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法学の混乱

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ABE Keisuke

未読、
2002/12/12 7:39:232002/12/12
To:
ここのところずーっと胸につかえていることなのですが、
法律に明記されていないことを排除しての「法学」は
ありうることなのでしょうか。

というのも、紛争の解決手段としては、不文法(不文律?)
としての「常識」あるいは「慣習」を基にして、必要に
応じて成文法としての規則・規約や条例や法律が制定されていく
という図式を描いていたからです。

例えば、「刑罰を与える」となると「罪刑法定主義」という
観点から、法律にないものを勝手に罪として罰することを
禁じているというのは、知識としてあるのですが、
そのほか、たとえば民法709条の「不法行為」などは、
その不法行為というものが必ずしも明文で示されている
わけではなく、国民の法意識(ここでいう法は、必ずしも
明文による法律を意味しない)によって判断されると
理解していました。

--
阿部圭介(ABE Keisuke)
ko...@mcc.sst.ne.jp (For NetNews)

Yasuyuki Nagashima

未読、
2002/12/12 8:27:372002/12/12
To:
長島です。

In article <koabe-44BB1F....@news.fu-berlin.de>,
ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:

>ここのところずーっと胸につかえていることなのですが、
>法律に明記されていないことを排除しての「法学」は
>ありうることなのでしょうか。

法学というと風呂敷を広げすぎのような気もしますが、
これは識者の意見を待ちます。

>そのほか、たとえば民法709条の「不法行為」などは、
>その不法行為というものが必ずしも明文で示されている
>わけではなく、国民の法意識(ここでいう法は、必ずしも
>明文による法律を意味しない)によって判断されると
>理解していました。

それで正しいんじゃないですか?

民法上の「不法」は、
「禁止規定や取締規定など具体的法規に違反する場合だけでなく、
 公の秩序・善良の風俗など法の理念に違反する場合をも含む
 広い意味で用いられる」(法律学小辞典第3版より)
ものです。ちなみに「違法」も大して意味は変わりません。

一方、刑法上は、
・実質的な法秩序に反する状態=不法
・犯罪として類型化され、実定法上も法秩序に反するもの=違法
と、区別して使われることがあるようです。

これはきちんと区別して理解すればいいことのように思います。

…実を言うと私、
かつて「違法」といえば後者のニュアンスと思っていたので、
佐々木将人さんがよく不法行為の要件として出していた「違法性」に
ピンと来ないものがあったことを白状します。

# ちなみに刑法では「違法」と「違法性」も
# またちょっと意味が違ったりして…
# 刑法で「違法性」といったら「違法性阻却事由がある/ない」
# って使い方しかしないんじゃないかな?

-------------------------------------------
Yasuyuki Nagashima
yas...@horae.dti.ne.jp
-------------------------------------------

SASAKI Masato

未読、
2002/12/12 9:20:192002/12/12
To:
佐々木将人@函館 です。

>From:Yasuyuki Nagashima <yas...@horae.dti.ne.jp>
>Date:2002/12/12 22:27:37 JST
>Message-ID:<ata2o8$mmb$1...@newsl.dti.ne.jp>
>
># 刑法で「違法性」といったら「違法性阻却事由がある/ない」
># って使い方しかしないんじゃないかな?

そう。
「犯罪の成立する3つの要件は?」
「構成要件該当性、違法性、有責性」
と、あたしは徹底的に唱えさせるんだけど
その際に
「違法性とは?」
「違法性阻却事由がないこと」
と、これまた徹底的に唱えさせます。

刑法の授業で習うんだけど
「刑法に書かれていることをすれば処罰される」
ということをつきつめれば
「刑法に書かれていることをするのはまあたいてい違法だ」
ということは言える訳でしょう?
これを業界用語で
「構成要件の違法性推定機能」
って言うんだけど
違法性が推定されるなら、違法性がないと言うためには
推定をひっくり返さないとならない訳で
推定をひっくり返す典型を違法性阻却事由って言います。
違法性の判断は違法性阻却事由の有無の判断に転化している訳ね。

----------------------------------------------------------------------
Talk lisp at Tea room Lisp.gc .
c...@ams.odn.ne.jp 佐々木将人
(This address is for NetNews.)
----------------------------------------------------------------------
ルフィミア「は~い、模範六法出てたんで2冊買っておきましたよ。」
まさと「気がきくね。ありがとう。」ルフィミア「(照れ照れ)」

SASAKI Masato

未読、
2002/12/12 9:05:532002/12/12
To:
佐々木将人@函館 です。

>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2002/12/12 21:39:23 JST
>Message-ID:<koabe-44BB1F....@news.fu-berlin.de>
>
>ここのところずーっと胸につかえていることなのですが、
>法律に明記されていないことを排除しての「法学」は
>ありうることなのでしょうか。

これは質問の意味がわからないなあ……。

法律学というのは
例えばデュベルジェによれば
「法という社会現象を対象として取り扱う学問」
なんで
法でないものは取り扱わないもん。

だから法律学は最初に「法」とは何かを論ずるのさ。
これは同時に「法律学の守備範囲の確定」でもあります。

>というのも、紛争の解決手段としては、不文法(不文律?)
>としての「常識」あるいは「慣習」を基にして、必要に
>応じて成文法としての規則・規約や条例や法律が制定されていく
>という図式を描いていたからです。

それは厳格に言えば違います。

社会におけるルールの類は全て
「ルールとそれに対するサンクション」で分析できます。
……できないものをよく見ると実はルールではない可能性大。
例えば「刑事罰を定めた規定に反する行為をすると処罰される」とか
「ごみを拾ってごみ箱に入れるとほめられる」とか……。

そしてこのルールは適用範囲の大小や
サンクションの差異によって
まあさまざまなものがある訳ですよ。

そして「法は最低限の道徳」であると言われるように
道徳の中で特に国家権力による介入を要するものを
法で定めるという場合もあるけど
それだけじゃあない。
道徳や慣習のないところにあらたな慣習を作るという要素もある。
家族法の分野ってそういう要素が強いですな。
江戸時代の「武士はおおむね長子相続、農民は必ずしもそうでない。」を
旧民法は「家と家督相続制、長子相続」で1本化して
それがある程度根づいちゃったもんだから
新民法で「家制度やめ、均等相続」に変えたところで
「家と長子相続」が4000年来の日本の伝統であるかのように
勘違いしている人が結構多いでしょ?

なもんで、上記の考え方は厳格に言うと不正確。

>そのほか、たとえば民法709条の「不法行為」などは、
>その不法行為というものが必ずしも明文で示されている
>わけではなく、国民の法意識(ここでいう法は、必ずしも
>明文による法律を意味しない)によって判断されると
>理解していました。

これも実は厳格に言うと誤り。
もともと不法行為法は
「当事者の公平」という概念で組み立てられたから
その「公平」という点が
結局国民の法意識によるという指摘は全くそのとおりです。
でも、歴史的にはそうだったからといって
今も「国民の法意識がどのへんにあるだろう」って探りながら
妥当な判断を探し求めている訳ではないんです。
判例や学説の集積により分類と判断基準ができあがっている訳です。
「公平」に戻るのは
そういう分類と基準ではどうしても不合理だという場合なり
そういう分類と基準がない場合に限られてきています。

KENTAROU

未読、
2002/12/12 10:47:122002/12/12
To:

"SASAKI Masato" <c...@ams.odn.ne.jp> wrote in message
news:20021212...@ams.odn.ne.jp...

> 佐々木将人@函館 です。
>
> >From:Yasuyuki Nagashima <yas...@horae.dti.ne.jp>
> >Date:2002/12/12 22:27:37 JST
> >Message-ID:<ata2o8$mmb$1...@newsl.dti.ne.jp>
> >
> ># 刑法で「違法性」といったら「違法性阻却事由がある/ない」
> ># って使い方しかしないんじゃないかな?
>
> そう。
> 「犯罪の成立する3つの要件は?」
> 「構成要件該当性、違法性、有責性」
> と、あたしは徹底的に唱えさせるんだけど
> その際に
> 「違法性とは?」
> 「違法性阻却事由がないこと」
> と、これまた徹底的に唱えさせます。

ただし、それが言えるためには、当該行為が構成要件該当性ありと評価される場合で
なければならず、また、その構成要件は最低、違法行為を類型化したものであること
を言う必要があります。

> 刑法の授業で習うんだけど
> 「刑法に書かれていることをすれば処罰される」
> ということをつきつめれば
> 「刑法に書かれていることをするのはまあたいてい違法だ」
> ということは言える訳でしょう?

発展性のある表現をするならば、<刑法に書かれていること>とか<まあたいてい違
法だ>と言うような漠然とした捉え方に留めるべきではなく、もう少し厳密に、法文
はそのまま直ちに構成要件となるのではない、構成要件は法文を解釈して得られた違
法あるいは違法且つ有責な行為類型である、即ち、法文を読み取って得られた違法あ
るいは違法且つ有責な行為の類型が構成要件だ、とすべきであります。そうして理論
上初めて以下のことが言えるとした方がいいと思う。なぜなら、<類型>に該当した
に過ぎないからこそ単に構成要件に該当しただけの行為は実質的具体的には未だ「違
法」とはいい切れず、また逆に、違法の<類型>に合致する以上は全くの無色とは言
えない筈だからです。そして、このことを捉えて構成要件に該当する行為には違法性
が推定されると言う、と説明したらよろしかろうと思います。

> これを業界用語で
> 「構成要件の違法性推定機能」
> って言うんだけど
> 違法性が推定されるなら、違法性がないと言うためには
> 推定をひっくり返さないとならない訳で
> 推定をひっくり返す典型を違法性阻却事由って言います。
> 違法性の判断は違法性阻却事由の有無の判断に転化している訳ね。

しかし、以上は刑法で言う違法は犯罪の成否の判断過程のどこで問題になるかを述べ
ているに過ぎず、それも刑法の場合に限って取り上げてしまっているために、元記事
で問題にしていることからはずれてしまっているように思う。それともぼくの元記事
の理解の仕方に誤りがあるのかな。


From KENTAROU

KENTAROU

未読、
2002/12/13 2:14:042002/12/13
To:

"ABE Keisuke" <ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote in message
news:koabe-44BB1F....@news.fu-berlin.de...


『法学の混乱』というタイトル名は相応しくないでしょう。しかし、あなたの疑問は
貴重です。

みなさんが当たり前のこととして通り過ぎてしまうところをあなたは何がしかの胸に
引っかかるところがあって疑問に思ったその感覚は一種のセンスだと思う。

ところが残念なことにあなたの疑問に対する答えは教科書や法律書には直接には(少
なくともまとまっては)書いてありません。多くの人は教科書にそれも明確に表記さ
れていないと考えを及ぼす必要のない事柄だと断定してしまいます。そういう中に
あって、あなたの疑問の意味を汲み取るだけの知性がこのニュースグループにどれだ
けあるかも興味深いものがあります。

さて、みなさんが(1)あなたの疑問の意味をどれだけ理解できるか、また、(2)
それが理解できたとしてどれだけの答えを用意しているか、極めて興味深いものがあ
ります。暫くは静観させていただきます。


From KENTAROU

Keizo Matsumura

未読、
2002/12/14 13:27:002002/12/14
To:


こういうのは、フローチャート(流れ図)書いとけば、パターンになりますね!
まつむら

ABE Keisuke

未読、
2002/12/14 23:37:412002/12/14
To:
In article <20021212...@ams.odn.ne.jp>,
c...@ams.odn.ne.jp (SASAKI Masato) wrote:

> >ここのところずーっと胸につかえていることなのですが、
> >法律に明記されていないことを排除しての「法学」は
> >ありうることなのでしょうか。
>
> これは質問の意味がわからないなあ……。

法というものが、他の社会規範と無関係に存在し得るのか、
という疑問といえばいいのかなあ。法律を解釈するときに、
常識とか倫理とかそういったものを鑑みることなしに
いられるのかといえばいいのかなあ。

> 法律学というのは
> 例えばデュベルジェによれば
> 「法という社会現象を対象として取り扱う学問」
> なんで
> 法でないものは取り扱わないもん。
>
> だから法律学は最初に「法」とは何かを論ずるのさ。
> これは同時に「法律学の守備範囲の確定」でもあります。

ここでちょっと脱線かもしれない疑問ですが、佐々木さんの
いう「法律」は、「法」と同義で使っていますか。

私の学生時代のノートには、「法律……広義:すべての
法、狭義:国会の定める法律」となっていて、どっちかと
いうと、私は狭義のほうがイメージが強いです。
実際には、どちらの使われ方が多いのでしょう。


> そして「法は最低限の道徳」であると言われるように
> 道徳の中で特に国家権力による介入を要するものを
> 法で定めるという場合もあるけど
> それだけじゃあない。
> 道徳や慣習のないところにあらたな慣習を作るという要素もある。
> 家族法の分野ってそういう要素が強いですな。
> 江戸時代の「武士はおおむね長子相続、農民は必ずしもそうでない。」を
> 旧民法は「家と家督相続制、長子相続」で1本化して
> それがある程度根づいちゃったもんだから
> 新民法で「家制度やめ、均等相続」に変えたところで
> 「家と長子相続」が4000年来の日本の伝統であるかのように
> 勘違いしている人が結構多いでしょ?
>
> なもんで、上記の考え方は厳格に言うと不正確。

上記を読んで思ったのは、自分が、無意識のうちに
民主主義社会における法律の制定を想定していた、
ということです。

で、佐々木さんが指摘することは、もっともで、「道徳や
慣習のないところにあらたな慣習を作るという要素もある」
ということも、習ったような記憶があるのですが、
それにしても、(民主主義社会においては)国民の「~~」
によって支持される内容でなければならないのでは?
「~~」というのが法意識なのか、常識なのか、合理的判断
なのか、何を入れるべきか、判断がつかなかったです。

> でも、歴史的にはそうだったからといって
> 今も「国民の法意識がどのへんにあるだろう」って探りながら
> 妥当な判断を探し求めている訳ではないんです。
> 判例や学説の集積により分類と判断基準ができあがっている訳です。
> 「公平」に戻るのは
> そういう分類と基準ではどうしても不合理だという場合なり
> そういう分類と基準がない場合に限られてきています。

というか、判例や学説の集積によってできあがっている
妥当な判断って、国民の法意識によって支持されていると
信じられているいるから適用されるのではないのでしょうか。
仮に、実際の現場では機械的に当てはめているとしても、
形式的にはそういうことではないのでしょうか?
だからこそ判例だって、過去のものが覆ることがあるの
ではないでしょうか?

ABE Keisuke

未読、
2002/12/14 23:41:312002/12/14
To:
In article <0NfK9.21417$ZS4.4...@news1.rdc1.ky.home.ne.jp>,
"KENTAROU" <kenta...@jcom.home.ne.jp> wrote:

> 『法学の混乱』というタイトル名は相応しくないでしょう。しかし、あなたの疑問は
> 貴重です。

私も後から読み返して、Subjectは良くなかったと
思っています。

> ところが残念なことにあなたの疑問に対する答えは教科書や法律書には直接には(少
> なくともまとまっては)書いてありません。多くの人は教科書にそれも明確に表記さ
> れていないと考えを及ぼす必要のない事柄だと断定してしまいます。そういう中に
> あって、あなたの疑問の意味を汲み取るだけの知性がこのニュースグループにどれだ
> けあるかも興味深いものがあります。

そうですか?
教科書にあるものを再度整理して理解したいと思っての
疑問のつもりだったのですが。
といいつつも、改めて教科書を読み直すと、間違って
理解していることの多さに、自分に対してがっかり、
だったりします。

Keizo Matsumura

未読、
2002/12/14 23:45:302002/12/14
To:

ABE Keisuke wrote:
>
> In article <20021212...@ams.odn.ne.jp>,
> c...@ams.odn.ne.jp (SASAKI Masato) wrote:
>
> > >ここのところずーっと胸につかえていることなのですが、
> > >法律に明記されていないことを排除しての「法学」は
> > >ありうることなのでしょうか。
> >
> > これは質問の意味がわからないなあ……。
>
> 法というものが、他の社会規範と無関係に存在し得るのか、
> という疑問といえばいいのかなあ。法律を解釈するときに、
> 常識とか倫理とかそういったものを鑑みることなしに
> いられるのかといえばいいのかなあ。


今は、そうなっていますね。
また、しばしば
法律どうりに判決なされていません。

まつむら

SASAKI Masato

未読、
2002/12/15 8:33:422002/12/15
To:
佐々木将人@函館 です。

>From:Keizo Matsumura <kma...@nr.titech.ac.jp>
>Date:2002/12/15 03:27:00 JST
>Message-ID:<3DFB77F4...@nr.titech.ac.jp>
>
>こういうのは、フローチャート(流れ図)書いとけば、パターンになりますね!

はい。
パターンですから図表化が可能です。

SASAKI Masato

未読、
2002/12/15 7:46:292002/12/15
To:
佐々木将人@函館 です。

やはし、用語というか概念の整理した方がいいと思う。

法(または法律)というのは「事実」だし
法解釈というのは、法の意味内容を明らかにする「行為」だし
法学というのは、前にも述べたとおり「学問体系」だよね。
法学の一部門であるところの法解釈学は
一方で法解釈学の代名詞として法学と呼ばれるほど
法学の中では主流の学問ではあるけど
法解釈を研究対象に選んでいる点では
他の法学の部門とは異なる訳です。

>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2002/12/15 13:37:41 JST
>Message-ID:<koabe-4FD23F....@news.fu-berlin.de>
>
>法というものが、他の社会規範と無関係に存在し得るのか、
>という疑問といえばいいのかなあ。

法が「国家権力によってサンクションが与えられるルール群」である限り
他の社会規範とは独立に存在し得ますよ。
端的に言えば他の社会規範がどうであっても
「国家権力がサンクションを与えるルール」として定めれば
それは法以外の何物でもありません。

>法律を解釈するときに、
>常識とか倫理とかそういったものを鑑みることなしに
>いられるのかといえばいいのかなあ。

常識や倫理に拘束される訳ではないのは確かでしょう。
常識や倫理に拘束されるのであれば
実はそれは法ではないのではないか……とも言えます。

特に強行法規について言えば
「常識や倫理に任せるとまずいから法で定める」という要素もあり得ます。

>ここでちょっと脱線かもしれない疑問ですが、佐々木さんの
>いう「法律」は、「法」と同義で使っていますか。
>
>私の学生時代のノートには、「法律……広義:すべての
>法、狭義:国会の定める法律」となっていて、どっちかと
>いうと、私は狭義のほうがイメージが強いです。
>実際には、どちらの使われ方が多いのでしょう。

だいたいが「法学」と「法律学」を同義で使っているんですから
厳格な使い分けはしていない人が多いでしょう。
上記の狭義「国会の定める法律」に限定して使いたければ
その時に「法律」なんて使うのはやはりセンスが悪くて
「国会制定法」って言い方があるんだからそれを使うべき。
でもそれをうるさく言わないのは
文脈で読み分けられるからだし
読み分けられないのは
「書いている方がわかってない」
「読んでいる方がわかってない」
のいずれかです。

ただし私個人は国会制定法に限定したり
「法令」の意味で「法」という言葉は使わないようにはしていますし
そういう人は多いと思います。

>で、佐々木さんが指摘することは、もっともで、「道徳や
>慣習のないところにあらたな慣習を作るという要素もある」
>ということも、習ったような記憶があるのですが、

法学部で家族法の講義を受けていれば
そこで説明を受けている可能性は高いです。

>それにしても、(民主主義社会においては)国民の「~~」
>によって支持される内容でなければならないのでは?

憲法の基礎理論のところを読み返してみましょう。
それは本来の意味での民主主義の要請ではないですよね。
本来の意味での民主主義は
国家権力を国民が掌握しているという文脈で
法の定立(作成)が
国民によって行われるということを意味しているのであって
国民によって行われている以上
そこに支持不支持という概念は入る余地がありません。

そして民主主義は本来的に多数決原理が支配しますから
社会主義国家における民主集中制をも民主主義として解します。
……もし社会主義国家における民主集中制を概念に含めないなら
  ばくぜんと民主主義という用語は使うべきではありません。

>というか、判例や学説の集積によってできあがっている
>妥当な判断って、国民の法意識によって支持されていると
>信じられているいるから適用されるのではないのでしょうか。

そうではありません。
反例を1つあげればこれは十分でしょう。
いわゆる「100円手形事件」
昭和の末期で100円の手形を発行することは
おそらく常識では考えられないことでしょう。
ですから常識としては
100万円の「万」の字の書き落としと見るべきでしょう。
だけど最高裁判決は100円としての効力しか認めていません。

もともと成文法主義をとる場合には
裁判所が判例の形成によって法創造機能をはたしているといったところで
(上位規範や同位規範との矛盾でもない限り)
明文の効力を否定することはできず
解釈でできる範囲には限界があって
その意味で「解釈で補充する」とこまでなのです。
わかりやすく言えば成文法規が「枠を示す」のであって
その枠を狭めたり明確にするのが法解釈なのだ……と。

その枠を飛び越えることは法解釈としては誤りです。
そして常識や慣習等がその枠を飛び越えたところにある場合には
法解釈がそれを採用することが誤りになる訳です。
……この場合は法を改正するしかない。

最近の例では逮捕監禁致傷罪の最高刑が10年であるところ
新潟の少女監禁事件の東京高裁判決が同様の指摘をしていますね。
逮捕監禁罪は長期の監禁を想定した犯罪ではない。
ゆえに法定刑より長い監禁を行っても法定刑内という矛盾はある。
だけどその不合理は立法によって解決するべきだ……と。
結局国民の手による立法がなされている以上
そこで示された枠自体には国民の法意識による支持不支持という
概念自体入れる余地がないのです。
※もっとも私は原審新潟地裁判決がまったく誤りだとも思っていません。
 法益の異なる他の犯罪も犯している以上は
 併合罪加重されるのはしょうがないところだと思うし
 日本刑法が割と広い範囲の法定刑を定めていて
 しかもそれは罪刑法定主義に反する訳ではないとしているのは
 行為形態や情状でその中の選択をすることを裁判所に認めている訳で
 その中で重い方をとること自体はありだと思っています。
 そして刑期の決定について合算主義
 (構成要件ごとに刑期を定めそれを合計する方式)ではなく
 加重主義(1つについてそれを重くする方式)をとっている以上
 窃盗罪部分だけ取り出して比較すること自体ナンセンスではないか……と。

>だからこそ判例だって、過去のものが覆ることがあるの
>ではないでしょうか?

上記で述べたとおり判例変更も結局枠の中の変更にすぎませんし
そこに国民の法意識による支持の有無ということを見ることもできません。

KENTAROU

未読、
2002/12/15 22:18:542002/12/15
To:

"SASAKI Masato" <c...@ams.odn.ne.jp> wrote in message
news:20021215...@ams.odn.ne.jp...
> 佐々木将人@函館 です。
>
> はい。
> パターンですから図表化が可能です。
>

馬鹿な。で、何のパターンでしょうか?(ちょっとわき道で油売り)

<おできにならない方>も<おできになると思われている方>も同じことを言ってお
りますが、おできになるとされているお方から見ればおできにならないお方のお言葉
はこの上ない<オアシス>みたいなものなのでしょうね。おできになるとされている
お方も理論的なところになると素人に近いと言う場合が多いのが現実ですから。

佐々木さんには、自己保身は仕方ないとしてfj.soc.law の<質>を下げる権利は有
りません。おやめなされ。いつまでも同じレベルで楽しまないことです。


From KENTAROU

Keizo Matsumura

未読、
2002/12/17 1:57:512002/12/17
To:

> 特に強行法規について言えば
> 「常識や倫理に任せるとまずいから法で定める」という要素もあり得ます。

強行法規か否かは、どこで、だれによって決まっているのでしょうか?
少なくも法令には、この条項は強行法規とは書いてありません。


> 「国会制定法」って言い方があるんだからそれを使うべき。
> でもそれをうるさく言わないのは
> 文脈で読み分けられるからだし
> 読み分けられないのは
> 「書いている方がわかってない」
> 「読んでいる方がわかってない」
> のいずれかです。

あと「書いている方{も}わかってない」「読んでいる方{も}わかってない」
もある。


> >それにしても、(民主主義社会においては)国民の「~~」
> >によって支持される内容でなければならないのでは?
>
> 憲法の基礎理論のところを読み返してみましょう。
> それは本来の意味での民主主義の要請ではないですよね。
> 本来の意味での民主主義は
> 国家権力を国民が掌握しているという文脈で
> 法の定立(作成)が
> 国民によって行われるということを意味しているのであって
> 国民によって行われている以上
> そこに支持不支持という概念は入る余地がありません。

それをいうなら、いまの日本国憲法は、民主的な正式な手続きを経ないで戦後の
どさくさのなかで
一見民主的に決まったように見せかけてできたものという人々がいますが、ほん
とうでしょうか?

まつむら

Yasuyuki Nagashima

未読、
2002/12/20 17:53:372002/12/20
To:
長島です。

In article <3DFECAEF...@nr.titech.ac.jp>,
Keizo Matsumura <kma...@nr.titech.ac.jp> wrote:

>強行法規か否かは、どこで、だれによって決まっているのでしょうか?
>少なくも法令には、この条項は強行法規とは書いてありません。

「この規定に反する契約は無効とする」としている条文は強行法規である、
というようにわかりやすい条文もあるにはありますが、
それも含めて結局は各条文を検討して判断するしかありません。

「それじゃまずいのと違う?」って議論が出てこないのは、
それで十分だからでしょうね。

>それをいうなら、いまの日本国憲法は、民主的な正式な手続きを経ないで戦後の
>どさくさのなかで
>一見民主的に決まったように見せかけてできたものという人々がいますが、ほん
>とうでしょうか?

とりあえず、芦部信喜「憲法」岩波書店(私が持っているのは新版・補訂版)
の第2章「日本憲法史」読んでみてはいかがでしょうか。

日本国憲法の自律性・民定性はそれ自体大きな論点の1つのようですが、
おおむね自律性・民定性ともある、とする説が優勢ではないでしょうか。

# 個人的には、同じ芦部先生の「憲法制定権力」も読んでみたいけど、
# 現段階では歯が立たなさそう(^^;

SASAKI Masato

未読、
2002/12/20 19:24:162002/12/20
To:
佐々木将人@函館 です。

たぶん流れてないと思うからもう1度流します。

>From:Keizo Matsumura <kma...@nr.titech.ac.jp>
>Date:2002/12/17 15:57:51 JST
>Message-ID:<3DFECAEF...@nr.titech.ac.jp>
>
>強行法規か否かは、どこで、だれによって決まっているのでしょうか?

「この条項はこんな意味だとどこで誰によって決まっているのでしょうか?」
という質問に対する答と一緒です。

ある条項の意味をさぐるのが法解釈学の仕事で
その意味というのは法解釈という作業の結果でわかるものです。
どこで誰が決めたかで意味がすぐわかるなら
法解釈って作業は不要でしょう。
……その誰かに意味を聞けばいい。

「この条項は強行法規か任意法規か」というのも
上でいう「ある条項の意味」に含まれます。

……なお、強行法規については
http://www.lufimia.net/sub/c1/civil/0030.htm
も参照されたし。

>あと「書いている方{も}わかってない」「読んでいる方{も}わかってない」
>もある。

まあね(笑)。
議論でもありますよね。
「わかってねえなあ」って主張に反論するのはいいんだけど
反論は反論でやはし「わかってねえなあ……。」というやつ。

>それをいうなら、いまの日本国憲法は、民主的な正式な手続きを経ないで戦後の
>どさくさのなかで
>一見民主的に決まったように見せかけてできたものという人々がいますが、ほん
>とうでしょうか?

そういう主張をする人がいるのは本当です。
そういう主張が憲法学界のスタンダードな見解かと言われれば
それは違います。
ただ憲法学界でもそういう主張をする人がいるのは確かですし
それが「箸にも棒にもかからない論外」だとは考えられてはいないと思います。
ただし一般的に上記のような主張をするのは
憲法学の議論ではなく、単なる感情論だったり
もしくはなんらかの政治的な言明にすぎないのがほとんどでもあります。
……そういう主張はたいてい事実をねじまげていたり
  民主的とか正式とか言う言葉をあいまいなままにしています。
  もしくは「混乱」とやたら使ってみたり……。
  そういう主張であれば法的には眉唾と考えてよいでしょう。

SASAKI Masato

未読、
2002/12/20 6:51:392002/12/20
To:
佐々木将人@函館 です。

たぶん流れてないと思うからもう1度流します。

>From:Keizo Matsumura <kma...@nr.titech.ac.jp>
>Date:2002/12/17 15:57:51 JST
>Message-ID:<3DFECAEF...@nr.titech.ac.jp>
>
>強行法規か否かは、どこで、だれによって決まっているのでしょうか?

「この条項はこんな意味だとどこで誰によって決まっているのでしょうか?」
という質問に対する答と一緒です。

ある条項の意味をさぐるのが法解釈学の仕事で
その意味というのは法解釈という作業の結果でわかるものです。
どこで誰が決めたかで意味がすぐわかるなら
法解釈って作業は不要でしょう。
……その誰かに意味を聞けばいい。

「この条項は強行法規か任意法規か」というのも
上でいう「ある条項の意味」に含まれます。

……なお、強行法規については
http://www.lufimia.net/sub/c1/civil/0030.htm
も参照されたし。

>あと「書いている方{も}わかってない」「読んでいる方{も}わかってない」
>もある。

まあね(笑)。


議論でもありますよね。
「わかってねえなあ」って主張に反論するのはいいんだけど
反論は反論でやはし「わかってねえなあ……。」というやつ。

>それをいうなら、いまの日本国憲法は、民主的な正式な手続きを経ないで戦後の
>どさくさのなかで
>一見民主的に決まったように見せかけてできたものという人々がいますが、ほん
>とうでしょうか?

そういう主張をする人がいるのは本当です。


そういう主張が憲法学界のスタンダードな見解かと言われれば
それは違います。
ただ憲法学界でもそういう主張をする人がいるのは確かですし
それが「箸にも棒にもかからない論外」だとは考えられてはいないと思います。
ただし一般的に上記のような主張をするのは
憲法学の議論ではなく、単なる感情論だったり
もしくはなんらかの政治的な言明にすぎないのがほとんどでもあります。
……そういう主張はたいてい事実をねじまげていたり
  民主的とか正式とか言う言葉をあいまいなままにしています。
  もしくは「混乱」とやたら使ってみたり……。
  そういう主張であれば法的には眉唾と考えてよいでしょう。

----------------------------------------------------------------------

SASAKI Masato

未読、
2002/12/20 22:47:502002/12/20
To:
佐々木将人@函館 です。

>From:Yasuyuki Nagashima <yas...@horae.dti.ne.jp>
>Date:2002/12/21 07:53:37 JST
>Message-ID:<au06ta$95f$1...@newsl.dti.ne.jp>
>
>>それをいうなら、いまの日本国憲法は、民主的な正式な手続きを経ないで戦後の
>>どさくさのなかで
>>一見民主的に決まったように見せかけてできたものという人々がいますが、ほん
>>とうでしょうか?
>
>とりあえず、芦部信喜「憲法」岩波書店(私が持っているのは新版・補訂版)
>の第2章「日本憲法史」読んでみてはいかがでしょうか。
>
>日本国憲法の自律性・民定性はそれ自体大きな論点の1つのようですが、
>おおむね自律性・民定性ともある、とする説が優勢ではないでしょうか。

ですね。
私はこのあたりの話については
佐藤功先生の「日本国憲法概説」が明快だと思います。

># 個人的には、同じ芦部先生の「憲法制定権力」も読んでみたいけど、
># 現段階では歯が立たなさそう(^^;

そんなことないと思うよ。
概説書より「かゆいところに手が届く」記述なんで
かえってわかりやすいかもしれないです。

KENTAROU

未読、
2002/12/21 15:03:252002/12/21
To:

"KENTAROU" <kenta...@jcom.home.ne.jp> wrote in message
news:4c2K9.21321$ZS4.4...@news1.rdc1.ky.home.ne.jp...

>
> "SASAKI Masato" <c...@ams.odn.ne.jp> wrote in message
> news:20021212...@ams.odn.ne.jp...
> > 佐々木将人@函館 です。
> >
> > >From:Yasuyuki Nagashima <yas...@horae.dti.ne.jp>
> > >Date:2002/12/12 22:27:37 JST
> > >Message-ID:<ata2o8$mmb$1...@newsl.dti.ne.jp>
> > >
> > ># 刑法で「違法性」といったら「違法性阻却事由がある/ない」
> > ># って使い方しかしないんじゃないかな?
> >
> > そう。

ほ~う、本当に「そう」なんですか?ニュースグループだからといって嘘語るのはそ
ろそろお止めなされ。そんな権利は佐々木さんといえどもありません。恐らく三流教
授の本を読んでいるかあるいは読解力が無いかその辺でしょう。古い学説特に団籐重
光かさらにもっと古く小野清一郎とかの考えを批判的に読む力が無いため、余裕を持
てずにそのまま表面だけ鵜呑みにして、しかもそれも読みが浅い結果、真意に到達で
きずに勝手に自分が理解しているとしてしまっていることから生ずる誤解でしょう
ね。

その団籐重光でさえ、構成要件は「違法」かつ有責な行為類型であると言っているの
です。その見解に拠れば構成要件該当性を判断するときにこそ違法であるかが問われ
なければならないはずです。つまり、明らかに構成要件には該当しないあるいは該当
するといえる場合以外は構成要件該当性を判断する過程で違法が問題とさるべきなの
です。なぜなら他でもない構成要件該当性有りと言える為には少なくとも違法の類型
に合致しているか否かの判断が必要だからであります。構成要件該当性ありやなしや
を検討するのは所謂刑法各論の守備範囲ではありますが、このとき違法をどう考える
かがその前提として問題となり、それを検討しつつ各論を解釈して構成要件該当性を
確定する。刑法に於いても違法阻却事由を論ずる以前に違法は既に問題となってい
る。団籐理論は全て構成要件該当性はたやすく確定できるとの誤解から始まっている
のです。

団籐理論はこの誤解があるからテキストに於いては構成要件該当性を軽く突破して次
の違法性それも違法阻却事由を論ずるところで初めて違法性が問題となるような書き
方をしている。皆さんはこの書き方に騙されている。もっとも、団籐説にはもう一つ
の思惑あるいは真意があっての見解ですが、それはまた別の機会にしましょう。

From KENTAROU

KENTAROU

未読、
2002/12/21 16:22:272002/12/21
To:

"ABE Keisuke" <ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote in message
news:koabe-4FD23F....@news.fu-berlin.de...

> In article <20021212...@ams.odn.ne.jp>,
> c...@ams.odn.ne.jp (SASAKI Masato) wrote:
>
> > >ここのところずーっと胸につかえていることなのですが、
> > >法律に明記されていないことを排除しての「法学」は
> > >ありうることなのでしょうか。
> >
> > これは質問の意味がわからないなあ……。


阿部さんの問題提起はタイトル名が『法学の混乱』とはなっておりますが、以下の
(1)から(4)の疑問を通して推測できることは、恐らく阿部さんは実定法の解釈
それも日本の法制度は制定法主義ですからその制定法の解釈を議論対象にしているも
のと思われます。

ところが、その制定法の解釈を問題とする場合に於いても文字通り法文に書かれてい
る規範を対象にしそして終わるのか、はたまた法文からは直ちには読み取れないが何
がしかの法文前規範と言うものがありそれを含めて議論するのかの問題提起であると
お見受けいたします。如何でしょうか?

そして、阿部さんは実定法をその解釈対象にする場合に於いても既に法文から読み取
るべき規範以前に踏まえるべき原理なり原則あるいは一般規範と言うものが既に存在
し、寧ろそれによって法文によって語られる規範が規制を受けるのではないか、従っ
て、逆から言えば、だからこそ法文に明確に規定されていなくとも解釈によって規範
を創出できることになるのではないか、との独自意見を含むものとお見受けいたしま
す。如何でしょうか?

阿部さんwrote
(1)


> 法というものが、他の社会規範と無関係に存在し得るのか、
> という疑問といえばいいのかなあ。法律を解釈するときに、
> 常識とか倫理とかそういったものを鑑みることなしに
> いられるのかといえばいいのかなあ。

(2)


> ここでちょっと脱線かもしれない疑問ですが、佐々木さんの
> いう「法律」は、「法」と同義で使っていますか。
> 私の学生時代のノートには、「法律……広義:すべての
> 法、狭義:国会の定める法律」となっていて、どっちかと
> いうと、私は狭義のほうがイメージが強いです。
> 実際には、どちらの使われ方が多いのでしょう。

> 上記を読んで思ったのは、自分が、無意識のうちに
> 民主主義社会における法律の制定を想定していた、
> ということです。

(3)


> で、佐々木さんが指摘することは、もっともで、「道徳や
> 慣習のないところにあらたな慣習を作るという要素もある」
> ということも、習ったような記憶があるのですが、
> それにしても、(民主主義社会においては)国民の「~~」
> によって支持される内容でなければならないのでは?
> 「~~」というのが法意識なのか、常識なのか、合理的判断
> なのか、何を入れるべきか、判断がつかなかったです。

(4)


> というか、判例や学説の集積によってできあがっている
> 妥当な判断って、国民の法意識によって支持されていると
> 信じられているいるから適用されるのではないのでしょうか。
> 仮に、実際の現場では機械的に当てはめているとしても、
> 形式的にはそういうことではないのでしょうか?
> だからこそ判例だって、過去のものが覆ることがあるの
> ではないでしょうか?


From KENTAROU

KENTAROU

未読、
2002/12/25 12:40:502002/12/25
To:

"KENTAROU" <kenta...@jcom.home.ne.jp> wrote in message
news:yCbL9.22068$ZS4.4...@news1.rdc1.ky.home.ne.jp...

>
> "SASAKI Masato" <c...@ams.odn.ne.jp> wrote in message
> news:20021215...@ams.odn.ne.jp...

続き。

"ABE Keisuke" <ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote in message
news:koabe-4FD23F....@news.fu-berlin.de...
> In article <20021212...@ams.odn.ne.jp>,

> c...@ams.odn.ne.jp (SASAKI Masato) wrote:
>
> > >ここのところずーっと胸につかえていることなのですが、
> > >法律に明記されていないことを排除しての「法学」は
> > >ありうることなのでしょうか。
> >

ABE Keisuke

未読、
2002/12/29 5:10:412002/12/29
To:
In article <20021217...@ams.odn.ne.jp>,
c...@ams.odn.ne.jp (SASAKI Masato) wrote:

> >From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
> >Date:2002/12/15 13:37:41 JST
> >Message-ID:<koabe-4FD23F....@news.fu-berlin.de>

> 「第3に、解釈論の帰結は、正義・衡平の観点から支持を得られるものでなけ
>  ればならない。これは言うは易くして実践することの極めて困難な要請であ
>  るが、端的に言えば、常識に合致した結論でなければならない、ということ
>  である。この場合の常識は、単なる日常的常識ではなく、法的素養と切り離
>  すことはできないが、同時に、社会一般の常識、取引行為の場合なら取引社
>  会の常識とかけ離れた解釈は優れているとはいえないのである。」
> (内田貴「民法I」東京大学出版会 初版だとp7)
> みたいなことを言いたいの?

一つにはそうです。
もう一つは、法律にはその解釈に必要なすべてが書かれて
いるのか、もし書かれていないとすればそれをどのように
判断するのか、ということです。

ところで、この前後の文脈が分かりませんが、この抜き出しだけ
だと、特に「端的に言えば、常識に合致した結論でなければ
ならない」という部分が誤解を生むかも知れませんね。

> だとすれば私は
> 「この場合の常識は、単なる日常的常識ではなく、法的素養と切り離
>  すことはできない」
> という点を特に強調しておきたいと思います。
> すなわち法的素養の有無が判断を異にすることがあることをふまえた上で
> 法的素養がなくても常識の判断でよいのだということを
> 否定している訳でしょ?
法律学分野の書なので、法的素養という言い方が適しているの
かもしれませんが、「その『常識』って法の目指す理念から
いって、合理的なの?」といったような見方をする必要がある
ということを言っておく必要があるのではないかと感じました。

ABE Keisuke

未読、
2002/12/29 5:20:262002/12/29
To:
In article <nY4N9.25021$ZS4.4...@news1.rdc1.ky.home.ne.jp>,
"KENTAROU" <kenta...@jcom.home.ne.jp> wrote:

> ところが、その制定法の解釈を問題とする場合に於いても文字通り法文に書かれてい
> る規範を対象にしそして終わるのか、はたまた法文からは直ちには読み取れないが何
> がしかの法文前規範と言うものがありそれを含めて議論するのかの問題提起であると
> お見受けいたします。如何でしょうか?

KENTAROUさんに整理していただいたことで、私自身の疑問点が
明確になりました。ありがとうございます。

ただ、


> そして、阿部さんは実定法をその解釈対象にする場合に於いても既に法文から読み取
> るべき規範以前に踏まえるべき原理なり原則あるいは一般規範と言うものが既に存在
> し、寧ろそれによって法文によって語られる規範が規制を受けるのではないか、従っ
> て、逆から言えば、だからこそ法文に明確に規定されていなくとも解釈によって規範
> を創出できることになるのではないか、との独自意見を含むものとお見受けいたしま
> す。如何でしょうか?

という、「一般規範(原理)(法文前規範)」までは、想定して
いませんでした。

この点については、むしろ個別の事情が法解釈に入り込む
余地があるのかどうか、ということを考えていました。
つまり「一般的な原理としての法」対「個別事情」という
構図です。

SASAKI Masato

未読、
2002/12/29 7:26:292002/12/29
To:
佐々木将人@函館 です。

>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2002/12/29 19:10:41 JST
>Message-ID:<koabe-8C2F06....@news.fu-berlin.de>
>
>もう一つは、法律にはその解釈に必要なすべてが書かれて
>いるのか、もし書かれていないとすればそれをどのように
>判断するのか、ということです。

それは誰でもいいんで「法の解釈」について書かれた文献を読むと
ほしい答がばっちり書かれていると思います。
例えばこれの前の第1第2として内田先生が書かれていることは
「まず第1に、法の解釈には一貫性が要求される。
 (中略)
 第2に、ある事例で提示された解釈論は、同様な事例で
 先例として機能することが予定されている。」
です。

>法律学分野の書なので、法的素養という言い方が適しているの
>かもしれませんが、「その『常識』って法の目指す理念から
>いって、合理的なの?」といったような見方をする必要がある
>ということを言っておく必要があるのではないかと感じました。

それはそのとおりです。

ABE Keisuke

未読、
2002/12/29 20:52:572002/12/29
To:
In article <20021229...@ams.odn.ne.jp>,
c...@ams.odn.ne.jp (SASAKI Masato) wrote:

> >もう一つは、法律にはその解釈に必要なすべてが書かれて
> >いるのか、もし書かれていないとすればそれをどのように
> >判断するのか、ということです。
>
> それは誰でもいいんで「法の解釈」について書かれた文献を読むと
> ほしい答がばっちり書かれていると思います。

「教科書にあるものを再度整理して理解したい」(註)ことなので、
それをいわれてしまうと、身も蓋もない……です
(註)<koabe-0A1581....@news.fu-berlin.de>

> 例えばこれの前の第1第2として内田先生が書かれていることは
> 「まず第1に、法の解釈には一貫性が要求される。
>  (中略)
>  第2に、ある事例で提示された解釈論は、同様な事例で
>  先例として機能することが予定されている。」
> です。

これは、解釈にあたっての留意事項ですね。
むしろ、整理したいと考えていたのは、「類推解釈は
どのように行うのか」といったようなことです。

SASAKI Masato

未読、
2002/12/30 5:58:482002/12/30
To:
佐々木将人@函館 です。

>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2002/12/30 10:52:57 JST
>Message-ID:<koabe-04946D....@news.fu-berlin.de>
>
>> 例えばこれの前の第1第2として内田先生が書かれていることは
>> 「まず第1に、法の解釈には一貫性が要求される。
>>  (中略)
>>  第2に、ある事例で提示された解釈論は、同様な事例で
>>  先例として機能することが予定されている。」
>> です。
>これは、解釈にあたっての留意事項ですね。
>むしろ、整理したいと考えていたのは、「類推解釈は
>どのように行うのか」といったようなことです。

質問の趣旨がよくわからないなあ……。

ちなみに私個人は
「類推解釈はどのように行うのか」
などということは考えるなって立場なのだよ。

あるのは「適切な解釈」と「適切ではない解釈」であって
「適切な解釈」とは何かを求めるのが法解釈学の目標でして……。
「類推解釈はどのように行うのか」
なんてことがわからなくても全然困らないのだよ。

ところで「類推解釈とはどんな解釈技法か」はわかるのん?
特に「拡張解釈」との違いね?

ABE Keisuke

未読、
2002/12/30 7:10:112002/12/30
To:
In article <20021230...@ams.odn.ne.jp>,
c...@ams.odn.ne.jp (SASAKI Masato) wrote:

> 質問の趣旨がよくわからないなあ……。
すみません。私自身も「しっくりいかない」原因がどこに
あるのか探りながら、というところでして。
# こういうときって、対話形式のよさを感じたり
# します。

> ちなみに私個人は
> 「類推解釈はどのように行うのか」
> などということは考えるなって立場なのだよ。
読み返してみて、「どのように行うか」というのは
適切でない気がします。
「どのように行われているのか」なのかな。

> ところで「類推解釈とはどんな解釈技法か」はわかるのん?
> 特に「拡張解釈」との違いね?

ここって、結構重要なポイントとして講義で触れられて
いた覚えがあるのですが、いまいちよく分かっていないです。
# しかも重要だと言った先生の講義のノートは、
# 人に貸したら返ってこなかった。(;_;)

SASAKI Masato

未読、
2002/12/30 9:32:082002/12/30
To:
佐々木将人@函館 です。

subjectは変えました。

>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2002/12/30 21:10:11 JST
>Message-ID:<koabe-0521FD....@news.fu-berlin.de>
>
>> ところで「類推解釈とはどんな解釈技法か」はわかるのん?
>> 特に「拡張解釈」との違いね?
>
>ここって、結構重要なポイントとして講義で触れられて
>いた覚えがあるのですが、いまいちよく分かっていないです。

まあ刑法の時にはわかってた方がいいポイントだよね。
……わかんなくても実は困らないんだが……。

文理解釈を基本とした時に
文理解釈よりも広げる方向なのは類推も拡張も一緒だけど
拡張はその言葉の意味の中で広い方にとるもので
「子」という概念に「非嫡出子」「養子」を含むなんてえのがこれ。
(どちらも「子」と言うくらいで子に入ると言えば入るでしょ。)
類推は言葉の意味としては含まれないけど
概念としての共通性を認めて含むと言いきってしまうもの。
「車馬通行止め」とある場合に「牛」を「馬」に含めてしまう類。
普通の言葉で牛を馬に含めることはあり得ないでしょう。

ところでなんで「車馬通行止め」とある場合に
牛を通行止めにしてしまえるか?
実はこの例は法律学小辞典に載っている例で
私の作った例ではないから
私が説明しやすいように私の作った例でいきたい……。

たとえば禅寺なんかで
「不許入葷酒山門」なんて書いてある時に
入ることが許されるのは何で
許されないのは何かを解釈によって明らかにするとしよう。

「葷」というのはにおいの強い野菜のことなんだけど
なぜにおいの強い野菜がだめだということを考えた時に
強いにおいは修行の妨げになるからだめだってことかもしれない。
そう考えると「においの強い」点がだめな理由なんだから
例えばくさやの持ち込みもだめだったことになると思うし
くさやはどう考えても野菜じゃないんだから「葷」ではないんだけど
「葷」と一緒にしてしまうので類推解釈なんだよね。
一方「葷」が禅宗におけるタブーの食べ物なのかもしれない。
そうだとすると普通タブーの食べ物は限定列挙だから
くさやはOKってことになる。
この場合は反対解釈をしたことになるんだね。

でも「不許入葷酒山門」自体にはくさやがどっちか
明確に書いていないでしょう?
そして実際上で書いたとおりどっちにもとれる。
そこでじゃあどっちなんだ?というのを解決するのが
法解釈って作業な訳なんだけど、
法解釈では何を具体的にしているかと言えば
上の説明で想像がつくように
「何のための規定なのか」という
当該条項の目的をさぐり当てるのがまず第1の作業になる訳です。
「不許入葷酒山門」で言えば、禅寺の僧正さんに
なんでだめなんですかって由来を聞いてみるってえのはあるでしょうな。

ただそれだけでいいのかというと
厳格に言えば問題は残るんだけど
私は個人的には
「法律は要件効果だけではなく目的要件効果の3点セットで覚えろ」
と言っている次第で
目的を正確におさえることができればそう困りません。
(またこれは最低限必要ですから。
 目的をおさえなくてもいいという議論にはあまりならない。)

ちなみに刑法で「類推解釈の禁止」というのが言われるけど
それでも「類推解釈」を知らなくても実は困らないことの説明。

要するに刑法が禁止しているのは
罪刑法定主義の1要請であるところの
「刑罰法規は明確でなければならない」という要請からで
その基準も徳島市公安条例事件で
「通常の判断能力を有する一般人の理解において
 具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を
 可能ならしめるような基準が読み取れるかどうか」
と明らかになっているのですから
「くさやはにおいの強い野菜ではない」というのが
通常の判断能力を有する一般人の理解だっておさえておけば
別に「類推解釈」を知らなくても同じ答になるでしょ?

ABE Keisuke

未読、
2003/01/01 8:14:462003/01/01
To:
In article <20021230...@ams.odn.ne.jp>,
c...@ams.odn.ne.jp (SASAKI Masato) wrote:

> 文理解釈を基本とした時に
> 文理解釈よりも広げる方向なのは類推も拡張も一緒だけど
> 拡張はその言葉の意味の中で広い方にとるもので
> 「子」という概念に「非嫡出子」「養子」を含むなんてえのがこれ。
> (どちらも「子」と言うくらいで子に入ると言えば入るでしょ。)
> 類推は言葉の意味としては含まれないけど
> 概念としての共通性を認めて含むと言いきってしまうもの。
> 「車馬通行止め」とある場合に「牛」を「馬」に含めてしまう類。
> 普通の言葉で牛を馬に含めることはあり得ないでしょう。

拡張解釈は、その概念に含まれうるものを広く含めよう
というもの。
類推解釈は、その概念と共通性がある別の概念のものをも
含めようというもの。
というような理解でよろしいのでしょうか。

学生の時の教科書を読み返したりはしたのですが、
両者がどのように違うのかが説明を読んでもピンと
来ませんでした。

> たとえば禅寺なんかで
> 「不許入葷酒山門」なんて書いてある時に
> 入ることが許されるのは何で
> 許されないのは何かを解釈によって明らかにするとしよう。

(中略)


> 法解釈って作業な訳なんだけど、
> 法解釈では何を具体的にしているかと言えば
> 上の説明で想像がつくように
> 「何のための規定なのか」という
> 当該条項の目的をさぐり当てるのがまず第1の作業になる訳です。
> 「不許入葷酒山門」で言えば、禅寺の僧正さんに
> なんでだめなんですかって由来を聞いてみるってえのはあるでしょうな。
>
> ただそれだけでいいのかというと
> 厳格に言えば問題は残るんだけど

前に、佐々木さんにfj.soc.lawの記事
「Re: unpermitted link」
<20020811...@ams.odn.ne.jp>で、
| さらに法律の解釈において立法者の意思等は参考程度のものであって
| 絶対の要因ではありません。
| 仮に立法担当者がAと考えていたとしても
| 解釈する側はAという考えに拘束される訳ではないのです。
ということを教えていただいたのですが、「厳格に言えば問題は残る」
というのは、このことなのでしょうか。

それと、


> ちなみに刑法で「類推解釈の禁止」というのが言われるけど
> それでも「類推解釈」を知らなくても実は困らないことの説明。

(中略)


> 「くさやはにおいの強い野菜ではない」というのが
> 通常の判断能力を有する一般人の理解だっておさえておけば
> 別に「類推解釈」を知らなくても同じ答になるでしょ?

となると、仮に「不許入葷酒山門」が刑法問題だったら、
くさやの持ち込みは刑罰の対象になりうるのでしょうか。

あと、
> 「通常の判断能力を有する一般人の理解において
>  具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を
>  可能ならしめるような基準が読み取れるかどうか」
「通常の判断能力を有する一般人の理解」というのが、
私がもやもやっとしている法律には書かれていない何か
なんじゃないかなという気がしています。

SASAKI Masato

未読、
2003/01/01 9:31:362003/01/01
To:
佐々木将人@函館 です。

>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2003/01/01 22:14:46 JST
>Message-ID:<koabe-241429....@news.fu-berlin.de>
>
>拡張解釈は、その概念に含まれうるものを広く含めよう
>というもの。
>類推解釈は、その概念と共通性がある別の概念のものをも
>含めようというもの。
>というような理解でよろしいのでしょうか。

それでよろしいかと。

>前に、佐々木さんにfj.soc.lawの記事
>「Re: unpermitted link」
><20020811...@ams.odn.ne.jp>で、
>| さらに法律の解釈において立法者の意思等は参考程度のものであって
>| 絶対の要因ではありません。
>| 仮に立法担当者がAと考えていたとしても
>| 解釈する側はAという考えに拘束される訳ではないのです。
>ということを教えていただいたのですが、「厳格に言えば問題は残る」
>というのは、このことなのでしょうか。

全くそのとおりでし。

>となると、仮に「不許入葷酒山門」が刑法問題だったら、
>くさやの持ち込みは刑罰の対象になりうるのでしょうか。

処罰できると解すると刑罰法規の明確性に反して
少なくとも「適用違憲」の判断は出るでしょう。
そうすると罰することはできなくなると思います。

>あと、
>> 「通常の判断能力を有する一般人の理解において
>>  具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を
>>  可能ならしめるような基準が読み取れるかどうか」
>「通常の判断能力を有する一般人の理解」というのが、
>私がもやもやっとしている法律には書かれていない何か
>なんじゃないかなという気がしています。

まあそれは仕方ありませんね。
別にこれに限らず「客観説」「主観説」の中間を行くような「折衷説」では
必ず出てくる概念ですけれども
それがなぜ言われるかといえば
主観説や客観説では問題があるからな訳です。
そして「通常の判断能力を有する一般人」が具体的に何かは
まさに判例を積み重ねていくしかない訳です。

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c...@ams.odn.ne.jp 佐々木将人
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ルフィミア「まさと先輩、今年もよろしくね(はあと)」
まさと「えと、はい、よろしく。」ルフィミア「それ、普通の反応ですよ。」

Keizo Matsumura

未読、
2003/01/06 5:16:062003/01/06
To:

> すみません。私自身も「しっくりいかない」原因がどこに
> あるのか探りながら、というところでして。

法律用語辞典、自由国民社、P13、P657に詳しく載っています。

P657には
「拡張解釈も結局は類推解釈の1つの場合にほかならない」とあります。

分類の仕方はいろいろあるのでしょうが、対象法文により変化するのでしょう。
絶対的な分類としての拡張解釈と類推解釈というのはないのではないでしょう
か?
拡張解釈と類推解釈は違うんだよと言いたい人は、そのためにぴったりの実例を
持ってくる。
拡張解釈は類推解釈の1つだよと言いたい人は、そのためにぴったりの実例を持
ってくる。
そんなことではないかと思います。
法令で用語「拡張」、用語「類推」は、定義されていないのではないかと思いま
す。私は専門家では
ないので解りませんが。

まつむら

Keizo Matsumura

未読、
2003/01/06 5:35:132003/01/06
To:

> そして「通常の判断能力を有する一般人」が具体的に何かは
> まさに判例を積み重ねていくしかない訳です。

ABEさんは、すでにルールがあると思っているからいままでのようなこと(物理
で言う方程式のようなもの)
で捉えたがっているのだと思います。

社会ルールは、法文があっても、そのことに関し、裁判例を積み重ね、判決がジ
ッグザッグしながら10年も30年も
かけて、ルールが決まっていく。そんなルール「も」ある(全部ではない)とい
うことではないかと私のような
初心者には思われます。

実際に、そのための行動・ふるまい(裁判)をすると、たくさんのお金や時間が
かかります。弁護士をつかっていたら
とてもできません。本人訴訟をいくつもしていると訴訟マニアなんて言われかね
ない。めんどうなものです。
こういった議論には、そのことがいつも欠落しています。ーーで、紙の上の話し
になってしまう。

まつむら

SASAKI Masato

未読、
2003/01/06 8:36:242003/01/06
To:
佐々木将人@函館 です。

>From:Keizo Matsumura <kma...@nr.titech.ac.jp>
>Date:2003/01/06 19:35:13 JST
>Message-ID:<3E195BE1...@nr.titech.ac.jp>
>
>社会ルールは、法文があっても、そのことに関し、裁判例を積み重ね、判決がジ
>ッグザッグしながら10年も30年も
>かけて、ルールが決まっていく。そんなルール「も」ある(全部ではない)とい
>うことではないかと私のような
>初心者には思われます。

そういう場合があるということについては
全くそのとおりだと思います。

>こういった議論には、そのことがいつも欠落しています。ーーで、紙の上の話し
>になってしまう。

でも紙の上でもシミュレーションできる訳ですから
まるで無駄でもないだろう……と。

SASAKI Masato

未読、
2003/01/06 8:29:422003/01/06
To:
佐々木将人@函館 です。

>From:Keizo Matsumura <kma...@nr.titech.ac.jp>
>Date:2003/01/06 19:16:06 JST
>Message-ID:<3E195766...@nr.titech.ac.jp>
>
>法律用語辞典、自由国民社、P13、P657に詳しく載っています。
>
>P657には
>「拡張解釈も結局は類推解釈の1つの場合にほかならない」とあります。
>
>分類の仕方はいろいろあるのでしょうが、

それを書いた人はたぶん私の主張に近い線の人で
結局
「刑法の類推解釈の禁止だって明確性の原則から説明できるじゃないか?」
ってことを言い
通説的な説明である
「類推解釈は許されないが拡張解釈は許される」
というテーゼ自体を否定する立場ではないかと思います。
(もう1つの可能性としては
 「類推解釈は許されないが拡張解釈は許される」
 というテーゼは肯定しつつも
 それは
 「狭い意味での類推解釈は許されないが拡張解釈の一種である。
  しかしその本質を考えれば拡張解釈だって
  広い意味では類推解釈の一種と見ざるを得ない」
 って意味でとらえていることも考えられます。) 

その意味で

>絶対的な分類としての拡張解釈と類推解釈というのはないのではないでしょう
>か?

というのは問題意識としてはそのとおりなんですが
通説的見解は(評価の差はあるにせよ)絶対的に分類可能である
という理解なのです。

したがって

>拡張解釈と類推解釈は違うんだよと言いたい人は、そのためにぴったりの実例を
>持ってくる。
>拡張解釈は類推解釈の1つだよと言いたい人は、そのためにぴったりの実例を持
>ってくる。
>そんなことではないかと思います。

ではないのです。

>法令で用語「拡張」、用語「類推」は、定義されていないのではないかと思いま
>す。

それは私も既に示したとおりで異論ありません。
類推解釈とか拡張解釈というのは講学上の概念です。

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c...@ams.odn.ne.jp 佐々木将人
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Keizo Matsumura

未読、
2003/01/07 3:45:312003/01/07
To:
> >こういった議論には、そのことがいつも欠落しています。ーーで、紙の上の話し
> >になってしまう。
>
> でも紙の上でもシミュレーションできる訳ですから
> まるで無駄でもないだろう……と。

 かつてのこのNGでの議論(ほとんど教えてもらっただけですが)は、準備書面
で使わせて
もらってます。(そうしないと書くことがほとんどないんだもん)
そういう意味で、私にとっては有意義です。

 このNGとたくさんの裁判で知ったことは、法文はあっても、社会・生活ルール
は、ない方が多い
ということです。だから頻繁に裁判をして判決をさせてみないと解らない。

日本でははじめからそういうものだと喝破して期待しないでゆうゆうと生きてい
ればいいとでもしておかないとーー
法条に違反している、しかし損害賠償に値するとまではいえないーーーてな、判
決文前半で黒、判決文後半で白
のまやかしのルールたりえない判決(憲法32条違反)が普通とされている現状に
なげくようになります。

 民事裁判は、お金と謝罪文でしかないのだから、それだけのものーーーと神経
衰弱にならないように
、最悪ここまでーーーを見切ってしまえば、どうということもないことです。

 でもたいていの人は、訴えられたらたいへんだと思っている。知らないことに
対する不安や恐怖心が先行するのでしょう。
それを無くすには、このNGは、とても有意義です。でも、教えてくれる人は、少
ない。教えてくれる人は、神様です。

まつむら

SASAKI Masato

未読、
2003/01/07 9:24:562003/01/07
To:
佐々木将人@函館 です。

>From:Keizo Matsumura <kma...@nr.titech.ac.jp>
>Date:2003/01/07 17:45:31 JST
>Message-ID:<3E1A93AB...@nr.titech.ac.jp>
>
>それを無くすには、このNGは、とても有意義です。でも、教えてくれる人は、少
>ない。教えてくれる人は、神様です。

でもきちんと勉強して有効に活用しようとする人も
やはり神様だよ。
そういう人もいないと単なる言いっぱなしの場になっちゃう。

Yasuyuki Nagashima

未読、
2003/01/08 9:03:242003/01/08
To:
長島です。
細かい話って言えば細かい話なんですが…

In article <20021215...@ams.odn.ne.jp>,
c...@ams.odn.ne.jp (SASAKI Masato) wrote:

>だいたいが「法学」と「法律学」を同義で使っているんですから
>厳格な使い分けはしていない人が多いでしょう。

有斐閣・法律学小辞典第三版の「法学」の項にも
確かに「『法律学』という言葉は法学と同義」とあるんですが、

>上記の狭義「国会の定める法律」に限定して使いたければ
>その時に「法律」なんて使うのはやはりセンスが悪くて
>「国会制定法」って言い方があるんだからそれを使うべき。

ところが、上記法律学小辞典の説明では上記の言葉に続いて
「法律という言葉を衆参両議院で議決したほう形式の意味に限定して用いら
れる傾向」がある、としているんです。
だから、最近は「法学」に比べて「法律学」という言葉は
使われなくなっている…と。

# そういいながら自身の書名は「“法律学”小辞典」なんだけど。
# ちなみに「法律」の項ではどちらの意味も説明されています。

>でもそれをうるさく言わないのは
>文脈で読み分けられるからだし
>読み分けられないのは
>「書いている方がわかってない」
>「読んでいる方がわかってない」
>のいずれかです。

これは全く賛成ですが、

>ただし私個人は国会制定法に限定したり
>「法令」の意味で「法」という言葉は使わないようにはしていますし
>そういう人は多いと思います。

「法」はそうでしょうけど「法律」はどうなんだろう?
と思いつつあります…。

SASAKI Masato

未読、
2003/01/08 10:15:242003/01/08
To:
佐々木将人@函館 です。

>From:Yasuyuki Nagashima <yas...@horae.dti.ne.jp>
>Date:2003/01/08 23:03:24 JST
>Message-ID:<avhauq$g86$1...@newsl.dti.ne.jp>
>
>ところが、上記法律学小辞典の説明では上記の言葉に続いて
>「法律という言葉を衆参両議院で議決したほう形式の意味に限定して用いら
>れる傾向」がある、としているんです。
>だから、最近は「法学」に比べて「法律学」という言葉は
>使われなくなっている…と。

あら~。

でも「法学」書院が出した弥永先生の「法律学習マニュアル」の腰巻は
「法律学の勉強をする上での必要な情報が満載」だよ(笑)

>>ただし私個人は国会制定法に限定したり
>>「法令」の意味で「法」という言葉は使わないようにはしていますし
>>そういう人は多いと思います。
>
>「法」はそうでしょうけど「法律」はどうなんだろう?
>と思いつつあります…。

「法律」は人によって違いがあるなあ……とは思ってたのよ。
だから書かなかった訳さ。

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