SEN ≪「 MRA (道徳再武装)」、「松下政経塾」、「統一教会」、「 CSIS 」、などで検索した結果・・・・後編≫ :Roentgenium

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Feb 10, 2010, 4:24:04 PM2/10/10
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≪「MRA(道徳再武装)」、「松下政経塾」、「統一教会」、「CSIS」、などで検索した結果・・・・後編≫
http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/241.html
SEN 241 2010/2/11 06:23:49
投稿者: Roentgenium

≪「MRA(道徳再武装)」、「松下政経塾」、「統一教会」、「CSIS(米戦略国際問題研究所)」、などで検索した結果・・・・後編≫



※Roentgenium:次にMRAから松下政経塾に話しを繋ぐ前に、押さえておきたい資料を二つ。
一つはロックフェラー=MRAに関するもので、もう一つは松下政経塾の前原誠司とも親しい安倍晋三に関するものです。
今後、この二人のネオコンが政治を動かすようなことになれば、日本はかなりアブナイ国になることは想像に難くないと思います。
内政的には警察国家を目指しているように感じられます。
小沢一郎 対 特高じみた東京地検特捜部の構図や、小泉政権下に政敵を冤罪などで潰していった手法を見れば、
いつそうなってもおかしくないかもしれません。麻生政権の時には、既にネット規制なども検討され始めています。

ついでに、二つ目の資料では、現在自民党の総裁の座にいる谷垣禎一についても触れられています。
谷垣禎一もまた、安倍晋三や麻生太郎の人脈、つまり、岸 信介・吉田 茂の系譜上にある人物なのです。



■日本人が知らない 恐るべき真実 研究ノート d-2-5 外交問題評議会と日本(『軍隊なき占領』から抜粋・引用)

http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-2-5.html

(以下、注釈≪≫を加え、引用転載)

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【国際文化会館の実像】

CFRの活動家J・F・ダレスは、日本との平和条約への道を切り開きながら、日本を冷戦に引き込むという大胆な行動を起こした。
1950年の極東への使節訪問が成功した為、
ダレスは51年に再び、差し迫った平和条約の舞台づくりという任務を担ってハリー・S・トルーマン大統領の特使として派遣された。

同行したのは国務省と国防総省の役人だったが、中に一人だけ役人ではない者がいた。ジョン・D・ロックフェラー三世である。
講和条約は、1951年9月、サンフランシスコで調印されたが、このときにも、どういうわけかダレスの傍らにはその姿があった。
日米間の外交には多くの潤滑油が必要だったようである。

『ニューズウィーク』と組んだ執拗なACJ一派と、それに便乗した日本の政・財・外交界の右翼派閥の力を借りて、
ジョン・D・ロックフェラー三世は、天皇を含む日本の多くの重要人物とすでに面識があったと推測される。

彼は、この“日出づる国”に、ある日、突然、姿を現わしたわけではない。
≪ジョン・D・ロックフェラー三世をはじめロックフェラー家は、長年、ニューヨークのジャパン・ソサエティ(日本協会)を後援していた。
ソサエティは、ロックフェラーの東京出先機関である国際文化会館の本部であり、監督機関である。≫

【「文化交流」とは名ばかり】

占領が終わり、日本人の海外渡航許可が容易に得られるようになると、米日間の文化交流プログラムという概念が通用するようになった。
しかし、冷戦の真っ只中でもあり、「交換グループ」の中には「文化交流」という名目で秘密の活動をしているものがあまりにも多かった。
そうした策略の一つが、道徳再武装運動(MRA)だった。

主に右寄りのアメリカの実業家が後援する反共の擬似宗教であるMRAは、
過去及び将来の日本の指導者たちを(時には、国防総省やCIAから特別待遇を受けて)アメリカや西欧への官費旅行に招待し、
外国の指導者に引き合わせ、労使調和と反共について説教を吹き込んでいた。
日本のMRAは、権力回復に野心を燃やしていた戦争中の異端者などに公開贖罪の場を提供した。

MRAの大物の一人が、グルーの古くからのゴルフ仲間でもあった岸 信介だった。
60年代と70年代に、岸は他の悔悟者とともに、派手に宣伝されたMRAの国際会議で空涙を流した。
日本では政治家だけでなく、実業家もMRAを支持した。とくに三井本家の弟の三井高維がそうだった。
品がよく英語に堪能な三井は、MRAの創設者フランク・ブックマンを支持する欧米の裕福な人々のあいだに多くの友人がいた。
占領期間中、MRAの会員には、一般の人たちよりずっと前から海外旅行が許可されていた。

≪この幸運な旅行者の一人に、内務省の特高から海軍将校になった日和見の右翼政治家、中曽根康弘がいた。
MRAに接近することの政治的利点をすばやく察知した中曽根は、スイスで開かれるMRA世界大会に出席する為、1950年6月、機上の人となった。
一行はヨーロッパ視察後、アメリカへ向かった。

彼は自分の目標については率直だった。
アメリカへ向けた飛行機が離陸するのを待つあいだ、中曽根は三井の子孫に「十年したら私は総理大臣になる」と野心を打ち明けたという。
実際には、それは三十二年後まで実現しなかったが、その間、いくつかの内閣ポストに就いた。
その後、戦後もっとも破壊的なスキャンダルといわれるロッキード事件に連座しながら、
また、数年後のさらに一回り大掛かりなリクルート事件でもそうだったが、奇跡的に無傷のままでいた。≫

~中略~

≪親米派の政治家に庇護者がいたにせよ、いなかったにせよ、1970年代には、
二国関係における力ずくの戦術や不正工作は、多種多様な文化交流プログラムを隠れ蓑にした、より巧妙な形の占領に変わっていった。
この複雑に入り組んだネットワークの中枢を担ったのが、山本 正という疲れを知らぬ人物が率いる日本国際交流センター(JCIE)であり、
これは今日も変わっていない。

JCIEが、日本におけるロックフェラーの利権を代表していること、MRAの本部であったこと、さらに日米欧(三極)委員会の事務局であり、
CFRのプログラムさえ行なってきたという事実は、単なる偶然とは言い難い。≫

◇   ◇   ◇


「国連本部は、ジョン・D・ロックフェラー二世がニューヨークの土地を買い取って寄贈し、そこに建てられたビルである」
「まさに国連を支配する国家が、死の商人であり、PKOの母体である。日本に金を請求している人間の正体は、ここにある」
「結局、日本人の金は、世界の軍人を養い、そこから世界の軍需工場に還流する仕組みになっている」

http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-4-1.html



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■日本人が知らない 恐るべき真実 研究ノート d-4-2 安倍晋三と日本の闇

http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-4-2.html

(以下、注釈≪≫を加え、引用転載)

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関係ないように思われるかもしれませんが、前回の『国連の死の商人』をご参照いただけると、より全体像が把握しやすいと思います。

http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-4-1.html

【政界のサラブレッド】

先ずは下記URLの『系図でみる近現代 第7回』をご参照ください。

http://www.k3.dion.ne.jp/~a-246ra/keizukingendai7.htm

父親の安倍晋太郎氏は、竹下 登氏、宮沢喜一氏と共に「ニューリーダー」と呼ばれ、自由民主党を担う有力政治家の一人でした。

福田赳夫派に所属し、三木内閣で農林大臣。福田内閣で自民党国会対策委員長、内閣官房長官。大平内閣では、党政務調査会長。
鈴木内閣で通商産業大臣。中曽根内閣では外務大臣を歴任。

母親は、第56、57代内閣総理大臣で、1960年には日米安保条約改正を強行した「昭和の妖怪」岸信介の長女。
(余談ですが小泉純一郎総理の父、純也氏は、翼賛政治家で、岸の“忠僕”といわれていました)

岸 信介の実弟は、第61、62、63代内閣総理大臣でノーベル平和賞受賞者の佐藤栄作氏で、叔父に鮎川義介氏、松岡洋右氏。

親戚には第45、48、51代内閣総理大臣の吉田 茂がいるという政界のサラブレッドです。

ついでに、妻の幸子さんは森永製菓元社長の松崎昭雄の長女。
兄の寛信氏は三菱商事中国支社長で、その妻は経済同友会代表幹事であり経済財政諮問会議議員であるウシオ電機会長の牛尾治朗氏の長女。
弟の信夫氏は、岸家の養子に出され、自由民主党所属の参議院議員になっています。

続いて下記URLの『系図でみる近現代 第6回』をご参照ください。

http://www.k3.dion.ne.jp/~a-246ra/keizukingendai6.htm

親戚の吉田 茂の家系を遡ると、その妻は内大臣、牧野伸顕の娘、
つまり「明治の元勲」大久保利通の孫娘であり、倒幕以来の薩長体制が脈々と受け継がれていることがわかります。

ちなみに、対抗馬といれる麻生太郎氏の父親は、九州一の財閥といわれた麻生コンツェルンの麻生太賀吉氏で、母親は吉田 茂の娘。
つまり麻生氏は吉田 茂の孫。麻生家は皇族ともつながっていますし、安倍家とは遠い親戚となります。

≪もう一人の対立候補、谷垣禎一氏の母方の祖父は、戦前、中国で汪兆銘南京政府樹立を仕掛けた影佐禎昭陸軍中将で、
同政府の財政顧問は、今回の総裁選に不出馬を表明した福田康夫元官房長官の父、福田赳夫元首相という不思議な因縁です。
ついでに言えば、この「汪精衛工作」に協力していたのが、松岡洋右元外相でした。≫

国際エスタブリッシュメントが閨閥で大ネットワークを形成しているように、
日本のエスタブリッシュメントもまた閨閥によって政治家・官僚・資本家・企業家等が結びつき、日本を動かしているのですね。

※このへんについて詳しくは広瀬隆著『私物国家』をご参照ください。

ダイジェスト版
http://members.at.infoseek.co.jp/saitatochi/

http://www.asyura.com/tv13.htm


【アメリカの傀儡だった岸 信介】

≪さて、安倍晋三氏の祖父、岸 信介は、1920年、農商務省に入省。その後、商工省に勤務し、1936年には満洲国実業部総務司長として渡満。
数年後には総務庁次長となって、満州の開発を主導し、満州産業界のボスと呼ばれていました。
また、その裏側で、麻薬人脈を作り上げ、そこから得た巨億の金をつぎ込んで内閣に入る工作をしたといわれる人物です。≫

1939年に帰国し商工次官となり、
1941年には東条内閣の商工相、商工省が改組され軍需省となると軍需次官として戦時経済体制の最高指導者を務めていました。

≪戦後はA級戦犯として巣鴨拘置所に収監されていましたが、1948年12月、GHQの特赦措置により釈放されました。

何故、岸信介は戦犯から一転不起訴放免になったのでしょう?
証拠がないので、これはあくまで推測ですが、731部隊のデータを米国に引き渡すという取引があったのではないかと思われます。≫

≪岸 信介が満州国国務院実業部総務司長に就任した1936年に、軍馬や家畜に対する細菌兵器を開発し、
人体実験も行っていた軍獣防疫廠が満州に設立されました。
軍獣防疫廠は731部隊の研究実験を基礎にし創設された機関で、生物兵器としての炭疽菌、鼻疽菌、牛疫ウィルス、
その他の流行性獣疫菌の大量培養製造をおこなっていたのです。

満州での人体実験や細菌兵器の開発に、実質的な最高権力者であった岸 信介が関与していた可能性は十分にあると思われます。≫

≪終戦直前、731部隊は徹底的な証拠隠滅を図ったので、全貌は不明なままですが、
人体実験のデータを米軍に提供する代りに731部隊の関係者全員が無罪放免されたことは事実として明らかにされています。≫

ちなみに、岸の首相在任時には、ジャパンロビーACJのハリー・F・カーンが常に傍らにおり、岸への助言と援助をおこなっていました。
さて、岸同様に巣鴨拘置所から釈放された重要人物が二人います。

一人は、ロッキード事件で有名となった右翼の大物、児玉誉士夫。
1941年、児玉は上海に「児玉機関」と呼ばれる機関を設立し、
タングステンやラジウム、コバルト、ニッケルなどの戦略物資を買い上げ、海軍航空本部に納入していました。
また裏の仕事として中国側へのスパイ活動、抗日スパイの検挙や殲滅、そして阿片の密売等をおこない、膨大な資金を残しました。

児玉が不起訴放免になったのは、米国に協力を約束したのと同時に、手持ちの貴金属の一部をGHQに渡したからだといわれています。
さらに児玉は、残ったダイヤモンドを換金して、鳩山一郎に無償で提供。鳩山は、その資金で自由党を結党します。
その結果、児玉は保守政党に大きな影響力を行使するようになりました。

もう一人の重要人物は、大物右翼で児玉の盟友、笹川良一。
戦後は、日本船舶振興会会長となり、競艇で得た潤沢な資金を使って、長きに渡り政界の黒幕として影響力を及ぼしました。
≪この三人には、米国に協力することによって戦犯扱いを逃れ、傀儡として戦後の政治に多大な影響を及ぼしたということ以外にも、
もう一つ共通点があります。≫

【文鮮明と金正日との奇妙な三角関係】

≪それは「霊感商法」や「合同結婚式」で問題となった韓国の統一教会、そして教祖の文鮮明と関係があることです。
CIAは、朴正熙政権時代、ソウルにKCIA(韓国中央情報部)という諜報機関を作りました。

KCIAは、当時、力をつけつつあった統一教会に目をつけ、フロント機関として組織に取り込んだのです。
KCIAは、統一教会に要員を送り込み、「反共団体」として育てました。
それが現在、日本の右翼の中核団体である勝共連合で、自民党の有力支持団体として、会員を国会議員や秘書として送り込んでいると噂されています。≫

『週刊現代』99.2.27号による国会議員128人の「勝共連合・統一教会」関係度リスト
http://www.asyura2.com/07/senkyo36/msg/411.html

文鮮明は、信者から集めた金や、麻薬や武器の密輸で儲けた巨額の金を使って複数の大統領候補に資金援助し、
韓国の政界に強い影響力を持つようになりました。親北政策を取り、北朝鮮を秘密援助した金大中元大統領もまた、その一人です。

反共であるはずの文鮮明は、何故か金日成と義兄弟の杯を交わし、北朝鮮のマスゲームでは「国家の英雄」として紹介されています。
統一教会は、北朝鮮にも巨額の資金援助をしており、平壌に多くの信者を送り込んで、金正日政権の中枢部門と緊密に連携しているといわれています。

笹川氏は、1963年に統一教会の日本支部顧問を引き受けたり、同年6月4日の合同結婚式に夫妻で参列したりもしています。
1968年に結成した国際勝共連合では、結成時から名誉会長を務めていました。

児玉氏は、1967年7月、のちに国際勝共連合の設立につながる「第一回アジア反共連盟(世界反共連盟の地域団体)結成準備会」に、
自分の代理人として白井為雄氏を参加させています。

岸氏もまた、文鮮明が主催する世界言論人会議でスピーチを行なっていました。

このような繋がりは、決して過去のものではなく、現在も続いているようです。
それが発覚したのが、今年六月に流れた『統一協会主催合同結婚式へ安倍晋三が祝電を送った』というニュースです。

『統一協会の集団結婚・大会 安倍長官らが祝電』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-06-13/2006061314_01_0.html

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統一協会の集団結婚(合同結婚)を兼ねた大会に安倍晋三官房長官ら自民党幹部が祝電を送っていたことがわかりました。
統一協会直系紙の韓国「世界日報」が伝えました。

この大会は5月後半に国内十二カ所で開いた「天宙平和連合(UPF)祖国郷土還元日本大会」。
「世界日報」5月14日付によると、同13日に福岡県で開いた大会(約八千人)に、
安倍氏や衆院憲法調査特別委員会筆頭理事で元法相の保岡興治氏ら国会議員七人が祝電を送りました。

同紙によるとこの大会は、韓日男女2500組の合同結婚を併催。
統一協会発行の「中和新聞」6月1日付も「聖水式と聖婚問答が行われました」と、それを裏付けています(聖水式は合同結婚の主要儀礼)。
これについて保岡氏の地元事務所は「出席依頼があったので電報を送った」と述べ、安倍事務所は回答を拒みました。

UPFは統一協会の偽装組織で、教祖文鮮明と妻の韓鶴子が共同総裁です。
統一協会は「七代前の先祖の因縁を解放しなければならない」という“解怨献金”(一家庭70万円)などに力を入れ、UPFはその舞台の一つ。
献金で天国に入籍し、それにより平和をつくるなどとしています。

組織の指名で相手が決まる集団結婚(合同結婚)は、文鮮明との性交で原罪を清算する(血分け)という“教義”を象徴化したもの。
当初は幹部活動家向けでしたが、最近は大規模化し、「祝福感謝献金」が主目的になっているとされています。

霊感商法対策弁護士連絡会の調べでは、昨年一年間の被害相談件数は1900件、28億2600万円。
内訳一位がこれら「献金・浄財」被害(11億円)です。

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統一協会被害者家族の会の神保広次会長は「統一協会の伝道方法も霊感商法も違法という判決が既に確定している。
祝電はそのような犯罪集団に手を貸し、励ますものといわざるを得ない」と語っています。

【日本のネオコン】

優しいマスクと紳士的な言動で人気の安倍氏ですが、分類的には岸→福田→安倍→三塚→森とつながる“タカ派”の系譜に属し、
「日本のネオコン」と呼ばれています。

2004年4月29日、安倍氏は、ネオコンの牙城といわれるシンクタンク、アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所(AEI)で講演し、
ネオコンの首領としてキリスト教右派とユダヤ系米国人を結びつけたアーヴィング・クリストルに対して深い尊敬の念を表しました。

また、自衛隊のイラクへの派兵が問題となった時、明らかな憲法違反であるにも関わらず、
「現行憲法でも集団的自衛権の行使は可能だ」と発言したのも、自民党幹事長(当時)だった安倍氏でした。

本家アメリカのネオコンは、ご存知の通り、クリントン政権時からイラク攻撃を主張し、ブッシュ政権で実際にイラク侵略を主導しました。
「イラクの大量破壊兵器」という嘘を捏造したのも彼らです。

≪ちなみに「日本のネオコン」と目されているメンバーは、
「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」の武見敬三氏(自民)、石破 茂氏(自民)、浜田靖一氏(自民)、米田建三氏(自民)、
山本一太氏(自民)、前原誠司氏(民主)、浅尾慶一郎氏(民主)、上田 勇氏(公明)。
新旧国防族が集結する「安全保障議員協議会」の瓦力氏(自民)、久間章生氏(自民)、額賀福志郎氏(自民)等です。≫

前出のAEI客員研究員のニコラス・エバースタットは、2004年11月に「専制政権を崩壊させよ」というタイトルの論文を発表しました。
北朝鮮問題に対する米国のアプローチは明らかに欠陥があると指摘した上で、非外交的手段なオプションの必要性を説き、
このオプションには経済制裁、そして軍事攻撃までもが含まれるものでした。

この論文を受けてネオコンの代表格を務めるウィークリー・スタンダード誌編集長のウィリアム・クリストルが、
「北朝鮮のレジーム・チェンジに向けて」とする声明をオピニオン・リーダー向けに配布しました。

そして、このクリストルの公表に合わせるかのように、フジテレビ「報道2001」に出演し、全く同じ主旨の発言を以下のように行ったのが安倍氏でした。

「多くの人が命がけで国から逃げようとしている状況で、金正日政権が今後も存続していくことができるのか。
この政権と交渉して果たして結果を出すことが出来るのか、最近疑問を感じている。
レジーム・チェンジの可能性も選択肢に入れたシミュレーションを今からはじめておく必要がある」(産経新聞朝刊より)

このように、安倍氏と本家ネオコンは連携して動いています。

≪北朝鮮を痛烈に批判する安倍氏ですが、
北朝鮮の軍事的脅威に対抗して、日本は軍備を増強すべきだと主張する「主戦派」の中心人物でもあります。つまり、MD計画の推進者なのです。≫

今年の7月4日、北朝鮮がミサイル発射訓練をおこなった際、5日の時点ですでに防衛庁幹部は、
「一刻も早くMD計画を進め、迎撃能力を取得しなければならない」との見方を示めしています。

更に翌6日に急遽開かれた衆院安全保障委員会では、額賀福志郎防衛庁長官がMD計画について、
「監視レーダー網整備とともに、迎撃面も米国と協調して一刻も早く形をつくりたい」と強調。

7日には、政府は2008年3月末を目処としていたMDシステムの地対空誘導弾パトリオット・ミサイル3(PAC3)3基の配備を前倒しし、
2006年度末の入間基地(埼玉)配備予定の最初の1基も含めて、
2007年中にも霞ヶ浦(茨城県)、習志野(千葉県)、武山(神奈川県)の4基体制とする方針を固めています。

また、PAC3は1基でも迎撃能力を持つが、4基がセットになると穴のない迎撃体制を取ることが出来ることから、
10年度末までには、浜松基地(静岡県)のほか、中部・近畿、九州の両地域にも順次、配備する方針だそうです。
更に、海上自衛隊も米軍の電子偵察機RC135S(通称コブラボール)の新規導入を検討し始めています。

ちなみにMDシステムというのは発展途上の技術で、10発のうち5発くらいしか打ち落とせないものらしいです。
6月22日付のワシントン・ポストでペリー元米国防長官とカーター元国防次官補は、
「MDシステムは、北朝鮮のミサイルへの効果が証明されておらず、発射を待つのは危険だ」と語っています。

つまり、実際にはあまり役に立たない不完全なものを高額で売りつけられているのですね。
今回の件でアメリカは5兆円の売上げをあげています。また、7月8日付の読売新聞には下記のような記事が載っていました。

「SM3が発射直後から大気圏外に出た後までの迎撃を担当し、そこで撃ち漏らしたミサイルを、
地上に配備したPAC3が大気圏への再突入時以降に迎撃する仕組みとなっている。PAC3の防護範囲は、半径数十キロとされる」

≪守備範囲が数十キロということは、日本全国を防衛しようとしたら日本中MDシステムを配備しなければなりません。
日本はこの先、いくら支払い続けることになるのでしょう?

軍事産業からみれば、金正日はまさに史上最高のセールスマンといっても過言ではないのでしょうか?
ネオコンがイラクの脅威を捏造したように、安倍氏が軍需産業の利益の為に北朝鮮の脅威を煽っている可能性はないのでしょうか?
安倍氏と統一協会、統一協会と北朝鮮の関係、そしてその背後で蠢くCIAと軍産複合体との関係まで考えると、決してありえない話ではないと思うのですが・・・・。≫

小泉政権によって莫大な“国富”を失った日本人が、次なる政権で失うものは“命”になるのかもしれません。

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統一教会・KCIAと、勝共連合

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%9F%BA%E7%9D%A3%E6%95%99%E7%B5%B1%E4%B8%80%E7%A5%9E%E9%9C%8A%E5%8D%94%E4%BC%9A

1968年(昭和43年)、教団は、韓国と日本で「国際勝共連合」(通称「勝共連合」)という反共主義の政治団体を組織した。
共産主義をサタンの思想として神と人類の敵としている。
この教義が浸透している為、信者は、共産党とその“系列”と看做した団体や左寄りと見える人物を徹底的に攻撃する。

韓国においては、その直前には、後に教団ナンバー2となる朴普熈を初めとした、韓国軍の高級将校が入教していた。
その当時、「反共法」を制定し、北朝鮮を初めとする共産主義勢力との対決姿勢を取っていた朴正煕政権においては、
教団は強い庇護を受けたと言われ、統一教会(統一協会)系列の「統一産業」が韓国で小銃工場を建設する際、
文鮮明の側近、朴普熈が朴大統領と事業支援について話し合ったことや韓国の公務員教育が「国際勝共連合」で行われたことなどが報じられた。

各政権への資金提供やKCIA(韓国中央情報部、現・国家情報院)との関係があると言われて来た(教団は否定)。
また、後年には「世界平和統一家庭堂」や「世界平和統一家庭連合」の名で、政界進出を目指してきたが、
2007年8月、郭錠煥を総裁にして「家庭党」という政党を創設、
翌2008年4月の18代総選挙に比例代表に13人の候補とすべての地方区に候補を出したが、全員落選。
選挙法の規定により、比例代表候補を出した政党の場合、有效得票2%以上の政党得票を得ることが出来なかった為、政党登録を取り消された。

「勝共連合」を通じ、自民党内の韓国ロビー、台湾ロビーと見られる政治家と密接な関係があるとも言われ、
後には時の大蔵大臣・福田赳夫や安倍晋太郎などが来日公演に出席したり、同僚議員を「勝共連合」に繋げたりするなどして協力した。

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■もう一つの線、右翼の巨頭・頭山 満(玄洋社)―中村天風(国民心身改良実行統一協会)―松下幸之助(松下政経塾)へと受け継がれる血脈



【石瀧豊美「頭山 満と玄洋社―その封印された実像―」】


頭山 満 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%AD%E5%B1%B1%E6%BA%80

玄洋社 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E6%B4%8B%E7%A4%BE

「玄洋社(1881年~1946年)は、総帥・頭山 満ら旧福岡藩士を中心によって、1881年(明治14年)に結成されたアジア主義を抱く政治団体」

「玄洋社は、日本における民間の国家主義運動の草分け的存在であり、後の愛国主義団体や右翼団体に道を開いたとされる。
また教え子の内田良平の奨めで黒龍会顧問となると、頭山 満は、大陸浪人にも影響力を及ぼす右翼の巨頭・黒幕的存在と見られた。
しかし、その交友範囲には、中江兆民や吉野作造など民権運動家や、伊藤野枝などアナキストまでも含まれるなど、右翼・左翼の枠で捉えることは難しい。
また、犬養 毅・大隈重信・広田弘毅らを始めとして政界に広い人脈を持ち、実業家(鉱山経営者)でもあり、篤志家としての側面も持っていた」

「戦前、戦中期にかけて軍部・官僚・財閥、政界に強大な影響力を持ち、
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦そして第二次世界大戦と、日本の関わってきた数々の戦争において情報収集や裏工作に関係してきた。
またアジア主義の下に、中国の孫文や李氏朝鮮の金玉均をはじめ、当時欧米諸国の植民地下にあったイスラム指導者など、
アジア各国の独立運動家を強力に支援した」

「多くの玄洋社の運動家を輩出した福岡藩の藩校である修猷館は、現在は県立高校(福岡県立修猷館高等学校)となっており、
未だに大きな影響力を持っている。初の福岡県出身内閣総理大臣である広田弘毅や東方会を結成した中野正剛、
元自由党総裁・緒方竹虎(CIAエージェント)、自由民主党の山崎 拓なども修猷館の出身である」

「福陵新報」を1887年(明治20年)8月から発行した。これは1898年(明治31年)に「九州日報」と改題し、
更に、1942年(昭和17年)「福岡日日新聞」を合併して、「西日本新聞」となり現在に至っている」

頭山 満(玄洋社)―寺田 栄(玄洋社)―鳩山一郎・・・・寺田 栄(玄洋社)は、鳩山由紀夫総理の曾祖父にあたる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E6%A0%84

系図でみる近現代 第3回 鳩山由紀夫・邦夫 ブリヂストン・石橋家
http://episode.kingendaikeizu.net/3.htm

◇   ◇   ◇


近代史のファイル - 頭山 満と玄洋社―その封印された実像― 第1回 玄洋社とは何か
http://monokatari.jp/isitaki/file002.php?itemid=2912

近代史のファイル - 頭山 満と玄洋社―その封印された実像― 第2回 筑前勤王党の壊滅
http://monokatari.jp/isitaki/file002.php?itemid=2913

近代史のファイル - 頭山 満と玄洋社―その封印された実像― 第3回 西南戦争・福岡の変
http://monokatari.jp/isitaki/file002.php?itemid=2914

近代史のファイル - 頭山 満と玄洋社―その封印された実像― 第4回 玄洋社誕生す
http://monokatari.jp/isitaki/file002.php?itemid=2915

(以下、注釈≪≫を加え、引用転載)

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玄洋社は正確には福岡玄洋社と言う。福岡県内でも甘木には集志社があり、全国に同じような結社が多数存在していた。
玄洋社もそうした中の一つだ。
玄洋とは玄界灘を風雅に表現したもので、江戸時代の雅号にもその例があるから、ごくふつうに思いつく名称である。
ところが、ある人は「玄洋」と付けたからには、玄界灘を越えて、大陸に雄飛しようとする侵略的な意図が込められていたはずだとする。
こんなのは暴論に近い。結社名に郷土の山川の名を付けた例は他にもある。

玄洋社の歴史にはまだまだわからないことが多いが、成立年をめぐっても異説がある。
歴史年表の類は、玄洋社は1881年(明治14年)2月に結成されたとする。これは大正時代に書かれた『玄洋社社史』に基づいている。
ところが、1880年12月の新聞記事に玄洋社演説会が見えるから、その時点で玄洋社は間違いなく存在していた。

戦前に発行されていた玄洋社の機関紙「玄洋」には、1880年5月13日付の「玄洋社設置届」があり、
5月1日制定の玄洋社憲則が添付されている。私は1879年12月成立説を提示したが、今のところ、直接それを証明する史料を見出し得ない。
それで、だれもが認めることの出来るのは、1880年5月、玄洋社は結成を届け出たということだろう。

玄洋社憲則は、次の三条である(三条としたのは、中国で言う法三章に相当しよう)。

  第一条 皇室ヲ敬戴ス可シ
  第二条 本国ヲ愛重ス可シ
  第三条 人民ノ主権ヲ固守ス可シ

『玄洋社社史』では最後の「主権」が「権利」となっている。
これは、「主権」のままでは天皇の大権を冒すという発想から、後に「権利」に改ざんされたのだろうと想像される。
皇室・本国・人民という順序になっているから、やはり民権より国権を優先しているではないか、という見解もある。
しかし、当時、皇室や国家を先に置き、人民を後回しにするのはごく普通に見られたことで、玄洋社に特徴的なことではない。

玄洋社の結成は、自由民権運動からの離脱を意味したと『玄洋社社史』は言う。
「遂にさきの民権論を捨つる弊履(へいり、ボロ草履のこと)の如くなりしなり」と。

しかし、1879年もしくは1880年に玄洋社が結成されたとすると、それは自由民権運動の高揚の最中であり、その見方は当たらない。
事実は、玄洋社は自由民権運動の結社として誕生したのであり、しかも、福岡県の自由民権運動は全国的にも有力な一翼を担っていた。
それに比肩出来るのは、高知立志社だけだった。

頭山 満は、後に「我が福岡は憲政発祥の地である」と述べているが、玄洋社が先駆けたという自負を込めての言葉である。
≪西南戦争の敗北の中から生まれたのが玄洋社だった。
玄洋社の三傑、平岡浩太郎・箱田六輔・頭山 満はいずれも士族反乱に加わり、下獄した経験を持っていた。
今振り返って痛感するのは、彼らが直面したのは、西郷か板垣か、武力か言論か、反乱か民権かという二者択一ではなかったということである。
彼らは反乱も民権もという立場に立っていた。≫

要するに反政府(打倒藩閥)という一点で統一が保たれていたのである。
≪武力か言論かは、その時々の戦術の問題でしかなかった。もはや反乱が通じないことがわかったから、民権へと向かったのである。≫

玄洋社を含めて自由民権運動があったという意図を込めて、
私は自分の著書『玄洋社発掘』に、「もうひとつの自由民権」と副題を付けた。

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近代史のファイル - 頭山 満と玄洋社―その封印された実像― 第5回 辛亥革命を支援
http://monokatari.jp/isitaki/file002.php?itemid=2916

近代史のファイル - 頭山 満と玄洋社―その封印された実像― 第6回 日韓合邦と韓国併合
http://monokatari.jp/isitaki/file002.php?itemid=2917

(以下、注釈≪≫を加え、一部抜粋し引用転載)

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略~

≪玄洋社の歴史を考える上で、韓国併合は避けて通れないテーマだ。彼らは、自分たちの理想を「日韓合邦」と表現する。≫
そして、現実の「韓国併合」に対して、内田は「日本民間の有志として朝鮮民族の為にイクラ謝罪しても謝罪し切れない」とまで言うのである。

朝鮮側で韓国併合を推進したのが、一進会の李容九。
内田が病床の李容九を見舞うと、内田の手を握り、「我々は馬鹿でしたね、騙されましたよ」と涙を流す。
内田良平や李容九からすると、韓国併合は日本政府に騙された、官僚や軍人に裏切られたということになる。

いったいこれは何なのだろう。
内田は「日韓合邦・・・・は、東洋の平和、精神文化建設の為に日本民族が大陸に一歩を踏出した、その第一礎石である」と言うから、
現代人の目には、侵略的な言辞と映る。
にもかかわらず、合邦は日本が朝鮮を植民地化することとは違う、とされる。

≪要するに、彼らは二十世紀的な「国民国家」とは異なる国家像を前提にしていたのだ。
現代史を正確に理解するには、思想的なレベルでその違和を解きほぐす努力が必要だと感じる。≫

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近代史のファイル - 頭山 満と玄洋社―その封印された実像― 第7回 思想の寛容 【完】
http://monokatari.jp/isitaki/file002.php?itemid=2918

(以下、注釈≪≫を加え、一部抜粋し引用転載)

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玄洋社員は私の作成した名簿では約六百名に及ぶ。元総理広田弘毅の名も勿論ある。職業は様々。
その全体を右翼という言葉で括るには無理がある。ましてや、外国人にそう映っていたように秘密結社などであったはずがない。

≪玄洋社は政治結社と言うより、もっと緩やかな結合であった。
一部には、思想的に先鋭な部分を含みながら、すそ野では思想のハードルは低かった。その意味でも、郷党的結合と言った方がぴったりくる。≫

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中国と鳩山一族、歴史から関係を学ぶ - livedoor ニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/4359641/

(以下、注釈≪≫を加え、一部抜粋し引用転載)

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また、本題の中国の関係では、中国紙が伝える鳩山一族と中国の関係が、
なんと幕末の武士、鳩山和夫と清国の関係にまで遡ることが紹介された。その内容をかいつまんでご紹介する。

鳩山和夫は外務省局長だったが、1886年の長崎事件での調停が非常に評価され、当時の清国政府から叙勲されている。
1905年に衆議院議長、早稲田大学総長となり、清国学生部に762人の中国人留学生を受け入れている。55歳で没。

和夫の長男の鳩山一郎は政友会にいて、
党総務部長として張学良と停戦工作中に、張学良から多額のカネをもらっていることが後に柳条湖事件の調査途上で発覚。
1931年の犬養内閣、斎藤内閣で文部大臣となり、滝川事件で左翼勢力弾圧を行う。しかし、戦時中は東条や軍部と対立。

戦後、連合国軍総司令部(GHQ)により公職追放となった。1954年に追放解除、首相となる。
吉田内閣の米国依存を批判し、中国を特別重視する政策に転換。石橋湛山とともに、日中民間貿易協定の枠組みを作る。

尚、鳩山一郎夫人の薫の父は寺田 栄。寺田は判事や衆議院書記長を歴任したが「大アジア主義」で知られる玄洋社の財政担当幹部。
孫文の中国革命を支援。孫文は玄洋社に感謝の意を表明している。

一郎の長男・鳩山威一郎は、1974年に日本友愛青年協会会長。母の薫はその前の会長だった。
同会は日中友好協会と交流を深めており、共同で親善訪中団を作り中国に行っている。

1981年には、中国からの研修生を初めて受け入れ、82年には代表団長として訪中し、日中国交正常化10周年記念式典に参加。
84年には、胡耀邦の三千人日本青年訪中計画に協力し、日本で組織活動を行う。威一郎の夫人、安子の父は石橋正二郎(ブリジストン)。
尚、ブリジストンは中国に4つの生産基地を持つ。

由紀夫自身は、日中友好議員連盟副会長。訪中は数知れない。夫人の幸は上海生まれ。邦夫は、東京都日中友好協会副会長。
また、岡田克也外相は母方の祖母、高田ちえの実家が孫文の支援者。小沢一郎も、李克強と個人的に交流がある。

しかし、この最後のほうにある岡田外相の母方の祖母の話までが調べられ、新聞に載っている、というのは日本の新聞も驚きの調査能力ではないだろうか。
中国革命当時は日本の各地、特に東京が多かったが、孫文を支援した、という日本人は少なくなく、
また日本のあちこちに孫文にまつわる碑などが残っている。
日本は表舞台でも、裏舞台でも、実は深く中国革命にかかわっている国であることを、この鳩山家の周辺情報からも知ることが出来る。

鳩山家の歴史を見ると、まさに日本と中国の関係をそのまま絵に描いたような家系である。
現在、EU(欧州統合)、NAFTA(米国中心の経済統合)、に続き次はアジア中心のFTAの番である。
日本の外交が米国中心から中国中心、そして恐らくは極近いうちにアジアFTAに繋がるであろう「大アジア主義」へと再び向かわざるを得ない以上、
鳩山氏の首相就任は必然であった、とさえ思えてくる。

鳩山という家系は中国革命以前からの中国とも深いかかわりを持つというだけではなく、
日本と中国との交渉窓口としての大きな役割を担った家系でもある、ということがよくわかる。

逆に言えば、米スタンフォード大学で博士号を取得したとはいえ、数理経済学者の立場から、米国中心のグローバリズム批判を行ったことがある、
首相となった鳩山を米国が警戒するのもよくわかる。
実際、今回の講演での話では、
何か重要な外交政策決定などがあるときは、その前に必ず鳩山氏は中国を訪れることが多かったというエピソードも語られていた。

中国と日本。これはこれからの日本の外交の中心とならざるを得ないだろう。今回の日中協会の「日中クラブ」ではそんなことを感じた。【了】

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「日本の敗戦後、政権奪取目前の鳩山一郎が公職追放となった原因は岳父である寺田 栄が玄洋社の社員であったことも一因と思われる」
http://uraji.paslog.jp/article/1190317.html

ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 鳩山由紀夫の説く、「友愛政治」の歴史的背景
http://amesei.exblog.jp/9737659/

「略~調べだすとキリがないのだが、フリーメーソンだった事ばかり強調されるが、
一郎氏は、愛国団体「玄洋社」出身の衆議院議員秘書課長寺田 栄の長女・寺田 薫と結婚したのを見ても北進派である事は間違いない。
有名な滝川事件で天皇派閥の親英統制派に対抗していただけに、バリバリのアジア共同体派閥だったのである」
http://sibanokuni.exblog.jp/12475837/

鳩山和夫 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A9%E5%B1%B1%E5%92%8C%E5%A4%AB

鳩山一郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A9%E5%B1%B1%E4%B8%80%E9%83%8E

「断っておかねばならぬのは、鳩山姓は古来からある近衛姓の様な名門の姓氏ではない。
姓氏家系大辞典を紐解くと「下総国香取郡に鳩山邑あり。明治の名士に鳩山和夫あり」とある。いうなら明治以降の新興名士の扱いを受けている。

戦前・戦後を通じて健筆をふるった松本幸輝久さんという政治ジャーナリストがいた。この人の鳩山一族論は、実にユニークで核心を突いていた。
松本さんは、曾祖父の鳩山和夫氏をみていると鳩山一族のことがよく分かると言っていた。
女性が優位に立つ鳩山家というのも松本さんの見立てであった。

鳩山和夫氏の妻は春子さん。明治四年に東京女学校に入学して、英語を学んだチャキチャキの才女で、
明治19年には共立女子職業学校(現在の共立女子大学)を創立した女傑。
政治力も抜群で、明治の女流教育家のナンバーワンといわれている。

学者肌の和夫氏は元々長男の一郎氏を政治家にすることには執心していなかったという。
それが政治家になったのは、むしろ母・春子さんの影響に負うところが大きかった。
一郎氏が春子さんのお腹の中にいた時に「この子をえらい政治家に育てよう」と春子さんが胎教を施したエピソードが伝わっている。

その鳩山一郎氏の妻は薫さん。内閣書記官長・貴族院議員だった寺田 栄氏の娘だが、
義母の春子さんの跡を継いで共立女子学園の校長になっている。薫さんは明治36年に東京麹町の女子学院英語科に入学している。
明治41年に鳩山一郎氏と結婚。昭和57年に93歳で没した」

http://plaza.rakuten.co.jp/yamanoha/diary/20090905/




【「天風会(国民心身改良実行統一協会)」の創始者、中村天風について】

参考資料
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/funk/WhoisT.htm

http://plaza.rakuten.co.jp/tetsuroad/diary/200902260000/

http://blog.kajika.net/?eid=800076

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%A4%A9%E9%A2%A8

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1876年(明治9年)7月30日、
東京府豊島郡王子村(現在の東京都北区王子)にて、大蔵省紙幣寮の抄紙局長、中村祐興と母テウの三男として生まれる。
(一方で、実父は立花鑑寛であり、その関係で戸籍上は、明治15年7月30日生まれとなっているとの推測もある)
本名は、中村三郎。
父の中村祐興は、旧柳川藩主の立花家(華族)に生まれ、中村家の養子となっている。若くして長崎に遊学し、そこで福沢諭吉と知り合っている。
幕末に横浜で発刊された「海外新聞」を二年間購読していたたった二人の人物が、福沢諭吉と中村祐興であった。

1889年(明治22年)、
13歳の時、乱暴で喧嘩が絶えない問題児だった為、本郷湯島小学校を卒業すると直ぐ、父の郷里である福岡県福岡市の親戚の家に預けられ、
福岡の名門校、県立尋常中学修猷館(現・修猷館高校)に入学させられる。
家伝の随変流の剣術と居合も修行した。
幼少期より官舎の近くに住んでいた英国人に語学を習い、修猷館ではオール英語の授業を行っていたため語学に堪能になる。

柔道部のエースとして文武両道の活躍をするが、
練習試合に惨敗した熊本済々黌生に闇討ちされ、その復讐を行う過程で相手を刺殺(ただし正当防衛は認められた)、修猷館を退学になる。

1892年(明治25年)、
≪16歳の時、修猷館中学を退学になった後、親族の紹介で政治結社「玄洋社」を設立した頭山 満のもとへ預けられる。≫
頭山 満の紹介で、軍事探偵・河野金吉の鞄持ちとして、陸軍の軍事探偵(特殊工作員)となり、満州へ赴く。金州城、九連城偵察を行う。

1902年(明治35年)、10月2日から1906年(明治39年)3月までの三年五ヶ月間、
参謀本部諜報部員(藤村義雄)となり、特殊訓練を受けたのち満州に潜入する。1903年(明治36年)には、ハルピン方面を担当する。
(相棒は橋爪)

1904年(明治37年)、28歳の時、日露戦争勃発。軍事探偵として目覚ましい活躍をし、「人斬り天風」と呼ばれた。
この間、コザック騎兵に捕えられ銃殺寸前、相棒の投じた手榴弾の爆発により吹き飛ばされ九死に一生を得る。

1905年(明治38年)、戦争が終わり帰国する。選抜され、大陸に放たれた113人の軍事探偵のうち帰還した者は、僅か9名に過ぎなかった。
この頃、根津嘉一郎氏に乞われ、同氏が会長を務める大日本製粉(のちに日清製粉と合併)の経営に携わる。

1906年(明治39年)、
日露戦争後30歳の時、陸軍の高等通訳官の任務につくが、その三ヶ月後、突然息詰まるように大量に血を吐く。
奔馬性肺結核と診断される。奔馬性肺結核は馬が疾走するように速く病状が進む肺結核で、当時、的確な治療薬はなく死の恐怖に襲われる。
当時、細菌に関する最高権威といわれた北里柴三郎博士の指導を受けるが病は好転せず、医学、宗教、哲学、心理学の書を読み漁る。

1909年(明治42年)、
スエッド・マーデンの著書『いかにして希望を達し得るか How to get what you want?』に感銘し、
病を隠し、シナ人と偽ってアメリカへ密航する。スエッド・マーデンに会うものの得るものはなかった。
その後、シナ人の孫・逸郎として、自らの病の原因を尋ねたコロンビア大学で、医学を修め、自律神経系の研究を行ったとされる。

哲学者・有名識者を尋ねて、今度はヨーロッパへと渡る。
先ずイギリスに渡り、ロンドンで、H.アデントン・ブリュース博士の講座「精神活動と神経系統」に参加。
そこから今度はフランスへ行き、オペラ界の大女優サラ・ベルナールの家に居候し、サラ・ベルナール女史の紹介で、リヨン大学のリンドラー博士に会う。
更に、サラ女史の紹介でドイツに行き、哲学者ハンス・ドリュース博士に会う。
各界の著名人に会う機会を得るが、いずれも納得の行く答えを得ることが出来なかった。

1911年(明治44年)、
35歳、求める答えは得られず、死期の迫るのを感じ、死ぬならば故国でと思い、5月、マルセイユで乗船して帰国の途につく。
スエズ運河が、イタリア砲艦座礁の為通行不能となり、一時上陸したエジプトのカイロで、偶然にもヨガ哲学の聖者カリアッパ師と邂逅。
そのまま弟子入りし、カリアッパ師に導かれて、ヒマラヤ第三の高峰カンチェンジュンガ山麓のゴーグ村に入り、ヨーガ哲学の行の指導を受ける。
二年数ヶ月の修行で結核は治り、悟りを得て、カリアッパ師より帰国の許しを得る。

1913年(大正2年)、日本へ帰国途上、中国上海にて竹馬の友で当時の支那大使であった山座圓次郎氏に会い、
孫文の第2次辛亥革命に「中華民国最高政務顧問」として協力、北京の紫禁城に入るも革命は挫折。中国で謝礼として財産を得た。
そして帰国。
帰国後、時事新報社に勤め、後、東京実業貯蔵銀行の頭取や、伊豆電灯株式会社の取締役社長などを歴任、
他にも、いくつかの会社の経営に携わるなど、実業界で活躍する。

1919年(大正8年)6月8日、43歳の時、
突然感じるところがあり、一切の社会的身分、財産を処分し、単身「国民心身改良実行統一協会」を創設。
毎日、上野公園や芝公園の路傍に立ち、心身統一法の辻説法を始める。
「国民心身改良実行統一協会」という名称は、直ぐに「統一哲医学会」と改称された。(注.1)

同年9月、平壌控訴院検事長の向井 巌に見出され、同氏の紹介で総理大臣、原 敬に会う。
原をして「この人は大道で講演させておく人ではない」と言わしめた。
この頃、東郷平八郎(海軍元帥)、杉浦重剛(儒学者)、石川素童(鶴見総持寺禅師)、原 敬(首相)をはじめ、
政界・財界の有力者が数多く入会するようになり、会は発展していく。

1924年(大正13年)、48歳、
この頃の受講者には、尾崎行雄(元法相)、後藤新平(内相)、浅野総一郎(浅野セメント創業者)など、錚々たる人物が名を連ねている。
山本五十六(海軍元帥)、三島徳七(文化勲章受賞、東大名誉教授)、双葉山定次(横綱)等、
有名な人も多く、皇族、芸術家、科学者、実業家から学生まで、あらゆる階層の人にわたっている。

1940年(昭和15年)、64歳の時、「統一哲医学会」を「天風会」に改称。終戦に至るまで活動を全国的に展開する。

1945年(昭和20年)3月、特別強制疎開命令の下に本郷丸山福山町の邸宅と道場が取り壊され、茨城県布川町に疎開する。
この時、69歳。

1946年(昭和21年)10月、虎の門ビルにて戦後初めての講習会が開かれる。

1947年(昭和22年)、71歳の時、
真人生の探究を発刊。研心抄(昭和23年)、錬身抄(昭和24年)と続く。

また同年10月、
アイケルバーガー中将の要請により、GHQ幹部役250名を対象としたヨガ哲学のレクチャーを有楽町にあった毎日新聞ホールで三日間開催する。
たまたま来日中で同席していたロックフェラー3世に非常な感動を与える。
以来、ロックフェラー3世より繰り返しアメリカに招聘されるが、「世界の平和の光は日本から」の信念によりこれに応じなかった。
これ以降、再び活動を全国的に展開するようになる。

1962年(昭和37年)、86歳。国から公益性を認められ、「財団法人天風会」となる。

1968年(昭和43年)、4月、護国寺内に天風会館落成。8月、最後となる夏期修練会に参加。
12月1日、死去。享年92歳。墓所は、東京音羽護国寺内。

◇   ◇   ◇


(注.1)
統一教会の教団設立は、1954年(昭和29年)であり、文鮮明が34歳の時である。
尚、文鮮明は、21歳の時、つまり、1941年(昭和16年)、日本へ留学しており、「創氏改名」制度を利用して、「江本」という日本姓を名乗り、
江本龍明として、淀橋区戸塚町の三橋宅に下宿しながら、早稲田大学附属の早稲田高等工学校電気工学科に籍を置いていた。
その間、様々な活動をしていたが、
1943年(昭和18年)9月、戦争が激化、早稲田高等工学校を半年短縮して卒業。2年半にわたる日本留学を終え、10月に朝鮮に帰国している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E9%AE%AE%E6%98%8E

http://c-tokyo.ddo.jp/

細川隆一郎(細川護熙元総理と遠戚、鳩山由紀夫総理とも親交が深かった)―統一教会・勝共連合---早稲田大学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E9%9A%86%E4%B8%80%E9%83%8E

世耕弘成(祖父は世耕弘一※、自民党のゲッベルス、清和会)―早稲田大学---原理研究会?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E8%80%95%E5%BC%98%E6%88%90

※世耕弘一は、特捜部(旧・隠匿退蔵物資事件捜査部)が創設される口実となった隠退蔵物資事件を暴露した張本人である。

W-CARP:原理研究会(統一協会の青年団体)
http://blogs.yahoo.co.jp/zainichi_busters/14807645.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%90%86%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A

財団法人「天風会」公式サイト - 本部事務局、全国16箇所にある賛助会
http://www.tempukai.or.jp/web/top.html

天風門下の主な人々とその著書
http://www.1sikaku.biz/tempu_nakamura/tm40.html


【「jyunku」さんという方のブログ、日記に見る戦前の中村天風】

http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20100203

(以下、引用転載)

中村天風関係の本は経営書のコーナーに置かれているので、もはや霊術家というイメージはない。
しかし、あの霊界廓清同志会『破邪顕正 霊術と霊術家』(昭和3年6月)では、太霊道主元の田中守平を抑えてトップに紹介されている。
同書は、統一哲医学会の中村天風を、
「霊界新人の第一人者、又稀に観る雄弁家で、上流階級に信任ある同君の右に出づる者なし」とべた褒めである。

戦前の天風について言及した日記を見てみよう。斎藤隆夫日記には、

「大正10年(1921年)9月2日 午后永楽倶楽部に至り、遊ぶ。夜同所に於て、中村天風の統一正観法講演及実験あり。
9月7日 大弓倶楽部に至り、一寸公園の統一哲医学会に寄り、帰宅す」

天風は、大正8年(1919年)に「国民心身改良実行統一協会」を創立し、直ぐに「統一哲医学会」と改称しているので、まだ創立間もない頃の話である。
更に昭和15年(1940年)、「統一哲医学会」を「天風会」と改称している。
また、戦時下になるが、笹川良一の日記にも顔を出している。

「昭和17年(1942年)1月23日 中村天風君に招待。牛込の吉野屋へ。来る者三国少将、□□大佐、三田 亨」

三国少将は、三国直福陸軍省調査部長。天風の人脈も広範囲に渡っている。

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※Roentgenium:「天風会」―「松下政経塾」の繋がりは、松下幸之助自身が、中村天風の薫陶を受けている人物というところからです。
同じく松下政経塾とかかわりの深い「稲盛財団」の稲盛和夫もまたその一人です。


■松下幸之助、松下政経塾の真の目的とは何か


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【「湯けむり力」さんという方のブログより、一部抜粋し以下、引用転載】

http://plaza.rakuten.co.jp/yukemuririkisan/diary/200907110000/

松下幸之助は、日清戦争が始まった1894年(明治29年)、和歌山県海草郡和佐村(現在の和歌山市)で生まれた。
八人兄弟の三男で末っ子だった。元々家は裕福な地主だったが、1899年(明治32年)当時よくあるパターンで、父が米相場で失敗した。
小学校を4年でやめ、わずか9歳で大阪へ丁稚奉公に出ることになった。

その時、1904年(明治37年)11月23日、
「紀ノ川駅のホームで汽車に乗り込むまで、涙を浮かべて、
「からだに気をつけて先方のご主人にかわいがってもらうんやで」と手を握りながら念じるように言い聞かせてくれた母の手の温もりと、
ずっと私が見えなくなるまでホームで見送ってくれた母の姿は、生涯私の心にしみじみ脈々と生き続けている」と後に幸之助は語っている。

大阪に借家住まいで一緒に住み始めた時、「実業こそがお前の進むべき道だ」とアドバイスしてくれた父、松下政楠氏は、
ふとした病がもとで松下幸之助が11歳の時、1906年(明治39年9月)享年51歳で急逝、
母、松下とく枝さんは、その七年後、幸之助が18歳のとき亡くなっている。七人いた兄姉も彼が20代の頃には、皆、亡くなっている。

最後まで一緒にいて松下家の為にも結婚を急ぐよう諭してくれた、長姉も亡くなっている。原因は、多くが結核で、自身も体が弱くよく風邪を引いた。
実際、彼は若くして人一倍仕事熱心だったこともあり、肺尖カタル(結核の初期症状)を病んでいる。
松下家には親戚はなく、若くして天涯孤独の身になってしまった。
結婚後には一男一女を授かったが、1927年(昭和2年)幸之助32歳の時、幼い一人息子を生まれて半年足らずで病気で亡くした。

更に創業以来、共に苦労をして事業拡大した松下電器具製作所だったが、
戦後、妻の弟・井植歳雄が袂を分かち、三洋電機を創業したことも原因となってか、妻(旧姓・井植むめの)との不仲も、半ば公然の秘密だったが、
晩年になって「すまなんだ、と反省しているんですわ。この年になって初めて妻の苦労がわかった」と語っている。

ところで、商都大阪に出てきた幸之助氏は、大阪市南区八幡筋(現在の中央区西心斎橋二丁目)の宮田火鉢店が三ヶ月でたたまれた為、
親方の紹介で、船場堺筋淡路町(現在の中央区淡路町二丁目)の五代自転車店(五年四ヶ月)で奉公した。

その後、1918年(大正7年)に23歳で、町工場松下電器具製作所を創業、
妻むめのと義弟の井植歳雄(戦後、三洋電機創業)の三人で苦労しながら、ソケットなどを製造販売した。

それから二十数年、順調に事業拡大を続けたが、初めて打撃となったのが第二次世界大戦だった。戦時中木造船や木造飛行機の生産に乗り出した。
軍部の圧力による協力が仇となり、代金は入金されず、戦前には2000万円(現在の2000億円にも相当)あった個人資産が戦後になって、
銀行からの借入金700万円だけが残った。

さらに戦後の一時期GHQから「財閥家族」「公職追放」などの指定を受け、物品税も納められず、世間からは「滞納王」と蔑まれるという苦い経験をしている。
≪これも松下政経塾を設立した大きな理由になっている。≫

幸之助は、財団法人「松下政経塾」を1979年(昭和54年)6月21日に設立、1980年(昭和55年)4月1日開塾した。
吉田松陰先生の「松下村塾(しょうかそんじゅく)」の昭和版として、
当時「経営の神様」と謳われた、松下電器産業株式会社代表取締役社長の松下幸之助によって、
私財70億円(20億円が建築費、残りの50億円が運営基金)を投じ、
神奈川県茅ケ崎市汐見台5番地25号(旧「ナショナル学園」松下電器の販売研修所跡地)に設立された。

ここは、富士を望むことが出来、天下国家を語るにはもってこいの場所、政治の中心である東京にも一時間という立地条件で選ばれた。
敷地は6000坪以上、塾舎だけで2000坪に及び、塾内には、最大で150名の塾生が生活出来る寮に加え、
職員用の家屋、食堂、幸之助用の茶室、日本庭園、テニスコートがある。
しかし、これだけの施設を実際にはあまり使っていない。欧米のビジネススクールというより、学問の研究施設を連想させる。
頭だけの政治家、経営者を養成するところではなく、海外へ出かけて研修したり、行動力も養っていくことだった。

~中略~

創立当初、数年間の顔ぶれは(以下、敬称略)、
理事長(塾長)に松下幸之助、副理事長(副塾長)に丹羽正二(松下電工会長)、宮田義二(鉄鋼労連会長・金属労連議長)。
顧問は、茅 誠司(元東大総長)、芦原義重(関経連名誉会長)、佐伯 勇(近鉄会長)、奥田 東(元京大総長)。
相談役は、堀田庄三(住友銀行相談役)。

常務理事に、久門 泰(政経塾常勤)、緒方 彰(元NHK解説委員)、牛尾治朗(ウシオ電機会長)。
理事は、中山素平(日興銀特別顧問)、日向方斉(住友金属会長)、大来佐武郎(外務省顧問)、横井克己(裏千家常任顧問)、
塚本幸一(ワコール会長・社長)、千宗室(茶道裏千家家元)、草柳大蔵(評論家)、曾野綾子(作家)、香山健一(学習院大教授)、
高坂正堯(京大教授)。

そして監事に、新井正明(京大教授)、後藤精一(三洋電機相談役)、高木文雄(弁護士・横浜みなとみらい21社長)。
評議員に、浅利慶太(劇団「四季」代表)、内田健三(法大教授)、稲森和夫(京セラ会長)、江戸英雄(三井不動産会長)、
小川 鍛(松下電器客員)、加藤 寛(慶大教授)、上坂冬子(評論家)、唐津 一(東海大教授)、渋沢雅英(MRAハウス代表理事)、
宗 左近(法大教授)、鶴田三雄(松下電器顧問)、長洲一二(神奈川県知事)、樋野正二(松下電器客員)、林健太郎(参議院議員)、
松園尚巳(ヤクルト社長)、宮城まり子(ねむの木学園長)、森 政弘(東工大教授)。

特別参与は、北村 武(朝日ホスピテル代表相談役)。参与には、江口克彦(PHP研究所専務)。

一方、講師陣は、政経塾には常勤の講師はいない。しかし、必要に応じて駆けつけてくれる特別講師に、
安岡正篤(全国師友協会会長)、井深 大(ソニー名誉会長)、大山康晴(将棋連盟会長)、小松左京(作家)、
小山五郎(三井銀行相談役)、堺屋太一(作家)、下河辺淳(総合研究開発機構理事長)、高畑敬一(松下電器取締役)、
立花大亀(大徳寺最高顧問)、堤 義明(西武鉄道社長)、永田敬生(日立造船取締役相談役)、中村俊男(三菱銀行会長)、
長谷川周重(住友化学相談役)、山田無文(前妙心寺管長)、山本七平(山本書店店主)。

客員講師に、会田雄二(京大名誉教授)、エズラ・F・ヴォーゲル(ハーバード大教授)、ジョン・K・ガルプレイス(ハーバード大名誉教授)、
林 修三(元内閣法制局長官)、飯田経夫(名大教授)、片岡寛光(早大教授)、木村尚三郎(東大教授)、木村治美(エッセイスト)、
公文俊平(東大教授)、小池和男(京大教授)、佐藤誠三郎(東大教授)、佐藤隆三(ニューヨーク大教授)、外山滋比古(お茶の水女子大教授)、
中根千枝(東大教授)、西尾幹二(電気通信大教授)、花井等(筑波大教授)、矢野暢(京大教授)、渡部昇一(上智大教授)、
石井英夫(慶大教授)、梅棹忠夫(国立民族学博物館長)という爽々たる各界有識者を揃えた。

政経塾の設立後、幸之助が京都東山山麓に所有していた別邸「真々庵」
(真々庵は2000坪の広さがあり、庭園は明治期を代表する庭師・小川治兵衛の作で、京都府から文化財に指定)を等価交換で手放している。

更に、文部省(当時)から要請もあり、松下グループが1980年から1987年までの七年分割で50億円を出資した。
これで合計100億円で財団を運営することになった。

~中略~

幸之助氏にとっては、「いくら商売で成果を上げても、政治がコケれば社会全体が悪くなる」ことが証明された経験から、
政治家に任せているだけではダメだと考えるようになり、「右手にそろばん、左手に政治」ということを言い始めた。
更に、国民が政治に関心を持つようPHPで啓蒙活動を始めた。
以降30年以上もそのような啓蒙活動を続けたが、晩年になっても、日本の政治は幸之助の願う方向に進まなかった。

若い頃、1925年(大正14年)町内会の有志に推され、大阪市の連合区議会議員選挙で2位当選を果たし、
大阪市区会議員の経験もある幸之助に、中曽根康弘首相(当時)から自民党公認で国政にと要請されたが、年齢を理由に断った。

そこで新しい若いリーダーを育てる為、21世紀の日本を良くしていこうとする有為の青年を募る為、
「松下政経塾」という優れた為政者の育成の為、「政治家養成機関の設立」という結論に達した。

~略


◇   ◇   ◇


「法的には財団法人格を持ち、学校の扱いではない。又、長州の松下村塾(しょうかそんじゅく)に因んだネーミングと思われ易いが、
松下の読みは「しょうか」ではなく、幸之助の苗字そのものである「まつした」となっており、松下村塾とは異なる由来である」

「所在地は、神奈川県茅ヶ崎市汐見台5番25号。在日米海軍辻堂演習場の跡地であり、更に古くは、横須賀海軍砲術学校辻堂演習場、
相州炮術調練場だった場所である。茅ヶ崎の本部の他に、六本木に東京事務所及び政経研究所を持つ」

「松下政経塾の理念は、真に国民と国家を愛し、政治・経営の理念を探求し人類の繁栄幸福と世界平和への貢献」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E6%94%BF%E7%B5%8C%E5%A1%BE


【『松下政経塾とは何か』出井康博 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇 以下、一部抜粋し、引用転載】

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1163.html

松下政経塾というのは、松下幸之助が1979年(昭和54年)に設立した、財団法人松下政経塾のことで、
世界でも珍しい政治家養成の為の私塾である。

松下幸之助の晩年の宿願を象徴する塾で、自身が70億円の私財を、松下グループが七年間にわたってさらに50億円を拠出した。
中間法人連志連衆會が「連塾」の参加費を含めて、毎年数百万円ほどの会費で賄われていることを思えば、べらぼうのスケールだ。

しかも、募集人数は年間1期で30名。特定少数といえば、これほど贅沢な特定少数はない。
該当者も当初は25歳以下で(現在は22歳から35歳まで)、大学卒業者あるいは大学院在学者、または3年以上の社会人経験者にのみ門戸を開いた。

研修期間は5年(現在は3年)、全寮制である。
全員が起居をともにする。研修費も月額13万円以上が、3年以上は15万円以上が支給された(現在は1年生が20万円、2年以上が25万円)。
これは当時の松下電器の初任給に匹敵した。加えて年に2回の特別研修資金というボーナスも用意されていた。

が、これだけ贅沢な措置でスタートしたものでありながら、1980年に開塾した第1期の23名を除いて、その後は一度も定員には達しなかった。
その一方で、国政の政治家や地方の知事や市長になった、松下政経塾出身者は30人を超えている。

民主党が多いが、なかには前原誠司のように、党の代表になった者もいる。
松沢成文・神奈川県知事(3期生)、中田 宏・横浜市長(10期生)、山田 宏・東京杉並区長(2期生)も、松下政経塾出身である。

松下幸之助は樽床の期の面接の最後に出てきて、やおら「君は悪が出来るのか?」と訊いたという。

何故、松下幸之助はこういうものを作ったのか?何故、こんなにお金をかけたのか?
よく知られているように、松下幸之助は早くからPHP研究所を作っている。
PHPは、“繁栄によって平和と幸福を”の略で、松下幸之助の苦汁の体験から生まれたキーコンセプトだった。
そのPHPから「PHP出版社」と、「松下政経塾」が生まれた。

~中略~

いったい何故、細川新党(日本新党)と松下政経塾が関係しているのか?政経塾の幹部も、世間も、訝しく感じた。
これには少々、説明がいる。

松下政経塾は、政治家養成の為の塾ではあるものの、ある時期から松下幸之助は、あまりに政治家が育っていかないことに業を煮やし、
新党をつくる覚悟になっていた。
そして、88歳の時、側近の江口克彦に、「政経塾では間に合わんかもしれんな」と言っている。

それが1982年(昭和57年)のことで、日本は鈴木善幸内閣の時期であり、国の財政は、10兆円の赤字を抱えていた。
この側近に漏らした一言をきっかけに、1982年の10月、新党の為の綱領試案が内々に纏められた。
「日本国民大衆党」という冴えない党名も記されていた。

試案の中身は、「無税国家の理念」、「政治の生産性の向上」、「日本的民主主義の確立」、「多様な人間教育」をモットーに、
「所得税一律五割減税」、「建設国債の発行」、「新国土創成事業の立ち上げ」、「国際社会への寄与」などといった当り障りのないものになっている。

無税国家というのが、いかにも松下幸之助らしいところだが、その対策が練られていたわけではなかった。
新党構想は極秘であった。
だが、そういう気配は隠せば隠すほど伝わるものだ。血気にはやる塾生達には、噂を聞いて何かをしたくなっていた者がいた。
血気にはやる塾生に、山田 宏(2期生)という男がいた。

~中略~

山田 宏は、やがて「潮流の会」というものを立ち上げて、有志塾生だけで新たな動きをしようという機運をつくる。
長浜博行、神蔵孝之、海老根靖典(藤沢市議)、本間正人(NPO法人代表)らが集った。

松下本体から出向していた政経塾の職員幹部は、こうした分派活動を好まない。
松下幸之助の新党構想は、あくまで極秘であったし、塾生には一人一人が政治家になってもらいたい。政経塾は政党ではない。

こうして山田 宏らの動きが意気消沈してきた頃(山田は自民党の熊谷弘の秘書に、海老根は自民党の志賀節の秘書になっていた)、
例の幸之助新党構想の噂が漏れ始めたのである。

1985年以降(昭和60年代)は、中曽根体制から、安倍晋太郎・竹下 登・宮沢喜一という、ニューリーダーの台頭に移りつつあった時期である。
もっともニューリーダーとは名ばかりで、日本の政治が更に弱腰になり、坂道を転げ始めた時期だった。
自民党の「55年体制」は罅(ひび)だらけになっていた。

そして、ついに松下幸之助の焦りが爆発した。
山田 宏は目を輝かせて新党結成を迫ったが、松下幸之助は、政経塾を新党化するつもりはない。
もっと大きなムーブメント(「国民運動」と呼んでいた)を起こしたかったのである。

自民党の凋落は止まらなかった。ついに1989年(平成元)の参院選で自民党は大敗を喫し、社会党が大幅な躍進を果たした。
新党は結成出来ないままだった。そして、その前に松下幸之助の寿命が尽きた。94歳の大往生だった。

その後、松下政経塾の一切は2代目塾頭の、上甲 晃(現・志ネットワーク代表)が引き受けた。
上甲 晃は、松下政経塾と松下電器との関係を断ち切ろうと考えた。それとともに、「地域から日本を変える運動(「ちにか」運動)」を提唱した。

地方新聞社と連携して、地域フォーラムを連打しようというのだ。これを受け、まずは京都政経塾が、ついで東京政経塾が設立された。
山田 宏は東京政経塾のリーダーとして長浜博行(2期生)を選んだ。このとき長浜博行が、細川護熙と接触したのである。

細川護熙は長浜博行に言った、「松下幸之助さんの遺志を継いで、新党を作りたい。どうか力を貸してほしい」。

東京政経塾は、細川新党と合流することをこっそり決めた。
しかし実際には、細川護熙は松下政経塾を活用したかっただけで、松下幸之助の哲学にも殆ど共鳴していなかった。

当時の政経塾本部は、特定政党に与することは認めていなかった。けれども、東京政経塾の動きはもう止まらない。

長浜博行は、政経塾本部ではなく細川護熙を選び、自ら秘書として活躍することになる。
そこへ中田 宏(10期生・横浜市長)が加わって、中田 宏は、日本新党のもう一つの顔である小池百合子(マダム寿司)の秘書になった。

前原誠司(8期生・民主党)も、日本新党・関西方面の応援を始めた。前原誠司は、山田 宏に憧れていた男で、京都府議に立候補していた。

(松下政経塾の先輩であり、兄貴分だった山田 宏は、その後、前原誠司が、恩人である細川護煕に対して、
後ろ足で砂をかけるように日本新党を出ていったことや、離党についての相談がいっさいなかったことに激怒したそうだ)

結局、知っての通り、日本新党は何の根っこも政治イデオロギーもなかったにもかかわらず、全国を揺るがすブームを起こした。
実力はともかく、その勢いに自民党は決定的な惨敗を刻印されたのである。
この動向を、“政界再編成”を目論む小沢一郎が見逃すはずはなかった。

細川護熙は、一国の首相という“殿様”になり、たった八ヶ月で退陣していった。

殿様の正体を見た前原誠司は、すぐさま枝野幸男、荒井聡、高見裕一らとともに日本新党を離脱し、「民主の嵐」を結成。
そのままの勢いで、玄葉光一郎(8期生・民主党)、宇佐美登(10期生・民主党)らのいる「さきがけ」に合流していった。

紆余曲折は色々あるものの、大体はこんな事情があったのである。いま、細川護熙さんは陶芸家として実力を発揮しつつある。

さて、いったい日本新党と松下政経塾にどんな関係があったのか?
実際には、正式な交流は全くなかったといってよい。全員がやむにやまれぬ気持ちで動いていたのであろう。

恐らくは松下政経塾の動きよりも、細川新党の“孫子の兵法”めいた動きがずっと速かったのである。
それで松下政経塾は、統一的な動きが出来ないままに、長浜博行に象徴されるようなフライングが度々起こっただけなのだろう。


しかし、話はそうだったとしても、その後の日本の政治は相変らずはやった行動ばかりなのである。
先手必勝の取り違いなのか、そうでなければ挙手傍観だ。
一体、“特定少数”が動いているのか、それとも、“不特定多数”が世を制しているのか?いま尚、わからないままになっている。
これは、幕末維新とは似ても似つかないものだ。時代は尚、“夜明け前”なのだ。

僕(出井康博)のほうは、細川退陣後にまた別の動きを持ち込まれた。
鳩山由紀夫と船田 元が、二人して僕の仕事場に通うようになったのだ。そこに何人かの者が加わって、談義は一年くらい続いたろうか。

~中略~

政治家になりたい理由など、何一つとして思いつかない僕としては、こういう展開は意外であった。

森 喜朗首相の“転換”を求めて、亀井静香が突然に訪ねてきたこともあった。無論、何の協力もしなかったし、出来もしなかった。
けれども、頻繁かつ多様に、政治家諸君と交わることが多くなっていった。

日本財団と加藤秀樹さん(「構想日本」代表)の要請で、若手政治家の為の「幹塾」というものを引き受けることになった。

そこに樽床伸二、前原誠司といった政経塾出身者、松井孝治、松本剛明、古川元久、細野豪志といった民主党議員、
梶山弘志、林 芳正、河野太郎、野田聖子、世耕弘成といった自民党議員たちが顔を揃えた。

地方の首長たちもいる。自然科学界から松井孝典、長谷川真理子さんも加わった。このメンバーには何ら共通点はない。
顔触れを選んだのは、加藤秀樹さんであって、僕(出井康博)ではない。

~中略~

松下政経塾がその後はどうなっていったかは、ここでは触れない。触れようにも、活動も実績も拡散し続けていて、纏まらない。
現在、政経塾出身者は、
衆議院議員が28名、参議院議員が2名、都議会議員が15名、市区町村議員が13名、知事が2名、市長区長が9名になっている。

素晴らしい戦績とも言えようし、反対に、「こういうことだけを松下幸之助が望んでいたのか?」とも言えよう。

戦線が拡張していることは、成果の一つである。しかしながら、もしも「維新」というものを標榜したいなら、拡張や拡散は対して意味がない。
焦点がぼけていくばかりであろう。

けれども、政治家は革命家でなくたって構わない。風土を守り、商店を扶け、生徒たちを逞しく育てることも重要だ。
ただし、それをやるのに“不特定多数”を相手に選挙得票にしなければいられなくなっていく、というのは、どうなのか?
小学校の教師として、一介の医師として、時代に投企し続けることだって可能なのである。幕末維新には、選挙はなかったのである!

政治は政治を自己目的にし過ぎているようだ。既に今日の社会は、重い病気に罹っている。
「議会政治が行き詰まるから、議会政治をし続ける」という病気に罹り、「地域を平等化する度に、地域格差を大きくしていく」という病気に罹り、
「公共暴力を取り締まれば、私的暴力を増やす」という病気に罹っている。

もっと根本的な症状もある。「生産と消費が、システム自体の存続のために食われてしまっている」のである。

銀行は銀行の維持の為に、大学は大学の維持の為に、百貨店は百貨店であることを、議会は議会を自己言及する為に、
そこに生じている「生産と消費」を食べ尽くしている。

これでは、「政治は政治であろうとする」こと自体で、自身のシステムの保存に関わるしかなくなっていく。これは危険である。
“構造的な窮乏感”の演出だけが政治になってしまうからだ。

小泉純一郎が、その矛盾を巧みに衝いて、
“構造的な窮乏感”を政治に出来たのは、むしろ、「何も生み得なかった政治家の、最後の演出だった」と見るべきなのである。

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■松下政経塾―稲盛財団―米国シンクタンクCSIS(戦略国際問題研究所)の繋がり


【稲盛財団が行っている、イナモリ フェロープログラム】

稲盛財団 - 公式ホームページ
http://www.inamori-f.or.jp/ja_fd_soc_fel.html

稲盛財団は、素晴らしい人格に裏打ちされた真のリーダーを志す日本の若手リーダーの中から毎年3名程度を「イナモリ フェロー」として選抜し、
その成長を支援しています。
イナモリ フェローは、将来に向けて人格を磨き、リーダーとしての自覚をさらに高め、世界に向けて正しく、
また果敢にその指導力を発揮していくことを期待されています。

イナモリ フェローが、将来に向け、力強くリーダーシップを発揮出来るよう、その成長を後押しする為、
稲盛財団は、米国ワシントンDCの戦略国際問題研究所(CSIS)内の、
アブシャイアイナモリリーダーシップアカデミー(通称AILA)が実施するリーダーシッププログラムにイナモリ フェローを派遣しています。

本プログラムは、AILAの事業の中で、日本のリーダーを育成する特別プログラムとして、2003年から実施されましたが、
その狙いは、とりわけ、日本において、世界に通用する真のリーダーの出現が期待されていることから、
国際感覚に優れ、創造性に富み、優れた人格を身につけたリーダーを教育、育成することにその主眼があります。

その後2005年より、よりグローバルな視点からリーダーシップを探究すべく、日本以外の国から選ばれたフェローが加わり、
プログラムの名称を「AILA インターナショナル フェロープログラム」と改め、研修の更なる充実を目指しています。
AILAでの研修は毎年秋と春にそれぞれ1週間のカリキュラムで実施されます。
また、このワシントンでの研修に加えて、イナモリ フェローは日本において、リーダーシップ実践の為の研修の機会が稲盛財団より提供されます。

イナモリ フェローはリーダーシップにおける創造性と人格に重点を置いて策定された研修カリキュラムを通じて、
国際政策上の諸問題の解決に向けて発揮されるべきリーダーシップと意思決定について調査・研究を行います。
ワシントンでの2回にわたる研修期間中、フェローはプログラムに沿って、講義や討論、ケーススタディ、ロールプレイ、プレゼンテーションなどに参加し、
意見交換、政策分析、実践的訓練を通じて、リーダーシップのあり方を探究し、掘り下げていきます。

本研修は、CSIS若手専門家やインターンからも参加を募る場合があり、それによりイナモリ フェローとCSISコミュニティーとの交流の機会も与えられます。

アカデミー(ワシントンDC)での研修に参加する旅費・滞在費その他の経費として、一人当たり総額1万米ドルがアカデミーより事前に支給されます。
尚、ワシントンDCへの渡航及び滞在の手続き、その他研修に必要な諸事項の手配については稲盛財団が協力致します。

~略

◇   ◇   ◇


例.松下政経塾20期生・奥 健一郎(おくけんいちろう)の場合
http://www.mskj.or.jp/profile/oku.html



【米国シンクタンクCSIS(戦略国際問題研究所)で繋がる竹中平蔵―小泉進次郎―前原誠司】

松浦 淳のブログ - 小泉進次郎氏「米一流シンクタンク・CSIS」に6月入社の「ナゼ?」
http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200607310003/

ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 小泉進次郎(小泉Jr.)のCSISペーパーを読む 2006年10月19日
http://amesei.exblog.jp/4035138/

→下記URL、(第6章)を参照、小泉進次郎―ミャンマーについて検証しています
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/860.html

ジェラルド・カーティスの正体 - カナダde日本語
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-1560.html

竹中平蔵は、国際投資銀行を辞めた後、大阪大学の助教授になり、ハーバード大学に半年行き、
その後半年、ワシントンにある「CSIS(米戦略国際問題研究所)」で客員研究員を務めました。
http://www.asyura2.com/09/senkyo70/msg/488.html

竹中平蔵を援護射撃する渡部恒雄※の正体とは|マッド・アマノのパロディー・ブログ

「とくにCSISだが、これが限りなく胡散臭いのだ。CSISは1964年に設立された米国の保守系シンクタンク(本部はワシントンDC)であり、
現在の所長ジョン・J・ハレムは元米国防副長官。理事には駐日大使に就任の噂のあったジョセフ・ナイがいる。
ナイは元国家情報会議NIC議長。ナイの師匠格にあたるのが日米欧三極委員会(TLC)をD・ロックフェラーと共に設立したZ・ブレジンスキー。
TLCの日本における正式名称は、「三極委員会」。
メンバーには前外務事務次官や前防衛大学校長などの名前がある。
小泉純一郎の次男・小泉進次郎氏も関東学院大学を卒業後、TLCに籍を置いていた。(中略)
つまるところ、「米戦略国際問題研究所」はロックフェラーの人脈に繋がっているのである」

※渡部恒雄(前原グループの後見人・渡部恒三の長男)もまた、元「CSIS(米戦略国際問題研究所)非常勤研究員」なのである。
http://ameblo.jp/parody/entry-10267632072.html

前原誠司―「CSIS(米戦略国際問題研究所)」、マイケル・グリーン(CSIS日本部長)
http://www.maehara21.com/blog/straight.php?itemid=948

http://www.maehara21.com/blog/index.php?blogid=2&archive=2007-3-6

JCIE 三極委員会(トライラテラル・コミッション)
http://www.jcie.or.jp/japan/gt_tri/

オルタナティブ通信 引退宣言した小泉元首相の後継者・小泉進次郎の正体
http://alternativereport1.seesaa.net/article/107318894.html

(以下、注釈≪≫を加えて引用転載)

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1843年、アヘン戦争の結果、南京条約で上海が開港されると、米国では、麻薬専売会社ラッセル&カンパニーが中国への麻薬輸出を開始する。
この時、ラッセル社は、スコットランドの麻薬専売会社ジャーディン・マセソンと連携、その支援を受ける。

ラッセル社は、1823年、コネチカット州ミドルタウンのサミュエル・ラッセルがトルコのアヘンを米国等に輸入する目的で設立。
1830年代には、ボストンの麻薬密売マフィア=トーマス・H・パーキンス・シンジケートと合体、米国最大のアヘン密売業者となる。

ラッセル社が中国への麻薬販売を開始すると、
中国・広東にはルーズベルト大統領の祖父ウォーレン・デラノJr.が、ラッセルの最高執行責任者として駐留し、その麻薬輸出を仕切った。
ルーズベルト一族の財産は、こうして形成された。
デラノは当時、アメリカ政府の副領事を兼任しており、ラッセルの麻薬販売が米国政府「公認」、米国政府自体の「事業」であった事が、ここから分かる。

ラッセル社の幹部には歴代、コロンビア大学創立者のアビール・ロウ一族、雑誌「フォーブス」創立者のジョン・M・フォーブス一族、
中南米での黒人奴隷農園を経営するUF=ユナイテッド・フルーツ社の創立者ジョセフ・クーリッジ一族(後に一族からクーリッジ大統領を輩出する)が就任して来た。
≪UFの黒人奴隷監視組織が後にCIAに発展する。≫またラッセル社の監査役には、ブッシュ大統領一族の先祖=J・プレスコット・ブッシュが就任している。

ここに名前を挙げた一族は、麻薬販売によって財産と地位を形成する。

1754年、キングズ・カレッジの名前で、英国による米国の植民地支配の為の「ノウハウ・スクール、英国直結の米国監視・スパイ養成学校」として、
英国国王ジョージ2世の特許状に基づき設立されたコロンビア大学は、アビール・ロウ一族の麻薬資金によって「大規模化」されてゆく。

≪米国が英国から「独立」するに従い、コロンビア大学は米国による「植民地支配国の管理ノウハウ・スクール」に転じる。

コロンビア大学が、米国の「植民地支配国に対する管理ノウハウの伝授スクール」である事は、
第二次世界大戦中、日本語の堪能な人材が、この大学に集められ、当時、米国の敵国であった日本に対する「対日暗号解読部隊」が、
この大学を舞台に結成された事でも分かる。この大学は、事実上、対日戦略情報部隊の中心地であった。
つまり、「米国による日本の支配の為の人材育成大学」が、この大学の正体である。≫

小泉純一郎元首相が自分の後継者・進次郎を、コロンビア大学・大学院に「送り込んだ」所には、
「米国による日本支配の為の、操り人形」であった小泉純一郎の正体が明確に出ている。

小泉純一郎の後継者・進次郎は、コロンビア卒業後、CSISに入っている。

ワシントンのジョージタウン大学内にある、CSIS=センター・フォー・ストラテジック・アンド・インターナショナル・スタディーズは、
元々、エドマンド・ウォルシュ外交学院と言う名前で創立された。
ウォルシュは、ナチス・ドイツ=アドルフ・ヒトラーの戦争戦略を作り上げたナチスの地政学者カール・ハウスホーファーの弟子であり、
ナチス地政学を米国に「移植」する為にCSISを創立した。ウォルシュはイエズス会の神父でもあった。

CSISは1964年、中国共産党諜報部の喬石長官との協力の下、中国国内の麻薬製造地帯のネットワークを「整備」し、
世界各国に中国産麻薬の販売網を「形成」した。

この麻薬販売の利益で兵器を購入し、CSISは1972年から、南アフリカの黒人人種差別体制を維持する為の軍備として提供し、
またイスラエルが中東戦争を実行する為の兵器として供給してきた。

CSISは、南アのスパイ組織=国家安全局BOSSと協力し、南アの金塊・ダイヤモンド・ウランと、
中国製麻薬の利益=兵器と「バーター取引」を行う、諜報・スパイ組織であった。

またCSISは、イスラエルに兵器を供給し、中東戦争によって「石油価格を高騰させる」、石油王ロックフェラーの為の「石油価格コントロール」センターであった。
高騰した石油の利益で中国産麻薬が購入され、麻薬の販売利益で兵器が買われ、その兵器がイスラエルに渡り、中東戦争を起こす。
そして石油が高騰する。

これが、米国=中国=イスラエルによる、「現在にまで続く」戦争経済の仕組み、戦争マシーンのシステムである。
現在、CSISは、米陸軍・海軍直系の軍事戦略研究所でもあり、米軍の持つ膨大な数の生物化学兵器の管理センターともなっている。

CSISの顧問には、ヘンリー・キッシンジャー、その弟子でライス国務長官の師匠であるブレント・スコウクロフトが名前を連ね、
ロックフェラー・ロスチャイルドの世界帝国建設の為の軍事戦略を「描いた」ズビグニュー・ブレジンスキー(バラク・オバマのブレーン)が、
CSISの理事を務めている。

小泉の後継者である小泉進次郎は、このスパイ組織の「対日エージェント」として「派遣されて来る」。

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ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 前原誠司が小沢批判を始めた 2009年3月15日
http://amesei.exblog.jp/9465702/

(以下、一部抜粋し引用転載)

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岡田克也・副代表と一緒に、東南アジア歴訪を行っていた、前原誠司・民主党副代表が、帰国した後、小沢一郎批判を始めた。
アメリカの意向が強く働いている今回の国策捜査において、前原は明らかにクセものである。
松下政経塾塾出身の前原の後援会長は、京都に本社を構える京セラ会長の稲盛和夫・名誉会長。
アメリカのCSISのデイヴィッド・アブシャイアと一緒に日米のリーダーシッププログラムを設立した。

http://csis.org/program/abshire-inamori-leadership-academy

前原誠司活動日誌 2007年6月5日
http://www.maehara21.com/blog/index.php?blogid=2&archive=2007-6-5

稲盛氏が民主党支持鮮明に 「自民政権で政治が腐敗」
http://www.47news.jp/CN/200310/CN2003102501000272.html

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■前原誠司の政治資金を追う - 東京サバイバル情報 ☆一時避難せよ☆ 2009年5月11日掲載

http://yaplog.jp/ichijihinan/archive/287

(「卵かけごはん」さんという方のブログより以下、引用転載。写真などもありますので、詳しくは上記URLを御覧下さい)

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前原誠司の資金管理団体は、「新緑会」
政党支部は、「民主党京都府第2区総支部」
その他関連政治団体は、「まえはら誠司東京後援会」、「誠友会」、「まえはら誠司後援会青年部」、「まえはら誠司後援会婦人部」、
「まえはら誠司後援会連合会」、「まえはら誠司左京後援会」、「まえはら誠司東山後援会」、「まえはら誠司山科後援会」、
「前原誠司を囲む会」

「まえはら誠司東京後援会」は総務省のデータベースで確認出来るが、それ以外はすべて京都府への届出。
京都府に届け出ている政治団体の平成19年度分の収支報告書の要旨は「京都府公報 号外第37号(平成20年9月30日)」で確認出来ます。

京都府だけで政党支部を除いても「前原誠司」関連の政治団体は9団体、かなり異常な数なのは言うまでもありません。なんか臭いますw
では、とりあえず京都府の団体は置いといて・・・・調べやすい総務省に届け出ている「まえはら誠司東京後援会」からチェック!

平成19年度分の「まえはら誠司東京後援会」の収支報告書
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/000027530.pdf

平成19年度分の「まえはら誠司東京後援会」の収支報告書によると、

所在地は、東京都江東区大島7-30-13-209
代表者は、「高坂節三」
会計責任者は、公設秘書の「福田智子」
電話番号は、075-723-2751

全衆院議員公設秘書調査(2004-6-10現在)
http://homepage3.nifty.com/gjns/kokkai/hisho040610.htm#ma

市外局番075は京都市内とその近辺の地域、住所と電話番号が別で、
光熱費、事務所費は0円、人件費が138万円、備品&消耗品が22万円、かなり不思議な話です。

ちなみにこの住所「東京都江東区大島7-30-13-209」は、「グレイス大島」というマンションの一室。
「グレイス大島 詳細情報」で確認すると、主な間取りは3LDK。写真から見る限り、事務所向きの物件ではありませんね。

グレイス大島 詳細情報
http://www.house-arina.com/koutou-mansion/m-higashioojima/grace-oojima.htm

さて次に、代表者の「高坂節三」でgoogleしますと、

お粗末な財界トップ高坂節三氏
http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20030817oszks3.htm

白鴎情報通信④
http://www4.ocn.ne.jp/~hqminowa/hakuou-tusin21.htm

ディスカッション市民立憲フォーラムでの発言「私たちの考える憲法素案」などを発見!
http://www.citizens-i.org/kenpo/0424/kousaka.html

上記ホームページによると、
元伊藤忠商事常務、元栗田工業会長。財界の改憲派スポークスマンで元経済同友会憲法調査会委員長。
今は同会の「憲法問題懇談会委員長」、「財界の改憲派スポークスマン」との事、ナルホドです。

この後援会の収支報告書、色々おかしいところがありまして・・・・、
政治活動費の内訳「組織活動費」で、
「渉外費 495460円」「会合費 1611561円」「旅行交通費 977166円」の支出がありながら、詳細が全く記載されていない。

基本的に5万円未満の支出に関しては記載しなくて良いのだが、
それにしても、300万円近くの支出がありながら、すべて「その他の支出」で1件の記載も無いのはあまりにも不自然。

過去に遡って、平成18年度、平成17年度を調べても同様。

http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/000023926.pdf

http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/000020269.pdf

三年間で合計900万円近い金額の支出がありながら、その支出がすべて5万円未満の「その他の支出」そんな事、常識的にありえません。
しかも、平成18年度、平成17年度の支出項目別金額の内訳によると、人件費、光熱水費、事務所費とも0円。

また、これらの年度の「まえはら誠司東京後援会」の代表者は「稲盛和夫」。

稲盛氏といえば、

稲盛和夫 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%9B%9B%E5%92%8C%E5%A4%AB

「京セラ・第二電電(現・KDDI )創業者で財団法人松下政経塾の相談役。
民主党代表小沢一郎と旧知の仲であり、大企業の実業家ながらも熱心な民主党支持者として知られ、
小沢一郎が2008年9月21日に民主党代表として再選された際には来賓として挨拶も行っている」との事。

「松下政経塾」繋がりで、「まえはら誠司東京後援会」の代表に就任したと思われるが、
平成19年度から代表が「高坂節三」氏に代わっているあたり、小沢氏との確執の影響かとも思われる。

しかし、平成19年度には、人件費138万円を計上しているのに、18年度、17年度は0円というのが非常に不可思議??
稲盛氏は無給で、高坂氏には月10万円程度の謝礼を払っていたという事なのか・・・・。

何れにしても、稲盛氏も高坂氏も財界の重鎮。「前原誠司」と財界の癒着の構図がアリアリ。
収支報告書から読み取れるのは、
「まえはら誠司東京後援会」は、年に1回ホテルニューオータニで開かれる「政治資金パーティー」を主催して、
東京で集めた金を京都の前原関連の政治団に寄付する為に設立された政治団体だという事。

しかし、この政治団体、どう考えても実態及び支出について、不可解な事が非常に多い事が判明。
人の事をとやかく言う前に「前原誠司」は、自分の政治団体について有権者に説明責任があるのは言うまでもありません。

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■前原誠司と清和会、創価学会との繋がりについて


『パソナ』の南部靖之―安倍晋三(清和会)―竹中平蔵は“仲良しグループ”であり、
前原誠司は、『パソナ』南部靖之の秘書を嫁にして、金を貰っている、他

http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/18804919.html

http://www.asyura2.com/0505/senkyo14/msg/909.html

南部靖之 公式ホームページ
http://www.nambuyasuyuki.com/media/200707.php

南部靖之、前原誠司の政治資金パーティーに出席
http://plaza.rakuten.co.jp/slowsheep/diary/200904230000/

現代産業情報 - 民主・前原誠司前代表と安倍晋三首相を結びつける新進企業経営者 2007年6月15日掲載
http://www.gendaisangyojoho.co.jp/cgi-bin/backnumber.cgi?NO=578&BODY=12

安倍晋三が前原誠司とワシントンで歓談――いま、なぜ?の推測も:イザ!
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/997024

「安倍晋三とは、当選同期で議員会館も隣りの部屋。
安倍晋三の議員会館の部屋の前の住人は、安倍晋太郎。前原誠司の部屋の二代前の住人は、安倍晋三の祖父・岸 信介。
ともに安全保障政策に関して気心知れた仲であり、二期目あたりまでは時折、酒を一緒に飲みに行っていた仲である。
現在も、お互いの携帯番号は交換しており、安倍が選挙の応援演説で前原の選挙区に入る時、
安倍の方から「ちょっと選挙区に入らせて貰います」と挨拶が入ることもあるという。また、安倍内閣で幹事長を務めた中川秀直とも親しいとされる」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E5%8E%9F%E8%AA%A0%E5%8F%B8

前原誠司 パーティー券、会員企業に斡旋、「日米協会」秋山容疑者(イザ!) めっちゃホリディ→三菱重工を叩けば色々出てきそうだ。
http://www.asyura2.com/07/news6/msg/565.html

民主党、前原誠司を脱税容疑で逮捕せよ!! - ウェッジウッド ピーターラビット -
http://blogs.yahoo.co.jp/rnryn709/22866291.html

民主党は前原誠司氏に離党を勧告すべきかも知れない - 評論家・山崎 元の「王様の耳はロバの耳!」
http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/e/badce22f65abfbcd7c4b8eaacfad6611/?ymd=200808&st=0

低気温のエクスタシーbyはなゆー 「前原誠司事務所」が田原総一朗氏講演会の連絡先になってるぞ
http://alcyone.seesaa.net/article/97489424.html

政治家に講演のお膳立てしてもらうジャーナリスト - 深町秋生のベテラン日記
http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20080428

前原誠司とラー(太陽神)の会---韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領
http://www.katokoichi.org/videomsg/2008/080418_1.html

「ビビンバの会(仮)」が増殖中 - 辻元清美ブログ つじともWEB→見れば、「ビビンバの会」は鳩山政権の面々・・・・
http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2008/04/02-1542.html

超党派「ビビンバの会」とは笑止千万だ - 天木直人のブログ

「尊敬する元社会党衆議院議員だったある人が、辻本だけは気をつけろ、とんだ食わせ者だ、と私に語った事がある」
http://www.amakiblog.com/archives/2008/03/27/#000783

永田寿康・元民主党衆院議員が死亡、北九州市で飛び降り自殺か・・・・過去には創価学会との因縁も
http://blog.livedoor.jp/getter99/archives/51246420.html

元議員・永田寿康氏の死 - J氏の独り言 福岡県民新聞
http://www.fk-shinbun.co.jp/j/2009/01/post-141.html



■枝野幸男とムーミンパパ、天下り団体との癒着について 小沢批判が出来るような立場なのか?


【不思議発見!】枝野幸男研究PART1 - 地 獄 へ の 階 段 -

「義父母から八年で2000万円超の寄付を受ける者が、企業献金反対!個人献金だけで大丈夫!と主張しても説得力はありません」
http://blogs.yahoo.co.jp/voteshop/947426.html

【不思議発見!】枝野幸男研究PART2 - 地 獄 へ の 階 段 -

「日弁連・懲戒弁護士からの巨額献金疑惑?」
http://blogs.yahoo.co.jp/voteshop/978773.html

【不思議発見!】枝野幸男研究PART3 - 地 獄 へ の 階 段 -

「財務省OB天下り団体理事から多額の政治献金が枝野議員へ。関連会社は会計検査院に不正支出を指摘されていた!」
http://blogs.yahoo.co.jp/voteshop/1088103.html

【不思議発見!】枝野幸男研究PART3(補足) - 地 獄 へ の 階 段 -

「財団法人印刷朝陽会との関連」「会計検査院や衆議院決算行政監視委員会との関連」
http://blogs.yahoo.co.jp/voteshop/1686061.html

元大蔵大臣-武村正義の長男武村俊一容疑者、大麻所持疑い逮捕により滋賀文化短期大助教授を懲戒解雇
http://91494294.at.webry.info/200702/article_261.html

マスコミ不信日記 枝野幸男に解同系談合ゼネコンから献金
http://blog.livedoor.jp/saihan/archives/30777802.html

Yahoo!みんなの政治 - 枝野幸男に多額の迂回献金疑惑、「本人の寄付」九年間で7953万円の説明を、ムーミンパパと枝野幸男
http://seiji.yahoo.co.jp/giin/rev/detail/index.html?d=1&g=2009000306&r=59&s=0

小沢は嫌いでも支持や票はほしい枝野幸男の、曖昧なマスゴミ批判
http://d.hatena.ne.jp/zames_maki/20100110

▼▼政治資金収支報告書を読み解くスレ▼▼→小宮山洋子―岡田克也、他
http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/giin/1237471561

Yahoo!ブログ - 地 獄 へ の 階 段※重要
http://blogs.yahoo.co.jp/voteshop



■郵政民営化研究会、小泉純一郎と松下政経塾


塾報 2001年6月(松沢成文/松下政経塾第3期生) 松下政経塾
http://www.mskj.or.jp/jukuho/0106jkactivities.html

PHP(松下)出版「郵政民営化論」
http://www.noguchi-ken.com/message/b_num/2005/5_0811.html

松下政経塾は、その母体になったMRA(道徳再武装運動)を通して、清和会と通じている
http://black.ap.teacup.com/fukashinogakuin/564.html

http://black.ap.teacup.com/fukashinogakuin/565.html

http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200807230005/

http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200807230006

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060807

日本の右翼とヒルズ族の八割は半島出身だという見解に従えば。 カクジツ先生
http://www.asyura2.com/09/hihyo9/msg/449.html

Re 日本を外国に売り渡した小泉純一郎の黒い履歴書 三条久恒
http://www.asyura2.com/08/senkyo53/msg/424.html

「現在では、心あるかなりの人が、郵政民営化が純然たる国内問題ではなく、
実は「米国年次改革要望書」に基づいた、米国による凶悪な対日収奪計画であることに気付いている。
この「米国年次改革要望書」が発動したのは、1994年からであるが、小泉純一郎が、郵政民営化を提起していたのは1992年であった。
この先行性を以って、小泉純一郎は彼の自論としてそれを掲げていたと言ったが、米国の対日収奪計画が、要望書発動以前から
既に出来あがっていたことを考えれば、小泉純一郎も、竹中平蔵と同様、宮沢政権時代に米国のエージェント化していた可能性が高い」

http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/06/post-468f.html

これが新旧郵政利権争奪戦の全貌だ! 週刊ポスト2009年3月20日号
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=200903/17/98/d0033598_11495435.jpg

ブッシュに土下座した小泉純一郎 - カナダde日本語→郵政民営化を実現した手数料3兆円?
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-639.html

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「郵政民営化研究会(1999年5月結成)名簿」

≪自民党からの参加者≫

[会長] 小泉純一郎

→当時、自民党(衆議院)・清和会会長、2001年4月26日から総理大臣に就任。つまり、小泉・竹中政権の下準備として、
この「郵政民営化研究会」が結成された。
http://www.anti-rothschild.net/material/37.html

[会員(自民党 1)] 並木正芳

→清和会、自民党衆議院、2007年から大臣を歴任
http://www.namikimasayoshi.jp/

[会員(自民党 2)] 蓮見 進

→自民党、要職を歴任
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E5%AE%9F%E9%80%B2

≪民主党からの参加者→民主党内の松下政経塾OBから、事務局長、会員11名が参加≫

[事務局長] 松沢成文

→松下政経塾3期生、民主党から神奈川県知事に転身、中田 宏・横浜市長(10期生)の兄貴分
http://www.matsuzawa.com/office/kokkai/tackle31.htm

[会員(民主党 1)] 樽床伸二

→松下政経塾3期生(松沢成文と同期)、民主党(前・衆議院)
http://www.tarutoko.jp/hito/index.php

[会員(民主党 2)] 前原誠司

→松下政経塾8期生、民主党(衆議院)2005年9月~2006年3月31迄党代表、松沢成文(3期生)は先輩にあたる。
幼稚なネオコンであり、安倍晋三(清和会)、創価学会、竹中平蔵とも深く繋がっている。
http://www.maehara21.com/chokkyu/06.html

[会員(民主党 3)] 中田 宏

→松下政経塾10期生、民主党・無所属の会から「市民の党」の支援を受け、恩人を裏切る形で横浜市長に転身。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%94%B0%E5%AE%8F

http://www.nakada.net/syutyo/SYUTHO07.htm

「地方分権」を騙り、知事達を煽動する動きを見せているのは、日本郵政問題を隠す為だったのかもしれない。
“郵政選挙”と同じように、“地方分権選挙”でB層の国民を欺こうと誘導を企んでいた。登場のタイミングがいかにも、だった。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=200001154&tid=elcnbbvbdpgober7oa4ka1vbcabl1ambadba1w&sid=200001154&mid=1548&thr=1&cur=1656&dir=d

[会員(民主党 4)] 末松義規

→民主党(衆議院)、元・外務省官僚
http://suematu.blog39.fc2.com/

[会員(民主党 5)] 海野 徹

→住友生命保険から1999年民主党(参議院)、2009年、静岡県知事選挙に無所属 で出馬表明。
反対アピール虚しく、静岡空港は2009年6月に開港した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%A9%BA%E6%B8%AF

[会員(民主党 6)] 上田清司

→新政同志会、民主党から埼玉県知事に転身。かんぽの宿一括売却問題では、意外にも不快感?を示し、態度を一変させた。

[会員(民主党 7)] 嶋 聡

→松下政経塾2期生、元・東京政経塾代表、民主党からソフトバンク社長室長に転身。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B6%8B%E8%81%A1

[会員(民主党 8)] 藤村 修

→民主党(衆議院)、花斉会(会長である野田佳彦は松下政経塾1期生)に所属

郵政民営化についてのアンケートでの発言
http://db.kosonippon.org/statesman/statesman_answer.php?eid=27&sid=1566

http://db.kosonippon.org/question/question_sman.php?id=27

[会員(民主党 9)] 田中 甲

→民主党を離党し、現在浪人中
http://koh-tanaka.jp/

[会員(民主党 10)] 冨沢篤紘

→民主党から改革クラブ総務会長に転身。改革クラブの政策、行財政改革断行の欄には「郵政の見直し議論をはじめます」
http://www.kaikakuclub.jp/manifesto/

[会員(民主党 11)] 奥田 健

→民主党(衆議院)から民主党北信越担当常任幹事
http://www.okuda-ken.gr.jp/

≪自民・民主以外≫

[会員(自民・民主以外 1)] 石井一二

→自由連合幹事長、石井 一民主党議員の実弟

[会員(自民・民主以外 2)] 堂本暁子

→1999年当時、IUCN(世界自然保護連合)副会長。1999年8月~2001年、GLOBE(地球環境国際議員連盟)第5代世界総裁に就任、
「市民の党」の支援を受け、2001年4月~2009年4月、千葉県知事に転身(後任は、詐欺師・森田健作自民党支部長)。
http://www.npo-collabo.org/sample/newsletter02.html

[会員(自民・民主以外 3)] 松原 聡

→小泉純一郎の熱烈な支持者・ブレーンの一人であり、竹中平蔵らとの親交も深い。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20070319/121305/

◇   ◇   ◇


前原誠司の「直球勝負」(12)より抜粋

http://www.maehara21.com/blog/straight.php?itemid=928

私は小泉さんが会長を務めていた「郵政民営化研究会」に所属をしていたが、その研究会の答申は“分割民営化”だった。
他の民間金融機関と資金規模で互角の競争を促す為である。
私は代表就任の挨拶で自民党本部を訪れた時、このことを小泉さんに話をした。

その時、小泉さんから帰ってきた言葉は、「そんな小さなこと、国民には判りっこない」というものだった。
国民が判るか判らないかは確かに大事なことだが、ことの本質ではない。ましてや規模の問題は「小さなこと」ではない。
「官から民へ」の哲学が大切なのだが、中身よりもイメージを重視した小泉さんらしい言葉だと感じる。

天下りや官製談合、そして特別会計が抱える問題などは温存され、
一律的な小さな政府路線でセーフティネットに穴が開き、個人間の格差、地域間の格差が拡大した。これが小泉政治5年半の「実績」ではないだろうか。
外交も中国や韓国との関係が冷え切ったばかりではなく、強力な関係が誇示された日米関係も、
実務レベルでは交流や人脈が先細り、極めてお寒い状況になってしまった。

→Roentgenium:とか言いながら、引退した小泉純一郎や小池百合子と怪しい会談をしていたのは前原誠司その人です。
「堀江偽メール問題」を仕組んだ犯人の一人は前原誠司なのではないか?という疑念は未だに消えません。

郵政民営化、規制緩和、派遣法の改正、裁判員制度を含む「米国年次改革要望書」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E6%AC%A1%E6%94%B9%E9%9D%A9%E8%A6%81%E6%9C%9B%E6%9B%B8

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■小沢一郎 対 検察・特捜部にカモフラージュされているもの

今回は、長々とMRA=松下政経塾を軸としてアッセンブラージュすることにより、検証を試みたわけですが、
今回の小沢一郎 対 特捜部の件で見落としてはいけないのは、
郵政民営化の問題で、これは西松事件で「かんぽの宿」問題を相殺した例からも、同様の意図が感じられます。
(何か米国にとって都合が悪い事件が起きた時には、必ずこういうことがあるように思えて仕方がありません)
それと連動するような、このところの松下政権塾の面々の動き。
この松下政経塾こそが小泉純一郎とともに郵政民営化を進めた張本人であることを決して忘れてはなりません。

「3兆ドルのディール」 政治とカネ報道はもういい。マスコミがひた隠しにする事実を暴露した国民新党
http://blog.goo.ne.jp/youteifan6/e/05a131b8479ba7b474fc33fe6c60e32f

olive!news 参院予算委員会から 報道されない事実
http://www.olive-x.com/news_ex/newsdisp.php?n=83554

(以下、一部抜粋し引用転載)

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ぼろぼろに破れた軍服姿の日本兵が掲げるぼろぼろに破れた日章旭日旗。その先は地面に垂れ、旗には大きな破れ目がある。
その破れ目に向かって、シルクハットをかぶり、銀行鞄を手にした西洋紳士数人が粛々と進んで行く。
その様なマンガが描かれ、その横には満面に笑みをたたえた小泉元総理の写真がある。
その新聞を拡大したフリップが、27日参院予算委員会で示された。新聞はファイナンシャル・タイムズ。

このフリップに書かれた英字の詳細まで読み取る時間は無かった。
だが、質問に立った国民新党森田高議員によると、英字新聞のタイトル記事は「日本はアメリカに3兆ドルをプレゼント」だそうだ。
郵政民営化法案が、衆院で再可決された2005年10月14日の翌日の新聞記事。
NHKテレビは実況だから、このフリップが一瞬ではあったがクローズアップされた。だが、その後のニュースでは、一切報道されなかった。

郵政民営化法案が再可決された時、海外の反応は「日本は、アメリカに3兆ドルをプレゼント」であったのだ。
知らぬが仏の日本国民であったと言うことになる。

当時、郵貯と簡保には国民の汗の結晶である340兆円があった。
森田議員は、郵政民営化によって、日本の資産340兆円をアメリカ資本のものに出来るので、「3兆ドルのディール」と言う趣旨の新聞記事が、
当時海外にあったと説明したのである。

四年半前、郵政民営化とは、外資・ハゲタカファンドに郵貯・簡保が保有する資金を売り渡すことだと、
その本質を見抜いた人は、信念を持って郵政民営化に反対した。
だが多くの国民は、小泉・竹中が言う、郵政民営化がバラ色の未来を齎すという言葉を信じ、誤魔化されたのだった。
そして今ようやく、小泉内閣が行った売国的行為が、国会の場で明らかになったのである。

これに合わせるように、アメリカ資本・ゴールドマンサックス(GS)が28日、
保有する三井住友ファイナンシャル・グループ(MSFG)の優先株(1002億円)を普通株に転換した。
GSは、既に501億円分の優先株も普通株に転換しており、また転換後の普通株を保有せず売却するので、
GSとMSFG両社の資本提携関係は解消することになる。GSは外資らしく非常に分かり易い行動で示してくれる。

GSは、日本郵政の株式が公開された暁に、その株式を取得し300兆円余の資金を手に入れる戦略を描いた。
その手引きをしたのが竹中平蔵元金融担当相。
竹中は、西川善文MSFG会長に、GSの投融資5000億円を受け入れることを条件に、MSFGを日本のメガバンクの一つとして残した。
そして西川を日本郵政の社長にした。どのような約束があったかは知らないが、西川が簡単に辞めなかった理由がそこにある。

民主党政権になり、郵政民営化が凍結された。西川善文日本郵政社長も更迭された。GSは、郵貯・簡保の300兆円を諦めざるを得ない。
MSFGと資本提携をしている意味は無くなった。
MSFGが新たに8000億円を必要としても、MSFGに魅力はないから、優先株1503億円を保有している意味は無いので引き揚げる。
しかもMSFGに投資した時点は1ドル110円。現在は90円。1ドル20円の為替差益はそれだけで充分な利回りであるし、充分な利益をGSに齎した。

~略

◇   ◇   ◇


『西松事件も、“地方分権選挙”も、~郵政民営化の正体~を暴かれたくないが為のメディア・ジャックであり、欺瞞だ!!』
http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/1045.html

何故か報道されない怪 - 小沢 対 特捜部は、郵政民営化問題のスケープゴート? 真夏の海の家
http://www.asyura2.com/10/senkyo79/msg/291.html

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また、小沢一郎民主党幹事長の件も、鳩山由紀夫総理の件も立件の段階からしてあまりにもおかしいことは前回も取上げました。
つまり、「鳩山由紀夫を告訴する会」、「世論を正す会」、「真実を求める会」のことで、そこに日本会議や勝共連合(統一教会)が絡んでいる可能性が極めて高い、
ということです。

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≪「鳩山由紀夫を告訴する会」、「世論を正す会」、「真実を求める会」で検索した結果・・・・前編≫ Roentgenium
http://www.asyura2.com/10/senkyo78/msg/744.html

≪「鳩山由紀夫を告訴する会」、「世論を正す会」、「真実を求める会」で検索した結果・・・・後編≫重要! Roentgenium
http://www.asyura2.com/10/senkyo79/msg/109.html

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以下は、たくさんある中のほんの一部ですが、その日本会議・勝共連合に関するYouTubeの動画です。
尚、松下政経塾の前原誠司もまた、日本会議のメンバーの一人です。
小沢一郎や鳩山由紀夫よりも、小泉純一郎や安倍晋三と親しい前原誠司ならではの身の置き方だと思います。

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YouTube - 日本会議・勝共連合(統一教会)による、小沢一郎の逮捕を求める市民を装ったデモ 2010-1-16 日比谷公会堂前
http://www.youtube.com/watch?v=9ShV83wEM24

YouTube - 日本会議・勝共連合(統一教会)による、暴走する小沢一郎を糾弾する街頭活動
http://www.youtube.com/watch?v=PK6PBYuge1A

YouTube - 小沢一郎を食い止めないと日本が滅ぶ ! by 日本会議・勝共連合(統一教会)
http://www.youtube.com/watch?v=igJUY27MVZM

≪[AML 3953] Fwd [net21 7394] 前原誠司・民主党代表は日本会議議連メンバー≫
http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-October/003736.html

日本会議国会議員懇談会・日本会議
http://www.nipponkaigi.org/0000/data-news211221.html

平成21年8月時日本会議国会議員懇談会加盟衆議院議員リスト - ホドロフスキの記録帳
http://d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20090920/1253442130

日本会議国会議員懇談会 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E4.BC.9A.E8.AD.B0.E5.9B.BD.E4.BC.9A.E8.AD.B0.E5.93.A1.E6.87.87.E8.AB.87.E4.BC.9A

『絶対に暖簾を貸してはならないネズミ・中田 宏(横浜市長)について検証&「郵政民営化研究会」再結成の動き?その他』
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/884.html

2004年手鏡事件は、中田 宏後援会での講演を、横浜駅前のシェラトンホテルで行った後の帰り道に起きました
http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/526.html

日本よい国構想研究会 豊かで、楽しく、力強い日本を
→統一教会関連の細川珠生(細川隆一郎の娘)や、松下政経塾初代塾頭の上甲 晃などいかにも怪しい団体
http://www.yoikuni.org/member.shtml

「中田 宏・山田 宏・松沢成文はガチの宗教右翼っぽいからなぁ・・・・。
例えば、松沢は国会議員時代に統一協会の会合に出ていたのが思想新聞の電子版に出てるし、世界平和協会の神奈川支部に祝電送ってるし、
その上70年代末にアメリカで米民主党上院議員の秘書やってるし、ガチですわな。
中田や山田が教育委員会で重用した人脈を辿ると、嫌な筋にぶつかる。
例えば、リクルート疑獄の渦中から起業した人であったり、例えば統一協会系の団体と懇ろの企業社長や言論人だったり・・・・・。
どうも、「改革派首長」の仕事を調べると、宗教右翼や過去に不正を働いた企業人のいる企業やNPOに強引に仕事と金を割り振るような、
「政治主導」の条例の改正や行政改革をやってる気がしてくるんだよなぁ・・・・調べれば調べるほど」
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/aad515fd8f3a3b0f08ea952371f09f52

左からカルロス・ゴーンCEO、松沢成文・神奈川県知事、小泉純一郎・元首相、中田 宏・横浜市長、志賀俊之・日産自動車COO CORISM
http://corism.221616.com/articles/0000097850/

満州重工業開発 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E9%87%8D%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E9%96%8B%E7%99%BA

浅尾慶一郎議員の政治とカネ 【不思議発見!】 - 地 獄 へ の 階 段 -
http://blogs.yahoo.co.jp/voteshop/4163356.html

浅尾慶一郎議員 【不思議発見!】 - 地 獄 へ の 階 段 - 日産労連・全日産自動車労働組合―浅尾慶一郎
http://blogs.yahoo.co.jp/voteshop/5309209.html

「浅尾の背後に小泉純一郎元首相の秘書官だった飯島 勲がいる。
浅尾の役割は衆院選の後、生き残った小泉チルドレンを纏め、一緒に新党を作ることだ。
その資金を出すのはJA京都会長を務め、莫大な農協資金を動かすことが出来る小泉チルドレンの中川泰宏。
これに小泉から新党結成を促された中川秀直も加わって新党を結成するが、目指すは小泉改革の継続と完成だ」
http://www.kinyobi.co.jp/backnum/antenna/antenna_kiji.php?no=719

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それに加えて、その後、明らかになってきたのは、
特捜部側のつくり話や憶測をもとにして、特捜部とマスゴミの共同作業で、捜査と報道が進められていることです。
この罪は極めて重大だと思います。
今回のテーマから外れるので、ここでは転載は控えたいと思いますが、以下のような重要な資料があります。必読です。
おそらく、これら一連の情報を知る・知らないでは、マスゴミの報道がどのように映るかまったく違ってくるでしょう。

先ず、日刊ゲンダイ 2010年2月8日発行に掲載された、ニューヨーク・タイムズのマーティン・ファクラー東京支局長のインタビューを引用転載、
その後に、悪魔的マスゴミの偏向報道が白々しく隠しているものを一部列挙、是非ご一読をお薦めします。
何よりも検察やマスゴミこそが、戦後続いてきた、この国に蔓延る悪しき体質の持ち主なのです。
彼らが実質この国を支配することが本当に良いのかどうか、まともな判断力を持つであろう大多数の国民は、今一度考えるべきです、
日本会議などが何と言おうが。

ゲンダイ的考察日記 - どうして日本の大新聞は巨大な権力を持つ検察に、疑問と問題意識を抱かないのか
http://octhan.blog62.fc2.com/blog-entry-1222.html

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【小沢捜査を斬る!米紙ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏(43)】

先月、「指導者たちが守旧派の攻撃を受け、停滞する日本」と題する同紙の記事で、
小沢事件における検察と大マスコミの癒着ぶりに疑問を投げかけた。米有力紙の支局長も首をかしげるのが今回の小沢報道である。
改めてファクラー氏に聞いた。

◇   ◇   ◇

小沢さんの事件だけじゃなく、去年の西松事件や鳩山首相の偽装献金の時もそうでしたが、
9割以上の(大新聞の)記事が検察の言うことを鵜呑みにしている。
小沢さんは、逮捕も起訴もされていないのに、新聞を読むと「有罪」です。日本を含めた民主主義国家では、裁判で判決が出るまでは「無罪」。
記者として基本的な出発点を無視して、検察の言いなりになっています。

もちろん独自の取材はしていると思いますが、方向性は検察に任せているように見えます。
西松事件では、(自民党の)二階さんや森さんの名前も挙がったのに、何故、彼らは追及されなかったのか?もっと報道に主体性があってもいい。

欧米の検察には、日本ほど大きな裁量権はありません。
日本の検察は、捜査権、逮捕権、公訴権があるだけでなく、何週間にもわたって容疑者を拘束出来る。
そして、拘束している間に毎日のようにリークの爆弾を落とす。容疑者本人は拘束されているから自分の弁護が出来ない。
これでは読者が「有罪」だと思ってしまっても仕方がない。

何故、どうして、何の目的で検察がこういう捜査をしているのか―。そういう記事をほとんど見かけません。
検察を完全に信じて、情報源としているだけ。
検察という非常に大きな権力を持っている機関が、その権力を乱用しているのではないか、そういった問題提起が全くありませんね。

問題意識を提示するがマスコミの役割の一つ。
たまにそういう記事を見ると、ほとんどが記者が書いたのではなく、外部の識者のコメントです。自分たちで検察を批判することはない。無責任です。

マスコミには、読者の側に立って、当局を批判的に見る役割もあります。
しかし、日本の大新聞は、残念ながら検察の側に立って、当局の一部分として国民を見下ろしているように感じます。

検察報道が最も極端ですが、行政報道全般において同じことが言える。
それは記者クラブで情報を独占して伝えることが、日本の大新聞のビジネスモデル。検察を批判したら特ダネがもらえなくなる。
インターネットなど新しい競争相手が増え、読者離れなど変化の時代が来ているから、必死で自分たちの既得権益を守ろうとしている。

若い記者たちと話すと、みんな記者クラブがダメだというのはわかっている。
しかし、会社が既得権益を守ろうとしているから、記者は何も言えない。この矛盾は不思議です。
若い記者にもっとチャンスを与えれば、もっといい報道が出来るのに。

米国でも既得権益が強かったが、インターネットの参入で新聞社が倒産して、古い仕組みでは生き残れなくなった。
日本もそうなれば流動化するかもしれませんが、まだそこまで切羽詰ってないですね。

(日刊ゲンダイ 2010年2月6日掲載)

◇   ◇   ◇


「検察は4月に人事を行い、6月には現検事総長樋渡利秋氏も早期退任する。後任人事は、次期検事総長が自ら自浄作用を伴って決めるだろう。
重要なことは、唯一十名の認証官を擁する官庁として、その矜持を回復することにこそある。
さて、残るは造反した大マスコミであるが、今後、政府首脳会議を通じ、記者クラブの開放のあり方が検討されよう。
詰まるところ、現在の金融庁のように、第二会見でも設置されれば、その記事の検証が可能になる。
特に法制を確保せずとも、開放するだけで、十分な効果がある。施策は、第二会見を設けるだけである」


http://www.olive-x.com/news_ex/newsdisp.php?n=83852

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目を覚ませ日本人 - 座談会「小沢一郎とアメリカの直接外交が事態を切り開くか。小沢一郎の不起訴を受けて民主党の反撃が始まる」
(1)「東京地検特捜部とM資金の謎」
http://infor-site.blogspot.com/2010/02/m.html

目を覚ませ日本人 - 目下の小沢攻撃をまだ画策する者たちの素顔を晒します
http://infor-site.blogspot.com/2010/02/blog-post.html

水谷建設に「裏金授受」に同席したという「男性の素性」[ サンデー毎日] feel
http://www.asyura2.com/10/senkyo79/msg/694.html

TBS“スクープ報道”が問題化!「目撃した男性が核心証言」日付はあいまいで5000万円を見たわけでもない[ゲンダイ] feel
http://www.asyura2.com/10/senkyo79/msg/650.html

石川氏起訴 民主北海道「大いに疑問」 「国民の不信、検察に向かう」と期待も ぶぶちゃま
http://www.asyura2.com/10/senkyo79/msg/603.html

取り調べの完全可視化が必要な理由~私が検察官だったらこうして小沢をはめる - 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/e94a34dd64d4c79fe78bf79612a59eaf

【alternative、日本テレビ放送網解説員・河上和雄・元検事総長、自民党から受け取っている「裏金」】 小沢内閣待望論
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak33/msg/299.html

オルタナティブ通信 暴力団のトップに居座り、暴力団から金を巻き上げる犯罪組織=警察・検察トップ=検事総長が、小沢一郎摘発をデッチアゲタ
http://alternativereport1.seesaa.net/article/138664300.html

河上和雄―中曽根康弘・・・・中曽根康弘は小泉・竹中一派を快くは思っていないはず
http://blog.livedoor.jp/tokyokitty_seed_destiny/archives/51568961.html

「中曽根には次のような特別縁戚関係が見て取れる。
原子力行政の旗振り役が中曽根であるが、その受注主力企業は鹿島建設(現・鹿島)である。
高速増殖炉「もんじゅ」、「ふげん」、福島第一原発、1号、2号、3号、4号、5号、6号、福島第二、1号、2号、3号、浜岡1、2、3号、
女川1号、浜岡1号、2号、3号、伊方1号、3号、柏崎1号、2号、5号、島根1号、2号、東海1号、2号、大飯1号、2号、泊1号、2号、
これらは全部「鹿島」の建設である。

中曽根と鹿島の関係には、深い絆がある。鹿島建設の創業者・鹿島守之助の娘婿が渥美健夫で、元会長。
その息子・直紀が結婚したのが、中曽根康弘の娘・美恵子。
日本の原子炉建設トップ企業と日本の原子力政策の推進者が「血族」として繋がっているという訳である」
http://www.gameou.com/~rendaico/genshiryokuhatudenco/rendaicoron.htm

「略~かたや対照的なのは中曾根康弘元総理。三菱重工CB事件でも、最も高額の割り当てがあったと噂されているし、
リクルート事件でも、多額の未公開株を譲り受けたとされた。
彼は殖産住宅事件の時から、ずっと疑惑を取りざたされてきた。政界がらみの汚職事件の大半に名が挙がった、いわば疑獄事件の常連だ。
しかし、中曽根元総理には結局、検察の手が及ばなかった」
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/hon30-kensastuwo.htm

日本海海戦100周年記念大会行事に関するご協賛のお願い【名誉会長 中曽根康弘 、会長 増田信行三菱重工業会長等】 なるほど
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1265.html

水交社 跡地に見るフリーメーソン - 深読みブログ
http://blog.livedoor.jp/fukayomi/archives/1829719.html

1米ドル札はアメリカがフリーメーソンの国であることを象徴している
http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda3/kokuren.htm

マスコミ不信日記 また福澤 朗か!日本テレビ放送網『真相報道バンキシャ!』岐阜県裏金で虚偽報道
http://blog.livedoor.jp/saihan/archives/51515538.html

柔らかNEWS 日本テレビ放送網『真相報道バンキシャ!』で誤報、岐阜県庁裏金問題
http://yawanews.blog82.fc2.com/blog-entry-1155.html

尤もらしいエピソードも混ぜながら、憶測で勝手に話しを作っている? - 讀賣新聞の記事、石川議員「親分の言うことは絶対」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100117-OYT1T00323.htm

赤っ恥!!日経、読売大誤報 - livedoor ニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/4576867/

Business Media 誠:(ほぼ)完全収録:「クロスオーナーシップがどのような状況を生んでいるのか?」――原口総務相記者会見(3-4)
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1001/23/news004_3.html

木嶋佳苗と石川知裕議員の捜査を比較:これが「法の下の平等」か? - カナダde日本語
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-2012.html

検察が全く手をつけていない自民党側の疑惑の内容|ライジング・サン(甦る日本)
http://ameblo.jp/kriubist/day-20100206.html

町村信孝(清和会)自民党議員、江田憲司・みんなの党議員も政治団体による不動産保有 鷹取敦
http://eritokyo.jp/independent/takatori-col185.htm

町村信孝「政治献金で不動産を買うなんて話は未だかつて見た事も聞いた事もありません!」「わたしなんか金の出入りは3回目を通している」
「自分のお金で、自分の名前で登記すればいいんですよ。何で政治資金団体というものをわざわざ通すのか?」
http://asyura.com/10/senkyo78/msg/914.html

http://news.livedoor.com/article/detail/4577968/

【不思議発見!】収支報告に映る江田憲司議員の意外な過去 - 地 獄 へ の 階 段 -→まだ江田憲司に騙されている人は必見。
http://blogs.yahoo.co.jp/voteshop/1935210.html

≪谷垣禎一総裁、柴山昌彦議員、茂木敏光議員、後藤田正純議員らの正体&水谷建設の醜聞≫
http://www.asyura2.com/10/senkyo78/msg/378.html

≪悪魔的マスゴミの異常報道、断末魔と、青年将校然とした恥犬特捜部のクーデターに断固抗議する!&大島理森自民党幹事長の疑惑≫
http://www.asyura2.com/10/senkyo78/msg/240.html

ゲンダイ的考察日記 - <外交機密費>外務省や歴代の自公政権~官邸“上納”疑惑~年間20億円の流用発覚!
http://octhan.blog62.fc2.com/blog-entry-1221.html

「2010年2月5日、鳩山内閣は旧来の政府見解を覆し、日本政府として初めて外交機密費転用があったことを認める答弁書を閣議決定した。
鈴木宗男議員の質問主意書に対する公式回答だ」
「外務省の額が多いのは、在外公館における要人接待、情報交換、情報収集などに使うという前提があるからだろう。
ところが、こういう資金は機密性があるだけ裏金に化けやすい。検察や警察の調査活動費の私的流用問題も同じことだ」
「実は関係者なら誰でも知っていたのが外交機密費の上納だ。
当時55億円といわれた外交機密費のうち20億円を毎年、官邸に還流させていたことが国会で問題になったが、
森 喜朗首相らはそんな事実はないと否定していた。
その後、小泉政権の生みの母ともいえる田中真紀子が外務大臣になり、
伏魔殿の実態を暴こうと、外交機密費の上納を証明する資料探しを始めた。それも、外務省幹部が田中真紀子追放を画策する一因になった」

http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10452647016.html

大阪の市民団体が河村前官房長官を背任で告発、東京地検はなぜか消極姿勢 - livedoor ニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/4588971/

元大阪高検部長三井 環氏告発、調査活動費年間6億円は全部検察の裏金 - わんわんらっぱー
http://d.hatena.ne.jp/Takaon/20100121

暴力団と権力のグー・チョキ・パー→清和会自民党と検察・特捜部と稲川会?或いは右翼団体?
http://www.news.janjan.jp/living/0304253271/1.php

http://asyura.com/0502/cult1/msg/171.html

http://blog.goo.ne.jp/grzt9u2b/e/5d7de3f07dba5b23c90c03f8913b141b

旧勢力の息の根を止める絶好のチャンスです。 richardkoshimizu's blog-ウェブリブログ
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201001/article_36.html

検察という国家権力にすり寄る「記者クラブメディア」の醜悪 週刊・上杉 隆 ダイヤモンド・オンライン
http://diamond.jp/series/uesugi/10111/

ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 偽メール事件でわかった、日本政界の「ダーティー・トリック」
「選挙で選ぶのは半分は主婦層だから、そのような主婦層は、刹那的な政治的思想やムードで動くから、
PR会社でテレビを操れば、選挙の結果を誘導することは非常に簡単なのだ」
http://amesei.exblog.jp/2771136

NHK「地検リークあり得る」 - livedoor ニュース→この一件以降、マスゴミも議員事務所も「意見は聞くが、質問には応じない」慎重ぶりが目立つ。
http://news.livedoor.com/article/detail/4575701/

検察リークの実態を鮮明に示す週刊朝日記事 - 植草一秀の『知られざる真実』
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-2389.html

日本経済新聞も鳩山総理答弁を改ざん報道 - 植草一秀の『知られざる真実』
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-a5ce.html

報道を捨ててバラエティーにシフトするTBSは刹那主義 - livedoor ニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/4575692/

→わざわざ三宝会の後藤謙次を抜擢して、故・筑紫哲也氏が「News 23」で築き上げたものを粉砕し、
今度はその後藤を「総力報道!THE NEWS」のメインキャスターに据えてまで小沢&民主党潰しを徹底したにもかかわらず、だ。

三宝会
http://ameblo.jp/aobadai0301/entry-10262149034.html

ゲンダイネット 小池百合子元防衛相は、「外国人参政権」提案者だった さすが「政界渡り鳥」変節女 
http://gendai.net/news.php?m=view&g=syakai&c=020&no=44460

公共の電波が創価学会のCMを解禁するのは問題じゃないのか - livedoor ニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/4577975/

マスコミの宗教広告は問題だと思う? - ネットリサーチ - livedoor ニュース→87.6%という圧倒的多数の人が「問題がある」としている。
http://research.news.livedoor.com/r/39838

國民新聞(平成16年3月)創価学会に懐柔された田原総一郎
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H16/1603/1603062friend.html

「田原総一郎は、創価学会名誉会長・池田大作に、複数回に渡って単独インタビューを行った。
当時はオウム事件の影響で、池田自身に証人喚問の要求が出ていた時期である。
そして、学会系メディア以外で池田はあまり登場しなかったので、インタビューは各方面で注目を集めた」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%8E%9F%E7%B7%8F%E4%B8%80%E6%9C%97

「田原総一郎」の献金先 - 東京サバイバル情報 ☆一時避難せよ☆→平成19年度 石原伸晃、枝野幸男、仙谷由人
http://yaplog.jp/ichijihinan/archive/286

「危険なドキュメンタリー作家」田原総一郎伝説→そもそも日本の政治をどうこう言えるような人間なのか?
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20080404

http://kihachin.net/klog/archives/2007/08/nomaehara2.html

敵の敵は仲間?右翼と左翼は紙一重、左右両翼とも小沢憎しという面で同じ共通の敵を見つけたようです。質問です
http://www.asyura2.com/10/senkyo79/msg/301.html

小沢一郎を利用する人々~高橋嘉信(現・自民党岩手4区支部長)&金沢 敬(元・石川知裕議員の私設秘書)の卑しい正体~ Roentgenium
http://www.asyura2.com/10/senkyo77/msg/607.html

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ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 - ビルダーバーグ名誉議長 欧州の“ドン”エティエンヌ・ダヴィニオン子爵の研究
http://amesei.exblog.jp/4152797/

ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 - 小沢一郎は、本当に「鳩山支持」か?
http://amesei.exblog.jp/9722984/

ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 - オバマがロックフェラーに長い間育てられたという具体的証拠が出てきた
http://amesei.exblog.jp/9411988/

ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 - メディアが小沢降ろしを始めた/呼応する反主流派
http://amesei.exblog.jp/9514270/

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(あとがき)

日本がこれからどのように変わっていくにしても、この複雑な世界の濁流にあることに変わりはなく、その中で少しでも、
日本国民にとって良い社会を保持していけるように、自国にとって有益になるような諸外国との関係を常に模索していかなければならない。
でも、遠くない将来、世界的な戦争がないとも限らない。それが世界を常に覆っている現実です。
だから、今こそ日本国民が、そして世界市民が、虚実を暴いて真実を見抜く力を、この世界をより良く変えていく為に、
“日進月歩”で一人一人が全体の民度を高めるように、心がけていかなくてはなりません。手を携え、常に奢ることなく。

国民主権を今のところ?まだ有している国民一人一人が、大きな視野を持って、闇の世界史を再検証しながら、
最悪の事態と、これから日本社会が進むべき道を、両方考えた上で、何が本当に問題なのかを探り、声をあげていくべきなのではないか?
そのように思うのです。

最後に、永井 豪「デビルマン」最終巻に描かれているストーリーを簡単に紹介して、
今回のMRA=松下政経塾を軸とするアッセンブラージュ(或いは、集合論)を締め括りたいと思います。

その創造された世界の中で描かれているのは、悪魔の醜い姿になっても尚、人間の心をなくさないデビルマンたちと、
本当の悪魔たちと、そして、人間の姿でありながら、恐怖に取り憑かれて心を悪魔に支配された世界中の民衆です。
これは、漫画の中の世界かもしれませんが、現実の世界、日本でも、それと同じことが実際のこととして起きているのではないか?
ここで描かれている世界、地獄絵巻は戦争にも見受けられるものであり、決して非現実的な思想・描写ではないと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3

(以下、Wikipediaからストーリーを引用転載)

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不動 明は父の親友の牧村家で居候になりながら、家の娘の牧村美樹と共に名門学院に通う普通の学生。
ある日、突然現れた親友の飛鳥 了に、
「氷の中で眠っていた地球の先住人類「デーモン(悪魔)」が、何万年の時を隔てて現代に甦り、再び地球を人類から奪い返そうとしている」と知らされ、
人類を守る為に、了の父である飛鳥教授の残した「恐怖の遺産」を受ける事、すなわちデーモンと合体して悪魔の力を手に入れる事を決意する。

人間がデーモンと合体しても人間の心を持ち続ける為の条件、
―合体時に理性を失った状態でいる、デーモンの意識を抑える強い意思を持つ、善良で純粋かつ正義を愛する若者である―を満たした明は、
デーモンの勇者・アモンと合体に成功して、人間の心と悪魔の力を持つ悪魔人間・デビルマンとなった。

デビルマンを倒す為、次々にデーモンの刺客が迫り、明はそれらを全て倒していったが、終にはデーモンの人類に対する無差別合体が始まる。
理性ある人間との合体はデーモンにとっても死を意味する一人一殺の特攻作戦なのだが、人間の弱点「恐怖心」を見事につき、
ソ連ではデーモンの侵略阻止の為に、ツリングラードに水爆を射ち込む結果を招いた。

悪魔王ゼノンによる人類に対する宣戦布告が行われ、デーモン軍団の総攻撃に対し、人類も自らが開発した兵器で対抗するが、
合体による人間の乗っ取りやデーモンの超能力の前に次々に倒れていく。

世界的な権威・雷沼教授が、
「悪魔の正体は人間だ!人間の強い願望が自身の体細胞を変化させた!現代生活の不満が増大した結果・・・・、
そのやり場のない不満を別生物になることでみたそうとしたのだ!」と発言した為、
お互い疑心暗鬼になった人類は悪魔狩りの名の下、中世の魔女狩りのごとくデーモンと疑わしい人物、悪魔化しそうな危険な人物等を、
次々と逮捕・拷問にかけて殺していった。

了と共に事の成り行きを見守っていた明だが、止める了を振り払い単身で無数のデーモンとの戦いに出た。
しかし、多勢に無勢で倒れ、デーモンがデビルマンにとどめを刺そうとした時、デビルマンを生かすことが大魔神サタンの意向だと他のデーモンに告げ、
明は見逃される。

一人の力では戦えないと悟った明は、無差別合体で覚醒した他のデビルマンを集め、デビルマン軍団を組織するのだった。

明が無数のデーモンとの戦いから帰還したこと、自分の思い通りに物事が進むことを不思議に感じた了は、事件について考え直す為、自宅に向かう。
自宅を調べると、悪魔実在の証拠である石像は偽物で、しかも見つけた写真には、自身とは別人の"既に死んでいる了"が写っていた。
混乱する了の前に無数のデーモンが現れ、了を迎えに来たと告げて、全ての謎が氷解する。了こそ、デーモンの支配者である大魔神サタンだったのだ。

彼は自ら人間となり、人間の心を持ち、人間として生活し、人間としてデーモンを恐れた。
ゼノンは、了の恐れる事をそのまま行っていたのである。
記憶を取り戻した了は、TV番組で、「デーモンが人間に取り付いて人間社会に潜伏している、明がそのひとりだ」と告げ、
更に明の前に現れると、もうデーモンが手を下さずとも人類は滅びる事、自分がデーモンである事、デーモンと戦う為に明を合体させたつもりだったが、
実は新しい世界に明を生き残らせる為だった事、デビルマン軍団とは戦いたくはない事を語り、デーモンの時代、新しい時代を共に生きようと誘った。

その頃、牧村家では、牧村夫妻が悪魔を匿ったとして悪魔特捜隊に連行され、拷問の末殺されてしまう。
事ここに至り、お互いを信じず殺し合う人類に一度は絶望した明だったが、
自分の戦いの最後の拠り所として、美樹を守るという目的が残っていた事に気付き、立ち直る。

しかし、美樹の許へ駆けつけた明が見たものは、狂気に身を任せた住人たちが美樹らを惨殺し、その生首を槍の先に掲げている地獄絵図だった。
明は怒り狂い、美樹を殺した者たちを焼き尽くす。全ての希望を失った明は、大魔神サタンと戦うことを決意する。

やがて20年の時が流れて、人類は既に滅亡していた。
中国大陸に集結したデビルマン軍団とデーモン軍団との最終決戦・アーマゲドンが始まる。アーマゲドン、それは飛鳥 了と不動 明の愛と憎悪の戦いだった。

戦いが終わり、サタン(了)は明に語る。
かつて地球を支配していたデーモンを、創造主たる神が滅ぼそうとしたこと。それに反発したサタンはデーモン側について戦い、勝利して永い眠りについたこと。
目覚めると地球が人類に支配されていて、サタンは地球を荒らした人類を許せなかったこと。

しかし、サタンは自分が人類に対し行ったことが、かつて神がデーモンに行ったことと同じだと気付き、人類を滅ぼしたことを後悔して、明に謝罪した。
サタンが語り終えた時、戦いで傷ついた明は息を引き取り、サタン以外の命が絶えた地球に神の軍団が降臨して物語は幕を下ろす。

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≪BGM≫

YouTube - ISSAY meets DOLLY 『LAST TANGO』
http://www.youtube.com/watch?v=ZEd92uz1hgk

YouTube - ISSAY meets DOLLY 『濡れた月夜のボサノヴァ』
http://www.youtube.com/watch?v=dZkU79WIT9M

YouTube - ISSAY meets DOLLY 『午後三時の雨』
http://www.youtube.com/watch?v=qvyonZYZC34

YouTube - 福原まり - 『primavera(romance)』 ※とても美しい曲
http://www.youtube.com/watch?v=0zHaCepYIm0

YouTube - 福原まり - 『pieta』
http://www.youtube.com/watch?v=0jQok0wlkdk

YouTube - 福原まり - 『ロシア鉄道』
http://www.youtube.com/watch?v=eHG6Q1Kk5hg

YouTube - ISSAY 『いとしのマックス』 ※JCIAに対する皮肉の意味を込めて選んだ曲
http://www.youtube.com/watch?v=HUO7lLKhUL4

YouTube - Nine Horses - 『Darkest Birds』
http://www.youtube.com/watch?v=WViwbeS8u3o

YouTube - Ryuichi Sakamoto - 『Before Long(Live 2007)』
http://www.youtube.com/watch?v=DW7HfvTtAaQ

YouTube - Ryuichi Sakamoto - 『Where is Amro(Live 2007)』
http://www.youtube.com/watch?v=sKGpik38O08

YouTube - Ryuichi Sakamoto Tour Book cd - 『A Flower is not a Flower(花非花)』
http://www.youtube.com/watch?v=dfwLS3APlTw


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