reki 竹中平蔵物語 : 中川隆

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Feb 21, 2010, 6:22:56 AM2/21/10
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竹中平蔵物語
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/301.html
reki 301 2010/2/21 20:22:50
投稿者: 中川隆

「競争が進むとみんなが豊かになっていく」(笑)

ヘ・イ・ゾー!ヘ・イ・ゾー!ヘ・イ・ゾー!ヘ・イ・ゾー!
ヘイゾーヘイゾーヘイゾーヘイゾー
ヘイゾヘイゾヘイゾヘイゾ
ヘゾヘゾヘゾヘゾ・・・(笑)


改革が不十分なので、地方が疲弊しています

金持ちを貧乏人にしても貧乏人が金持ちになるわけではない

格差社会とか地方の疲弊などというキャンペーンを張って改革(笑)を邪魔する(笑)

生産性の低い建設業労働者をIT産業に(笑)

介護で500万人の雇用創出(笑)


石原都知事から、アメリカの手先と指弾された、ユダヤ資本に飼われた竹中さん。売国奴の標本です。

知的レベル・政治意識の高い階層は騙すことが出来ないので、「IQの低い、イメージだけで物事を判断する傾向のある、主婦・子供・シルバー層の支持を取り付けて郵政民営化を強行しよう」というのが、小泉一派の方針だそうです。

竹中大臣の知人の会社が作成した内部文書が暴露されています。

「小泉内閣支持基盤はIQの低い「主婦層や子供、シルバー層」といった具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターだけを支持している層が多いから、その層を中心に学習を促進させれば、容易に騙すことができる」ともとれる内容の大衆扇動手段が提言されています。

質はどうであれ、数だけそろえて、小泉支持の声を上げさせているわけです。創価学会の低所得層の大量動員と同じ発想ですね。そして、民営化に反対した議員には、女性対立候補を刺客としてどんどん送り込んでいます。

これこそが、「イメージだけで判断する、あまり脳細胞を使う習慣のない主婦、子供、シルバー層」の票を狙った狡猾な手口です。

どうせ主婦なんかに、民営化の議論など解りはしないと馬鹿にされているわけです。

「改革改革」と繰り返せば、主婦や子供は、本当に改革派だと思い込んでくれる、「抵抗勢力だ」と繰り返せば、無知蒙昧な主婦層は、抵抗勢力と名指しされた人たちは、本当に悪い奴らだと思い込んでくれると計算しているのです。どんな無知無能な有権者でも、一票は一票ですから。ユダヤ人がアメリカで培ってきた選挙戦のノウハウが、そのまま投入されているように思います。
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/yuuseiminneika.htm

1987年、大阪大学経済学部助教授に就任。以降研究者としての道を歩む。同校の主任教授は後に「経済財政諮問会議」の民間議員および「政府税制調査会」の会長を務めることになる本間正明であった。

しかし、母校の一橋大学に前述した論文『開発研究と設備投資の経済学』を提出し経済学博士の取得を試みたものの、

「あまりに初歩的すぎる」などとの意見が出て、教授会での審査に不合格となる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E8%94%B5


一橋は竹中の博士論文を認めていない。
だから一橋では博士号は与えていない。

理由はいろいろ書かれているが、要するに博士論文に値しないって事。

それでもどうしても博士号が欲しかったんだろうね。
阪大でやっと博士にしてもらった。
当時の阪大には竹中のボスがいたからね。

竹中っていうのは経済学者としては特に見るべき業績はないよ。
ただ時の政府と繋がりの強いボス教授に取り入る要領は抜群。
例の口八丁だからね。

慶應にいったのも、KKというかつて政府自民党と密接だった慶應閥のボス教授の引きだよ。 KKは慶應を辞めた後は冴えない二つの私大の学長を渡り歩いて、子分達を集めている。

ただ竹中が信奉して武器にしてきたアメリカの市場原理主義が破綻してしまった。
今竹中としては生き残る為に必死だろうね。
金儲けは大好きだし、常に注目を浴びていたい男だから。


一橋に提出した博士論文は教授会での審査に不合格。
阪大に別論文を提出してやっと博士号取得。
よっぽど博士号が欲しかったんだろうね。

因みに当時の竹中の親分は阪大教授の本間正明。
多くの政府委員を歴任していた典型的な御用学者。
官舎で元クラブママの愛人と同居していたスキャンダルで失脚した人物。

一旦主査がOKすれば,普通は主査の顔を立てて余程のことがない限り,審査もOKになるんだが.審査段階ではねられるというのは余程程度が低かったということだ.


一橋大学の博士号取得に失敗した「翻訳型研究者」は次第に、「企業家」「オルガナイザー」としての頭角を現す。そして、43歳のとき、様々な手段を駆使した末に念願の博士号を取得した直後から、その本性をむき出しにしてビジネスの世界へと乗り出していく。

平蔵ちゃんも、ハーバードのジェフリー・サックスモデルを利用してグローバルエリートのパシリぐらいにはなれたのかな?

母校の一橋大学が博士号はダメよ!他人の論文平気で剽窃するような人には博士号はあげません!

それでも、メゲナイ平蔵ちゃん、
いろいろツテやコネをたどって慶応と大阪大学の両方から博士号をもらえる根回しをしてもらったんだって。

佐貫は困り果てたが、竹中は佐貫に判断をゆだねた。
「佐貫さん、慶応大学と大阪大学、どっちで博士号とったほうがいいでしょうか」 佐貫は竹中を諌めるようにいった。

「竹中君,おれと加藤さんの仲だ。加藤さんにはおれが頭を下げて謝るよ。でも、本間さんはそういうわけにはいかないぞ。
君が大阪大学にいった時の恩師なんだから、失礼なことはできんぞ」

根回しで博士号をとってしまう、平蔵ちゃん、電波芸人のスキルとしてもすばらしい。
http://asyura2.com/0510/senkyo17/msg/422.html

竹中平蔵氏はこれと言った学者としての業績もなく、著書などを見ても経済
の入門書ばかりだ。このような人物が大学教授になり、大臣にまでなれたのは、背後に長富氏という高級官僚が糸を引いているからだ。

竹中は73年に一橋大学を卒業、日本開発銀行に入行した。 その後77年には
同行設備投資研究所に配属になり、82年には大蔵省財政金融研究所に主任
研究官として出向した。

この頃、竹中は、当時大蔵省官房審議官兼財政金融研究所次長であった
長富祐一郎に出会う。 長富はその後大蔵省関税局長を経て財政金融研究所長
を務めた人物であるが、大蔵省きっての問題人物であり、この出会いが竹中を
シンデレラ・ボーイに押し上げていくのである。

87年、竹中は、長富の後押しにより、大蔵省の出向ポストであった大阪大学
経済学部助教授に就任した。 そのときの主任教授が、現在、経済財政諮問会議の民間議員を務める本間正明氏である(竹中が本間教授の起用にこだわった
のは、もちろん口封じのためである)。

しかし、竹中は、休講ばかりで授業を真面目にやらなかったうえ、生来の
女好きが災いして教え子の女子学生にセクハラを働いたため、本間教授の
逆鱗に触れて大学にいられなくなってしまう。

そこで、竹中は長富に泣きつき、トラブルを表沙汰にせず、円満に大学を
去る形にしてもらった。 89年、長富は開銀とも話をつけ、ハーバード大学
に留学させることにした。そのときの肩書きは客員准教授であったが、実際
には助手見習いであり、しかも在籍したのはわずか3ヶ月だった。

ここで、長富がなぜこのような力を持っていたかということに触れる。 
長富は、大蔵省の中堅幹部だった頃から、財政金融研究所の外郭団体を使い、
銀行や証券会社から巨額の裏ガネを集めていたのである。

そのカネは、政界工作はもちろん、海外の主要な大学や研究所との人脈づくり
にも使われていた。 長富は頻繁に海外出張して、接待・贈り物攻勢をかけた
のである。 竹中がハーバード大学に留学できたのも、この裏コネクション
があったからである。

ちなみに、そのとき長富にいいように使われた人物が、みずほグループに
いる。 竹中がみずほグループを追い込めないのも、過去の秘密を握られて
いるからである。

なお、本題からは外れるが、このとき竹中は、1月1日に日本に住民票が
なければ住民税を払わなくてすむという脱法行為に気付き、以後もたびたび
この手法で「節税」を繰り返すことになる。

この問題を国会で追及された際、竹中は意図的なものではないと強弁したが、
草野厚慶應義塾大学教授が、竹中本人から「節税」を誘われたと漏らして
おり、意図的なものであったことは確実である。

ハーバード大学からわずか数名しかいない国際経済研究所なる研究所に移った
竹中は、90年に慶應義塾大学総合政策学部助教授のポストを得る。 
これは、長富が、懇意にしていた加藤寛慶應義塾大学総合政策学部学部長に
働きかけたことから実現したものである。

http://www.rondan.co.jp/html/mail/0310/031021.html

竹中平蔵による同僚の研究業績の盗用事件  

月刊『現代』の今月号(12月号)に、ジャーナリストの佐々木実氏が「竹中平蔵 仮面の野望(前編)」という渾身のルポルタージュを掲載しており、非常に興味深い内容でした。その中で、このブログの10月9日の記事でもちょっと触れた竹中平蔵氏による同僚の研究業績の盗用事件が詳しく紹介されております。興味のある方は是非『月刊現代』をご一読ください。竹中氏による盗用事件の概要は以下のとおりです。竹中氏は日本開発銀行(現・政策投資銀行)の設備投資研究所に勤務していた当時、同僚の鈴木和志氏(現・明治大学教授)と共同研究をしておりました。ところが竹中氏は、共同研究者の鈴木氏には無断で、その研究内容を単名の著作の中で発表してしまったのです。かくして、鈴木氏が行なった実証研究の成果は、パクられて竹中の業績になってしまったのでした。

 問題の本というのは、竹中平蔵著『研究開発と設備投資の経済学』(東洋経済新報社、1984年)です。竹中はその「業績」によりサントリー学芸賞を受賞し、学者への道を切り開いたわけです。その問題の本では、鈴木氏の他にも、同じく同僚の高橋伸彰氏も、自分の作成した図を竹中氏に盗用されるという被害を受けていたそうです
 
 『現代』のルポでは、竹中に自分の研究成果を盗用された事実を知った鈴木氏が、あまりの悔しさで、同僚たちの目の前で泣き崩れてしまった事実などが、生なましく描写されております。鈴木氏が泣き崩れた現場にいて、鈴木氏を励ましたのが、設備投資研究所の研究顧問をしていた宇沢弘文氏(当時は東大経済学部教授)でした。


じつは私も宇沢先生から、直接に「竹中事件」のあらましについてお聞きしておりました。宇沢先生は、この事件について「汚い犯罪」と仰り、「あの時、竹中を処分していれば、こんなこと(今の絶望的政治状況)にはならなかったのかなあ」と語っておられました。

 竹中氏がやったことは、学問の世界ではもっとも恥ずべき犯罪行為です。竹中氏は、日本をアメリカ型社会に改造したいようですが、もしアメリカだったら、こんな盗用事件が発覚した時点で学者生命は終わりですね。決して大学教授なんか続けていられないでしょう。

 私は、産業政策や社会経済のシステム全般に関しては、かつての(日米構造協議や年次改革要望書で破壊される以前の)日本型システムの方が、米国よりもはるかに優れていると思っております。しかし残念ながら、学問研究に関する制度は米国の方がはるかに優れています。悔しいことですが、私も米国がうらやましいと思う次第です。スポーツや学問研究の世界なんて、厳然たる競争原理がはたらくべき分野だからです。そういう分野は米国型でよいのです。(しかし、社会経済のシステム全般に関しては決してそうではありませんが・・・)。


米国型のアカデミズムの規律の中では、竹中氏のような窃盗行為は厳格に処分されます。教授職も解任されるでしょう。もっとも、そもそも竹中氏程度の研究業績だったら、米国では決して教授になんかなれないでしょうが・・・。何せ、竹中氏ときたら、唯一の学問的業績が、この盗用本なのです。竹中氏の他の著作なんて、まったく取るに足らない俗説受け売り、オリジナリティー・ゼロの解説本ばかりなのですから・・・・。

 残念ながら、日本の大学の多くでは、学問的業績よりも、教授にどれだけゴマすったかで登用が決まるといった、じつに情けない状態ですから、竹中氏なんかでも教授になれたわけです。
 日本の大学で独創性のある人間は、だいたい教授の言うことなど聞きませんので、教授から見ると使い勝手が悪くて嫌われ、教授に従順な茶坊主が研究室の「後継ぎ」になってしまうことが多いのです。かくして日本の大学はだんだん腐ってきております。
 アメリカ型アカデミズムでは、「茶坊主度」などは評価の対象にならず、研究の独創性が当然のことながらトップ・プライオリティーとして重視されますので、優れた研究が出るわけです。

私の所属する某学会では数年前、某旧帝大の某教授が、同じ講座の女性助手の未発表の調査データを盗用して論文を書いていたという「アカデミック・ハラスメント」の事件が発覚しました。日本の従来通りの慣行でしたら、なあなあで「恩赦」が与えられてうやむやになっていたのでしょう。しかし、幸いなことに学会の若手には、日本におけるアカデミズムの規律も米国のように厳しくあるべきだと思う人が多かったようで、厳格な処分を求める署名運動が起こりました。その結果、その某教授は、学会から「退会勧告」という処分を受けました。
 しかし、肝心の某旧帝大の教授会は、その某教授に対して今に至るまで何の処分も下しておりません。何せ、他の教授たちも似たようなことをしているのでしょうから・・・・。

 竹中さん、日本がアメリカ型になったら、一番困るのはあなたじゃないですか??
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/29469447a0d19222c5dc03ae3d04da49


彼は小学生の頃から強烈な競争意識を奥底に秘めていた。
日本開発銀行勤務時代に営業失格の烙印を押されるが、不意に歩み出した研究者生活のなかで、彼は人脈を広げ、アメリカ留学、大蔵省出向を経て学者としての地歩を築いていく。
しかし・高い評価を得た処女作には剰窃疑惑が持ち上がっていた!

「日本のインテレクチュアルズ(知識人)が試される」
四年半前、小泉純一郎首相から経済財政担当大臣に任命された竹中平蔵は、就任時の記者会見でそう語っていた。
日本の知識人の代表として政権に参加したのだという自負が、そう言わしめたのだろう。

 まるで急峻な山を踏破するように、竹中は一気に政権中枢へと昇りつめていった。
一九九八年に小渕恵三政権で経済戦略会議のメンバーに選ばれたのを皮切りに、森喜朗政権ではIT戦略会議のメンバーとして政策ブレーンをつとめ、小泉政権発足とともに大臣に就任した。
 政権入りしたときの竹中の物言いをそのまま受け入れるのならば、日本の知識人の代表として政治とかかわったこと、つまり竹中が権力中枢に入り込んだことは、ようやく日本の政治が知識人を受け入れて近代化、知性化されたということになるのだろう。
果たしてそのような理解は正しいのだろうか。


竹中は「サプライサイダー」とみられている。
供給側を重視する経済学者、生産者側、企業サイドの活性化を重要視する立場である。
竹中の経済観はそのまま小泉構造改革の思想になっているといってもいい。
「小さな政府」と「競争社会」。

竹中の思想はどこから出てきたのか。
それは日本の社会を導く思想と呼べるものなのだろうか。

 これまでに竹中は膨大な量の文章を書いてきたが、自身の歩んできた道を綴ったものは驚くほど少ない。
小泉構造改革がほんとうのところいったいどのような思想に基づいているのかを知るためには、竹中の思想のよって立つところを理解しなければならない。
それはとりもなおきず竹中平蔵という人物そのものを理解することである。

私は、竹中が歩んだ五十四年の軌跡をたどってみることにした。
(中略)
 露骨な競争意識

 小中学校時代、毎日のように顔をあわせていた親友の森本道夫が、竹中の行動に戸惑いを覚えるようになったのは、小学校六年生のころだったという。ときおり、激しいライバル心を抱
いているような素振りを見せるようになったのである。もっともそれは学業に限ってのことだった。少し言いにくそうに森本は話した。
 「ぼくのほうはそんな意識はぜんぜんなかったですけどね。中学校でも学年があがるにしたがって、平蔵が(成績のことを)聞いてくるようになったんです。ぼくはそういうのはちょっとあれやったから……」


中学校三年生のときだった。森本は業者が実施する有料のテストを受けて県内の成績上位者に入った。森本や竹中が通う西和中学校から受験した生徒のなかでは一番成績がよかった。
 「ぼくも受けたらよかったな」
 竹中は森本から成績結果を聞くと、そういった。テストを受けていれば自分が一番になっていた、とでも言いたげな物言いである。森本は内心むっとすると同時になにか割り切れない気持
ちもした。親友の竹中とは二人でいっしょにがんばっているとおもっていたからである。
 「あれっ、いっしょにがんばったらええやんかとおもっていたからね。平蔵だって勉強はよくできたし、ぼくに競争心をもつのはちがうだろうと。そういうのは勘弁してくれ、と。そういう
ことで、ぼくのほうから平蔵と少し距離を置くようになったんです」
 おもいあたるきっかけがひとつあった。知能指数(IQ)テストである。
 ふつう結果は本人にしかわからないはずなのだが、小学校六年生のときの
森本の結果は一部の保護者の知るところとなった。先生が、学年で一番IQが高かったのが森本であることを保護者会でついもらしてしまったのだ。
 森本はそのことを母親から聞いて知ったのだが、竹中が露骨な競争心を示すようになったのはこの一件以降である。森本にはそれ以外の理由がおもい浮かばなかった。


吉田和男・現京大教授は、竹中の研究者としての骨格はアメリカでつくられたのではないかとの感想をもっていた。

「どのような時期にアメリカにいたかですよね。これは竹中さんに限りませんけど、日本の経済学者はどの時期にアメリカにいったかで決まるところがある。竹中さんがいった時期は、純粋なケインジアンにはお年寄りが多く、若い人はそういう立場に異論を唱えていた。やはり経済学者は一番勉強をしていた時期に影響を受けるから」

 吉田の言葉は七〇年代から八〇年代にかけて起こった、アメリカ経済学界の地殻変動といってもいいような大きな変化を前提にしている。七〇年代のアメリカ経済学界は、いわば戦国時代の様相を呈していた。

 厳しい批判を受けたのが、それまで主流だったケインズ経済学だった。インフレーションが加速し、さらにインフレ、不況、高失業率が同時に起こるスタグフレーションが生じるなか、政府が有効需要を管理することで失業やインフレを是正する、という考え方を否定するグループが経済学界のなかに台頭してきた。 低金利がインフレを招いたとする「マネタリスト」は金利政策ではなく、貨幣を安定的に供給することが重要だと説いた。人々の将来予想を織り込んだ経済学を標梼した「合理的期待形成学派」は、人々が合理的に将来を予想すればケインズ的政策は効果がないと主張した。

 反ケインズの潮流のなかで、需要側ではなく供給側を重視した政策を唱えるグループも出てきた。「サプライサイドの経済学」である。レーガン大統領の掲げる「小さな政府」路線を理論面から支える主役はサプライサイダーたちだった。


 古い経済学の再登場

 極端な減税政策を柱に据え、「小さな政府」路線をレーガン大統領が突き進んだ背景には、国家衰退への危機感を抱く指導者層に、六〇年代以降の福祉政策拡大に不満をつのらせる中間層が呼応するという、大きな政治的流れがあった。

  六一年に大統領に就任したケネディはケインズ政策を採用した。ケネディ暗殺後に副大統領から大統領に就任したジョンソンは「偉大なる社会」政策で福祉施策を拡大する一方、泥沼化するベトナム戦争に本格介入していく。結果として、六〇年代後半からインフレーションが進むとともに失業問題が深刻化し、アメリカ経済はスタグフレーションに陥った。

 こうしたなかで、政府が財政金融政策を行って経済をコントロールするという考え方そのものが批判にさらされるようになった。とりわけ攻撃の対象になったのは福祉政策である。そして、ケインズの登場で否定されたはずの古い経済学、つまり市場機構の活用を重要視する自由放任の経済思想を下敷きにした経済学が、装いを新たに再び登場してきた。

 これが先述した反ケインズ経済学の動きだ。つまり、経済学界の動きと連動しながら現実の政治潮流はつくられていくのである。これら「新しい」経済学を掲げる経済学者やジャーナリストたちは、「専門家」の立場からレーガノミックスの正当性を保証する役割を担うことになる。


流行のエイベルに飛びつく

 竹中は初めてのアメリカ滞在で、政治=レーガノミックス、経済学=反ケインジアンの流行、の両面から影響を受けることになる。

 設備投資の研究をしていた竹中が行き着いたのは当時ハーバード大学の新進気鋭の経済学者だったアンドリュー・エイベルだった。エイベルは「合理的期待形成」の考えを設備投資の研究に導入して注目されていた。
「合理的期待形成」というのは経済活動を行う人々の将来に対する見通しのことなのだが、経済学のなかでは独特の意味をもつ。

 まず、人は「合理的な経済人」であるという前提を置く。自らの行動が市場にどのような影響を与えるかを予測し、そのうえで現在の行動を決める。各人が経済の構造について完全な知識をもち、市場価格がどのような確率分布をするのかまで計算できるという前提に立っている。

 もちろんそのような「人」は実在しないが、この前提を置くと整然とした理論を構築できる。合理的期待形成のこのような考え方を受け入れると、結果として、政府が介入しないで市場機横にすべてを委ねておけば、もっとも効率的な資源配分が達成されるという結論が導き出されてくる。

 ところで、なぜエイベルが注目されていたかというと、当時のアメリカ経済の最大の問題が生産性の低迷だったからだ。「生産性のパズル」と呼ばれ、根本的にアメリカは活力を失ってしまったのではないか、という危機感の温床となっていた。生産性の低迷を解消するという大義名分を掲げて登場してきたのが、サプライサイド経済学である。
 生産者側の供給能力を強化する点に焦点を絞ると、設備投資の活性化というテーマが浮上する。レーガノミックスの減税政策のねらいのひとつも設備投資の振興にあった。エイベルはそうした設備投資をめぐる専門家の議論の中心にいたのである。

 この時期、アメリカの経済学界では毎月「合理的期待形成」の考えに基づいた論文が量産されていた。こうした流行のなかで設億投資研究の「最先端」を探れば、自ずからエイベルに突き当たる状況にあったわけだ。


エイベルを機縁にして、竹中は共同研究のパートナーに鈴木和志を得る。
竹中の二年先輩にあたる開銀の研究者だ。同じ時期に客員研究員としてペンシルバニア大学に在籍していた。のちに詳しく述べるが、鈴木は竹中が経済研究者として世に出るために欠かせない人物だった。

 二人は留学前にいっしょに論文を仕上げた仲だった。鈴木が竹中にエイベルの話をすると、竹中は会ったことがあるという。それならいっしょに勉強しようということになり、二人は連れ立ってハーバード大学のエイベルのもとを訪れた。

 開銀では研究員として留学した場合は一年間で帰国するのが原則だったが、竹中は人事部にかけあって期間を延長してもらい、ハーバードからペンシルバニア大学に移って、鈴木といっしょにエイベルの投資理論の研究をした。

 アメリカ留学の成果

 小川一夫・現大阪大学教授はこのころ、ペンシルバニア大学の博士課程に在籍しており、竹中や鈴木とは大学内で会うと話をする間柄だった。大学の大型計算機の前に座って作業をする二人をしばしば見かけたという。

 「鈴木さんと竹中さんは、日本からデータを取り寄せて、アメリカで計算していました。計量経済学ではそんなにむずかしい作業ではないですけど、最初に日本に適用したからてこずったとはおもいます。計量とかデータのハンドリングは鈴木さんのほうがやっていたとおもいます。竹中さんはその結果から何がいえるのか考えるのが得意なんです」

 鈴木と竹中は本格的なエイベル研究に入る前、日本の新聞でエイベルを紹介している。日本経済新聞の八二年二月二日付「経済教室」である。当時開銀にいたエコノミストが事情を説明する。


「開銀に連絡してきたのは鈴木さんでした。ほかの人が先に紹介してしまったら困るから、とにかく早く発表したい。そう鈴木さんがいってきたので、研究員たちが協力して日経新聞にかけあい、掲載が実現したのです」

 その後、鈴木と竹中はエイベルの研究論文を八二年七月、設備投資研究所が発行する『経済経営研究』で発表した。「税制と設備投資-調整費用・合理的期待形成を含む投資関数による推定」という論文だ。

 ペンシルバニア大学にいた小川によると、当初二人はアメリカの定評ある学術専門誌に論文を掲載したいという希望をもっていたという。アメリカには、論文が掲載されると業績としてカウントされる権威ある学術専門誌がある。できればそうした専門誌に発表したかったのだろう。

 しかし二人の研究はすでにアメリカでは知られているエイベルの理論に基づいているので、結局、二人はあきらめたという。アメリカではエイベル自身が論文を発表して評価を得ているわけだから紹介する意味はない。

 だが日本では事情は異なる。エイベル型投資関数に関する論文は、設備投資を研究する研究者に注目されたという。「この論文が、竹中さんたちのアメリカでの研究の成果ということになるでしょう」と小川は評した。

吉田は竹中といろいろな議論をしたというが、竹中の処女作には吉田のほかに指導教授的な役割を果たした人物がいた。竹中がペンシルバニア大学で知り合った経済学者の小川一夫である。小川はペンシルバニア大学で博士号を取得して帰国し、当時は神戸大学に在籍していた。竹中は月に一、二度の頻度で東京から神戸まで出向き、論文の手直しなどを手伝ってもらっていた。小川が説明した。

 「開銀にいたときに書いたものをまとめて本にしたいということでした。その本で学位を獲りたいということだったのだろうとおもいます。竹中さんは大学院に行っていなかったから博士号を獲りたかったのだとおもいますよ」

 小川に送られてくる論文はワープロ書きではなく、竹中が手書きで書いたものだった。おそらく忙しい仕事のあいまを縫って書き継いでいたのだろう。本を完成させる作業のなかで竹中ほ研究者としての自信を得たのではないか、と小川はいう。竹中が小川にこういったからだ。

 「設備投資の状況をみながら景気の判断ができるようになったよ」

 じつは、竹中の著作が刊行されたとき、開銀の研究関係者たちは一様に驚いた。というのも、開銀時代の論文がベースになっていたにもかかわらず、竹中が開銀側に出版の話を事前にはいっさい明かさなかったからだ。そして、竹中の著書が引き起こしたある事件が瞬く間に設備投資研究所内に波紋を広げた。

 
 問題の処女作

 事件の一部始終を知ることになった経済学者がいた。宇沢弘文である。宇沢は日本を代表する経済学者である。

スタンフォード大学、シカゴ大学などに在籍して数々の研究業績を挙げ、若くして世界にその名を知られるようになった。宇沢が主宰するワークショップにほのちにノーベル経済学賞を受賞するジョセフ・スティグリッツなど、気鋭の若手学者がアメリカ全土から参集したという。アメリカから帰国した後、宇沢は東京大学で教鞭をとるかたわら、設備投資研究所の顧問として開銀の研究者たちを指導していたのだった。竹中の処女作出版をめぐる事件の顛末を聞くため、私は東京・渋谷区の閑静な住宅街にある宇沢の自宅を訪ねた。

 「ぼくは初代の所長だった下村治さんとよく話をしたんですけれども、設備投資研究所はリベラルな雰囲気をつくってやっていこうということで運営していたんです。竹中君の一件はそれを傷つけちゃったようなところがあってね。それまではリベラルな雰囲気でみんなでいっしょにやっていたんだけれども……ものすごいダメージを与えるんですよ、ああいうことは」

 じつのところ、事件の顛末を詳しく聞くことはかなわなかった。宇沢が私にきっぱりとこういったからである。

 「わざわざきていただいて悪いんだけれども、彼の一件についてはもう話もしたくない、というのがぼくの率直な気持ちです」

 なにが起きたのか。当時の関係者の話から浮かび上がってきた事実を記してみたい。
 竹中の処女作『研究開発と設備投資の経済学1経済活力を支えるメカニズム』が東洋経済新報社から出版されたのは八四年七月だった。宇沢のもとにも竹中から献本が届けられた。

 「竹中君がこんな本を送ってくれたよ」

設備投資研究所で、宇沢はそういって鈴木和志に本を見せた。鈴木との共同研究が入っていたからだ。ところが鈴木は本を見て驚いたような顔をしている。不審におもって宇沢がたずねると、鈴木には献本はなく、竹中の出版を鈴木はまったく知らなかった。鈴木が激しいショックを受けたことは傍目にもわかった。宇沢や同僚たちのいる前で泣き出してしまったのである。

 じつは、竹中は本を出版するかなり以前に鈴木のもとを訪れていた。共同研究の成果を竹中の名前で発表することの承諾を求めたのである。
鈴木は拒否した。

「二人で研究したのだから、発表するなら二人の名前で発表してほしい」

 鈴木は竹中にそういった。結局、話し合いがつかず二人は別れた。鈴木はこのあと竹中から何も知らされず、しかも突然出版された本には、承諾しなかった共同研究の成果が収められていた。

鈴木にとってもアメリカでの研究生活の集大成だった論文だ。
悔しさのあまり涙を流したのだろう。

 共同研究を独り占め

 竹中と鈴木の二人が共同研究論文を発表した経緯は前に述べたとおりである。竹中の本が出版される二年前、設備投資研究所発行の『経済経営研究』で発表した「税制と設備投資」と題する論文が二人の共同研究だった。

 エイベルの投資理論を日本経済に適用した実証研究は、竹中の処女作の価値を高める重要な論考だった。そこには「税制と設備投資」で行った実証研究の結果が引用されている。ペンシルバニア大学で二人の作業を見ていた小川の証言では「データのハンドリングは鈴木さんのほうがやっていた」ということだから、実証研究では鈴木が主導していたことになる。

ところが、鈴木との共同研究に基づくものであるということは、巧妙ともおもえるやり方でぼかされていたのである。

「あとがき」のなかで本の内容のもとになった初出論文を竹中は列挙しているのだが、鈴木との研究についてはなぜか日経新聞八二年二月二日付「経済教室」を挙げている。
先述したように、早くエイベルを紹介しておくために書いたいわば紹介記事といってもいいものだ。二人が本格的なエイベル論文を書くのはその後である。

 ささいなことにおもえるかもしれないが、鈴木にとっては非常に重要な記述である。日経記事が二人の共同研究だとすれば、一般の読者は、竹中がその後ひとりでエイベル理論の研究を深めたと解釈するだろうからだ。

一方、肝心の鈴木との論文「税制と設備投資」を、竹中は数多く列挙した参考文献のなかに入れてしまっている。鈴木との共同研究に関しては、本格的な論文のほうは参考文献にすぎず、本のベースにしたのは新聞記事だと竹中はいっているわけだ。

 鈴木が共同論文の成果を竹中単独の著作のなかに入れることを拒んでいたことを考えると、竹中が考え出した巧妙な仕掛けだといわれても仕方がないだろう。

 現在明治大学教授となっている鈴木と電話で話をすると、「あまり思い出したくないことなので」と言葉少なだった。本が出版されて以降、竹中とはまったくつきあいはなくなったという。本の内容についてたずねようとすると、「みたくないからみていません」とだけ鈴木はいった。

 開銀の成果も個人の成果に

 「鈴木さんとなにかあったみたいだけど大丈夫なのか」
 出版直後、鈴木とトラブルが起きていると耳にした開銀の同僚が心配して竹中にたずねると、彼はこう答えたという。

 「鈴木さんのところはちゃんと切り分けてやったよ。だから大丈夫だよ」

じつは竹中の処女作を見て驚いたのは鈴木だけではなかった。開銀の後輩研究者だった高橋伸彰は、自分が作成したはずのグラフが竹中の本のなかに掲載されているのを発見して驚いた。

 開銀の定期刊行物『調査』で発表した論文のなかで作成したグラフだ。
縦軸に設備の年齢(新旧)をあらわす「ヴィンテージ」、横軸に「投資率」をとって描かれた曲線は設備の新しさと投資率の関係を示す重要なグラフだった。

竹中の著作ではグラフの下に小さな字で「各年のヴィンテージは日本開発銀行推計」と書いてあるが高橋の名前はない。これでは竹中が独自に作成したグラフだと読者が勘違いしても無理はない。

現在立命館大学で教鞭をとっている高橋は研究室でこう話した。

「最初見たときはびっくりしましたよ。しょうがないなあとはおもったけど、竹中さんにはいってません。そのことよりぼくが不思議におもったのは、あの本が設備投資研究所の成果、特に石油ショック以降の研究を集大成した内容だったことです。だから個人名の著作として出版されたことに違和感をもった」

 開銀研究者には隠すように、しかも鈴木とのあいだで問題が起きることは目に見えているのに、なぜ竹中は本の出版を強行したのだろうか。

  サントリー学芸賞受賞

 竹中の処女作出版に尽力した人物がいる。開銀の上司だった佐貫利雄である。佐貫は、自分の担当編集者だった先述の渡邉昭彦を竹中に紹介したのだ。
 佐貫が日ごろから竹中に繰り返し言っていたことがある。

「単著を書け。共著を書いても意味がないぞ」


単著とは単独での著作物のことである。経済学では共同論文は珍しくないが、その際は執筆者は複数になる。これが共著である。アカデミズムに認められて学者に転身するためには、まず単著を書いて博士号を取得することが必要だと佐貫は説いていた。実際に佐貫が実行した方法でもある。共著では博士論文として提出するときに支障があるし、業績として申告する場合にも単著よりはるかに価値が下がるからだ。

 竹中の執筆に協力した小川は、竹中には博士号を獲る意図があったのだろうと証言していた。竹中が単著にこだわったのもそのためだろう。出版された時期は、ちょうど当初の大蔵省出向期限が切れる間際だった。竹中としても背水の陣をしいた賭けだったのだろう。担当編集者だった渡邉はこんな感想をもらした。

「大学院を出てなくても開銀では排除されても、単行本でなら勝負できると感じて実際に勝負したんだとおもうよ」

 竹中の処女作『研究開発と設備投資の経済学』は一九八四年度のサントリー学芸賞を受賞した。選考委員の森口親司・京都大学教授(当時)の選評には
「著者は以前に日本開発銀行設備投資研究所につとめていただけに、研究上の有利さがあった」

との記述がある。大蔵省に出向して事務仕事で長富の信頼を得た竹中は出版賞を受賞したことで、研究者としても存在感を示すことができるようになったのである
http://tech.heteml.jp/2005/11/post_189.html


竹中平蔵氏

 彼は、1951年3月3日、和歌山市に、竹中靴店の次男坊として生まれた。和歌山と言えば、世耕弘成(ひろしげ)氏や二階俊博氏を思い出す。とりわけ、世耕氏とは、そのズル賢さと世渡りのうまさ(?)で、竹中氏は、非常に波長が合ったのではないだろうか。

 竹中氏は、出身大学は一橋大学経済学部だが、実は、彼は東大を目指していた。

ただ、例の安田講堂事件で、東大が入学試験をできない年(1969年)に受験を迎えていた彼は、結局、東大を受験できなかった。もし、受験の機会があれば、彼は当然、東大に挑戦し、きっと合格していたのではないだろうか。

 そのような次第で、1973年に一橋を卒業後、彼は、日本開発銀行に入行した。同行員時代に、彼はハーバード大学に留学し、「設備投資」に関する研究をした。だが、同大の博士候補者試験には合格できなかった。私観を述べれば、1~2年間の留学だけでアメリカの名門大学で学位を取得しようなどというのが、本来、無理だと思う。

 1982年、彼は、大蔵省財政金融研究室(のちの財政金融研究所)に出向して、そこの主任研究官となる。普通は2年間だが、彼は5年間在籍した。この期間が彼の実質的な“大学院生活”だったと言えよう。竹中氏は、この出向期間中に、研究所次長として上司になった長富祐一郎氏(のちに大蔵省関税局長)に気に入られ、1987年に歴代大蔵省キャリアの天下りポストである大阪大学経済学部助教授に押し込んでもらった。

この時代に、一橋大学に前述の論文に加筆したものを提出し、経済学博士の取得を試みたものの、教授会の審査で不合格となる。それで、彼は、一橋大学での博士号取得を断念した。 

 正直、私は自らの経験上、自分の学位論文が母校で蹴られたような人物の論文や知性など大した物ではないと感じる。竹中氏は、私の目から見れば“偽物の学者”だ。

学問は、単なる専門的な知識の量ではない。不屈の想像力や感性、それに真の“オリジナリティ”が必要だと思うのだ。

だが、竹中氏に、真のオリジナリティがあるだろうか? 

私はないと思う。実際、なかったから、彼の母校の一橋大学で、彼の学位論文は蹴られたのだ。

学問的なオリジナリティは本来、他者に有無を言わせぬ“迫力”がある。

その他者(=評者)を圧倒するような迫力(=オリジナリティ)があれば、きっと一橋大学は、彼に学位を授与したことだろう。だが、彼の論文には、多分、その“迫力”(=オリジナリティ)がなかったのである。

 ただ、その2年後、彼は、ハーバード大学客員准教授に就任した。だが、これは、長富氏と本間正明・大阪大学経済学部教授の引きによるものだった。

これによって、同年、慶応大学政策学部助教授、1996年、同学部教授の道が開かれた。この間、1994年に、竹中氏は本間正明教授の後押しで、大阪大学にて博士(経済学)を取得した。明らかに、これは“同情の産物”だと思うのだ。

 慶応大学で、竹中氏は、日本の政界に影響力を持つ加藤寛氏(慶大名誉教授、元政府税調会長)の知己を得て、彼の推薦により政府諮問機関に入った。そして、2001年4月の小泉内閣発足に伴い、竹中氏は、経済財政担当大臣に起用されるに至った。大蔵官僚だった長富氏との縁が、竹中氏のキャリアアップの鍵となったことは間違いないが、それ以上に、竹中氏にとっては、加藤寛氏との出会いが決定的だったと思う。加藤氏は慶大で、小泉氏や小沢一郎氏、それに橋本龍太郎氏の恩師でもあったからだ。事実、加藤氏は、竹中氏からの相談を受け、政界入りを強く助言したのだ。

 その竹中氏が、アメリカのゼーリック氏(当時の国務省副長官)の指示に従い、「郵政民営化」を推し進めたわけだ。

それも、決して日本国民のためにではなく、あくまでアメリカの財閥のためにである。

このゼーリック氏が、例のゴールドマンサックスの幹部だったというのも、明らかに“裏”を感じる。

つまり、この人脈が、今日のヘンリー・ポールソン(現財務大臣)へとつながるわけだ。そして、それがまた西川善文氏に連なるのは、もはや自明のことなのだ。

 とりわけ、竹中氏は、平気で嘘をつける人のようだ。それこそ、眉ひとつ動かさず、それができる感じだ。

それも政界に入ってそうなったのではなく、元々そういった“素質”(?)を持った人だったのではないだろうか。

彼に煮え湯を飲まされた人は、結構多いと思う。生田正冶(まさはる、元日本郵政公社社長)氏などは、その代表格の一人だろう。

 識者の言によると、竹中氏は生田氏に対して、「小泉首相の最大の関心事は、2017年の新会社の姿にあります」と語ったという。それゆえ、2007年4月からの10年間は準備期間なので、さまざまなことを弾力的にやってもらって構わない、と生田氏に請け合ったと言うのだ。それに、情報システムにしても、間に合わなければ、四分割がずれ込むことさえ止むを得ないという言動だったという。実直な生田氏も、竹中氏の言を心底信じた。

 ところが、竹中氏は豹変した。小泉氏の命に服して、とにかく2007年までの四社分割実施と、その後、首相交代があっても、2度と郵政民営化路線が覆ることのない「不可逆性」の確保を、生田氏に要求したのだ。

元々、郵政職員の国家公務員資格の剥奪と、その“早期実施”にやっきとなっていた小泉氏が、先ほどのような甘言を弄するはずがない。だが、竹中氏は、前からそういった小泉氏の本音や思惑を十分知りつつ、その場しのぎの甘い言葉を、生田氏に持ち掛けたのだ。


 生田氏は、全郵便局員(=当時の郵政公社社員)に「真っ向サービス」を求めたように、一流の実業家であると同時に、実に一本気な人だったと思う。少なくとも、彼は、万事いい加減な竹中氏や小泉氏たちとは、まったく対照的な人物だったと思うのだ。

竹中氏は、そのような生田氏の誠意を逆手にとり、平気で彼を裏切ったのである。

彼の「平蔵」という名前の由来は、もしかして、どんな嘘でも”平気で言うぞう!”という意味から来ているのではないだろうか。

 多くの人々が、竹中氏の物事のまとめ方として、言質を与えておいて、後で反故にすることが常套手段だという。

つまり、「保証する」と語っておいて、後で臆面もなく、そんな約束はしていないと帳消しにするとのことだ。こんな人物と話す時には、語り合う前に、たっぷりと眉に唾をつけて臨みたいものだ。

 有り体に言うなら、竹中氏は、まったくの“詐欺師”である。

それゆえ、テレビで観る彼は、あまりいい顔をしていない。いつも平気で嘘をつき、それをいつ糾弾されるかと常に戦々恐々としているからだ。

はっきり言って、彼は、人間的に“偽物”だと思う。

だが、今のテレビ界(とくに、東京のそれ)が“偽物工場”なので、彼のような低劣な人物が今でも大手を振るい、周囲もまだ彼をチヤホヤしているわけである。

 竹中氏のようなメッキを張った人物は、“誠”の心を持つ“本物の人物”との対面・対話を避ける傾向がある。

実は、郵政民営化法案が通過する前、同民営化に反対だった森田実氏と彼の対談をあるテレビ局がセットしたことがある。初めは、竹中氏側も、対談をOKしていたようだ。だが、彼は、間際になってドタキャンをした。

 言うまでもなく、竹中氏は、森田氏の厳しい追及から逃げたのである。事実、公に討論していれば、竹中氏はテレビを通して、国民の目の前で森田氏に完膚なきまでに論破されていたことだろう。そうなれば、当時の世論の風向きも、当然変わったはずだ。その世論の風向きを変えないために、彼は、卑怯にも森田氏に背中を見せたのである。

 そんな竹中氏のお蔭で、さらには例のゴールドマンサックスを仲介にしたブッシュ政権から望まれて、日本郵政株式会社の第一代社長に就任したのが、西川善文氏である。竹中氏は、小泉氏の在任中にその布石を打った。まさに、それは“虎の威を借る狐”だった。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/WA2-12.HTML


◆竹中平蔵氏の“欺瞞”を最もよく知る植草氏

 最近、植草氏の著書『知られざる真実―勾留地にて―』(イプシロン出版企画)を読んだ。これは後世に残る名著だと思う。実に内容の濃い気高い“魂の書”である。

 同氏のブログのなかには同書を説明してこう書かれている。「小泉竹中経済政策の深い闇を抉る戦慄の告発書」「満身創痍にひるまず、権力に立ち向かう著者が小泉竹中経済政策を一刀両断に斬る救国の告発書」と。「満身創痍」という言葉は決して大袈裟ではない。

 小泉・竹中経済政策がいかに売国的で国民を裏切るものであったかは、年々歳々、明白なものとなっている。「郵政民営化」がその典型だ。無論、植草氏をはじめ心ある識者には、小泉政権が邪悪な従米主義を本質としたものであることは自明のことだった。加えて、同政権がどれほど財務省の言いなりであったかということも周知のことだった。その小泉政権の売国的体質を最も深く認識していたのが、実は植草氏だったように思うのだ。

 竹中氏にとって植草氏はちょうど10歳下の経済学者だ。竹中氏は、同業の植草氏に異常なほどの羨望と脅威を感じたことだろう。そのことは容易に想像できる。というのは、植草氏の客観的な経済分析能力は竹中氏をはるかに凌いでいると思うからである。

なぜなら、竹中氏はミルトン・フリードマンの「新自由主義(=市場原理主義)」なる欺瞞的な経済理論の“単なる信奉者”に過ぎなかったからだ。

簡単に言えば、竹中氏の経済理論なるものは単なる“屁理屈の受け売り”に過ぎないと思う。

 私は竹中氏を学者だとは思わない。

本来、学者は「真理」に対して謙遜、かつ公平でなければならない。また、自らの持論を「多の中の一」と考えるだけの客観性がなければならない。だが、彼は微塵もそのような謙遜さや客観性を持ち合わせていないと感じる。

 いまでも竹中氏は性懲りもなくテレビ朝日系の番組に出演している。だが彼は、人と議論しても、同じ土俵で論じ合うというよりもむしろ自分で勝手に土俵をつくってしまい、そこで自ら覚えた(?)議論をまくし立てているように感じる。

換言すれば、彼は学者というよりもむしろ欺瞞的で偏狭な宗教家(=原理主義者)に近いように思うのだ。

だが何より問題なのは、彼がアメリカ大資本の悪辣な“手先”の一人だということだ。 
これに対して、ジョン・M・ケインズを敬愛する植草一秀氏は、日本国内の現実を直視した正当な経済理論を展開する。その卓越した経済分析はまさに超一流である。2004年4月、彼が不当に逮捕される前、テレビ番組『ウェークアップ』などでのコメンテーターとしての活躍は目を見張るものがあった。植草氏には、単に優れた分析能力だけでなく、むしろ人一倍の正義感とヒューマニズムが感じられた。それゆえに魅力的だったのだ。

 私は、植草氏と竹中氏は「月とスッポン」「提灯と釣鐘」だと思う。「太陽」と「月」ぐらいの違いさえあろう。端的に言えば、“ホンモノ”と“ニセモノ”の違いがある。

竹中氏が“ニセモノ”であるゆえに、同じ“ニセモノの政治指導者”小泉純一郎氏に重用されたのだと思う。私は、両者は同じ“ニセモノ”であるゆえに“波長が合った”のだと感じる。

 竹中氏の欺瞞を最もよく知っているのが植草氏ではあるまいか。それゆえ彼は、虐げられた日本国民を覚醒するために、本著を書かずにはいられなかったと思うのだ。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/WA2-63.HTML

私は、竹中平蔵という存在を、経済学者ともエコノミストとも思っていいないし、むろん、政治家とも思っていない。

もっと深く怪しい、曖昧な、意味不明の人格と考えている。
むろん、彼の唱える経済学なるものも同じだ、と思っている。

言うなれば、竹中平蔵の経済学には、ドストエフスキーやラスコーリニコフに見られたような哲学的素養と深い根源的な思索というものがない。つまり竹中平蔵には経済の情勢論や政策論はあるが、経済の原理論や本質論が欠如している。

マルクス、ケインズ、ハイエク、シュンペーター等、経済学の思想的巨人たちに関する言及や著書が、竹中平蔵にほとんどないのは、そのためであろう。

その代わり、彼は、権力を握った政治家に取り入るのが無類にうまいし、そういう政治家を信用させる詐欺師的弁舌にたけている。

竹中平蔵から学ぶべきことがあるとすれば、その学界・政界の遊泳術と詐欺師的弁論術だけだろうが、それこそ心ある日本人の最も嫌悪し、排斥する点だろう。

翻って思うに、おそらく現代日本の政治家たちほど思想的、人間的レベルの低い人種は、いまだかつて存在しないのではないか、と思われるほどだ。現代日本の政治家たちは、いとも簡単に竹中平蔵の詐欺師的弁舌に洗脳されているように見える。

竹中平蔵という、見るからに怪しい、詐欺師的人物に惚れ込み、その「立て板に水」という言葉が文字通りピタリと当て嵌まるかのような詭弁的弁舌に洗脳されたあげく、なんと恐るべきことに、国家国民の命運をも左右する政策や行政を、その稀代の詐欺師・竹中平蔵に丸投げするというような、そういう「人を見る眼」のない、「思想性の欠如」した、言い換えれば「貧困の哲学」ではなく「哲学の貧困」を体現しているような暗愚の政治家は、現代日本にしかいないだろう。

要するに、政治家やエコノミストの思想的貧困が、すべての原因なのである。というわけで、おそらく、今、多くの日本人は、未曾有の経済危機がもたらす悲劇と不幸のどん底に突き落とされ、その共同体も社会システムも崩壊と解体を余儀なくされているわけだが、これらの問題は、言うまでもなく竹中平蔵という妖怪を抜きにしては語れない、と言えば、竹中平蔵本人は喜ぶだろうか。


・竹中平蔵は、何故、経済学の「古典」や「本質」を語らないのか?

竹中平蔵の経済学には、経済の本質に関する議論がほとんどない。

今、私の手元に『経済ってそういうことだったのか会議』という竹中平蔵と佐藤雅彦の対談本があるが、その冒頭で、竹中平蔵は、「貨幣」「交換」「価値」等について語っているが、残念ながら彼には、貨幣の本質や交換の謎、あるいは価値の発生…等の本質的、原理論的な基礎問題がまったく見えていないようである。

「牛乳瓶のフタ集めの話」であるが、ある時、竹中平蔵少年が牛乳瓶のフタを集めはじめると、しばらくして学校中で「フタ集め」がブームとなり、フタ集めとフタ交換を繰り返すうちにフタに価値が発生し、竹中平蔵少年は「フタの大富豪」になったというわけであるが、それだけの話である。

わずかに「信用」ということが語られるだけで、「貨幣」「交換」「価値」等の経済学的現象の奥底に潜む謎に、まったく関心がないようである。

もし竹中平蔵に経済学や経済学説史に関する深い素養があるならば、是非ともうかがいたいものだが、竹中平蔵にはそういう深い素養は皆無だろう。

竹中平蔵の言う「構造改革」や「規制緩和」「財政出動無効論」、あるいは「緊縮財政」「郵政民営化」「小さな政府」論等は竹中平蔵のオリジナルの思想ではなく、それぞれ経済学的な理論的背景と学説史があるのだが、竹中平蔵はそこの理論的背景と学説史を隠蔽したまま、まったく語ろうとはしない。「現代の経済学では常識ですよ。そんなこと、当たり前じゃないですか」と語るだけである。

繰り返して言うが、経済学や経済政策をめぐる竹中平蔵の理論のほとんどは、借り物の理論であり、受け売りの理論であり、借り物や受け売りが一概に悪いというわけではないが、いずれにしろ、そのオリジナルはアメリカにある。 

竹中平蔵式経済理論の核心は、需要拡大によって景気回復を試みるケインズ主義批判である。ケインズ理論では、不況の原因は需要の不足による消費後退、つまり生産能力はあるが商品が売れないデフレ・ギャップの発生である、と考え、財政出動、あるいは公共投資などによる需要拡大こそ景気回復の指標になるとする。

しかし、アメリカでは、ケインズ主義的な需要拡大による景気回復という思想は、少なくともアメリカ経済学界では、理論的に否定され、完全に歴史の遺物と看做されて、つまり「ケインズはもう古い」「ケインズは死んだ」というのがアメリカの現代経済学の主流であり、流行思想である。

竹中平蔵もそうしたアメリカの現代経済学を鵜呑みにして、それを無批判に受け入れ、日本国内でそれを、「構造改革」や「規制緩和」「財政出動無効論」、あるいは「緊縮財政」「郵政民営化」「小さな政府」論などとして、政策的に現実化したと言っていい。

しかし、竹中平蔵は、その理論的根拠を明かさない。まるで自分のオリジナルな思想のように語る。そこで、竹中理論なるものの理論的背景を暴露しておこう。


・竹中平蔵よ、「マンデル・フレミング効果」「クラウディング・アウト現象」「ルーカス批判」を隠蔽するなかれ。

ケインズ批判の理論的根拠になっているのは、「マンデル・フレミング効果」理論と「クラウディング・アウト現象」理論、あるいはルーカスの「合理的期待生成」理論、もしくは「小さな政府」を主張するリバータリニズムなどである。マンデル等の主張する「クラウディング・アウト現象」とは、財政赤字が巨大化している時、総需要拡大政策をとるためには財源が必要であるが、その財源を国債発行に求めるのがもっとも容易で安全な選択であろうが、しかしそこに経済学的に問題がある、というわけだ。

つまり、国債の発行(国民がそれを買い取る…)によって市中の民間資金が国庫に吸収され、結果的に民間資金の不足が発生し、民間資金の不足が市中金利の高騰をもたらし、やがて資金不足から民間投資が冷え込み、景気回復が挫折する、という論理である。マンデルらはさらに、ここから、市中金利の高騰は、その国の通貨の高騰を招き(例えば、円高…)、その国の輸出産業が壊滅的な打撃を受け、景気回復は挫折する、という「マンデル・フレミング効果」理論を展開する。

したがって、マンデルらは、ケインズ主義的な「総需要拡大政策」は無効だ、と主張することになる。ケインズ経済学批判は、ロバート・ルーカスの「ルーカス批判」で決定的な段階を迎えるが、それ以後、「ケインズ経済学は古い…」「ケインズ的経済政策は無効だ・・・」という言説が、アメリカだけではなく日本でも、無批判的に蔓延することになったわけだが、では「合理的期待形成学派」のルーカス教授の「ルーカス批判」とは何なのか。はたしてそれは信頼にたる批判なのか。

そもそもフリードマンやルーカス等によるケインズ批判の哲学的背景はどこにあるのか。ルーカス革命の実態は如何なるものなのか。その核心にある哲学とは何か。たとえば、ルーカス批判の理論の一つは、「経済学者たちの代替的政策提案に対する評価は、人々の適応的期待とその影響による行動を考える必要がある」という理論である。


要約すれば、ルーカス批判のポイントは、「ケインズ的な従来の経済政策においては標準的なマクロ経済モデルに依存するだけで、人々の適応的期待とその影響による行動を考慮していない」ということになる。では、「適応的期待とその影響」とは何か。

例えば,「近々インフレが起きる」という期待が形成されると仮定しみる。すると,労働者は、賃金交渉の場で、「少なくともインフレの分だけ給料を上げてくれ」という要求が出すだろう。次に、経営者側は、賃金の上昇は企業にとってはコストの増加につながるから,企業は製品価格を上げようとする。その結果,いろいろな製品の価格が上昇して実際にインフレが生じることになる。

このように,期待形成はいろいろな経路を通って実現することが多い。したがって、「政府は、このような期待の効果を十分に考慮した上で政策を行う必要がある」というわけだ。しかるに、ケインズ経済学では、この「期待形成とその影響」が無視されている。これが「ルーカス批判」の核心命題である。

むろん、ケインズ経済学でも、「期待」という問題を完全に無視しているわけではない。しかしケインズ経済学が想定している「期待」は、過去の値を予測値として使う「静学的期待」であるのに対して、ルーカスの「期待」は、現在入手できるあらゆる情報を使って予測を行う「合理的期待」である、と主張する。「ケインズ的静態的期待」と「ルーカス的合理的期待」を区別するところにルーカス批判の核心があるのだろう。

おそらく、ルーカス批判がアメリカのアカデミズムを制覇した理由は、必ずしもその理論の正当性ではなく、様々な高等数学を援用して数式や数字を駆使するその技法にある。科学主義や数学主義とも言うべきその悪しきスタイルはしばしば学問や科学の名のもとに人間の頭脳を一時的に幻惑する。一種のモダニズムである。たとえば、20世紀の哲学界を一時的に席巻した科学哲学や論理実証主義の台頭の場合に

も、「科学」「記号論理学」「数学」を武器に、「ヘーゲル哲学の迷妄」が批判され、罵倒され、嘲笑された。数字や記号を使わない哲学は「過去の遺物」だというわけである。しかし言うまでもなく、哲学は、数学や科学の「基礎」や「前提」を問う学問である。数学や科学を道具として使えば、簡単に批判できるというのは大きな錯覚である。

たとえば、近代哲学の父と言われるデカルトはそもそも数学者であったし、カント哲学はニュートン物理学の哲学的基礎付けである。経済学の世界でも、数字や数式の前に哲学や形而上学が忘れられ、隠蔽される。 


最後に、竹中平蔵の「小さな政府」論について述べて終りにしよう。

「小さな政府」論は、ブキャナン等の「公共選択論学派」の思想と理論からの受け売りと切り売りであり、その理論的根拠も学問的背景も知らずに、絶対的真理のごとく盲信し、思考停止状態で政権運営に当たっていたのが小泉政権であった。

アメリカで「小さな政府論」を理論的に主張するグループがもう一つある。これも冷戦勝利後に急速に勢いを増しているグループだが、リバータリアニズムとかリバータリアンと呼ばれる一派である。

たとえば、竹中平蔵等が主張する「小さな政府」論とは、言うまでもなく何もしない政府(笑)…のことである。そしてその行きつく先は政府そのものが必要ないと言う無政府主義(アナーキズム)である。むろん、これは極端な議論だが、「小さな政府」という美しい言葉がその背後に無政府主義的な国家解体への思想的可能性を秘めていることは憶えておいてよい。

竹中平蔵が大衆洗脳に使った言葉に、「公務員を減らせ」「官から民へ」「既得権益の打破」というプロパガンダがあったが、それは、無意識のうちに国家解体の可能性を夢想していたはずである。

竹中平蔵の経済学には、ドストエフスキーやラスコーリニコフ、あるいはマルクスやケインズ、柄谷行人等に見られたような哲学的素養と深い根源的な思索というものがない。つまり竹中平蔵の経済学には経済の情勢論や政策論はあるが、経済の原理論や本質論が欠如している。

いずれにしろ、「かんぽの宿疑惑」を初めとして、「小泉・竹中構造改革」の暗部が暴き出されようとしているが、同時に、小泉政権下で、政府を誤った方向へ導いた稀代の詐欺師・竹中平蔵の経済学が、受け売りと借り物と、そしてそれの隠蔽とからなる「トンデモ経済学」であったということが暴き出される日も、近いだろう。」
http://asyura2.com/09/senkyo61/msg/210.html


竹中平蔵の経歴は、

一橋大学経済学部卒業後、日本開発銀行入行→同設備投資研究所

→ハーバード大学、ペンシルバニア大学客員研究員→大蔵省財政金融研究所主任研究官

→大阪大学経済学部助教授→ハーバード大学客員准教授、国際経済研究所(IIE)客員フェロー
→慶應義塾大学総合政策学部助教授→同教授→経済学博士。


というものであるが、これも日本の大学の官界、産業界、思想界、政界からの独立性の低さを如実に物語っている。

まず、彼は国立大学卒業し、エリートコース(といっても学歴と “育ち”だけで測られたものだが)の開発銀行に就職している。 さらに、そこの研究所から、英語力にものを言わせてアメリカの大学の客員研究員にジャンプする。そこから官庁の研究所(内実は下請け)へ行き、これらの経歴を合わせて阪大の経済学部の助教授に納まる。

しかし、ここまでの内容からは、アメリカの大学で研究を手伝った(客員研究員とはそういうものである)ことと下請けの情報整理をしたことを除いて、経済学の研究者としての業績を見つけることはできない。

その後も海外では「客員(手伝い)~」のポジションのみをマスターし、この手のキャリアとコネと年功序列制との組み合わせから、慶応で博士号を得ている。

要約すると、竹中は、日本によくいる「アメリカとの距離を媒介する」タイプのエリートであり、こういった学歴・経歴をうまく運んで経済学者のふりをしているにすぎない。


竹中平蔵は経済学者ではないのだ.

それはちょうど、竹中の所属しているサプライサイド派が経済学ではないように。

彼は単に、メディアや学歴、地位、名声を駆使して必死に八百長を演じていた男にすぎないのだ。

そういうところは日銀総裁に就任したノーパン福井と変わらない、
典型的な日本の似非エリートだ。

さて、そんな似非経済学者である竹中平蔵が、ニューエコノミー論というインチキジャンルに寄生しはたまた先端の思考実験の意味合いが強いモデルに便乗し、自身の専攻分野としてマクロ経済学に取り組んでいる。

ここで、竹中平蔵とこのサプライサイド派の始祖たちとの間にいくつかの共通点があることが確認できる。

一つは、総需要後退局面(不況)を、「経済にとって大した問題ではない」と位置付けていたところ。

さらに、金融政策は経済の根幹部分を握っているという正統派経済学の結論をかなり限定的にしか採用しておらず、政策観としてはこれを軽視していたところ。

まだある。
メディアやロビイスト、政治家、コンサルタントを用いて、学界で正当な意見だとは認められていない自説を売り込んでいくところ。経済政策という国民の命に関わる重大問題を、ファッション感覚で語り、
また実務において処理しようとすたところ。

若い頃、左翼学生運動にのめり込んだ団塊・全共闘世代やその子供たちに喝采を浴びて受け入れられるところ。正統派経済学者や正統派経済学に基づいて政策立案する実務家の主張を驚くほど採用していないところ。特に

<自分の考えは論理的に非の打ち所がないと信じていたので、基本的に実証分析に頼る必要がなく、学界の主流派は実証結果だけでなく、経済原理も間違っていると考えていた>

あたりは竹中はクルーグマンが揶揄しているサプライサイダーそのままの姿である。

サプライサイド派はジャーナリズムの世界以外ではおおかた無視され続けてきた

サプライ・サイド経済学を信奉するような経済学部は有力な大学にはないだけではなく、
有力な学部にはサプライ・サイダーと呼ばれるような経済学者は一人もいない

それでは一体、サプライ・サイダーはどこから来たのだろうか。
彼らは、ジャーナリズム、議会スタッフ、コンサルティング会社といった
経済学の周辺部分から出てきたのである。

こうした人々は、学術雑誌に論文を発表するのではなく、新聞の論説欄や
パブリック・インタレスト誌のようなやや大衆向け雑誌の特集記事で自分の考えを述べている。

1970年代、バートレーとワニスキー(引用者注:サプライサイダー)は、
ミルトン・フリードマンやロバート・ルーカスといった保守派を含む経済学の
主流派が見つけられなかった経済学の基本的な真理を発見したと確信し、
大勢の政治家たちにもそう信じ込ませたのである。

サプライ・サイド経済学の主要な論点をまとめると、以下のようになるだろう。
第一に、需要サイド政策、とくに金融政策は、全くの無効であるというもの。
第二に、減税のインセンティヴ効果は大変大きく、税率を下げることで経済活動が
急激に活発になり、減税幅を上回る税の増収が期待できるというもの。

サプライ・サイダーは、自分たちの考えは論理的に非の打ち所がないと信じていたので、基本的に実証分析に頼る必要がなく、学界の主流派は実証結果だけでなく、
経済原理も間違っていると考えていたのである。

言い方を変えれば、サプライ・サイダーは奇人なのである。


ロバート・バートレーは、その自己満足的な著書である『ザ・セブン・ファット・イヤーズ』の中で、サプライ・サイド経済学は、ウォール街のレストラン「マイケル1」で何度か夕食をとっているうちに生まれた、と述べている。

そこでバートレーとラッファーは、ケインズ経済学が論理的に一貫していないという、
何百回もの学会が行なわれながらもポール・サミュエルソンを含む多くの人々が見過ごしていた事実を発見した。

また、金融政策は経済に重要な影響を与えうるというミルトン・フリードマンの考え方は間違っているという、辛辣で率直なシカゴ・セミナーが約30年にわたって綿々と続く間にもフリードマン、ルーカス、そして他のシカゴ大学の教授陣が見過ごしていた事実をも発見した。

そして、夕食をとりながらたどり着いたこうした深遠なる結論は、驚いたことにほとんどがウォールストリート・ジャーナル紙の論説欄やクリストルが編集していたパブリック・インタレスト誌に掲載されたのである。

バートレーが集めて売り込んだサプライ・サイダーは、単なる保守派経済学者の集まりというには、いくぶん風変わりで無謀であり、単なる一学派というよりは、むしろ特異な宗教集団のように見えるのである。

しかし、「マイケル1」でディナーをとっていたバートレーとラッファーは、
総需要の問題をうまく回避できると思ったのである。
ケインズからルーカスに至る多くの経済学者が、中央銀行の金融調節が経済に大きな影響を与える理由を説明しようと多くの時間を費やしてきた努力が、またしてもこの夕食の席で間違っていたことになったのである。


『経済学派分類』

1.伝統的経済学派(ケイジアン→ニューケインジアン)
総需要管理政策(財政政策・金融政策)による景気のコントロールは可能とする立場。
この学派が政治的勢力と結びつくと、公共事業推進派が生まれ、
利権屋の方便として我田引水的に引用される傾向がある。

2.新古典派
総需要管理政策は無効であり、経済の発展にともなって通貨供給量だけを管理すべきという立場。
まともな新古典派の学説は傾聴に値する面もあるが、大抵の場合はネオコンと結びついた新自由主義という
政治的勢力に我田引水的に流用されてるだけで、ほぼデンパと言ってよい。
経済学的本流は、すでにニューケインジアンと合流している。
......................................................................................................................

(傍系) サプライ・サイド
1980年代にアメリカで麻疹のように流行し、その後の世界経済の混乱(アメリカの双子の赤字、プラザ合意、日本のバブル)をもたらした戦犯。経済学の一分野として認知さえたことは一度もなく、新古典派がニューケインジアンと合流してしまった後に、取り残された市場原理主義者たちが、細切れの経営者的発想を持ち寄ってできあがった、1つ1つはバラバラの、一見正しそうに見えて実は正しいとは限らない理屈の集合体。

サプライ・サイドを信奉するような経済学部は有力な大学にはないだけではなく、
有力な学部にはサプライ・サイダーと呼ばれるような経済学者は一人もいない。
日本では竹中平蔵がサプライ・サイダーとして位置づけられている。

もちろん、一橋の経済学部をいい成績で卒業しているし、実務をこなしてきているし、教職に立って経験を積んでもいるから、ある程度は自説を有力に主張することもでき、また経済学の教養もある程度は身についているのだろう。

だが、所詮そんなちょっと詳しいアマチュア君に過ぎない彼が、いっぱしのマクロ経済学者という名目で担当大臣にまでなっていたとは、はっきり言って狂気の沙汰だ。

しかも、彼のベースとしているのは経済学界でも有名なインチキ似非経済学=サプライサイド理論なのである。こんな男が、「経済財政担当」「金融担当」という国の柱ともいうべき重要なポストにのさばっていたことが日本経済の悲劇であった。


【工作員 竹中平蔵の遍歴】

①1990年2月の日米構造協議において、アメリカ側が貿易不均衡問題を日本の責任で是正するように迫り、GNPの10%の公共事業を行うことを要求。この要求にたいして同年6月の日米構造協議で、海部内閣は総額430兆円の公共投資計画を約束。

②1994年10月、ナポリ・サミットの日米首脳会談において村山内閣が更に200兆円の公共投資を上乗せすることをクリントン大統領に約束し、国際公約とする。公共投資計画は総額630兆円に拡大。

③1994年、竹中平蔵が『民富論』(講談社)を出版。自著において「社会資本充実が日本の生きる道だ」「530兆円を投資せよ・外圧に頼らない内需拡大を実施せよ」と主張。この頃からアメリカ側の工作活動を忠実にこなすエージェントととして頭角をあらわす。
http://amesei.exblog.jp/3192915/

竹中が一見正しく見える理由がいくつかある。
一つは巧みに印象操作や誘導をやっているということ。
これはディベートのテクニックと表裏一体であるが、
きわめて不適切だ。

だが、問題なのは中身。彼の理論の核は「サプライサイド政策」と
いう一見すると経済学的に理にかなっているように見えるトンデモ
理論を使っているからだ。

これは「マクロでは消費=生産であるから、生産を増やせば、
同じように消費も増える」という理屈である。一見するとまともに
見える。しかし、これは基本的なことが間違っている。そもそも、
マクロでいうところの「消費」「生産」は、消費財を生産された物と
みなし、それ以上生産、あるいは消費を増やせるかどうかは
論じられていない均衡の上に成り立っているだけだ。

したがって、潜在的な需要ということを考える必要がある。
これはミクロでは需要のあるところにお金が集まり、生産が
行われるというものである。いわゆる限界効用説などは
これに基づいている。簡単に言えば「消費者の便益のない
モノサービスにはもともと需要が無い」というものである。
(ゴッセンの第3法則)


「無人島で靴を生産しても売れない」のである。したがって、
ミクロでは廃棄処分するしかなくなる。

通常こういう場合は消費したと言わないが、マクロではこれも生産者による
「消費」なのである。つまりサプライサイド経済学では、「無駄でも何でもいいから生産を拡大すれば、消費は増える。もし消費が増えないとすれば、生産性が悪いから
十分に生産できない」と考えるわけだ。

竹中は一時期インタゲを主張した。しかしこれは暗黒卿の
入れ知恵に過ぎない。彼は本来サプライサイダーである。
したがって、供給過剰でも「生産性を上げれば消費される。
消費できないのは賃金が高すぎるか、雇用のミスマッチで
生産性が上がらないからだ。正社員の給与を見合っただけの
水準働かせれば、必ず消費は伸びる」と考えた。

しかし、限界効用では供給が増えれば、生産における
限界費用は増え続け(単位あたりのコストがどんどん割高に
なる)、一方消費は需要サイドの限界効用逓減(ゴッセン
第1法則)により、消費者余剰は増えなくなり、結果的に
価格は下落し、生産を落とすことになるのである。

その結果どうなったか?日本を見ればわかる。余剰生産物を
海外に輸出するしかなくなった。

輸出がなければ生産拡大ができなくなった。輸出するためにもっとコスト削減をしなければならなくなった。為替を無理やり円安に誘導する必要が出てきた。

銀行からの資金調達コストを安くするより、外国人から直接、
低コストで資金調達ができるようにする見返りに、外国人に
事実上の経営権を握らせようとした。

そして自らもその仲介をして儲けようとした。彼は根っからの
売国奴ではなかったかもしれないが、結局質の悪い外国人と
手を組んで国を売る羽目になったのである。


小泉にしても竹中にしても経団連にしても人を自分の思い通りに動かせると思っていたのだろう。

実際、電通など印象操作などでかなりうまく行った側面もある。だが、印象操作だけでうまく行くなら、中身などどうでも良くなるだろう。

結局、改革派は現実を自分の都合の良いように解釈し、自分のしたいようにした
だけだろう。その結果、すべての問題が先送りにされただけでなく、
新たな問題を生み出し(少子化、格差など)、問題をさらに
大きくしてしまった。

彼らの特徴は手法を重視する。目的もあいまい、いい加減だ。
これがサプライサイド政策という一見理にかなったように見えるが、
実のところ、労働や生産にしか興味の無いマルクス主義に毛が生えた
程度の連中が経済を牛耳ってしまった。

グローバル化、国際競争、生産性向上などを掲げながら、
やっていることは世界の主流派経済学ともまったくことなる
「なんちゃって新自由主義」だった。だから、利益は為替介入でしか
稼げないそんな企業ばかりが生き残り、いざ世界経済が失速すると
いち早く恐慌状態にまで落ち込んだ。

彼らのやりたかった事はなんだったのか?ひとつだけ言えることは
儲けた奴がいたということだ。
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/eco/1155868307/l50


サプライサイドってのは、マクロ経済政策じゃないよ。
重商主義に基づく産業政策なんだ。
学問的バックボーンも経済学ではなく経営学なんだ。

つまり、物価・失業率を取り扱うマクロ経済政策と、輸出マンセー・
価格競争力万歳の産業政策が、政府内部で対立して産業政策側
が勝っているってだけのことだよ。

つまり、「デフレに苦しみ失業者が増大しようとも、日本という国は、
輸出主導で栄えなければならない!」というイデオロギーが勝って
いるという事。

構造改革馬鹿の意見みていればわかるでしょ。中国は脅威だとか
日本の国際競争力だとか、リストラして企業の体質改善だとか、
そういった視点だけで、民衆の暮らしが一言も語られないどころか、
「負け組みは去れ」の一言で切り捨てられている。

バックボーンが経営学なので、こういう結論になる。経営者の視点を
国政に持ち込むから、こういう被雇用者たる国民を無視したような政策
がまかり通るんだ。百姓は生かさぬように殺さぬようにってな具合にな。

ちなみに、サプライサイド改革のもたらす効果については、マクロ経済学
のフレームワークの中で完全に説明できるよ。サプライサイド派の意図する
結論が間違っているって事もね。例えば合成の誤謬、貯蓄のパラドックス、
そして生産性の上昇がもたらす円高。こういった超古典的な経済学上の常識
レベルですら彼等の意図する政策は、労多くて益少ない事が見て取れる。


◎質問 : 竹中は小さな政府論者ではなかったのですか?

◎回答 : 違います。竹中平蔵は1994年には著書『民富論』(講談社)で
「社会資本充実が日本の生きる道だ」「530兆円を投資せよ・ 外圧に頼らない内需拡大を実施せよ」と今と180度逆のことを主張しています。

ちょうどこの頃はナポリ・サミットの日米首脳会談で村山総理がクリントン大統領と会談し、さらに200兆の公共投資を上乗せする国際公約をさせられ、公共投資計画が630兆円に膨れ上がった時期でもあり、『民富論』における530兆円という数字も偶然ではありません。 当時はアメリカ側の要求にあわせて土建屋マンセーしていたのです。


【アメリカの日本管理は-組織経営学である】
http://amesei.exblog.jp/3192915/

竹中平蔵は、1994年の時点でなんと「社会資本充実が日本の生きる道だ」「530兆円を投資せよ・外圧に頼らない内需拡大を実施せよ」と 著書『民富論』(講談社)で今と180度逆のことを書いている。 丁度このころは、アメリカが内需拡大を促して、日本政府に「内需拡大」のための公共投資基本計画を要求してきたときと時季が一致する。

村山元首相は朝日新聞の「経済漂流」と言う連載で「大統領がやれと言った」と証言している。竹中平蔵はこの時点ではケインズ政策を積極的に推進するようなことを言っていたのだが、今は小さな政府・財政再建を主張する小泉政権の大臣である。間接的には彼にも日本の超巨大財政赤字の責任があるということになる。

竹中平蔵は要するに、時のアメリカの政権、ウォール街の要求に対して忠実に堪える「エージェント」だったのである。プリンシパルにとってこれほど扱いやすいエージェントはいないのではないか。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-07-26/2008072604_03_0.html

アメリカではFRB議長グリーンスパンの超低金利政策の結果住宅産業バブルが
起こり、これが今日まで消費を支えてきたが、ここへ来て住宅バブルに
「ローソクの最後の炎現象」が見えてきた。前述のようにアメリカには日本
のような「潜在消費・投資力」の備蓄がないから解決策を他国に求めるしか
なくなる。

そこでアメリカに狙われたのが日本、つまり竹中平蔵大臣である。

実は竹中平蔵氏は1980年から90年のJapan as No.1(「日本の世紀」と言われるほど日本経済が世界を制覇した)時代にハーバード大の客員研究員や准教授をしていた。

日本の銀行が世界ランキング1位から10位を占める事態に危機感を抱いたアメリカはハーバード大等の叡智を結集して「日本叩き落とし戦略」を打ち出して見事に成功し、その結果日本の大不況はまだ続いている。

竹中氏(当時、大蔵省財政金融研究所主任研究官)は日本の大蔵情報提供者
として重要な働きをしたと考えられる。

自ら打つ手がなくなったアメリカは日本の「打つ手」(現金備蓄)を奪うしか 手が無いのである。竹中大臣はアメリカの国益の立場に立っているのである。

不良債権で金融機関のパイプが詰まったままの状態で金融緩和をすると緩和
された資金はアメリカに流れず、資金需要がない日本の資本市場で浮遊資金
の増大となる。資金は当然土地と株にヘッジし、地価と株価を押し上げる
結果となる。これこそ日本経済再生の道だが、アメリカにとっては許し難い
こと。すなわち日本の土地と株が上がりだすとアメリカから資金が逃避し
日本市場に向かうからである。


不良債権処理を急ぎ、日本の国民に痛みを与え、デフレをさらにスパイラル化
し、大銀行や大企業を破綻に追い込んでまでもアメリカの国益の為に尽くす
竹中平蔵。さらなる「詭弁」で小泉首相と国民を騙し続ける竹中大臣。

まるで邪教の亡者のごとき竹中大臣の強烈な意志と情熱は、多分1980年代に
洗脳された「日本叩き落とし精神」の具現だろう。今日本は「気違いに刃物」
を与えてしまった。

今アメリカは戦争と言う無駄な公共投資を前倒しで実行しているが(前述のごとく)潜在的財源が無い。どんなことをしても日本の「備蓄資金」をアメリカへ還流させなくてはならない。

http://www.chokugen.com/opinion/backnumber/h14/jiji021021_baikoku.htm


竹中平蔵がやってきた日本の金融政策を振り返ってみよう。

竹中平蔵が、日本に、自己資本比率規制を導入した。その結果、世界でも
最強を誇っていた日本の銀行は軒並み、貸し出しを減らし、貸し渋りを行う
ようになった。そして不況になっていった。 それまでは世界のベスト10
バンクに日本の銀行が6行も入るすごい状態にいたのだった。

○竹中平蔵が時の橋本首相に「金融ビッグバンをやるべきです」と進言して、
それをやった。すると山一證券は自主廃業となり、メリルリンチ証券となり、
長期信 用銀行はf経営が傾き、一時国有化し、リップルウッドに買収された。
東邦生命は、買収されてGEキャピタル生命となり、日興證券は、 これも経営 が傾き、外資に助けを求め、外資の傘下にはいった。
日興コーデイアル証券となった。倒産は続出して、金融恐慌の一歩手前まで
いった。時の橋本政権は選挙で大負けした。日本経済にとって致命傷となった


○竹中平蔵金融大臣が、「不良債権処理をやるべきです」といい、それを強化
すべ きだといった。すると、銀行は貸しだしを抑制するためさらに不況
となる。不良債権と認定された企業は次から次へと倒産していくため小泉政権
の自殺者数や、倒産件数は歴代1位である。

この竹中平蔵金融担当大臣が就任している間、UFJ銀行は経営不安に陥り、
54もの金融機関が倒産した。足利銀行も倒産した。建設会社が倒産した
ときに、竹中平蔵金融担当大臣は、とてもよろこんだ。

「これが構造改革の進展している証拠だ」

http://www.amezor.to/shiso/051030203841.html

竹中平蔵が経済閣僚ポストを二つもなぜ握っているかは、ずばり言えばインサイダー情報を外資系証券に流し、外資系証券も彼らのインサイダー情報を流すことで情報のバーター取引をやっているのだ。

竹中大臣の友達にはモルガンスタンレーのフェルドマン氏が付いていて、彼らは何をやってもアンタッチャブルである。

なにしろ取り締まるべき金融庁の大臣が張本人なのだから誰も取り締まれない。

今回の日興コーディアル証券のインサイダー疑惑を追及されることはないし、それを記事にするマスコミもないだろう。
しかし状況からして日興コーディアルを売り抜けたり空売りをして儲けた筋がいることはチャートを見ればわかる。

その情報がシティから漏れたか日興から漏れたかはわからないが、上がるべき株が上がらず下げているのは明らかにおかしい。
日興は脱税でも110億円の追徴を払っているしこのダブルショックで700円台の株が500円まで下げている。
このように金融庁と外資系証券会社が手を組めばいち早く情報が手に入り100%確実に相場で儲ける事が出来る。

その中心にいるのが竹中金融大臣でありモルガンスタンレーのフェルドマン氏だ。
彼らは財界の若手や官僚の若手をグループに引き込んでは人脈を広げていく。
100%美味しい話を持ちかければ彼らのグループに引き込むのはわけないだろう。
UFJにしても竹中大臣の判断次第なのだから外資系証券会社の動きは目が離せない。


「りそな」の時も、普通は紙切れになるはずの株券が金の卵になったのは竹中大臣の判断であり、竹中大臣のインサイダー情報を持っていた一部の外資系証券会社は大儲けした。

逆に株主責任を追及した植草一秀氏は彼らの制裁にあって社会的生命を抹殺された。

もはや小泉・竹中内閣を脅かす敵は無くなった。抵抗勢力も北朝鮮カードでおとなしくなり、抵抗勢力のトップの野中広務は引退した。

構造改革派の言う勝ち組とは政治を利用してインサイダーで儲ける事が出来る特権階級のことであり、よそ者がインサイダーで儲けると金融庁が厳しく取り締まる。

シティと日興コーディアルは縁が切れたわけではなく、筆頭株主ではありますが極めて短期間に1000億円もの利益を手にすることが出来た。
ハゲタカ外資は金融庁を使って日本の証券会社を締め上げて多くの証券会社を廃業に追い込み、日興證券へシティを二束三文で資本参加させ、
僅か6年で1000億のリターンだから笑いが止まらない。

竹中大臣にとっては日本経済や日本企業がどうなろうと関係なく、外資との口利き手数料で私腹を肥やし、税務署の手の届かないタックスヘイブンに利益を送金させている。

まさにハゲタカ外資は竹中大臣のような手先を使って、やりたい放題の事が出来るようなシステムが出来ている。

http://asyura2.com/0403/hasan35/msg/602.html

私達は洗脳されていました。不良債権の処理こそが構造改革だと。。。
彼等のやり口はこうでした。

一、株式は自己資本の半分以下にすること。
二、不良債権は二年で半減すること。不良債権処理に充てた資金には税金を課す ただし繰り延べ資産として7年間分認める

私達は国の命令で株式の売却を始めました。株の暴落が始まり○銀は国有化され○銀の株券は一夜で紙くずとなりました。数兆円の血税をつぎ込み身奇麗にした ○銀は瑕疵担保条項までつけて外資の手に渡りました。その後私達は恐ろしい光景を目にすることとなりました。

瑕疵担保条項によって死ななくても良い企業まで次々と息の根を止められて行きました。 その時つぶせばつぶすほど外資がもうかる条約だった事に私達は気づきました。

そんな時あの竹中が金融中枢に入ってきたのです。
そしていきなり繰り延べ資産は認めないと言い出したのです。税金は取っておきながら、です。人々はパニックに落ちました。株価は大暴落し、旧額面で80円を割り込んだ時、外資の増資申し入れを受け入れました。

四大メガバンクすべてが外資に自社株を叩き売ったとき、り○な銀行の国有化が決まり、○銀の時と同じく数兆円の国民の税金がつぎ込まれましたが、驚いたことに減資なし、株主責任は問わないという寛大な措置でした

あれほど株主責任を厳しく追及していた竹中 木○コンビの豹変でした。

その翌日から外資の数千億単位の株式購入が連日のように続きました。
日本の国富が外資の手に落ちて行くのを私達は茫然と見ているしかありませんでした・・・。

私達は竹中によって株式をもっと売り払えと指導されていたからです。


米企業  真の黒幕。裏でシナリオを書いている。 りそな銀行救済措置の時、竹中に救済措置のシナリオを指示し事前に日本株を大量購入。救済措置後株価が上がったところで 大量に売りぬけ、何千億という利益をあげた。
これが植草の追及するインサイダー取引。

竹中  米企業の犬。米企業とのインサイダー取引を追及されたら政権交代どころか、国家犯罪にも問われる。 米企業に多大な損失を与えることになり、追求されればインサイダーがばれることを恐れる米企業に消される可能性もある。 よって何としてでもこの問題を追及する輩を潰す必要があった。

竹中の辞任は植草逮捕により検察内部の亀井派が竹中を追及する動きを見せたため。このまま政権内に残り、責任追及されれば政権は転覆する。それを防ぐため、植草逮捕の翌日、竹中は辞任を発表した。辞任したことにより、亀井派はこの問題を追及しても政権に大ダメージを与えることができなくなり、追求する動きが弱まった。その結果インサイダー取引は闇に葬られるわけだ。

第10回「失われた5年-小泉政権・負の総決算(4)」
http://web.chokugen.jp/uekusa/2006/06/10_47b9_1.html

・私は小泉政権の発足時点から、「小泉政権の政策が実行されてゆけば、
 日本経済が最悪の状況に向かうことは間違いない。金融恐慌も現実の問題になるだろう」と 発言し続けた。権力迎合の殆どの付和雷同エコノミストは、
 「改革推進で株価は上昇するし、経済も明るい方向に向かう」と大合唱していた。

・外資系ファンド、国会議員、政権関係者がインサイダー取引を実行した疑いは濃厚に存在するのである。私はこの問題について、テレビ番組などで再三、調査を要請した。

・一連の経過のなかで、外資系ファンドを中心に巨大利益を供与された人々が存在することを忘れてはならない。


第11回「失われた5年-小泉政権・負の総決算(5)」
http://web.chokugen.jp/uekusa/2006/09/11_4e5b.html

・小泉純一郎首相も竹中氏も私の存在と発言を非常にうとましく思っていたようである。
 私が所属する会社や私が出演していたテレビ局にさまざまな圧力がかけられた。
 それでも私は信念を曲げるわけにはいかないと考えて発言を続けた。

・だが、結局小泉政権は最後の最後まで「天下り」を死守した。ここに、
 小泉改革の本質が示されている。官僚利権は温存し、経済的、政治的弱者を
 情け容赦なく切り捨てるのが「小泉改革」なのである。
 国民は目を覚ましてこの本質を見つめるべきだ。

小泉政権インサイダー疑惑-りそな国有化の闇
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060712


<植草氏は、りそな銀行処理の際の政権のインサイダー取引を暴露する本を
出版しようとしたら、突然痴漢にされた>

今回の植草一秀事件については、植草氏が、りそな銀行国有化に基づく現政権の
犯罪行為を告発する本を出版しようとしていたところ、その直前に突然起こった
ものです。

<竹中氏の巨額な海外預金>

昨今、竹中平蔵氏の、クレデイスイス銀行ジュネーブ支店に存在している巨額な
預金残高の存在
が一部で知られています。100億円を超えるという話を聞いています。

<銀行を外資に売り飛ばすための骨太の方針>

こういった巨額な預金がなぜ存在するのかということと、
この竹中平蔵氏が、日本の金融機関を外資に売り飛ばすことを主導していたことを
思い起こしていただきたいと思います。

<竹中氏とインサイダー取引>

そして、りそな銀行を国有化する際に、この竹中平蔵氏が暗躍したことが
インサイダー取引につながっているという指摘があります。
http://blog.mag2.com/m/log/0000154606/107731145.html


竹中平蔵の嘘

城内委員

「次の質問は、アメリカ政府の対日イニシアチブ、対日要求についてで
ありますけれども そこで質問ですけれども、郵政民営化準備室が発足したのが昨年の四月ですから、この昨年の四月から約一年間、現在に至るまで、郵政民営化準備室に対する、米国 の官民関係者との間で郵政民営化問題についての会談、協議ないし申し入れ等、こういったものが何回程度行われたのか、教えていただきたいと思います」

 竹中国務大臣「昨年の四月二十六日から現在まで、郵政民営化準備室がアメリカ の政府、民間関係者と十七回面談を行っているということでございます」

 城内委員「十七回ということは、これはもう月に一回はこういう形で、アメリカの方で早く民営化してくれと言ってきているということであって、かなりの頻繁な数ではないかというふうに私は思っております」

 このとき竹中大臣は城内議員に対しては「妄想だ」などと言い放つことなく、郵政民営化の背後に米国の圧カがあることをみずから認めている。

しかしその後、通常国会の衆議院本会議で五票という僅差の可決となり、参議院 での採決が予断を許さない緊迫した情勢になって以降、焦燥の度を強めた竹中大臣の答弁は一変する。

竹中国務大臣「……ここで読み上げる、読み上げていただくまで私は、ちょっと外務省には申し訳ありませんが、アメリカのそういう報告書、見たこともありません」

二〇〇三年十月二十四日付けの米国政府の年次改革要望書には次のような記述がある。

 《V-D.民営化 米国政府は、二〇〇七年四月の郵政民営化を目標に、小泉首相が竹中経済財政・金融担当大臣に簡保、郵貯を含む郵政三事業の民営化プランを、二〇〇四年秋までに作成するよう指示したことを特筆する》
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2005/12/ocr_d42f.html

そもそも年次改革要望書なるものが、いつから、誰によって、何のために、どんな内容で作成されたのか、このような疑問にメディアはほとんど答えてこなかった。それには深い意味があったのだが、詳しくは文藝春秋12月号の関岡英之氏の論文を読んでいただくとして、それを読む前に重大な事実を認識しておく必要がある。

 それは、現総務大臣竹中平蔵氏の国会答弁である。竹中氏は2005年8月2日、参議院郵政民営化に関する特別委員会で、民主党の櫻井充議員の質問に次のように答弁している。

「郵政の問題につきまして外国の方から直接要望を受けたことは一度もございません。(中略)そのような場を設けたことは一度もございません」と。

このことはたまたま小生も生で国会中継をみており、この答弁を聞いて、はて面妖な、と不審に思ったことをはっきり記憶している。

 実はこの文藝春秋12月号には、ジャーナリストの徳本栄一郎氏が「竹中平蔵が総理大臣になる日」と題してリポートを掲載している。その中で、上記の竹中氏の国会答弁が、事実と食い違い、矛盾していることを鋭く検証しているのである。

またある週刊誌は、これも紛れのない事実を積み重ねて、この国会答弁が真っ赤なウソであるとし、竹中氏の人格まで疑わしいとしている。

いやしくも現職の大臣が国会の答弁で簡単に見破られるようなウソをついたということは、よほど政府にとって都合の悪い事情が裏にあることを匂わせるではないか。なぜそこまで隠し通さなければならないのか。

2005年12月号の月刊『文藝春秋』(関岡英之論文「警告レポート・奪われる日本」)につづいて、同誌の2006年1月号に関岡さんの「竹中大臣へ」の告発論文が 掲載された。

関岡論文において、竹中大臣が国会で行った答弁がいかに矛盾に満ちた、でたらめなものであるかが明らかにされた。もはや竹中大臣は逃げることは不可能だ。潔く、非を認めるべきだ。

 竹中大臣は、「米国政府の日本政府に対する年次改革要望書」(米国政府が
日本政府に対して郵政民営化を要求した公式文書)について、2004年10月19日の衆議院予算委員会で「存じております」と答弁しながら、2005年8月2日の参議院の郵政民営化に関する特別委員会では「年次改革要望書」について
「アメリカのそういう報告書、見たこともありません」と答弁した。

 これほどひどい国会答弁の食い違いは、議会史上でもめずらしいことだ。

 竹中大臣は、このことに責任をもって答えなければならない。
「存じております」と「見たこともありません」の答弁矛盾について、
竹中大臣は答える義務と責任がある。

 国民の皆さんに訴えたい。竹中大臣の責任を追及する国民運動を起こす
ことを。堕落したテレビ朝日とお粗末な司会者に対しても抗議運動を起こさ
なければならないと思う。

http://www.pluto.dti.ne.jp/%7Emor97512/

◆日本郵政・西川善文社長の「犯罪」を糺す 2月15日 東京アウトローズWEB速報版

「かんぽの宿」一括売却問題などで〝国民注目の人〟となった日本郵政株式会社・西川善文社長。もっとも、多くの国民は、この〝陰気くさい〟老齢の男の進退を注視しているに過ぎない。

もともと西川は、住友銀行の頭取であった。2001年、同行はさくら銀行と合併し、三井住友銀行に衣替えし、西川が初代頭取に就任した。それを10年遡る1991年には、西川は専務として、住友銀行「戦略金融統括部・融資三部」の総指揮をとっていた。「融資三部」は、同行の不良債権を処理するセクションで、安宅産業、平和相互銀行、イトマンなど未処理の巨額不良債権がうず高く滞積していた。

この住友銀行の恥部は、〝西川案件〟として処理・封印された。その過程で、西川は指定暴力団・住吉会の企業舎弟であったフィクサー・故佐藤茂の助力を得ている。西川が住友銀行の頭取に就任した時、闇社会の住人はダーティーな西川でも頭取に就任できることに驚愕した。

こうして西川は、住友銀行の〝闇の部分〟を知り尽くす一方で、故佐藤茂を媒介とする闇社会への〝利益供与者〟でもあった。その利益供与先の一つは、5代目山口組・若頭の宅見勝(故人)に対する150億円である。

三井住友銀行の初代頭取に就任後のエポックメイキングとしては、同行の経営危機をゴールドマンサックスによる資本注入で乗り切ったことが挙げられる。しかし、このGSからの資本注入は、〝違法行為〟によって完遂されたのだ。

2002年12月11日、都内でゴールドマンサックスのCEOであるヘンリー・ポールソンとCOOのジョン・セインは、竹中平蔵金融担当大臣(=当時)、西川との間で四者会談を持った。その席上でGS側は、三井住友銀行は国有化しない、との言質を竹中からとり、03年1月に1500億円の資本注入が実行された。そして同年2月、GSの仲介で3500億円の優先株が注入された。

これは、明確なインサイダー取引であり、竹中のGS及び三井住友銀行に対する一種の利益供与であった。西川は、三井住友銀行の国有化を免れた最大の功労者であると同時に、GSに対する最大の利益供与者でもあった。

竹中は現職の金融担当大臣でありながら、外資であるGSに利益供与することは許されざる〝犯罪行為〟である。ちなみに、GSの真のオーナーは、ロックフェラーⅣ世である。つまり、アメリカ帝国主義を代表するロックフェラー家の日本における代弁人が竹中平蔵であり、その下手人が西川善文であった。(以下次号、敬称略)


日米関係の要諦は、日本がアメリカの「属国」であることに尽きる。日本がアメリカの「51番目の州」であるとの虚言を弄する評論家がいる。もし、日本が51番目の州であれば、日本人が大統領になる可能性がある。しかし、これは断じてあり得ないお伽噺だ。日本は51番目の州でなく、実質上、プエルトリコと同じ属国である。

日本の役割はひたすら米国債を買い続けることにある。さながら、御用金を幕府に納める商人のように。ところが、この米国債の現物は日本にはなく、ニューヨーク連邦準備銀行の地下金庫に保護預かりされている。仮に日本が、米国債の大量処分を始めた場合、アメリカは日本を「敵性国家」に指定、「敵国条項」の発動により日本の米国内資産を凍結するであろう。したがって、日本は米国債を処分できないのだ。

米国債の三大保有国は、日本、サウジアラビア、中国である。中国以外の日本及びサウジアラビアには、アメリカの軍事基地があり、事実上、占領されている。アメリカは米国債を日本に購入させるために、財源として郵政に目をつけた。郵政の資産は350兆円である。

アメリカは、『年次改革要望書』を通じて郵政民営化を日本政府に迫った。同時にアメリカは『郵政民営化準備室』との17回にわたる面談により内政干渉し続けた。それは、郵政を民営化して、米国債を強制的に購入させることが目的であり、アメリカの国益に適うことである。換言すれば、日本国民の最大かつ最良の貯金箱である郵政を、宗主国アメリカが日本国民に代わって遣うのである。

そのため、アメリカは小泉純一郎、竹中平蔵、宮内義彦の〝売国トリオ〟を使って、郵政民営化を実現せしめた。竹中は、今でも「郵政は米国債を買うべきだ」とのプロパガンダを続けている。アメリカの意を受けた小泉・竹中は、民営化された日本郵政株式会社を運営していくために、「毒を喰わらば皿まで」の精神で、ダーティー度ナンバーワンの西川善文に白羽の矢を立て、2006年1月23日、晴れて日本郵政の初代社長に就任した。

西川は「民間企業としての効率性、収益性と『ユニバーサルサービス』の維持という公共性を両立させるという大きな使命を果たしたいと思います。そして、日本郵政グループを『安心と信頼』の最高ブランドとして確立し、『すべてのお客さまから本当に民営化して良かった』と心から喜んでいただけるよう、日本郵政グループの力を結集」とのトップメッセージを発信している。

日本郵政は資本金3・5兆円で、連結ベースの従業員数は24万人である。その全株式は現在、財務大臣が所有しており、本来の株主は「主権在民」ゆえに日本国民である。したがって、経営者である西川善文は、株主である日本国民の利益のために働くべきである。しかし、西川は、任命者である小泉・竹中・宮内のために社長業にいそしんでいる。日本郵政の不幸は、社長が西川善文であることに起因する。(以下次号、敬称略)

07年10月1日、郵政民営化によって、「独立行政法人郵政簡保機構」が誕生した。その資産は、郵便貯金約130兆円、簡易保険約110兆円。つまり、240兆円もの巨額資金を保有する世界最大の金融機関が誕生した。

この郵政簡保機構は旧勘定として日本郵政株式会社と分離されている。同機構には、旧郵政省の総務審議官であった平井正夫(日本データ通信協会理事長)が初代理事長に就任した。日本郵政と郵政簡保機構との分離は、国民の財産である同機構を〝捨て石〟として資本の餌食にするためである。

かつて道路公団民営化のプロセスでも、民営化会社と特殊法人日本高速道路保有・債務返済機構との分離があり、40兆円の債務がこの特殊法人に飛ばされた。また、国鉄の分割民営化では、旧清算事業団(承継団体=鉄道建設・運輸施設整備支援機構)に巨額債務が押しつけられ、結局、国民の血税であがなわれた過去を決して忘れてはいけない。我々は、郵政簡保機構の分離設立の裏にある真実を知るべきである。


郵政簡保機構は130兆円の資産を西川善文の息のかかった三井住友系の信託銀行に預託した。奇策を弄したマイナス10億円という入札額により、「日本トラスティサービス信託銀行」(以下、日本トラスティ)は、130兆円の資産を預かることに成功した。よほど悪知恵の働くアドバイザーが背後にいたのであろう。

日本トラスティの株主は3社のみである。三井住友系の「住友信託銀行」と「中央三井信託銀行」、そして国有化された「りそな銀行」が、それぞれ3分の1の株式を保有している。つまり、当時、権力者であった小泉純一郎と竹中平蔵が、影響力を行使できる国有銀行たる「りそな銀行」と、西川善文の影響下にある住友信託と中央三井信託の3行が、日本トラスティのオーナーというわけだ。この日本トラスティは、小泉、竹中、西川の3者にとって、郵政簡保機構の巨額資金を移転させるハコとして最適であった。

日本トラスティは、宮内義彦が経営するオリックスを救済するため、株式を買い支え、結果、約15%を保有する同社の筆頭株主に躍り出ている。オリックスは、CDS指数が1912・50(09年2月20日現在)と異常な数値を示しており、有利子負債も5兆7000億円に達する。しかし、宮内は郵政民営化の功労者として、報酬を受け取り続けている。それがオリックス救済であり、国民の金が注ぎ込まれているのだ。

一葉散って天下の秋を知る。オリックスの筆頭株主を知って郵政民営化の本質を知る。「郵政民営化」の本質とは、対米従属化と国内利権化のさらなる進展である。それが郵政資金による米国債の購入となる一方で、郵政資産の国内売却という形になってあらわれている。

ちなみに、日本郵政グループ各社の主な不動産だけでも、簿価で2兆8400億円に達する。この不動産の売却を利権化したのが西川善文であり、その実行部隊は旧三井住友銀行から引き抜いた「チーム西川」である。周知のように、横山邦男専務執行役が現場指揮官として暗躍した。物議を醸した「かんぽの宿」や「旧郵政物件」の不可解な売却問題は、西川および「チーム西川」らの経営責任が問われてしかるべきだ。

郵政の国内利権化を進める上で、〝マフィア銀行〟である旧住友銀行出身の西川善文は、もっとも相応しい人物だった。しかし、彼らが予想だにしなかった経済恐慌が世界を襲い、国内の政治・経済状況も完全に流動化をはじめた。小泉を筆頭とする「新自由主義」が政権内部でも動揺を来たしていることに、それは端的にあらわれている。

こうした政治・経済的な流動化が、日本郵政をめぐる利権問題を今回、〝スキャンダル〟の形をとって先鋭的に噴出させた。したがって、西川の辞任および「チーム西川」らの日本郵政からの排除は、様々な意味で今後の大きな試金石になろう。同時に小泉、竹中の「任命責任」も本来問われてしかるべきだが、今回の一連の問題がどのように決着していくのか、注視する必要がある。

◆西川氏続投は、ゴールドマン・サックスの郵政資金収奪プロジェクトの中心にある!! 6月12日 信州の泉

○巨大な見返りを見込んだ5000億円増資

 ゴールドマン・サックスと言えば世界最大級の投資銀行である。そこの最高経営責任者が、西川氏といくら長い親交があったとは言え、非人間性を常とする地獄の国際金融業界(ビジネス)において、西川氏の人柄を見込んで5000億円の増資に応じるなどという話があるはずがない。5000億円と言えば0.5兆円だ。この時期に、そのような大金をアメリカの国際金融資本が融資するはずがない。2003年の3月と言えば、3月危機と言われ、日経平均株価が8000円を割り込んだ時期であり、りそなショックが至近距離に近づいた時期でもある。

 その最悪の株式市況で、世界最大の国際金融資本が何の目算もなく5000億円の投資をするはずがない。この融資には、その数十倍、数百倍の見返りを確実に見込んだ裏の計画が進行していたことは明白だ。

 ではその巨大な見返りとは何だろうか。それこそが日本の郵政民営化であり、340兆円のゆうちょ・かんぽ資金の市場開放プロジェクトであった。ここで、竹中平蔵氏の存在が重要になってくる。これ以降は私の推測であるが、「竹中平蔵・三井住友銀行・ゴールドマン・サックスのトップ二者」の密談では、西川善文氏を日本郵政株式会社のトップに据え、四分社化によるゆうちょ株式会社と、かんぽ生命の株式上場までの道のりを整えて置くことが話し合われたに違いない。

 ここで竹中平蔵氏の役割は、2007年の4月に四分社化を実現して、郵政民営化を無事にスタートさせることであった(実際は生田正治氏の抵抗によって10月に延びたが)。一方、西川善文・三井住友銀行頭取の役割は、分割民営化された郵政事業を統括する日本郵政のトップに収まり、「ゆうちょ銀行」と「かんぽ生命」の株式をそれぞれ半分以上、つまりゴールドマン・サックスが経営支配権を持つまで買わせる計画ではないだろうか。それまではその計画が円滑に行くように、西川氏が日本郵政の舵取りをする必要があるのだろう。

 2002年夏から、2003年1月にかけて行われた、西川氏とゴールドマン・サックス二名の三者の会談、及びそれに竹名平蔵氏を加担させた四者の会談では、四分社化と株式上場までの基本計画がじっくりと話し合われたと思う。郵政三事業を、いったんバラバラにしたうえで、アメリカの垂涎の的である郵貯と簡保は、全株を市場に放出する形に持って行く必要があったわけである。

○日本郵政に巣食う売国プロジェクト・チーム

 参考までに、「岸田コラム」というブログを見ると、2004年当時、小泉純一郎氏に四分社化を迫ったのは、竹中平蔵氏と経済財政諮問会議の四人の民間議員だったと言う。詳細はそのサイトをご覧になってもらいたいが、その四人は経済財政諮問会議の民間議員である、牛尾治郎(ウシオ電機会長)、奥田碩(トヨタ自動車会長)、本間正明(大阪大大学院教授)、吉川洋(東大大学院教授)である。この四人は小泉政権の終焉とともに退陣したが、この中から二人は日本郵政の役員になっている。それは牛尾治郎氏と奥田碩氏だ。

 となると、牛尾氏と奥田氏は、2004年当時、竹中氏とともに四分社化を小泉元首相に強く進言しているから、西川善文氏と気脈を通じる売国プロジェクト・チームのメンバーと考えて間違いないだろう。これに取締役兼代表執行役副社長の高木祥吉氏が加わる。日本郵政の役員の中には、まだゴールドマン・サックスの走狗がいると思われるが、彼らを統括しているのが西川善文氏と考えて間違いないだろう。

http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu193.htm

竹中氏は、田原総一郎氏などのマスコミ人の代弁者と言う位置付けである。小淵政権に80点を付けた翌年には10点を付け、「IT」関係ではNTTの分割を主張する。また金融では、不振銀行の国有化と不振企業の退場であり、いわゆるハードランディング路線の推進である。つまりこれら全ては田原総一郎氏達の主張であり、その時々のマスコミの主張である(これらの主張がしばしば間違っている。しかし間違いとはっきり分って来ると、とたんにそれらの話題を避けるばかりで、自分達の誤りを認めようとしない。)。とにかく彼等が描いたシナリオ通りに振舞ってくれる竹中氏を批難するはずがないのである。

ようするに、端的に言えば彼等はテレビタレントなのである。そしてテレビタレントを経済財政担当相、そして金融担当相に指名した小泉首相の方がおかしいのである。ところでサンデープロジェクトの、ソフトランディング路線の前柳沢金融担当相への攻撃はすごかった。しかし筆者には、田原氏がどう言う意図で、このようなハードランディング路線を支持しているのか不明である。

もっとも竹中氏にはもっと複雑な要素がありそうである。つまりこの人物の背景には、田原総一郎氏などのマスコミ人以外の人々の陰を感じるのである。しかし世間の人々もそんなにばかではない。閣僚となったため、これ以上竹中氏も発言を「コロコロ」変えることはできなくなっている。バックに誰がいようとも、新たに金融担当相となってしまった以上、本人が窮地に立っているのは事実である。たとえば就任当初の株価の下落を見ていると、とてもハードランディング路線を貫くことは無理である。

竹中氏、木村氏、田中氏、そして民主党や自民党の若手を並べると不思議と共通点が見えてくる。一つは彼等が異常な「マニュアル(教科書とか受験参考書)の信奉者」と言うことであり、もう一つは「何の実績もないがどう言うわけか要職(大臣、県知事そして国会議員)に就いている」ことである。そして筆者には、特に竹中、木村、田中の三氏と民主党の若手は、唐突に思われるかもしれないが、どうしても「受験生」の印象がある。彼等は、いまだに受験勉強の「トラウマ」を引きずっていると思われて仕方が無いのである。つまり知事や国会議員、そして党の役職などの要職につくこと自体が究極の目標であり(偏差値のより高い学校の入学試験に合格することと同じ)、「一般の国民や県民がどうなるか」と言うことには興味がないのである。これについては、また別の機会に触れたい。


小淵政権が取りかかった積極財政によるデフレ対策を、腰砕けにした犯人こそが、まさに竹中氏達が属しているグループである。これによって、地価の下落は止まらなくなり、株価も下落し、不良債権の処理も困難になった。そもそも不良債権を急ぐことによって、企業は、保有土地の売却を進め、地価の下落に拍車をかけることになった。さらに危機管理状況の日本で、急ぐ必要のない時価会計の導入にすることによって、資産の売り急ぎが起って、土地や株などの資産価格はさらに下落することになった。一連の政策で一体誰が一番喜んでいるのかが問題である。

経済戦略会議のメンバーに選ばれた頃、竹中氏はテレビ朝日系のサンデープロジェクトに出演し、小淵政権には80点の点数を付けていた。ところが翌年同じ番組に登場し、驚くことに今度は小淵政権に10点と言う点数を付けていた。たった一年しか経っていないのにどうしてこのような評価になるのか、筆者は、本当に不思議に思った。竹中氏は「積極財政はもう良いから、そろそろ緊縮財政への転換が必要」と言って小淵政権を批難していた。しかし12年度予算規模は、11年度とほとんど変わらず、とても積極財政と呼べないものであった。

たしかにこの時分は、公明党の連立参加や自由党の連立離脱を想定した動きがあり、小淵内閣の支持率が低下していた頃である。しかし経済も少し上向き、とても80点が10点になる状況ではなかった。筆者は、この時この竹中平蔵と言う人物が実に怪しい存在に思われた。信じられないくらい言動が突飛なのである。これ以来、筆者には、この人物のバックには何かがあるとずっと感じていたのである。これについては、別の機会に取上げることにする。

小淵政権の元で経済は多少上向き、株価も上昇したが、銀行の不良債権はまだかなりあり、まだまだ積極財政を続ける必要があった時期である。しかし小淵政権は積極財政から中立的な財政に移したのである。ところが竹中氏達は、「もっと緊縮的な財政にしろ」と言っていたのである。その後、森、小泉政権と緊縮財政が続き、倒産と銀行の不良債権は増え、税収は減り、株価は下落を続けているのである。

この人物のいい加減な主張は色々あるが、ペイオフ解禁をめぐる発言もその一つである。亀井前政調会長は2年間の「ペイオフ解禁」を延期したが、これに対して各方面から批難が続いた。筆者は、特に強く「ペイオフ解禁の延期」を批難していた三人の人物が印象に残っている。日経新聞の編集委員の藤井良広氏、評論家の田中直毅氏、そしてこの竹中平蔵氏である。詳しくは00/2/7(第149号)「ペイオフ延期騒動と日経新聞」を参照願いたい。この中でK大学のT教授とはもちろん慶大の竹中教授のことである。

ところがこの人物が、金融担当相を兼務するなり、「ペイオフ全面解禁」を2年先送りを決めたのである。しかし何の弁明もなかった。2年半前には、あれだけ強烈に「ペイオフ解禁」を主張していたのは何だったのであろうか。


また数年前は「IT」によって何百万人もの雇用を創出できるとさかんに言っていた。そして日本のIT化推進にとって障害になっているのがNTTとまで断言していた。NTTさえなんとかすれば、日本のIT産業は発展し、景気も良くなると言っていたのである。しかし一旦、米国でITバブルが崩壊すると、「ITバブルの崩壊と言う現象は始めてであり、今後のことは予想がつかない」と言っている。最近ではITに関した発言が全くない。ようするに竹中氏が「IT」と言っていた頃が「ITブーム」の頂点だったのである。

「IT」に関して竹中氏の問題は、その供給サイド重視の発想である。規制緩和で「IT」が伸びれば、景気がよくなり、財政による需要政策は不要であり、むしろ邪魔になると言う考え方である。しかし「IT」が伸び、パソコンや携帯電話が売れても、他の消費がその分減れば、総需要は変わらない。本誌はずっと、「IT」産業は基幹産業の一つになるが、当時のブームは「おまけ」みたいなものであると主張して来た。そしてデフレ経済の日本においては、財政による需要政策は重要と言ってきたのである。したがって筆者は、今日の銀行の不良債権問題や失業問題の深刻化は、竹中氏みたいな極めていい加減な論者達(陰に誰かいると思われるが)に、経済政策の足を引張られてきたことが大きな原因と見ている。


weekly・ポスト・ドットコム 2002年9月6日号

小泉改革の成果はなかなか見えてこない。「成果が見えないどころか、日本はますますひどくなる一方です。小泉首相がやっていることは全部逆。まず資産デフレを止めることを考えなければいけないのにそれはやらない。こんな状態なら、首相が自ら辞任するか、内閣を改造するのが当然でしょう。私はやはり小泉首相の責任が一番重いと思います」

――経済政策のどこが一番問題か。

「全部ミスですよ。何か成功したことがありますか?
私はないと思いますが、あったら教えてもらいたい。だからこそ、小泉首相だけでなく、竹中平蔵経済 財政相も柳沢伯夫金融相もしかり、塩ジイ(塩川正十郎財務相)もまたしかり。
日本経済をどんどん悪くしてしまった責任者たちが、よくも堂々と政権に残っているなと感じます」


――小泉政権がアメリカン・スタンダードにこだわるのはなぜだと思うか。

「私は、現在の不況をアメリカによってもたらされた『アングロサクソン・リセッション』
と呼んでいます。これはイコール『竹中不況』といってもいい。彼は、小渕内閣以来、経済ブレーンとして日本の政策の中枢部門にいるが、この2年間の彼の言動を検証してみると、いたずらにアメリカに追随するだけで、主張にも一貫性がない」


――アメリカに振り回されている?

「一番わかりやすい例を出すと、彼は一時期、IT革命を謳って、“500万人の雇用が新たに創出される”といいましたね。そうしてITバブルを起こしたが、結局は夢にすぎなかった。

 竹中氏は市場原理主義者といいますか、要するにアメリカかぶれした人です。すぐに“マーケットに聞け”とか、“ハイリスク・ハイリターンの時代が到来した”などと口にしますが、彼のいう通りにやってきた結果、日本の経済は傷んでしまった。これはもう国賊でしょう。しかも、確固たるポリシーがあるわけでもなく、トレンドを追いかけているにすぎません」
http://www.weeklypost.com/jp/020906jp/edit/edit_1.html

植草さんが竹中のことを↓のように罵っていた。

「竹中三原則ってのがありまして…間違いを認めない。節操がない。そして、自画自賛する。」

一同爆笑。

竹中平蔵のずる賢い所は、出る番組を選ぶことです
NHKには出たがりません

これは、NHKの解説委員は東大出が多くしかも自分のアンチが出ることが多いので極力出ないわけです

ところが、田原総一郎の様な”同業者”(田原は孫正義のエ-ジェント)に取っては竹中と意見を同じくすることが良いビジネスになるわけです

竹中を知る大学関係者は、彼は学者ではないと言います
理由は簡単で、理論も何もないからです

ただ、ファンドの言うことを自分が言ったように見せかけているだけで
中身は何もありません

森内閣の時に、森喜郎と言う人がこれ以上はないミ-ハ-だったおかげで
芸能人脈を作ってしまいました
その子息が六本木人脈と言われている遊び人グル-プを作っていて
モデルやタレントの女の子を通じて、業界人の○グル-プを関係が深くなった
そこで、テレビ関係で殖財をしている連中とも親しくなり結果、竹中は
政治家を儲けさせてやることでより政界の中枢に出入りできるようになった

政治家の子息、テレビ局、芸能界、そして金持ちの子息・・・・
さらにその親たち・・・全ては竹中のクライアントなのです
批判できるわけがありません


テレビ局が毎年、新卒を入れるときに○政とか○芸とか○文とか言う符丁で
呼ぶ人々がいます
これは、その父親が政治家、芸能プロか芸能人、文部省の役人と言う意味ですがこの連中は局内で集まり派閥を作る傾向があります
この派閥の特徴は、とにかく金回りが良いこと
車も外車が当たり前だし別荘にクル-ザ-、休みには海外旅行・・・
殆ど仕事もせずにテレビ局の名詞を悪用して遊び回っているわけです

竹中は慶応の教授時代から金持ちの子弟には必ずと言って良いほど声を掛けて
自分の子分である、外資系のコンサルを紹介してはマ-ジンを裏で稼いでいましたフェルドマンなんかはその頃からの腐れ縁です
同時にメディアに出るようになってからは、関係者をコンサルに紹介して良いエ-ジェント稼業に勤しんでいたのです
芸プロの社長、タレント、もちろんテレビ局の財務部門・・・その連中を儲けさせたのでエ-ジェント竹中は評判が極めて良くなったのです


テレビ局というのは、裏金としてどのくらいの現金を撒くかで
出演が決まり結果ギャラに反映するわけです
裏金以上に稼げばよいわけですから、稼ごうと思えばそれだけ裏金も必要になります
しかしそれは、普通の方法では稼げません

脱税も良いでしょうが、それはリスクが伴います

竹中はケイマン諸島に本拠地を置くファンドが付いていると言われますが
そのようなファンドを上手く使って金を儲けさせてやる

結果、竹中情報は=金そのものでありテレビ関係者にとって竹中を出してやることは
=金作りになったのです

では、竹中がテレビに出るメリットは何でしょうか?
それは、彼のサイドビジネス・・・つまり、ファンドに金持ちを紹介するためには
テレビで自分を宣伝する必要があった

あの有名な竹中教授です・・・で、一回の講演料は安くてもその後のパ-ティでは名刺を交換する金持ち連中が引きも切らなかったそうです


日比谷にアピシウスというレストランがあります
そこで食事をすると一人5万円は当たり前に掛かる
竹中はそこの常連で、いつもファンドとそういった金持ちの子弟を連れて
食事をする
その後は、最近は麻布のクラブでファンド達を入れて情報交換している
竹中は女性には興味がないようです

ひたすら、ファンド達と企業や金融機関買収を話し合っている
木村も、同席することがあり他には楽天の三木谷等が入ることもある
最近では、上海閥とおぼしき連中が入り日本企業の買収を如何に進めるか
それをよく話し合っている

アルゼンチン経済を破綻に導いた前大統領は、「構造改革」を唱えていたせいか、経済の状態が相当悪くなっても、不思議とかなり高い支持率を維持していた。
経済の調子が悪いのも「構造改革が進んでいないからだ」と必ず言い訳をする。
「悪いのは改革を邪魔する抵抗勢力」と言っておれば大衆は簡単にだまされるのである。
「改革」唱えながらの経済運営では、経済は低迷する。すると必ず「改革」派の人々は、犯人捜しを始める。悪いのは「銀行の経営者」「建設・土木業者やこれらに支援を受けている政治家」「道路公団」「金融庁」「大企業の経営者」等、きりがない。しかし彼等が悪いかどうか知らないが、たとえ彼等を懲らしめたからと言って、日本経済が上向くと言うものではなかろう

おそらく次には彼等は「精神」の問題と言い始める気がする。日本人の「精神」が悪くなり、何でも人に頼るようになったから、経済が上向かないと言うのである。
日経新聞には、既にその徴候が現れている。「科学性」が否定され、「精神主義」が花盛りになる。まさに戦前と同じ構図を辿っている。
http://www.adpweb.com/eco/eco265.html


竹中平蔵氏(慶応大学教授)が、公明党の機関誌『公明』八月号の特集「日本復活に何が必要か」のなかで、巻頭論文「改革止めれば日本は衰退」を寄稿しています。

周知のとおり竹中氏といえば、小泉内閣の金融、経済財政、郵政民営化などの担当大臣を歴任し、「新自由主義」構造改革路線の旗振り役を務めた人物です。その竹中氏がいまどんな「日本復活」の処方せんを提案しているのか、いささか興味をそそられました。

が、一読して、そのあまりにも無反省な「改革」論に、正直言ってあきれてしまいました。

「改革」が進まないから消費が低迷しているというが…
 竹中氏は、まず「日本経済の現状が厳しいのはなぜでしょうか?」と問いかけ、その原因は、次の三つだと言います。

 (1)「改革が進まなくなっている」との不安から「期待成長率が下がって、消費も投資も減少」。

 (2)「コンプライアンス(法令遵守)不況」。

 (3)ドル安による円高で「外需が減少」。

 第一の、「改革が進まない」↓「期待成長率が下がる」↓「消費も投資も減少」という三段論法についていえば、いま消費が
低迷しているのは、そんなことが原因ではありません。

小泉「構造改革」による貧困の拡大、家計の負担増、物価高こそ、消費低迷の最大の原因であり、そのために「新自由主義改革」路線は国民の批判をあびて頓挫したのです。

 第二に、竹中氏の言う「コンプライアンス(法令遵守)不況」とは建築偽装や食品偽装にたいして規制を強化したから「一気に売上げが落ちて(不況になった)」、つまり「法令遵守」が不況の原因という“珍説”です。

 第三に、円高による外需減少をドル安のせいにしますが、問題にすべきは外需頼みのゆがんだ経済成長のあり方です。 経済構造を内需型に改革することこそ大事ですが、竹中氏はそのことにはまったくふれません。

総じて、竹中氏の現状認識には、現在の世界と日本の資本主義が直面する深刻な矛盾を客観的に分析する立場が感じられません。

 今日の資本主義では、大企業中心の新自由主義的な資本蓄積のために、富が大企業、大金持ちに集中し、それが巨額な金融資産(過剰な貨幣資本)として金融危機を起こし、また投機マネーとなって原油や穀物を暴騰させています。

 一方に膨大なワーキングプアと貧困、他方に法外な富の累積という異常な資本蓄積のあり方―ここに現代の新自由主義的資本主義の
矛盾の根源があります。しかし、こういう現状認識を竹中氏に求めるのは、どだい無理な話かもしれません。

お手本だった米国流の「新自由主義改革」がこけてしまって…

 続いて竹中氏は、「日本復活」の処方せんとして、次の三つの「ナショナルプロジェクト」をあげています。

 (1)「羽田空港の拡充」。
 (2)「法人税の引き下げができるスーパー特区」。
 (3)「東大の民営化」。

 最初の「羽田空港の拡充」では、「キャパシティーを3倍にする」などと提案しています。一昔前の田中角栄流の「土建国家」を
思わせるような大型開発プランです。

 次の「法人税の引き下げ」は、財界が渇望している要求です。竹中プランは、それを「特区」にして、地方を法人税切り下げ競争に
巻き込むことで実現しようというわけです。それは財界・大企業にとっては願ってもない提案だとしても、地域経済にとっては、さらなる格差を拡大するだけでしょう。

 「東大の民営化」についていえば、小泉内閣の「郵政民営化」に続いて“柳の下のどじょう”をねらっているのかもしれません。
しかし、東大を「世界のトップ5」の大学に押し上げるための民営化といっても、あまりにも論理が飛躍しているといわざるをえません。

 竹中氏は、こうした三つのプロジェクトで「日本を強くし、地域を活性化できる」と約束しますが、その理論的根拠は不明です。

もともと、竹中氏が旗を振った小泉「構造改革」には、独自の経済理論の裏付けがあったわけではありません。

たかだか「市場に任せればすべてうまくいく」という「新自由主義」派の経済学をメインストリーム(主流)などと称して、米国流の「新自由主義改革」をお手本にしたものにすぎませんでした。

いま、そのお手本の米国がサブプライムローン(低信用者向け住宅ローン)の破たんで深刻な金融危機に見舞われています。

その惨たんたる状況が世界中で明らかになりつつあるときに、「改革止めれば日本は衰退」などと叫んで、「羽田空港の拡充」や「東大の民営化」を提案しても、説得力はありません。

 「改革」のお手本だった米国がこけてしまったのに、それでも懲りずに「改革」続行の旗を振り続けているというのが実態でしょう。

 それにしても、連立政権与党の機関誌が、いまだに、こうした無反省な「日本復活論」を巻頭にかかげているとは、少しお粗末すぎるのではないでしょうか。(友寄英隆)

★小泉改革=IMF構造調整プログラム★  

ウクライナの破滅とIMF諸改革

ウクライナの、そしてモンゴルの破滅のパターンは、IMFがアフリカはじめ、援助を行った各国でやったこととまったく同じである。
援助を要請すると、融資条件として構造調整プログラムがIMFから提示される。
その通りに実行すると外資が参入、国内産業が破壊される。

そしてアメリカの援助穀物が世銀の食糧援助によって持ち込まれ、農業は競争力を奪い取られ、自給自足、自主独立の手段を失う。この状態で旱魃などが襲えば、即、飢餓につながる。

IMFの要請により財政を緊縮し、教育予算を削減、教育も破綻している国が多いので、人材が育たない、企業も起こらない。

財政が改善しないからさらに援助を、ということで借金がふくらみ、国内総生産は借金の利子だけで消えていき、国内産業の育成はますますままならない、という悪循環に陥る。
アフリカがあれほどまでに飢餓と貧困に苦しむのはIMFの構造調整プログラム(SAP)
による社会構造の破壊が大きく影響している。

現在の貧困は、IMFがSAPを開始した1980年前後から急速に悪化している。
世界の最貧困層20%と最富裕層20%の所得格差を見ると、60年には1:30。
これが90年には、倍の1:60。2000年ではさらに拡大して
1:78になっているという。


IMF世界銀行の搾取システム構築を考え出した米シンクタンクにいた日本人が竹中平蔵。

IMF管理下国でも無いのに日本にそのまま適用した結果が今の日本。結果このようになるとわかりきってやった確信犯。「痛みを伴う」と竹中に丸投げした小泉も言っていただろ。w

ハッキリとした原因があればこそ結果がその通りに現れる。


793 名前:名無しさん@3周年: 本日のレス 投稿日:2009/03/27(金) 00:38:32 NO8nhOEa

竹中は慶応の教授です。かつて日銀の総裁も狙いました。

彼が小泉と組んでしたこと。学歴など必要ない。経済学の知識もね。

「首切り」「米国のギャンブル経済(デリバティブ取引)に日本の資金を投入させ、経済がうまくいっているように見せる」だけでした。

世界恐慌が起きて蓋を開けましたら、「サブプライムと一番関係のない日本」(竹中)のGDPが先進国で一番落ち込みました。

住宅はサブプライムの本家米国より落ち込みがひどかったのです(爆笑)。

早い話、失業者を大量に出した結果が消費を低下させ、内需をメチャクチャにした
だけのことです。いまだに竹中はその罪を認めません。

あの狂った小泉など何も考えないお目出度い男です。国民はこの馬鹿に一度は酔ったのです。次の選挙でとにかく政治を変えよう。官僚・国家公務員のリストラですよ。防衛費にもメス。その資金で北欧でやったように若者に定職を与える。


参考投稿番号: http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/299.html

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