人公が出てくる必要が最初からない。
|> 見えてる画面が主人公の見えている世界です。
|> ノベルゲームではそれを利用して、セリフ以外の心象表現とか、
|> 主人公が感じた情景描写などに力を入れています。
|> 「痕」なんかは、これをうまく利用して「実は自分が連続殺人の犯
|> 人ではないのか?」という葛藤がサスペンスを盛り上げています。
|> 要するに顔が画面に出る必要はない上に、出るとおかしいという
|> ことになります。
|
|「Better Sweet Fools」はおかしいですか? ;_;
|#PS2版を買って最近始めたばかりです
これだけでしょ?どのような感じで顔が出るのよ?
# 主人公の顔が最初から出てくるのか、なにかの折りに出てくるのか。
# 一人称で出てくるのか、他人の視点に切り替わって出てくるのか。
上の文書では、ただ単に、主人公の顔が出るゲームだ、としか読めない。
(かなりレアでマイナーなゲームのタイトルだけ出してきて
タイトル名だけで説明が済んだと、思います?)
と、いうことで、BSFインストール、起動。
む、起動してちょっとだけだけどやはり視点が切り替わるのですね。
このタイプなら主人公の顔が出るのも有り、というか必要なんじゃないの?