年齢表現について

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hatthin

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Nov 19, 2011, 4:31:59 AM11/19/11
to lojban...@googlegroups.com
coi

年齢に関する表現についてお尋ねします。

たとえば、<私は12歳です>という年齢表現をロジバン・グーグルでチェックしてみると、
以下のように(これ以外にもあると思いますが)、いくつかの表現方法が使われているようです。

1) tu'a mi nanca li pare

2) mi renvi fi pare nanca

3) mi jai nanca li pare

4) mi nanca li pare






問題は、上の4)の例のように、{nanca}で<年齢>を表すことが可能かどうかです。

私は、{mi}を<私という事象>と考えて、その<年数的継続=年齢>と解してもかまわないと考えました。

いかがでしょうか?


re'i mi'e xatin

guskant

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Nov 19, 2011, 7:57:03 PM11/19/11
to lojban...@googlegroups.com
coi

数量詞は排他的に使われます。
http://mhagiwara.github.com/cll-ja/chapter6.html#e6.2

例えば、
「死者の著作権は50年継続する」
lo si'o lo morsi cu detfukcru cu nanca li muno
と言えば、死者の著作権の継続期間はぴったり50年で、それより長くも短くもないことを主張しています。

同様に、 mi の継続機間について
mi nanca li pare
と言えば、mi の継続機間がぴったり12年であること、つまり12年より長くも短くもないことを主張しています。この bridi には間制が無いので、この発話が mi が5歳のときになされれば、mi が7年後に消えることを主張しています。12歳のときの発話なら、 mi が今すぐ消えることを主張しています。

間制をつけると
mi ca ze'e pu nanca li pare
今から過去永劫における mi の継続機間は12年ということになり、これを発話しているのは今の mi ですから、ちょうど12年前から mi が継続していることを主張しています。
さらに、間制は排他的ではありません。
http://dag.github.com/cll/10/20/#e4
したがって、未来の mi については何も言及していない、つまり未来にも mi が継続する余地は残されています。


もうひとつ、 mi を nanca の x1 にしたときに興味深いのは、自己同一性の認識ですね。
多重人格の場合や、仮死状態で冷凍保存される期間がある場合や、輪廻転生を信じている場合、脳死の場合など、 mi nanca 文の解釈が人によって異なってくると思います。

「こども」「おとな」という概念を持ち出しても良いなら、
mi verba lo pare nanca
mi to'e verba lo repa nanca
のようにしても、年齢であることを主張できますね。

mi'e guskant mu'o

nalteo

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Nov 20, 2011, 9:03:00 AM11/20/11
to ロジバン相談室
On 20 Nov, 00:57, guskant <fotonoakvoka...@gmail.com> wrote:
> 間制をつけると
> mi ca ze'e pu nanca li pare
> 今から過去永劫における mi の継続機間は12年ということになり、これを発話しているのは今の mi ですから、ちょうど12年前から mi
> が継続していることを主張しています。
> さらに、間制は排他的ではありません。http://dag.github.com/cll/10/20/#e4
> したがって、未来の mi については何も言及していない、つまり未来にも mi が継続する余地は残されています。

西暦2000年に生まれた ko'a が2012年において
mi ca nanca li pare
と述べたとします。
「私は、現在時点において、12年間に及ぶ」
という意味です。
つまり「mi nanca li pare」という命題が現在において成立するということです。
2020年においては
mi ca nanca li reno
となります。
別の命題が別の現在において成立するわけです。

「mi nanca li pare」なら、
その事柄がどの時点において成立するかが曖昧ですが、
少なくとも1つの時点が指示されているはずです。
つまり文脈次第で「私はいま12歳」という表現になりそうです。


> もうひとつ、 mi を nanca の x1 にしたときに興味深いのは、自己同一性の認識ですね。
> 多重人格の場合や、仮死状態で冷凍保存される期間がある場合や、輪廻転生を信じている場合、脳死の場合など、 mi nanca
> 文の解釈が人によって異なってくると思います。

ヒトの細胞は全て7年ごとに入れ替わるそうですが、
そのうえで mi を lo remna とみなす場合、
「私は12歳」は
「私2号は5歳」と言えなくもないですね。
文化によっては通過儀礼の前後とで mi xi pa と mi xi re のような違いが意識されるかもしれません。
その場合、両期の年数を別々に数えるのか一貫して数えるのか、ということも考えられます。
以前話題に出ました、学級の数え方に関する考察と似ています。
中学と高校を同一の課程とみなすか、それとも別物として扱うか。

一般に代名詞の指示対象の境界・次元性は曖昧です。
「私を押すな」はたいてい身体のことですが、
「私を惑わすな」では身体はあまり関係ありません。
「私を忘れるな」は複雑です。
ロジバンの代 sumti も同じです。
mi は身体かも、脳の情報処理システムかも、或いは別の何かかもしれません。
年を越えて認識できるならいずれも nanca で述べられます。
「イラク戦争」や「インターネット」のような実体境界の不明なものも nanca の x1 となれますね。


mu'o

guskant

unread,
Nov 20, 2011, 10:26:59 PM11/20/11
to lojban...@googlegroups.com
ki'e nalteon

nalteo:> 「mi nanca li pare」なら、
nalteo:> その事柄がどの時点において成立するかが曖昧ですが、
nalteo:> 少なくとも1つの時点が指示されているはずです。
nalteo:> つまり文脈次第で「私はいま12歳」という表現になりそうです。

空間的な大きさについて
mi clani lo sraji lo mitre la'u li papize
と言った場合、 mi の途中までの高さではなくて、 mi 全体の高さを主張していると思います。

mi に限らず、空間範囲を明示しない bridi で、連続体の空間的な大きさを主張する場合、想定範囲を連続体の途中で区切ってしまうと、数量詞を排他的に使う意義が弱まってしまいます。

例えば、
lo djacu cu litce li ci
と言った場合、水が5リットル入ったバケツの一部分だけに範囲を限定して3リットルと主張しているでしょうか?バケツの中の空間の一部分だけに範囲を限定したいときは、範囲を明示して、
lo djacu ve'i litce li ci
(ここまでで3リットル)
などと言うのではないでしょうか?

ロジバンが時間と空間を同じ方法で扱うなら、時間的な長さについても、空間的な長さと同様に考えられます。時間範囲を明示しない bridi で継続期間を主張する場合、想定範囲を時間的に連続するものの途中で区切ると、数量詞を排他的に使う意義が弱まります。


ただし、

nalteo:> 一般に代名詞の指示対象の境界・次元性は曖昧です。
nalteo:> 「私を押すな」はたいてい身体のことですが、
nalteo:> 「私を惑わすな」では身体はあまり関係ありません。
nalteo:> 「私を忘れるな」は複雑です。
nalteo:> ロジバンの代 sumti も同じです。
nalteo:> mi は身体かも、脳の情報処理システムかも、或いは別の何かかもしれません。

とおっしゃるように、 mi の時空間内での連続性自体は曖昧です。 pu me mi と ba me mi とが不連続であるという認識の下では、想定範囲を ca という特異点で 区切っても、数量詞を排他的に使う意義への影響はあまり無いかもしれません。

しかし「わたしは12歳です」と言うとき、 ca は特異点として認識されているでしょうか? mi の転換期を表した文脈では、特異点となりうると思いますが、単に年齢を主張する場合、漠然と過去から未来へ連続した mi を想定しているのではないでしょうか?

nalteo

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Nov 21, 2011, 12:08:28 PM11/21/11
to ロジバン相談室
On 21 Nov, 03:26, guskant <fotonoakvoka...@gmail.com> wrote:
> ki'e nalteon
>
> nalteo:> 「mi nanca li pare」なら、
> nalteo:>On 21 Nov, 03:26, guskant <fotonoakvoka...@gmail.com> wrote:
> 空間的な大きさについて
> mi clani lo sraji lo mitre la'u li papize
> と言った場合、 mi の途中までの高さではなくて、 mi 全体の高さを主張していると思います。

*或る時点* と *或る姿勢* での mi 全体の高さ、ですよね。
垂直の長さという意味では、しゃがんだ状態での踵から頭の先までの高さも「mi 全体の高さ」とみなせそうです。
このような空間的寸法についても何らかの抽象が絡むと思われます。
「私の高さは、20歳現在、直立状態で、1.7メートル」なら、「20歳・直立の私」という mi が抽出されます。
同様に、
「私の年齢は、2012年現在、12歳」なら、「2012年の私」という mi が抽出されます。
2006年や2080年においては別の命題が成立するような mi があり、
そのそれぞれの nanca2 は別々に扱う、ということが可能だと思います。

別の例として、「輪ゴム全体の高さ」とは何でしょうか。
切ってぶらさげた状態の高さ、それともさらに引っ張って伸ばした状態の高さでしょうか。
どこまで引っ張れば「輪ゴム全体」となるでしょうか。
同一の物体についてさえ色々な抽出ができます。
物体Xが、或る空間状態で10センチ、別の空間状態で30センチの場合、
それぞれを述べる bridi は共に真、両立すると思います。
排他的な事実「10センチ」「30センチ」が両立するということは、
別々の条件におけるXの2つの抽象が含意されているということだと思います。
Xの実体とは何かを問わずに、或る条件においてXはどう述べられるかが重要となります。
同様に、
異なる条件の mi について継続時間が「12年」や「80年」であると述べることは可能だと思います。

guskant さんの観点で nanca2 をいわゆる「寿命」と解釈することも妥当です。


> しかし「わたしは12歳です」と言うとき、 ca は特異点として認識されているでしょうか?
> mi の転換期を表した文脈では、特異点となりうると思いますが、単に年齢を主張する場合、漠然と過去から未来へ連続した mi を想定しているのではないでしょうか?

最近公開された『In Time』というSF映画で、
生存の残り時間が左腕に表示される、というのがありますが、
その逆、生存に費やした時間が表示される場合、
生後12年目に私は左腕を読んで「mi ca nanca li pare」と言えるかもしれません。
その翌年には「mi ca nanca li paci」となり、事実が更新されますが、
12年目の発話は条件的に真のままです。
「mi nanca li pare」という命題が「ca」で条件化されています。
この「ca」は、「mi」でなく「mi nanca li pare」の特異点です。
bridi が真である時点です。
認識できない未来の mi の分は加わりません。

nanca は元々「x1 is x2 years in duration by standard x3」と定義されていますが、
temci や ditcu には「duration」に加えて「elapsed time|経過時間」というキーワードが含まれています。
少なくとも後者2つについては未来までの連続を考えなくて良さそうですが、
問題はそれを nanca にも当てはめるべきかどうかですね。


mu'o

guskant

unread,
Nov 21, 2011, 8:28:31 PM11/21/11
to lojban...@googlegroups.com
ki'e nalteon

nalteo:> *或る時点* と *或る姿勢* での mi 全体の高さ、ですよね。
nalteo:> 垂直の長さという意味では、しゃがんだ状態での踵からnalteo:> 頭の先までの高さも「mi 全体の高さ」とみなせそうです。
nalteo:> このような空間的寸法についても何らかの抽象が絡むと思われます。
nalteo:> 「私の高さは、20歳現在、直立状態で、1.7メートル」なら、「20歳・直立の私」という mi が抽出されます。
nalteo:> 同様に、
nalteo:> 「私の年齢は、2012年現在、12歳」なら、「2012年の私」という mi が抽出されます。
nalteo:> 2006年や2080年においては別の命題が成立するような mi があり、
nalteo:> そのそれぞれの nanca2 は別々に扱う、ということが可能だと思います。

bridi が時空内のどの mi について主張しているにしても、 mi 全体の垂直方向の長さであることには変わりなく、「 mi の高さ」は「 mi の肩までの高さ」とは区別されます。 mi の最上部が肩となるような姿勢をとっていれば、その数値は一致しますが、意味は異なります。

mitre は空間長を表すので、 bridi に観測の時間範囲を明示しなくても、「 mi の高さ」の意味が、想定する時点によって「 mi の肩までの高さ」の意味になってしまうことはありません。輪ゴムの高さについても同様です。条件によって mitre2 の異なる数値が並立しますが、空間長であるため、想定する時間範囲によって「輪ゴム全体の高さ」が「輪ゴムの半分の高さ」という意味になってしまうことはありません。

一方、 nanca は時間長を表すので、 bridi に観測の時間範囲を明示する場合と明示しない場合とで、「 mi の継続時間」の意味が違ってきます。観測の時間範囲を明示しない場合、デフォルトで「 mi 全体の継続時間」という意味にしておかないと、先にバケツの水の例で述べたように、数量詞の排他性を導入する意義が弱くなってしまいます。

2006年の mi mitre と 2080年の mi mitre は同じ意味であって、それぞれの mitre2 が異なっていても、 mi mitre の意味(観測の空間範囲)に影響を与えることなく、両立する bridi です。この2つの bridi は、「 mi mitre 」の意味を固定した場合の mitre2 の時間変化として比較可能です。

しかし、 2006年の mi nanca と 2080年の mi nanca の nanca2 が異なる場合、この2つの bridi が両立するためには、それぞれの mi nanca の意味(観測の時間範囲)が異なる必要があります。この2つの bridi で「 mi nanca 」の意味が異なるなら、異なる条件を明示せずにそれぞれの nanca2 の数値を比較するのは無意味です。ko'aの全体の長さとko'eの半分の長さを比較しているのに、それを隠して ko'a と ko'e の長さを比較していると主張するようなものです。

nanca2 には数値が入るのですから、話者の時空内の位置によって nanca2 が潜在的に比較不能になるような解釈は避けるべきです。

また、話者の時空内の位置によって mi nanca の意味(観測の時間範囲)が自動的に異なるということは、話者の時空内の位置によって mi mitre の意味(観測の空間範囲)が異ならないことと一貫性がありません。


nalteo:> 「mi nanca li pare」という命題が「ca」で条件化されています。
nalteo:> この「ca」は、「mi」でなく「mi nanca li pare」の特異点です。
nalteo:> bridi が真である時点です。
nalteo:> 認識できない未来の mi の分は加わりません。

.i'e
このように時間について何らかの条件が付けられた「mi nanca li pare」が年齢を表すと考えることは問題無いと思います。しかし、無条件の「mi nanca li pare」が発話時点の年齢を表すと考えると、上記の問題が生じます。無条件の「mi nanca li pare」に潜在的に特異点が存在すると仮定すると、 nanca2 は潜在的に比較不能になり、数量詞を使う意義がありません。 nanca2 にはデフォルトで li pa が入っているので、数量詞は nanca という gismu の意味に本質的なものです。 nanca2 の意義を保つために、特異点がある場合はそのことを明示するべきです。

nalteo:> nanca は元々「x1 is x2 years in duration by standard x3」と定義されていますが、
nalteo:> temci や ditcu には「duration」に加えて「elapsed time|経過時間」というキーワードが含まれています。
nalteo:> 少なくとも後者2つについては未来までの連続を考えなくて良さそうですが、
nalteo:> 問題はそれを nanca にも当てはめるべきかどうかですね。

temci の定義では、 x3 にデフォルトで lo cabna が入るということだと思います。これを使うなら
pare nanca cu temci lo mu'e mi co'a zasti
は、「現在 mi が12歳/ mi の生誕12周年」を表します。ただし、 mi が継続していることを含意しないので、この12年間 mi が存在しつづけたかどうかは、主張していません。

ditcu は開始時点や終了時点を指定しないので、 x2 に入る事象全体の時間長だけを表しています。 ditcu の PS では x2 の事象の一部分だけを取り出すことができないので
pare nanca cu ditcu mi
は mi の寿命を表すはずです。

nanca と mitre の類似性を維持するためには、 nanca の端点の一つをデフォルトで lo cabna とするのは避けたいところです。

hatthin

unread,
Nov 23, 2011, 10:10:33 AM11/23/11
to lojban...@googlegroups.com
doi guskant .e nalteon

私の素朴な疑問に対して、いろんな角度から議論していただきありがとうございます。

{mi nanca li pare}が<私は12歳です>と解されうるか、

これが私の疑問でした。それに対して、

nalteoさんは、文脈次第ではそれは可能であろうという立場。

guskantさんは、このままでは<私の寿命は12年>と解するべきである、
ただ、{mi ca nanca li pare}のように、時間に対して何らかの条件が付されている場合は、
年齢を表していると解することは可能であるという立場。

以上のように、私なりに理解いたしました。

そもそも私の疑問は、

nanca1は、何らかの事象(イベント)に限定されうるかどうかであり、
たとえそうであったとしても{mi}という代スムティすらひとつの事象とみなせば
[mi nanca li pare}という表現も可能ではないかということでした。


それ自体については、ご両人とも可能であるという前提での議論だったと理解しました。

しかし、{mi nanca li ..}の解釈が<年齢>も含むのか、<寿命>に限られるのかについては、
さらに、さまざまな議論や実際的な用例の積み重ねが必要だと思いました。

個人的には、<年齢>を示すときには、照合点を明示した、{mi ca nanca li pare}を使っていくつもりです。

ついでですが、

{nanca}、{masti}、{djedi}、{cacra}、{mentu}、{snidu}は、すべて同型のPSを取るので、

mu'a  {nanca} x1 is x2 years in duration (default is 1 year) by standard x3; (adjective:) x1 is annual. 

{ko'a ca masti li pano} <彼は、今(生後)10ヶ月です>

{ko'e ca djedi li panono} <彼は、今(生後)100日です>

という表現も可能かと思われます。(お好みなら生後何時間、生後何分、生後何秒も)

mu'o mi'e xatin


nalteo

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Nov 24, 2011, 3:11:40 AM11/24/11
to ロジバン相談室
年齢を経験対象と捉えれば、
pruce や lifri で次のような表現が考えられます。

mi pruce pare nanca
私は、12個の1年が入力された、過程
私は12年を経たもの
私は12歳

mi lifri pare nanca
私は、12個の1年を、経験
私は12年を経験した
私は12歳

nanca の部分は masti 等と交換できます。

mu'o

hatthin

unread,
Nov 24, 2011, 10:57:14 AM11/24/11
to lojban...@googlegroups.com
ロジバン辞書によると、

{la'u}の用例として、

la'u li 90 mrobi'o 
 90歳で亡くなる

というのがありますが、
人間が生き死にする<度数>としては<年齢>をデフォルトと考えるということでしょうから、

mi la'u li 50 jmive 
 私は50年生きている=50歳です

となりますか?

nalteo

unread,
Nov 25, 2011, 5:37:09 AM11/25/11
to ロジバン相談室

英語では「She died at 90.」や「I'm in my 50s.」の数は普通に年齢として解釈され、
私も個人的に理解できます。
日本語の観点ではどうでしょうか。
「祖母は90で亡くなった」が通じるなら国際的基盤のある解釈と言えます。

「jmive」の場合は解釈の幅がより広いかもしれません。
例えば
「私は50(ドル)で生きている」(毎週の食費)
「この兎は50(カロリー)で生きている」(毎日の消費熱量)
「この鳥は50(匹)で生きている」(毎月のミミズ捕獲量、あるいは絶滅危機にある繁殖数)

li PA は sumti なので「... noi se nanca」で修飾できます。
あるいは「la'u ...」の代わりに「fi'o se nanca ...」にぶらさげられます。
しかし年齢表現としては長過ぎる気もします。

mu'o

guskant

unread,
Nov 25, 2011, 10:44:58 AM11/25/11
to lojban...@googlegroups.com
hatthin:> しかし、{mi nanca li ..}の解釈が<年齢>も含むのか、<寿命>に限られるのかについては、
hatthin:> さらに、さまざまな議論や実際的な用例の積み重ねが必要だと思いました。

 nanca1 を観測対象の全長(寿命)と見るか、観測済みのラップタイム(年齢)とするかという違いですね。
私は nanca2 の数量詞の性質と、空間長を表す mitre などの gismu との一貫性を重視して、間制などによる観測時間範囲の指定が無い場合は「全長」という解釈を支持します。

hatthin:> 個人的には、<年齢>を示すときには、照合点を明示した、{mi ca nanca li pare}を使っていくつもりです。

 mi ca nanca ... は年齢のほかに、 mi が時空内で複数の連続体に分かれていると想定した場合の、「今の mi の期限」という解釈も可能ですが、多義的であることを認めた上で、年齢としてこの表現を使うのは構わないと思います。意味の範囲を狭めたい場合は mi ca ze'e pu nanca ... ですね。


nalteo:> 年齢を経験対象と捉えれば、
nalteo:> pruce や lifri で次のような表現が考えられます。
nalteo:> mi pruce pare nanca
nalteo:> mi lifri pare nanca

.ie
そのほか、 tijlan さんが jbovlaste に入力なさった zatra'i は、齢の意味に近いと思います。

lo verba cu zatra'i xa masti
子供は6ヶ月

la lojban zatra'i revo nanca
ロジバンは24歳


hatthin:> la'u li 90 mrobi'o 
hatthin:>  90歳で亡くなる

文脈によるのではないでしょうか?
血糖値、赤血球の個数、火傷の表面積などの数値も入りそうです。
環境因子でも良いのではないでしょうか?
気圧や温度など。

中国語では、質問に対する返事以外では「歳」をあまり略さない気がします。
九十歲時死了

hatthin

unread,
Nov 25, 2011, 11:04:58 AM11/25/11
to lojban...@googlegroups.com

>「私は50(ドル)で生きている」(毎週の食費)
>「この兎は50(カロリー)で生きている」(毎日の消費熱量)
>「この鳥は50(匹)で生きている」(毎月のミミズ捕獲量、あるいは絶滅危機にある繁殖数) 

なるほど。 
いろいろな可能性が考えられますね。

<いま・・・歳>という日常的な定型表現には、やはり、{nanca}を使う方が適当ですね。

ki'e do

monakas

unread,
Dec 4, 2011, 10:09:04 PM12/4/11
to ロジバン相談室
読んでみて、僕なりの解釈ですが、

・nanca は寿命か、年齢か。他の単語との互換性を考えると全長=寿命とするべき

子供の全長は時間と共に伸びますが、それを「身長の途中の長さ」と考えるは無理があります。
なので、「年齢=現在の全長」として考えるのが妥当だと思います。
仮に nanca を「寿命」とするなら、年齢用にgismu か cmavo を生成し直すべきだと思います。合成語だとすっと言えませんし。

あ、でも nanca を「年齢」しておけば「寿命」は完了+年齢で mulna'a でいいような

・数量詞は排他的に使われます。
「この道の幅は5メートル」といった場合、ちょうど5メートルと言うことはなく、ある程度前後することは文脈といいますか、
常識でわかると思うのですが、この辺りはロジバンではどのように処理されるのでしょうか。
普段はいいとして、ある程度固い場面では、例えば「最後の桁の±50%が許容される」などの初期値が無いと駄目ですが、
ロジバンにはあるのでしょうか。
また、20代という場合、20歳から29歳を指しますが、ロジバンではどのようになっているでしょうか?
不明数字があれば「あの人は21.x歳です」などと出来れば正確ですが、ロジバンにはあるのでしょうか?

考えを述べるはずが質問ばかりになってしまいました。

mu'o

guskant

unread,
Dec 5, 2011, 7:25:39 PM12/5/11
to lojban...@googlegroups.com
coi

monakas:> 子供の全長は時間と共に伸びますが、それを「身長の途中の長さ」と考えるは無理があります。
monakas:> なので、「年齢=現在の全長」として考えるのが妥当だと思います。

 時間長と空間長を混同なさっています。
図をご覧ください。

これは、あるタンポポという事象の時空内の位置を表したグラフです。
t軸は時間、z軸は空間の重力方向を表します。
このタンポポの生えた地表面の高さを、z軸のゼロ点に取ってあります。
このタンポポが生える以前のある時点をt軸のゼロ点に取ってあります。
このタンポポの一生は、オレンジ色に塗られた連続体として表現されています。

「子供の全長」とおっしゃるものは空間長です。このグラフでは子供ではなくてタンポポですが、空間長としての「全長」はオレンジ色の部分のz軸方向の幅に相当します。この幅はt軸上の位置(=観測時刻)の関数となります。このグラフで、時刻 t_1 におけるタンポポの「全長」は Z_t1 であり、このタンポポの一生の中での、全長の最大値 Z_max とは異なりますが、 Z_t1 も Z_max も、それぞれの時点における「全長」であって、「身長の途中の長さ」ではありません。このグラフで「身長の途中の長さ」に相当するものは、たとえば Z_z1 です。 Z_z1 は、「全長」が Z_max となった時刻における、「身長の途中の長さ」です。

一方、「年齢」というものは、このタンポポという事象の時間方向の「全長」とはなり得ません。

時間長としての「全長」は、オレンジ色の部分のt軸方向の幅であり、それはz軸上の位置(観測高さ)の関数として定義することができます。例えば、高さ z_1 におけるタンポポの時間方向の全長は、 T_z1a+ T_z1b + ... + T_z1f と定義できます。ただし、この定義による各観測高さにおける時間方向の全長は、私たちが「寿命」と呼んでいるものとは異なります。「寿命」に相当するものは、全長の最大値 T_max です。

時刻 t_1 におけるタンポポの「年齢」は T_t1 であり、タンポポ事象の時間方向の全長の最大値 T_max の一部分に過ぎません。  T_t1 はオレンジ色の部分の片方の端を含まないので、タンポポ事象の全長にはなり得ないのです。

ここではグラフのゼロ点をわかりやすくするために、タンポポという事象について説明しましたが、z軸のゼロ点を動物の重心などにおけば、軸が動物の動きに合わせて移動しますから、「動物」「子供」などの事象も、タンポポと同様のグラフに表すことができます。

このグラフからお気付きの方もあるかもしれませんが、

ti ca nanca li re 

のように、 nanca を selbri とする bridi を ca だけで限定しても、この bridi の意味は T_t1 という年齢に一意に決まるわけではなく、 T_t2 という余命を意味しているかもしれないし、あるいはまったく別のものを意味しているかもしれません。年齢というものは本質的に、観測範囲を時間の過去方向に限定しています。言い換えれば、「年齢」という単語には ca ze'e pu のような意味がもともと含まれているのです。間制無しの nanca で年齢を的確に表せるという素朴な考えは捨てるべきです。


monakas:> 仮に nanca を「寿命」とするなら、年齢用にgismu か cmavo を生成し直すべきだと思います。合成語だとすっと言えませんし。

私は zatra'i という lujvo が最も的確に齢を表すと考えていますが、 lujvo を嫌うなら、 nalteo さんの以下のような pruce や lifri の使い方が、齢表現として適切だと思います。
nalteo:> mi pruce pare nanca
nalteo:> mi lifri pare nanca


monakas:> 「この道の幅は5メートル」といった場合、ちょうど5メートルと言うことはなく、ある程度前後することは文脈といいますか、
monakas:> 常識でわかると思うのですが、この辺りはロジバンではどのように処理されるのでしょうか。

le vi dargu cu mitre li mu

で5メートルと主張することになり、誤差に言及する必要が無ければこのままで良いと思いますが、「ちょうどではない」と明言したければ

le vi dargu cu mitre li ji'i mu 
およそ5メートル

le vi dargu cu mitre li mu ji'i 
丸めて5メートル(十進数の場合は四捨五入と考えても良いと思います)

le vi dargu cu mitre li mu ji'i ma'u 
小数点以下切り上げで5メートル

le vi dargu cu mitre li mu ji'i ni'u 
小数点以下切り捨てで5メートル

などと言えると思います。


monakas:> 普段はいいとして、ある程度固い場面では、例えば「最後の桁の±50%が許容される」などの初期値が無いと駄目ですが、
monakas:> ロジバンにはあるのでしょうか。

li pare pi ci ga'o mi'i ke'i pano ce'i 
12.3±10%

という言い方はできそうです。これは 12.3 の ±10% ということで、11.07 から 13.53 になりますが、「最後の桁の〜」という言い回しを使う必要があるのでしょうか?


monakas:> また、20代という場合、20歳から29歳を指しますが、ロジバンではどのようになっているでしょうか?

li re ji'i ni'u no 
一の位切り捨てで20

あるいは、やや曖昧に

li re so'o
20 いくつか

でも良いかも知れません。


monakas:> 不明数字があれば「あの人は21.x歳です」などと出来れば正確ですが、ロジバンにはあるのでしょうか?

li repa piso'o
21.いくつか

だと思います。


mu'o mi'e guskant

monakas

unread,
Dec 5, 2011, 8:47:07 PM12/5/11
to ロジバン相談室
ki'e .guskant.

> monakas:> 子供の全長は時間と共に伸びますが、それを「身長の途中の長さ」と考えるは無理があります。
> monakas:> なので、「年齢=現在の全長」として考えるのが妥当だと思います。
>
> 時間長と空間長を混同なさっています。
> 図をご覧ください。http://guskant.github.com/lojbo/tanpopo.svg
>
> これは、あるタンポポという事象の時空内の位置を表したグラフです。
> t軸は時間、z軸は空間の重力方向を表します。
> このタンポポの生えた地表面の高さを、z軸のゼロ点に取ってあります。
> このタンポポが生える以前のある時点をt軸のゼロ点に取ってあります。
> このタンポポの一生は、オレンジ色に塗られた連続体として表現されています。
>

> 「子供の全長」とおっしゃるものは空間長です。このグラフでは子供ではなくてタンポポですが、空間長としての「全長」はオレンジ色の部分のz軸方向の幅に相当し-ます。この幅はt軸上の位置(=観測時刻)の関数となります。このグラフで、時刻


> t_1 におけるタンポポの「全長」は Z_t1 であり、このタンポポの一生の中での、全長の最大値 Z_max とは異なりますが、 Z_t1 も
> Z_max も、それぞれの時点における「全長」であって、「身長の途中の長さ」ではありません。このグラフで「身長の途中の長さ」に相当するものは、たとえば
> Z_z1 です。 Z_z1 は、「全長」が Z_max となった時刻における、「身長の途中の長さ」です。
>
> 一方、「年齢」というものは、このタンポポという事象の時間方向の「全長」とはなり得ません。
>
> 時間長としての「全長」は、オレンジ色の部分のt軸方向の幅であり、それはz軸上の位置(観測高さ)の関数として定義することができます。例えば、高さ z_1
> におけるタンポポの時間方向の全長は、 T_z1a+ T_z1b + ... + T_z1f

> と定義できます。ただし、この定義による各観測高さにおける時間方向の全長は、私たちが「寿命」と呼んでいるものとは異なります。「寿命」に相当するものは、全-長の最大値


> T_max です。
>
> 時刻 t_1 におけるタンポポの「年齢」は T_t1 であり、タンポポ事象の時間方向の全長の最大値 T_max の一部分に過ぎません。 T_t1
> はオレンジ色の部分の片方の端を含まないので、タンポポ事象の全長にはなり得ないのです。
>

> ここではグラフのゼロ点をわかりやすくするために、タンポポという事象について説明しましたが、z軸のゼロ点を動物の重心などにおけば、軸が動物の動きに合わせ-て移動しますから、「動物」「子供」などの事象も、タンポポと同様のグラフに表すことができます。


>
> このグラフからお気付きの方もあるかもしれませんが、
>
> ti ca nanca li re
>
> のように、 nanca を selbri とする bridi を ca だけで限定しても、この bridi の意味は T_t1
> という年齢に一意に決まるわけではなく、 T_t2

> という余命を意味しているかもしれないし、あるいはまったく別のものを意味しているかもしれません。年齢というものは本質的に、観測範囲を時間の過去方向に限定-しています。言い換えれば、「年齢」という単語には


> ca ze'e pu のような意味がもともと含まれているのです。間制無しの nanca で年齢を的確に表せるという素朴な考えは捨てるべきです。


つまり、僕が言っていたのは全長が雲に隠れて見えない大きな豆の木を見て「雲のところまでしか見えないからそこまでを全長として扱おう」というのと同じ
だったわけですか。
しかも、根っこの長さを考慮していないという始末で。
この辺りはかなり難しい概念ですね。説明文を理解するだけで挫折しそうでした。


> monakas:> 仮に nanca を「寿命」とするなら、年齢用にgismu か cmavo
> を生成し直すべきだと思います。合成語だとすっと言えませんし。
>
> 私は zatra'i という lujvo が最も的確に齢を表すと考えていますが、 lujvo を嫌うなら、 nalteo さんの以下のような
> pruce や lifri の使い方が、齢表現として適切だと思います。
> nalteo:> mi pruce pare nanca
> nalteo:> mi lifri pare nanca

僕は「とし」という日常的に使われている単純な概念をわざわざ合成、もしくは小難しい言い回しでなければ処理できないというのは言語としていかがなもの
かと思ったのです。
ただ、僕がロジバンにおける数値処理を知らないのでその問題も大きいと思います。日本語でそういう文献が無いんですよ。それを差し引いても複雑に見えま
すが。

PA3とPA4の使い方を知らなかったのですが、そういう使い方ができるんですね。
むしろ、PA類の使い方が全くわかっていないです。

「最後の桁の~」は、 a*10**b などとすればいいと思うので大丈夫です。(数字をaとbにしたのはちょっと思いつかなくて)

質問する前に数値処理について調べればよかったですね。
おそらく英語の文献しか無いのでしょうが、ロジバンにおける数値処理について知るにはどこを見ればいいでしょうか?

mu'o

guskant

unread,
Dec 6, 2011, 2:12:15 AM12/6/11
to lojban...@googlegroups.com
monakas:> 質問する前に数値処理について調べればよかったですね。
monakas:> おそらく英語の文献しか無いのでしょうが、ロジバンにおける数値処理について知るにはどこを見ればいいでしょうか?

英語なら CLL 第18章
にあります。
この内容の日本語による概略は
にありますね。

.ua 
CLL 第18章はまだ日本語訳ができていませんが、抄訳プロジェクトでは私が担当することになりそうです(今まで3の倍数番目の章を担当してきたので)。お待たせして済みません。なるべく早く仕上げます。

あと、考えてみると、私は以下の部分を訂正すべきだと思いました。
guskant:> monakas:> また、20代という場合、20歳から29歳を指しますが、ロジバンではどのようになっているでしょうか?
guskant:> 
guskant:> li re ji'i ni'u no 
guskant:> 一の位切り捨てで20

ni'u が一の位の no に掛からないように、 pi'e で分けるべきだったと思います。つまり、

li re ji'i ni'u pi'e no
一の位切り捨てで20

これで良いでしょうか?

monakas

unread,
Dec 10, 2011, 9:51:13 PM12/10/11
to ロジバン相談室
ki'e .guskant.

> 英語なら CLL 第18章http://www.lojban.org/publications/reference_grammar/chapter18.html
> にあります。

ここなんですね、非常に読むのが大変そうですが数値と間制あたりは詳しく知らないとどうにもならないので少しずつ読んでみます。


> CLL
> 第18章はまだ日本語訳ができていませんが、抄訳プロジェクトでは私が担当することになりそうです(今まで3の倍数番目の章を担当してきたので)。お待たせして-済みません。なるべく早く仕上げます。


英語がある程度達者で人工言語に興味のある方というのは貴重だと僕は考えています、頑張ってください。
あ、でも多言語話者になると話は別のようです。


> あと、考えてみると、私は以下の部分を訂正すべきだと思いました。
> guskant:> monakas:> また、20代という場合、20歳から29歳を指しますが、ロジバンではどのようになっているでしょうか?
> guskant:>
> guskant:> li re ji'i ni'u no
> guskant:> 一の位切り捨てで20
>
> ni'u が一の位の no に掛からないように、 pi'e で分けるべきだったと思います。つまり、
>
> li re ji'i ni'u pi'e no
> 一の位切り捨てで20
>
> これで良いでしょうか?

pi'e は前後の数値を分断するものなのでその書き方だと「2(上位単位)と0(下位単位)」のような意味になると思うので、元のまま

li re ji'i ni'u no

でいいんじゃないでしょうか? ji'i ni'u が桁数そのものを消滅させるなどの能力がない限りは。
でもこの書き方が可能だとしても no の数字は桁数を明示するだけなので re でも mu でも意味は同じになりますよね?
CLLでも小数点以下のみの例しか載っていない様なのでこのような書き方は不可能なのかもしれません。

mo'u

fotonoa...@gmail.com

unread,
Dec 14, 2011, 5:34:45 AM12/14/11
to lojban...@googlegroups.com
coi

monakas:> pi'e は前後の数値を分断するものなのでその書き方だと「2(上位単位)と0(下位単位)」のような意味になると思うので、元のまま
monakas:>
monakas:> li re ji'i ni'u no
monakas:>
monakas:> でいいんじゃないでしょうか? ji'i ni'u が桁数そのものを消滅させるなどの能力がない限りは。
monakas:> でもこの書き方が可能だとしても no の数字は桁数を明示するだけなので re でも mu でも意味は同じになりますよね?
monakas:> CLLでも小数点以下のみの例しか載っていない様なのでこのような書き方は不可能なのかもしれません。

jbovlaste の ロジバンによる定義では、pi'e は
namcu lerfu .i nacle'u te sepli
ということなので、pi'e が分離するものは必ずしも単位ではないはずです。
実際、CLL 第18章の例 10.7) では、20進数の各桁を分離するために pi'e が使われています:
http://dag.github.com/cll/18/10/#e7
10.7) li pa pi'e re pi'e ci ju'u reno du li vovoci
これは20進法の 123 つまり
1*(20^2)+2*(20^1)+3*(20^0)=443
を表します。20進数の各桁の間を pi'e で区切っているわけです。

これと同様に、10進数も
li pa pi'e re pi'e ci ju'u pano
のように、各桁の間を pi'e で区切って表現することができるはずです。

li re ji'i ni'u pi'e no
一の位切り捨てで20

の pi'e が無いと、「マイナスゼロで丸めて2」という、意味不明な表現になってしまうと思います。

monakas

unread,
Dec 14, 2011, 7:11:54 PM12/14/11
to ロジバン相談室
ki'e .guskant.

> jbovlaste の ロジバンによる定義では、pi'e は
> namcu lerfu .i nacle'u te sepli
> ということなので、pi'e が分離するものは必ずしも単位ではないはずです。
> 実際、CLL 第18章の例 10.7) では、20進数の各桁を分離するために pi'e が使われています:http://dag.github.com/cll/18/10/#e7
> 10.7) li pa pi'e re pi'e ci ju'u reno du li vovoci
> これは20進法の 123 つまり
> 1*(20^2)+2*(20^1)+3*(20^0)=443
> を表します。20進数の各桁の間を pi'e で区切っているわけです。
>
> これと同様に、10進数も
> li pa pi'e re pi'e ci ju'u pano
> のように、各桁の間を pi'e で区切って表現することができるはずです。
>
> li re ji'i ni'u pi'e no
> 一の位切り捨てで20
>
> の pi'e が無いと、「マイナスゼロで丸めて2」という、意味不明な表現になってしまうと思います。

CLLによりますと、数値の最後に ji'i が付いているときに限り ni'u と ma'u を後ろに追加して切り上げられた数値なのか切り捨てら
れた数値なのかを表せるようですね。
あと、数値の途中に ni'u を入れた形は未定義だそうです。
つまり、 li re ji'i ni'u no は未定義もしくは不可能な表現だったようです。
なので、 li re ji'i ni'u pi'e no が「20代」を表せるようですね。

mu'o

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