西暦2000年に生まれた ko'a が2012年において
mi ca nanca li pare
と述べたとします。
「私は、現在時点において、12年間に及ぶ」
という意味です。
つまり「mi nanca li pare」という命題が現在において成立するということです。
2020年においては
mi ca nanca li reno
となります。
別の命題が別の現在において成立するわけです。
「mi nanca li pare」なら、
その事柄がどの時点において成立するかが曖昧ですが、
少なくとも1つの時点が指示されているはずです。
つまり文脈次第で「私はいま12歳」という表現になりそうです。
> もうひとつ、 mi を nanca の x1 にしたときに興味深いのは、自己同一性の認識ですね。
> 多重人格の場合や、仮死状態で冷凍保存される期間がある場合や、輪廻転生を信じている場合、脳死の場合など、 mi nanca
> 文の解釈が人によって異なってくると思います。
ヒトの細胞は全て7年ごとに入れ替わるそうですが、
そのうえで mi を lo remna とみなす場合、
「私は12歳」は
「私2号は5歳」と言えなくもないですね。
文化によっては通過儀礼の前後とで mi xi pa と mi xi re のような違いが意識されるかもしれません。
その場合、両期の年数を別々に数えるのか一貫して数えるのか、ということも考えられます。
以前話題に出ました、学級の数え方に関する考察と似ています。
中学と高校を同一の課程とみなすか、それとも別物として扱うか。
一般に代名詞の指示対象の境界・次元性は曖昧です。
「私を押すな」はたいてい身体のことですが、
「私を惑わすな」では身体はあまり関係ありません。
「私を忘れるな」は複雑です。
ロジバンの代 sumti も同じです。
mi は身体かも、脳の情報処理システムかも、或いは別の何かかもしれません。
年を越えて認識できるならいずれも nanca で述べられます。
「イラク戦争」や「インターネット」のような実体境界の不明なものも nanca の x1 となれますね。
mu'o
*或る時点* と *或る姿勢* での mi 全体の高さ、ですよね。
垂直の長さという意味では、しゃがんだ状態での踵から頭の先までの高さも「mi 全体の高さ」とみなせそうです。
このような空間的寸法についても何らかの抽象が絡むと思われます。
「私の高さは、20歳現在、直立状態で、1.7メートル」なら、「20歳・直立の私」という mi が抽出されます。
同様に、
「私の年齢は、2012年現在、12歳」なら、「2012年の私」という mi が抽出されます。
2006年や2080年においては別の命題が成立するような mi があり、
そのそれぞれの nanca2 は別々に扱う、ということが可能だと思います。
別の例として、「輪ゴム全体の高さ」とは何でしょうか。
切ってぶらさげた状態の高さ、それともさらに引っ張って伸ばした状態の高さでしょうか。
どこまで引っ張れば「輪ゴム全体」となるでしょうか。
同一の物体についてさえ色々な抽出ができます。
物体Xが、或る空間状態で10センチ、別の空間状態で30センチの場合、
それぞれを述べる bridi は共に真、両立すると思います。
排他的な事実「10センチ」「30センチ」が両立するということは、
別々の条件におけるXの2つの抽象が含意されているということだと思います。
Xの実体とは何かを問わずに、或る条件においてXはどう述べられるかが重要となります。
同様に、
異なる条件の mi について継続時間が「12年」や「80年」であると述べることは可能だと思います。
guskant さんの観点で nanca2 をいわゆる「寿命」と解釈することも妥当です。
> しかし「わたしは12歳です」と言うとき、 ca は特異点として認識されているでしょうか?
> mi の転換期を表した文脈では、特異点となりうると思いますが、単に年齢を主張する場合、漠然と過去から未来へ連続した mi を想定しているのではないでしょうか?
最近公開された『In Time』というSF映画で、
生存の残り時間が左腕に表示される、というのがありますが、
その逆、生存に費やした時間が表示される場合、
生後12年目に私は左腕を読んで「mi ca nanca li pare」と言えるかもしれません。
その翌年には「mi ca nanca li paci」となり、事実が更新されますが、
12年目の発話は条件的に真のままです。
「mi nanca li pare」という命題が「ca」で条件化されています。
この「ca」は、「mi」でなく「mi nanca li pare」の特異点です。
bridi が真である時点です。
認識できない未来の mi の分は加わりません。
nanca は元々「x1 is x2 years in duration by standard x3」と定義されていますが、
temci や ditcu には「duration」に加えて「elapsed time|経過時間」というキーワードが含まれています。
少なくとも後者2つについては未来までの連続を考えなくて良さそうですが、
問題はそれを nanca にも当てはめるべきかどうかですね。
mu'o
mi pruce pare nanca
私は、12個の1年が入力された、過程
私は12年を経たもの
私は12歳
mi lifri pare nanca
私は、12個の1年を、経験
私は12年を経験した
私は12歳
nanca の部分は masti 等と交換できます。
mu'o
英語では「She died at 90.」や「I'm in my 50s.」の数は普通に年齢として解釈され、
私も個人的に理解できます。
日本語の観点ではどうでしょうか。
「祖母は90で亡くなった」が通じるなら国際的基盤のある解釈と言えます。
「jmive」の場合は解釈の幅がより広いかもしれません。
例えば
「私は50(ドル)で生きている」(毎週の食費)
「この兎は50(カロリー)で生きている」(毎日の消費熱量)
「この鳥は50(匹)で生きている」(毎月のミミズ捕獲量、あるいは絶滅危機にある繁殖数)
li PA は sumti なので「... noi se nanca」で修飾できます。
あるいは「la'u ...」の代わりに「fi'o se nanca ...」にぶらさげられます。
しかし年齢表現としては長過ぎる気もします。
mu'o
・nanca は寿命か、年齢か。他の単語との互換性を考えると全長=寿命とするべき
子供の全長は時間と共に伸びますが、それを「身長の途中の長さ」と考えるは無理があります。
なので、「年齢=現在の全長」として考えるのが妥当だと思います。
仮に nanca を「寿命」とするなら、年齢用にgismu か cmavo を生成し直すべきだと思います。合成語だとすっと言えませんし。
あ、でも nanca を「年齢」しておけば「寿命」は完了+年齢で mulna'a でいいような
・数量詞は排他的に使われます。
「この道の幅は5メートル」といった場合、ちょうど5メートルと言うことはなく、ある程度前後することは文脈といいますか、
常識でわかると思うのですが、この辺りはロジバンではどのように処理されるのでしょうか。
普段はいいとして、ある程度固い場面では、例えば「最後の桁の±50%が許容される」などの初期値が無いと駄目ですが、
ロジバンにはあるのでしょうか。
また、20代という場合、20歳から29歳を指しますが、ロジバンではどのようになっているでしょうか?
不明数字があれば「あの人は21.x歳です」などと出来れば正確ですが、ロジバンにはあるのでしょうか?
考えを述べるはずが質問ばかりになってしまいました。
mu'o
> monakas:> 子供の全長は時間と共に伸びますが、それを「身長の途中の長さ」と考えるは無理があります。
> monakas:> なので、「年齢=現在の全長」として考えるのが妥当だと思います。
>
> 時間長と空間長を混同なさっています。
> 図をご覧ください。http://guskant.github.com/lojbo/tanpopo.svg
>
> これは、あるタンポポという事象の時空内の位置を表したグラフです。
> t軸は時間、z軸は空間の重力方向を表します。
> このタンポポの生えた地表面の高さを、z軸のゼロ点に取ってあります。
> このタンポポが生える以前のある時点をt軸のゼロ点に取ってあります。
> このタンポポの一生は、オレンジ色に塗られた連続体として表現されています。
>
> 「子供の全長」とおっしゃるものは空間長です。このグラフでは子供ではなくてタンポポですが、空間長としての「全長」はオレンジ色の部分のz軸方向の幅に相当し-ます。この幅はt軸上の位置(=観測時刻)の関数となります。このグラフで、時刻
> t_1 におけるタンポポの「全長」は Z_t1 であり、このタンポポの一生の中での、全長の最大値 Z_max とは異なりますが、 Z_t1 も
> Z_max も、それぞれの時点における「全長」であって、「身長の途中の長さ」ではありません。このグラフで「身長の途中の長さ」に相当するものは、たとえば
> Z_z1 です。 Z_z1 は、「全長」が Z_max となった時刻における、「身長の途中の長さ」です。
>
> 一方、「年齢」というものは、このタンポポという事象の時間方向の「全長」とはなり得ません。
>
> 時間長としての「全長」は、オレンジ色の部分のt軸方向の幅であり、それはz軸上の位置(観測高さ)の関数として定義することができます。例えば、高さ z_1
> におけるタンポポの時間方向の全長は、 T_z1a+ T_z1b + ... + T_z1f
> と定義できます。ただし、この定義による各観測高さにおける時間方向の全長は、私たちが「寿命」と呼んでいるものとは異なります。「寿命」に相当するものは、全-長の最大値
> T_max です。
>
> 時刻 t_1 におけるタンポポの「年齢」は T_t1 であり、タンポポ事象の時間方向の全長の最大値 T_max の一部分に過ぎません。 T_t1
> はオレンジ色の部分の片方の端を含まないので、タンポポ事象の全長にはなり得ないのです。
>
> ここではグラフのゼロ点をわかりやすくするために、タンポポという事象について説明しましたが、z軸のゼロ点を動物の重心などにおけば、軸が動物の動きに合わせ-て移動しますから、「動物」「子供」などの事象も、タンポポと同様のグラフに表すことができます。
>
> このグラフからお気付きの方もあるかもしれませんが、
>
> ti ca nanca li re
>
> のように、 nanca を selbri とする bridi を ca だけで限定しても、この bridi の意味は T_t1
> という年齢に一意に決まるわけではなく、 T_t2
> という余命を意味しているかもしれないし、あるいはまったく別のものを意味しているかもしれません。年齢というものは本質的に、観測範囲を時間の過去方向に限定-しています。言い換えれば、「年齢」という単語には
> ca ze'e pu のような意味がもともと含まれているのです。間制無しの nanca で年齢を的確に表せるという素朴な考えは捨てるべきです。
つまり、僕が言っていたのは全長が雲に隠れて見えない大きな豆の木を見て「雲のところまでしか見えないからそこまでを全長として扱おう」というのと同じ
だったわけですか。
しかも、根っこの長さを考慮していないという始末で。
この辺りはかなり難しい概念ですね。説明文を理解するだけで挫折しそうでした。
> monakas:> 仮に nanca を「寿命」とするなら、年齢用にgismu か cmavo
> を生成し直すべきだと思います。合成語だとすっと言えませんし。
>
> 私は zatra'i という lujvo が最も的確に齢を表すと考えていますが、 lujvo を嫌うなら、 nalteo さんの以下のような
> pruce や lifri の使い方が、齢表現として適切だと思います。
> nalteo:> mi pruce pare nanca
> nalteo:> mi lifri pare nanca
僕は「とし」という日常的に使われている単純な概念をわざわざ合成、もしくは小難しい言い回しでなければ処理できないというのは言語としていかがなもの
かと思ったのです。
ただ、僕がロジバンにおける数値処理を知らないのでその問題も大きいと思います。日本語でそういう文献が無いんですよ。それを差し引いても複雑に見えま
すが。
PA3とPA4の使い方を知らなかったのですが、そういう使い方ができるんですね。
むしろ、PA類の使い方が全くわかっていないです。
「最後の桁の~」は、 a*10**b などとすればいいと思うので大丈夫です。(数字をaとbにしたのはちょっと思いつかなくて)
質問する前に数値処理について調べればよかったですね。
おそらく英語の文献しか無いのでしょうが、ロジバンにおける数値処理について知るにはどこを見ればいいでしょうか?
mu'o
> 英語なら CLL 第18章http://www.lojban.org/publications/reference_grammar/chapter18.html
> にあります。
ここなんですね、非常に読むのが大変そうですが数値と間制あたりは詳しく知らないとどうにもならないので少しずつ読んでみます。
> CLL
> 第18章はまだ日本語訳ができていませんが、抄訳プロジェクトでは私が担当することになりそうです(今まで3の倍数番目の章を担当してきたので)。お待たせして-済みません。なるべく早く仕上げます。
英語がある程度達者で人工言語に興味のある方というのは貴重だと僕は考えています、頑張ってください。
あ、でも多言語話者になると話は別のようです。
> あと、考えてみると、私は以下の部分を訂正すべきだと思いました。
> guskant:> monakas:> また、20代という場合、20歳から29歳を指しますが、ロジバンではどのようになっているでしょうか?
> guskant:>
> guskant:> li re ji'i ni'u no
> guskant:> 一の位切り捨てで20
>
> ni'u が一の位の no に掛からないように、 pi'e で分けるべきだったと思います。つまり、
>
> li re ji'i ni'u pi'e no
> 一の位切り捨てで20
>
> これで良いでしょうか?
pi'e は前後の数値を分断するものなのでその書き方だと「2(上位単位)と0(下位単位)」のような意味になると思うので、元のまま
li re ji'i ni'u no
でいいんじゃないでしょうか? ji'i ni'u が桁数そのものを消滅させるなどの能力がない限りは。
でもこの書き方が可能だとしても no の数字は桁数を明示するだけなので re でも mu でも意味は同じになりますよね?
CLLでも小数点以下のみの例しか載っていない様なのでこのような書き方は不可能なのかもしれません。
mo'u
monakas:> pi'e は前後の数値を分断するものなのでその書き方だと「2(上位単位)と0(下位単位)」のような意味になると思うので、元のまま
monakas:>
monakas:> li re ji'i ni'u no
monakas:>
monakas:> でいいんじゃないでしょうか? ji'i ni'u が桁数そのものを消滅させるなどの能力がない限りは。
monakas:> でもこの書き方が可能だとしても no の数字は桁数を明示するだけなので re でも mu でも意味は同じになりますよね?
monakas:> CLLでも小数点以下のみの例しか載っていない様なのでこのような書き方は不可能なのかもしれません。
jbovlaste の ロジバンによる定義では、pi'e は
namcu lerfu .i nacle'u te sepli
ということなので、pi'e が分離するものは必ずしも単位ではないはずです。
実際、CLL 第18章の例 10.7) では、20進数の各桁を分離するために pi'e が使われています:
http://dag.github.com/cll/18/10/#e7
10.7) li pa pi'e re pi'e ci ju'u reno du li vovoci
これは20進法の 123 つまり
1*(20^2)+2*(20^1)+3*(20^0)=443
を表します。20進数の各桁の間を pi'e で区切っているわけです。
これと同様に、10進数も
li pa pi'e re pi'e ci ju'u pano
のように、各桁の間を pi'e で区切って表現することができるはずです。
li re ji'i ni'u pi'e no
一の位切り捨てで20
の pi'e が無いと、「マイナスゼロで丸めて2」という、意味不明な表現になってしまうと思います。
> jbovlaste の ロジバンによる定義では、pi'e は
> namcu lerfu .i nacle'u te sepli
> ということなので、pi'e が分離するものは必ずしも単位ではないはずです。
> 実際、CLL 第18章の例 10.7) では、20進数の各桁を分離するために pi'e が使われています:http://dag.github.com/cll/18/10/#e7
> 10.7) li pa pi'e re pi'e ci ju'u reno du li vovoci
> これは20進法の 123 つまり
> 1*(20^2)+2*(20^1)+3*(20^0)=443
> を表します。20進数の各桁の間を pi'e で区切っているわけです。
>
> これと同様に、10進数も
> li pa pi'e re pi'e ci ju'u pano
> のように、各桁の間を pi'e で区切って表現することができるはずです。
>
> li re ji'i ni'u pi'e no
> 一の位切り捨てで20
>
> の pi'e が無いと、「マイナスゼロで丸めて2」という、意味不明な表現になってしまうと思います。
CLLによりますと、数値の最後に ji'i が付いているときに限り ni'u と ma'u を後ろに追加して切り上げられた数値なのか切り捨てら
れた数値なのかを表せるようですね。
あと、数値の途中に ni'u を入れた形は未定義だそうです。
つまり、 li re ji'i ni'u no は未定義もしくは不可能な表現だったようです。
なので、 li re ji'i ni'u pi'e no が「20代」を表せるようですね。
mu'o