On 5月22日, 午後8:13, nalteo <nalt...@googlemail.com> wrote:
> 国際的な認識率の低い「spion」を認識率の高い「kam」「lai」と等価で合成することは
> 結果の語根の平均認識率を下げてしまいます。
ソシュール言語学を少しでもかじっていれば語の音と意味は(擬音擬態語でない限り)まったく関係がありません。
例えば「猫」は、上代和語で「ねこま」で古代日本語まで遡ると「niaköma」→ニアとなくコマ(四足動物)なので
ニアは擬音語ですが、四足動物をコマと呼ぶ必然性はありません。
すべての自然言語話者から等距離の単語を作るには、むしろ既存のどの言語にもない音の組み合わせにするべきなのです。
> 語族は語彙系統をそれほど左右しません。
> インド・ヨーロッパ語族でもシナ・チベット語族でもない日本語の語彙は
> 中国語、英語、ポルトガル語などの由来のものを多く含みます。
言語の系統を研究する場合は、外来語・借用語をすべて排除してから比較します。
日本語の場合は漢語もすべて排除しますから、馬→ウマとか梅→ウメも基本語彙から除きます。
ロジバンでNipponから、gismuのponjuやlujvoのpongu'eを導出するのは、日本(Riben,Japan,Japon等の読み
含む)は
シナ・チベット語族読みなので不適当です。
hinomotoとかyamatoとかasiharaとかから日本に関するgismuを導出するべきだと思います。
もっと古い「倭」の語源なら日本側の自称はwina, pinaです。
要するに、祖語まで遡った語形から、大航海時代以前の人口比で合成すべきだったのでは……と。
On 5月22日, 午後8:13, nalteo <nalt...@googlemail.com> wrote:
> 中国語の「来|lai」の音
現代北京方言の来 lài は、上古音では mlǝg だったんですよ。
日本語の来と木も ki と köi (kï) で、日と火も pi と pöi (pï) で区別されてて、
神と上も kamui (kamï) と kami で別物でした。
(kamui の形はアイヌ語に保存されています)
On 5月22日, 午後8:13, nalteo <nalt...@googlemail.com> wrote:
> 中国語の「来|lai」
> チベット語の「spjon|spion」
中国語北京方言の lài に対応するチベット語は lee (声調2)のようです。
他に行く・来るには、敬語以外では yon4, nan1, jee3 があるようですが、
敬語にも spjon, spion はありませんでした。
各語の音でなく語同士の関係が意味の起源である、とするソシュール言語学においては、
例えば「鹿」の意味は、 /shika/ という音そのものが有するのではなく、
同じ言語の中での /ika/ や /shishi/ との相違から生じる、と考えられるわけですが、
それは音の相違です。
この場合、音の相違が無ければ意味の起源としての間構造もありません。
したがって、音と意味は *まったく* 無関係、とは私は考えません。
自然言語の音から語根を造る、というロジバンの方針は、
各素材の音に意味が秘められている、といった考えを前提にしていません。
音が自然言語話者にとって意味の手掛かりとなる、という事実を活かすものです。
/kam/ という音は英語話者にとって「くる」の概念を想起する手掛かりとなれます。
/lai/ という音は中国語話者にとって「くる」の概念を想起する手掛かりとなれます。
/kam/ と /lai/ の音列を反映する語根は、反映しないものよりも、
「くる」の概念を英語話者と中国語話者に想起させやすい、
という結果が期待できます。
> すべての自然言語話者から等距離の単語を作るには、むしろ既存のどの言語にもない音の組み合わせにするべきなのです。
すべての自然言語話者から等距離の単語を作る、という前提はロジバンにはありません。
語根を、できるだけ多くの人にとって憶えやすいものにする、という前提があります。
> > 語族は語彙系統をそれほど左右しません。
> > インド・ヨーロッパ語族でもシナ・チベット語族でもない日本語の語彙は
> > 中国語、英語、ポルトガル語などの由来のものを多く含みます。
>
> 言語の系統を研究する場合は、外来語・借用語をすべて排除してから比較します。
> 日本語の場合は漢語もすべて排除しますから、馬→ウマとか梅→ウメも基本語彙から除きます。
だからこそ、語族と語彙系統が同じであるとは限らないのです。
日本語はインド・ヨーロッパ語族でもシナ・チベット語族でもありません。
しかしこれら外語族の言葉の多くが日本語に入っており、日本語話者の日常的な語彙の一部として定着しています。
日本語を(論争はあるものの)「日本語族」とみなすとして、
ロジバンの「klama」や「tcati」といった語根の基語に日本語族が含まれていないということは、
これらの語根を日本語話者にとって憶え難い非中立的なものにしているでしょうか?
> > 中国語の「来|lai」の音
>
> 現代北京方言の来 lài は、上古音では mlǝg だったんですよ。
> 日本語の来と木も ki と köi (kï) で、日と火も pi と pöi (pï) で区別されてて、
> 神と上も kamui (kamï) と kami で別物でした。
> (kamui の形はアイヌ語に保存されています)
(北京方言の「来」は第二声の [lái] ではないでしょうか?)
現代人のための単語に、現代の音より上古の音を用いるべき、
ということでしょうか?
> ロジバンでNipponから、gismuのponjuやlujvoのpongu'eを導出するのは、日本(Riben,Japan,Japon等の読み
> 含む)は
> シナ・チベット語族読みなので不適当です。
「にっぽん」「Japan」等の音を投影した「ponjo」は、
意味の手掛かりとなるものを日本語話者にも非日本語話者にも与えるものです。
> hinomotoとかyamatoとかasiharaとかから日本に関するgismuを導出するべきだと思います。
> もっと古い「倭」の語源なら日本側の自称はwina, pinaです。
> 要するに、祖語まで遡った語形から、大航海時代以前の人口比で合成すべきだったのでは……と。
国名や地名を gismu にすることは現在はあまり支持されていません。
国際標準化機構の定義する略称を fu'ivla 化する、というのがあります―
https://spreadsheets.google.com/ccc?key=0Ai4mbIPr2PUwdENVckVaOTJLbVdGVE5SeGJ0MTBTbGc&hl=en#gid=1
以下の fu'ivla や cmevla も可能です―
hinomoto --> xinmoto, xinomoton
yamato --> iamto, iamaton
asihara --> asxara, asixaran
wina --> uinan
pina --> pinan
可能でも、それぞれが現代の「日本」と同義であるかどうかは自明ではありません。
奈良県域を指した「大和」は「日本」と異なります。
日本列島に居住する多数派民族を指す「大和民族」は「日本人」と異なります。
語族遡及は単語の実用性を保障しません。
幾百年、幾千年さかのぼって掘り当てた音は、
現代人の認識できるものでなければ、人工言語の語根に組み込んでも語根の認識性を高めません。
現代日本語で一般に用いられない言葉をロジバンに持ち込んで「日本」と定義することは
ロジバンの日本人学習者全般への配慮となるでしょうか?
> ポリネシアの人々・文化を意味する polno というgismuがあります。
> これは r と l を区別しない中国・韓国・日本の人々にとって porno と峻別しにくい音です。
> 「ポルノ」とカナで書くともっと分り易いですね。
> l で発音しようと r を巻き舌で発音しようと、中国・韓国・日本ではポルノはポルノです。
> gismuを作るとき、NGワードを先に定めておくべきだったのでは?と思いました。
ロジバン内では「ポルノ」は /polno/ でも /porno/ でもないので、
ロジバン内では問題がありません。
ロジバンにおいて /polno/ が誤って /porno/ と発音されたとき、
その話者は「ポルノ」を意味している、と考える理由もありません。
(また、前記のとおり、「polno」の代わりとなる語が無いわけではありません。)
外語の異義語を連想させるような音列はダメ、
という禁則を設ければ、音列の例にきりがありません。
発音を誤る場合どころか、正しく発音した場合で外語の異義語となる例さえ、いくらでもあります―
denci 歯 -- 「電子」?
gunma 群れ -- 「群馬」?
santa 傘 -- 「サンタ」?
senci くしゃみ -- 「戦士」?
...
prali 利益 -- 「洗った」?(ポーランド語の prali)
randa 降伏 -- 「平面」?(スワヒリ語の randa)
tordu 短い -- 「ひね曲がった」?(フランス語の tordu)
vorme ドア -- 「構成する」?(オランダ語の vorme)
...
「ポルノ」は「電子」等よりも “恥ずかしい” から特別にNG、
という理由もロジバンでは通りかねるでしょう。
ロジバンの指針の1つは、価値観の中立性です。
何を恥ずかしいとするかの基準は大いに個人と文化と時代に依ります。
そもそも、先述のとおり、 /porno/ という音はロジバンにおいて「ポルノ」とはまったく無縁なので、
ロジバン会話において気にするべきではありません。
近畿大学の名誉教授が日本語で名乗る際に英語の「kinky|変態」を気にする必要が無いのと同じです。
> 英語圏なら発見の意のgismuの facki(fak) とか字面・音ともかなり抵抗あると思います。
> 若いの意の citno(cit) もかな。
> vibna(vib) は逆に遠い音だよね。
「福田|fukuda」や「一之瀬|ichinose」を姓とする人は、
英語圏における「Fuck you, duh!」や「itchy nose」との連想を避けるために戸籍を書き変えるべきでしょうか。
各言語の独自性は平等に尊重されるべきです。
日本語において、非日本語での偶然意を日本語にたいして優先する必要はありません。
ロジバンにおいて、非ロジバンでの偶然意をロジバンにたいして優先する必要もありません。